異次元の刻印 グラハム・ハンコック 日常にかいま見る異次元

異次元の刻印 上下 グラハム・ハンコックを読みました。面白かったです。このおもしろさをどのように表現したらいいのかななどと思いながら読んでいましたが、訳者の後書きにそれがありました。さすがに訳者(?)です。ということで、まずはそのあとがきをご紹介。

ラスコー洞窟壁画、中世の妖精、ルルドの泉、UFO拉致体験、DNA、シャーマニズム - この一見まったく関係などあり得ないように見えるテーマをすべて織り込み、その深層に共通するものを見つげてひとつのテーゼを紡ぎ出せと言われたら、そんなことは不可能だとふつう思うだろう。これまでも、聖櫃の行方や、超古代に存在したかもしれない高度な文明の可能性という壮大なテーマを扱うなかで、グラハム・ハンコックは、研究者の綴密な調査と、ジャーナリスト的な「読ませる」文章展開という、きわめて強力な二つの側面を組み合わせたすばらしい著書を世に出してきたが、これらのテーマについても、すでに本書を読み終えた読者の皆さんはご存知のとおり、変性意識をタテ糸に、そしてその状態でしかアクセスできない異次元領域の存在の可能性をヨコ糸に、すべてをつなぐ共通項を見出し、新たな世界観の見事なタペストリーを紡ぎ出している。

ハンコックの著書の大きな特徴は、どのテーマでも徹底した調査を行い、すべての引用文献を綿密に記した脚注を加えるということだ。その徹底ぶりには、感心を通り越して多少やりすぎではと思われる読者もおられるのではないかと思う。この点について、来日したハンコック氏の講演の通訳を務めさせていただいたときに訊ねてみたことがある。彼の答えは、自分の扱ってきたテーマは、よく「正統派」とされる考え方に真っ向から挑戦するため、時として容赦なき非難と罵倒の対象にさらされてきたためだというものだった。学術論文と変わらぬほどきちんとした文献と資料を明示し、単なる「トンデモ本」の類いではないということをはっきりさせるためなのである。事実として受けいれられた見解に異を唱えると、学界などですでに確立された権威、言わば「ブランド」を盾にして、一見は正当と見えるが、実はきちんとした検証に基づいてはいない非難中傷を投げつける勢力が世の中にはあふれているらしいのだ。

本書の中でも著者白身による遠慮ない検証の対象となっている既成宗教組織を含め、集団が組織化し、権力を持つようになると、まずその存在や教義を守ることが真理の探求より優先してしまうというのは、古今東西変わらね現象なのであろうか。そうだとすれば、著者はもちろんだが、ここに登場する、ジャック・ヴァレー、リック・ストラスマン、ジョン・マック、デヴィッド・ルイスー=ウィリアムスなど、勇気を持って真の科学者たる態度で行った研究を残してくれた学者たちには、なおさら深い尊敬の念をおぼえずにはいられない。彼らや、彼らに先立って、民族誌や人類学の立場から民間伝承やシャーマンの話を記録してくれた研究者たちの作業があったからこそ、ハンコックもこれほどの綴密な検証と概念の構築を行うことができたのである。

もしハンコックが審らかにしてくれたように、私たちの現実世界とは別の次元が実際に存在しているのだとしたら、すぐそばにこのような深遠な世界があると考えただけで、畏敬の念とともに限りない興奮を覚える。同時に、現実のとらえ方、人間としての世界に対する関わりかたについても、まったく連うアプローチをしなければならないことも明らかであろう。この本の中でも強く主張されているように、太古から語り継がれてきた叡智を真剣に検証し、物質界の現実以外の存在はあり得ないという傲慢な態度をあらためて、そこから謙虚に学ぶ姿勢をとらなければならないのだ。昨今の世界を俯瞰しただけでも、事態がそれだけ差し迫ったものとなってきているのは誰でも理解できると思う。

日常生活に埋没してしまい、ひたすらこの現実に流されそうになりながら生きることを余儀なくされる凡人の私たちに、真理を再発見する望みは残されているのだろうか。少なくともこの本を読むかぎり、そしてきわめて限定されたものではあるが、個人的な体験から言うかぎり、それは常にそこにあって私たちを待ち構えているのではないかと思われる。さまざまな白己啓発の努力をすることだけでなく、私たちが仕事のあとに体養することも、旅に出ることも、友と酒を飲み交わすことも、そして運動することでさえも、すべてはこの「凡庸な現実」とは違う輝き、つまり変性意識を求めてのことではないのか。考えてみれば、著者が「自分の心に関する主権という、最も基本的な人権」と呼ぶものを、あれこれ理由をつけて抑え込むというのもおかしな話ではある。どのような形でそれを探求していくのかは、究極的にはひとりひとりの意志と選沢にかかっているのだ。少なくとも、この本を読んだあとは、浦島太郎や天女の衣のお伽話も、これまでとはまったく異なった響きを持つようになるのではないだろうか。

グラハム・ハンコックは、この探求において、私たちのずっと先にあるものを率先して体験、研究し、日常レベルに戻ってきてはそれをわかりやすく噛み砕いて説明してくれる、まさに現代のシャーマンとしての役割を持った人なのではないかというのが、訳者の密かな見立てである。(p289-292,訳者後書きより)

しばらく、就寝前に読んでいましたが、本当におもしろかったです。で、読書途中の平成23年2月13日に、仙台市青年文化センターにて「躍動する獅子踊り・剣舞/第25回民俗芸能のつどい」を鑑賞したのですが、これが、まさにハンコックの解く、妖精/宇宙人の踊りではないかと思いました。訳者あとがきにある「少なくとも、この本を読んだあとは、浦島太郎や天女の衣のお伽話も、これまでとはまったく異なった響きを持つようになる」ように、獅子踊り・剣舞が異次元を指し示してくれたかのようでした。

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