GPSロガーとMy tracks ライフログに力強いツール

エバーノートとエバフード (evernote food)でライフログに挑戦していますが、GPSロガーなるものがあることに気づきました。amazonを見ていたら、目に留まったのです。では、スマートフォンで似たようなアプリがあるのではと調べたところ、無料で使い出があるGoogleのMy Tracksを見つけました。バッテリーのもちが5時間程度ということで、はて、アンドロイド携帯でトラックするのがいいのかGPSロガーでログをとるのがいいのか考えてしまいますが、なによりも手元にあるアンドロイドで使ってみることにしました。なかなか使えそうなので、若干興奮しています。

GPSで位置情報を取得しているので、My Tracksを起動する前にGPSをオンにして、目的地についたら、My Tracksと一緒にオフにするという細かい作業をしていましたが、これが面倒なようなら、専用のGPSロガーを検討することになるのかな。とはいえ、ログをGoogle マップ、ドキュメント、Fusion tablesなどに簡単に共有できてしまうのは、Android アプリならではなのだろうなぁ。

Evernote、FacebookやTwitterとも簡単に共有できてしまいます。こんなに、進化してしまってよいのだろうかと思ってしまいますよね。業務用自動車に搭載されているというタコメーターにとって変わるのも時間の問題ですし、カービデオレコーダーと併用すれば、ドライバーの力強い味方になることも考えられます(逆もあるかも)。

まずは、百聞は一見にしかず、というところで、ビデオを見てください。

共有ですが、とりあえずはGoogle ドキュメントだけにしました。Google Mapと共有すると、公開か限定公開(urlを知っているとアクセスできる)のため、プライバシーに問題が生じる可能性は否定できません。スピード違反や一時停止、一方通行違反などで逮捕される可能性がないとはいえないわけですから、ここは注意しなければなりませんね。ユーチューブに動画を公開したドライバーが、実際に画像分析で、スピード違反で検挙されたことがあります。本来なら、素のkmlファイルを紹介して、実際にグーグルアースやグーグルマップで開いてもらいたいところなのですが、プライバシー上、とてもやばそうなので自粛しております。

 

ポックリ名人。 帯津 良一(おびつ りょういち)

ポックリ名人読みました。目にやさしい大きな活字の本文組で、さらに読みやすくなったと、帯に書いてあります。巻末には、付録として書置きノートがついています。中身は、まあ、当たり前のことが書かれております。しかし、その背景にある意思とか思想といったものは同感しました。ということで、あとがき部分を紹介します。

あとがき  死は何も特別なことではない

本書では、「命の旅は永遠に続く」という私の死生観をベースに、死後の世界にエネルギッシュに突入していった(またはいくであろう)入たちを、敬意をこめて「ポックリ名人」と称して紹介しました。

「命を軽んずるものではないか」というそしりを受けるかもしれませんが、それはまったく私の意図することではなく、死を考えることは今ある生をしっかり生きるために必要不可欠なものなのです。

昨今、世界的不況のあおりを受けて、日本経済も不況にあえいでいます。これは景気が好調なときに死にしっかり思いを馳せなかったがために、そのつけがまわってきているように思えてならないのです。

死を忌み嫌う社会は異常です。死をしっかりと視野の中に入れてこそ、はじめて健全な社会といえると思います。

「死」というゴールがはっきりしない限り、生きている今の時間を大切に充実させる養生ができないのです。

永遠の命を生きるとは、未来を予感しながら、今を輝いて生きるということにほかならないのです。

死後の世界については、生きている私たちには誰もわかりません。あるとかないとか、信じる信じないと大上段に振りかぶることもないのです。ただ、目の前の養生の先に、壮大な一大パノラマがあると思うと、なんとなく楽しいではありませんか。

日々を大切に、命を精一杯輝かせて生き、そうしていざ死に時が来たらそれを間違えることなくポックリ逝き、死んだら虚空をまっしぐらに目指しましょう。

これを読んでくださっているみなさんとも、いつの日にか虚空にてお会いできる日を楽しみにしています。

二〇〇九年

帯津良一

 

誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀

誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀」を読んで、腑に落ちたところが何か所もありました。3.11以降、日本のマスコミの酷さに気が付くことができ、おかげさまといってはなんですが、この本のかなりの部分に共感をおぼえることができたのです。

日本人ならほとんどが好きじゃない「小沢一郎」ですが、それが当たり前になった背景をこの本は明らかにしてくれます。アマゾンへのリンクを辿ってもらえば、読者レビューが、マスコミよりは遥かに正確に、この本について語っていて、頼もしくさえも感じることができるのではと思います。

以下に、私が個人的に記録にしておきたい箇所を何点かご紹介します。まずは、小沢抹殺の起源は1993年であると指摘している出だしから・・・。

一九九三年という”直近の起源”

小沢一郎氏の政治生命を抹殺しようとする動き、それは一見するときわめて些細な出来事として起きていた。しかし私は自分の目で確かに見たのだ。それは一九九三年、小沢氏らが自民党を離党して新生党を結成し、非自民運立政権が成立した、日本の政党政治の大変動とも称すべき出来事と、ほぼ時を同じくしていた。・・・そのとき、我々の目の前で、日本の政治の根本を決定づけ、政治の現実を形作る重要ななにかが、あらゆる人々の予想を超えて変わってしまったのだった。・・・数年を経て事態が沈静化したとき、人々は、日本ほふたたび一九九三年以前の状態に戻ったと考えるようになった。連立政権がいくつもあらわれては短命に終わったことで、結局、日本の政治はなにひとつ変わらなかったのだ、と人々は失望を味わった。ところが、日常のなかではっきりした変化を指摘することはできなかったとしても、確かに日本は変わったのである。p14-p15

そして、この本のテーマである「人物破壊」についての説明箇所

「入物破壊」とはなにか

さて冒頭から「人物破壊(character assasination)」という表現をたびたび使ってきたが、これは具体的にはなにを意味しているのだろうか? 実は、ヨーロッパ諸国やアメリカではよく使われる表現である。読者はすでにおわかりだろうが、標的とする人物を実際に殺さないまでも、その世間での評判や人物像を破壊しようとする行為を指す。

これは相手がライバルだから、自分にとって厄介な人物だから、あるいは単に敵だからという理由で、狙いを定めた人物の世評を貶める、不快で野蛮なやり方である。人殺しは凶悪犯罪であるが、人物像の破壊もまた、標的とされる人物が命を落とすことはなくとも、その人間を世間から永久に抹殺するという点では人殺しと変わらぬ、いわば殺人の代用方式である。p26

小沢氏の政治生命を抹殺するために用いられたのは日本の伝統的な手法、すなわちスキャンダルであった。スキャンダルを成功させるには、検察と新聞の協力が不可欠である。そこで検察は法務省の記者クラブに所属するジャーナワストたちに、だれに狙いを定めているか告げ、逮捕や証拠品の押収時に注意するよううながし、彼らが欲しがる多くの情報をリークしてやる。そしてリークされた情報にもとづいて記者は記事を書き、それが新聞の一面にどかどかと掲載されることになるのだ。

日本のスキャンダルの特徴は、世間一般には許されてはいても、それがやり過ぎ、もしくは行き過ぎと見なされた場合に、抑える役目を果たす点だ。そのようなスキャンダルの餌食になるのは決まって、日本の政治・経済の現体制を撥るがしかねない人物である。p28

・・・小沢氏の政治生命を破壊しようとするこのキャンペーンは、一九九三年以降、再燃するたびにその舌鋒を強めてきた。そしてそれがひとつの頂点に達したのが、彼が首相になるかと思われたときだった.二〇〇九年の初め、その年の後半に行われる選挙で民主党が自民党を破ることになり、そうなれば当時、民主党の代表であった小沢氏は自動的に、日本の公式の政治システムの頂点に立つだろう、というのが大方の予測だった。ところが小沢氏は党の結束を維持するため、そしてキャンペーンの被害が民主党におよぶことのないよう、代表の座を辞した。ところが2009年の秋に民主党が政権の座に就くと、またしてもこのキャンペーンは新たな高まりを見せた。今度は検察が思いがけない新たな手段に訴え、それによって小沢氏の資金管理団体の政治資金をめぐる間題で、証拠がないために不起訴となっていた件に関して、ふたたび捜査を行うことを決定した。そして再度、不起訴になったにもかかわらず、またもや捜査が行われるのである。p34

このような「人物破壊」を可能ならしめるもの政治システムは、その起源を徳川幕府とそのクーデターである明治維新までさかのぼるという。そして、重要な人物として山県を挙げる。彼は、政党による政策決定の影響を一切受け付けないよう、「天皇」を利用するなど画策して官僚機構を隔離したのだ。

山県が講じた措置によって、官僚はその後も日本の政治システムを支配するもっとも重要な勢力でいることができた。もちろんそこになんら公式の規則という裏づけがあるわけではない。第二次世界大戦後の日本では、法律上は、日本国民を代表する選挙された者が、国家を統治する権力を与えられることになっている。そして憲法によれば主権は国民にあるとされている。ここまで議論を進めたところで、我々は日本政治の重要な一面を知ることになる。つまり日本の政治システムの大部分は、「法的枠組みを超え」ているということだ。日本には当然、あらゆるものごとを規定する法律があり、犯罪に対処する作用において、他諸国とまったく大差はない。ところが日本の揚合、経済や政治上の取り引き、関係性など、現実のなかで実際に利用されるやり方が、法律によって決められているわけではないのである。それを決定するのは慣習である。さらには現状維持をほかる勢力である。

ちなみに個人やグループにみずからの行いを恥じ入らせる「辱め」は、日本の当局が秩序を維持するために用いる手口のひとつだ。体制を揺るがしかねない人間を、辱め、世間の見せしめにすることで、超法規的な秩序を逸脱すれば、このような仕打ちが待っているとあらゆる人々に警告するのだ。その陣頭指揮をとるのはもちろん、日本の検察である。 p54

その日本の検察の特殊性については以下のように記載している。

検察、この大いなる守護者

完壁にして、純粋、無謬であること、検察はそのすべてを兼ねそなえていなければならない。人間は過ちをおかすものだ、などという考え方は、検察の伝統とは相容れないのである。裁判に負ければ、検察側は辱めを受けたかのように感じる。そこで彼らは断固たる姿勢をもって上訴し、決してあきらめることなく、あらゆる手を尽くして闘おうとする。この特異な役割は、日本の歴史的産物だということを忘れてはならない。ほかの民主国家の検察の役割は法の番人であるが、日本の検察が守らているのは法律などではない。彼らが守ろうとするのはあくまで政治システムである。しかも、半ば宗教信仰を思わせるような熱意をもってその任務に取り組んでいるのである。 本来、検察は、同じように伝統を誇るほかの官僚にも増して、「天皇の忠臣」の手本のような存在であった。しかもそのような役割に付随する権力が与えられていた。検察がこのような権力を掌握したのは一九二〇年代にさかのぼる。司法制度全体を支配するにいたった検察の下で、日本の裁判官はまるで付属物、検察の使用人のようなあつかいを受けるようになった。一九三〇年代になると、検察は、軍国主義者たちがみずからの右翼的政策を正当化するために利用した、「国体思想」というイデオロギーを支持した。政策を阻もうとしていると見なされれば、政治家を含めてだれもが検察による苛烈なあつかいを受けた。 p71

続いて、山県に続いた人物として平沼騏一郎を紹介し、戦後の政治家と検察の維持関係について語る。

・・・戦後、平沼のやり方に倣ったのが馬場義続[元検事総長、1902-1977]である。彼は自民党のリーダーのひとりだった河野一郎[1898-1965]に恩を着せ、彼を操ることで政治的な影響力を増した。

先に述べたように、自民党の政治家たちはもちろん裏で取り引きをしていた。自民党が長い間存続できた理由のひとつは、同党が従来の日本の政治システムの維持に寄与してきたことである。つまり彼らは検察と特別な関係を取り結んでいたということだ。自民党の「保守的な姿勢」の恩恵を受ける検察は、有力政治家たちが政治資金や選挙などでたとえ重大な法律違反をしても、ことさらに騒ぎ立てはしなかった。こうして真に重大な犯罪行為でないかぎり、政治家たちが不正を働いても、検察は通常はそれを見咎めることはなかった。たとえ大きな不正行為に手を染めたのであったとしても、官僚出身であれば、そうした政治家が司法関係者に邪魔立てされる心配はまずなかったと言っていい。一方、いわば草の根出身の政治家の楊合は、さほど運がいいわけではないが、それでも守られた状態にあったと言える。p72-73

しかし。天才的ともいえる政治家、田中角栄は、その過大な実力ゆえ、葬られることになる。

そして、民主党政権とアメリカとの関係も興味深い考察が開陳されている。

ところが、二〇〇九年九月に民主党が政権を握ると、軽い衝撃がアメリカ政府内を走った。アメリカ人記者のなかには、これまでアジアのなかで自分たちが懸念するとしたら、つねに中国だと相場が決まっていたが、これからは日本のことも心配しなければならななったようだ、とアメリカ政府の役人が語ったと報じた者もいた。そうした反応はすべて鳩山首相が、日本は、これからはより対等な立場でアメリカとかかわることをめざすと述べ、沖縄のアメリカ海兵隊基地の移設案をすぐに受け入れようとしなかったために生じたのだった。

鳩山氏、そして小沢氏が当初から望んでいたのは、アメリカ大統領を含む政府幹部たちとひざと膝を突き合わせて、世界の変化について、台頭する中国について、ほかの東アジア地域内の問題について、さらには新たに生じた問題に対処するための新しい方法について議論することであった。

たとえいかに批判的に見たとしても、それは実にもっともな要望である。

そして鳩山氏はそうした要望にもとづいて、オバマ大統領に面会を求めた。私が数え上げただけでも、彼は少なくとも三度、要請した。さて、アメリカに次いで重要な地位を占める先進国の新しい首相が、世界最大の先進国の、これまた就任して日が浅い大統領と語り合いたいと望むことほど、道理にかなったふるまいが一体ほかにあるだろうか? これまで何十年間というもの、互いこそがもっとも重要な同盟国だと考えてきた両国が話し合いをすることになんの不思議があるというのだろうか?

しかし鳩山氏の努力はなんの成果も得られなかった。アメリカは彼にきわめて無礼な態度で応じたのである。彼はバラク・オバマと広範な問題について話し合うチャンスを与えられはしなかった。一度など、鳩山氏の求めに対して、アメリカ政府の報道官は、もし日本の首相が連立内閣内で国内間題を解決するつもりであるのなら、アメリカの大統領を利用すべきではないとすら発言している。鳩山氏はまたコペンハーゲンで開催された環境会議の際にひらかれた晩餐会で、ヒラリー・クリントンと話す機会があった。会場の外で待ち構えていた日本のメディアは、もちろん友好的で前向きな話ができたというコメントを期待していたことだろう。ところがアメリカに戻るや、ヒラリー・クリントンは日本大使

を自分のオフィスに呼びつけ、鳩山氏がウソをついたと非難したのだった。さらにオバマのアドバイザーを務めるアメリカの高官がどこかで出くわしても、日本の首相に10分以上時間を割いてやる必要はないと大統領に伝えたという発言までもが伝わっている。

たとえ相手がどんな岡であったとしても、二国関係のなかでアメリカのようなふるまいは決して許されるものではない。このような侮辱を受ければ、自国の大使を召還させることすらあるだろう。友人であるはずの日本に対して、アメリカがこのような態度をとるなど、信じがたいとしか言いようがない。

これまで私を除けば、日本の政治や日米関係について詳細に検証し、それについて執筆し続けてきた非アメリカ人作家はオーストラリア出身のギャバン・マコーマックただひとりだ。この一件が起きた後、彼は、たとえ相手が敵国であったとしても、アメリカが他国に対してこれほどまでに無礼で、侮辱的なふるまいを見せたことは、いまだかつて一度もなかったと言っていた。

こうしたいきさつを日本の新聞はあまり報道しないか、たとえ報じたとしても、大抵は、日本の首相のやり方がまずいから、アメリカ政府にそのようなあつかいを受けたのだ、という諭調で書かれているのだ。つまり外交手腕に欠けるため、鳩山首相には、新しい状況に適切に対応することができなかった、と結論づけられてしまうのである。しかしそうした論調は、明らかに重要な事実を見落としている。それは相手国の主権を認めようとしない国との間に、外交など成立し得ないということだ。それこそが日米関係という間題の核心でもある。

そもそもアジア情勢の変化についてオバマ大統領と真剣に話し合いたいという鳩山氏の求めをすげなく拒絶する以前から、アメリカが日本の主権を認めていない事実は、アメリカ政府高官の発言の端々にあらわれていた。本書でも述べたように、民主党が政権を獲得することになった選挙前の時点で、東京を訪れたヒラリー・クリントンは選挙でどの政党が勝利し、政権党になろうと、アメリカは従来のやり方を変えるつもりはないと言明していた。これは日本がその三分の二もの致用を負担する、沖縄にあるアメリカ軍基地を指しての発言であった。つまり、ヒラリー・クリントンは、これから日本の新しい政権の座に就こうと、待機していた政治家たちに向かって、あくまでボスはアメリカであると警告し

たのだ。民庄党政権が発足すると、今度はゲーツ国防長官が訪日し、またしても自分たちこそがボスであるごとを無礼な態度で示した。そのとき彼は、外交儀礼である日本の自衛隊による栄誉礼を拒絶したばかりか、歓迎食事会にも出席しなかった。

愛国心のある目本の記者なら、あるいはこのようなふるまいに激怒していたのかもしれないが、それは報道にあらわれてはいなかった。逆に、日本のメディアは憤慨するどころか、アメリカの態度こそ日本の新しい政権が安定していない証拠だと説いたのであった。

そのような論調が、数十年にわたるアメリカ政府周辺の専門家やシンクタンクなどの古い人脈を持つ、自民党政治家の解釈であることは疑いない。官僚や元官僚、そして夏の選挙で民主党に敗北した自民党の政治家たちは、長年にわたって交流のあったアメリカ政府周辺の関係者たちに、鳩山政権をまともにあつかわないよう忠告していたのであった。彼らにとっては選挙に圧勝して新政権が誕生したことも、そしてその新しい政府が国民のぞむようなやり方で、日本の政治を変えようとしていることも、なんの意味もないらしい。民主党政権が日本の政治という舞台でつかの間上演される、おそまつな幕間劇でもあるかのようにに見なす諭調が日本側にあるからこそ、いまアメリ政府内で日本を担当するペンタゴン出身者たちが日本にやってくると、保護者を任じる同盟国アメリカに対する新政権の態度はなっていない、と声を荒らげることになるのだ。だからこそ日本の運営を任せるべきではないのに政権を強引に奪い取った無能な集団であるかのように、新政権はあつかわれたのである。コロンビア大学のジェラルド・カーティスといった日本学の権威とされる人々までもが、最初の民主党内閣を中傷するような発言をして、かえって日本の政治になにが起きているかをまるで理解していないことを、みずからさらけ出すことになったのであった。

日本のメディアの記者たちは、自分の国がどんなあつかいを受けているか気づかなかったのだろうか? 民主党がアメリカに対等な立場を求めたことは、日本の主権が認められていない事実を指摘したものであったにもかかわらず、アメリカがそれを完全に無視したという構図が、彼らには見えなかったのであろうか? メディアはもちろんアメリカのふるまいが無礼であることはわかっていた。恐らく紙面の編集者たちは、日本は本当に主権国家なのだろうかと、漠然と疑問に感じているのではないだろうか。日米関係について語る際、日本は純粋な意味では独立していないと多くの人々が認め、またそのことがよく話題にもなる。また対中関係でもこのことが間題となっていることは、やはり多くの人々がうすうす感じている。

しかし目下のところ、日本ではこうした新しい事態に対するはっきりした見解が打ち出されるにはいたっていない。新聞はそれをどう理解していいかわからないので、これまでと同じような反応を示すにとどまっている。そうした出来事が、馴染みある報道パターンに当てはまらないので、どうあつかえばいいのかわからないのだ。p165

なかなか日本のマスコミを通じてはわからない日米関係の描写ゆえ長い引用になってしましたが、いかがだったでしょう。外国人ならではの観点は、確かにあると思います。

 

山寨革命とはなにか? その3 基地「深圳(シンセン)」華強北

中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃の出だしに、山寨の基地「深圳(シンセン)」についての地理状況について記されているのだが、その部分を要約すると下記のようになる。

科学技術パークから華僑北までに至る約15キロの間は、東に向かうほど研究開発企業の比率が下がり、その代わりに販売業を営む企業の比率が上がっていく華強北は深圳(シンセン)で最も重要な電子製品の集散地なのだ。

深圳では、電子部品が非常に手に入れやすい。華強北から数百メートル離れた華強路という地下鉄の駅のそばには、易通、朧源といったきわめて大きな携帯電話の部品市場があり、その中はすばらしい部品であふれている。種類が豊富で、それぞれのカウンターがすべて「専門店」で、電池やタッチペンの専門店もあり、また携帯電話のチップやキーボードだけを売っている店もある。誇張されたこんな言菓がある.「華強路でビルを一回りすれば携帯電話ができあがり、おまけに全部のブランドの携帯電話を揃えることもできる」。

加えて、科学技術バークと華強北の間の車公廟(地下鉄の駅の名前)の付近には数千の携帯電話のデザイン会社があり、また宝安区の多くの工場が集まっている。深圳にほ、携帯電話を作るすべての工程がほぼ揃った状態にあるのだ。世界でも珍しい廉価でかつ迅速な「携帯電話設計・製造・販売のチェーン」ほ、すでに国際的に大きな吸引力を持ち始めている。

登場する地名の主なものをドットしてみたマップを下記に置く。

 
販売の拠点となる華強北路付近を、ストリートビューでみると(フル仕様にはなっておらず、写真が置いてある)、かなりの大きなビルが建ち並んでいる(大きな地図で見るで観ることができる)。華強北高科徳電子交易センター一階にスターバックスコーヒーがあるとのことだったが、地図では確認できなかった。代わりにといっては何だが、近くにある二つのスターバックスをドットしておいた。
 
日本人による、華強北のレポートが掲載されていたサイトがあったので、ご紹介。熱気が伝わってきました。必見です。
 
深圳は、2006年にいったことがある。mixiのブログに書いている部分を下記に紹介してみよう。
香港・・・VOL.4 中国の深圳経済特区を訪ねる   2006年09月17日23:01
香港のすぐ北に位置する深圳(SHINZEN)は、ビザなして香港から移動することが出来る中国だ。香港とは全く異なる熱気と、雑多なムードに包まれている。そして、物価の安さはかなりのもの。連日、まとめ買いする香港人も多く、国境を越えた人でにぎわいをみせている。 
国境をでると、視界には巨大で近代的な高層ビルが建ち並び、距離感がなかなかつかみにくくなんとも異様な風景ではある。とくに、駅前のショッピングセンターのでかさには度肝を抜かれた。掲載写真ではよくわからないが、このショッピングセンターには小さな店がびっしりと入っていて、その店の取扱品目が似たようなものであることにはびっくりする。整理とかコーディネートとは無関係にただただ店が並んでいて、扱っているものは衣服、時計、アクセサリー、スポーツ用品、電気製品などなのだが・・・。広いフロアで、似たような店が並んでいるわけだから、道には迷う。なんとも不思議な巨大な迷路になっているわけだ。競争も激しいのか、勧誘がとにかくしつこい。売り子も若い人がほとんどで、教育がなっていないというか、プリミティブであるというべきか、うーん。たとえば、手とか腕を掴むのは当たり前、ふりほどいても掴む、さらにふりほどいても掴む、またふりほどいても掴む。走って逃げても掴む。こんなこともありました。若い女の子が不器用な発音でジーブイデーと連呼している。ついてこいというのでついていくと、フロアをぐるぐると回りつつ奥の方へと進む、行き止まり近くのテナントに連れて行かれて、店内に入るなりシャッターが閉まる。シャッターが閉まった瞬間に天井の口を開けて、一人の男性が入り込む、そして、ファイルブックを天井の上から持ってきて、好きなのを選べという。つまり海賊DVDショップなわけだ。私の回りには若い男女が4,5人取り囲んでいる。丁重にお断りしてシャッターを開けてもらいましたが、まかり間違えば、犯罪にもなりかねない勢いがありました。ちなみに、同じショッピングセンターの正規DVDショップで値段をみてみると9-40元というところで売られています。日本円にして150円から600円。じゃ海賊版はいくらなんじゃいと思ってしまいました。2枚目はショッピングセンター内の食堂のようす。三枚目はそこで食した定食、18元、280円てところか。広いフロアなのに通路が狭い、というよりない。客動線が考えられていないのですね。香港とは非常に近い地域なのですが、言葉が違いますし、英語もほとんど通じません。筆談はかなり通じます。数時間の滞在ではありましたが、刺激的で面白かったです。街へ抜けるときに、たまたま一緒に歩いた一群のなかで知り合った、ロシアンインディアンの18歳の娘さんとの話は面白かった。はじけるような若さと大きな声で、ロシアからの道中の話などを聞いていると、地元のおばさんなどがびっくりしたような顔で、話を聞いています。意味はわかりようもないのですが、ファッションも奇抜なんでしょう。あっけにとられた顔で、しかもその仕草などを隠そうともしないのですね、ストレートに娘さんをみているわけです、何人も。

「みんながみているぜ」というと、「こいつらいなかもんだから、いつもこんなだよ」とか「美人でセンスがいいからびっくりしてんのさ」なんてかんじでひたすら大きな声ではなすわけです。その他、親切で二枚目な宝飾店の若主人、数百メートルも腕を抱えてついてきたマッサージの勧誘女性。故障品を売ってくれたやり手の中古携帯電話店の女主人など、数時間の滞在で経験したことはかなり密度の濃いものでした。

 
ロシアンインディアンの娘さんの事を思い出しましたが、楽しい経験でした。華強北路のことは知らなかったので、このときは訪問しませんでした。

山寨革命とは何か? その2

簡単に要約すると、「山寨革命」とはインターネットによる個人レベルでの市場創世といえるかもしれない。先に紹介した「米国発 さらば規格品社会 ここを攻めろ(3) 「スマートな個人」に商機」の生産版だ。緻密、子細に個人レベルまで降りてきた水平分業生産システムともいえよう。本では以下のように記されている。

純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。

山寨携帯のこのような運営方式だと、チップから始まって携帯電話を市場に出し販売するまでに、たったの一ヵ月しかかからない。これまでの半年から一年に対し有利となるのほ明白だ。販売ルート、金銭、市場が求めているモデルへの敏感さ、そして運気が彼らの勝敗を決める。代理店や代理業者は最終的な工程となる。華強北を例にとれば、一・ニメートルの売り場の借り賃が月に二〇〇〇元余りなので、資本が少なくても一つの売り場を借りて携帯電話の仕事が始められる。すべての工程の間のつながりはあまり複雑ではないが、大変効果的かつ実用的である。これは市場の着実な進歩の結果であり、この自然に進化したメカニズムはすべての工程のコストを極端に圧縮し、すべての工程が市場メカニズムを通して最も適切な資源を配置する。お金がある人、市場に敏感な人、技術のある人、何もリソースはないが小金を稼いで家族を養っている入、すべてに適切な場所がある。     p40-41

「山寨革命」は携帯電話から始まった。携帯電話をめぐる特殊性が、その足腰を鋼のように強くし、弁証法的に止揚された場を提供したと言って良い。日本の携帯電話が特殊性の罠にはまりガラパゴス化したのと好対照である。

携帯電話の組み立てが難しい理由は、以上のように携帯電話市場の汎用的な部品を、零綱企業に組み立てさせないからである。多くの人が、携帯電話が容易に組み立られないのは技術的な原因によると思っているが、実際ほそうではない。携帯電話がパソコンのようにバラバラの部品を買うことができない理由は、第一に、携帯電話の体積が非常に小さいため、それぞれの部晶を売るには保存や運輸上の利便性が確保できず、完成品を売るのに比べて利点がないこと。第二に、携帯電話は研究開発、生産などが一体化された垂直統合モデルであり、携帯電話業界に参入した企業の多くが自分たちの研究開発体制を持っていることである。TI(テキサス・インスツメンツ)、クアルコム、インフィニオンなどの企業が提供するチップは、数社の顧客のためだけのであり、同時に、技術障壁(あるいは観念的な束縛かもしれないが)も比較的高かった。それらの企業が提供していたチップがメディアテックと最も違う点は.携帯電話メーカーが慣例に縛られて、以前と同じように多くの工程を自分でこなそうとしていたことだ.メディアテックからすると、クアルコムなどが提供しているチップはすべて「半完成品」である。一方でクアルコムなどからみると、メディアテックが作っているのは「超完成品」であり、「無駄に高度な作品」なのである。

業界の変化はときに観念上の小さな違いから作られる.クアルコムなどの企業がチップを大工場に作らせる場合、どの程度のものを作るかは考える必要がない。しかし、このように見ない人もおり、もしその人がほかの方法を実行するのであれば、すぐに成功者になれるだろう。

具体的にいうと、一台の携帯電話の製作工程にはまずチップがあり、チップの上にオープンインターフェースとプロトコルスタックを置かなければならない。これらは旧来のチップメーカー内での事情で、携帯電話メーカーはソフトウエアのユーザーインタフェース〔UI)を開発しなければならないなど、作業量はかなり多い。また、チップの生産から携帯電話を完成して出荷するまでのサイクルは大体半年から一年で、技術リスクがあるため、零細企業は手の出しようがない。メディアテックのこの種のビジネスモデルに対する最大の変革は、ユーザーインタフユース内に内包される一連のソフトウエアを提供し、ローカルに技術サービスの拠点を作ったことである。デザインハウスはメデイアテックの計画を手に入れてから個性を際立たせる改革を行った。たとえぱ腕時計型の携帯電話をデザインする場合、基板を腕時計の中に配置できるようにしなければならず、腕時計のような空間の中にいかにしてユーザーインタフェースを置くかというような改革を行う。デザインハウスと市場の間に携帯電話の組み立て事業者が存在し、彼らの間では機器のデザインについての橋渡しをしなければならない。純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。 p39-40

携帯電話の排他性はチップの寡占化によるものだが、ここにメディアテックという新興メーカーが山寨と結びつき山寨革命を押し進めることとなる。

メディアテックが創り出したターンキー方式(チップセットにマルチメディアをはじめさまざまな機能が最初から盛り込まれ、それだけで多様な携帯電話に対応可能にすること)は山寨革命にとって大きなカギとなった。蔡 明介氏はメディアテックのリーダーであり、後に尊敬と揶揄を込めて「山寨革命の父」と呼ばれる・・・。P41

山寨革命はメディアテックと共に、デジカメ、薄型液晶テレビ、ノートPCと進む。ノートPCはタブレット化して、ステーブジョプズのiphone/IPADの果実を追いかけているようでもある。本書では、2009年の時点でもあり、ページ数も少なく控えめな記述になっているが、先に述べたように大手家電メーカーが薄型テレビと共に崩落している様を観ると、革命は本書の唱えるような本物の様相を示し始めているのかもしれない。遠からず、電気自動車も山寨革命の標的になることだろう。

翻って、わが日本を観ると、まだまだ太平の時代を貪っているように思える。時代は変わっているのだが、その構造的な部分が見えていないのだろう。日本経済新聞、2/6/2012付けのコラム-「経営の視点」、30年変わらぬ家電業界-を観てみよう。

「間違いもしたが、ソニーだけではない。日本の家電産業には問題がある」。

経営交代を発表したソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長は、7年の在任期聞をこう振り返り、「日本の社会全体としての対応が必要だ」と語った。言葉尻では2200億円もの今年度赤字見通しの責任逃れにも聞こえる。しかし翌日にはパナソニックが7800億円の赤字見通しを発表。シャープも2900億円の赤字となるのを考えれば、確かにソニーだけの問題ではなさそうだ。「最大の要因は自前主義。大規模な工場投資にある」。パナソニックの大坪文雄社長は決算発表で自らの判断ミスをこう認めた。ライバルに対抗し、大型投資に打って出たことが裏目に出たというわけだ。ストリンガー氏は日本の問題に具体的には触れなかったが、答えは大坪氏の反省の弁にあろう。つまり自前主義の各社が横並びで集中的に投資し、結果的に商品の寿命を短くしてしまうという悪いクセだ。

源流は日本が世界の家電市揚を席巻した1980年代にさかのぼる。日本の強みは部品から製品まで一貫して作れる垂直統合モデルにあった。アナログ時代は製造段階での擦り合わせ技術が重要だったからだ。最たるものがテレビで、部品も自社生産すれば部品と製品の両方で稼げた。ブラウン管を持たなかったシャープが後に液晶に力を注いだのはそんな背景からだ。テレビは家の中央に鎮座するため、正面に自社のロゴを飾るのが重要なブランド戦略でもあった。そこで大成功を収めたのがソニーである。映像がきれいなトリニトロン方式のブラウン管で人気を呼び、自前のテレビ工場を海外にいくつも造った。

しかし、デジタル時代の到来で状況が一変する。アップルが工揚を時たなくていいのは、擦り合ねせの要らないデジタル家電は部品さえあれば誰でも作れるからだ。そこに各社が横並びで集中投資して生産すれば、値崩れが起きるのは当然。半導体もしかりだ。デジタル化でもう一つ変わったのが音楽や映像の視聴スタイルだ。

先週、上場申讃した米交流サイト(SNS)の「フェイスブック」や米動画共有サイト「ユーチューブ」」の登場は、放送番組しか見られないテレビを「古ぐさいもの」にしてしまったのである。日本の自前主義と横並びは実は30年前と変わっていない。当時は激しい競争で海外企業を廃業に追い込み、事業的には世界を制覇した。ところが「リビジョニスト」と呼ばれる米国の対日強硬論者が反発、「コンテイニング・ジャパン(日本封じ込め)」の声が上がったのはそのすく後だ。

ストリンガー氏はソニーの負の資産ともいえる海外のテレビ工場を大幅に減らすなど、構造改革に努めてきた。ようやくそれを終えた矢先に起きたのが、リーマン・ショックや東日本大震災、洪水などだった。映像出身のストリンガー氏は本当はアップルのようなハードとソフトの融合モデルを目指していた。従来型のモノ作りを韓国や中国に奪われたからだ。正念場の日本企業に求められるのはアップルを超える新しい事業モデルの創造である。(編集委員 関口和一)

漠然とは問題に辿り着けそうなのだが、もう一つ切り込みができていない。核心を突けない、どうにもわかっていない。そんな記事だと思うのだが、いかがだろうか。

いずれにせよ、新しいシステムは若い人が作って、馴染ませて、押し進めるということが必要だ。日本の若者はなかなか優れていると思う。ちょっと前に「空気を読め」というような言葉がはやったが、空気を読むことができるのは日本人だけだと思う。自信をもって進んで欲しい。若者よ、世界のために頑張れ。

若者に比べて、大人は今ひとつ。日本がダメになっているのは大人の責任だと思う。

考えてみれば「地デジ」て何だったんだろう。寡占化した企業と、官僚と、マスコミがつくりあげた幻想の最たるものが「地デジ」だったのではないだろうか。エコポイントで国民に薄型テレビを大量に売りつけたりはしたが、そのテレビの値下がりは与えたエコポイントの何十倍になるのではないか。というか、「地デジ」で何が変わったの?、何を変えようとしたの。「双方向」ってなに?携帯電話もそうだ、世界一高い通話料金で国民から金を貪っている。原発なんかも同じだ、世界一高い電気料金が宇宙一(え!?)になろうとしている。地デジもガラパゴス携帯も世界には奇妙に見える製品に違いない。反省のない失敗を積み重ねながら、若者を搾取しているのは、大人だよ、何とかしようぜ。

濃い蒸気船を三杯以上飲んでも、太平の惰眠からは醒めないかも知れないなあ。そういった社会の硬直状態こそ、革命の糸口には必要なのだろう。若者よ、硬直しただらしない社会こそチャンスだ。

変えちゃえ!!