死後はどうなるの? /A.スマナサーラ

を読みました。一時期、90年代、スマナサーラ氏にはまったことがありました。非常にわかりやすくて、すらすらと読めるんですね。書店で新書版サイズのハードバックがシリーズで5,6冊でていたのを購入した覚えがあります。原始仏教系のまじめな方なので、「死後」は明確に否定なされるだろうなと思っていたのですが、そうではありませんでした。むしろ、本当にていねいに解説していただいており、勉強になりました。

この本の中で感心した箇所をご紹介しましょう。それは食べ物に関する事柄についてのべたところです。

第三章 生滅変化論という偉大なる発見、80ページあたりに-「食」から生命の次元を説明する-節あたりから・・・、

では、神々が何を食べているかというと、私たちには想像もできないのです。神々の世界は、だいたい感情でいきているのです。ちなみに人間も感情うをたべています。ご飯「だけ」をたべると、体が病気になって、心も病気になるのです。長生きできません。人間はほかのものも栄養として摂取しているのです。それはほかの生命のこころの波動なのです。

-人間も生命の感情を食べている-

たとえば小さな赤ちゃんがいるときは、お母さんは大変元気でしょう。結婚した直後は、奥さんも旦那さんにある程度遠慮するものです。その奥さんに子供が一人生まれたら、旦那さんにも怒るし、厳しく攻撃するし、コントロールして抑え込んでしまう。どこからあの元気が出てくるのでしょうか。あれは自分の赤ちゃんの精神エネルギーがお母さんの体に入ってくるから元気なのです。・・・そういうお母さんたちも、子供が大人になって家を出たとたん、落ち込んでしまう。・・・お母さんにとっては、子供の存在こそが、正真正銘の栄養なのです。子供を通して得られる感情のエネルギーが、食べものよりもずっと重要な人間の栄養になっているのです。

それから、どうして私たちは友達をつくるのでしょうか。友達がいればいるほど、元気になるからです。・・・悪い言葉を使うなら、私たちは元気になるために友達を栄養として食べているのです。カリスマ性のある政治家なんかは、信じられないほどたくさんの人々コネクションを持っています。ああやって貪欲に人脈をつくることで、みんなから精神的なエネルギーを摂取しているのです。・・・

中国で気功を訓練する人々の中には、食べることを止めてしまう人々もいます。しかし、食べないからといって、体は全く痩せません。そういう人々は、物質とは違う形で栄養を摂取しているのです。水ぐらいは飲むのですが、食事をとらなくても体は痩せないし、体脂肪も経ることもなく、そのままで生きていられる。何もご飯を食べないから、体も美しくきれいになるのです。食べ物を摂ると、必然的に物質が体内で腐って汚れを生むのです。

-生命の栄養は四種類ある-

・・・ひとつは個体で、・・「壇食(だんじき)」と言います。個体の維持管理に必要な物質的エネルギーです。あとの三種類は、いま言った精神的なエネルギーなのです。・・・。

精神的エネルギーの第一は「触食(そくじき)」です。身体とこころに情報が触れることで得られるエネルギーです。空気や音や光、生きていると絶えず何かが身体に触れています。寝ても覚めても絶えず身体にはなんらかの情報が触れているのです。それがこころの栄養になるのです。第二は「意思食(いしじき)」。意思、認識したいという気持ちがエネルギーなのです。何かをしたい、死にたくない、何かを認識したい、という意思もこころの栄養になっています。三番目の栄養は「識食(しきじき)」です。これは、こころそのものなのです。認識、先に認識した経験、概念、知識といったものです。生きているということは絶えず何かを認識していることなのです。その認識によって形成された概念も、また新しい認識を作り出します。この四つの栄養は人間だけでなく、ミミズも犬猫もアメーバも、その四つの栄養を摂取している。生命に普遍的な「食」なのです。(相応部因縁編第一因縁相応)

死後の世界から輪廻転生、そして悟りについて解いた本なのですが、以上はその中で神々の食事について説明した箇所にあります。

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