熟年と性、愛は時空を超えるか?その4 工藤美代子-快楽IIをよんで

快楽Ⅱ – 熟年性愛の対価を読みました。とはいっても去年の暮れには読んでいたのですが。内容的には、シリーズ化してるから、それなりに過激にこなれた口調で、よりポップになったかなぁ。雑誌連載ですから、世の中に迎合するのもうまくできているみたいで、3.11もしっかりと反映されていました。

このところ、このブログでは、「エンディング・ノート」と「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を取り上げましたが、快楽Ⅱ – 熟年性愛の対価も同じような範疇にはいるのかなぁと思っているところでもあります。アマゾンのリンクを辿れば「カスタマー・レビュー」を読めますが、この時点では二人、いずれも男性で、かなり呆れた感じで評価しています。私も同じように思っているので、だいたいは男性の評価はこんなものなのでしょうか。

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」では、映画の最後の方に二人の最後のセックスが描かれています。高校生のように若いブラッピに比べて、老醜が避けられないケイト・ブランシェットの裸が(CGも駆使されていて)リアルでした。こころは変わらないといえるのは、若い肉体をもっているからで、ケイト・ブランシェットは語ることもなく部屋を去っていくのです。なんとも胸が締め付けられる描写でしたが、それからしばらくしてベンジャミンはこどもになり、赤ん坊になり、ケイト・ブランシェットの胸に抱かれて息を引き取ります。

ベンジャミンにとってのデイジー(ケイト・ブランシェット)は、幼女で、少女で、処女で、恋人で、妖女で、聖女で、淑女で、誘惑者で、ダンサーで、情婦で、母で、老婆で才女で、様々なありとあらゆる女性となっているのです。性もそのうちの大事なパートであります。目を背けることなく、直視していきましょう(できる範囲で)。男は、不都合が有れば、バイクにでも乗ってどこかに行くことができます。しかし、女性は家族を守らなければなりません。目を背けてはならないことが沢山あるのでしょう。辛いときは、ボケるのが一番かな?などと考えることもある今日この頃(そんなオチにしてどうする?)でもあります。

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