東日本大震災により羅災証明を受けた方は再生可能エネルギー賦課金が減免されます

なんのことやらわからない人が大半だと思うが、実は私も知らなかった。ここで、私が言いたいのは、東日本大震災に被災された方(被災証明をもらえた方)は電気料金が安くなるということです。

具体的には、2013年の3月末までに、羅災証明書(おそらく被災証明書でいいと思います。区役所などでいえば発行してくれそうです)といっしょに『「再生可能エネルギー発電促進賦課金」等減免措置適用申込書』(pdfファイルで用意しました)を電力会社に提出すればよいとのこと。直接窓口に持っていくと、なんやかんやと言われそうなので、郵送するのがいいとのアドバイスを私に教えてくれた方からうけました。

「すべての方に国からの大切なお知らせです」という割にとても小さなチラシ(A5サイズ)
「すべての方に国からの大切なお知らせです」という割にとても小さなチラシ(A5サイズ)

 

「再生可能エネルギー発電促進賦課金」など減免措置適用申込書

「再生可能エネルギー発電促進賦課金」など減免措置適用申込書の記入例

再生可能エネルギー賦課金のチラシ(左)と、申込書のpdfファイルと記入例を用意しましたの(上記リンクをクリックしてください)で、ご参照の上、ご利用ください。

この賦課金は、2012年の8月から徴収されていますが、現在のところ非常に小さな金額で、あまり目立たないらしいのですが、今年の8月からかなりの金額になるとのことです。1年間での支払い額はいままでの12か月分が13か月分になる、つまり一年で賦課金額はいままでの一か月分くらいに相当する金額になるとのことです。

それが、減免されるというのだから、申請しない手はありませんね。但し、今年の3月までの申請に限られるとのことです。みなさん、ふるって申請してください。

以上の情報ですが、今日、たまたま通りがかった知り合いの印刷屋さんから教えてもらいました。なんでも、その印刷屋さんの知り合いの電機屋さんが教えてくれたとのことです。この電機屋さんは、アンチ東北電力らしいとのことです。

再生可能エネルギー賦課金のチラシと、申込書のpdfファイルを読んでも何が何やらよくわからないのですが、まぁそういうことらしいです。理屈をよく知りたいと思う方は、チラシの裏面の下にお問い合わせ先が書いてありますので、ご参照ください。

 

AR.Drone 2.0の操縦訓練を密かに行っているのだが・・・

AR.Drone (おそらく”エアドローン”と呼ぶ?)の操縦訓練を密かに行っているのだが、コストがかかるな。飛行中、操縦ミスで、何度か激突したり、墜落したりするのだが、当然のように壊れてしまう。

AR.Drone2.0はスマートフォンやタブレット等のディバイスが送信機になるWi-Fiコントロールヘリコプター。HDカメラを搭載し、上空からの映像をワンタッチで録画することができる。

実は、この3月に予定している「あゆ放流」をなんとか上空から撮影しようとしているのだが、その時までうまく操縦できるかどうかはわからない。
一番恐れているのは、広瀬川への沈没だ。可能性は大。そういうこともあり、毎日、ウォーキングの後に、近所の空き地にヘリを携えて練習しているのだ。バッテリーは15分しかもたないから、15分のみの練習である。

屋外にでれるようになったのもここ数日の出来事。その前は、室内で練習していた。障子を数か所、壊してから、家内から強制屋外退去を命ぜられてしまった。
室内用ハブ(プロペラガード付)をつけて屋外で毎日練習。やっと屋内用ハブを外して飛ばせるようになったのだが・・・。因みに、一昨日の強風/みぞれのなかのスリリングな飛行訓練模様のビデオをご紹介。

かなり、ラフな動きをしているが、コントロール不能に陥っている箇所だ。通行人の脇を通った時はひやりとした。風もかなり強かったですしね。

操縦モードを、イージーモード(直観モード)から絶対モードに変えた昨日の夜間訓練では、完璧なコントロール不能に陥り、まずは、積雪に激突し、それから木に激突してプロペラが動かなくなってしまった。

いろいろと調べてみたら、以下のツール・パーツが必要とのことだ。

メンテナンス ツール (AR.Drone & 2.0用) PF070048ギヤ・シャフトセット(4pcs) (AR.Drone & 2.0用) PF070047プロペラセット(左右・各2本set) (AR.Drone & 2.0用) PF070045

アマゾンが一番やすかったかな。基本的に、純正品は極めて高い。その他の部品、バッテリーなどは代替品を研究しているのだが、上記の三点は純正以外は使えないだろう。代替品(ジェネリックというのか?)については、後日まとめて報告しようと思っている。

ということで練習は、しばらくお預けである。

プレ創世記について思いを馳せてみようか

神々と異星人の刻印という本を読んだのですが、これは今一つでしたね。この手では、やはり、フラワー・オブ・ライフ―古代神聖幾何学の秘密〈第1巻〉と、フラワー・オブ・ライフ―古代神聖幾何学の秘密〈第2巻〉が圧倒的と言おうか、すごい。

元々は、講義をビデオでまとめたものを書籍化したとのことで、youtubeで「Drunvalo Melchizedek」と検索すれば、あまたのビデオを見ることができます。

まあ、その手の雑誌「ムー」ファンには必読品ではないでしょうか。奇しくもムー 2013年 02月号は、惑星ニビル特集となっております。

ということで、今日は、シュメール楔形文字を解読したゼカリア・シッチンを、「フラワー・オブ・ライフ」の中で、著者ドランヴァロ メルキゼデクが、ガイドともいうべき「トート」(ある種の生命体)の話で補完した物語を紹介します。我々、人類の誕生までの話です。フラワー・オブ・ライフのほんの一部分ではありますが、長い話でもあります。

シッチンとシュメール

まずゼカリア・シッチンの研究から始めることにします。・・・。彼の主な著書は『ネフィリムとアヌンナキ―人類(ホモ・サピエンス)を創成した宇宙人 (超知ライブラリー)』(The 12th Planet)ですが、私は他の2冊、『失われた領域(原題 The Lost Realm)』と『創世記再来 Genesis Revisited』を(この順序で)お勧めします。彼は、ずっと存在を実証できる人がいなかったために長いこと神話だと思われてきた、バベル、アッカド、ウルクなどのキリスト教聖書に出てくる多くの都市について書いています。それらが現に実在していたという証拠はこれっぽっちもなかったのです。ところがついにーつの都市が発見され.それは次なる都市の発見につながり、そしてまた別の都市の発見へと連鎖的に導かれていきました。そうして結局、聖書に出てくるすべての都市を見つけ出したのです。

これらすべての古代都市はついこの120年ぐらいの間に発見され、しかもそのほとんどほ最近と言えることに注意してください。古代都市の層を掘り下げていったとき、何百年.何千年前まで過去に遡ってシュメールと地球の歴史をつづった円筒形の粘土版が、何干枚も発掘されたのです。シュメールの文字は楔形文字と呼ばれます。
私が話しているのは、なにもシツチンの解釈だけではありません。現在では楔形文字を判読できるようになっており、多くの研究者がこれらの文章を翻訳していくにつれて、私たちが真実だと思ってきた世界観は変化させられています。ジョン・アンソニー・ウエストのスフィンクスに関する研究が、現代の人類の歴史に対する考え方を変化させているのと同様です。

どうやってシュメール人がそんな情報を受げ取ったのかについては、あとでまた説明しましょう。シュメールの記録は今から5800年前まで遡、.この惑星で最古の文書ですが、それらは何十億年も昔にあったことを描写しており、特に45万年前より後のことに関してはきわめて詳細に記録されています。科学的知識によっても、トートの知識によっても、私たちの種はだいたい20万年前から存在しています。シッチンは、私たちはひょっとすると30万年前頃あるいはもっと昔から存在していたかもしれないと言っていますが、記録もトートもそうは言つていませんし、メルキゼデクたちもそうは言いません。私たちはここに20万年よりちょっと前くらいの頃からいましたが、今のサイクルやネフイリムよりもはるかずっと以前から地球には文明が存在していたのです。それは私たちが聞いたことのあるものやネフイリムを超越する、進化した文明でした。彼らは何も残さないで消え失せてしまいました。この本の終わりに達するまでには、なぜ何の痕跡も残さずに消えてしまったのかも、理解できるでしょう。それがこの惑星の過去です。ある意味では、それは私たちが誰であるのかということに関係しています。私たちはそれらすべての情報にアクセスすることが可能です。私たち一人ひとりの内部には、この情報が記録された一構成部分があります。それには簡単にアクセスできるのですが、ほとんどの人は単にそれに気がついていないだけです。
一般的に、歴史的な出来事についてはそれに関する最古の原典が一番重視されます.なぜなら、後になって書かれた記述よりも時間的に近いからです。エジプトのヒエログリフよりも古い幾何学的言語は例外の可能性もありますが、シュメールの楔形文字は人類が保持する最古の文字です。古代シュメール入は、私たちがいま知っている過去の歴史が正しいという確信ゆえに、非常に受け入れにくい歴史を語っています。物語はあらゆる面においてとんでもない代物なので、科学者たちはそれが真実に違いないと知ってはいても、今は受け入れるのが困難なようです。それは最古の記録なのです!もしこれほど突拍子もない内容でなかったら、そこまで古い原典に書かれているのですから、もっと早くにその通り受けとめていたはずです。
 もし仮に、古代シュメール人は頭がおかしくて、実際の知識なしに物語を作り上げていたのだとしたら、私たちの歴史的観点から見て彼らが知り得るはずのない、多くの自然に関する事実を知っていたこどを一体どうやって説明するというのでしょう。たとえば、すべての外惑星について知っていたのはドゴン族だけでなく、シュメール人も同様でしたー彼らの文明の始まりの時から知っていたはずです。
紀元前3800年ぐらいまで遡る、世界最古の文明として知られるシユメール文明は、外宇宙から太陽系に接近してくる時にどう見えるかを正確に描写していました。全部の外惑星を認識しており、あたかも太陽系の外側からやって来たかのように、外側から内側へと順番に数え上げているのです。ちょうどドゴン族が洞窟の壁画に描いたように、シュメール人はさまざまな惑星の相関的なサイズを、まるで宇宙空閲を旅しながら見てきたかのごとく、外観がどう見えるかや、水の存在,雲の色に及ぶまで描写しています。それらすべての体験が紀元前3800年に詳細に語られているのです! これが事実です。こんなことが一体どうして可能だったのでしょうか。それとも私たちの「始まり」には、まだあずかり知らぬ真実が存在しているというのでしょうか?

NASAが外惑星を越えてさらに外宇宙へと宇宙探査機を送り出すよりも前に、ゼカリア・シッチンはNASAにあてて、シュメール人による宇宙から見た全惑星に関する記述を送っていました。そして探査機が惑星の一つひと」つを通過するごとに送ってきた映像と.シュメール人の描写ば思った以上に完全に一致していました。もうーつの例を挙げましょう。シュメール人たちはその文明の始まりの時から、なんと歳差運動についても知っていたのです。地球が太陽のまわりを公転する軌道面がち23度傾いていることも、そのゆらぎ運動が一周するのに約2万5920年かかることも知っていました。さて、これは頭のかたい歴史学者には理解しにくいことです。地球の回転にゆらぎがあることを知るには、2160年間にわたって連日、夜空を観測し続げなければならないという知識がある科学者タイプの人は、特に頭をひねるでしょう。最短で2160年ですが、シュメール人はその文明の始まった最初の日からそれを知っていました。
一体彼らはどうやってそれを知ったのでしょう?一般的な考え方ではすぐに馴染めない、途方もない証拠がこれらの粘土版から見つかっています。私が学校で教わったところによれば、「創世記」(旧約聖書)は今から約3240年前である紀元前1250年頃にモーゼが書き記したというものでした。ずっとそのように本に書かれているのを読んできました。しかしシュメールの粘土版には、モーゼが生きていた時代より少なくとも2000年以上前に、聖書の第1章とほとんど一字一句たがわぬ言葉が書かれているのです。これらの粘土版には「創世記」に語られた出来事の全範囲が網羅され、アダムとイヴを含めて彼らの息子や娘たちの名前が全員列挙されています。これらのすべてはモーゼが受け取る以前に書き記されました。これは、モーゼが「創世記」の書き手ではなかったことを証明しています。もちろん、キリスト教社会にとって受け入れがたいのば明白ですが、それが真実なのです。地球の歴史として信じられてきたこととあまりにもかけ離れているために、この知識が現代の文明に浸透するのにこんなに長くかかっているのは確かによくわかります。しかし、何にせよこのモーゼに関する密かな、あるいは公然の真実も、真実の全貌からすればほんの一部分でしかありません。

ティアマト、そしてニビル

これらの例外的で信じがたい情報(もっと他にもあるのですが)よりもさらに詳しくシュメール人が知っていたのは、アダムとイヴ以前の人類の歴史の始まりについての物語です。彼らはずっとずっとはるか遠い昔まで遡った話をしています。物語は地球がまだとても若かった時代、何十億年も昔に始まります。そのころ、地球は「テイアマト」と呼ばれる大きな惑星で、火星と木星の間にあって太陽のまわりを公転していました。古代の地球は大きな月を持っていて、彼らの記述では、いつか未来においてその月は惑星になるとされていました。
その記録によれぱ、私たちの太陽系には、今でばぼんやりとしか認識されていない、もうーつの惑星がありました.バビロニア人はこの惑星を[マルドゥク」と呼んでいたので、この名前が一般的になりましたが、シュメール人には「ニビル」で通っていました。それは他の惑星よりも大きい、地球とは逆行して公転している巨大な惑星でした。その他の惑星はいずれにしても軌道面を一定方向にまわっていましたが、ニビルは違う方向へ動き、他の惑星に近づくとき火星と木星の軌道の上を通過するのでした(図3「8)。Fig3-8
シュメール人たちは、ニビルはこの太陽系を3600年ごとに通過し、それがやって来る時は一大事だったと語っています.そのあとニビルは外惑星からずっと離れたところまで遠ざかり、やがて視界から消え去るのです。

ときに、たぶんNASAはすでにこの惑星を発見しているでしょう。少なくともその可能性はかなり高いと言えます。NASAは2つの人工衛星によって、太陽から途方もなく離れたところに存在している惑星を見つけたのです。それは確かにそこに存在していて、シュメール人はそのことを何千年も昔から知っていたのです! そして記録によれば、運命がもたらしたある軌道上、ニビルはーつの惑星に近づきすぎて、その衛星のーつがテイアマト(私たちの地球)にぶつかり、その半分ほどを削り取っていきました-星を真っ二つに引き裂いたのです。シュメールの記録では、このテイアマトが砕けたとき.その大き塊のーつが大きな月と一緒に軌道からはじき飛ばされ、金星と火星の間の軌道に乗って、いま私たちが地球として知っているものになったというのです。他の塊は何百万個にも砕け散って、シュメールの記録では「打ち砕かれし腕輪」と呼ばれる、火星と木星の間にある小惑星帯のなりました。この記述は天文学者たちを驚嘆させました。肉眼では見られないのに、一体どうして小惑星帯のことを知っていたのでしよう?
これはシュメールの記録がどれほど過去まで遡うているかを示しています。記録は初期の出来事について書きつづり、ある時点でニビル(マルドゥク)についてさらなる話を語りはじめます.そこでは「ネフイリム」と呼ばれる、意識を持つ存在が住んでいたことに言及しています。
ネフィリムたちはとても背が高く、女性は約3~4メートル、そして男性は約4~5メートルもあったそうです。
彼らは不老不死ではありませんでしたが、その寿命は地球時間で約36万年ほどあったとシュメールの記録は伝えています。それから死を迎えたというわけです.

ニビルの大気の問題

シユメールの記録によれば、およそ43万年くらい(もしかすると45万年以上かもしれません)昔のこと、ネフイリムの惑星であるニビルに間題が発生しました。それは大気に関する問題で、私たちがいま直面しているオゾン層の間題と大変よく似ていました。そしてニビルの科学者たちは、地球の科学者たちと似たような解決策を考え出したのです。地球の科学者は太陽の破壊的な光線を濾過するために、粉塵の分子をオゾン層にばらまこうと考えたことがあります。ニビルの軌道は太陽から相当遠くまで離れていくので、熟をたくわえる必要がありました。それで彼らは、鏡のように光と熱を反射させるため、大気圏の上層部に金の粉をばらまくことにしたのでした。それを霧状にして惑星上空の空中に留めておくために、大量の金を採取することを計画しました。そう、彼らが現代にも見られる類の問題について話し合っていたのは本当です-古代人たちがETやこみ入った科学的なことについて語っていたのです。これは『スター・トレック』でもSFでもありません.本当にあったことです。彼らが言っていることはあまりにも驚愕に値するので、それゆえ一般大衆の知識に浸透するまでに、かなり時間がかかっているのです。

一見、当時の彼らは今の私たちどさほど変わらない発達をしているように見えますが、ネフイリムは宇宙旅行をすることができました。シュメールの記録には、ロケットのように後方へ火を噴いている空飛ぶ船が出てきまず。これがあまり高度ではないものの、宇宙旅行の始まりでした『事実、それらはあまりにも原始的なものだったので、地球とニビルの間を行き来するにはごの2つの惑星が接近する時を待たねばなりませんでした。いつでも好きな時に出発できたわけではなくて、近づくまで待たねばならなかったのです。ネフィリムは太陽系の外へは出られなかったところから、たぶん周辺の惑星を探査しつくして、その結果,地球に金が大量にあることを知ったのでしょう。それで彼らはたったーつの目的-金の採掘のために、あるチームを40万年前にここへ送ってきました。地球にやってきたネフイリムには、統率する12人のりーダーと、その下で実際の採掘にたずさわるものが600人、そして300人ほどが軌道上の母船に留まっていました。彼らはまず最初に現代のイラクに当たるところへ降りて、白分たちが落ち着ける場所を確保し、都市を建造しましたが、その場所で金を掘ったわけではありませんでした(図3-9)。金は、アフリカ南東のとある谷で掘っていたのです.
 12人のうちの一人、エンリルという名前の人が採掘の統率者でした。彼らは地中深く掘り下げてゆき、大量の金を掘り当てました。それから3600年ごとにニビルすなわちマルドゥクが接近してくるたびに、自分たちの故郷の惑星へ金をシャトルに乗せて運んだのです。それからニビルが再び軌道をめぐってやって来るまでの間、また掘り続サました。シユメールの記録によれば、それがだいたい10万年から15万年ぐらい続いたころに、ネフイリムの反乱が起きたと記されています。
私はシッチンのいう反乱の時期には同意していません。彼はシュメールの記録から直接それを得たわけではなく、彼がそうであるはずだと考えた計算の結果を言っ

ているからです。シッチンは、この反乱が起ぎたのは約30万年前だとしていますが、私はそれはおよそ20万年前に近かったと見ています。

ネフイリムの反乱と私たちの種の起源

30万年前から20万年前までのどこかで、ネフイリムの採掘者たちは反乱を起こしました。シュメールの記録は、この反乱についてたいそうな詳細を書きつけています。
労働者たちはリーダーに抵抗しました。もう金鉱を掘り続けるのが嫌になったのです。彼らが「我々は15万年も掘り続けているんだ。もう、うんざりだ。こんなことはもう金輪際するものか」と言っているのが想像できるようです。もし私だったら、きっとーカ月ぐらいしかもたないでしよう。
反乱によって問題点が明らかになったために、12名のリーダーが集まって、どうするべきが決めることにしました。彼らはこの惑星にすぞに存在していたある姓名体から(私が理解したところによると)霊長類を選びました。そしてその霊長類の血液と粘土を混ぜ、ネフイリムの若い男性から得た精子をそれに混合しました。実際に粘土版には、化学薬品用のフラスコのように見える容器からもうーつのフラスコに何かを移し、この新しい生命体を創り出す様子が描かれています。この計画は、霊長類のDNAとネフイリム自身のDNAを使用して 当時の地球に存在した種よりもさらに進化した種を創り出し この新しい種をネフイリムの金の採掘のためだけに使えるようにするというものでした。
つまリシュメールのもともとの記録によれば、私たち人類は金を掘る奴隷として造られたことになります。それだけが私たちの存在目的だったのです。そしてネフイリムたちは、彼ら自身の惑星を救うのに必要な金を採掘しつくした後は、私たちの種を消滅させて出て行くつもりでした。私たちを生き延びさせようという意図は、はなから持っていなかったのです。さて、これを聞くと、たいていの人は「これは自分たちのことではない」と考えます。我々はそんな者であるにはあまりにも気高い存在だと思うわけです。しかし、地球で書き残された最古の記録がそれを事実としているのです。思い出してください.シュメール語は聖書やコーランなどよりもっとずっと古い、世界最古の言語として知られています。いまや聖書はシュメールの灰から生まれたと言ってもいいでしょう.
科学の世界で発見されたことは同じぐらいに興味深いものです。シュメールの記録で私たちが金の採掘をしたという、まさにその場所で、考古学者たちは金鉱を発見したのです。これらの古代の金鉱は10万年も前のものでした、本当にものすごいことは、ホモ・サピエンス(私たちです)がこれらの採掘場で金を掘っていた証拠が出たことです。人間の骨がそこで発見されました。これらの金鉱は少なくともおよそ10万年前のものと推定され、これらの金鉱内に人間がいた時代は2万年前まで遡れました.
さて、10万前に、私たち拡金なんか掘って一体何をしていたのでしょう? 金は柔らかい金属で、他のある種の金属のように使えるといった代物ではありません。

人々は一カ所に集められ、そこから外に出られないように、ここに留められたのです。そしてネフイリムにとって役立つまで充分に進化を遂げたとき.アフリカの採掘場などいろいろな場所へ、金の採掘その他の仕事に就くために移送されました。ですから私たちの起源である先祖はそのゴンドワナランド島で、約5万~7万年ほどかけて進化発達したことになります。
この地図を見てもらうと、それぞれの大陸がかつてどうーつにまとまっていたかがわかると思いますが、それはいま科学者たちが真実ではないかと推測しているところです。彼らはばらばらに分かれる前のこの大陸をゴンドワナランドと呼んでいます。その名は西アフリカの部族の創造神話からつけられたものです。そのあたりのいろいろな部族の創造神話を読むと、いかにして世界が創造されたかについてはそれぞれ異なる概念を持っていますが、すべてに共通する一条の芯があることに気がつきます。彼らはみな一様に、西方の、アフリカ西海岸沖のゴンドワナという名の島から来たと言っているのです。
たったーつの例外として、宇宙からやって来たと語るズールー族の例が知られている以外は、全部がこの話に一致しています。
シュメールの記録では、実際に人間をネフイリムの約3分のーの背たけだと描写しています。ネフイリムは私たちと比べて確実に巨人でした。記録を信じるのであれば、ネフイリムは身長が約3~5メートルもあったことになります。私には、シュメール人たちが嘘をつかねばならなかった理由が全然見つかりません。トートは、彼らは地球の巨人だと言いましたが、彼らが誰であるのか、それ以上は語りませんでした。聖書も同じことを言っています。ここに「創世記」の6章を揚げましょう(かっこ内は著者注)。

そして地上に人は増え始め、娘たちが生まれた。(「人が増え始め」というのは非常に重要な宣言です。これについては後述しまず)。神の息子たちが(「息子たち」と複数形になっているところに注目してください)人の娘たちを見、美しいと思った。そして彼ら(神の息子たち)は選んだものを妻として連れ去った。そして主はこう言われた、「彼らもまた肉体を持つがゆえに、わがス
ピリッツは常に人と共には在れぬ」(ということは主も肉体を持っていることを示唆しています)、しかし彼らは百と二十年を一生とす。当時もその後も地上には巨人たちがいた。神の息子たちが人の娘たちの間に降り立ち、娘たちが子供を得たとき、彼らはかつて古(いにしえ)の時に名を馳ぜたる者たちのように力強き者となった。

この聖書の部分についてば多くの解釈がなされてきました。しかし、シュメールの記録が語っていることを念頭に置きながら見ていくと、特に巨人たちが何と呼ばれていたか書き記されている古い版の聖書を見てみると、完全に異なった解釈に到達します。キリスト教の聖書にはシュメールの記録が残しているのとまったく同じ発音の「ネフイリム(Nephilim)」という言葉が書かれているのです。世界中には約900以上の版の聖書がありますが、そのほとんどが巨人について触れており、多くが彼らを「ネフイリム」と呼んでいるのです。

人類の創造ーシリウス人の役割

トートは、地球には巨人がいたと語りました。言及したのはそれだけです。巨人たちが一体どうやって、あるいはどこから来たのかということについては触れませんでした。私たちが創造されたとき、これらの巨人たちは私たちの母親になったと言いました。また7人が一緒になって、体を意識的に死なせ、まさに「創世記パターン」(これについては5章でお請しします)と同じように、お互いに重なりあった7つの意識の球の模様になったそうです。この融合は古代人たちが「フラワー・オブ・ライフ(生命の花)」と呼んだ青白い炎を創造し、この炎は地球の胎内に据えられました。

エジプト人たちはこの胎内をアメンテイのホールと呼び、それは3次元的には地下約1600キロメートルにありて、4次元的な通路で大ピラミッドともつながっています。アメンテイのホールの主な用途のーつは、新たな人種や種族を創り出すことです。その中にはフイボナッチの比率に基づいた、石のような材質で作られた部屋があります。部屋の真ん中には立方体があり、その上にはネフイリムが創造した炎があります。この炎は1.2~1.5メートルぐらいの高さで、幅は90センチほどあり、青白い光を放っています。この光は純粋なプラーナ、純粋な意識であり-私たちに人類という新たな進化の道を踏み出させるために創られた、惑星の「子宮」と言えるものです。

もし母親がいるのであれば、どこかに父親がいなけれぱならないとトートは言いました。そして、その父親の性質-父親の精子-はそのシステムや体の外部からやって来なげればなりませんでした。そこでネフイリムたちは彼らのフラスコを準備し、この新たな種族の閑発のために、別の遠い星、つまウシリウスBから外側へ3番目の惑星より助っ人たちが地球へやって来るのを待ちました。その種族には32名のメンバーがいて、16人の男性と16人の女性が結婚してーつの大きな家族にまとまっていました。彼らもネフイリムど同じ背たけをもつ巨人でした。ネフイリムは種として3次元の存在でしたが、シリウス人は種として4次元の存在でした。
32人みんながお互いに結婚しているというのは奇妙に聞こえるでしょう。地球では、私たちはみずからの太陽を反映して一夫一婦制の結婚をします。私たちの太陽は水素性太陽で、それはーつの陽子とーつの電子を持っています。私たちは水素の状態を再構成し、それゆえ一対一の結婚をするのです。もしあなたが2つの陽子と2つの電子を持つへリウム太陽、それに2つの中性子を持つ太陽といったところを訪れるなら、二人の男性と二人の女性が子供を創るために集まっているでしょう。シリウスBのような高度に進化した白色矮星で,年老いた太陽だった場合は、32(ゲルマニウム)のシステムになるのです。
シリウス人たちはここへやって来て、何をするのかを心得ていました。そこで直接アメンテイのホールへ入り、ピラミッドの炎のすぐ前に立ちました。彼らはすべての存在が光であることを知っており、思考と感情との関係もよく理解していました。それから、シリウス人たちは32個のローズクオーツの石板(幅約1・2~1・5メートル、長さ約5・5~6メートル、厚さ約76センチほどの)を創りました。それらは虚空から炎のまわりに創り出されたのです—まったく完全な無からでした。それから男女交互に炎の中心へ頭を向けて、炎を取り囲むようにそれらの石板の上に横たわりました。シリウス人は誕生を成就させるべく.ネフイリムの胎内の炎と融合したのです。
一方、3次元レベルでは、ネフイリム人の科学者らがいよいよ最初の人閥が誕生ずるプロセスとして、人工的に作り出した人間の卵子を7人のネフイリム女性の子宮内に植え付けました。人間のレベルでは、はじめの8つの細胞になるまでの基本的な過程は24時間以内に起こります。ところが惑星レベルの出産はまったく異なっていました。トートによれば、彼らは地球とともにこの新たな種を懐胎するために、そこに微動だにせず約2000年間も横たわっていなければならなかったのだそうです。そして2000年後、ついにアフリカ南方の西海岸沖、ゴンドワナランドに最初の人間が誕生したのでした。

「貨幣は生まれながらにして金である」といったのはマルクスだったろうか。人間が、金というものに貪欲なわけが、それでも究極のところよくわからなかったのだが、なんと、人類が金鉱労働者として創造されたのだとしたら、それもありなのかなと思った次第ではあります。

キューブラー・ロス「人生は廻る輪のように」

人生は廻る輪のように は長いこと「つん読」していたのだが、このたびいよいよ読ませてもらいました。予想していた以上におもしろかったなぁ。キューブラー・ロスはたくさんの著書があるのだが、まだ何も読んでいない人は、この一冊をお勧めします。自伝的であり、なおかつ面白い。

著作ともに広くしられており、いまさら、特になにも取り立てて言うことはないのだが、文中にて死後の段階について説明している箇所が非常にまとまっており、普遍性も高いと思われるので、その部分を紹介してみよう。

面接のデータを分析して、わたしは死亡宣告後の経験をいくつかの特徴的な段階にまとめた。

 

第一期 まず最初に、肉体からぬけだして空中に浮かびあがる。手術室における生命徴候の停止、自動車事故、自殺など、死因のいかんにかかわらず、全員が明瞭な意識をもち、自分が体外離脱をしている事実にはっきりと気づいている。さなぎから飛び立つ蝶のように、肉体からふわっとぬけだすのだ。そして、自分がエーテル状の霊妙なからだをまとっていることに気づく。なにが 起こったのかは明噺に理解している。その場にいる人たちの会話が聞こえる。蘇生を試みる医師チームの人数を数えることも、つぶれた車から自分の肉体を救出しようとしている入たちの姿をみることもできる。ある男性は自分を轢き殺して逃げた車のプレートナンバーを覚えていた。自分の死の瞬間にベッドサイドで親族がいったことばを覚えている人はたくさんいる。

第一期で経験するもうひとつの特徴は「完全性」である。たとえば、全盲の人もみえるようになっている。全身が麻痺していた人も軽々と動けるようになり、よろこびを感じる.病室の上空で踊りはじめ、それがあまりにたのしかったので、生還してからひどい抑うつ状態になった女性もいる。実際、わたしが面接した人たちが感じていた唯一の不満は、死んだままの状態にとどまれなかったということだった。

第二期 肉体を置き去りにして、別の次元に入る段階である。体験者は、霊とかエネルギーとかしかいいようのない世界、つまり死後の世界にいたと報告している。ひとりで孤独に死んでいくことはないのだと知って、安心する段階でもある。どんな場所で、どんな死にかたをしようと、思考の速度でどこにでも移動することができる。自分が死んで、家族がどんなに悲しむだろうかと思ったとたんに、一瞬にして家族に会うことができたと報告する人は数多くいる。たとえ地球の反対側で死んでも、その事情は変わらない。救急車のなかで死亡した人が友人のことを思いだしたとたんに、仕事場にいるその友人のぞぱにきていたと報告する人もいる。

この段階は、愛した人の死、とりわけ、とつぜんの悲劇的な死を嘆き悲しんでいる人にとっては大きななぐさめになる時期でもあるということがわかった。がんなどでしだいに衰弱して死をむかえる場合は、患者も家族も死という結末にそなえるだけの時閻がある。しかし、飛行機の衝突事敗はそうはいかない。飛行機事放で死んだ本人も、最初は残された家族に劣らず混乱している。ところが、この段階に入ると、死んだ人もなにが起こったのかを解明するだけの時間がもてるようになる。たとえば、TWA八OO便の事故で亡くなった人たちは、海岸でおこなわれた葬儀に家族といっしょに参加していただろうと、わたしは想像している。

面接をした全員が、この段階で守護天使、ガイドー子どもたちの表現では遊び友だちーなどに出あったことを覚えている。報告を総合すると、天使もガイドも遊び友だちも同一の存在であり、つつむような愛でなぐさめてくれ、先立った両親、祖父母、親戚、友人などの姿をみせてくれる。その場面は生還者たちに、よろこぱしい再会、体験の共有。種もる話の交換、抱擁などとして記憶されている。

第三期 守護天使にみちびかれて、つぎの第三期に入っていく。そのはじまりはトンネルや門の通過で表現されるのがふつうだが、人によってそのイメージはさまざまである。橋、山の小道、きれいな川など。基本的にはその人にとっていちばん気持ちのいいイメージがあらわれる。サイキックなエネルギーによって、その人自身がつくりだすイメージである。共通するのは、最後にまぶしい光を目撃することだ。

ガイドのみちびきで近づいていくと、その強烈な光となって放射されているものが、じつは、あたたかさ、エネルギー、精神、愛であることがしだいにわかってくる。そして、ついに了解する。これが愛なのだ。無条件の愛なのだ。その愛のカは途方もなく強く、圧倒的だったと、生還者たちは報告している。興奮がおさまり、やすらぎと静けさがおとずれる。そして、ついに故郷に帰っていくのだという期待が高まってくる。生還者たちの報告によれば、その光こそが宇宙のエネルギーの、究極の本源である。それを神と呼んだ人もいる。キリストまたはブッダと呼んだ人もいる。だが、全員が一致したのは、それが圧倒的な愛につつまれているというごとである。

あらゆる愛のなかでもっとも純粋な愛、無条件の愛である。何千、何万という入からこの同じ旅の報告を聞くことになったわたしは、だれひとりとして肉体に帰りたいと望まなかったことの理由がよく理解できた。

しかし、肉体にもどった人たちは、異界での体験がその後の入生にも深速な影響をあたえていると報告している。それは宗教体験とよく似ていた。そこで大いなる知恵を得た人たちもいた。

予言者のような警告のメヅセージをたずさえて帰還した人たちもいた。まったく新しい洞察を得た人たちもいた。それほど劇的な体験をしていない人も、全員が直硯的に同じ真理をかいまみていた。すなわち、その光から、いのちの意味を説明するものはただひとつ、愛であるということを学んだのである。

第四期 生還者が「至上の本源」を面前にしたと報告する段階である。これを神と呼ぷ人たちもいる。過去、現在、未来にわたる、すべての知識がそこにあったとしかいえないと報告した人たちも多い。批判することも裁くこともない、愛の本源である。この段階に到逮した人は、それまでまとっていたエーテル状の霊妙なからだを必要としなくなり、霊的エネルギーそのものに変化する。その人が生まれる前にそうであったような形態としてのエネルギーである。人はそこで全体性、存在の完全性を経験する。

走馬灯のように「ライフ・リヴュー」(生涯の回顧)をおこなうのはこの段階である。自分の人生のすべてを、そこでふり返ることになる。その人が生前におこなったすべての意思決定、思考、行動の理由が逐一あきらかにされる。自分のとった行動が、まったく知らない人もふくめて、他者にどんな影響をあたえたのかが、手にとるようにわかってくる。ほかにどんな人生を送ることができたのかも示される。あらゆる人のいのちがつながりあい、すべての人の思考や行勤が地球上の全生物にさざ波のように影響をおよぼしているさまを、目の前にみせられる。

天国か地獄のような場所だ。とわたしは思った。たぷん、その両方なのだろう。

神が人間にあたえた最高の贈り物は自由意志による自由選択である。しかし、それには責任がともなう。その責任とは、正しい選択、周到な、だれに恥じることもない、最高の選択、世界のためになる選択、人類を向上させるような選択をするということだ。生還者の報告によれば、「どんな奉仕をしてきたか?」と問われるのはこの段階である。これほど厳しい問はない。生前に最高の選択をしたかどうかという問いに直面することが嬰求されるのだ。それに直面し、最後にわかるのは、入生から教訓を学んでいようといまいと最終的には無条件の愛を身につけなければならないということである。

こうしたデータからわたしがひきだした結論は、いまでも変わっていない。それは、富んだ人も貧しい人も、アメリカ人もロシア人も、みんな同じ欲求をもち、同じものをもとめ、同じ心配をしているということだ。事実、わたしはこれまでに、最大の欲求が愛ではないという人に出あったことがない。248-252頁

翻訳者(上野圭一)のあとがきがよかったので、その部分も付け加えておこう。

現代文明は、じつはその根底において「偶然」を究極の根拠とする、あやふやな文明である。まず宇宙の発生自体が「偶然」の産物であるとされている。第一原因が設定できないために、「偶然の量子的ゆらぎ」に端を発する「ビッグバン」から「偶然」にはじまったことにならざるをえないのだ。生命の起源にしても、無機物質が化学進化によって「偶然」に複雑化して有機物質となり、生化学進化によって有機物質から「偶然」に生まれたのが代謝と増殖をおこなう生命だとされている。その生命の進化にしても、自然選択という必然だけでは説明できず、「突然変異」という「偶然」との結合を強調せざるをえないという事情がある。

物質も生命も「偶然」の産物であるとする思想からでてくるものは、当然のことながら、一種のニヒリズムである。みずからの出自をたずね、本源を探っていこうとしても。最後にぶつかるものが「偶然」でしかなければ、そこに意味や価値をみいだすことがむずかしくなるからだ。キューブラー・ロス博士が生涯をささげた医学の世界においても、そのニヒリズムは徹底している。

からだは物質である分子の集合体であり、死んだら無になるだけであり、脳が不可逆的に損傷すれば生きた臓器をとりだしても罪にはならない。

ところが、「偶然」はじつは、思想的にも明確な概念ではない。『二〇世紀思想事典』[丸山圭三郎他著、平凡社)によると、偶然は「予測、説明、理解をこえていること(とくに注目すべき事象や一致・符合)の生起を形容するために用いられる。行為者が意図しなかった事象に出あうことを形容するのに用いられるごともある」。予測、説明、理解ができるようになれば、同じ事象も「偶然」ではなく「必然」になる可能性がつねにあるといってもよさそうだ。

そう考えると、肝心なことをすべて「偶然」のせいにしようとする現代文明は、じつは現象界の背後に存在する(はずの)つながりの糸をみる目をもたない、未熟で無明の文明であることがわかってくる。「いのちの唯一の目的は成長することにある」というキューブラー・ロス博士が一貫して提唱してきたのは、その無明から脱して成長しようということであった。それも、文明自体の未熟を糾弾するのではなく、個人の目ざめと成長をつうじて文明の成長をうながそうという提案である。個人が目ざめ、成長をとげる過程をさまたげているもの、それが死にたいする恐れである。臨床的にその死をみつめつづけた結果、博士がついに手中におさめたのは「死は存在しない」という、足元をすくわれるような結論だった。肉体の死はもちろん存在する。しかし、蝶がさなぎから羽化するように、役目を終えた肉体からなにかがぬけだし、さらに長い長いいのちの旅をつづける。存在するのは物質としての肉体の死だけであり、いのちの終焉としての死は存在しない。そう気づいたとき、人は大いなる安心の境地にいたり、つぎの段階へと成長をとげる。蝶の羽化のように…。

「思い残し症候群-親の夫婦問題が女性の恋愛をくるわせる」読みました。

思い残し症候群―親の夫婦問題が女性の恋愛をくるわせる (NHKブックス)読みました。以前紹介した(?と思う)ファミリー・シークレット―傷ついた魂のための家族学と似たような内容で、最近、子供たちも家を離れてしまって、家族とは何かということを考えているので、家族学とでもいえるこのような本は面白いですね。また、この思い残し症候群の「つかみ」は、父親が娘の恋愛に重要な影響を与えるということなので、父親として、俺はどのような役割を果たしているのかということを知りたいということもこの本を読んだ理由でもあります。

このところ、子供たちもそれぞれの恋人と呼べるような人を両親に紹介したいといい始めてきたので、面談前にちょっと勉強をということもありました。娘の恋人なんかは、通常は父親の天敵ともいえる代物ではありますが、思い残し症候群によれば、娘の恋人選びは父親の責任といっている箇所もあるので、そういったものを読んで、天敵を理解しておこうということもあります。ここまで、非常にわかりにくい文章が続いているような気がしますが、ま、デリケートな箇所なのでご理解よろしくお願い申し上げます。ということで、まずは、序章から紹介しよう。

・・・女性の思い残しで一番多く、かつ重要なのが父性愛の欠如である。実父から父性愛を得ることは、女性に取って根源的な願望であるために、欠如すると太きな空虚さを感じるし、またその影響力も大きい。母親からの悦びの共感も重要だが、恋愛に悪影響を与えるのはおもに父愛の欠如の方である。 ・・・。

女性にとって、父性愛を調達することは、男性が、年上の女性から母性愛をもらうよりもむずかしい。なぜなら、父性愛とは性を超えた聖なる愛だからである。男性は、歳をとっていても、若い女性を性の対象として見てしまうために、性を超えた愛を出すのがむずかしいからだ。・・・。
さて、「思い残し症候群」について述べるにあたり、家族機能についての解説をまず第一章で行いたい。なぜなら、家族機能不全の中から思い残し症候群が発生するからである。家族機能が低下すると、まるで動脈硬化したように愛情が家族全体に行きわたらなくなる。
ところが女性は、そんな家族閾係に不満を感じているにもかかわらず、恋人と自分の家族関係と同じ関係、すなわち愛がなかったり、しがみつかれる関係を作ろうとする。女性は、父親と自分との関係と、恋人と自分との関係がイコールになるような恋人選びをしてしまう傾向が非常に高いのだ。その結果、家族機能不全の家庭で育った女性の多くが恋愛不全になりやすいのである。17-19頁

ということで、娘の恋愛関係は、父親の影響が深いということである。責任は重大ですね。その父親を家庭で規定するのは、母親であります。最近、岳父がお亡くなりになったのですが、思い出せば、岳父の立場というか、そういったものが、実は現在の私の立場と似通ったものを感じたことが多々ありました。この本の45ページを読んで、納得したので紹介します。

女性は実家を再現しようとする

女性は、ほっておくと実家と同じ夫婦関係を再現しようとする。なぜなら、・・・自分はこれまで生き延びてこられたという成功体験があるからだ。つまり、実家の両親と同じような夫婦関係を作れば、自分の命だけは保障される。死ぬことはない、安全である。と無意識に考えてしまうのである。女性はそういう意味では、非常に保守的だ。確かにもくろみ通り、肉体は死なない。だが、精神的幸せは保証の限りではない。・・・

人は経験したことしか理解できない動物だ。・・・彼女のみならず、今の多くの若い人達も知らない。愛や信頼は未知なる世界の出来事になっているのである.映圃や小説の世界のできごとなのだ。現実の人間関係には執着や依存しかないと思っている。結婚とは束縛し合うことだと思っているのだ。 45-47頁

家庭で、最も重要な役割を果たすのは、母親であるというのが一般的な常識ではあるが、実は、父親はそれ以上に重要なのだ。

家族の愛の流れ(父親が起点)

家族の愛の流れをひとことで表現すると、「父→母→子」となる。母親が家族の中心であり、母親がもっぱら子どもに愛情をそそぎ世話もするが、しかし、愛情の起点は父親である。これがポイントだ。子供の世話という行為だけに着目すると母親が子育ての主役のように見える。だが実は、父親の愛が母親に流れないと、母親から子には愛が流れないのだ。なぜなら、父親が母親を愛さないと、母親の心は安定しないからだ.・・・父親に愛されていない妻はイライラしてしまう.イライラしている人は、決して人を愛せない。たとえ我が子でも愛せない。・・・安心の安という字はウかんむりに女と書く。つまり、家の中で女がどっしりと構えているのである。要するに、母親が楽しく元気にしている家はうまくいっていて安心ということである。母親の心が安定していれぱ、子どもも安心なのだ。
その母親の心の安定に重大な影響を与えているのが父親の愛なのである。・・・48-49頁

とまあ、こんなわけで、父親の重要性について改めて認識させてもらいました。娘の紹介する恋人は、実は父親の通信簿ということになりそうです。

うーむ、しかし、昔から通信簿は・・・。