「誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀」を読んで、腑に落ちたところが何か所もありました。3.11以降、日本のマスコミの酷さに気が付くことができ、おかげさまといってはなんですが、この本のかなりの部分に共感をおぼえることができたのです。
日本人ならほとんどが好きじゃない「小沢一郎」ですが、それが当たり前になった背景をこの本は明らかにしてくれます。アマゾンへのリンクを辿ってもらえば、読者レビューが、マスコミよりは遥かに正確に、この本について語っていて、頼もしくさえも感じることができるのではと思います。
以下に、私が個人的に記録にしておきたい箇所を何点かご紹介します。まずは、小沢抹殺の起源は1993年であると指摘している出だしから・・・。
一九九三年という”直近の起源”
小沢一郎氏の政治生命を抹殺しようとする動き、それは一見するときわめて些細な出来事として起きていた。しかし私は自分の目で確かに見たのだ。それは一九九三年、小沢氏らが自民党を離党して新生党を結成し、非自民運立政権が成立した、日本の政党政治の大変動とも称すべき出来事と、ほぼ時を同じくしていた。・・・そのとき、我々の目の前で、日本の政治の根本を決定づけ、政治の現実を形作る重要ななにかが、あらゆる人々の予想を超えて変わってしまったのだった。・・・数年を経て事態が沈静化したとき、人々は、日本ほふたたび一九九三年以前の状態に戻ったと考えるようになった。連立政権がいくつもあらわれては短命に終わったことで、結局、日本の政治はなにひとつ変わらなかったのだ、と人々は失望を味わった。ところが、日常のなかではっきりした変化を指摘することはできなかったとしても、確かに日本は変わったのである。p14-p15
そして、この本のテーマである「人物破壊」についての説明箇所
「入物破壊」とはなにか
さて冒頭から「人物破壊(character assasination)」という表現をたびたび使ってきたが、これは具体的にはなにを意味しているのだろうか? 実は、ヨーロッパ諸国やアメリカではよく使われる表現である。読者はすでにおわかりだろうが、標的とする人物を実際に殺さないまでも、その世間での評判や人物像を破壊しようとする行為を指す。
これは相手がライバルだから、自分にとって厄介な人物だから、あるいは単に敵だからという理由で、狙いを定めた人物の世評を貶める、不快で野蛮なやり方である。人殺しは凶悪犯罪であるが、人物像の破壊もまた、標的とされる人物が命を落とすことはなくとも、その人間を世間から永久に抹殺するという点では人殺しと変わらぬ、いわば殺人の代用方式である。p26
小沢氏の政治生命を抹殺するために用いられたのは日本の伝統的な手法、すなわちスキャンダルであった。スキャンダルを成功させるには、検察と新聞の協力が不可欠である。そこで検察は法務省の記者クラブに所属するジャーナワストたちに、だれに狙いを定めているか告げ、逮捕や証拠品の押収時に注意するよううながし、彼らが欲しがる多くの情報をリークしてやる。そしてリークされた情報にもとづいて記者は記事を書き、それが新聞の一面にどかどかと掲載されることになるのだ。
日本のスキャンダルの特徴は、世間一般には許されてはいても、それがやり過ぎ、もしくは行き過ぎと見なされた場合に、抑える役目を果たす点だ。そのようなスキャンダルの餌食になるのは決まって、日本の政治・経済の現体制を撥るがしかねない人物である。p28
・・・小沢氏の政治生命を破壊しようとするこのキャンペーンは、一九九三年以降、再燃するたびにその舌鋒を強めてきた。そしてそれがひとつの頂点に達したのが、彼が首相になるかと思われたときだった.二〇〇九年の初め、その年の後半に行われる選挙で民主党が自民党を破ることになり、そうなれば当時、民主党の代表であった小沢氏は自動的に、日本の公式の政治システムの頂点に立つだろう、というのが大方の予測だった。ところが小沢氏は党の結束を維持するため、そしてキャンペーンの被害が民主党におよぶことのないよう、代表の座を辞した。ところが2009年の秋に民主党が政権の座に就くと、またしてもこのキャンペーンは新たな高まりを見せた。今度は検察が思いがけない新たな手段に訴え、それによって小沢氏の資金管理団体の政治資金をめぐる間題で、証拠がないために不起訴となっていた件に関して、ふたたび捜査を行うことを決定した。そして再度、不起訴になったにもかかわらず、またもや捜査が行われるのである。p34
このような「人物破壊」を可能ならしめるもの政治システムは、その起源を徳川幕府とそのクーデターである明治維新までさかのぼるという。そして、重要な人物として山県を挙げる。彼は、政党による政策決定の影響を一切受け付けないよう、「天皇」を利用するなど画策して官僚機構を隔離したのだ。
山県が講じた措置によって、官僚はその後も日本の政治システムを支配するもっとも重要な勢力でいることができた。もちろんそこになんら公式の規則という裏づけがあるわけではない。第二次世界大戦後の日本では、法律上は、日本国民を代表する選挙された者が、国家を統治する権力を与えられることになっている。そして憲法によれば主権は国民にあるとされている。ここまで議論を進めたところで、我々は日本政治の重要な一面を知ることになる。つまり日本の政治システムの大部分は、「法的枠組みを超え」ているということだ。日本には当然、あらゆるものごとを規定する法律があり、犯罪に対処する作用において、他諸国とまったく大差はない。ところが日本の揚合、経済や政治上の取り引き、関係性など、現実のなかで実際に利用されるやり方が、法律によって決められているわけではないのである。それを決定するのは慣習である。さらには現状維持をほかる勢力である。
ちなみに個人やグループにみずからの行いを恥じ入らせる「辱め」は、日本の当局が秩序を維持するために用いる手口のひとつだ。体制を揺るがしかねない人間を、辱め、世間の見せしめにすることで、超法規的な秩序を逸脱すれば、このような仕打ちが待っているとあらゆる人々に警告するのだ。その陣頭指揮をとるのはもちろん、日本の検察である。 p54
その日本の検察の特殊性については以下のように記載している。
検察、この大いなる守護者
完壁にして、純粋、無謬であること、検察はそのすべてを兼ねそなえていなければならない。人間は過ちをおかすものだ、などという考え方は、検察の伝統とは相容れないのである。裁判に負ければ、検察側は辱めを受けたかのように感じる。そこで彼らは断固たる姿勢をもって上訴し、決してあきらめることなく、あらゆる手を尽くして闘おうとする。この特異な役割は、日本の歴史的産物だということを忘れてはならない。ほかの民主国家の検察の役割は法の番人であるが、日本の検察が守らているのは法律などではない。彼らが守ろうとするのはあくまで政治システムである。しかも、半ば宗教信仰を思わせるような熱意をもってその任務に取り組んでいるのである。 本来、検察は、同じように伝統を誇るほかの官僚にも増して、「天皇の忠臣」の手本のような存在であった。しかもそのような役割に付随する権力が与えられていた。検察がこのような権力を掌握したのは一九二〇年代にさかのぼる。司法制度全体を支配するにいたった検察の下で、日本の裁判官はまるで付属物、検察の使用人のようなあつかいを受けるようになった。一九三〇年代になると、検察は、軍国主義者たちがみずからの右翼的政策を正当化するために利用した、「国体思想」というイデオロギーを支持した。政策を阻もうとしていると見なされれば、政治家を含めてだれもが検察による苛烈なあつかいを受けた。 p71
続いて、山県に続いた人物として平沼騏一郎を紹介し、戦後の政治家と検察の維持関係について語る。
・・・戦後、平沼のやり方に倣ったのが馬場義続[元検事総長、1902-1977]である。彼は自民党のリーダーのひとりだった河野一郎[1898-1965]に恩を着せ、彼を操ることで政治的な影響力を増した。
先に述べたように、自民党の政治家たちはもちろん裏で取り引きをしていた。自民党が長い間存続できた理由のひとつは、同党が従来の日本の政治システムの維持に寄与してきたことである。つまり彼らは検察と特別な関係を取り結んでいたということだ。自民党の「保守的な姿勢」の恩恵を受ける検察は、有力政治家たちが政治資金や選挙などでたとえ重大な法律違反をしても、ことさらに騒ぎ立てはしなかった。こうして真に重大な犯罪行為でないかぎり、政治家たちが不正を働いても、検察は通常はそれを見咎めることはなかった。たとえ大きな不正行為に手を染めたのであったとしても、官僚出身であれば、そうした政治家が司法関係者に邪魔立てされる心配はまずなかったと言っていい。一方、いわば草の根出身の政治家の楊合は、さほど運がいいわけではないが、それでも守られた状態にあったと言える。p72-73
しかし。天才的ともいえる政治家、田中角栄は、その過大な実力ゆえ、葬られることになる。
そして、民主党政権とアメリカとの関係も興味深い考察が開陳されている。
ところが、二〇〇九年九月に民主党が政権を握ると、軽い衝撃がアメリカ政府内を走った。アメリカ人記者のなかには、これまでアジアのなかで自分たちが懸念するとしたら、つねに中国だと相場が決まっていたが、これからは日本のことも心配しなければならななったようだ、とアメリカ政府の役人が語ったと報じた者もいた。そうした反応はすべて鳩山首相が、日本は、これからはより対等な立場でアメリカとかかわることをめざすと述べ、沖縄のアメリカ海兵隊基地の移設案をすぐに受け入れようとしなかったために生じたのだった。
鳩山氏、そして小沢氏が当初から望んでいたのは、アメリカ大統領を含む政府幹部たちとひざと膝を突き合わせて、世界の変化について、台頭する中国について、ほかの東アジア地域内の問題について、さらには新たに生じた問題に対処するための新しい方法について議論することであった。
たとえいかに批判的に見たとしても、それは実にもっともな要望である。
そして鳩山氏はそうした要望にもとづいて、オバマ大統領に面会を求めた。私が数え上げただけでも、彼は少なくとも三度、要請した。さて、アメリカに次いで重要な地位を占める先進国の新しい首相が、世界最大の先進国の、これまた就任して日が浅い大統領と語り合いたいと望むことほど、道理にかなったふるまいが一体ほかにあるだろうか? これまで何十年間というもの、互いこそがもっとも重要な同盟国だと考えてきた両国が話し合いをすることになんの不思議があるというのだろうか?
しかし鳩山氏の努力はなんの成果も得られなかった。アメリカは彼にきわめて無礼な態度で応じたのである。彼はバラク・オバマと広範な問題について話し合うチャンスを与えられはしなかった。一度など、鳩山氏の求めに対して、アメリカ政府の報道官は、もし日本の首相が連立内閣内で国内間題を解決するつもりであるのなら、アメリカの大統領を利用すべきではないとすら発言している。鳩山氏はまたコペンハーゲンで開催された環境会議の際にひらかれた晩餐会で、ヒラリー・クリントンと話す機会があった。会場の外で待ち構えていた日本のメディアは、もちろん友好的で前向きな話ができたというコメントを期待していたことだろう。ところがアメリカに戻るや、ヒラリー・クリントンは日本大使
を自分のオフィスに呼びつけ、鳩山氏がウソをついたと非難したのだった。さらにオバマのアドバイザーを務めるアメリカの高官がどこかで出くわしても、日本の首相に10分以上時間を割いてやる必要はないと大統領に伝えたという発言までもが伝わっている。
たとえ相手がどんな岡であったとしても、二国関係のなかでアメリカのようなふるまいは決して許されるものではない。このような侮辱を受ければ、自国の大使を召還させることすらあるだろう。友人であるはずの日本に対して、アメリカがこのような態度をとるなど、信じがたいとしか言いようがない。
これまで私を除けば、日本の政治や日米関係について詳細に検証し、それについて執筆し続けてきた非アメリカ人作家はオーストラリア出身のギャバン・マコーマックただひとりだ。この一件が起きた後、彼は、たとえ相手が敵国であったとしても、アメリカが他国に対してこれほどまでに無礼で、侮辱的なふるまいを見せたことは、いまだかつて一度もなかったと言っていた。
こうしたいきさつを日本の新聞はあまり報道しないか、たとえ報じたとしても、大抵は、日本の首相のやり方がまずいから、アメリカ政府にそのようなあつかいを受けたのだ、という諭調で書かれているのだ。つまり外交手腕に欠けるため、鳩山首相には、新しい状況に適切に対応することができなかった、と結論づけられてしまうのである。しかしそうした論調は、明らかに重要な事実を見落としている。それは相手国の主権を認めようとしない国との間に、外交など成立し得ないということだ。それこそが日米関係という間題の核心でもある。
そもそもアジア情勢の変化についてオバマ大統領と真剣に話し合いたいという鳩山氏の求めをすげなく拒絶する以前から、アメリカが日本の主権を認めていない事実は、アメリカ政府高官の発言の端々にあらわれていた。本書でも述べたように、民主党が政権を獲得することになった選挙前の時点で、東京を訪れたヒラリー・クリントンは選挙でどの政党が勝利し、政権党になろうと、アメリカは従来のやり方を変えるつもりはないと言明していた。これは日本がその三分の二もの致用を負担する、沖縄にあるアメリカ軍基地を指しての発言であった。つまり、ヒラリー・クリントンは、これから日本の新しい政権の座に就こうと、待機していた政治家たちに向かって、あくまでボスはアメリカであると警告し
たのだ。民庄党政権が発足すると、今度はゲーツ国防長官が訪日し、またしても自分たちこそがボスであるごとを無礼な態度で示した。そのとき彼は、外交儀礼である日本の自衛隊による栄誉礼を拒絶したばかりか、歓迎食事会にも出席しなかった。
愛国心のある目本の記者なら、あるいはこのようなふるまいに激怒していたのかもしれないが、それは報道にあらわれてはいなかった。逆に、日本のメディアは憤慨するどころか、アメリカの態度こそ日本の新しい政権が安定していない証拠だと説いたのであった。
そのような論調が、数十年にわたるアメリカ政府周辺の専門家やシンクタンクなどの古い人脈を持つ、自民党政治家の解釈であることは疑いない。官僚や元官僚、そして夏の選挙で民主党に敗北した自民党の政治家たちは、長年にわたって交流のあったアメリカ政府周辺の関係者たちに、鳩山政権をまともにあつかわないよう忠告していたのであった。彼らにとっては選挙に圧勝して新政権が誕生したことも、そしてその新しい政府が国民のぞむようなやり方で、日本の政治を変えようとしていることも、なんの意味もないらしい。民主党政権が日本の政治という舞台でつかの間上演される、おそまつな幕間劇でもあるかのようにに見なす諭調が日本側にあるからこそ、いまアメリ政府内で日本を担当するペンタゴン出身者たちが日本にやってくると、保護者を任じる同盟国アメリカに対する新政権の態度はなっていない、と声を荒らげることになるのだ。だからこそ日本の運営を任せるべきではないのに政権を強引に奪い取った無能な集団であるかのように、新政権はあつかわれたのである。コロンビア大学のジェラルド・カーティスといった日本学の権威とされる人々までもが、最初の民主党内閣を中傷するような発言をして、かえって日本の政治になにが起きているかをまるで理解していないことを、みずからさらけ出すことになったのであった。
日本のメディアの記者たちは、自分の国がどんなあつかいを受けているか気づかなかったのだろうか? 民主党がアメリカに対等な立場を求めたことは、日本の主権が認められていない事実を指摘したものであったにもかかわらず、アメリカがそれを完全に無視したという構図が、彼らには見えなかったのであろうか? メディアはもちろんアメリカのふるまいが無礼であることはわかっていた。恐らく紙面の編集者たちは、日本は本当に主権国家なのだろうかと、漠然と疑問に感じているのではないだろうか。日米関係について語る際、日本は純粋な意味では独立していないと多くの人々が認め、またそのことがよく話題にもなる。また対中関係でもこのことが間題となっていることは、やはり多くの人々がうすうす感じている。
しかし目下のところ、日本ではこうした新しい事態に対するはっきりした見解が打ち出されるにはいたっていない。新聞はそれをどう理解していいかわからないので、これまでと同じような反応を示すにとどまっている。そうした出来事が、馴染みある報道パターンに当てはまらないので、どうあつかえばいいのかわからないのだ。p165
なかなか日本のマスコミを通じてはわからない日米関係の描写ゆえ長い引用になってしましたが、いかがだったでしょう。外国人ならではの観点は、確かにあると思います。