映画、ゴールデンスランバー

映画、ゴールデンスランバー見てきました。いわゆる仙台・宮城を舞台にした伊坂MOVIEの三作目になります。ロケ場所が前二作よりわかりやすくなっていますので、見やすかったかな。

ゴールデンスランバーは、ビートルズのアルバム「アビーロード」B面に収録されているバラードだ。曲が短いのでシングルにはならなかった。曲が長ければ、something以上のヒットになっただろうと思う。サウンドトラックはオリジナルのビートルズではなく、斉藤和義によるカバー。オリジナルにすれば良かったのにと思うのだが、予算の関係か・・・?

ドラマの中でこの曲をBGMに花火が夜空に炸裂するシーンがあるのだが、秀逸ではあった。

出演者も豪華。仙台もよく撮れていましたので、仙台に馴染みのある方には楽しめる映画でしょう。私は、前二作に比べては、遙かに楽しめました。

冥途のお客 /佐藤愛子 著

冥途のお客」を読みました。おもしろかったです。

題名が示すように、霊界関係の書籍です。この方のエッセイは若い自分によく読んだ覚えがあります。まさか、霊界関係のエッセイを書くようになるとは思いませんでした。関連書籍では他に「私の遺言」と「あの世の話」を読んでいます。いずれもおもしろい。霊界の話以前にやはり、プロの書き手ですから、読者を飽きさせません。ぐいぐいと引き込んでくれます。

一番のお薦めは「私の遺言」ですかね。これはアイヌ民族の問題も提示していますので、勉強になりました。佐藤愛子氏の著作「血脈」の上も持っているのですが、まだ読んでおりません。ものすごく分厚いので手がでないのが現状です。

紹介もかねて、後書きを以下に記します。参考になれば幸いです。

後書き

以上の話を真実とかんがえるか、妄想駄ボラと思うかは読者の自由です。私はただ実直に、何の誇張も交えず私の経験、見聞を伝えましたこれらの体験を書いて人を怖がらせたり興味を惹きたいと考えたのではありません

死はすべての終わりではない。無ではない。

肉体は滅びても魂は永遠に存在する。

そのことを「死ねば何もかも無に帰す」と思っている人たちにわかってもらいたいという気持ちだけです。三十年にわたって私が苦しみつつ学んだことを申し述べたい。ひとにそれが人の不信や嘲笑を買うことになろうとも。私にはそんな義務さえあるような気さえしているのです。

この世で我々は金銭の苦労や病苦、愛恋、別離、死の恐怖など、生きつづけるための欲望や執着に苦しみます。 しかし、それに耐えてうち勝つことがこの世に生まれてきた意味であること、その修行が死後の安楽に繋がることを胸に刻めば、「こわいもの」はなくなっていく。

それがやっと八十歳になってわかったのです。

この記述によって好奇心を刺激された人、この私を馬鹿にする人、色々いるでしょう。でもたつた一人でも、ここから何かのヒントを得る人がいてくだされば本望です。その一人の人を目指して私はこの本を上梓します。

以上、

愛されない愛せない私/二本松泰子

を読みました。

帯にはこう書かれています。「アルコール+セックス依存症だった女性の衝撃の告白手記」。16歳で初体験、短大を卒業し、親のコネで就職。私はどこにでもいる普通の女だったと語る著者が、20代の時に陥った「アルコール・セックス依存症」…。依存症から脱出するために、35年間の心の闇を綴った手記。

おもしろそうだと思って読み始めてみたのですが、つまらなかったですね。そもそもセックス依存症でなんだ?ということがあるな。セックス依存症というからには、直る可能性もあるのだろうか。セックスに依存しない人間とはなんなんだろう?という疑問も湧くな。セックス依存症でない人間はどのようなセックス?というのも聞いてみたいな。

などと思っていたら、関連した記事を見つけました。 しかし、やはりよくわからない。

結局のところ、下ネタで人目を引くための造語だと思う。手にとって読んでは見たけれど、手にとって読んでみた自分の愚かさを知ったことが収穫だったな。

死後はどうなるの? /A.スマナサーラ

を読みました。一時期、90年代、スマナサーラ氏にはまったことがありました。非常にわかりやすくて、すらすらと読めるんですね。書店で新書版サイズのハードバックがシリーズで5,6冊でていたのを購入した覚えがあります。原始仏教系のまじめな方なので、「死後」は明確に否定なされるだろうなと思っていたのですが、そうではありませんでした。むしろ、本当にていねいに解説していただいており、勉強になりました。

この本の中で感心した箇所をご紹介しましょう。それは食べ物に関する事柄についてのべたところです。

第三章 生滅変化論という偉大なる発見、80ページあたりに-「食」から生命の次元を説明する-節あたりから・・・、

では、神々が何を食べているかというと、私たちには想像もできないのです。神々の世界は、だいたい感情でいきているのです。ちなみに人間も感情うをたべています。ご飯「だけ」をたべると、体が病気になって、心も病気になるのです。長生きできません。人間はほかのものも栄養として摂取しているのです。それはほかの生命のこころの波動なのです。

-人間も生命の感情を食べている-

たとえば小さな赤ちゃんがいるときは、お母さんは大変元気でしょう。結婚した直後は、奥さんも旦那さんにある程度遠慮するものです。その奥さんに子供が一人生まれたら、旦那さんにも怒るし、厳しく攻撃するし、コントロールして抑え込んでしまう。どこからあの元気が出てくるのでしょうか。あれは自分の赤ちゃんの精神エネルギーがお母さんの体に入ってくるから元気なのです。・・・そういうお母さんたちも、子供が大人になって家を出たとたん、落ち込んでしまう。・・・お母さんにとっては、子供の存在こそが、正真正銘の栄養なのです。子供を通して得られる感情のエネルギーが、食べものよりもずっと重要な人間の栄養になっているのです。

それから、どうして私たちは友達をつくるのでしょうか。友達がいればいるほど、元気になるからです。・・・悪い言葉を使うなら、私たちは元気になるために友達を栄養として食べているのです。カリスマ性のある政治家なんかは、信じられないほどたくさんの人々コネクションを持っています。ああやって貪欲に人脈をつくることで、みんなから精神的なエネルギーを摂取しているのです。・・・

中国で気功を訓練する人々の中には、食べることを止めてしまう人々もいます。しかし、食べないからといって、体は全く痩せません。そういう人々は、物質とは違う形で栄養を摂取しているのです。水ぐらいは飲むのですが、食事をとらなくても体は痩せないし、体脂肪も経ることもなく、そのままで生きていられる。何もご飯を食べないから、体も美しくきれいになるのです。食べ物を摂ると、必然的に物質が体内で腐って汚れを生むのです。

-生命の栄養は四種類ある-

・・・ひとつは個体で、・・「壇食(だんじき)」と言います。個体の維持管理に必要な物質的エネルギーです。あとの三種類は、いま言った精神的なエネルギーなのです。・・・。

精神的エネルギーの第一は「触食(そくじき)」です。身体とこころに情報が触れることで得られるエネルギーです。空気や音や光、生きていると絶えず何かが身体に触れています。寝ても覚めても絶えず身体にはなんらかの情報が触れているのです。それがこころの栄養になるのです。第二は「意思食(いしじき)」。意思、認識したいという気持ちがエネルギーなのです。何かをしたい、死にたくない、何かを認識したい、という意思もこころの栄養になっています。三番目の栄養は「識食(しきじき)」です。これは、こころそのものなのです。認識、先に認識した経験、概念、知識といったものです。生きているということは絶えず何かを認識していることなのです。その認識によって形成された概念も、また新しい認識を作り出します。この四つの栄養は人間だけでなく、ミミズも犬猫もアメーバも、その四つの栄養を摂取している。生命に普遍的な「食」なのです。(相応部因縁編第一因縁相応)

死後の世界から輪廻転生、そして悟りについて解いた本なのですが、以上はその中で神々の食事について説明した箇所にあります。

ドラッグ関連の書籍

二冊読みました。「マリファナ物語」、「FOR BIGINNERS ドラッグ」。どちらもおもしろかったのだが「マリファナ物語」はやや冗長だったかな。エッセイ風の書き方なので仕方ないのだが、あっけらからんとマリファナ賛歌をしているのは問題がないのかななどと思ってしまいました。

FOR BIGINNERS ドラッグ」はしっかりとていねいに書いてありますね。歴史、背景、哲学、医学的心理学的な考察なども網羅しているので、勉強したい方にはこちらをおすすめしたいところです。

ヘロイン、モルヒネなど人工的にに精製したものは依存性が高くなり、害を及ぼすことになるのだが、けしとかコカの葉などの自然の状態のものはそれほど害はないようです。コカコーラなどは当初はコカインが含まれていました。現在でもコカインを除去したコカの葉の成分が含まれているとのことです。

FOR BIGINNERS ドラッグ」、最終章-麻薬が人間にもたらしたもの-で、気になった箇所を以下に記載してみましょう。

痛みがすべての出発だった-P154-, 世界の四大文明発祥地がいずれもけっして快適とは思われない自然条件のもとにあり、なぜこんな風土で文明が興ったのかという問い対して、こんな説がある。これら文明発祥地のエジプト、メソポタミア、インダスの三つまでがけしや大麻など麻薬の生産地だったこと。苦痛があり、さらにはそれを快楽に転化させる麻薬があったからこそ、文明が築かれたのだという。また、時代が遅れてはいるものの、これら四大文明とは隔離された新大陸のマヤ、インカなどの文明は幻覚植物やコカの葉なしには興り得なかったという考えが、歴史学者の間では支配的だという。

“偏在精神”が奇跡的体験をもたらす-P163-
“脳や神経系それに感覚器官の機能は主として削除作用的であって、生産作用的ではない”というベルグソンの示唆を引用して、こう解釈する。本来、人間の脳や神経系は自分の身に生じたことをすべて記憶する能力があり、宇宙のあらゆる出来事のすべてを知覚することができる。これが”偏在精神(MIND AT LARGE)”である。しかし、生物である人間の最大の仕事は生存である。その目的達成のために脳や神経系は情報を極端に絞り込んで人間の”意識”に送り込む。つまり脳や神経系は”減圧バルブ”の役割を果たし、我々は広大な宇宙の”ほんの一滴”の知覚をもとに、言語という概念化された表象体系を駆使してリアリティを得ているという。ところが、ある種の人々は、”減圧バルブを迂回するバイパスのようなもの”を生まれつき持っている場合がある。精神修行や自然発生的に一時的なバイパスを得る場合もある。また、催眠状態や薬物によっても、こうした”奇蹟”を起こす場合があるという。

“偏在精神”が奇跡的体験をもたらす”脳や神経系それに感覚器官の機能は主として削除作用的であって、生産作用的ではない”というベルグソンの示唆を引用して、こう解釈する。本来、人間の脳や神経系は自分の身に生じたことをすべて記憶する能力があり、宇宙のあらゆる出来事のすべてを知覚することができる。これが”偏在精神(MIND AT LARGE)”である。しかし、生物である人間の最大の仕事は生存である。その目的達成のために脳や神経系は情報を極端に絞り込んで人間の”意識”に送り込む。つまり脳や神経系は”減圧バルブ”の役割を果たし、我々は広大な宇宙の”ほんの一滴”の知覚をもとに、言語という概念化された表象体系を駆使してリアリティを得ているという。ところが、ある種の人々は、”減圧バルブを迂回するバイパスのようなもの”を生まれつき持っている場合がある。精神修行や自然発生的に一時的なバイパスを得る場合もある。また、催眠状態や薬物によっても、こうした”奇蹟”を起こす場合があるという。