[メイカーズ]21世紀の産業革命が始まる/クリス・アンダーソンを読みました。

[メイカーズ]21世紀の産業革命が始まる/クリス・アンダーソンを読みました。今年の正月に、読もうと思ったのですが、欠品で手に入らず、とりあえず図書館に予約していたところ、今月の初めにようやく借りることが出来ました。しかしながら、読む時間がなく、つん読していたところ、本日、返却の督促電話を受けることになりました。

ということで、せっかくの土曜日ではありましたが、返却すべく、珍しく読書に集中しておりました。

web時代の革新性を表現した「ロングテール」や「フリーミアム」とおなじように「メイカーズ」という言葉が、リアル社会をweb化する革新性になるという本でした。本書では新産業革命などとも表現されています。概略は、上記リンク先のアマゾンサイトをご参照ください。私自身の経験としては、本書でも紹介されていたMake: Technology on Your Time Volume 10に触発されて、ブレインマシーンをメイクしたことが実はあるんです。5、6年前のことですから、今となっては革新的だったかななどと思っております。同じころにラジオニクスを組み立てたりしていましたから、メイカーズというよりは、しようもないもの、売っていないものを自作していたというところでしょうか。

今後は、変革のツールともいうべき、3Dプリンタ、CNC装置、レーザーカッター、3Dスキャナーの低価格化/普及により、リアル社会にWEBがつくりあげたような革新がもたらされるということですが、間違いなくその通りだと思います。

ということで、訳者による後書き部分を紹介しておきましょう。

アンダーソンが指摘するように、ほんのひと昔前まで産業機械だったコンピュータやプリンタは、「デスクトヅプ」とは対極にあるものだった。しかし、ひとたび「デスクトップ」と「コンピュータ」が結びついたとき、人々の生活が大きく変わった。そしてそれがインターネットにつながったとき、革命が起きた。でも、それはまだ本当の革命ではないのです。本当の革命は、それが実体経済に影響を及ぼすとき、つまりもの作りのやり庁が変わるときに起きるのです、とアングーソンは言う。「デスクトップ」と「工作機械」が結びびついたとき、それまで大企巣のものだった製造の手段を個人が持つようになり、ビットの世界で起きてきた革命がアトムの世界で起きるのです、と。ステイーブ・ジョブズがパーソナルコンピュータを通してして世界を変えたように、製造の手段を持つ無数の個人、つまり「メイカーズ」が世界を変えることができるのだと言う。しかも、それが社会と経済に及ぼす影響は、ビット世界の「フリー」や「ロングテール」よりも、はるかに大きく、深いものになる、と。
個人によるもの作りの革命をあと押しするもうひとつの大きな変化は、グローバルなサプライチェーンが個人にも開かれてきたことだ。材料を調達し、部品を製造し、それらを組み立てるプロセスは、これまで大企業に独占されてきた。それが、ポノコやシェイブウェイズなどのウェブ
の製造委託サービスや、アリババなどのマヅチングサイトを利用することで、プロ用の工作機械を所有しなくても、個人が大企業と同じ製造能力を手に入れることができる。お金がない? だったらキックスターターで資金を集めればいい。それを売るには? ウェブサイトを立ち上げてオンラインで販売すればいい。製造業を起業しようと思ったら、パソコンとインターネットがあれぱこと足りる。ウェブ企業の立ち上げと同じくらい簡単に、製造業が立ち上げられる時代が来たのだ。自分が欲しいものを作って、ほかの人にそれを販売することもできる。ビット世界のニッチな音楽や書籍や映像と同じことだ。そう、「モノのロングテール」がやってきたのだ。
「モノのロングテール」の作り手は、エッツイーに手作り吊を出品する職人たちだけではない。
メイカーたちは、趣味をビジネスにして、「モノのロングテール」を埋めている。一個でも、一〇〇万個でもなく、数千個から数万個の単位でニッチなモノを顧客に届けている。たとえば、レゴ社が手を出さない領域でレゴのアクセサリを製造するブリックアームズ。特殊な電子部品を製造販売するスパークファン。オープンプラットフォームで自動車を製造するローカルモーターズ。
そして、アンダーソンの趣味が高じて事業となった3Dロボテイクス。
非常に興味深いのは、ビット世界の急成長企業がフリーの上に成り立っているのに対して、オープンプラットフォームの上に作られたこれらのメイカー企業が最初からキャヅシュフローを生み出していることだ。こうした企業は、前作でアンダーソンが唱えたフリーのモデルを逆手にとり、「ビットの世界の潤沢なフリー」を利用して、「アトムの世界で希少性から利益を生み出して」いる。ウェブ上に存在するコミュニティは、「フリーな」開発、マーケティング、顧客サポートを堤供してくれる。ネットの荒野の中から顧客がニッチな製品を見つけ出してくれるのは、「フリーな」検索のおかげだネットの店舗なら、家賃もかからない。その上、自分だけの二ーズを満たしてくれる希少な製品に、消費者はプレミアムを支払う。フリーを活用すれば、大量生産によらなくても利益を生むビジネスモデルが築ける。無料のビット経済の上に、貨幣経済における富が生み出され、無数の個人がそれを分け合っている。そしてここに、先進国の未来がある、とアンダーソンは言う。ビヅトをアトムに、アトムをビットに変えるデジタルな製造手法と、潤沢な「フリー」によって、製造拠点の違いによるコストの格差はなくなり、より良いアイデアを持つ無数のニッチな企業の総和が経済を動かすようになる、と。それが、これからの一〇年に起きる本当の革命なのだ。そして本書は、その「これからの一〇年」を描いたものだ。
著書『ロングテール」でも、また『フリー』でも、アンダーソンはこれまでなんとなくみんなが感じている時代の流れを概念化し、それが社会と経済に与える意味を説いてきた。発表当初には「なんとなく言いたいことはわかるけど、その具体的な将釆像が描けない」と思われていた「フリーミアム」も、わずか数年後の現在では説明するまでもないほど当たり前のものになった。『メイカーズ』で描かれた未釆もまた、数年後には当たり前の現象になっているかもしれない

催眠術の神秘を読みました

催眠術の神秘は、しばらくかかって読んでいた本です。初心者用ですが、実務に沿った解説で、なかなか手ごたえがありました。その中で気になった箇所があったのでご紹介します。自己催眠法の説明、「内観精神統一法」と、「瞑想とトランス」についてです。

まずは、内観精神統一法について

内観精神統一法

深呼吸により心を落ち着かせリラックスすることができたなら、つぎには自分白身を見つめることにより精神を統一していく。まず目を閉じたままで自分の呼吸を数えていこう。
この呼吸は普通の呼吸でよいのだ。軽やかに楽な呼吸をしながら、呼吸を一つ、二つと数えてゆく。もちろん声に出す必要はまったくない。心の中で数えてゆけばよいのだ。
初心者は三十位がちょうどよい。あなたは自分の呼吸を数えることにより自分の呼吸に注意の集中が行われているのだ。目を閉じて単に瞑想しているだけでは雑念がつぎからつぎへ浮かび精神の統一はできないが、このように呼吸を数えてゆくことで、白然に呼吸に注意が集中し、雑念はわかなくなるものである。
瞑想つぎに鼻頭を両目で見るようにする。目を閉じているので見えるわけはないが鼻頭をじっと見つめるのだ。しばらく見つめていると眉と眉の間の少し上の辺りがファーとした気持ちになってくる。ファーとした気時ちになってきたならば、今度はそこに光った玉を思い浮かべる練習をする。

この光った玉がぼんやりとでも浮かんできたならば、あなたの自己催眠の第一歩は完全に成功したといえよう。ハッキリとした玉に見えなくてもよい。存在感があればそれでよいのだ。このときに人によって光の見え方がさまざまに異なるが、つぎの進め方について具体的に説明しよう。
 玉の周辺が定まらず拡散して見える人はできるだけ①のように玉を円に近くするように念じていくのだ。 また、②のように光がチカチカ星のように見える人も焦点を絞り、円になるように修行するのだ。
このようにして練習を積んでゆくと、ついには光の玉は太陽の如き輝きをもちハッキリと見えてくるようになるのだ。つぎに、レンズのピントを合わせるようにこの玉をあるいは大きくし、あるいは小さくしてゆくのである。それが自由自在にできるようになったなら、あなたの自己催眠の第二段階は終了したといえよう。
この第二段階が白由にできるようになると軽い紳経症なら完全に治ってしまうのだ。

なぜそうなるのか

というと、そのためには瞑想とトランスについて知らなければならない。つぎに.これについて解説してみよう。

瞑想とトランス

瞑想1

ある人が目をつぶっているとする。第三者がこの人を見たとき、たんに目を

閉じているのか催眠状態にあるのかを判断することは大変に難しい。しかし、目を閉じている本人からみれば、瞑想している状態と催眠状態は明らかな違いがあるのである。

たとえば、瞑想状態にある方が菊の花を思い浮かべても、それはたんなる想像であり、目に見えるような形ではけっして姿を現わさない。 催眠状態、すなわちトランスに入ったときには、菊の花と言えばそれは現実感をもって目の前に現われるものなのである。一種の幻覚のようなものである。 この原理からみて、思い浮かべるものが現実感をもって現われてくる場合には、その状態はきわめて催眠状態に近いものということができるだろう。ショルツ博士の白律訓練法においても、その発想法は同じようなものなのである。 博士の場合には、催眠術にかかった人を統計的に調べ、催眠にかかった人の自覚症状を調査した結果、第一に腕が重い、第二に体が熱くなることを発見したのである。したがって博士は、自分で自分に催眠をかけるためには、逆に腕に重さを出し、体に暖かさを作れば催眠状態になると考え、この原理により自律訓練法を編み出したのである。しかし、この方法は第一段階の”腕が重い”のところでつまずいてしまい、なかなか実際にはうまくいかない場合が多い。つまり、それは注意集中というとごろに訓練の力点をおいていないので、催眠感受性の悪い人にはまるで役に立たないのである。

一応あとで、有名なるショルツ博士の自律訓練法は参考に挙げるが、私の考案した内観統一法による自己催眠のほうが数倍勝れていると自負している。事実、自律訓練で不成功に終わっても、この方法により数多くの人が救われている。自分がいま瞑想にいるのか、あるいはトランスなのかの大きな別れ道が、この方法で判断できるのだ。そしてこのトランス状態から、自己の身体に対し催眠をかけてゆくのが最も正しいやり方であると考える。

瞑想2自己催眠進化法

さて、以上で自分自身による催眠状態に入ることはできたわけであるが、つぎにはこの催眠状態を深めなければならない。 これには二つの方法がある。まず第一は、はっきりと丸い型をとって表われた光る玉をだんだんと大きくする方法である。玉が少しずつ大きくなり、ついには目の前いっぱいに広がり、自分の存在自体が光の中に包まれてしまうように練習することだ。光の玉が大きくなるにつれ、催眠が深まっていると思えばよいのだ。 第二の方法は、これと反対で丸い玉を少しずつ小さくし、小さい星のようにしてしまうことである。玉が小さくなるにつれて光の強さは増していかなければならない。この最終はパチンコの玉位の大きさとなる。(p87-p91)

 

 

以前、私がこのブログで書いた、瞑想体験についての記事によく似ています。参照してみてください。著者は、「瞑想とトランス」と二つの状態を比較しているのですが、私に言わせれば「黙想と瞑想」という風になるのでしょうか。著者が言っている、自己催眠の第一歩と第二段階は、チャクラを開く瞑想に対峙するもののようです。とはいっても、おそらく同じものではなく、脳下垂体を刺激した結果、同じように光とかを現出させることになっているのだと思いますが・・・。いまとなっては、桑田二郎氏のマンガに先に出会ってよかったと思います。著者は、(私と同じように)ショルツ博士よりも内観精神統一法がよいといってますが・・・。

まあ、いずれにしても、普通の意識とは違う’変容意識’を経験してみることは大事なことだと思います。

若干話が跳ぶが、憑依についての箇所があり興味深かったのでご紹介。

つきもの

自分に狐がついている、犬の霊がついている、死者の霊がついている、と真剣に信じている人がいる。心霊を唱える新興宗教の信者に多くみられる現象である。 また、夜中に布団の上に霊らしいものが現われ、胸の上にのしかかってくる。夜中に目が覚め、悪夢にうなされる。それが毎日のように続く。これらの現象に悩んでいる人は、意外に多くいるものであるが、この原因には三通りがあると思っている。
一っには精神病によるもの、っまり精神の混乱による幻覚症状、これらの人は一刻も早く精神科の診断を必要とする。
また一つには純粋たる心霊現象的なもの、エキソシストではないが、どうしても理論的に説明のつかない現象もあるのである。残る一つは自己暗示によるものと考えられる。
しかし、このような「つきもの」の原因を精神病によるものか、心霊的なものによるものか、あるいは自己暗示によるものかの判断はきわめてむずかしい。比較的精神病によるものははっきりと認識することができるが、心霊的なものか白己暗示によるものかの判断はじつにむずかしいといえるo
私は、このような悩みの人に対するときは一応精神病を除いては、自己暗示としてその悪い観念を取り払うつもりで施術するが、それは未知なるものがすべて合理でわりきる態度が好きではないからである。つまり、心霊を認めるというよりも、否定できないのである。
つぎに催眠術により、これらのつきものと思われる治療例を紹介しよう。地方から上京して八年、二十六歳になる男子で、仕事はセールスマンである。
彼は、仕事が終わリアパートに帰ると、だれもいないはずの彼の部屋に、人の気配がするという。そのアパートに移る前は会社の寮にずっといたが、アパートに移る、三ケ月ほどたった頃から、そのような感じにとりつかれたという。最初は気のせいだろうと思い、あまり気にしていなかったが、そのうち夜中に目が覚めるようになり、布団の上から何かで押さえつけられているような気がしていつも目が覚めるのである。それからは電気もつけっぱなしにして眠るようにしたところ、かなりよくなったが、ある日、恐ろしい夢にうなされ目を覚ましたところ、白い衣を着た中年の男が布団の上からおおいかぶさるようにして自分の顔を見ているのだ。そして、その人物はこのように言ったという。
「私はお前といっしょ、いつもお前といっしょなのだ。フフフ:…」
彼は全身、汗びっしょりになり朝まで一睡もできず、気になってノイローゼ気味となり家主のところへ行き、白分の体験を話し何か過去にこの部屋でおきたことはないかとしつこく間い詰めたところ、家主は、じつは三年前に中年の男の自殺があったが、神様のお払いをしてあるから心配いらないとのことであった。
その後、彼はいつもだれかが自分といっしょにいるような気がし、疲労困想して私のところへ現われたのだ。
この例はじつにむずかしい。なぜかというと、白殺者の心霊による場合もあり得るからである。しかし、私の判断は白己暗示によると決めてかかった。催眠誘導により、その模様を再現することにした。「あなたは悪夢を見てうなされたことが頭の中に思い出されてきました。あなたは寝ている。夜中だ。あなたはアパートの一室で寝ている……」
すると、彼は苦しそうにもがき始めた。
「胸が苦しい。だれかが私の上に乗っている。苦しい」
「あなたの上に乗っているのはだれですか」
「わから鞍い。わかりません」
「よく見てごらんなさい。それはあなたではないですか」
「……よく見えません。私かもわかりません」
「これから私が三つ数えると、はっきりと姿を現わします。それはあなた自身なのです」
「三…二…一、よく見なさい。だれなのですか」
「私です。もう一人の私がいます」
「そうでしょう。なぜ、あなたが、夜中にうなされたり、幽霊みたいなものが現われたかというと、寮生活から、アパートに移ったのがその原因なのです。あなたは寂しさから、自己暗示し、そのようなものを作りだしたのです。本当はあなたの心の影なのですよ。しかしきょうからは、その本当の原因がわかったので、あなたにそのようなことは起きません。夜はグッスリ眠り快適な朝を迎えることができます。それから、あなたの部屋で自殺した人は幽霊でも何でもないのです。人はいつか死ぬのですから、もし幽霊が出るのなら地球は幽霊だらけになってしまうことでしょう」

彼は一回の施術で完全に治ってしまった。しかし、私にb本当のところその理由はわからないが、このような例では催眠術が効果をあらわすのだ。私の場合は施術の時、もしものときを考え仏を念じ悪霊がつかぬように行うので、仏のカによるのかもしれない。「いずれでも、私の催眠はこのようなときでも効果を発揮する。

つぎに川越に住むN氏の例をあげる。この例は最初、奥さんから相談があった。
N氏は熊本から上京し三十年になり、駄菓子の販売をその仕事としているが、最近様子がどうもおかしいということである。私がよく事情を聞いてみると、ここ一年ぐらい、月明かりがきれいな夜になると、夜中の十二時ごろ裏庭にフラフラ出かけ二時間ぽど帰ってこないというのだ。はじめは気がつかなかったが、いつも膝のあたりに泥がついて帰ってくるのだ。本人にどうしたのと聞くと、月がきれいだから散歩しているのだと答えるのが常であった。しかし、その翌日はいつもぐったりと疲れ切ったように眠ってなかなか起きないという。奥さんは、女でもいるんじゃないかと私に相談し、それが悩みですと訴えた。
私はもしそうなら催眠術の分野ではないので、念のため、御主人をつけてみるよう言っておいた。しばらくするとその奥さんから電話があり、ひどく興奮した様子で、月夜の晩主人の出かけるのをつけていったところ裏山の畑の真中に座り込み、手を合唱し狐のようにぴょこぴょこ、一メートルも飛び跳ねている主人の姿を見てしまったという。びっくりして思わず「アッ」と声を出したところ、その様子に振り向いた主人の顔を見たら、目は狐のようにつりあがり、口が裂けているようで口もとからは涎が出ているようだったという。
一目散に家に逃げ帰り、布団にもぐってじっとしていると、何気ない顔で主人が帰ってきたという。奥さんはこれがウワサに聞いた狐つきではないかと言ってきたのだ。
私は御主人に来てもらい、催眠誘導し、月夜の晩であることをイメージさせたところ体が麗えだし、狭い私の部屋の中をぴょんぴょんと飛び跳ねだした。私は、つぎのように暗示した。
「お前は狐だな。随分元気がよいが、お前の乗り移っているNさんは、もうだいぶん体が疲れているようだ。それにしてはお前は元気がよい。こんな体のくたびれたNさんにはもったいない。だからNさんの体で暴れるだけ暴れたら、あそこの金魚に乗り移ってみろ、さぁ暴れろ」
と暗示するとNさんのピョンピョンはものすごくなり気が狂ったように暴れると、バタッと倒れ、失神してしまった。そこで
「あなたの体から狐は抜けてしまった。もうあなたにはいかなる霊もとりつくことはない、悪霊は去った」
と暗示した結果Nさんはすっかり元気になり、いまでは以前と同じ明るく楽しい毎日を送っている。金魚に狐の霊が乗り移り、跳ねて困るというようなことはいまでは一度もない。

憑依もさまざまで、狐に憑依されるとこまるが、高貴な人や神さまに憑依されると喜ばれることがある。人間とは実に勝手なものなのだ。

死んだら、どうなるか? 死んだらおしまいではなかった?

養老孟司氏が、人間は三人称の死は体験できても一人称の死は体験できないというようなことを言っているのを読んだことがあります。傍から見れば悲惨な死も、実際に死んでいく人にとってはそれほど悲惨じゃないのではないかというのは、充分に考えられることです。

わからない「死」が過大に美化されたり、忌み嫌われたりしがちではありますが、逆に軽く考えてみることも必要じゃないかとつらつら思っておりました。このたび、わかりやすい本に出会えましたので、ご紹介します。

死んだらおしまい、ではなかった 2000人を葬送したお坊さんの不思議でためになる話

著者は、昭和五十五年(1980年)から平成三年(1991年)にいたる11年余の間に、2000以上の葬儀を行った僧侶。ある喪主の方に、「成仏するんでしょうか?」と尋ねられ、答えにつまったことが発端で、葬儀の際に故人の状態に注意を払い続けるようになりました。そしていつしか、霊の実在を感じ取れるようになったというのです。体験と著者の実感から書かれたこの本は、説得力がありました。しかも、分かり易い。

ということで、以下に紹介するのは、人が死んだらどうなるかについてです。(p48~p57)

・・・亡くなった「本人」はどこにいるのでしょうか。
だいたいの場合、「本人」は遺体の近くにおります。
そして、遺族や僧侶が葬儀を行う様子をじっと静かに見ているのです。
葬儀の光景も遺族の方々の様子も、「本人」には見えています。声も聞こえているのです。

けれども実はこのとき、2,3割くらいの人が、自分が死んだことがわかっていません。
ボケーっとしているというか、もうろうとしていて、呆然としている方が結構おられます。
だいたいの場合、私が通夜で感じる「本人」の様子は”キョトン”というか”ボケー”というか、要するに「なにがなんだかわからない」といった感じが多いのです。そして、お経をあげているうちに、もう少し進むと、「疑っている」という感じになるのです。

「本人」が「自分は葬式の夢を見ているのだ」と思っていたり、またはそう思いこもうとしているようなのです。
「本人」には葬儀をしている光景はわかるので、

ーどうも、自分の葬式をしているらしい……。
-ああ、自分は死んだのかもしれない。
-どうも死んだようだ。そうか、死んだのだ。

と次第に悟っていくわけです。

そして、身体があればこそできた諸々のこと、ああしたいこうしたいという物事が、もうできないのだと気づいていくのです。いわゆる俗世の未練が絶ちきれていくわけです。そして、成仏へと進んでいくわけです。

このように故人に自分の死を悟らせ、俗世の未練を絶ちきらせていくのが通夜であり、葬儀の本質的な意義なのです。
なかには、身体と「本人」が分かれたときに、「本人」が十分に自分の死を悟っている、事態をのみこんでいる人もあります。そういう場合には、僧侶が来てわざわざ葬儀を執り行う必要はないとも言えるでしょう。

しかし、実際には、まわりはわかっていても「本入」は自分の死に気づいていない場合が多いのです。
ー助かる、助かる。大丈夫、大丈夫。
と、思いながら亡くなっていく人が多いのです。

亡くなると、病気で苦しんでいた場合など、その肉体的な苦しみから解放されます。ろうそくの炎が消えるときに急に大きくなるように、身体がよくなったような気がするようなのです。そのため、白分が死んだことには気がつかないで、

-自分の病気が治ったのだ。

と錯覚してしまう場合もあります。
だから、そういう人には葬儀という一連の儀式をして、自分の死という現実を気づかせてあげなければいけないのです。

繰り返して言います。

葬儀とは、死によって身体と「本人」が分れたときに、その「本人」に対して遺された者たちや僧侶が、儀式な言葉でもって「あなたは、亡くなったのですよ」と教えてあげることなのです。そして、この世への執着や未練を断ちきってもらうのです。

これが枕経であり、通夜であり、葬儀を行う意義であるわけです。

よく「引導を渡す」という言葉をお聞きになるかと思います。

「引導」というのは、もともとは「手引きする」「案内する」というような意味ですが、人々を導いて仏道に入らせる意味で使われていました。
「引導を渡す」というと、とくに、死者を迷界から浄土へと導く儀式のことになります。

「迷界から浄土へ導く」には、死者に、「自分が死んだという事実」を確実に認識させ、現世への執着を棄てさせて、悟りの仏道へと進むようにさせねばなりません。そのためには、「あなたはまちがいなく死んだのですよ」という事実を、
死者に宣言する儀式が必要になるのです。

もはやこの世にはもどれないこと、この世の未練を断ちきつて浄土に進むしかないことを、悟らせるわけです。
それが「引導を渡す」という意味であり、葬儀を行う意義なのです。

ただ引導を渡したからといって、すべての人がただちに納得するわけではありません。

「おれは死んでなんかいないんだ」と拒否されることもあります。

さらには、「本人」のもともとの性格もあります。
生きている人間がさまざまなように、故人の性格もさまざまです。
生前、ものわかりの悪かった人が、死んだからとい。てものわかりがよくなることはありません。生前、頑固だった人が死んで素直になるといったことはありません。疑り深い人は、死後も疑り深い.あきらめの悪い人は、死んでもあきらめが悪い・。生前の性格は死後もそのままなのですから、自分の死をなかなか認めようとしない人もいるわけです。

また、なかには未練や執着があまりに強かったり、疑り深い性格などから、自分の死をまったく納得しないでいる人もいます。そうなりますと、この世で亡霊となって長い間さまようこともありうるわけです。

だから、繰り返し繰り返し「あなたは死んだのだ」ということを伝えるために、葬儀の後にも法要を重ねていく必要があるのです。

「本入」が死を自覚するまでの期間はどれくらいか

自分の死に気がつかない人が少なからずいると申しました。また白分の死に気づくまでには、多少の時間がかかるものなのです。死んだからといって、その直後に自らの死を白覚するというのではなく、次第に時とともに自覚していくのだと思われます。

そこで、通夜、葬儀、初七日、四十九日と回を重ねていくうちに、何度も何度も「あなたは死んだのですよ」と伝えていくことになります。こうして回を重ねていくことよって、「本人」も次第に自分の死を自覚していくことになるのです。自分の死を悟ることによって、「本入」がこの世の執着を棄てて成仏の方向に向かうのです。

私が「本人」を感じるのも、亡くなってすぐのときがやはり一番強く、法要の数を重ねて時を経るにしたがって、徐々に薄くなっていきます。それは「本人」がこの世の執着や未練を葉てていくことと比例しているようです。

さて、「本人」が自らの死を自覚するまでの期間は、いったいどれくらいなのでしようか。

仏教では、死の瞬間から次の生を受ける間を、中陰(中有)といって、その期間を四十九日としており、七日ごとに法要を営んできたのです。私自身の葬儀と法要の体験からしても、いわゆる未練がおおかたなくなったと思わる区切りは、まあ平均的には四十九日ということができます。ただもちろん、これには個人差があります。早い方ですと二、三週間でそこまでいたる人もいますし、遅い方ですと二、三年もかかる場合もあります。

しかし、ときには大変な長い期間にわたって自らの死に気がつかない場合もあるのです。たとえば、十分に葬儀や供養をせずに放っておかれたときがそうです。突然の交通事故で亡くなり「本人」はそのままの事故現場にいて、自分が死んだという自覚がない場合もそうです。そして、この世に対する未練があまりに強烈だった場合もそうです。

極端な場合には、何十年、何百年、いや何千年も時空を超えて残る場合もあるのです。これが、いわゆる「呪縛霊」とか「地縛霊」 などと言われるもののことです。平家の怨霊話とか、いろいろと各地で伝えられているのがそれです。

 

プレ創世記について思いを馳せてみようか

神々と異星人の刻印という本を読んだのですが、これは今一つでしたね。この手では、やはり、フラワー・オブ・ライフ―古代神聖幾何学の秘密〈第1巻〉と、フラワー・オブ・ライフ―古代神聖幾何学の秘密〈第2巻〉が圧倒的と言おうか、すごい。

元々は、講義をビデオでまとめたものを書籍化したとのことで、youtubeで「Drunvalo Melchizedek」と検索すれば、あまたのビデオを見ることができます。

まあ、その手の雑誌「ムー」ファンには必読品ではないでしょうか。奇しくもムー 2013年 02月号は、惑星ニビル特集となっております。

ということで、今日は、シュメール楔形文字を解読したゼカリア・シッチンを、「フラワー・オブ・ライフ」の中で、著者ドランヴァロ メルキゼデクが、ガイドともいうべき「トート」(ある種の生命体)の話で補完した物語を紹介します。我々、人類の誕生までの話です。フラワー・オブ・ライフのほんの一部分ではありますが、長い話でもあります。

シッチンとシュメール

まずゼカリア・シッチンの研究から始めることにします。・・・。彼の主な著書は『ネフィリムとアヌンナキ―人類(ホモ・サピエンス)を創成した宇宙人 (超知ライブラリー)』(The 12th Planet)ですが、私は他の2冊、『失われた領域(原題 The Lost Realm)』と『創世記再来 Genesis Revisited』を(この順序で)お勧めします。彼は、ずっと存在を実証できる人がいなかったために長いこと神話だと思われてきた、バベル、アッカド、ウルクなどのキリスト教聖書に出てくる多くの都市について書いています。それらが現に実在していたという証拠はこれっぽっちもなかったのです。ところがついにーつの都市が発見され.それは次なる都市の発見につながり、そしてまた別の都市の発見へと連鎖的に導かれていきました。そうして結局、聖書に出てくるすべての都市を見つけ出したのです。

これらすべての古代都市はついこの120年ぐらいの間に発見され、しかもそのほとんどほ最近と言えることに注意してください。古代都市の層を掘り下げていったとき、何百年.何千年前まで過去に遡ってシュメールと地球の歴史をつづった円筒形の粘土版が、何干枚も発掘されたのです。シュメールの文字は楔形文字と呼ばれます。
私が話しているのは、なにもシツチンの解釈だけではありません。現在では楔形文字を判読できるようになっており、多くの研究者がこれらの文章を翻訳していくにつれて、私たちが真実だと思ってきた世界観は変化させられています。ジョン・アンソニー・ウエストのスフィンクスに関する研究が、現代の人類の歴史に対する考え方を変化させているのと同様です。

どうやってシュメール人がそんな情報を受げ取ったのかについては、あとでまた説明しましょう。シュメールの記録は今から5800年前まで遡、.この惑星で最古の文書ですが、それらは何十億年も昔にあったことを描写しており、特に45万年前より後のことに関してはきわめて詳細に記録されています。科学的知識によっても、トートの知識によっても、私たちの種はだいたい20万年前から存在しています。シッチンは、私たちはひょっとすると30万年前頃あるいはもっと昔から存在していたかもしれないと言っていますが、記録もトートもそうは言つていませんし、メルキゼデクたちもそうは言いません。私たちはここに20万年よりちょっと前くらいの頃からいましたが、今のサイクルやネフイリムよりもはるかずっと以前から地球には文明が存在していたのです。それは私たちが聞いたことのあるものやネフイリムを超越する、進化した文明でした。彼らは何も残さないで消え失せてしまいました。この本の終わりに達するまでには、なぜ何の痕跡も残さずに消えてしまったのかも、理解できるでしょう。それがこの惑星の過去です。ある意味では、それは私たちが誰であるのかということに関係しています。私たちはそれらすべての情報にアクセスすることが可能です。私たち一人ひとりの内部には、この情報が記録された一構成部分があります。それには簡単にアクセスできるのですが、ほとんどの人は単にそれに気がついていないだけです。
一般的に、歴史的な出来事についてはそれに関する最古の原典が一番重視されます.なぜなら、後になって書かれた記述よりも時間的に近いからです。エジプトのヒエログリフよりも古い幾何学的言語は例外の可能性もありますが、シュメールの楔形文字は人類が保持する最古の文字です。古代シュメール入は、私たちがいま知っている過去の歴史が正しいという確信ゆえに、非常に受け入れにくい歴史を語っています。物語はあらゆる面においてとんでもない代物なので、科学者たちはそれが真実に違いないと知ってはいても、今は受け入れるのが困難なようです。それは最古の記録なのです!もしこれほど突拍子もない内容でなかったら、そこまで古い原典に書かれているのですから、もっと早くにその通り受けとめていたはずです。
 もし仮に、古代シュメール人は頭がおかしくて、実際の知識なしに物語を作り上げていたのだとしたら、私たちの歴史的観点から見て彼らが知り得るはずのない、多くの自然に関する事実を知っていたこどを一体どうやって説明するというのでしょう。たとえば、すべての外惑星について知っていたのはドゴン族だけでなく、シュメール人も同様でしたー彼らの文明の始まりの時から知っていたはずです。
紀元前3800年ぐらいまで遡る、世界最古の文明として知られるシユメール文明は、外宇宙から太陽系に接近してくる時にどう見えるかを正確に描写していました。全部の外惑星を認識しており、あたかも太陽系の外側からやって来たかのように、外側から内側へと順番に数え上げているのです。ちょうどドゴン族が洞窟の壁画に描いたように、シュメール人はさまざまな惑星の相関的なサイズを、まるで宇宙空閲を旅しながら見てきたかのごとく、外観がどう見えるかや、水の存在,雲の色に及ぶまで描写しています。それらすべての体験が紀元前3800年に詳細に語られているのです! これが事実です。こんなことが一体どうして可能だったのでしょうか。それとも私たちの「始まり」には、まだあずかり知らぬ真実が存在しているというのでしょうか?

NASAが外惑星を越えてさらに外宇宙へと宇宙探査機を送り出すよりも前に、ゼカリア・シッチンはNASAにあてて、シュメール人による宇宙から見た全惑星に関する記述を送っていました。そして探査機が惑星の一つひと」つを通過するごとに送ってきた映像と.シュメール人の描写ば思った以上に完全に一致していました。もうーつの例を挙げましょう。シュメール人たちはその文明の始まりの時から、なんと歳差運動についても知っていたのです。地球が太陽のまわりを公転する軌道面がち23度傾いていることも、そのゆらぎ運動が一周するのに約2万5920年かかることも知っていました。さて、これは頭のかたい歴史学者には理解しにくいことです。地球の回転にゆらぎがあることを知るには、2160年間にわたって連日、夜空を観測し続げなければならないという知識がある科学者タイプの人は、特に頭をひねるでしょう。最短で2160年ですが、シュメール人はその文明の始まった最初の日からそれを知っていました。
一体彼らはどうやってそれを知ったのでしょう?一般的な考え方ではすぐに馴染めない、途方もない証拠がこれらの粘土版から見つかっています。私が学校で教わったところによれば、「創世記」(旧約聖書)は今から約3240年前である紀元前1250年頃にモーゼが書き記したというものでした。ずっとそのように本に書かれているのを読んできました。しかしシュメールの粘土版には、モーゼが生きていた時代より少なくとも2000年以上前に、聖書の第1章とほとんど一字一句たがわぬ言葉が書かれているのです。これらの粘土版には「創世記」に語られた出来事の全範囲が網羅され、アダムとイヴを含めて彼らの息子や娘たちの名前が全員列挙されています。これらのすべてはモーゼが受け取る以前に書き記されました。これは、モーゼが「創世記」の書き手ではなかったことを証明しています。もちろん、キリスト教社会にとって受け入れがたいのば明白ですが、それが真実なのです。地球の歴史として信じられてきたこととあまりにもかけ離れているために、この知識が現代の文明に浸透するのにこんなに長くかかっているのは確かによくわかります。しかし、何にせよこのモーゼに関する密かな、あるいは公然の真実も、真実の全貌からすればほんの一部分でしかありません。

ティアマト、そしてニビル

これらの例外的で信じがたい情報(もっと他にもあるのですが)よりもさらに詳しくシュメール人が知っていたのは、アダムとイヴ以前の人類の歴史の始まりについての物語です。彼らはずっとずっとはるか遠い昔まで遡った話をしています。物語は地球がまだとても若かった時代、何十億年も昔に始まります。そのころ、地球は「テイアマト」と呼ばれる大きな惑星で、火星と木星の間にあって太陽のまわりを公転していました。古代の地球は大きな月を持っていて、彼らの記述では、いつか未来においてその月は惑星になるとされていました。
その記録によれぱ、私たちの太陽系には、今でばぼんやりとしか認識されていない、もうーつの惑星がありました.バビロニア人はこの惑星を[マルドゥク」と呼んでいたので、この名前が一般的になりましたが、シュメール人には「ニビル」で通っていました。それは他の惑星よりも大きい、地球とは逆行して公転している巨大な惑星でした。その他の惑星はいずれにしても軌道面を一定方向にまわっていましたが、ニビルは違う方向へ動き、他の惑星に近づくとき火星と木星の軌道の上を通過するのでした(図3「8)。Fig3-8
シュメール人たちは、ニビルはこの太陽系を3600年ごとに通過し、それがやって来る時は一大事だったと語っています.そのあとニビルは外惑星からずっと離れたところまで遠ざかり、やがて視界から消え去るのです。

ときに、たぶんNASAはすでにこの惑星を発見しているでしょう。少なくともその可能性はかなり高いと言えます。NASAは2つの人工衛星によって、太陽から途方もなく離れたところに存在している惑星を見つけたのです。それは確かにそこに存在していて、シュメール人はそのことを何千年も昔から知っていたのです! そして記録によれば、運命がもたらしたある軌道上、ニビルはーつの惑星に近づきすぎて、その衛星のーつがテイアマト(私たちの地球)にぶつかり、その半分ほどを削り取っていきました-星を真っ二つに引き裂いたのです。シュメールの記録では、このテイアマトが砕けたとき.その大き塊のーつが大きな月と一緒に軌道からはじき飛ばされ、金星と火星の間の軌道に乗って、いま私たちが地球として知っているものになったというのです。他の塊は何百万個にも砕け散って、シュメールの記録では「打ち砕かれし腕輪」と呼ばれる、火星と木星の間にある小惑星帯のなりました。この記述は天文学者たちを驚嘆させました。肉眼では見られないのに、一体どうして小惑星帯のことを知っていたのでしよう?
これはシュメールの記録がどれほど過去まで遡うているかを示しています。記録は初期の出来事について書きつづり、ある時点でニビル(マルドゥク)についてさらなる話を語りはじめます.そこでは「ネフイリム」と呼ばれる、意識を持つ存在が住んでいたことに言及しています。
ネフィリムたちはとても背が高く、女性は約3~4メートル、そして男性は約4~5メートルもあったそうです。
彼らは不老不死ではありませんでしたが、その寿命は地球時間で約36万年ほどあったとシュメールの記録は伝えています。それから死を迎えたというわけです.

ニビルの大気の問題

シユメールの記録によれば、およそ43万年くらい(もしかすると45万年以上かもしれません)昔のこと、ネフイリムの惑星であるニビルに間題が発生しました。それは大気に関する問題で、私たちがいま直面しているオゾン層の間題と大変よく似ていました。そしてニビルの科学者たちは、地球の科学者たちと似たような解決策を考え出したのです。地球の科学者は太陽の破壊的な光線を濾過するために、粉塵の分子をオゾン層にばらまこうと考えたことがあります。ニビルの軌道は太陽から相当遠くまで離れていくので、熟をたくわえる必要がありました。それで彼らは、鏡のように光と熱を反射させるため、大気圏の上層部に金の粉をばらまくことにしたのでした。それを霧状にして惑星上空の空中に留めておくために、大量の金を採取することを計画しました。そう、彼らが現代にも見られる類の問題について話し合っていたのは本当です-古代人たちがETやこみ入った科学的なことについて語っていたのです。これは『スター・トレック』でもSFでもありません.本当にあったことです。彼らが言っていることはあまりにも驚愕に値するので、それゆえ一般大衆の知識に浸透するまでに、かなり時間がかかっているのです。

一見、当時の彼らは今の私たちどさほど変わらない発達をしているように見えますが、ネフイリムは宇宙旅行をすることができました。シュメールの記録には、ロケットのように後方へ火を噴いている空飛ぶ船が出てきまず。これがあまり高度ではないものの、宇宙旅行の始まりでした『事実、それらはあまりにも原始的なものだったので、地球とニビルの間を行き来するにはごの2つの惑星が接近する時を待たねばなりませんでした。いつでも好きな時に出発できたわけではなくて、近づくまで待たねばならなかったのです。ネフィリムは太陽系の外へは出られなかったところから、たぶん周辺の惑星を探査しつくして、その結果,地球に金が大量にあることを知ったのでしょう。それで彼らはたったーつの目的-金の採掘のために、あるチームを40万年前にここへ送ってきました。地球にやってきたネフイリムには、統率する12人のりーダーと、その下で実際の採掘にたずさわるものが600人、そして300人ほどが軌道上の母船に留まっていました。彼らはまず最初に現代のイラクに当たるところへ降りて、白分たちが落ち着ける場所を確保し、都市を建造しましたが、その場所で金を掘ったわけではありませんでした(図3-9)。金は、アフリカ南東のとある谷で掘っていたのです.
 12人のうちの一人、エンリルという名前の人が採掘の統率者でした。彼らは地中深く掘り下げてゆき、大量の金を掘り当てました。それから3600年ごとにニビルすなわちマルドゥクが接近してくるたびに、自分たちの故郷の惑星へ金をシャトルに乗せて運んだのです。それからニビルが再び軌道をめぐってやって来るまでの間、また掘り続サました。シユメールの記録によれば、それがだいたい10万年から15万年ぐらい続いたころに、ネフイリムの反乱が起きたと記されています。
私はシッチンのいう反乱の時期には同意していません。彼はシュメールの記録から直接それを得たわけではなく、彼がそうであるはずだと考えた計算の結果を言っ

ているからです。シッチンは、この反乱が起ぎたのは約30万年前だとしていますが、私はそれはおよそ20万年前に近かったと見ています。

ネフイリムの反乱と私たちの種の起源

30万年前から20万年前までのどこかで、ネフイリムの採掘者たちは反乱を起こしました。シュメールの記録は、この反乱についてたいそうな詳細を書きつけています。
労働者たちはリーダーに抵抗しました。もう金鉱を掘り続けるのが嫌になったのです。彼らが「我々は15万年も掘り続けているんだ。もう、うんざりだ。こんなことはもう金輪際するものか」と言っているのが想像できるようです。もし私だったら、きっとーカ月ぐらいしかもたないでしよう。
反乱によって問題点が明らかになったために、12名のリーダーが集まって、どうするべきが決めることにしました。彼らはこの惑星にすぞに存在していたある姓名体から(私が理解したところによると)霊長類を選びました。そしてその霊長類の血液と粘土を混ぜ、ネフイリムの若い男性から得た精子をそれに混合しました。実際に粘土版には、化学薬品用のフラスコのように見える容器からもうーつのフラスコに何かを移し、この新しい生命体を創り出す様子が描かれています。この計画は、霊長類のDNAとネフイリム自身のDNAを使用して 当時の地球に存在した種よりもさらに進化した種を創り出し この新しい種をネフイリムの金の採掘のためだけに使えるようにするというものでした。
つまリシュメールのもともとの記録によれば、私たち人類は金を掘る奴隷として造られたことになります。それだけが私たちの存在目的だったのです。そしてネフイリムたちは、彼ら自身の惑星を救うのに必要な金を採掘しつくした後は、私たちの種を消滅させて出て行くつもりでした。私たちを生き延びさせようという意図は、はなから持っていなかったのです。さて、これを聞くと、たいていの人は「これは自分たちのことではない」と考えます。我々はそんな者であるにはあまりにも気高い存在だと思うわけです。しかし、地球で書き残された最古の記録がそれを事実としているのです。思い出してください.シュメール語は聖書やコーランなどよりもっとずっと古い、世界最古の言語として知られています。いまや聖書はシュメールの灰から生まれたと言ってもいいでしょう.
科学の世界で発見されたことは同じぐらいに興味深いものです。シュメールの記録で私たちが金の採掘をしたという、まさにその場所で、考古学者たちは金鉱を発見したのです。これらの古代の金鉱は10万年も前のものでした、本当にものすごいことは、ホモ・サピエンス(私たちです)がこれらの採掘場で金を掘っていた証拠が出たことです。人間の骨がそこで発見されました。これらの金鉱は少なくともおよそ10万年前のものと推定され、これらの金鉱内に人間がいた時代は2万年前まで遡れました.
さて、10万前に、私たち拡金なんか掘って一体何をしていたのでしょう? 金は柔らかい金属で、他のある種の金属のように使えるといった代物ではありません。

人々は一カ所に集められ、そこから外に出られないように、ここに留められたのです。そしてネフイリムにとって役立つまで充分に進化を遂げたとき.アフリカの採掘場などいろいろな場所へ、金の採掘その他の仕事に就くために移送されました。ですから私たちの起源である先祖はそのゴンドワナランド島で、約5万~7万年ほどかけて進化発達したことになります。
この地図を見てもらうと、それぞれの大陸がかつてどうーつにまとまっていたかがわかると思いますが、それはいま科学者たちが真実ではないかと推測しているところです。彼らはばらばらに分かれる前のこの大陸をゴンドワナランドと呼んでいます。その名は西アフリカの部族の創造神話からつけられたものです。そのあたりのいろいろな部族の創造神話を読むと、いかにして世界が創造されたかについてはそれぞれ異なる概念を持っていますが、すべてに共通する一条の芯があることに気がつきます。彼らはみな一様に、西方の、アフリカ西海岸沖のゴンドワナという名の島から来たと言っているのです。
たったーつの例外として、宇宙からやって来たと語るズールー族の例が知られている以外は、全部がこの話に一致しています。
シュメールの記録では、実際に人間をネフイリムの約3分のーの背たけだと描写しています。ネフイリムは私たちと比べて確実に巨人でした。記録を信じるのであれば、ネフイリムは身長が約3~5メートルもあったことになります。私には、シュメール人たちが嘘をつかねばならなかった理由が全然見つかりません。トートは、彼らは地球の巨人だと言いましたが、彼らが誰であるのか、それ以上は語りませんでした。聖書も同じことを言っています。ここに「創世記」の6章を揚げましょう(かっこ内は著者注)。

そして地上に人は増え始め、娘たちが生まれた。(「人が増え始め」というのは非常に重要な宣言です。これについては後述しまず)。神の息子たちが(「息子たち」と複数形になっているところに注目してください)人の娘たちを見、美しいと思った。そして彼ら(神の息子たち)は選んだものを妻として連れ去った。そして主はこう言われた、「彼らもまた肉体を持つがゆえに、わがス
ピリッツは常に人と共には在れぬ」(ということは主も肉体を持っていることを示唆しています)、しかし彼らは百と二十年を一生とす。当時もその後も地上には巨人たちがいた。神の息子たちが人の娘たちの間に降り立ち、娘たちが子供を得たとき、彼らはかつて古(いにしえ)の時に名を馳ぜたる者たちのように力強き者となった。

この聖書の部分についてば多くの解釈がなされてきました。しかし、シュメールの記録が語っていることを念頭に置きながら見ていくと、特に巨人たちが何と呼ばれていたか書き記されている古い版の聖書を見てみると、完全に異なった解釈に到達します。キリスト教の聖書にはシュメールの記録が残しているのとまったく同じ発音の「ネフイリム(Nephilim)」という言葉が書かれているのです。世界中には約900以上の版の聖書がありますが、そのほとんどが巨人について触れており、多くが彼らを「ネフイリム」と呼んでいるのです。

人類の創造ーシリウス人の役割

トートは、地球には巨人がいたと語りました。言及したのはそれだけです。巨人たちが一体どうやって、あるいはどこから来たのかということについては触れませんでした。私たちが創造されたとき、これらの巨人たちは私たちの母親になったと言いました。また7人が一緒になって、体を意識的に死なせ、まさに「創世記パターン」(これについては5章でお請しします)と同じように、お互いに重なりあった7つの意識の球の模様になったそうです。この融合は古代人たちが「フラワー・オブ・ライフ(生命の花)」と呼んだ青白い炎を創造し、この炎は地球の胎内に据えられました。

エジプト人たちはこの胎内をアメンテイのホールと呼び、それは3次元的には地下約1600キロメートルにありて、4次元的な通路で大ピラミッドともつながっています。アメンテイのホールの主な用途のーつは、新たな人種や種族を創り出すことです。その中にはフイボナッチの比率に基づいた、石のような材質で作られた部屋があります。部屋の真ん中には立方体があり、その上にはネフイリムが創造した炎があります。この炎は1.2~1.5メートルぐらいの高さで、幅は90センチほどあり、青白い光を放っています。この光は純粋なプラーナ、純粋な意識であり-私たちに人類という新たな進化の道を踏み出させるために創られた、惑星の「子宮」と言えるものです。

もし母親がいるのであれば、どこかに父親がいなけれぱならないとトートは言いました。そして、その父親の性質-父親の精子-はそのシステムや体の外部からやって来なげればなりませんでした。そこでネフイリムたちは彼らのフラスコを準備し、この新たな種族の閑発のために、別の遠い星、つまウシリウスBから外側へ3番目の惑星より助っ人たちが地球へやって来るのを待ちました。その種族には32名のメンバーがいて、16人の男性と16人の女性が結婚してーつの大きな家族にまとまっていました。彼らもネフイリムど同じ背たけをもつ巨人でした。ネフイリムは種として3次元の存在でしたが、シリウス人は種として4次元の存在でした。
32人みんながお互いに結婚しているというのは奇妙に聞こえるでしょう。地球では、私たちはみずからの太陽を反映して一夫一婦制の結婚をします。私たちの太陽は水素性太陽で、それはーつの陽子とーつの電子を持っています。私たちは水素の状態を再構成し、それゆえ一対一の結婚をするのです。もしあなたが2つの陽子と2つの電子を持つへリウム太陽、それに2つの中性子を持つ太陽といったところを訪れるなら、二人の男性と二人の女性が子供を創るために集まっているでしょう。シリウスBのような高度に進化した白色矮星で,年老いた太陽だった場合は、32(ゲルマニウム)のシステムになるのです。
シリウス人たちはここへやって来て、何をするのかを心得ていました。そこで直接アメンテイのホールへ入り、ピラミッドの炎のすぐ前に立ちました。彼らはすべての存在が光であることを知っており、思考と感情との関係もよく理解していました。それから、シリウス人たちは32個のローズクオーツの石板(幅約1・2~1・5メートル、長さ約5・5~6メートル、厚さ約76センチほどの)を創りました。それらは虚空から炎のまわりに創り出されたのです—まったく完全な無からでした。それから男女交互に炎の中心へ頭を向けて、炎を取り囲むようにそれらの石板の上に横たわりました。シリウス人は誕生を成就させるべく.ネフイリムの胎内の炎と融合したのです。
一方、3次元レベルでは、ネフイリム人の科学者らがいよいよ最初の人閥が誕生ずるプロセスとして、人工的に作り出した人間の卵子を7人のネフイリム女性の子宮内に植え付けました。人間のレベルでは、はじめの8つの細胞になるまでの基本的な過程は24時間以内に起こります。ところが惑星レベルの出産はまったく異なっていました。トートによれば、彼らは地球とともにこの新たな種を懐胎するために、そこに微動だにせず約2000年間も横たわっていなければならなかったのだそうです。そして2000年後、ついにアフリカ南方の西海岸沖、ゴンドワナランドに最初の人間が誕生したのでした。

「貨幣は生まれながらにして金である」といったのはマルクスだったろうか。人間が、金というものに貪欲なわけが、それでも究極のところよくわからなかったのだが、なんと、人類が金鉱労働者として創造されたのだとしたら、それもありなのかなと思った次第ではあります。

キューブラー・ロス「人生は廻る輪のように」

人生は廻る輪のように は長いこと「つん読」していたのだが、このたびいよいよ読ませてもらいました。予想していた以上におもしろかったなぁ。キューブラー・ロスはたくさんの著書があるのだが、まだ何も読んでいない人は、この一冊をお勧めします。自伝的であり、なおかつ面白い。

著作ともに広くしられており、いまさら、特になにも取り立てて言うことはないのだが、文中にて死後の段階について説明している箇所が非常にまとまっており、普遍性も高いと思われるので、その部分を紹介してみよう。

面接のデータを分析して、わたしは死亡宣告後の経験をいくつかの特徴的な段階にまとめた。

 

第一期 まず最初に、肉体からぬけだして空中に浮かびあがる。手術室における生命徴候の停止、自動車事故、自殺など、死因のいかんにかかわらず、全員が明瞭な意識をもち、自分が体外離脱をしている事実にはっきりと気づいている。さなぎから飛び立つ蝶のように、肉体からふわっとぬけだすのだ。そして、自分がエーテル状の霊妙なからだをまとっていることに気づく。なにが 起こったのかは明噺に理解している。その場にいる人たちの会話が聞こえる。蘇生を試みる医師チームの人数を数えることも、つぶれた車から自分の肉体を救出しようとしている入たちの姿をみることもできる。ある男性は自分を轢き殺して逃げた車のプレートナンバーを覚えていた。自分の死の瞬間にベッドサイドで親族がいったことばを覚えている人はたくさんいる。

第一期で経験するもうひとつの特徴は「完全性」である。たとえば、全盲の人もみえるようになっている。全身が麻痺していた人も軽々と動けるようになり、よろこびを感じる.病室の上空で踊りはじめ、それがあまりにたのしかったので、生還してからひどい抑うつ状態になった女性もいる。実際、わたしが面接した人たちが感じていた唯一の不満は、死んだままの状態にとどまれなかったということだった。

第二期 肉体を置き去りにして、別の次元に入る段階である。体験者は、霊とかエネルギーとかしかいいようのない世界、つまり死後の世界にいたと報告している。ひとりで孤独に死んでいくことはないのだと知って、安心する段階でもある。どんな場所で、どんな死にかたをしようと、思考の速度でどこにでも移動することができる。自分が死んで、家族がどんなに悲しむだろうかと思ったとたんに、一瞬にして家族に会うことができたと報告する人は数多くいる。たとえ地球の反対側で死んでも、その事情は変わらない。救急車のなかで死亡した人が友人のことを思いだしたとたんに、仕事場にいるその友人のぞぱにきていたと報告する人もいる。

この段階は、愛した人の死、とりわけ、とつぜんの悲劇的な死を嘆き悲しんでいる人にとっては大きななぐさめになる時期でもあるということがわかった。がんなどでしだいに衰弱して死をむかえる場合は、患者も家族も死という結末にそなえるだけの時閻がある。しかし、飛行機の衝突事敗はそうはいかない。飛行機事放で死んだ本人も、最初は残された家族に劣らず混乱している。ところが、この段階に入ると、死んだ人もなにが起こったのかを解明するだけの時間がもてるようになる。たとえば、TWA八OO便の事故で亡くなった人たちは、海岸でおこなわれた葬儀に家族といっしょに参加していただろうと、わたしは想像している。

面接をした全員が、この段階で守護天使、ガイドー子どもたちの表現では遊び友だちーなどに出あったことを覚えている。報告を総合すると、天使もガイドも遊び友だちも同一の存在であり、つつむような愛でなぐさめてくれ、先立った両親、祖父母、親戚、友人などの姿をみせてくれる。その場面は生還者たちに、よろこぱしい再会、体験の共有。種もる話の交換、抱擁などとして記憶されている。

第三期 守護天使にみちびかれて、つぎの第三期に入っていく。そのはじまりはトンネルや門の通過で表現されるのがふつうだが、人によってそのイメージはさまざまである。橋、山の小道、きれいな川など。基本的にはその人にとっていちばん気持ちのいいイメージがあらわれる。サイキックなエネルギーによって、その人自身がつくりだすイメージである。共通するのは、最後にまぶしい光を目撃することだ。

ガイドのみちびきで近づいていくと、その強烈な光となって放射されているものが、じつは、あたたかさ、エネルギー、精神、愛であることがしだいにわかってくる。そして、ついに了解する。これが愛なのだ。無条件の愛なのだ。その愛のカは途方もなく強く、圧倒的だったと、生還者たちは報告している。興奮がおさまり、やすらぎと静けさがおとずれる。そして、ついに故郷に帰っていくのだという期待が高まってくる。生還者たちの報告によれば、その光こそが宇宙のエネルギーの、究極の本源である。それを神と呼んだ人もいる。キリストまたはブッダと呼んだ人もいる。だが、全員が一致したのは、それが圧倒的な愛につつまれているというごとである。

あらゆる愛のなかでもっとも純粋な愛、無条件の愛である。何千、何万という入からこの同じ旅の報告を聞くことになったわたしは、だれひとりとして肉体に帰りたいと望まなかったことの理由がよく理解できた。

しかし、肉体にもどった人たちは、異界での体験がその後の入生にも深速な影響をあたえていると報告している。それは宗教体験とよく似ていた。そこで大いなる知恵を得た人たちもいた。

予言者のような警告のメヅセージをたずさえて帰還した人たちもいた。まったく新しい洞察を得た人たちもいた。それほど劇的な体験をしていない人も、全員が直硯的に同じ真理をかいまみていた。すなわち、その光から、いのちの意味を説明するものはただひとつ、愛であるということを学んだのである。

第四期 生還者が「至上の本源」を面前にしたと報告する段階である。これを神と呼ぷ人たちもいる。過去、現在、未来にわたる、すべての知識がそこにあったとしかいえないと報告した人たちも多い。批判することも裁くこともない、愛の本源である。この段階に到逮した人は、それまでまとっていたエーテル状の霊妙なからだを必要としなくなり、霊的エネルギーそのものに変化する。その人が生まれる前にそうであったような形態としてのエネルギーである。人はそこで全体性、存在の完全性を経験する。

走馬灯のように「ライフ・リヴュー」(生涯の回顧)をおこなうのはこの段階である。自分の人生のすべてを、そこでふり返ることになる。その人が生前におこなったすべての意思決定、思考、行動の理由が逐一あきらかにされる。自分のとった行動が、まったく知らない人もふくめて、他者にどんな影響をあたえたのかが、手にとるようにわかってくる。ほかにどんな人生を送ることができたのかも示される。あらゆる人のいのちがつながりあい、すべての人の思考や行勤が地球上の全生物にさざ波のように影響をおよぼしているさまを、目の前にみせられる。

天国か地獄のような場所だ。とわたしは思った。たぷん、その両方なのだろう。

神が人間にあたえた最高の贈り物は自由意志による自由選択である。しかし、それには責任がともなう。その責任とは、正しい選択、周到な、だれに恥じることもない、最高の選択、世界のためになる選択、人類を向上させるような選択をするということだ。生還者の報告によれば、「どんな奉仕をしてきたか?」と問われるのはこの段階である。これほど厳しい問はない。生前に最高の選択をしたかどうかという問いに直面することが嬰求されるのだ。それに直面し、最後にわかるのは、入生から教訓を学んでいようといまいと最終的には無条件の愛を身につけなければならないということである。

こうしたデータからわたしがひきだした結論は、いまでも変わっていない。それは、富んだ人も貧しい人も、アメリカ人もロシア人も、みんな同じ欲求をもち、同じものをもとめ、同じ心配をしているということだ。事実、わたしはこれまでに、最大の欲求が愛ではないという人に出あったことがない。248-252頁

翻訳者(上野圭一)のあとがきがよかったので、その部分も付け加えておこう。

現代文明は、じつはその根底において「偶然」を究極の根拠とする、あやふやな文明である。まず宇宙の発生自体が「偶然」の産物であるとされている。第一原因が設定できないために、「偶然の量子的ゆらぎ」に端を発する「ビッグバン」から「偶然」にはじまったことにならざるをえないのだ。生命の起源にしても、無機物質が化学進化によって「偶然」に複雑化して有機物質となり、生化学進化によって有機物質から「偶然」に生まれたのが代謝と増殖をおこなう生命だとされている。その生命の進化にしても、自然選択という必然だけでは説明できず、「突然変異」という「偶然」との結合を強調せざるをえないという事情がある。

物質も生命も「偶然」の産物であるとする思想からでてくるものは、当然のことながら、一種のニヒリズムである。みずからの出自をたずね、本源を探っていこうとしても。最後にぶつかるものが「偶然」でしかなければ、そこに意味や価値をみいだすことがむずかしくなるからだ。キューブラー・ロス博士が生涯をささげた医学の世界においても、そのニヒリズムは徹底している。

からだは物質である分子の集合体であり、死んだら無になるだけであり、脳が不可逆的に損傷すれば生きた臓器をとりだしても罪にはならない。

ところが、「偶然」はじつは、思想的にも明確な概念ではない。『二〇世紀思想事典』[丸山圭三郎他著、平凡社)によると、偶然は「予測、説明、理解をこえていること(とくに注目すべき事象や一致・符合)の生起を形容するために用いられる。行為者が意図しなかった事象に出あうことを形容するのに用いられるごともある」。予測、説明、理解ができるようになれば、同じ事象も「偶然」ではなく「必然」になる可能性がつねにあるといってもよさそうだ。

そう考えると、肝心なことをすべて「偶然」のせいにしようとする現代文明は、じつは現象界の背後に存在する(はずの)つながりの糸をみる目をもたない、未熟で無明の文明であることがわかってくる。「いのちの唯一の目的は成長することにある」というキューブラー・ロス博士が一貫して提唱してきたのは、その無明から脱して成長しようということであった。それも、文明自体の未熟を糾弾するのではなく、個人の目ざめと成長をつうじて文明の成長をうながそうという提案である。個人が目ざめ、成長をとげる過程をさまたげているもの、それが死にたいする恐れである。臨床的にその死をみつめつづけた結果、博士がついに手中におさめたのは「死は存在しない」という、足元をすくわれるような結論だった。肉体の死はもちろん存在する。しかし、蝶がさなぎから羽化するように、役目を終えた肉体からなにかがぬけだし、さらに長い長いいのちの旅をつづける。存在するのは物質としての肉体の死だけであり、いのちの終焉としての死は存在しない。そう気づいたとき、人は大いなる安心の境地にいたり、つぎの段階へと成長をとげる。蝶の羽化のように…。