“管がぶれている”と報道する”マスコミがぶれている”

テレビ、新聞、雑誌などの大手マスコミの報道を見る限り、われわれは頼りのない首相に難渋しているかのようである。でも、国民はそのような大手マスコミの報道が信用できないことに気づきはじめているのかもしれない。

ナデシコジャパンの活躍を伝えるロイターのインターネット記事を読んでいると、右下に小さくアンケートがある。

ロイターオンライン調査

菅直人首相は「計画的、段階的に原発への依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べた。あなたはこの方針を

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ロイターオンライン調査

菅直人首相は「計画的、段階的に原発への依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べた。あなたはこの方針を

支持する (827 votes, 58%)

支持しない (610 votes, 42%)

まあ、こんなところだろうと思う。

翻って、今朝の日本経済新聞の一面左上端の記事を掲載してみよう。

場当たり政策で国は衰退 編集委員 実哲也

2011/7/14付日本経済新聞 朝刊

「投資や雇用の計画が立てにくくなったのがいちばん困る」。企業経営者は異口同音にそう語る。

裏付けないまま

それはそうだろう。福島第1原子力発電所の事故を受けて、多くのメーカーが関西などへの生産シフトを表明したのはわずか2カ月前のこと。気がついたら電力不足が最も深刻なのは関西圏内になりつつある。来春にもすべての原発が停止する可能性を誰が想定できただろうか。

目の前の電力危機をどう解決するのか。13日の記者会見で菅直人首相はその疑問に納得できる答えを出せないまま、高々と「脱原発依存」をぶちあげた。

定期検査を受けている原発の再稼働時期については曖昧なまま。電力不足は自家発電や節電で十分埋められるというが、数字の裏付けは欠いている。何よりもそれに伴うコスト上昇についての言及は全くなかった。親しい側近だけで場当たり的に決めたのではと勘繰りたくもなる。

福島の事故が原発の安全神話を崩し、エネルギー政策が抜本的な見直しを迫られているのは確かだ。原発依存度を2030年に53%にほぼ倍増させる計画は非現実的になった。風力や太陽光など再生可能エネルギーを大きく育てるとともに、技術革新で省電力を促進することが不可欠だ。

ただ、エネルギー政策の転換には複眼的なアプローチが欠かせない。安全性、コストの抑制、エネルギー源の国内確保、安定供給など様々な視点から検討すべきだ。例えば再生可能エネルギーを拡大する際には負担増を抑える方法も考える。原発についても使用済み核燃料処理なども含めたコストの判断が必要になるだろう。

どのくらいの時間をかけてエネルギー源を見直していくのかも重要な論点だ。「結論先にありき」ではない総合的な論議が求められる。

議論には幅広い世界から人材を集めなければならない。従来のように原子力の専門家や関係者だけで固めれば、電力供給体制のあり方を含めた抜本的な検討はできない。再生可能エネルギーやスマートグリッド(次世代送電網)など新技術に詳しい人材も参加すべきだ。

企業が逃げ出す

経済全体への影響がわかるメンバーも加える必要がある。ただでさえ高い法人税率や円高によって、日本企業を取り巻く環境は悪化している。世界の国々は企業や工場、人材を奪い合う競争を繰り広げている。電力供給やコスト面で不安が高まれば、企業の海外移転が思った以上に加速する可能性がある。

菅首相は気に入ったおもちゃを手にしては放り投げるようなことを繰り返してきた。消費税率の10%への引き上げ、環太平洋経済連携協定(TPP)推進など平成の開国……。どれも日本の将来を左右する重要課題だが、事実上、宙に浮いた形だ。本格的な復興予算の編成時期も遠のきつつある。政権の行方や方向性がわからず、霞が関も開店休業状態だ。

政治の気まぐれな政策決定は、途上国のカントリーリスクの一例としてしばしば挙げられる要素だ。場当たり的な対応をこれ以上繰り返せば「政治は三流」と笑っていられなくなる。少子高齢化や財政悪化など、ただでさえ難題を抱えた日本。政治の機能不全はそのまま国の衰退につながる道である。

嘘は言っていないが、真実にはほど遠いところにいる。「口舌の徒」と非難しておこう。

“政治の機能不全はそのまま国の衰退につながる道である。”が国の滅亡よりははるかに優れた道だ。”場当たり政策で”原発を捨てようとしている管を、今、現在、首相に戴いているということは、まさに日本の幸運と呼ばずしてなんと呼ぶのか。神風が吹いているとしか言いようがない。

さて、掲載した日本経済新聞の記事だが、なんど読んでも酷い。考え得るすべてを揚げて真実を覆い隠している。

原発推進は亡国への道であるという真実を。

 

管直人首相はがんばっている。

ここにきて、菅直人首相を評価し始めました。彼の存在こそが、原子力発電所を日本から駆逐する大きな力になっています。

与党、野党、マスコミ、官僚・・・、敵ばかりの中にあって超然と反原発に邁進しているのは立派です。前回は、読売の後出しじゃんけんともいえる書き換え記事についてのべましたが、今回は、意味が不明な日本経済新聞の社説を掲載しておきましょう。

混乱に輪かける唐突な原発テスト表明

2011/7/7付

海江田万里経済産業相が6日、全国の原子力発電所でストレステスト(耐性調査)と呼ぶ追加的な安全検査を実施すると表明した。地震や津波に襲われたとき、原発の設備が安全基準で定めた水準に対し、どの程度の余裕があるか調べる検査だ。

福島第1原発の事故を受け、ほかの原発で安全性を念入りに確かめること自体は妥当だ。しかし、定期検査で止まった原発の再稼働をめぐり地元が厳しい判断を迫られているなか、唐突な追加検査の実施表明は混乱に拍車を掛けている。

経産相はこれまで地元自治体に再稼働の要請を続けてきた。一方で、原発事故の発生から4カ月近くたっていきなりテスト実施を持ち出した。本来なら事故直後に始めるべきテストを、なぜ、この時期に実施すると発表したのか、理解に苦しむ。

定期検査で停止中の九州電力玄海原発2、3号機では地元が再開を容認する姿勢だった。だが佐賀県知事は「テストを待って判断するのが妥当」と、結論を先送りした。地元の自治体や住民は困惑し、かえって不信感を募らせている。

このままでは54ある原発すべてが1年以内に止まり、電力不足が深刻化して経済全体に影響が及ぶ。経産相は危機回避へ全力を尽くすというが、それを乗り越えるための具体的な手立てを示さなければならない。

菅直人首相はテスト実施の理由を自ら丁寧に説明すべきだ。首相は中部電力浜岡原発について政治判断で停止を指示し、これが発端になってほかの原発の運転再開が遅れている面がある。首相は佐賀県知事との面会も先送りしているが、これではあまりに無責任ではないか。

福島第1原発の事故を受け、欧州連合(EU)は域内の原発で素早くストレステストに着手した。日本でも実施する以上、細目を早く示し、国民が信頼できる検査体制を整えることが欠かせない。国の原子力安全委員会が関与し、「ダブルチェック体制」を機能させる必要がある。

原発の新設や運転再開では、まず原子力安全・保安院が安全性を審査し、それを安全委が重ねて点検する仕組みを取っている。班目春樹委員長はストレステストで大きな弱点が見つかれば「対策を実施するまで運転をすべきではない」と述べた。

安全委は原発事故へ対応が後手に回ったことで批判を浴び、政府は原子力安全を担う組織を再編する方針だ。しかし今の事態は急を要する。ここはひとまず安全委が「原子力安全の番人」たる役目を果たさなければ、その存在意義はない。

みなさん、この社説が何を言おうとしているのか分かりますか。不思議な文章ですね。原発を早く再開しろと言いたいのだが、言えない。

国会での自民党の質問も不思議です。この社説と同じで、再開を早くしろと促そうとしているのだが、うまく言えない。

今日は九電の「やらせメール」が発覚したのが、大きな話題になっているので、大手マスコミ、与党、野党、いずれも原発再開を早くしろとはますます言えなくなってしまいました。

新聞の書評と図書館の在庫

購読している日本経済新聞の毎週日曜日には書評が載っている。面白そうな本は、市立図書館のインターネットで検索することがある。在庫があるのは半分ぐらいかな。

今週は、ウィキリークスからフェイスブック革命まで 逆パノプティコン社会の到来 (ディスカヴァー携書)刑務所図書館の人びと―ハーバードを出て司書になった男の日記の二冊が興味をひいたので早速検索したところ、「ウィキリークスから・・・」は在庫無し、しかし「刑務所図書館の人びと」はなんと榴岡、宮城野、泉の図書館の三カ所に在庫があった。これは珍しい。

予約は、順番待ちとなり10番目なのだが、なんといっても在庫は豊富。じきに借りれることになりそうだ。

ちなみに、新聞の書評を再度眺めてみると、「知の広場」(ネット時代の図書館の役割探る)という本をみつけたので、これを市立図書館で検索してみると、やはり複数(宮城野、市立)の在庫があった。これも現在はすべて貸し出し中となっていた。

ビンラディン容疑者殺害報道 日本のマスコミはどうなっている?

日本のマスコミはどうなっているのか。

マスコミが醜態を露呈させつづけている。尖閣ビデオ、ウィキリークス、福島原発の次はピンラディン容疑者殺害報道が、マスコミを暴く。日本のマスコミはなんなんだ?

2011/05/03の日本経済新聞には、アメリカがビンラディンを殺害したことに何の批判も掲載されることはなかった。

いつもははぎれの良い、「連載コラム、春秋」が曖昧とした表現で何かを表現したかったのかと思ったのだが、買いかぶり過ぎかもしれない。とりあえず下に転載しておこう。

春秋

2011/5/3付

最初は、飛行機が操縦を誤ったらしいと伝えられた。やがて2機目が突っ込むのを、テレビの生中継で目の当たりにした。2001年9月11日。米同時テロの記憶は今でも鮮明だ。まして、米国民に与えた衝撃は大きかったことだろう。

▼第2次世界大戦でもなかった、米本土への直接攻撃。「歴史上、米国が受けた最悪の攻撃」ともいわれた。米政府は間もなく、ウサマ・ビンラディン容疑者を首謀者と断定した。彼が率いる国際テロ組織、アルカイダを最大の敵と位置付けて、世界的な規模で「テロとの戦い」を始めた。そして10年近くがたった。

▼米軍はついにビンラディン容疑者を殺害した。日曜の深夜にもかかわらず、オバマ大統領はホワイトハウスで緊急声明を発表し「正義がおこなわれた」と語った。全米の各地で米国民が「歴史的な勝利」を祝った。同時テロが生んだ悲劇を思えば、米国の人々が高揚感に包まれるのもわかるような気がするが……。

▼米政府は同容疑者殺害を発表すると同時に世界中でテロへの警戒を強めた。海外に渡航・在住している国民には反米暴力への注意を促した。米国が唱える「正義」に反発を覚える人も少なくないと、米政府もわきまえているようだ。いかなる法の下でも、テロは許されるはずがない。世界の現実は何とも気が重い。

最後の段落の「いかなる法の下でも、テロは許されるはずがない」というのは、アメリカの今回のピンラディン殺害「テロ」なのか、だから「気が重い」のか。てにおは、句読点に注意を払って読んだのだが、そうであったとしても、そうでなかったとしても、この記事は日本のマスコミがダメになっていることを表現している。とてもとても悲しい現実だ。

他国に無断で入り込み、容疑者を殺害し、水葬する。襲撃の一部始終を大統領をはじめとする政府高官がテレビモニターしていたという。

アメリカはいったいどんな国なのだろうか。日本の政府もマスコミもそれに対する疑問を口にすることもない。日本はいったいどんな国なのだろうか。

http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/582.htmlの記事に拍手をしておきました。

ネット革命にこそ、弱者の視点からの分析が必要

巷間、ネット革命についての論議が頻繁に取りざたされている。確かにジャスミン革命にはじまる世界同時多発ネット革命により世界は未だかつてないほどの激動を極めているわけで、こんなときほどな正確な現状分析が様々な観点から数多く求められているのだが、なかなか質の高い分析には巡り会えない状況だ。こんな時こそ、かつてのマルクス経済学が必要とされていると思うのだが、どうだろうか。

アメリカ帝国(主義ではなく、帝国にまで至ったといわれている)の極大化=資本主義世界のユダヤ金融支配の極大化→リーマンショックなどによる金融崩壊→国家金融資本主義の台頭→国家規模による世界経済搾取構造の極大化→ジャスミン革命に始まる世界同時多発革命時代の始まり→

私がざっと考えるところによると、上記のような骨格が浮かぶのだが、この骨格を補佐する現状分析にはなかなか巡り会えない。非常にもどかしい気がしています。

たとえば日本の場合、リーマンショックによる経済の建て直しが国を挙げて行われた。基幹産業は手厚く保護され、とくに銀行には0金利政策をはじめありとあらゆる補強が加えられた。銀行に限らず、車や家電の基幹産業については、エコポイントなどで大盤振る舞いされ、その甲斐あってか、大企業の回復は著しいものがあり、一部リーマンショックを超える利益をあげる企業も散見されるようになった。

しかしながら、一般庶民にその恩恵は回ることはなく、とくに若い人の経済的な困窮は回復の兆しさえない。むしろ、さらに悪化する方向にあるといえるでしょう。この、若者困窮化について、記憶に残るのは秋葉原通り魔事件です。この若者の派遣先での陰湿なイジメが引き金になったといわれているのですが、この派遣先での処遇などはあまり話題にはならず、この若者の特有な育ちに事件が集約されている状態です。昨日は「広島・高速バス横転 殺人未遂」がありましたが、これなども詳細に検討すれば、若者困窮化が必ずや背景にあると思います。

社会的な構造が不安定化すると、矛盾は弱いところへ先鋭化していきます。若者、老人、子供、女性などの弱者に抑圧がかかるようになります。

国際的でもそれは同じで、弱い国により多くの抑圧がかかっていきます。金融崩壊を前にアメリカ合衆国は未曾有の超金融緩和を実施、ドルが世界に蔓延して、資源の高騰化を招いているといわれますが、簡単にいうと、アメリカがドルを輪転機で多量に印刷して世界中から富みをアメリカに還流させているということです。ないところから富みを搾取されるわけですから、弱い国の弱い人々はますます食べていけなくなるわけです。

かつてマルクスはイギリスの困窮階層に胸をいためてユートピアを具体的に作成するために、科学的社会主義を掲げ「資本論」を書き始めました。そして、資本主義に内在する矛盾が世界恐慌などで極大化したときに、全世界同時に革命がおこることを予言したと言われます。この辺は、学生時代にあまり勉強しなかったのであやふやなのですが・・・。いざ、勉強しようと思っても、もう「マルクス」関係の書物はでていないのですね。

ソ連とか中国とか、北朝鮮とかが社会主義とか共産主義とか唱えて、すっかり評判の悪くなったマルクスですが、いわゆる共産主義国家というのは、革命の方便にマルクスを利用しただけで、マルクスの予言した社会主義国家ではありません。

で、なぜ今どきマルクスかというと、「弱者の視点」というのが実は大切ではないかということなのです。特に、今回のジャスミン革命にはじまる一連のネット革命は、この「弱者の視点」がないと見えてこないような気がします。