工藤美代子著、日々是怪談 そして 快楽-更年期からの性を生きる

少し前に、もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら (幽ブックス)のご紹介をさせてもらったが、面白かったので同じ著者の日々是怪談を読んだ。これもやはり面白かった。絶版のためか、アマゾン中古本は、単行本、文庫本ともに3千円以上のプレミアム価格となっている。「三島の首」という三島由紀夫に関する話があるのも高値の原因になっているかもしれないが、これはわからない。

日々是怪談の中でも著者は「自分には霊感がない」といっているが、これだけあれば十分だと思う。もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったらに比べ、日々是怪談の方がストーリィとしてはおもしろい怪談集になっている。自分としては、8番目の短編「私に似た人」が興味をそそられた。

これは、自分の分身、ドッペルベンガーの話であるが、こういうことは、多分よくあることなのだろうと思う。生き霊の正体に迫る話だと思う。しかし、一番心に残った話は次の話「里帰り」である。取材で知り合ったお婆さんが、同行した若いカメラマンに興味を持ち、死後、この若いカメラマンの側に寄り添っていたという話である。老人の性についての話なのだが、この話の枕に森瑤子女史の話がでてくる。

あれはタクシーの中だった。森さんは五十歳になったばかりで、珍しく真赤なニットのスーツを着ていた。あなたと違ってね、私はもう残り時間が少ないんだから、どうでもいい男とは二人きりで食事をするのもイヤなのよ。そういって、ふうっとため息をついた。

彼女は私より十歳年上だった。しかし、残り時間が少ないと焦る気持は私にもよくわかった。

そうですよわ。なにもその男とべソドに飛び込むわけじゃなくっても、いざとなったら飛び込んでもいいと思えるくらいの男じゃなかったら、この忙しいのに時間を割いて食事なんかする必要ないですよ。

私がそう答えると、彼女はふふっと笑った。でもねぇ、セクシーな男ってなかなかいないのよ。ペッドに飛び込んでもいい男…。なぜか、自分の長い指を見ながら彼女はつぶやいた。

それから森さんは、ドキドキするような男との出逢いが、年を追うごとに少なくなっているといった.私はなに気なく、まあ、一年に一人っていうところですか?と尋ねると、えっと驚いた顔をした。あなた、一年に一人も出てくるの?私はそんなにいないわよという。

私だって、別にそんなにしょっちゅう、胸がドキドキするひとに出逢うわけではない。だが、いつも取り巻きの男性をつれて、芸能人顔負けの派手やかな装いをしている森さんだったら.恋愛のチャンスはいくらでもありそうに見えた。

年齢のせいかもしれないわと、森さんは妙に納得した調子でいった。密かに誰かに恋をしていることはあるけれど、ベッドに飛び込むこととは別なのだと説明してくれた。

残念ながら、今まで、私はその意味があまりよく理解できなかった.だが、ようやく最近、少しわかりかけている。

つまり、上田のおばあちゃんが最後に見せたあの表情は、恋愛なんて漠然としたものではなくて、はっきりと性欲といえるものだったのではないだろうか。このごろになってそう思う。

以上の箇所が妙に心に残った。

同じ年代の女性と食事をすることはよくあるのだが、「どうでもいい男が」食事をするには控えめにしなきゃいけないなぁと決意した次第でもあります。

そういうこともあって快楽―更年期からの性を生きるを続けて読みました。予想通り、森瑤子女史との話が書かれており、「怪談」よりも詳細であった。更年期からの性については非常にまじめな問題提起をしてもらったと思う。これは私だけには限らないようで、興味のある方はアマゾンのカスタマーレビューを読んでいただきたい。みな、結構まじめだなと思う。

ということで、私としては、本の終わりのまとめあたり(270頁)にでてくるイキのいい友人英美子さんの話を紹介しておこう。

・・・だが、しかし、それは間違っているというのが恵美子さんの意見である。

更年期の性は奥が深いのよ。あなたみたいに簡単にリタイアしちゃ・たらつまんないじゃない。この先に.まだ何が待っているかわからないのよ」

更年期世代の女性は.”ニユーヨーク”を目指すべし

恵美子さんは、出来の悪い生徒に、授業でもするように更年期の性の豊かさを語ってくれる。

「たとえばさ、十代や二十代の若い頃って、もうアフリカ大陸みたいなものよ。いたるところが熱いのよ。唇から耳たぶ、乳首やクリトリスはもちろん、身体のすべてが感じたでしょ。まあ、言目葉は悪いけど、歩く性器みたいなものよ。だから、今の若い娘たちが書いている小説とか読んでも、ただもうやればいいって感じ。ところが三十代になると東南アジアくらいにはなるわね。全身がビピビ。てわけじゃないけど、とにかく、まだ各地に熱帯ありっていうところ。

相手の男によって感じる部分が違ったりするけども、よい相手に巡り合いさえすれば、三十代は一番性的には燭熟する年代かもしれない。

そして四十代になると、徴妙に変化するのよね。自分の体型の衰えを自覚するわげ。もちろん、エネルギーの枯渇もあるわよ。その半面、生活には余裕が出てくるから、セックスも雰囲気が大切になってくる。その意味では四十代はヨーロッパじゃないかしら。文化の香りが高くて成熟した大人の男と女の関係。ただ往復運動をすればいいっていう野蛮さはないかわりに、ちょっとパワーが落ちるのも確かね。だけどまだまだ美しくて、長い年月の歴史によって女っぷりかあがるのが四十代よ。ちょうどヨーロッパの落ち着いた古都みたいに。

そして、さて五十代なんだけど、ここでシベリアへ行くかそれとニューヨークへ行くか、あなたならどうする?」

そんなことを聞かれても返答に困る。シベリアというのは、いかにも寒々しい。できれば行きたくないと思う。でも、それが五十代の現実なら仕方がない。

「そうよ。残念ながらシベリアへ行った女は山ほどいるわよ。触ったら凍りそうな女になんて男だって手を出さないわよ。足を踏み入れないわよ。でもね、実は私たち五十代の女性はニヨークになるチャンスだってあるのよ。あの街を知っているでしょ?そりゃあ建物ば古い

わ。塵も舞っているしホームレスもいるわよ。でも、東京とは違うのよ。何が違うと思う?東京はこの前の戦争で焼け野原となって、そのあとにただ無計画にピルが立ち並んだ。はっきりいって美しい街じゃないわ。でも、ニューヨーグは五番街なんかの摩天楼を見ていると惚れ惚れするわ。ビルの一つ一つはもう老朽化しているのよ。だけどね手入れがいいのよ。そして住んでる入たちもニューヨーカーであることに誇りを持っている。毅然としているわ。だから古い建物だって、いまだに美的に鑑賞に耐えられるってわけよ。

私たち更年期世代の女姓たちって、あのニューヨーグが持っている知恵や誇り、賢さ、そして悲しいけれど年月を経たための醜さや脆さも全部餅せ持っているんじゃないかしら。私はシベリア送りはごめんだわ。いつまでもエキサイティングなニューヨーグの中心.できればマンハッタンに陣取っていたいわねぇ」

元気な恵美子さんと食事はできそうもないがエールは送ってあげたいところではあります。

 

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