さて、「工藤美代子著、炎情―熟年離婚と性」からの続きです。ここで、参考図書として転生―古代エジプトから甦った女考古学者を紹介します。かつて巫女であったオンム・セティ(ドロシー・イーディ)は禁じられたセティ一世との愛が原因で処刑されたのだが、その愛は3000年以上も後に再び巡り会うことになる。
この本の著者、ジョナサン・コットはニューヨーク在住の作家・詩人。「ローリングストーン」誌の創刊以来の編集者。音楽家へのロング・インタビューや緻密な評伝を得意とし、『グレン・グルードとの対話』(邦訳・晶文社)、『シュトックハウゼン』、『ボブ・ディラン』などの編著書がある。現代の児童文学者たちに取材した『子どもの本の8人―夜明けの笛吹きたち―』(邦訳・晶文社)や小泉八雲の研究書『さまよう魂―ラフカディオ・ハーンの遍歴―』(邦訳・文藝春秋)などの作品もある。奇しくも工藤美代子女史とは、ラフカディオ・ハーンつながりということになります。転生―古代エジプトから甦った女考古学者では、転生などの誤解を招くような不可思議な話については、慎重に取材や記述をしているようだ。
3000年の恋は、今生においても結ばれるのですが、早速その記述部分を紹介しましょう。
しかし、ドロシーにとって避けられない最終目的であったアビドスへの「帰還」が遅れたいちばん大きな理由は、彼女の秘密の愛人、セティ一世との情熱的潅恋愛に関係していた。それはアストラル・トリップ[肉体を離れて自由に移動すること]や、物質化[霊あるいは実体の未知の働きにより物質が形成される作用]、それに超白然的な「幽霊の恋人」[目に見えない魂の伴侶]など、言語を超えた神秘的世界にかかわる話になる。
ドロシー・イーディーはけっして他人の家に泊まろうとしなかった。ドロシーの親友でさえ、その理由を知らなかった。あるドロシーの女友だちは回想している。あるとき、夕食がたいへん遅くなり、ドロシーの友人は家に帰るたがるドロシーをなんとか説得して泊まっていってもらった。真夜中、女友だらは客室の窓を間断なく叩く奇妙な音に気ついて、目を覚ました。悪い予感がして、彼女は起きあがった。
そっと客室に入ったとたん、彼女は恐怖と不安に襲われた。ドロシーがほとんど血の気を失って、死んだように横たわっていたからである。空気が必要だと考えた女友だちは窓を開けた。驚いたことに昏蹊状態にあったドロシーは、魔法から覚めたように甦った。翌朝、女友だちがこの出来事について話しだすと、ドロシーはようやくわけをうち明けた。自分が眠っているとき、アク[古代エジプト用語=アストラル体]がしばしば肉体を離れることがあり、窓が大きく開いていないと戻ってこられなくなるのだ、と。
私がエジプトにやってくると、王様はふたたび現れるようになった。ドロシー・イーディーは、あるとき友人のハニー・エル・ゼイニにに語った。ハニー・エル・ゼイニは、トロシーがファラオの恋人についての物語をすへて判ち明けた唯一の人物である。ー十四歳のときの初めての出会い以来、私はふたたび王様に会えるのをずっと待っていたわ。けれども、王様がおいでになったのは、私が結婚してからだった。王様に会うためにはエジブトに行かねはならないことは心の奥深くではわかっていた。けれども、一方では、たとえ私がインクランドだろうと、エジプトだろうと、どこにいようが、王様にとってそんな距離は無いに等しいことも知っていた。
王様は古代エジプトの道徳観に縛られていたのね。私が結婚していたときには、王様は私を眺めるだけだった。ふだん王様は物質的な姿では現れなかった。私は王様の存在を感じるだけだった。けれども、そうでないこともあった。私の母や義理の父、それに一度は私の息子が、王様の姿を目撃したことがある。・・・そのことが<評議会>の機嫌を大いに損ねたらしいわ。p76-77
何度もアストラル体の姿で王様を訪ねて、すてきな夜を過ごしたわ。大神官のメリイとその愚かな妻のこと.大神官ウェンネフェルのごと、それにセティの家来たちのことも覚えている。ラメセス[セティの息子で王位の継承者]がいたときもあった。まだ若かったラメセスは、馬の引き具をもてあそびながら、鼻歌を口ずさんでいた。元気がよくて、すてきな方だった。それにとてもハンサムだった。・・・その晩、王様がおっしゃったの。今後、人聞として物質化して、そなたのもとを訪れてもよいかと。王様は、自分の気持ちを察してもらいたかったのね。ラメセスは鷹のような目で見つめていたわ。私はいった。もちろんですとも、と。
私は王様に訊ねた。私が十四歳のとき、どうしてサフ[ミイラ]の姿で私のところに来る許可が下りたのですか、と。王様はこうお答えになった.『地上で最後に自分自身を見たときの姿になったときのみ、そなたを訪れることを許されたからだ』と。初めて出会ったとき、王様は五十代前半で、私は十代の少女ベントレシャイトだった。だから、ふたたび会うときも、まったく同じようにして再会したいとお望みになったの。けれども、王様は、ご自分が最後に見た自身のお姿がミイラだったことをすっかり忘れていた。王様は『サフの姿でそなたの前に現れたとき、そなたをたいそう脅えさせてしまった。そのことで.余は〈評議会〉から厳しく非難されたのだ』とおっしゃった。きっと、そのために王様は何年もの間、私に会うのを禁じられてしまったのだと思う。
いま、王様は、生きておられたときの姿で私のところにおいでになる。いつも五十代の前半の男性の姿で現れる。・・・でも、とても魅力的で、若く見えるの。王様が亡くなったのは、六十三歳のときだった。一方ラメセスは九十歳くらいまで生きたのに、二十二、三の若者の姿をしていた。不思議に思って、いちど王様に訊ねた。王様は、どの歳の姿で現れるかは、自分で選ぶことができるのだとおっしゃった。ただし、死んだ歳よりも老いた姿にはなれない……子供のときに死んだ者が、大人の姿で現れることはできないというわけね。王様は、ほとんどの者は自分が地上でもっとも幸せだった頃の姿を選ぶとおっしゃった。だからラメセスも、いつまでもカデシュの戦いのときの若い英雄の姿でいたかったのでしょうね。私は王様に訊ねた。どうして、即位したときの歳を選ばなかったのかと。
そのときの王様の答えを覚えている。『王になることは幸福ではなかった。それは辛い徒労にほかならなかった』陛下が選んだのは、ベントレシャイと知り合い、彼女を愛した年齢、つまり五十四歳だった。その短い数週間こそ、全人生の中でもっとも幸福な時期だったと、王様はおっしゃった。黄泉の国では、人生の中のどの年齢の姿で現れるかは完全に自由なのだ。また、黄泉の国での肉体は、完全に健康な状態にあるともいった。たとえ、地上の人生で事故や病気によって手足を失ったり、口が見えなかったり、あるいは傷を負ったり、からだが不白由になっていたとしても、アメンティではそのことで苦痛をもたらされることはない。
カイロに暮らした最初の二年間、私は結婚していたため、自由な身ではなかった。〈評議会〉は王様の罪を許していたけれど、それでもまだ〈物質化〉することは許さなかった。……つまり、私の了解なしには、物質的な姿で現れることはできなかったの。でもアメンティを訪れたとき、私は王様の望みを了解した。そうしなくては、私は王様を見ることも、触れることもできなかったのだから。王様の物質化には、私白身の同意が不可欠だった。物質化するには、私のセケム[霊的な力]が必要で肉体的なカも少し関係していた。それから会うたびに、王様の姿ははっきりとしてきたわ。逢瀬の時間が長くても短くても、彼が去ったあと、私はある種の肉体的な疲れを感じたものよ。くたびれていたり、気分が悪かったり、病気だったりしたときは、王様が行かれたあと、疲れはてて、すっかり消耗してしまうこともあった。だから、王様は地上を訪れる前に、私の了解を取り付けなくてはならなかったのだろうと思う。それはきっとアメンティの決まりなのね。生者の暮らしを妨げないよう、まず死者は白分たちが物質化した姿で現れることを了解してもらわなくてはならないのね。
あるとき、王様に訊いたことがある。どうやってご自分を物質化させる方法を知ったのですか、と王様は、自分は地上に生きていたときに、そのやり方を学んだのだとおっしゃった。初めて私のもとに物質化して姿を現されたときに、ふつうの男女のように関係が結べるかしらなんて訊く必要などなかった。……だって、彼はご白分の性的能力を実証したのだもの。けれども、子供ができる見込みはなかった。朝早く、そう、いつも夜明け前だった。王様が去ったあと、そのしるしはなにも残っていなかったから。王様はアメンティで私と結婚しようといった。それには及びませんわといったのだけど、王様は、いや必要なのだとおっしゃった。私のアストラル体を連れていくことや、そこでどのような形式で結婚するかについては、なにもいわれなかった。おそらく、王様は、私が死んで、結婚できるようになるまで待たなくてはならないのをご存じだったのでしょうね。p80-82
ドロシーとセテイ1世について、若干の捕捉をしてみる。
ドロシー・イーディは、幼少の頃よりかつてエジプトに住んでいたというようになる。彼女は巫女としてエジプトに住んでいたが、そのときのファラオ、セティ1世と禁じられた恋に落ち、若くして処刑される。それから3000年の時を経てイギリスに転生。同じく、最愛の恋人をうしなったセティ1世は死後の世界にて彼女を捜し求めつづけていた。ドロシーが14歳の時に、セティ1世はドロシー(エジプトでの名前はベントレシャイト)と出会うことになる(ミイラの姿をしていたために、ドロシーを驚かせてしまう)。
さて、ドロシーはエジプト人と結婚し、エジプトに渡り、一人の子供を得てから離婚、考古学者として名を馳せるようになる。セティ1世との愛は今生において成就できたようだ。この愛については、ドロシーには、有名な(秘密の)日記がある。そこでは、上記に関して次のように書かれている。
初めてセティ王とお話しするようになったときから、私は王様に、アビドスに暮らして、神殿で働きたいという生涯の希望について話してきた。王様は、私の願いにいつも賛成してくれた。ときには.この願いがかなわないのではないかと悲観的になっている私を励ましてくれた。そして、自分たちの運命を成就するためにも、アビドスに戻るべきなのだといってくださった.アビドスの神殿での仕事への派遣がついに決まって、考古局から知らせを受け取った数日後、王様はピラミッドのところで、私の前に姿を現された。アビドス行きが決まったごとを告げると、とても喜んでくださった。「心から嬉しく思う、愛しい入よ」と王様はおっしゃった.一晩中、王様は私といっしょにいて、絶妙な仕方で愛してくださった。お帰りになる前に、「明日の晩、神官をつかわすので余のもとに来るがよい。そなたに伝えなくてはならないことがあるのだよ、我が白い蓮の花よ」とおっしゃった。それが私たちが愛を交わした最後の晩だった.このうえなく甘美な時間だった.王様は私のそばに横たわり、何度も抱き合い、ロづけをした。しかし、これが最後だった。なぜなら、これからは私たちの間に、抜き身の剣のように神殿が立ちはだかることになるからだ。
次の日の晩、初めて会う神官が私のアストラル体を連れに来た。私は王様のお住まいに案内された。王様は独りでいらした。穏やかではあったが、厳粛な雰囲気があった。私を愛情をこめて抱擁すると、そばに座るようにとおっしゃった。長年の間、私はオシリスとイシスの祭りの目には、自宅の彫像の前でお香をたくごとを欠かさなかった。しかし、このとき王様は、私がアビドスに戻ったら、神殿のお祭りの日を守らなくてはならないとおっしゃった(むろん.そのつもりだった)。また、お香をたき、ワインかビールを供え.神秘劇の中で二人の女神たちが歌った「イシスとネフティスの悲歌』を暗誦しなくてはならないともいわれた。私が「けれども陛下、私は悲歌を思い出せません」というと、王様はおっしゃった。「悲歌なら文書として書かれているはずだ。残ってはいないのかね」「悲歌の書かれた本なら持っています。けれども、それは異邦人の言葉で書かれたものです」王様は、言葉は問題ではないとおっしゃった。「神々はいっさいをご存じでおられる.神々は心の内にあるものをお聴きになるからだ」私は王様の前で誓いを立てた。今後.ずっとこの約束を守ることを。
しばらく黙ってすわっていた。それから王様は私の両手を取って、おごそかだが、緊張をはらんだ声でおっしゃった。なにが起こったのかを理解しなくてはならないと。「運命の車輪が回転して、輪が完成したのだ。いまこのときから、そなたの地上での人生が終わるまで、そなたはふたたび神殿に属するものとなった。そなたはもはや余に触れるごとはできない.余だけではなく、いかなる男にも触れてはならない」私は泣き出した。そしてアビドス行きをやめるとまでいった。すると、王様は私をやさしく揺すって、「可愛い入、そなたはふたたび過ちを犯そうというのかな」とおっしゃった。
王様は、これは二人にとっての試練の時期なのだ、誘惑に打ち勝ってアビドスで残りの人生を送るならば、自分たちの罪は許され、私は永遠に陛下のものになる、とおっしゃった。またお会いできるのでしょうか、と私は訊ねた。王様は.かならず、そなたに会いにアビドスへ行くとおっしゃった。
「以前のように、実体のない霊魂の姿でおいでになるのでしょうか」と私は訊いた。すると王様は「愛する人よ、そうではない。余は生ける入間の姿で、そなたのもとに現れるであろう。そなたのロづけや抱擁を控えることなど、余にはできない」とおっしゃった。「それが誘惑なのでしょうか」私が訊ねると、王様はこうおっしゃった。「誘惑のないところに、試練はない.だが、愛する入よ、余が強くいられるよう助けてほしい。そして泣かないでほしい。余は、そなたを愛することをけっしてやめはしない」王様は服の袖ロで私の涙を拭ってくださった。私はいった。「どうして、陛下に触れてはならないのですか。アビドスに行くのは神殿の修復のためであって、巫女として行くわけではありません。それにご存じのとおり、私は処女ではありません」王様ほ、これは運命の導きであること、そして私が「悲歌」を暗誦すると誓ったではないかとおっしゃった。王様は私にロづけし、いい子だ、とおっしゃった。また王様は、そなたが今までピラミッドのそばで暮らしていた間、ともに幸福な年月を過ごせたことを感謝しているとおっしゃった。王様はすてきな言葉をロにされた。「そなたの愛は、余の心の傷を癒してぐれる薬のようだ」と。私はふたたび泣きだしそうになった。
しかし、そのときいつものように騒かしい音をたてて、ラメセスが到着した。お互いに挨拶を交わすと、セティはラメセスに事のてんまつを話した。ラメセスは、私たちを祝福してくれた。だが、私にはラメセスが少し心配しているように見えた。セティはラメセスに、何を案じているのかと声をかけると、微笑みながらいった。「怖れるな、我が息子よ。われわれはいまこそ、強くあらねばならないのだから」これに応えて、ラメセスは「神々のご加護のありますように!」といった。セティとラメセスは乾杯をしようといった。ラメセスが飲み物を運んできた。私はいつものように二人にワインを注いだ。ラメセスの励ましが、張りつめた緊張感を断ち切ってくれた。やがて行かねばならない時が来た.神官が私を連れに来た。セティはいつもの穏やかな表情だった。
私がアビトスへ向かったのは、それから数日後だった。 p88-91
転生―古代エジプトから甦った女考古学者は、なかなか幅広い内容であり、上記引用で、、書籍全体がきわものであるかのような誤解がないようお願いいたします。
さて、引用部分から解るのは、肉体を離れたセックス(?)もしくは肉体を超えたセックスともよべるものが存在しているらしいということだ。肉体がないからといって無味乾燥した男女関係というものではなく、むしろセックスを超えたセックスがあるのではないかとすら思えてくる。愛のために、肉体上の問題、勃たないとか、濡れないとかに拘泥しなくともいいのではないかということを提起したいのだが、いかがだろうか。
古代エジプトの十代の巫女ベンシャトーレとファラオ、セティ1世(当時は54歳)。二人の3000年以上もの時を超える壮大なロマンスに敬意を表して、最後に松任谷由実のリインカーネーションを置いておこう。
※Once upon a time 遥かな過去から/今日まであなたを求めて/REINCARNATION※
恋人達はときどき/不思議なミラーをのぞく
二人は知らない時代/どこかで一度めぐり逢っていたはず
静かな台風の目に/蝶々が運ばれるように
二人の愛は旅して/あるとき遠い国までたどり着く
(※くり返し)
恋人達はときどき/不思議なワープをくぐる
二人は気づかぬうちに/同じあやまちをくり返すかもしれない
生まれた川をめざして/魚が帰るように
二人の愛は旅して/ときには時の流れを逆のぼる
Once upon a time 時間にはぐれて/ 今日まで宇宙をさまよい/REINCARNATION
熱い腕の中で 今 DE JA VUを見てた/なつかしい景色へ さあつれてって
Far beyond time この次死んでも/いつしかあなたを見つける
Far beyond time この次死んでも/いつしかあなたを見つける/REINCARNATION
Once upon a time 遥かな過去から/今日まであなたを求めて/REINCARNATION
Far beyond time この次死んでも/いつしかあなたを見つける/REINCARNATION