今、香川のように見せ場を創り続ける、小沢一郎が面白い。

週刊ポスト2012年7月13日号は、ぶち抜き14ページ報じられなかった「小沢政局」全内幕として小沢一郎を前面フィーチャリングしている。いつも雑誌を立ち読みして済ましているのだが、今回は品切れしているところが多く、仕方なく近くのコンビニでポストを購入してしまった。

原発で、尻尾をさらけ出すことになった日本の権力支配構造が、「小沢一郎」という別の角度からあぶり出されている。ということで、週刊ポストの巻頭を飾る鳥越俊太郎氏と長谷川幸洋氏の対談箇所をご紹介したい。

対談の中での長谷川氏のコメント「・・・マスコミの異常ともいえる小沢パッシング・・・。一方、それでも政治の中心に居続ける小沢氏のタフさには正直、驚きます。」はかなりの人が同意見だろうとおもう。マスコミのみならず、検察をはじめとするエリート官僚のタックルや周到に仕掛けられた罠を巧みにかわし続ける小沢の所作は、意外とファンが多いのではないだろうか。

「政治の節目節目で必ず大きな役割を演じ続けてきたけど、こんな政治家は過去にはいなかったし、アメリカや諸外国の政界を見渡しても珍しい(鳥越)」、ロッキーのようにタフで、イチローのように俊足、かつ香川のように見せ場を作り続ける、稀代の政治家をこれからも、ライブでウォッチングしていきましょう。

緊急対論「人物破壊」20年の真実を追う

霞が関か、アメリカか、それとも日本のドンなのか

鳥越俊太郎 X 長谷川幸洋

「小沢一郎を消せ」と命じた本当の黒幕は誰か

 国際謀略から闇献金、果ては家庭問題まで、徹底した執拗な小沢バッシングは20年に及ぶが、いずれも空振りに終わり、政治家・小沢はまだ生きている。それだけでも稀有な存在だが、なぜ小沢氏だけがこれほどまでに狙われるのか。20年前から「この男を見続ける」と注目し、ウォッチしてきた鳥越俊太郎氏と、一線を画して小沢氏の政治手法に批判的な立場をとる長谷川幸洋氏は、しかし「小沢叩きの異様さと黒幕」で意見が一致した。

鳥越 私が小沢一郎という政治家に注目したの」は20年以上前、たしか官房副長官だった頃で、自分の番組『ザ・スクープ』で直撃取材したことがある。47歳で自民党幹事長になり、私は日本を動かす政治家としての存在感を感じ、番組で、「この男をこれからも見続けていきます」と」宣言しました。その通り、彼は政治の節目節目で必ず大きな役割を演じ続けてきたけど、こんな政治家は過去にはいなかったし、アメリカや諸外国の政界を見渡しても珍しい。

長谷川 私は小沢民に会ったことはないし、鳥越さんほど長く注目してきたわけではありません。私が注目したのは西松建設事件や陸山会事件そのものより、むしろマスコミの異常ともいえる小沢パッシングからでした。一方、それでも政治の中心に居続ける小沢氏のタフさには正直、驚きます。それが小沢神話につながっているのかもしれません。

鳥越 私も報道は常軌を逸していると感じました。

長谷川 秘密の捜査のはずなのにこれでもか、」と、毎日のように小沢批判記事」が出た。、明ちかにネタ元は検察です。マスコミがあそこまで情報を当局に依存することも異常だし、今となってみると、捜査報告書はデタラメ「西松建設からの違法献金は訴因からも外れ、陸山会事件では、どうでもいいような「期ズレ」が争点だっ」た。はっきりいえば検察がデッチ上げたような事件だったと思います。

鳥越 異様さの象徴といえるのが、ゼネコンへの一斉家宅捜索でした(10年1月)。

検祭は胆沢(いさわ)ダム建設で「天の声」があり、その見返りとして小沢兵にカネが渡ったというストーリーを描ぎ、大手ゼネヨンにも一斉捜索をかけた。テレビも新聞も、その様子を大きく報じたが、その後どうなったかの報道は一切ない。何も出ないまま立ち消えになりました。しかし国民には”大捜査を受ける小沢”というイメージだけが植えつけられて残る。

長谷川さんが指摘されたように、西松建設事件はおろか、微罪にすぎない陸山会事件ですら、検察は2回も不起訴決定をした。つまり何も犯罪行為は認められなかったわけです。それと国民が受けたイメージはあまりにも違う。

長谷川 検察審査会が小沢」氏を「起訴相当」と議決する根拠のひとつになった田代政弘・検事の「捜査報告書」は完全なデタラメ。特捜部長に宛てた副部長の報告書も佐久間達哉・前特捜部長が自分で書いていた、と報じられた。それに小川敏夫・前法相によれば、田代報告書にも文体に不統一な点があって、実は佐久間部長の手が入っていた可能性がある。こうなるともう検察による重大な犯罪です。本来なら大阪の郵便不正事件で証拠を捏造して実刑判決を受けた前田恒彦・元検事より罪刑が重ぐなる可能性がある行為です。

鳥越 そもそも検審に対して検察が説明すべきは、なぜ自分たちが不起訴にしたのかという理由でしょう。それなのに逆に「小沢はこんな悪い奴だ」と印象づける報告書を作った。これを検察の内部処分で済ますことは許されない。

 官僚が警戒する「危険人物」

鳥越 検察が事件を作り上げたのは「小沢だから」という面があると思います。

93年に自民党を割った小沢氏は、わずか2日で新生党を結成して細川政権を立ち上げ、自民党を野党に転落させてしまった。そういう政治勘を恐れる者は少なくない。もし彼が権力の座に就けば、これまでいい加減なごとをしてきた検祭、司法にも手を突っ込んでくるかもしれない。そういう危機感から始まっているのかもしれません。

長谷川 同感ですが、少し違う点も指摘したい。ずばりいうと、小沢兵は「霞が関」の虎の尾を踏んだのではないか。そこには「暗黒捜査」を続けてきた法務・検察も含まれるでしょうが、本質的に小沢氏は霞か関にとって危険人物だった。

93年に上梓した『目本改造計画』は、今読んでも色あせないことが書いてある。まず官邸機能の強化や、政府と与党の一元化など、政策決定プロセスをがらりと変えようとしていた。さらに地域主権を主張し、地方分権基本法を提唱している。

鳥越 「官から政へ」という小択氏の理念はその傾から変わっていないし、民主党政権になってから事務次官会議を廃止するなど、一部はその方向で動いた。今はそういう政権の姿ではなくなってしまったが。

長谷川 官僚がそれを絶対に許さないからです。

これは堺屋太一さんに教えてもらった話ですが、彼は通産官僚として70年の大阪万博を推進した。それが省内から猛烈な反発を受け、省の部屋に閉じ込められたこともあった。なぜか。霞が関にとって、もっとも重要なのは東京一極集中であり、中央集権体制の維持だからです。60年代というのは、そうした官僚の悲願が成就された時代で、そのなかで「大阪万博」などもっての外だった、」と。

小沢氏は93年の時点で官僚システムを根本的に変えようと主張していた。霞が関にとっては前に立ちはだかった最初の力ある政治家だったのでしょう。小沢氏が「中央集権を壊す可能性がある脅威」と映ったのは間違いない。実は、霞が関には世間にはよく知られていない最高レベルの秘密会合もあるんですよ。

鳥越 それこそ事務次官会議でもあったし、官房長が横の連絡を取り合うたりすることもありますね。

長谷脚 それももちろん重要です。が、実は非公式の”最高会議”が別にある。それは財務省と法務・検察の首脳、それに官僚の最高ポストである事務担当の官房副長官が集まる会合です。財務・国税と法務・検察は事務次官をはじめ、さまざまなレベルで日常的に連絡を取り合っていて、人事の交流もある.

島越 それが事実とすれば、「この政治家は危ないから排除しよう」「あの政治家のスキャンダルを探しておいてくれ」といった官僚による政治支配の談合になる。

長谷川その結果かどうかはわかりませんが、私は3年前の政権交代直前から、鳩山政権は駄目だろうと思っていました。

なぜかというと、鳩山氏は09年の2月に「政権を取ったら霞が関の局長級はいったん全員、辞表を書いてもらう」といっていたのに、政権交代前の6月には辞表の件を撤回した。あれっ、と思ったら、ちょうどその頃、鳩山氏には「故人献金問題」(※1)」や母親からの「子ども手当(※2)」

などのスキャンダルが表沙汰になった。それで折れてしまったに違いありません。

小沢氏に対しては同じ頃に西松建設事件が起ぎ、霞が関はこれで脱官僚路線を止められると思ったでしょうが、こちらは不発に終わったわけです。

※1 故人献金問題/09年6月、旭山由紀夫・元首相の資金管理団体・友愛政経懇話会の政治資金収支報告書・(05~08年)に、既に亡くなっている人や実際に寄付していない人から個人献金があったかのように虚偽記載されていることが発覚。4年間で計193件、2177万円。

※2 子ども手当/①9年nE:鳩山元首相や弟の鵡山邦夫・元総務相が、実母から巨額の資金提供を受けていたことが判明.利息を払っておらず、贈与税逃れを指摘された。後日、鳩山元首相はそのうち12億4500万円を贈与財産として申告し、6億円の贈与税を支払った。

 米国の虎の尾も踏んだ?

鳥越 これは直感的なものでしかないが、霞が関や法務・検祭に加え、「小沢間題」にはどうもアメリカが関わってるんじゃないかという気がしてならない。

戦後の日米関係は、歴代の自民党政権がそうであったように、アメリカのいいなりでした。毎年、アメリカから日本に「改革要望書」が突きつけられ、アメリカに都合のよいように日本の制度や法律がどんどん変えられていきました。例えば、アメリカの大手小売店が日本進出したいと思えば、「大規模小売店舗法を廃止せよ」と”要望”し、日本はそれを”お説ごもっとも”と聞き入れる。その結果、日本中にシャッター通りができた。

小沢氏は、自民党時代に厳しい日米交渉を経験している。官房副長官としては異例の政府特使になり、建設交渉、電気通信交渉でアメリカとガンガンやり合ったタフ・ネゴシエーター。アメリカは警戒すべき人物だと思ったことでしょう。

長谷川 そこは、どうでしょうか。さきほどの話と合わせていうなら、霞が関にとって日米基軸は絶対不可侵の話です。だからアメリカを怒らせる政治家は危険人物ですが、『日本改造計画』の頃の小沢氏ははっきりと日米基軸を主張しています。いつから日米中の「正三角形論」になったのかはよくわかりませんが、そうしたわかりにくい政治姿勢が不信感を招いたという見方はできます。

鳥越 小沢氏は今でも日米基軸でしょう。ただ、いいなりではなく、主張すべきは主張する点がこれまでの親米派と違う。期待感からそう思うのかもしれないが、普天間問題でもオスプレイの配備計画でも、もし「小沢総理」なら違う展開を見せたのではないですか。

長谷川 政治家としての小沢氏については、私は批判的です。著書や会見などでの主張は筋が通っているし、傾聴に値する点も多い。でもそれは表の話。裏では違う顔を見せることがある。

党と政府の一体化は従来からの主張で、鳩山政権では幹事長として政府の政策に深く関与した。例えばガソリン税の暫定税率廃止をひっくり返したのは当時、幹事長だった小沢氏でした。これはマニフェスト破りの第1号です。ところが、小沢氏はその決定について自らきちんと説明していない。著書では幹事長は入閣すぺきだと主張していて、そこはまだ実現していなかったというのかもしれませんが、それならそれで幹事長の自分が説明しなければならない。理念と実際の行動に差がある。

鳥越 細川政権で実験済みなのでしょう』あの時は、政権の主導権を握りたい新党さきがけの武村正義代表と角突き合わせる関係で、小沢氏は思うようにならないとすぐに雲隠れした。

国民福祉税も、本当は小沢氏と大蔵省の斎藤次郎・事務次官が諌り上げた政策で、細川総理の突然の発表が猛批判されて潰れたが、そういう黒幕のように動くやり方がマイナスイメージを招き、実際より巨大な悪役に見せている面はある。

長谷川 表できれいなことをいうのなら、政策決定のプロセスと結論はきちんと説明してもらいたい。斎藤元次官は鳩山政権発足直後に日本郵政の社長に就きましたが、これだって国民新党の亀井静香氏と小沢氏の差配とされている。この一発で官僚は大手をふって天下りできるようになってしまった。脱官僚路線はあれで壊れたといってもいい。

鳥越 「夫入の手紙」はどう見ますか? 私はあまりにも”うまくでぎてる”印象と、消費増税の採決直前という報じられたタイミングから、これは誰かが仕組んだなと感じました。

長谷川 心情の記述などはよく書けていて、これは本物かなと思わせる内容ではありましたね。

鳥越 その”小沢ならあるだろう〃という多くの人の気持ちに合わせて作られたストーリーであるところが怪しい。少なくとも、あのような私的な内容を、真偽の確認もないまま新聞までが報じることは疑問です。

やはり小沢兵は必要以上に恐れられているような気がしてなりません。

長谷川 簡単にいえば」「記者に嫌われている」ということでしょう。霞が関は本当に恐れているかもしれないが、例えばマスコミの人間はもっと単純に、ネタをくれない、仲の悪い記者はシカトする、気配りをしてくれない、というような理由で小沢氏を嫌っているんじゃないですか。

小沢氏の側近は議員も記者も切られてしまうと、切られた理由もわからず、電話にも出てもらえなくなるんだそうですね。「20回もメシを食ったが、1回しかおごってくれない。あいつはケチだ」、といった高名な評論家もいます(笑い)。

それに霞が関が嫌う人人間をよく書く記者がいないことも事実。新大臣の人物評などは、実は官僚がくれた話とか評価をそのまま書く。逆に官僚が「あいつは駄目」だ」といえば、そのまま悪口を書いたりする。

鳥越」それでも生き残るところも小沢兵の稀有な点。今回も小沢支持票ではないにしろ、57人もの民主党議員が造反に同調した。逆説的だが、特捜部に徹底的に狙われ、マスコミに叩かれ続けたことで、それでも潰されない小沢ってスゴイなという人もいる。、

長谷川 そこに殉教者のような雰囲気を感じる国民もいるでしょうね。

なぜ小沢氏が政治にこだわるか? それはもちろん、権力への欲望でしょう。それは別に否定も批判もしませんけど、あれくらいの「重要人物」はもっと国民の前で語ってもらわないといけないと思います。

鳥越 小沢氏はこれまでも総理大臣になろうと思えばなれた。それをせず、しかしここまで叩かれても政治に身を置き続けるのは、やはり日本に足りないもの、政治家として成し静げたいものが残っているからではないか。その志があることは、私は信じたい。

 

違法性はゼロ!”小沢疑惑&枇判や20年史プレイバック

「東京佐川急便」疑惑 92年10月、経世会会長の金丸信・副総理が佐川急便からの5憶円闇献金で議員辞職。93年2月、小沢・前幹事長が衆院予算委員会に証人喚問された。メディアや野党議員は「具体的な証拠はないが貴任は重い」と追及。

「細川政権で二重権力」批判 93年8月、細川政権誕生.自民党と新党さきがけの武村正義代表は、小沢・新生党代表幹事が裏で権力を握っているという「二重権力」批判を展開し、政権奪回のためだけに政策が真逆の自民党と社会党を連立させる「自社さ政権」を成立させた。

「自由党資金を横領」疑惑 03年9月、自由党が民主党に合流する直前、党資金13億6816万円が政治資金団体「改革国民会議」に寄付された。それで「小沢党首が堂資金を横領した」と批報されたが、改革国民会議は小沢氏の関係団体ではない。小沢氏は裁判で、「同じ忠を持った同志のために使う。個人でその金に一銭も手を付けていない」と明言。使途ほすべて公開されている(政治塾の費用など)。10年末の残高は9億7409万円で、7年経つが10億円近い資金が残る。

「政治資金で不動産購入」批判 06年5月、陸山会が不動産を購入していると報道。「政治資金で購入したのに小沢個人名義になっている」と批判された。しかし、それは政治団体が所有者として登記できないため。また「賃貸収入が目的だ」との批判には、小沢サイドは「収入は陸山会に入るので小沢個人の利殖はない」「本人の関連団体に賃貸しており、陸山会にも利殖目的はない」「無償で貸す方が問題」と反論した。その後、政治資金で不動産を購入しているのは小沢氏だけではなく、自民党の町村信孝氏らも購入していることが明らかに。

「夫人が不動産購入」批判 08年9月、世田谷区深沢の白宅近くに、和子失人名義の土地建物(2棟)があり、秘書らが住んでいることが、”隠し資産”と報道された。ただ、未人は中堅ゼネコンの創業者一族。136万6000株を保有する大株主で、もともと多くの資産を持つている。

「西松建設事件」疑惑 08年11月、東京地検特捜部が不正軽理(裏金)容疑で西松建設本社を家宅捜索し、「裏献金」(迂回献金]の疑惑に発展。西松建設は2つの政治団体を設立し、そごを通して小沢氏ほか、二階俊博氏、加藤紘一式、森喜朗氏、古賀誠氏、自見庄三郎氏など多数の与野党政治家が献金を受けていた。だが、09年3月、検察は小沢氏の秘書だけを政治資金規正法違反で逮捕。だが、政治団体として登録している団体が政治家に規定の範囲内で寄付を行なっているだけで法制度上、問題はない。

「沖縄土地購入」批判 10年1月、小沢氏が所有する沖縄・宜野座村の土地5200㎡が「米軍普天間飛行場の移設予定地に近いので投機目的」と報じられた。しかし、キャンプシュワブ沿岸からは遠いので値上がりは見込めず、転売目的の可能管は低い。小沢氏は以前から「引退後は沖縄で釣リ三味の生活をしたい」と漏らしている。

「迂回献金」擬感 11年11月.地元の党支部が10年に改革フォーラム21から1億円の献金を受け、1億円をそのまま陸山会に献金したことが「迂回献金」と取り沙汰された。だが、それは規正法が政治団体間の寄付を年間5000万円に制限しているから、上限のない政党支部を通しただけ。

「隠し子」疑惑 12年4月、愛人と隠し子がいると報じられたが、当事者の知人の証言だけで、客観的証拠もなく、当事者たちも否定。

山寨革命とはなにか? その3 基地「深圳(シンセン)」華強北

中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃の出だしに、山寨の基地「深圳(シンセン)」についての地理状況について記されているのだが、その部分を要約すると下記のようになる。

科学技術パークから華僑北までに至る約15キロの間は、東に向かうほど研究開発企業の比率が下がり、その代わりに販売業を営む企業の比率が上がっていく華強北は深圳(シンセン)で最も重要な電子製品の集散地なのだ。

深圳では、電子部品が非常に手に入れやすい。華強北から数百メートル離れた華強路という地下鉄の駅のそばには、易通、朧源といったきわめて大きな携帯電話の部品市場があり、その中はすばらしい部品であふれている。種類が豊富で、それぞれのカウンターがすべて「専門店」で、電池やタッチペンの専門店もあり、また携帯電話のチップやキーボードだけを売っている店もある。誇張されたこんな言菓がある.「華強路でビルを一回りすれば携帯電話ができあがり、おまけに全部のブランドの携帯電話を揃えることもできる」。

加えて、科学技術バークと華強北の間の車公廟(地下鉄の駅の名前)の付近には数千の携帯電話のデザイン会社があり、また宝安区の多くの工場が集まっている。深圳にほ、携帯電話を作るすべての工程がほぼ揃った状態にあるのだ。世界でも珍しい廉価でかつ迅速な「携帯電話設計・製造・販売のチェーン」ほ、すでに国際的に大きな吸引力を持ち始めている。

登場する地名の主なものをドットしてみたマップを下記に置く。

 
販売の拠点となる華強北路付近を、ストリートビューでみると(フル仕様にはなっておらず、写真が置いてある)、かなりの大きなビルが建ち並んでいる(大きな地図で見るで観ることができる)。華強北高科徳電子交易センター一階にスターバックスコーヒーがあるとのことだったが、地図では確認できなかった。代わりにといっては何だが、近くにある二つのスターバックスをドットしておいた。
 
日本人による、華強北のレポートが掲載されていたサイトがあったので、ご紹介。熱気が伝わってきました。必見です。
 
深圳は、2006年にいったことがある。mixiのブログに書いている部分を下記に紹介してみよう。
香港・・・VOL.4 中国の深圳経済特区を訪ねる   2006年09月17日23:01
香港のすぐ北に位置する深圳(SHINZEN)は、ビザなして香港から移動することが出来る中国だ。香港とは全く異なる熱気と、雑多なムードに包まれている。そして、物価の安さはかなりのもの。連日、まとめ買いする香港人も多く、国境を越えた人でにぎわいをみせている。 
国境をでると、視界には巨大で近代的な高層ビルが建ち並び、距離感がなかなかつかみにくくなんとも異様な風景ではある。とくに、駅前のショッピングセンターのでかさには度肝を抜かれた。掲載写真ではよくわからないが、このショッピングセンターには小さな店がびっしりと入っていて、その店の取扱品目が似たようなものであることにはびっくりする。整理とかコーディネートとは無関係にただただ店が並んでいて、扱っているものは衣服、時計、アクセサリー、スポーツ用品、電気製品などなのだが・・・。広いフロアで、似たような店が並んでいるわけだから、道には迷う。なんとも不思議な巨大な迷路になっているわけだ。競争も激しいのか、勧誘がとにかくしつこい。売り子も若い人がほとんどで、教育がなっていないというか、プリミティブであるというべきか、うーん。たとえば、手とか腕を掴むのは当たり前、ふりほどいても掴む、さらにふりほどいても掴む、またふりほどいても掴む。走って逃げても掴む。こんなこともありました。若い女の子が不器用な発音でジーブイデーと連呼している。ついてこいというのでついていくと、フロアをぐるぐると回りつつ奥の方へと進む、行き止まり近くのテナントに連れて行かれて、店内に入るなりシャッターが閉まる。シャッターが閉まった瞬間に天井の口を開けて、一人の男性が入り込む、そして、ファイルブックを天井の上から持ってきて、好きなのを選べという。つまり海賊DVDショップなわけだ。私の回りには若い男女が4,5人取り囲んでいる。丁重にお断りしてシャッターを開けてもらいましたが、まかり間違えば、犯罪にもなりかねない勢いがありました。ちなみに、同じショッピングセンターの正規DVDショップで値段をみてみると9-40元というところで売られています。日本円にして150円から600円。じゃ海賊版はいくらなんじゃいと思ってしまいました。2枚目はショッピングセンター内の食堂のようす。三枚目はそこで食した定食、18元、280円てところか。広いフロアなのに通路が狭い、というよりない。客動線が考えられていないのですね。香港とは非常に近い地域なのですが、言葉が違いますし、英語もほとんど通じません。筆談はかなり通じます。数時間の滞在ではありましたが、刺激的で面白かったです。街へ抜けるときに、たまたま一緒に歩いた一群のなかで知り合った、ロシアンインディアンの18歳の娘さんとの話は面白かった。はじけるような若さと大きな声で、ロシアからの道中の話などを聞いていると、地元のおばさんなどがびっくりしたような顔で、話を聞いています。意味はわかりようもないのですが、ファッションも奇抜なんでしょう。あっけにとられた顔で、しかもその仕草などを隠そうともしないのですね、ストレートに娘さんをみているわけです、何人も。

「みんながみているぜ」というと、「こいつらいなかもんだから、いつもこんなだよ」とか「美人でセンスがいいからびっくりしてんのさ」なんてかんじでひたすら大きな声ではなすわけです。その他、親切で二枚目な宝飾店の若主人、数百メートルも腕を抱えてついてきたマッサージの勧誘女性。故障品を売ってくれたやり手の中古携帯電話店の女主人など、数時間の滞在で経験したことはかなり密度の濃いものでした。

 
ロシアンインディアンの娘さんの事を思い出しましたが、楽しい経験でした。華強北路のことは知らなかったので、このときは訪問しませんでした。

山寨革命とは何か? その2

簡単に要約すると、「山寨革命」とはインターネットによる個人レベルでの市場創世といえるかもしれない。先に紹介した「米国発 さらば規格品社会 ここを攻めろ(3) 「スマートな個人」に商機」の生産版だ。緻密、子細に個人レベルまで降りてきた水平分業生産システムともいえよう。本では以下のように記されている。

純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。

山寨携帯のこのような運営方式だと、チップから始まって携帯電話を市場に出し販売するまでに、たったの一ヵ月しかかからない。これまでの半年から一年に対し有利となるのほ明白だ。販売ルート、金銭、市場が求めているモデルへの敏感さ、そして運気が彼らの勝敗を決める。代理店や代理業者は最終的な工程となる。華強北を例にとれば、一・ニメートルの売り場の借り賃が月に二〇〇〇元余りなので、資本が少なくても一つの売り場を借りて携帯電話の仕事が始められる。すべての工程の間のつながりはあまり複雑ではないが、大変効果的かつ実用的である。これは市場の着実な進歩の結果であり、この自然に進化したメカニズムはすべての工程のコストを極端に圧縮し、すべての工程が市場メカニズムを通して最も適切な資源を配置する。お金がある人、市場に敏感な人、技術のある人、何もリソースはないが小金を稼いで家族を養っている入、すべてに適切な場所がある。     p40-41

「山寨革命」は携帯電話から始まった。携帯電話をめぐる特殊性が、その足腰を鋼のように強くし、弁証法的に止揚された場を提供したと言って良い。日本の携帯電話が特殊性の罠にはまりガラパゴス化したのと好対照である。

携帯電話の組み立てが難しい理由は、以上のように携帯電話市場の汎用的な部品を、零綱企業に組み立てさせないからである。多くの人が、携帯電話が容易に組み立られないのは技術的な原因によると思っているが、実際ほそうではない。携帯電話がパソコンのようにバラバラの部品を買うことができない理由は、第一に、携帯電話の体積が非常に小さいため、それぞれの部晶を売るには保存や運輸上の利便性が確保できず、完成品を売るのに比べて利点がないこと。第二に、携帯電話は研究開発、生産などが一体化された垂直統合モデルであり、携帯電話業界に参入した企業の多くが自分たちの研究開発体制を持っていることである。TI(テキサス・インスツメンツ)、クアルコム、インフィニオンなどの企業が提供するチップは、数社の顧客のためだけのであり、同時に、技術障壁(あるいは観念的な束縛かもしれないが)も比較的高かった。それらの企業が提供していたチップがメディアテックと最も違う点は.携帯電話メーカーが慣例に縛られて、以前と同じように多くの工程を自分でこなそうとしていたことだ.メディアテックからすると、クアルコムなどが提供しているチップはすべて「半完成品」である。一方でクアルコムなどからみると、メディアテックが作っているのは「超完成品」であり、「無駄に高度な作品」なのである。

業界の変化はときに観念上の小さな違いから作られる.クアルコムなどの企業がチップを大工場に作らせる場合、どの程度のものを作るかは考える必要がない。しかし、このように見ない人もおり、もしその人がほかの方法を実行するのであれば、すぐに成功者になれるだろう。

具体的にいうと、一台の携帯電話の製作工程にはまずチップがあり、チップの上にオープンインターフェースとプロトコルスタックを置かなければならない。これらは旧来のチップメーカー内での事情で、携帯電話メーカーはソフトウエアのユーザーインタフェース〔UI)を開発しなければならないなど、作業量はかなり多い。また、チップの生産から携帯電話を完成して出荷するまでのサイクルは大体半年から一年で、技術リスクがあるため、零細企業は手の出しようがない。メディアテックのこの種のビジネスモデルに対する最大の変革は、ユーザーインタフユース内に内包される一連のソフトウエアを提供し、ローカルに技術サービスの拠点を作ったことである。デザインハウスはメデイアテックの計画を手に入れてから個性を際立たせる改革を行った。たとえぱ腕時計型の携帯電話をデザインする場合、基板を腕時計の中に配置できるようにしなければならず、腕時計のような空間の中にいかにしてユーザーインタフェースを置くかというような改革を行う。デザインハウスと市場の間に携帯電話の組み立て事業者が存在し、彼らの間では機器のデザインについての橋渡しをしなければならない。純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。 p39-40

携帯電話の排他性はチップの寡占化によるものだが、ここにメディアテックという新興メーカーが山寨と結びつき山寨革命を押し進めることとなる。

メディアテックが創り出したターンキー方式(チップセットにマルチメディアをはじめさまざまな機能が最初から盛り込まれ、それだけで多様な携帯電話に対応可能にすること)は山寨革命にとって大きなカギとなった。蔡 明介氏はメディアテックのリーダーであり、後に尊敬と揶揄を込めて「山寨革命の父」と呼ばれる・・・。P41

山寨革命はメディアテックと共に、デジカメ、薄型液晶テレビ、ノートPCと進む。ノートPCはタブレット化して、ステーブジョプズのiphone/IPADの果実を追いかけているようでもある。本書では、2009年の時点でもあり、ページ数も少なく控えめな記述になっているが、先に述べたように大手家電メーカーが薄型テレビと共に崩落している様を観ると、革命は本書の唱えるような本物の様相を示し始めているのかもしれない。遠からず、電気自動車も山寨革命の標的になることだろう。

翻って、わが日本を観ると、まだまだ太平の時代を貪っているように思える。時代は変わっているのだが、その構造的な部分が見えていないのだろう。日本経済新聞、2/6/2012付けのコラム-「経営の視点」、30年変わらぬ家電業界-を観てみよう。

「間違いもしたが、ソニーだけではない。日本の家電産業には問題がある」。

経営交代を発表したソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長は、7年の在任期聞をこう振り返り、「日本の社会全体としての対応が必要だ」と語った。言葉尻では2200億円もの今年度赤字見通しの責任逃れにも聞こえる。しかし翌日にはパナソニックが7800億円の赤字見通しを発表。シャープも2900億円の赤字となるのを考えれば、確かにソニーだけの問題ではなさそうだ。「最大の要因は自前主義。大規模な工場投資にある」。パナソニックの大坪文雄社長は決算発表で自らの判断ミスをこう認めた。ライバルに対抗し、大型投資に打って出たことが裏目に出たというわけだ。ストリンガー氏は日本の問題に具体的には触れなかったが、答えは大坪氏の反省の弁にあろう。つまり自前主義の各社が横並びで集中的に投資し、結果的に商品の寿命を短くしてしまうという悪いクセだ。

源流は日本が世界の家電市揚を席巻した1980年代にさかのぼる。日本の強みは部品から製品まで一貫して作れる垂直統合モデルにあった。アナログ時代は製造段階での擦り合わせ技術が重要だったからだ。最たるものがテレビで、部品も自社生産すれば部品と製品の両方で稼げた。ブラウン管を持たなかったシャープが後に液晶に力を注いだのはそんな背景からだ。テレビは家の中央に鎮座するため、正面に自社のロゴを飾るのが重要なブランド戦略でもあった。そこで大成功を収めたのがソニーである。映像がきれいなトリニトロン方式のブラウン管で人気を呼び、自前のテレビ工場を海外にいくつも造った。

しかし、デジタル時代の到来で状況が一変する。アップルが工揚を時たなくていいのは、擦り合ねせの要らないデジタル家電は部品さえあれば誰でも作れるからだ。そこに各社が横並びで集中投資して生産すれば、値崩れが起きるのは当然。半導体もしかりだ。デジタル化でもう一つ変わったのが音楽や映像の視聴スタイルだ。

先週、上場申讃した米交流サイト(SNS)の「フェイスブック」や米動画共有サイト「ユーチューブ」」の登場は、放送番組しか見られないテレビを「古ぐさいもの」にしてしまったのである。日本の自前主義と横並びは実は30年前と変わっていない。当時は激しい競争で海外企業を廃業に追い込み、事業的には世界を制覇した。ところが「リビジョニスト」と呼ばれる米国の対日強硬論者が反発、「コンテイニング・ジャパン(日本封じ込め)」の声が上がったのはそのすく後だ。

ストリンガー氏はソニーの負の資産ともいえる海外のテレビ工場を大幅に減らすなど、構造改革に努めてきた。ようやくそれを終えた矢先に起きたのが、リーマン・ショックや東日本大震災、洪水などだった。映像出身のストリンガー氏は本当はアップルのようなハードとソフトの融合モデルを目指していた。従来型のモノ作りを韓国や中国に奪われたからだ。正念場の日本企業に求められるのはアップルを超える新しい事業モデルの創造である。(編集委員 関口和一)

漠然とは問題に辿り着けそうなのだが、もう一つ切り込みができていない。核心を突けない、どうにもわかっていない。そんな記事だと思うのだが、いかがだろうか。

いずれにせよ、新しいシステムは若い人が作って、馴染ませて、押し進めるということが必要だ。日本の若者はなかなか優れていると思う。ちょっと前に「空気を読め」というような言葉がはやったが、空気を読むことができるのは日本人だけだと思う。自信をもって進んで欲しい。若者よ、世界のために頑張れ。

若者に比べて、大人は今ひとつ。日本がダメになっているのは大人の責任だと思う。

考えてみれば「地デジ」て何だったんだろう。寡占化した企業と、官僚と、マスコミがつくりあげた幻想の最たるものが「地デジ」だったのではないだろうか。エコポイントで国民に薄型テレビを大量に売りつけたりはしたが、そのテレビの値下がりは与えたエコポイントの何十倍になるのではないか。というか、「地デジ」で何が変わったの?、何を変えようとしたの。「双方向」ってなに?携帯電話もそうだ、世界一高い通話料金で国民から金を貪っている。原発なんかも同じだ、世界一高い電気料金が宇宙一(え!?)になろうとしている。地デジもガラパゴス携帯も世界には奇妙に見える製品に違いない。反省のない失敗を積み重ねながら、若者を搾取しているのは、大人だよ、何とかしようぜ。

濃い蒸気船を三杯以上飲んでも、太平の惰眠からは醒めないかも知れないなあ。そういった社会の硬直状態こそ、革命の糸口には必要なのだろう。若者よ、硬直しただらしない社会こそチャンスだ。

変えちゃえ!!

山寨革命とは何か?

なにかが違うな・・・。多くの日本人は昨今の日本企業の不振に戸惑っているのではないだろうか。数年前・・・、というか、ほんの少し前に、地デジなどを追い風に順風満帆に見えた液晶テレビが・・・、価格が崩落、今現在は32型で24800円。松下も、ソニーもシャープですら、不振にあえいでいる。

円高であるとか、ユーロの問題とか、タイの洪水、東日本大震災・・・だけでは説明しきれないなにかがあるかもしれない。その問いに一番近いところを触ってくれているなと、中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃を読んで、そう思った。

さて、「山寨革命」とは何か、ということも含め、この本を的確に説明しているのが著者の前書きだ。これは是非、全文読んでもらいたい。以下がそうである。

本書の初稿ができあがったとき、周りの友人に見せてみた。すると、ある友人が「最初のところはルポルタージュのようだね」といったので、私は「そのとおり」と答えた.この本はまるで山寨(Shan Zhai 日本語読みはサンサイ。元々は山中の砦という意味。その後、農民による反統制運助を指す言葉として使われた後、北京オリンピックの前後に意味が拡大され、コピー、偽物、ゲリラ、非官製、草の根などを示す言葉として使われ始めた)の携帯電話のように、盛り込めるものはすべて盛り込んであり、できるだけ短い中に簡潔に可能な限り多くの内容を詰め込んだものだ。本書はまるで「三者合一」の商品のようでもあり、多くの人が一つのテーブルで食事をしているのにそれぞれが好きなものを食べ、他の人の食べているものを食べてもいいという状態だともいえる。

第一部は「山寨風雲」で、まさにルポルタージュである。山寨の携帯電話の生産量はみるみるうちにそびえたつ山のように増え、年間の売上高が一〇〇〇億元を超え、数十万のユーザーを持つに至った。そのユーザーは全世界にまたがり、数億人を超えている。比類なき情熱を燃料として燃え上がった山寨の火は中国全土を覆い尽くしている。その結果、「山寨」という言葉もまた二〇〇八年に最も流行った言葉の一つになった.あとになってみれば、決して無視できない歴史の一コマだったといわれるに違いない。

第一部では事実に即して議論を挟みながらこの時期の歴史を述べるが、これは「物語」が好きな人には美味しい料理となるだろう。

第二部は「山寨革命」である。ヘンリー・フォードを筆頭に確立された生産方式は、すでに世界を一〇〇年もの間支配してきた。この方式の神髄は無限に細密化された分業と、膨大な規模、複雑な階層システムと官僚組織を以て企業を働かせることである。標準化と生産ラインはすべての製品の変動費用の増加分を極限まで低く抑えた。わかりやすくいうと、より多く生産してもコストは決まっており、そのことが企業が大規模化する主な目的であるということだ。また、交通と通信の発展はさらに拡張への障壁を取り去り、大型化及び大企業による管理をメリットあるものとした。二〇〇四年に生産額が一〇〇〇億ドルを超える企業は世界中に13社しかなかったが、二〇〇八年には四五社に達している。これに対応して社会のそのほかの組織も大型化、複雑化の様相を呈している。「大きいことはいいことだ」という言葉はすでに人類共通の定理となったかのようであり、心理的にも大型化いう傾向に賛同してきた。

しかし、「山寨現象」は我々に再びこの定理を見つめなおさせ、フォード時代に確立されたルールを知らず知らずのうちに瓦解させた。旧来の企業内部の労働の分業はすでに社会の分業となっており、生産が複雑な製品も大企業の専売特許ではなくなっている。フォード以来の「高い固定費用、低い変動費用」という状況は実質的に変化をはじめ、規模の大型化による利益はコストの整理と官僚機構に丸呑みされてしまっている.大企業をよく見てみると、大型の組織はすでに空洞化し、研究開発、生産から販売に至るまですべての部分が実質的な意義を失っている。携帯電話であれ、コンピュータであれ、もちろん白動車であれ医薬であれ、大企業内部のコストは外部の市場の勢いと闘う方法もなく、すべてはひっそりと変わってしまった。

これらの変化は「革命」というにふさわしい。もしもあなたが「大きいことはいいことだ」という定理を忘れ、まったく先入観のない異星人の目で歴史を観察すれば、すぐにポスト・フォード時代が来ていることがわかるだろう。過去のルールや定理は最後のお祭り騒ぎにすぎない。産業革命は武力革命のように強烈ではないが、それゆえに往々にして人々は物事の真の姿を知らないままに、山の中に取り残されたような状態になる。

インターネット上には山寨の情報があふれている。そしてそれらの大多数はすべて、コピー、クリエイティブ、物まね、パワフル、かわいい、恥ずかしい、庶民の、逸晶などの言葉を使っているだろう。一言でいって、重層的・多角的な分析はなされておらず、山寨の隆盛の内在的原因や意義はネット上では述ぺられていない。

もしも第一部を史料とするならば、この第二部の「山寨革命」は史論であり、私は思索好きの読者に料理を出したことになるだろう。私見では、このタイプの読者にはそれぞれ白分の視点と見方があるゆえに大変「サービス」しにくい。ただ、この部分はDIYのようなもので読者は自分の見解と図式をもっており、私はただ見ていればいい。私が保証できるのは、本書は簡単なコピーの切り貼りでもなければ、ネット上で見つけてきたものを組み合わせればできるというものでもなく、じっくり煮込んでできるだけ多角的に読者に珍しい材料を提供し、ユニークな味に仕上げたものであるということだ。

経済システムの変化は社会の多方面に影響を及ぼし、社会的組織や政府の職能、企業内部の組織の原則に必ず相応の変化をもたらす。産業革命以降打ち立てられてきた膨大な官僚システムと営々と築きあげられた金宇塔型の社会ほ時代の挑戦を受け、小さく巧みで、活力のある、効果の高い山寨社会が必ず旧社会にとって代わるだろう。それが、第三部の「山塞社会」である。

人類社会に関する美しい考えは昔からあり、老子の小国寡民(国土が小さく国民が少ないこと)やプラトンの理想国家、儒家の社会秩序、第三の波のプロシューマー、フラット化する社会などがそれである。残念ながら現実は正反対に向かって進み、いけばいくほど理想とは遠くなるばかりである。収入が増えるほど二極分化が進み、生産力の発展の成果はピラミッドの頂点にいる少数の人に独占されてまばゆいばかりに輝いており、私利私欲にとらわれた官僚体制は社会の瘤(こぶ)となっている.不幸なことに社会すべてがこのような価値観を受け入れ、アンクル・トムと彼の主人のように、統治したりされたりする関係に慣れきっている。社会と、人々の不平等はますます当然のように受け入れられ、賞賛されてさえいる。

しかし、このような時代はすぐに消え去るだろうというのが私の結論である。山塞製品の生産方式と比べればこの変革はゆっくりとしたものではあるが、必ず実現する。これは革命のラッパではなく、ユートピアでの話でもないが、社会が進んでいる趨勢なのである。

私は、実利を重んじる中国人だが、本を読むということは、間題の答を得るためだけでなく、精神的な慰籍と人としての理想を求めることだと信じている。このように考えれば、第三部の「山寨社会」は読者のための美酒になるだろう。 阿甘、2009年二月七日

著者は1967年生まれ、日本人の同じ年代の人では書けない理屈が通っている。日本では、ほぼ死滅したと思われる「マル経」、いわゆるマルクス経済学だ。弁証法的に止揚した先に未来というか希望を持っていくのは、段階の世代こそわかりやすいかもしれないな。上記まえがきの第三部「山寨社会」で、著者は控えめではあるが見事に革命のラッパを鳴らそうとし、ユートビアを語ろうとしている。著者と同年代の日本人にそれができるだろうか。

実に、経済学に必要なのは数量化やシミュレーション以上に 「哲学」なのである。座標軸たりうる哲学がない以上、数量化やシミュレーションは、ただ混迷を招くだけである。今の日本は、「マル経」だけでなく、実に「哲学」が欠けているのであると思う。

この本の後ろに、生島氏が「解説」を書いているが、この「解説」の視点の定まらないふにゃふにゃぶりにはなんともやりきれない思いがした。この「解説」こそ、実に今の日本を如実に表している、と敢えて解説しておこう。

アドビ イラストレーター(Adobe ILLUSTRATOR)で金剛頂経

いつかは使おうと思い、そのままパソコンに眠っていたアドビイラストレーターですが、いよいよ今回使ってしまいました。よかったよかったです。

きっかけは、前回ご紹介した、「ラモス久美子-お父さんのヨガ入門講座」。早速使おうと思い、イラストレーターを起動するも、全然わかりません。こういうこともあろうかと、ブックオフで購入していた中古教則本もながめてみても、・・・わかりません。昔はこうではなかった、やはり歳か・・・、と思いつつ、しかし使えない。でも、チラシはつくらなくちゃ。

ということで、使い慣れたマイクロソフトのPHOTODRAWでまずは作成。これはあっというまでした。で、作業をながめてみるとほとんどテクスト 、文字列操作です。それではと、教則本、これはX-MEDIA社のILLUSTRATOR CS MENU MASTER(タイトルは何で英語なんだと今、気がつきました)。関連項目は数ページです。さらさらと読んでなるほどと納得。それから、PHOTODRAWの内容をILLUSTRATORにコピー&ペースト。もちろん、不具合などありますので、その都度修正しつつ、関連項目を読書、もしくはググッてようやくチラシを作成。

実際、移植作業をしてみると、癖はあるもほとんど同じような感触でした。ですから、PHOTODRAWを脳内で置換するようにしてILLUSTRATORを操作できるという感覚が残りました。今回はこれで充分です。

ヨガチラシヨガチラシ裏面をクリックしていただければ、チラシがPDFファイルで見ることができますので、お試しください。

今回、よくわかったことは、これからの学習とか勉強は一から始めるということよりも、経験知を利用して行うようにしたら良いということです。今回はPHOTODRAWの経験を利用したわけですが、この経験がない場合は、もうすこし、深く潜在意識をただよえば、集合無意識部分に到達できるかもしれません。そこからILLUSTRATORの経験知を利用するということもあながち不可能な事ではないかもしれません。

ただいま、和訳 金剛頂経を読んでいるところです。これは二回目、一回目は何がなんだかわかりませんでしたが、いまはややわかりつつある。これはある種の「憑依」を意識的におこなうものなのです。たとえば、金剛菩薩をイメージし、そのイメージを自身に憑依させる。そうすれば、自分は金剛菩薩とおなじような力を発揮することができる。ま、ざっくりと説明するとそういうことです。ある種の危険性もありますので、取扱注意だな。安全なところでは、今回のように、illustratorをphotodraw経由で自身に憑依させるところぐらいでしょうか。