人のセックスを笑うな/君に届け、良かったです

最近集中的にビデオを見ておりました。

園子温監督の「紀子の食卓」、「殺人サークル」を見てから「人のセックスを笑うな」と「君に届け」を鑑賞。園子温監督の映画が怖かった反動か、「人のセックスを笑うな」と「君に届け」の映画は良かったなあ。いずれも原作者が女性で、ほんわかとした雰囲気がよかったです。

こういう雰囲気の映画は本当に日本独自のような気がします。あってもなくてもいいけれど、あったらいいよねという感じですか、貴重な雰囲気です。小林聡美のかもめ食堂系などに通じますね。

シンプルな映画だけど、こういった映画が成り立つ背景は複雑だと思います。強いストレスと強靱な精神が今の女性に求められている結果だと思うのですが、それはまた別の話にしましょう。とりあえずは、いい映画に巡り会えて良かったです。

昨晩は寝る前に園子温監督の「エクステ」を鑑賞していましたが、さすがに怖くて途中で断念。寝る前はヤバイね。

日本の電気料金はなぜに高いのか

2011/9/24、日本経済新聞のデータ解説の写真をそのまま掲載してみよう。

原発ゼロなら1.7倍にもなるとのことであるが、問題は原発があっても高いということだ。

記事の内容は原発をゼロにすると高くなると言っているのだが、理屈のようで理屈になっていない。むしろ、原発があるから高くなった。今後も原発がある限り高く成り続ける。そう言い切ってみると、問題が見えてくるのではないか。

日本経済新聞の本日の一面、特集記事はいい切り口を見せている。

(エネルギーを問う)「言い値」追認、国にツケ 値上げ適否判断できず 第2部 電力ブラックボックス(1)

2011/9/24付日本経済新聞 朝刊

電力産業には利用者や規制当局の目が届かないブラックボックスがいくつもある。民と官の線引きが曖昧で、料金水準や需給、資金調達などの懸案も実情を見定めにくい。その閉鎖性が課題解決を妨げ、不信感を生む。

コスト構造批判

「原子力発電所の稼働率が低いままでは収益の悪化は避けられない」。東京電力社長の西沢俊夫(60)は20日、同社の経営内容を調査する経営・財務調査委員会(委員長・下河辺和彦=63)に出席し、電気料金引き上げの必要性をにじませた。

福島第1原発の事故以降、東電は液化天然ガス(LNG)などの火力発電を増強。今年度は燃料の調達費が7千億円も増える。政府の資金援助は賠償の支払いに限られ、燃料費には回せない。

だが、供給不安も収まらない中、米韓の2倍以上の料金がさらに上がれば、国内の製造業や家計への影響は大きい。社員の約1割削減などの合理化にも「限界がある」(東電幹部)というのは本当だろうか。

「値上げの回避は可能」。経済産業省が作成したとされる文書が霞が関で出回っている。電力各社が抱える原価変動調整積立金などの利益剰余金を充てれば、追加の燃料コストを賄えるという分析だ。

これにはただし書きがある。「当面」、そして「東電を除く」。東電は利益剰余金がすでにマイナス。比較的潤沢な中部電力も3年半で積立金が底をつく。一時しのぎの策だが、こんな文書が出回るのも「電力会社のコスト構造は甘い」との見方が強いためだ。

厚生労働省の賃金構造基本統計調査から推計した電力業界の平均年収は2010年度で750万円。全産業の平均を6割上回る。20年前は平均より35%高い程度だったが、国際競争の激化にさらされる他産業が人件費の圧縮を進めた結果、電力の給与水準は相対的に上がった。下河辺も「他業種に比べ人件費が高い」と批判する。

コスト削減が進みにくい原因は「総括原価方式」と呼ぶ料金の決定方式にある。電力供給にかかる費用を積み上げ、一定の利潤を上乗せして料金を決める。値上げの場合、経産相が認可する。

しかし、費用の適正水準を見極めるのは困難だ。「料金改定の勉強に専念してくれ」。経産省の幹部はさきごろ認可を担当する新任課長に命じた。しかし、値上げは約30年ぶり。勉強しようにも省内には「電力会社が申請する“言い値”が正当か判断するノウハウもない」(同省幹部)。

線引き難しく

政策研究大学院大学教授の金本良嗣(61)は「原価とは何か。その線引きが重要だ」とも指摘する。燃料費、人件費など対象となる項目は省令で決まっているが、6日の経営・財務調査委では「業界団体への支出なども従来通り料金に含めていいのか」との疑問が出た。

総括原価方式を採用しているのは、電力の安定供給を重視してきたためだ。1951年以来、地域独占の電力会社が発電から送配電まで一貫して担い、原価を反映した収入を保証されることで十分な供給体制を整備してきた。

その代わりにコストをガラス張りにして国がチェックする制度を整えた。資産規模に応じた利潤を料金に含めることも認め、需要を満たす設備投資をするようにも誘導した。だが、原発事故で供給への信頼は崩れ、原価を適正に判断する機能も失われてしまっていることが明らかになった。

欧米では発電や小売りの段階で参入を自由化しており、競争で料金が決まっていく。日本も大口利用者向けは自由化したが、競争はごく一部でしか働いていない。

独占による割高な料金と事故後の供給不安だけが残り、経済の活力をむしばんでいるのが実情だ。目の前の危機を改革へのバネに、日本の成長を支える仕組みにつくり替える時だ。

いいのは切り口止まりで、記事を読んでいくとなんだかわからなくなってしまうのが、昨今のマスコミの記事や解説である。(1)と書いてあるので、(2)もあるのだろうが、内容はもっとわからなくなってしまうだろう。

要するに、電力料金が高いのは、高い分だけどこかに行っているわけで、それはつまり「利権」分であるというわけだ。どこに行っているかというと、政界、官界、そしてマスコミだろう。原発を持っている自治体などには合法的に潤沢な資金が下りるようになっているし、広告宣伝費は天文学的ともいえる金がマスコミに支払われている(らしい)。

原発を取り巻くそういった関係は、電力コストによって賄われているわけで、つまり、原発があるから電力料金は高くなり、こんごも原発がある限り高くなり続けるのである。

簡単じゃないか…。

 

 

日本経済新聞の不可思議な特集、菅前首相インタビュー

唐突な、不可思議な日本経済新聞の特集、9月21日朝刊4面に、原発事故菅前首相インタビュー。

インタビューとあっても、よく読むと、「菅直人前首相のインタビューを交え、世界を揺るがせた10日間の真実を追った」となっていて、全体的には総括的な記事となっている。肝心のインタビューは要旨として右下に囲い記事がある。インタビューの日時はどこにも掲載されていない。インタビューは、いつどこでされたものなのだろうか?

というのは、すでに今日9月6日の朝日、読売、東京新聞が、原発事故直後の模様と、 政府の対応に関する菅前首相の単独インタビューを、それぞれ大きく掲載していたのが話題になっていたからだ。それから2週間も過ぎての日本経済新聞のインタビュー(要旨)記事は、何をものがたるのか?朝刊の4面全部を使った大きな特集記事なのだが、社説などでも特段の言及はされていない。なんとも、不可解で面妖な記事ではある。なにが言いたいのかよくわからない。とりとめのない、特集記事なのだ。

もっとも、次々に明るみに出る原発事故の事実に関して記事を書くならば、日本経済新聞といえ、原発を肯定する記事は書けるはずもない。そういうことで、とりとめのない記事になったというならば、理屈はわかるのだが・・・。

とりあえず、記事を掲載します。

「最悪、国会移転も想定」 菅前首相、原発事故を語る

2011/9/21 3:30

最悪のシミュレーションでは東京からの国会移転や首相官邸の移動も念頭にあった――。菅直人前首相は日本経済新聞のインタビューで3月11日の東日本大震災後、東京電力福島第1原子力発電所の事故の深刻化も想定し、200~300キロメートル単位での退避を検討したことを明らかにした。(本文中の肩書は当時、太字は前首相の発言)

「原発事故の直後に最悪のシミュレーションを考えてくれと指示した。退避区域が200~300キロメートル単位にまで広がるのが最悪の想定だった。10万~20万人の避難も大変なのに、対象が1000万人、2000万人となれば国が機能しなくなる。少なくとも国会は移転しないといけない。国会の周りも人っ子一人いなくなる。首相官邸から全部、西の方に行くことになる」

一体、炉心がどうなっているのか、格納容器の爆発はあるのか――。首相官邸では状況を把握できない日々が地震発生から10日間ほど続き、関係者のいら立ちも募っていた。

並行して進めたのが、最悪のシミュレーションに基づく対処の検討だ。依頼先は経済産業省原子力安全・保安院などではなく、様々な分野の専門家らだった。菅氏が「最悪の事態になったら東日本がつぶれることも想定しなければいけない」と口にしたとして、物議を醸したのもこのころだ。

今では1~3号機とも炉心溶融に至ったと判明している。だが、幸い格納容器の爆発などによる高濃度の放射性物質の飛散は何とか回避した。それはたまたまという見方もある。

「なぜベントがすぐに実施されなかったのか、理由はよく分からない。東電としての意思決定が遅れたのか、技術的な問題があったのか。いずれにせよ、このままだと伝言ゲームだと思い、原発の現場の責任者と話をしようと視察を決めた」

問題となった3月12日早朝の菅氏の第1原発の視察。その時の重要課題はベント(排気)だった。東電、保安院、原子力安全委員会のメンバーが首相官邸の危機管理センターの一室に集合。格納容器の圧力を下げるため「ベントやむなし」で一致していた。だが実施は遅れる。

震災当時、東電は勝俣恒久会長と清水正孝社長のトップ2が海外や関西方面に出ていて不在だった。それが意思決定の遅れにつながったとの指摘は多い。

一方、炉心溶融の危険がある中、菅氏が第1原発の視察を強行したことで、現場の混乱に拍車をかけた可能性がある。国のトップが原発に滞在している最中に放射性物質をまき散らしかねないベントの実施をはばかったとの見方だ。菅氏が原発を離れた午前10時すぎ、1号機でようやくベントが始まった。だが既に遅かった。午後3時半すぎ、1号機建屋が水素爆発する。

菅氏は視察ヘリの中で安全委の班目春樹委員長に水素爆発が起きないか、ただしている。「元素図鑑」を事務所の書棚に備え、化学や原発に詳しいと自認する菅氏ならではの質問だった。彼の答えは「大丈夫です。起きない。格納容器には窒素が入ってますから」だった。

■「東電、話せる相手2人しかいなかった」

3月14日深夜、東京電力の清水社長が電話でこう口にする。「放射線量が高過ぎて現場で作業ができません。第1原発から退避して第2原発に行きたい」。衝撃を受けた海江田万里経済産業相は菅氏に報告。15日午前3時だった。枝野幸男官房長官にも同じような話が入る。

「基本的に第1原発から撤退したい、との要請だ。第2原発(に撤退)なら、なにもできない。6つの原発と7つの燃料プールを放棄すれば1週間から1カ月の間に大量の放射能をまき散らすのは明らか。そんな選択はありえない」

菅氏は清水社長を首相官邸に呼び出す。

「社長は『撤退と言っていません』とも『撤退したい』とも言わず、はっきりしない。結局、東電できちんと話ができたのは2人しかいなかった。第1原発の吉田昌郎所長と勝俣恒久会長だ。あとは役人以上に役人なのか、責任をかぶらないよう物事を考えている」

菅氏は15日早朝、東電本店に乗り込む。社員らを前になりふり構わず怒鳴った点に批判は残るものの、政府・東電統合本部の立ち上げによって、情報がスムーズに流れ始めた。米政府は日本政府がいくら説明しても「まだ、隠しているのでは」と疑いの目を向けていたが、統合本部の設置を機に解決へ向かう。

■「炉心溶融」食い違った官邸と保安院

「重大な事故が起きたという猛烈な危機感があった。冷却できないということは炉心溶融(メルトダウン)だ」

福島第1原子力発電所の事故を巡る焦点の一つは、政府が危機をどう認識していたか、だ。キーワードは原発事故として最悪の事態を意味する「メルトダウン」。原子炉の中にある燃料が溶け落ちて、放射性物質の放出につながる極めて重大な事態だ。メルトダウンの可能性があるとないとでは、政府・東電の対応が大きく変わったはずだ。

菅氏はインタビューで当初からメルトダウンを懸念していたと主張する。ところが、菅氏によれば、原子力安全・保安院と東電からの報告は違っていた。

「(炉心の)3分の2までは水がある。(メルトダウンではなく)燃料棒の損傷だ」

実際の経緯はどうか。3月12日午後2時15分、原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官は記者会見で1号機について測定データなどから「炉心溶融でしか考えられないことが起きている」と語った。保安院と菅氏の認識に大きな違いはない。問題は、その後だ。

午後9時半の記者会見に現れたのは中村氏でなく、野口哲男首席統括安全審査官ら。発言者は何度も入れ替わり炉心溶融に関し「どの程度起きているのか現時点で承知していない」などとあいまいな回答に終始した。

その後、13日未明に会見場に登場したのは根井寿規審議官。「幹部からの指示で交代した」とだけ交代理由を説明した。炉心溶融という言葉は使わず「燃料破損の可能性は否定できない」という表現を使い始める。13日夕からは西山英彦審議官に交代。同日夜には「(燃料の)外側の被覆材の損傷というのが適切な表現だ」と一段と後退した言い回しになった。

2カ月後。実態は炉心溶融が真実で、それ以上にひどいと分かる。東電は5月12日になって1号機の炉心溶融を認め、同15日には地震から16時間後には燃料の大半が溶け落ちたとの解析結果を発表した。

そもそも水位計そのものが機能していなかった事実が後に判明した。炉心溶融がかなり早い段階で起き、圧力容器の底が抜けていたのなら、壊れた水位計の示す値の上がり下がりの東電発表に一喜一憂していたこと自体、意味がなかった。

ただ、だからといって「炉心溶融を懸念していた首相官邸、目をそらしていた保安院・東電」という単純な構図だったかどうかは、分からない。経産省内には、中村氏は当初の「溶融断言」が問題化し、更迭されたとの見方がある。保安院の発表が後退していったのは、パニックを恐れた首相官邸の指示だったという指摘もある。

3月14日。枝野幸男官房長官は記者会見で炉心溶融に関し「起きている可能性は高いという状況は3つ(1、2、3号機)とも一緒だ」と指摘している。それなら、菅政権が当初から炉心溶融の可能性を前提にした事故対応、避難指示を明言しなかったのはなぜか。菅氏は言う。

「霞が関は自分の都合のいいデータしか出さない。結果として十分な情報発信ができなかった」

それを官僚の責任と総括していいのかどうかはなお検証を要する。

■放射線量の計測「重大事故の想定なかった」

「少なくとも私が知る限りの範囲ではデータを隠すようなことはさせていない。(風向きや地形から放射性物質の広がりを予測する)SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)について議論になるが、当時の原発関係者は放出源データが入手できず、当初想定していた活用ができないという判断だった」

3月16日夜。福島県の災害対策本部原子力班から奇妙な発表があった。「本日、最も高い福島市でも最高値は1時間当たり21.20マイクロシーベルト。胃のX線集団検診1回当たりの放射線量が600マイクロシーベルト。数値は通常より高いが健康に直接影響を与えるレベルではない。福島市の数値が高い原因は調査中」

1日当たりでは約500マイクロシーベルト。1日1枚X線写真を撮る勘定で、年間なら約185ミリシーベルトと莫大だ。健康に影響を与えないと言い切るのは問題で、1時間当たりと1日当たりの混同とさえ思える。

SPEEDIは地震後、運用機関が第1原発を解析し、間もなく予測が出ていた。県は受けとったデータを古いとして公表を見送った。だがデータはその後の実際の放射性物質の広がりとほぼ一致。直ちに公表すれば雨の影響の推測など避難に役立った。「福島市が高い理由を調査中」という発表もしなかったはずだ。

県ではなく政府としての早期公表はできなかったのか。

首都圏も含めた各地の住民が求めた詳細な放射線量調査も大幅に遅れた。

「放射線計測も1県1カ所のマクロのモニタリングと、その後の1メートルの高さでの学校ごとの計測は次元が違う。重大な事故の想定がなかったのが原因だ」

疑問は残る。SPEEDIの存在を知っていたなら直ちに官邸が公表を指示するぐらいはできたはずだ。そうすれば日本人が外国の予測機関のデータを必死に探すようなおかしな現象は減り、海外から隠蔽体質を指弾される場面も少なくなっただろう。

■原発再稼働問題「目の届かないところで既成事実化」

「経産省は保安院のチェックだけで(九州電力玄海原発を)再稼働させようとした。原子力安全委に聞いたか問うと『法律上、必要ない』と。確かにそうなっていたが、保安院では十分に対応できない。私は国民が納得するルールを作れと関係閣僚に言った。最低限、安全委が関与することと、IAEAのストレステストを参考に案を作らせた。経産省は私の目の届かないところで既成事実を積み重ねようとしていた」

一方、ストレステストが玄海原発の再稼働問題の直前に出てきたため海江田氏は菅氏に不信を抱く。「一刻も早く(経産相を)やめたかった」との回想からは、菅内閣が機能不全に陥っていた事実が浮かび上がる。

これに先立つ、政府による中部電力浜岡原発の運転停止要請は5月6日。決断に導いたのは4月末の中央防災会議だった。「M8の東海地震が30年以内に起きる確率は87%」との報告は大きい。海江田氏は5月5日に浜岡を視察し、翌日、菅氏と話す。菅氏によると、視察前に海江田氏と話を詰めていない。

以上、インタビューを交えた記事なのだが、なんともスタンスというか立ち位置が不明な日本経済新聞ではある。

続いて、「菅前首相インタビュー要旨」。

菅前首相インタビューの要旨

2011/9/21 3:30

――原発事故の発生直後の受け止めは。

「重大な事故が起きたという猛烈な危機感があった。冷却できないということは炉心溶融(メルトダウン)だ。冷却装置を動かすため電源が必要となり、いかに電源車を持ち込むかで動いたが、結果は失敗。そこでベント(排気)の話になったがなかなか動かなかった」

――保安院、東電の見解は曖昧な形に戻っていった。

「3分の2までは水があるという。頭は水から出ているため、燃料棒の損傷だというのが当時の公式見解だった。保安院でどのような情報管理がなされたのかはよく承知していないが、結果として十分な情報発信ができなかったことは事実だ」

「想定外という言葉は本来は許されないと思う。最大の原因は、本来考えておくべきことを考えないこと。その意味で原発事故は人災だ。霞が関は自分の都合に合うデータしか出さない傾向がある。電力需給の見通しもそうだ。だから何度もデータの出し直しを指示した」

――菅氏が再臨界に触れたため海水注入が止まり、メルトダウンを誘発したとの指摘があったが、実際には現場判断で注入が続いたという。

「淡水がなくなれば海水、は全員一致だった。再臨界の可能性は大丈夫か、と聞いたが、班目委員長の答えは『可能性はゼロではない』。ホウ素を入れるかの問題だから、それも含め検討してくれ、と言った。官邸か東電本店の東電関係者から現場の吉田所長に『海水を入れることにまだ了解は出ていない』と伝言ゲームで伝わった。おもんぱかる形で」

――2号機は4時間早く水を入れれば爆発を避けられたともされる。

「私や官邸のメンバーが海水注入を止めたことは一切ない。(事故発生の)だいぶ後に『(原発近くの)ダムの水を使えばどうか。早めに海水を淡水に戻したほうがいい』と勝俣会長に伝え『それはやります』と言っていた」

――事故後、最悪の事態を想定したか。

「原発事故の直後に最悪のシミュレーションを考えてくれと指示した。退避区域が200~300キロメートル単位にまで広がるのが最悪の想定だった。10万~20万人の避難も大変なのに、対象が1000万人、2000万人となれば国が機能しなくなる。少なくとも国会は移転しないといけない。国会の周りも人っ子一人いなくなる。首相官邸から全部、西の方に行くことになる」

――4号機の燃料プールは米国が危険を指摘していた。

「4号機プールは大きな問題だった。中身は2種類あった。プールの水が空になってメルトダウンに至らないか。それから余震でプールが崩壊しないか、だ。そこで早い段階で補強工事を指示した」

――脱原発依存に考え方が傾く節目が浜岡問題だったのか。

「日本そのものが機能しなくなるような原発事故のリスクは背負えない。原発に依存しない社会をつくるとの結論になった。ずっと考えていた」

――思いつきとの批判も。

「思いつかなければ発明なんてできない。発想が違う。思いつくのは非常に重要だ」

――ストレステストが急に浮上したのはなぜか。

「経産省は保安院のチェックだけで(九州電力玄海原発を)再稼働させようとした。原子力安全委に聞いたか問うと『法律上、必要ない』と。確かにそうなっていたが、保安院では十分に対応できない。私は国民が納得するルールを作れと関係閣僚に言った。最低限、安全委が関与することと、IAEAのストレステストを参考に案を作らせた。経産省は私の目の届かないところで既成事実を積み重ねようとしていた」

――津波ではなく地震で福島第1原発が損傷した可能性は。

「その辺は事故調査・検証委員会がきちんと調べないと分からない」

――環境省に原子力安全庁が発足する予定だ。

「事故対応が十分でなかったのは反省点だ。米原子力規制委員会(NRC)など米国のシステムを含めて実効力があるものにすべきだ」

――今後のエネルギー行政に絡み福島県へのメッセージは。

「私は福島県にとってチャンスだと思う。震災、津波、原発事故とマイナスばかりだったが、思い切って自然エネルギーの研究所を集めて、自然エネルギーによる産業をつくる。そういう方向になるよう私なりにできることをしたい」

――退任間際に、原発周辺地域は長期間居住が困難になるとの見通しを明らかにした。

「大変厳しく申し訳ない話だが、長期にわたり帰れない地域があると被災者に伝えておくのが震災発生時の首相の責任だ。中間貯蔵施設がないと除染も進まない。やはり福島で出たものは福島の中で中間貯蔵をお願いせざるを得ない。それも私が在任中に言うのが一つの責任だ」

――野田佳彦首相への引き継ぎは。

「人事は一切言わなかったが、結果的にはよく分かって対応してくれた。細野豪志原発事故担当相と平野達男復興担当相は留任だった。政策に関する助言は野田首相にしていない」

 

かもめが翔んだ日、僕はまだ子供だった

ここ数日、渡辺真知子女史の「かもめが翔んだ日」が頭の中を走り回っています。こういうことはよくあることで、なるべく逆らわないように、鳴るにまかせて唄ったりしています。理由は多分あって、わすれているだけで、結構深刻な理由だったりもするときがありますが、理由が思い出せない場合は、それはそういうことだとあまり詮索はしません。

1978年のヒット曲で、わたしが26歳。姉がやっていたスナックで皿洗いをしはじめたころでしょうか。人生的には、社会にでて一段落(挫折か?)していたときです。姉の名前が真知子で、真知子つながりでファンになったお客様などがいて、この曲は覚えています。ベータのビデオデッキを購入して、一巻8千円のカセットテープにお気に入りの歌謡曲を録画したことなどついでに思い出してしまいました。

一般的に、男の27歳というのは節目のときといわれていますが、私の場合、1981年に独立して起業することになりますが、もちろんこの曲のヒットしたときに独立などは考えたこともなく、精神的には煮詰まっていたときですね。

煮詰まっていたといっても、今から考えれば、甘く甘く煮詰まっており、お汁粉状態だったでしょうか。学生時代の純情さが、そのまま歳をとってどうにもならなくなった状態になっており、そうですね、社会に適応できていなかったといおうか、社会を知らなかったというべきか、ま、簡単にいえば子供だったわけですね。

このころの自分に比べれば、今の若者はなかなかよいと思います。息子も娘もはるかによくできています。

話が脱線しまくっていますが、とりあえずyoutubeのリンクを張っておきましょう

 

「安全な米」キャンペーンにはだまされないようにしよう。

今年の米には、放射能汚染されていないというようなキャンペーンには惑わされないようにしよう。なんといっても放射能暫定基準値がいい加減なものなのですから。

セシウム137 日本の暫定基準値は500ベクレル/kg

ヨウ素131   日本の暫定基準値は2,000ベクレル/kg

http://savechild.net/archives/1287.html

日刊ゲンダイの記事もすごいぞ

http://gendai.net/articles/view/syakai/132574

上記リンクはなくなるかもしれないから念のため内容を転記しておきましょう。

放射能放出なんと1.5京ベクレル 日本の魚本当に食べても安全なのか?

【政治・経済】

2011年9月9日 掲載

日本の基準値は“世界の非常識”

<今ごろ検査強化と言われても…>

とんでもない数字が公表された。

福島第1原発事故で、日本原子力研究開発機構は海洋への放射能放出総量が1.5京ベクレルを超えるとの試算をまとめた。東電が4~5月分として推定していた放射線量の3倍以上に上る。

心配なのが魚の汚染だ。福島県は4月にコウナゴが出荷停止して以来、漁業を自粛している。同県の海の汚染はいまも深刻で、7日に発表されたイシガレイの放射性セシウムは1キロあたり1030ベクレルと、暫定規制値(500ベクレル)の2倍以上だった。

宮城や岩手、茨城などの水産物からも基準値以下ながらセシウムが検出されている。数字は農水省のHPにアップされているが、福島以外はサンプル数が少ない。農水省は「検査機械が少ないうえに鮮魚は詳しく検査すると傷んでしまうので、細かく調べきれない」と説明する。

その一方で宮城県石巻漁港では6日、震災後初めて水揚げされたタコやカレイなどが並んだ。気仙沼沖などではカツオ漁の一部が再開している。魚は本当に安全なのか。

「放射能を防ぐ知恵」の著者でNPO法人「食品と暮らしの安全基金」代表の小若順一氏が言う。

「500ベクレル以下なら安全という言葉を信じてはいけません。3月にドイツ放射線防護協会は大人は8ベクレル、子供は4ベクレル以下にするべきだという基準値を提案しました。500ベクレルがいかに甘い数字かが分かります。いまだに海の中は放射能でグジャグジャなのです。九州で水揚げされた魚も安心できません。太平洋の真ん中で取られたものを宮崎などに運ぶことがあるからです」

小若氏は、政府は国民の生命のために、漁業従事者に所得補償と賠償金を払い、今後3年間は漁業を停止するべきだと主張する。

「とくに心配なのが妊婦さんです。魚を食べて体内被曝したら胎児はまだ安全ですが、孫、ひ孫と子々孫々まで傷ついた遺伝子が受け継がれ、障害やがんを発症してしまいます。妊婦さんは絶対に魚を食べてはいけないし、子供はできるだけ食べないようにしてください」(小若順一氏)

水産庁は今ごろになって福島沖周辺の検査強化をアピールしているが、海は広い。ストロンチウム汚染の可能性も否定できない。消費者は国の言うことをうのみにせず、リスクを覚悟したほうがいい。