簡単に要約すると、「山寨革命」とはインターネットによる個人レベルでの市場創世といえるかもしれない。先に紹介した「米国発 さらば規格品社会 ここを攻めろ(3) 「スマートな個人」に商機」の生産版だ。緻密、子細に個人レベルまで降りてきた水平分業生産システムともいえよう。本では以下のように記されている。
純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。
山寨携帯のこのような運営方式だと、チップから始まって携帯電話を市場に出し販売するまでに、たったの一ヵ月しかかからない。これまでの半年から一年に対し有利となるのほ明白だ。販売ルート、金銭、市場が求めているモデルへの敏感さ、そして運気が彼らの勝敗を決める。代理店や代理業者は最終的な工程となる。華強北を例にとれば、一・ニメートルの売り場の借り賃が月に二〇〇〇元余りなので、資本が少なくても一つの売り場を借りて携帯電話の仕事が始められる。すべての工程の間のつながりはあまり複雑ではないが、大変効果的かつ実用的である。これは市場の着実な進歩の結果であり、この自然に進化したメカニズムはすべての工程のコストを極端に圧縮し、すべての工程が市場メカニズムを通して最も適切な資源を配置する。お金がある人、市場に敏感な人、技術のある人、何もリソースはないが小金を稼いで家族を養っている入、すべてに適切な場所がある。 p40-41
「山寨革命」は携帯電話から始まった。携帯電話をめぐる特殊性が、その足腰を鋼のように強くし、弁証法的に止揚された場を提供したと言って良い。日本の携帯電話が特殊性の罠にはまりガラパゴス化したのと好対照である。
携帯電話の組み立てが難しい理由は、以上のように携帯電話市場の汎用的な部品を、零綱企業に組み立てさせないからである。多くの人が、携帯電話が容易に組み立られないのは技術的な原因によると思っているが、実際ほそうではない。携帯電話がパソコンのようにバラバラの部品を買うことができない理由は、第一に、携帯電話の体積が非常に小さいため、それぞれの部晶を売るには保存や運輸上の利便性が確保できず、完成品を売るのに比べて利点がないこと。第二に、携帯電話は研究開発、生産などが一体化された垂直統合モデルであり、携帯電話業界に参入した企業の多くが自分たちの研究開発体制を持っていることである。TI(テキサス・インスツメンツ)、クアルコム、インフィニオンなどの企業が提供するチップは、数社の顧客のためだけのであり、同時に、技術障壁(あるいは観念的な束縛かもしれないが)も比較的高かった。それらの企業が提供していたチップがメディアテックと最も違う点は.携帯電話メーカーが慣例に縛られて、以前と同じように多くの工程を自分でこなそうとしていたことだ.メディアテックからすると、クアルコムなどが提供しているチップはすべて「半完成品」である。一方でクアルコムなどからみると、メディアテックが作っているのは「超完成品」であり、「無駄に高度な作品」なのである。
業界の変化はときに観念上の小さな違いから作られる.クアルコムなどの企業がチップを大工場に作らせる場合、どの程度のものを作るかは考える必要がない。しかし、このように見ない人もおり、もしその人がほかの方法を実行するのであれば、すぐに成功者になれるだろう。
具体的にいうと、一台の携帯電話の製作工程にはまずチップがあり、チップの上にオープンインターフェースとプロトコルスタックを置かなければならない。これらは旧来のチップメーカー内での事情で、携帯電話メーカーはソフトウエアのユーザーインタフェース〔UI)を開発しなければならないなど、作業量はかなり多い。また、チップの生産から携帯電話を完成して出荷するまでのサイクルは大体半年から一年で、技術リスクがあるため、零細企業は手の出しようがない。メディアテックのこの種のビジネスモデルに対する最大の変革は、ユーザーインタフユース内に内包される一連のソフトウエアを提供し、ローカルに技術サービスの拠点を作ったことである。デザインハウスはメデイアテックの計画を手に入れてから個性を際立たせる改革を行った。たとえぱ腕時計型の携帯電話をデザインする場合、基板を腕時計の中に配置できるようにしなければならず、腕時計のような空間の中にいかにしてユーザーインタフェースを置くかというような改革を行う。デザインハウスと市場の間に携帯電話の組み立て事業者が存在し、彼らの間では機器のデザインについての橋渡しをしなければならない。純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。 p39-40
携帯電話の排他性はチップの寡占化によるものだが、ここにメディアテックという新興メーカーが山寨と結びつき山寨革命を押し進めることとなる。
メディアテックが創り出したターンキー方式(チップセットにマルチメディアをはじめさまざまな機能が最初から盛り込まれ、それだけで多様な携帯電話に対応可能にすること)は山寨革命にとって大きなカギとなった。蔡 明介氏はメディアテックのリーダーであり、後に尊敬と揶揄を込めて「山寨革命の父」と呼ばれる・・・。P41
山寨革命はメディアテックと共に、デジカメ、薄型液晶テレビ、ノートPCと進む。ノートPCはタブレット化して、ステーブジョプズのiphone/IPADの果実を追いかけているようでもある。本書では、2009年の時点でもあり、ページ数も少なく控えめな記述になっているが、先に述べたように大手家電メーカーが薄型テレビと共に崩落している様を観ると、革命は本書の唱えるような本物の様相を示し始めているのかもしれない。遠からず、電気自動車も山寨革命の標的になることだろう。
翻って、わが日本を観ると、まだまだ太平の時代を貪っているように思える。時代は変わっているのだが、その構造的な部分が見えていないのだろう。日本経済新聞、2/6/2012付けのコラム-「経営の視点」、30年変わらぬ家電業界-を観てみよう。
「間違いもしたが、ソニーだけではない。日本の家電産業には問題がある」。
経営交代を発表したソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長は、7年の在任期聞をこう振り返り、「日本の社会全体としての対応が必要だ」と語った。言葉尻では2200億円もの今年度赤字見通しの責任逃れにも聞こえる。しかし翌日にはパナソニックが7800億円の赤字見通しを発表。シャープも2900億円の赤字となるのを考えれば、確かにソニーだけの問題ではなさそうだ。「最大の要因は自前主義。大規模な工場投資にある」。パナソニックの大坪文雄社長は決算発表で自らの判断ミスをこう認めた。ライバルに対抗し、大型投資に打って出たことが裏目に出たというわけだ。ストリンガー氏は日本の問題に具体的には触れなかったが、答えは大坪氏の反省の弁にあろう。つまり自前主義の各社が横並びで集中的に投資し、結果的に商品の寿命を短くしてしまうという悪いクセだ。
源流は日本が世界の家電市揚を席巻した1980年代にさかのぼる。日本の強みは部品から製品まで一貫して作れる垂直統合モデルにあった。アナログ時代は製造段階での擦り合わせ技術が重要だったからだ。最たるものがテレビで、部品も自社生産すれば部品と製品の両方で稼げた。ブラウン管を持たなかったシャープが後に液晶に力を注いだのはそんな背景からだ。テレビは家の中央に鎮座するため、正面に自社のロゴを飾るのが重要なブランド戦略でもあった。そこで大成功を収めたのがソニーである。映像がきれいなトリニトロン方式のブラウン管で人気を呼び、自前のテレビ工場を海外にいくつも造った。
しかし、デジタル時代の到来で状況が一変する。アップルが工揚を時たなくていいのは、擦り合ねせの要らないデジタル家電は部品さえあれば誰でも作れるからだ。そこに各社が横並びで集中投資して生産すれば、値崩れが起きるのは当然。半導体もしかりだ。デジタル化でもう一つ変わったのが音楽や映像の視聴スタイルだ。
先週、上場申讃した米交流サイト(SNS)の「フェイスブック」や米動画共有サイト「ユーチューブ」」の登場は、放送番組しか見られないテレビを「古ぐさいもの」にしてしまったのである。日本の自前主義と横並びは実は30年前と変わっていない。当時は激しい競争で海外企業を廃業に追い込み、事業的には世界を制覇した。ところが「リビジョニスト」と呼ばれる米国の対日強硬論者が反発、「コンテイニング・ジャパン(日本封じ込め)」の声が上がったのはそのすく後だ。
ストリンガー氏はソニーの負の資産ともいえる海外のテレビ工場を大幅に減らすなど、構造改革に努めてきた。ようやくそれを終えた矢先に起きたのが、リーマン・ショックや東日本大震災、洪水などだった。映像出身のストリンガー氏は本当はアップルのようなハードとソフトの融合モデルを目指していた。従来型のモノ作りを韓国や中国に奪われたからだ。正念場の日本企業に求められるのはアップルを超える新しい事業モデルの創造である。(編集委員 関口和一)
漠然とは問題に辿り着けそうなのだが、もう一つ切り込みができていない。核心を突けない、どうにもわかっていない。そんな記事だと思うのだが、いかがだろうか。
いずれにせよ、新しいシステムは若い人が作って、馴染ませて、押し進めるということが必要だ。日本の若者はなかなか優れていると思う。ちょっと前に「空気を読め」というような言葉がはやったが、空気を読むことができるのは日本人だけだと思う。自信をもって進んで欲しい。若者よ、世界のために頑張れ。
若者に比べて、大人は今ひとつ。日本がダメになっているのは大人の責任だと思う。
考えてみれば「地デジ」て何だったんだろう。寡占化した企業と、官僚と、マスコミがつくりあげた幻想の最たるものが「地デジ」だったのではないだろうか。エコポイントで国民に薄型テレビを大量に売りつけたりはしたが、そのテレビの値下がりは与えたエコポイントの何十倍になるのではないか。というか、「地デジ」で何が変わったの?、何を変えようとしたの。「双方向」ってなに?携帯電話もそうだ、世界一高い通話料金で国民から金を貪っている。原発なんかも同じだ、世界一高い電気料金が宇宙一(え!?)になろうとしている。地デジもガラパゴス携帯も世界には奇妙に見える製品に違いない。反省のない失敗を積み重ねながら、若者を搾取しているのは、大人だよ、何とかしようぜ。
濃い蒸気船を三杯以上飲んでも、太平の惰眠からは醒めないかも知れないなあ。そういった社会の硬直状態こそ、革命の糸口には必要なのだろう。若者よ、硬直しただらしない社会こそチャンスだ。
変えちゃえ!!