ミッション: 8ミニッツ(allcinema,キネマ旬報,AllRovi,IMDb)があまりにも印象的だったので、会う人ごとに話題にしていたら、「マルコヴィッチの穴(allcinema,キネマ旬報,AllRovi,IMDb)のようなものですね」などと言う人がいた。早速マルコヴィッチの穴を鑑賞してみたら、その通りだった。
ミッション: 8ミニッツ、マルコヴィッチの穴はいずれも憑依がテーマの映画である。
売れない人形師が主人公の一人なのだが、まさに人形に憑依する職業だ。かれは、マルコヴィッチの操作に堪能であり、いつのまにかマルコヴィッチ専従の乗り手となってしまう。乗り移られたマルコヴィッチは売れっ子人形師として成功する。
マルコヴィッチに女性が憑依して、女性と交わるというシーンもある。女性と女性の間に子供ができ、マルコヴィッチの遺伝子をもつ乗り物として次世代に憑依体が引き継がれる。
憑依されていることに気が付いたマルコヴィッチは、他人と同様にマルコヴィッチ(自分自身)に憑依してみる。すると、世の中の人全員が自分の分身になってしまった。
ここは、当ブログで話題にしたの遍在転生観を参照いただきたい。すべては自分というのもあながち間違いではないということになる。
死を経て、憑依するのが輪廻。同じ生にて意識が移るのが憑依ということが言えるかもしれない。
マルコヴィッチの穴は入り組んでなかなか解釈が難しい映画だと思うが、「憑依」という観点から見てみると非常に分かりやすい(ミッション: 8ミニッツもマルコヴィッチの穴も、巷ではとくに「憑依」という見方はされていないようだが、)。
憑依がするものなのかされるものなのかも微妙だ。人形師がマルコヴィッチに憑依してなりかわるという一方で、実は人形師がマルコヴィッチに憑依されていたということもいえるわけだ。
恋愛なんかもそうだ。お互い相互依存ならぬ相互憑依といえるのではないか。お互いの心は相手のことでいっぱいになってしまうわけだから。精神病なんかも憑依という見方をすると分かりやすくなるかもしれない。精神病は病気ではないという本もある。
「マルコヴィッチの穴」に限らず、世間を語るのに「憑依」という観点がもっと必要なのかも知れないなあ。