いまなお続く余震の恐怖

いやぁ、余震は怖いですね。慣れるということがない、むしろ敏感になっていく。昔なら全然怖くない程度の地震でも、怖いです。寝ても醒めても地面が揺れている感じがします。感じならいいんですが、これが実際に揺れているわけですから・・・。

そんな矢先、日本経済新聞に余震についての記事がありました。今後のために、以下に転載。

地震なお数年活発 大震災が誘発、地盤にひずみ

2011/4/23 22:12

国内観測史上最大のマグニチュード(M)9.0を記録した東日本大震災から1カ月半、大きな余震が収まらない。内陸をはじめ震源域の外でも、大きな余震が誘発されているからだ。「数年間は地震活動が活発な状態が続く」とみる専門家が多い。

M7を超える余震はこれまでに5回起きた。このうち3月11日の本震と直接関係のある余震は2つ。いずれも岩手~茨城沖の南北約500キロメートル、東西約200キロメートルの震源域にある「割れ残り」と呼ぶ未破壊領域がずれ動いて起きた。他の3つは大震災に誘発されたもので、気象庁は「広義の余震」と位置づけている。

東日本を乗せる北米プレート(岩板)が東から押し寄せる太平洋プレートの沈み込む力に耐えきれずに跳ね上がって発生したのが本震。陸と海のプレートが強くくっついた「固着域」が壊れた影響で、双方のプレートにかかる力が大きく変化した。震源域の外で本震とは別タイプの地震が誘発されやすくなっている。

大規模な余震が起こりやすい場所は4タイプある。1つは震源の両端の外側にある割れ残りだ。北側には三陸沖北部、南側には房総沖の震源域がある。いずれもM7~8級の地震が想定され、本震で解放された影響でひずみが急増し、誘発されやすくなっている。

2004年のスマトラ島沖地震(M9.1)で3カ月後に起きたM8.6の余震はこのタイプだ。スマトラ島沖では、5年後にもM7級の余震が発生している。

2つ目は震源の東側の海底で起こるタイプ。「こうした余震に備えるべきだ」。米カリフォルニア工科大学の金森博雄名誉教授は先々週、開かれた米地震学会の年次大会で発表した。震災後、太平洋プレートの浅い部分は引っ張る力が働くようになったため、海底に近いプレート内部で正断層型の地震が発生する。

東北地方の太平洋プレートはできてから1億年以上たっており、地震を起こす断層が多いという。海底で断層がずれると大きな津波が発生する可能性も危惧される。

日本海溝沿いで2006年に起きた千島沖地震では、M8.3の本震から2カ月後にM8.1の余震が起きた。「プレート境界型地震の後、古い海側プレートで起きやすい」と金森名誉教授は指摘する。

3つ目は太平洋プレートの奥深くで起こるタイプ。4月7日に宮城県沖で発生したM7.1の余震がこれで、仙台市などで大きく揺れた。

東北地方の地殻は普段は太平洋プレートに東から押されている。大震災でこの力がはずれ、宮城県・牡鹿半島の観測点が東南東へ約5メートル動くなど、東に引っ張られた。その影響で、内陸部で起きる直下型の余震が増えている。これが4つ目だ。4月11日に福島県南部の浜通りでM7.0が発生。余震によって発生したひずみが次の余震を招く形で、地震活動が活発化している。

さらに東日本以外でも、長野県北部(M6.7)や静岡県東部(M6.4)などで大震災に誘発された地震が起きた。名古屋大学の田所敬一准教授は「中部までの地殻にかかる力が大きく変わったからだ」と説明する。

こうした地震は東西方向に引っ張られて起きる正断層型で、断層の方向が大震災の震源とほぼ平行などの特徴がある。田所准教授は「地殻の弱い所に引っ張りの力が働いて誘発されているのではないか」と説明する。

都市部の直下で発生すると甚大な被害が出る。1944年の東南海地震(M7.9)の1カ月後に三河地震(M6.8)が発生。東南海地震の犠牲者を超える2300人余りの死者を出した。

余震は通常、次第に規模が小さくなって間隔も開いていく。だが巨大地震では、数カ月たってから最大余震が起きるケースは珍しくない。京都大学の遠田晋次准教授は「これまでに起きたM7級の余震では、地殻に加わる力を解放し切れていない。頻度は減っても大きな余震が来る恐れがある」と警戒を呼びかけている。

ということで、とりあえずは3-4ヶ月後にも予想される最大余震に注意しましょう。

震災後1月が経って・・・。

もう一ヶ月です。最後の記事が3月10日投稿の「twitterの機能をwebに組み込む@anywhere」ですから、翌日に大震災が起きて、それから一月が経ったというわけです。ご無沙汰しておりました。

さて、右岸の羊座で、震災見舞いということであがた森魚氏のミニ・コンサート(ゲストに今話題の越路姉妹、越路よう子さん)と懇談会にいってまいりました。

いつもながらの素晴らしいライブをまくらに、懇談会は盛り上がりましたね。いい話がたくさん聴けたのはよかったです。

ふしぎな話もあって、車で走行中に産業道路で渋滞にあって、絶体絶命ときに、突如眼前に現れた緑色のトンネル。そこは隣の車線や対向車線の渋滞とは無縁にすいすいと走ることができたと言います。ちなみに、産業道路にはトンネルは実在しません。

ということで、懇談会の一部分をご紹介。

 

異次元の刻印 グラハム・ハンコック 日常にかいま見る異次元

異次元の刻印 上下 グラハム・ハンコックを読みました。面白かったです。このおもしろさをどのように表現したらいいのかななどと思いながら読んでいましたが、訳者の後書きにそれがありました。さすがに訳者(?)です。ということで、まずはそのあとがきをご紹介。

ラスコー洞窟壁画、中世の妖精、ルルドの泉、UFO拉致体験、DNA、シャーマニズム - この一見まったく関係などあり得ないように見えるテーマをすべて織り込み、その深層に共通するものを見つげてひとつのテーゼを紡ぎ出せと言われたら、そんなことは不可能だとふつう思うだろう。これまでも、聖櫃の行方や、超古代に存在したかもしれない高度な文明の可能性という壮大なテーマを扱うなかで、グラハム・ハンコックは、研究者の綴密な調査と、ジャーナリスト的な「読ませる」文章展開という、きわめて強力な二つの側面を組み合わせたすばらしい著書を世に出してきたが、これらのテーマについても、すでに本書を読み終えた読者の皆さんはご存知のとおり、変性意識をタテ糸に、そしてその状態でしかアクセスできない異次元領域の存在の可能性をヨコ糸に、すべてをつなぐ共通項を見出し、新たな世界観の見事なタペストリーを紡ぎ出している。

ハンコックの著書の大きな特徴は、どのテーマでも徹底した調査を行い、すべての引用文献を綿密に記した脚注を加えるということだ。その徹底ぶりには、感心を通り越して多少やりすぎではと思われる読者もおられるのではないかと思う。この点について、来日したハンコック氏の講演の通訳を務めさせていただいたときに訊ねてみたことがある。彼の答えは、自分の扱ってきたテーマは、よく「正統派」とされる考え方に真っ向から挑戦するため、時として容赦なき非難と罵倒の対象にさらされてきたためだというものだった。学術論文と変わらぬほどきちんとした文献と資料を明示し、単なる「トンデモ本」の類いではないということをはっきりさせるためなのである。事実として受けいれられた見解に異を唱えると、学界などですでに確立された権威、言わば「ブランド」を盾にして、一見は正当と見えるが、実はきちんとした検証に基づいてはいない非難中傷を投げつける勢力が世の中にはあふれているらしいのだ。

本書の中でも著者白身による遠慮ない検証の対象となっている既成宗教組織を含め、集団が組織化し、権力を持つようになると、まずその存在や教義を守ることが真理の探求より優先してしまうというのは、古今東西変わらね現象なのであろうか。そうだとすれば、著者はもちろんだが、ここに登場する、ジャック・ヴァレー、リック・ストラスマン、ジョン・マック、デヴィッド・ルイスー=ウィリアムスなど、勇気を持って真の科学者たる態度で行った研究を残してくれた学者たちには、なおさら深い尊敬の念をおぼえずにはいられない。彼らや、彼らに先立って、民族誌や人類学の立場から民間伝承やシャーマンの話を記録してくれた研究者たちの作業があったからこそ、ハンコックもこれほどの綴密な検証と概念の構築を行うことができたのである。

もしハンコックが審らかにしてくれたように、私たちの現実世界とは別の次元が実際に存在しているのだとしたら、すぐそばにこのような深遠な世界があると考えただけで、畏敬の念とともに限りない興奮を覚える。同時に、現実のとらえ方、人間としての世界に対する関わりかたについても、まったく連うアプローチをしなければならないことも明らかであろう。この本の中でも強く主張されているように、太古から語り継がれてきた叡智を真剣に検証し、物質界の現実以外の存在はあり得ないという傲慢な態度をあらためて、そこから謙虚に学ぶ姿勢をとらなければならないのだ。昨今の世界を俯瞰しただけでも、事態がそれだけ差し迫ったものとなってきているのは誰でも理解できると思う。

日常生活に埋没してしまい、ひたすらこの現実に流されそうになりながら生きることを余儀なくされる凡人の私たちに、真理を再発見する望みは残されているのだろうか。少なくともこの本を読むかぎり、そしてきわめて限定されたものではあるが、個人的な体験から言うかぎり、それは常にそこにあって私たちを待ち構えているのではないかと思われる。さまざまな白己啓発の努力をすることだけでなく、私たちが仕事のあとに体養することも、旅に出ることも、友と酒を飲み交わすことも、そして運動することでさえも、すべてはこの「凡庸な現実」とは違う輝き、つまり変性意識を求めてのことではないのか。考えてみれば、著者が「自分の心に関する主権という、最も基本的な人権」と呼ぶものを、あれこれ理由をつけて抑え込むというのもおかしな話ではある。どのような形でそれを探求していくのかは、究極的にはひとりひとりの意志と選沢にかかっているのだ。少なくとも、この本を読んだあとは、浦島太郎や天女の衣のお伽話も、これまでとはまったく異なった響きを持つようになるのではないだろうか。

グラハム・ハンコックは、この探求において、私たちのずっと先にあるものを率先して体験、研究し、日常レベルに戻ってきてはそれをわかりやすく噛み砕いて説明してくれる、まさに現代のシャーマンとしての役割を持った人なのではないかというのが、訳者の密かな見立てである。(p289-292,訳者後書きより)

しばらく、就寝前に読んでいましたが、本当におもしろかったです。で、読書途中の平成23年2月13日に、仙台市青年文化センターにて「躍動する獅子踊り・剣舞/第25回民俗芸能のつどい」を鑑賞したのですが、これが、まさにハンコックの解く、妖精/宇宙人の踊りではないかと思いました。訳者あとがきにある「少なくとも、この本を読んだあとは、浦島太郎や天女の衣のお伽話も、これまでとはまったく異なった響きを持つようになる」ように、獅子踊り・剣舞が異次元を指し示してくれたかのようでした。

twitter勉強しています-RSS FEED 利用

先日紹介した新書ツイッター 140文字が世界を変えるの129頁のrss利用法をやってみました。

プログの更新情報の配信先として利用する

つぶやき方の工夫というか、ただ単に人力でつぶやくだけでなく、前にも少し触れたように、プログの更新情報などを白動的にツイッターに配信することも可能です。

プログを更新したことを、手動でツイッターで、つぶやいている人も既にいるかもしれませんが、これを白動化することが可能です。RSSフィードのURLを専用サイトに登録すると、一定の間隔で最新記事をツイッターでつぶやくことができるようになります。フォロワーにいる知り合いそのほかに、プログで更新した展新情報を伝えることができるわけですね。

もちろん、プログでなくとも、企業などでRSSフィードによる新着情報を配信しているのであれば、同様の方法で、それをツイッター向けに配信することが可能です。企業情報の配信チャンネルにツイッターが加わるというイメージで考えてください。

つぶやきとは別にして、RSSフィードの肢新情報を配信するための専用アカウントをツイッターに開設する、ということも考えられるかもしれません

ということで、「rss twitter」でググッてみると、以下の5つをまとめているサイトにぶつかった。

  1. twitterfeed
  2. RSS2twitter
  3. HootSuite
  4. Pingvine
  5. Twitterボットを簡単につくれちゃう! Bot Maker(ボットメイカー)

とりあえず1番目のtwitterfeedでアカウントを作成してみると、あっというまに完了。で、twitterのアカウントにはいってみると、おおグッドです。

とりあえずは、しばらくこれを使ってみましょう。

twitterを勉強してみました

とりあえずtwitterのアカウントは作成していたのですが、なかなか使えずにおりました。

パソコンというよりも、モバイルからの利用が本筋のような気がしていたので、iphoneを購入してからとおもっていたのですが、そのうちにスマートフォンがブームになりいろいろな機種が登場してきて、選択枝も広りはじめ、もう少しが、とうとうここまで使わずに来てしまったというところです。

iphoneは相変わらず人気で、値段が安くなりそうもないし、ソフトバンクの料金の不確定さにはストレスが溜まりそうだし、なんでも4月から携帯端末がsimフリーになるという話もあるし、スマートフォンの新機種は続々発売される予定だし、どうやら、さらにしばらくは待つことになるなと思いはじめた今日この頃です。

ということで、しばらくは、手持ちの携帯でなんとか利用できないだろうかということでネットを徘徊してみると、http://www.docodemo.jp/twil/index.html がよさそうです。、やる気がでてきました。

ストレートにdocomo の imodeを利用してtwitterをはじめるとパケット料金がかかりそうで、気が重かったのですが、このTwilはメールを利用してtwitterを利用することができます。バケット契約に頭を使うこともなくさくさく使えますし、結局は料金もお得、ということになります。

ついでにTwitterそのものも勉強しようと思い、つん読していた新書ツイッター 140文字が世界を変えるを読んでみたら、これがまた面白い。ビギナーには最適な本で、ためになりました。

この本に習い、朝日新聞とウォールストリートジャーナル、jpy(為替情報をつぶやくボット)をフォローして先ほどのTwilメールを送信して、メール受信にてタイムラインを取得してみると、おぉ、なかなか快適です。ということで、二時間ほどパソコンの前で、キーボードを弄りながらツイッター 140文字が世界を変えるを読み終えてしまいました。さらっと読めましたが、中身が薄いわけではなく、なかなかの内容です。ということで本当にお薦め。参考までに内容もご紹介(p185-186)、

日本語に有利なツイッター

ツイッターの140文字制限は、ここまでツイッターを利用した経験から、英語よりも実は日本語に有利なシステムではないかと考えています。第2章で述べたようにそもそも日本には俳句に代表される文字数制限をルールとした文化があり、それが今でも続いています。

五・七・五、もしくは五・七・五・七・七といった、とても簡単とは言えない言葉遊びにこれだけの多くの人が長い間興じている国というのもそうそうないでしょう。

また、日本語は少ない文字数で多くの情報を伝えることには長けている言語です。バイリンガルの友人何人かに確認してみましたが、ツイッターで英語と日本語を便うと、3倍ぐらい入れ込める情報量が違うそうです。

これをプログに例えると、英語の場合はタイトルレベルの僑報量しか入れられませんが、日本語の場合は「続きを読む」の手前ぐらいまでの情報量を入れられてしまいます。このためツイッターを文化的に捉えた場合、英語と日本語では今後さらに違う発展をするのではないかと考えていまず。

例えば、日本のツイッターでは、イペントやカンファレンスなどの中継をつぶやきでやることに「tsudaる」という言葉まで生まれたように、つぶやきにある程度の情報の固まりを入れることが可能です。

これはおそらく英語では不可能ではないまでも、かなり難しいことなのではないかと思います。こういった英語と日本語による文化的な発展の違いというのは、今後まだまだ広がっていきそうな予感があります。

やや、文化人類学的な考察もうかがえますが、この部分に限らず、簡単な文面、内容でtwitterをここまで書くのはなかなか大変だと思います。なによりも、背景の思想が前向きで明るいのです。著者(共著)はなかなかの人物だと思います。

ちなみに、私のtwitterのホームアドレスは

http://twitter.com/#!/kuranaka_com

ひまでしたら是非、アクセスしてフォローしてみてください。