般若心経はもう暗唱できましたでしょうか?
呼吸の仕方、座り方、瞑想の仕方にはいろいろありますが、あまり方法にはとらわれないで実践してみましょう。
吐く息を大事にして、般若心経をとなえることで心身を落ち着かせた状態を続けていると、視界の中に光が見えてきます。
座禅中は半眼(まぶたの半開き、完全に眼を閉じているのでなく、また眼を開いているのでもない状態)が良いとされていますが、私は特にこだわってはいません。閉じても閉じなくてもいいと思います。もちろん、半眼でもいいでしょう。
見えてきた光に注意を向けていると、その光はどんどん大きくなっていきます。漫画家の桑田二郎氏はこの光のことを「チャクラ」といっています。
この稿を書くにあたって、再度「般若心経への道」をチェックしたのですが、「チャクラ」の記述は思っていた以上に少ないのに驚いています。というのは、桑田二郎氏の「チャクラ」の記述で、私はこの光を開花させることができたからです。おそらく、「チャクラ」の記述が詳細に語られている他の著作を読んでいたのかもしれません。
「般若心経への道」で著者は呪を原音で発音することの大事さを語っていたのですが、第三巻で、その呪の意味についての解説をはじめます。167ページ、般若心経の呪、最後の部分「ボーディスヴァーハァー」の「スヴァーハァー」の元々の意味はインド神話の「火神アグニ」の異称であったという説明部分につづいての172ページから引用してみましょう・・・。
“チャクラ”は瞑想の行をつむとともにあらわれてくる。
チャクラとは、瞑想の時、閉じたまぶたのウラ、ひたいのあたりにあらわれてくる光のワだ。
それがはっきりとする時、たくさんの花べんを持つ、光のハスの花のような姿となる。
そのチャクラは、肉体の器官とは、また別の霊的次元の身体の機能で脊椎の基底部から頭上部にむかって、七つあり 霊的次元の”いのち”の活力を肉体生命の次元へとつなぐそれぞれの働きをしている。
“いのち”の根元的な活力である”プラーナ“もこのチャクラの働きを通して”いのち”の内部へととり入れられるのだよ。
さらに瞑想がすすむと、「クンダリニー」という神秘的な現象があらわれてくる!
「クンダリニー」とは、大昔から、”とぐろを巻いた蛇”によって、象徴されているが、それを「火の蛇」とか「火のような力」とか「世の母」とか、いろいろに呼ばれている。
その感じというのは、瞑想中、突然、息も止まる不思議な圧力が全身にみなぎり、その強力な圧力が、不思議な快感をともなって、腰骨(こしぼね)の底辺から、背筋をラセン状に渦巻き上がり、首筋を通り抜け、頭がいの頂点に達し、そこで金色の光となって飛び散っていく!!その感じは、まるで金色にかがやく龍神が大地から湧き上り、自分の体内を通り抜け”空”なる次元へと渦巻き上がってゆくが如くだ。
以上ですが、途中からクンダリニーについても語られています。関係なくはないのでそのまま掲載しましたが、瞑想の行がすすむとあらわれる光、もしくは「チャクラ」について、とりあえずは意識していただければ良いと思います。
私の経験でいえば、ちょいと早歩きのウォーキングをしたり、6階ぐらいの階段を早歩きで駆け上ったときなどもこの類の光はあらわれることがあります。酸素、心肺への負荷、呼吸器官、脳内の変化、光を感知するのではないかとされている脳下垂体などの相互作用がこの光の原因なのではないかと思っています。関連して、マラソン時などに経験するといわれる”ランナーズハイ“もこの光があらわれるのではないかななどとも思っていますが、これは経験がないことと、もしくは経験しているかもしれないが意識していなかったことなのでなんともいえません。
ということで、今回は瞑想中にあらわれてくる光、もしくは「チャクラ」について述べてみました。この光があらわれてきたら意識して、大きくするようにしてください。息の使い方、姿勢などもこの光のおおきさに影響するかもしれません。いろいろトライして経験をつめば、次のステップへの足がかりとなってくれるでしょう。