イチロー、40歳にして惑わず ヤンキースでの決意
米国での13年目のシーズンを控え、大リーグ、ヤンキースのイチロー外野手(39、本名・鈴木一朗)が日本経済新聞社のインタビューに応じた。不惑に対する考え、2年目を迎えるヤンキースでの決意を、時に考え込んで言葉を選び、時に身ぶり手ぶりを交えながら語った。
■誰かを「思って」戦うチーム
「常に挑戦し続けている」というイチローが選んだ舞台がニューヨークだ。昨夏、電撃的に移籍した名門ヤンキースと改めて2年契約を結んだ。
「ヤンキースでは『勝つこと』が使命であり大前提だ。加えてファンは勝つことだけでなくプロフェッショナルなプレーを見たがっている。これは僕にとってとてつもない力になる」
「あれだけのスーパースターが集まっているにもかかわらず選手のエゴが一切見えてこない。向かう方向が極めてシンプルでとても気持ちの良い環境だ」
しかしヤンキースの「ために」戦うのではない。大切にしているのは「思い」だ。
「『何かのために』は聞こえは良い。でも時に思い上がっているようにも思える。人間関係においても言えることだが、誰かの『ために』やろうとすると厄介な問題になることがある。しかし、誰かを『思い』何かをすることには、見返りを求めることもなく、そこに愛情が存在しているから不幸な結果になることが少ないように思う。昨年の3カ月だけだったが、ヤンキースは『思い』を強く持たせてくれた組織だった」
思いが結実したプレーがある。昨季のア・リーグのプレーオフ地区シリーズ第2戦。敵失で出塁したイチローは4番カノの二塁打で一塁から一気に本塁に突入。ここで「常識」を覆す行動が飛び出した。
「三塁コーチが腕を回している以上行くしかなかった。そのまま突っ込んだら3メートル手前でアウトになることは明白だった」
普通なら、加速してそのまま突っ込むところ、イチローが選んだのは別の方法だった。
「(セーフになる)可能性があるとしたら、スピードを緩めるしかない。(相手のウィータースは)頭のいい捕手なので、予測できない動きをすることでしか可能性は生まれない。相手の頭の中をちょっとした混乱状態に誘導するしかなかった」
捕手のタッチを2度かわし生還。「忍者」と呼ばれた(2012年10月)
ブレーキをかけたイチローは本塁前で腰をひねって捕手のタッチをすり抜け右に回り込む。2度目のタッチもかわしてホームに触れた。「忍者」と言われた本塁突入だった。
「僕の中で印象に残るプレー。単にフィジカルだけではなくて心理の戦いも含んでいた。アウェーだったので(球場で起きたのは)歓声ではなくどよめきだったが、あれは快感だった」
レギュラーが保証されているわけではない。厳しい生存競争に臨む武器はプロフェッショナル意識の高さだ。
「努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。それは自分以外の第三者が思うこと。もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか」
「子供の時の感覚で楽しくて好きでいたいのならプロになるべきではないだろう。もちろん、違う種類の楽しみややりがいはたくさん生まれるが、プロの世界では楽しい時など瞬間にすぎない。ほとんどはストレスを抱えた時間だ。しかしその『瞬間』のために、ありったけのエネルギーを費やしていく。その中で、人間構築をしていかなくてはならないと考えている」
マリナーズ時代は200本安打という目標を掲げていた。
「実際にそれを目標に掲げていたのは2008年ぐらいまでだと記憶している。その後口にしなくなったのはそれが『達成したい目標』から『達成しなくてはいけない目標』に変化したからだ。続けていくことの難しさを痛感する中でそれまで誰もやっていなかった10年連続200本安打を達成できたことで気持ちに一区切りついた、ということもある」
■10の力を7に見せる
大リーグでのプレーも今年で13年目。日本でのプレー年数(9年)を上回っている。メジャーでも数々の記録を打ち立てたイチローの目には日米の野球がどう映るのか。
「米国の野球は『力対力』というイメージがあるがそれはイメージでしかない。力の意味が『能力』であればその通りだと思うが、大体は力は『パワー』と同義語になっているように感じる。とにかく相手の欠点を突いてくる。こちらが克服できなければ永遠にそうしてくるだろう」
文化、習慣の異なる中で勝負の世界に身をおいてきた。意識してきたのは己を貫くことだった。
「米国、南米出身選手の主張は強い。70(の力量)を100に見せて威圧する。僕が大事にしているイメージは全く反対で、100あるが70から80にしかみせない。それで実際には(相手を)ボコボコにする。そんなアプローチの方が楽しいし、見る人も面白いのではないか」
「今はまだ色紙に一言と言われても書けない。大切にする姿勢や哲学はあるが胸を張って一言残せるほどの自分ではない。偉人の言葉を引用する年配の方がいるがあれはダサいと思う。拙い表現でも将来自分の言葉で伝えられたらなと思う。しかし結局、言葉とは『何を言うか』ではなく『誰が言うか』に尽きる。その『誰が』に値する生き方をしたい」
■WBC、命削った勝ち越し打
レギュラーシーズンだけでも日米通算で1万2000回以上もバッターボックスに入った中で「思い出したくない」という打席がある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝、対韓国戦。延長十回2死二、三塁で不振が続いていたイチローが打席に立った。
WBC連覇に導いた決勝打(2009年3月)=共同
「敬遠ならどんなに楽だろうと思った。そんなふうに思ったことは初めてだ。この打席で結果を出せなければ、今までの僕は全て消される、と思った」
「恐怖に震え上がっていた」という中で2連覇を決める中前2点打を放つ。代償も大きく、胃潰瘍を発症。大リーグ入りして初の故障者リスト入りも経験した。
「今後、どんな場面があろうともあの打席以上はないのでは、と想像している。野球をやりながら『命を削る』という意味を初めて知った瞬間だった」
■理解苦しむ「定年」
10月に40歳を迎える。野球界では大きな節目とされる。
「野球界には、40歳で定年みたいな価値観がいまだになぜか残っている。その現状が僕にとってはクエスチョンだ。様々なことが前へ進んだ中で、40歳定年の思考は理解に苦しむ。食生活、住環境、野球をとりまく環境、トレーニングの発達、道具の進歩など、昔とは比較できないほど進んだ。選手寿命だけが進まないと考えるのは、その人たちの思考が止まっているように思えてならない。彼らは僕がこう言うときっとこう言うだろう。『若いくせに生意気だ』」
「個人競技だとしたら、今の状態で引退を考えることはあり得ない。ただ団体競技なのでポジションが限定される。純粋な能力ではなく年齢だけを見て省かれるという理不尽なこととも戦っていくことになる」
常に高いモチベーションを持って挑戦し続けてきた。
「僕はずっとエネルギーを注いできたものに携わっている。最も大変なことは自分が好きでもないことをやらされて、それを好きになれと言われ、結果を求められることではないか。それで壁を感じているならばすばらしい。壁が出てきたということはそこに全力で向かっていく気持ちが存在し、さらに労力を費やしてきた証しだと思う」
ブログなどを活用するアスリートが増える中、改めて情報発信の重要性を感じている。
「エンターテインメントの世界に対し見る側は対象が遠くにいると近づいてほしい、でも近づきすぎることは望まない。親しみを求めながらも憧憬の念も抱いていたい。その心理は複雑だ。距離感はとても大事だ」
いつか、「イチロー監督」をみてみたい、とのファンの声は多い。
「現時点でそれ(監督)を問われたら『ありえない』と答える。ただ、王貞治氏に『現役のときに監督をやることを想像していましたか』と伺ったことがある。『全く想像できなかった。自分が監督になるとは思っていなかった』とおっしゃった。それを聞いた時に自分の気持ちも将来、どう動くか分からないとは思った。ただ自分がその器でないことくらいは現時点でも分かる」
世界に出て再認識したこと。そのひとつが日本語を大切にすることだ。
「米国に行ってから、日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、日本語をきれいに話したいと思い始めた。日本語でも自分の感覚や思いを伝えることは困難だと感じている。それが外国語となれば、不可能に等しい。英語で苦労する以前に、僕は日本語で苦労している」
野球以外でも、経済や日本企業の動向などにも高い関心を持っている。
「日本の製品は安心感が抜群。外国メーカーの技術も、実は日本人が開発していることが多いのでは、と想像している。技術が外に出ていく状況をつくってしまった国や企業に対して、それはいかがなものか、とは思う。いま、安倍(晋三首相)さんのこと、めちゃくちゃ応援しているんです。頑張ってほしいです」
「初めて株を買ったのが、中学生の時。それで、中学のころから株価分析の本を読んでいた。任天堂の簡単な株のゲームなんかも好きだった。今もホテルでリクエストしているのは、日経新聞。応援したい企業の現物株を買って、ちょっとだけ配当をもらうというスタンスだ」