え!社会面トップにこんに大きく掲載?! 小沢元代表の裁判

先日、報道新聞スペースのあまりの小ささにびっくりしたのだが(日本経済新聞ではたったこれだけ?!前田元検事「捜査の進め方に問題」 小沢元代表公判で証言)、今回は逆に、あまりの掲載スペースの大きさにびっくりしてしまった。しかも社会面のトップ扱い。以下の記事だ。

小沢元代表どう説明 10日から被告人質問

2012/1/9 0:44

資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り政治資金規正法違反(虚偽記入)罪で強制起訴された民主党元代表の小沢一郎被告(69)の公判は、10日から2日間の被告人質問が行われる。これまでの公判では、虚偽記入を巡る元秘書の証言が揺らぐ一方、事実と異なる捜査報告書の存在も判明、公判の行方は予断を許さない。事件について詳細な説明を拒んできた元代表本人がどう供述するか注目される。

被告人質問の焦点の一つは、陸山会が2004年に東京都世田谷区に購入した土地にからんで元代表が自ら用意した4億円についてどう説明するかだ。

元代表側の原資についての説明は、これまで「政治資金」「定期預金を担保にした銀行融資」「父親から相続した遺産」と変遷。昨年10月の初公判後の記者会見では「原資は私のお金。詳しく聞きたければ検察に聞いてください」とそれ以上の説明を拒んだ。

政治資金収支報告書に記載されている「4億円」の意味を巡っては、元代表側は、元代表が用意した4億円を担保にした同額の「銀行融資」と説明。元代表からの4億円は「預かり金」で記載の必要はなく、虚偽記入にはあたらないと主張する。これに対し、検察官役の指定弁護士は「4億円は元代表からの『借入金』で、記載する必要がある。融資は『表に出せない資金』を隠すための工作」と指摘する。

収支報告書を作成した元秘書の石川知裕衆院議員(38)=同罪で一審有罪、控訴=は「4億円」について、自らの公判では「借入金」と説明していたが、元代表公判の証人尋問では「(借入金か、銀行融資か)どちらかと言われると困る」と述べ証言を修正した格好となった。

ただ、元代表の弁護士は「証言の変化は大きな問題ではない」と話す。

収支報告書の虚偽記入を巡り、元代表が元秘書との共謀について何を語るかは最大の焦点だ。初公判で「共謀した事実は断じてない」と主張した元代表だが、石川議員が元代表に「(虚偽記入を)報告し、了承を得た」と認めた捜査段階の供述調書の信用性は公判のポイントである状況は変わらない。

元代表公判のこれまでの証人尋問で、石川議員は「(自身の)再逮捕への恐れから検事に迎合した。供述調書の内容は事実ではない」と任意性を否定。同議員を取り調べた田代政弘検事(44)の証人尋問では、強制起訴の根拠になったとされる捜査報告書に事実と異なる内容が記載されていたことも明らかになった。

報告書には、石川議員が「報告・了承」を認める供述を維持した理由について「検事に『ウソをついたら選挙民を裏切ることになる』と言われたのが効いた」と述べたと記載。しかし、石川議員による取り調べ状況の「隠し録音」に同様のやり取りはなく、元代表側は昨年末、「起訴議決は無効」として東京地裁に公訴棄却を申し立てた。

検察官役の指定弁護士の1人は「議決の有効性に問題はないだろうが、裁判所の検察捜査に対する不信感は、元秘書の公判よりも強まった可能性も考慮し、終盤の立証を終えたい」と話している。

記事の内容も新しいものではなく、なんで今更!?というようなものだ。下に写真を掲載するので、見て欲しい。

左側に社会面全体、右に記事全体を写したものだが。左側を見ると、大事な社会行事「成人の日」の記事、次にオウム平田容疑者関連、そして小沢裁判となっている。どうみても小沢裁判の記事は不自然だ。

右の小沢裁判記事全体を観ると、記事最上部に白抜きで「4億円の原資は元秘書との共謀」右側に黒字で大きく「小沢元代表、どう説明」そして中ほどに「明日から被告人質問」と見出しが並ぶ。

もう一度左側の社会面全体を見渡してもらうとよくわかるが、下段にある企業広告よりも目立つ。つまり、社会的喚起だけが目的の、ビジュアル重視のプロパガンダ記事なのだ。ただただ、小沢元代表を蹴落とすためだけの記事といっても過言ではないとおもうのだがどうだろうか?

以上、3.11を契機に、でたらめな報道記事の現実に目覚めてしまった私の意見と疑問でした。

映画 恋の罪 園子音監督 水野美紀主演

上質のエロ・グロ、エンタティメント作品です。

主演の水野美紀さんの体当たり演技は、期待以上のものがありました。水野美紀さんのファンは沢山いることですので、賛否両論あることだとおもいますが、意気込みの強さは誰にも文句がつけようがないでしょう。しかし、はまり役ではありませんでしたね。水野さんはやはりどこまでもきれいな役が似合いますよ。

冨樫真さんは、はじめてみましたが、よかったですね。これは、はまり役でした。仙台出身とのことですが、いい俳優さんだと思いました。

きわどいところで、B級作品にとどまっているという映画でしたね。A級にしないところが園監督の手腕なのかなと思ったりもします。

テーマは重いですが、難しいことは考えずに、美人女優さんたちのヌードとセックスシーンを楽しむのがいいのかなあ・・・、などと考えました。

熟年と性、愛は時空を超えるか?その3

「工藤美代子著、炎情―熟年離婚と性」からの連載、その3です。

前回、「目と目を合わせただけで充分に感じてしまうカップルだって(多分)いることでしょう。」と述べました。また、前々回は「愛のために、肉体上の問題、勃たないとか、濡れないとかに拘泥しなくともいいのではないか」と提案しました。

今回紹介する本は愛のヨガ。射精とオーガズムによらない性交についての記述部分です。著者はこの本で、プラトンのプラトニックラブと、男女間の生体電気を結びつけ、射精とオーガズムによらない性交について説明し、具体的事例を揚げている。

まずはプラトン。

プラトンは、二四〇〇年まえに、なんらかのかたちで射精とオーガズムによらない性交について知っていたらしい。

愛の性質についてのプラトンの対話篇『饗宴』から引用しよう。

「わたしのかんがえでは人類はぜんぜん〈愛〉の力の理解が行きわたっておらず、愛神をおがむかめにりっぱな神殿や祭壇をつくったり大きな儀式をしたりはしない。愛神は、ほかのどの神にもまして、崇拝と名誉にあたいするのに、彼はいまだにぜんぜんかえりみられていない。

とにかく〈愛〉は、すべての神々のなかで、もっとも人間の味方であり、傷をいやす医者であり、彼の治療こそ人類にあたえられる最大の幸福であろう。

というわけで、わたしがのべてきたように、はげしく……愛と欲求にうたれると……一瞬間といえどもわかれがたくなる。彼らこそは一生をたがいにささげあい、むなしく言いがたいあこがれをもって自分でもわからない何かを互いにもとめあう。それはたんなる性交の感覚的よろこびをもとめて、ふたりがそのように真剣に献身しあうのではなく.亙いのたましいがあきらかに渇望しあうのは、ことばではいうことのできない何かをもとめてなのである」

この引用からあきらかなことは、プラトンは愛の関係には、オーガズムにおげる男の精液と女の腺分泌の放出以外のなにものかがある、ということをよくしっていたということだ。

この「以外のなにものか」とはなにか?それはいわゆる「精神的愛」として多くのひとびとがプラトンの愛を理解しているような、たんなる友情か?そうとはおもわない。それはぜったいにもっとちがうなにものかでプラトンが経験したが説明できずにいたものだ。・・・中略・・・そうなのだ、うたがいもなく.プラトンはこう知っていた.ふたりの恋人のあいだの放電のやりとりのなかにこそ性交それ自体よりも深い、もっとずばらしいよろこびがあることを。・・・中略・・・人体の測定可能な電気は性器においてもっともつよい。だからといって、無数の電源からの電気の量が、それがいかにつよいといってもひとつの流れからの電気の量よりもつよくないはずはない。例としてあげた経験から、わたしの信じるところでは、どれらの無数の小電流は、直接、それらどうし流れこみ、たんなる身体的接触だけで、性交なしでも.均衡に達することができるのだ。このやりとりは、2,3時間というよりは数日間にわたっての喜びに充ちた気持ちを持続させる。P115-117

翻訳がこなれてないので、わかりずらいですが、我慢してください。続いて事例に移りますが、メアリーという男性恐怖症の女性と彼女に惚れたまじめな男性フレッドとの風変わりな恋愛と結婚生活(性器によらない愛の交歓)について記述してあります。

このおかしな結婚の結果はどうなったか?フレッドは約束をまもり、メアリーも態度をかえなかった。ふたりのあいだで性交へのこころみはぜんぜんなかった。メアリーの肉体的に正常な性器に対する精神的障害はいぜんとしてそのままだった。しかしこの禁欲からたとえようもないむくいが彼らの関係にもたらされた。

床入りなしの結婚が六週間つづいたあとでフレヅドに対ずるメアリーの愛は彼におとらず情熱的なものになった。そのとき彼らははじめてはだかどうしでだきあって一夜をすごした。ブレッドは超人的な努力をしたのだ。私との約束をまもるため、彼は性器をゴントロールせねばならず、そこへむかうすべての神経のながれをたちきり、そこへむかうすぺての欲望をたちきらねばならなかった。メアリーがこれまで苦しんできた神経症の状態へ、フレッドは最大の意志の力でもって、一挙に到達しなくてはならなかった。これをする最善の方法を.彼はみつけた。それは彼のすべてのかんがえと感覚を、彼のすべての自覚を、メアリーと触れている自分のからだの全部分に集申することだった。

彼らはだきあってよこたわり、完全にリラックスし、このからだの接触をよろこんでいた。すると、約半時間後に、フレッドによれば、いうにいわれないなにかが彼らの中に流れはじめ、彼らの肌の細胞のひとつひとつが生き生きとよろこんでいることが感じられた。これはフレッドが今まで経験したこともない狂喜とよろこびをもたらした〔ふたりがねるまえに風呂にはいらないと、このよろこび

は減った)。そしてメアリーも、彼によれば、おなじく感じた。彼の印象では、これら何百万のよろこびのみなもとがとけあってひとつとなり.メアリーと触れあっている彼のからだの肌の部分へとながれた。彼のからだはとけたかとおもわれ、時間空間はなくなった。すぺてのかんがえはきえ、彼はことばではいいあらわせない感覚的よろこびで燃えつくした。それに対するメアリーのことばは「超入間的」「神聖な」というのだった。ふたりとも、フレッドによれば、その瞬間には死の恐怖をずっかりわすれた。これは、彼らの感じでは、死後の世界をかいまみたにちがいない。彼らはすでに物質の世界と精神的宇宙のかけ橋に立っていたのだ。彼らは天国をあじわった。

この恍惚的経験は一晩中つづいた。しかし、七時聞たつと、息苦しい感じになってきた。ふたりはすぐにはなれなくてはならなかった。この感じを無視しようとすると、ふたりはおたがいに敵意を感じた。しかしシャワーをあびるとか、ぬれたタオルで体をふくとかすると、もういちどペヅドへもどって、またかんたんにあの超人間的祝福の状態にはいることができた(わたしはこの現象を説明できない。しかし説明は、それがみつかるとすれば.たぶんなにかの物理的法則、逆電流に関係があるだろうとおもう。もういちど読者にもおもいだしてほしいことは、そもそも神経と皮膚の細胞は、胚としては、おなじものだったのだ。それがたぶん同様な逆電流を説明することになろう)。つぎの日ふたりともこのうえなく幸福でくつろいだ気分でいられ.生命力とエネルギーに満ちあふれ、あらゆる種類の不安、神経質、怒りとは無縁だった。

以前に経験したふつうの性交の満足の種類と、このメアリーとのあたらしい歓喜の経験をくらべてみて、フレッドは、そのちがいは地上と天上の愛のちがいだといった。このあたらしい経験によりもたらされた永続的につづく超人間的な幸福にくらべれぱ、白動的な射精のあいだの瞬間的なよろこびなど、ほとんどくらべものにならなかった。

一〇年たった。メアリーは自己中心的、反杜会的な、つめたい心の少女から、あたたかい、おもいやりのある、しんせつな女にかわった。ふたりは.はじまったころとまったくかわらず、たがいに献身的に愛しあっていた。

これがメアリーとフレッドの物語りだ。想像をこえたものだが、一言たりとそれをうたがう理由はない。p119-121

ということで、セックスに寄らない性的関係についての記述でありました。

そもそも、この「熟年と性」について連載になってしまいましたが、はじまりは、読んだ本の案内で炎情―熟年離婚と性について、の感想でした。「バイアグラもバイブもいらない、年齢相応のセックスというものがあるとは考えられないでしょうか。もしくは、歳月を経たからこそできる男女の情交とか情愛があると信じることはできないでしょうか。若さを維持することや、歳を取ることを忌諱するのではなく、むしろ、前向きに歳を取る、人生を深化するという、ことをもう少し考えてもいいのではないでしょうか」という問題提起をさしていただき、その内容について何冊かの書籍を参照しつつ補足説明をさせていただきました。

宇宙は、まったくもって不思議に包まれています。残念ながら、その宇宙を人間は肉体的な五感によってしか知ることはできません。宇宙という真実を肉体的な、たとえれば、脳というインターフェイスを通じてバーチャル的(仮想的な)疑似宇宙として捉えるしかできません。しかし、魂というか、心というか、そういったものでは、その実在する宇宙を知ってはいるのです。男女間のエロスは、離れていた魂を解け合わせることにより、宇宙に触れさせる乗り物なのかもしれません。

大事なのはエロスの発動であり、それは男女間の思いに根ざしており、バイアグラとか潤滑油の問題ではないと思うのですが、いかがでしょうか。

熟年と性、愛は時空を超えるか?その2

「工藤美代子著、炎情―熟年離婚と性」からの続き、その2です。前回は古代エジプトのファラオと巫女の愛について書かせていただきましたが、今回は日本、亡き恋人と逢瀬するためついには時空を超えるようになった小森さんについて。ご紹介するのは臨死体験(上)-立花隆です。

・・・小森さんがこういう能力を開発するようになったのは、二十七、八歳のころ、金縛り状態の中で、死んだ恋人の幽霊に会うという体験をしたことがきっかけだという。それは幽霊というより、生きた人間そのままだった。体温もあり、呼吸をしているのも感じた。金縛り状態の中でその人をじっと抱いていた。その人の髪が自分の頬にふれていたという。

この体験をしたあと、何とかしてもう一度その恋人に出会いたいと思った。それは幻覚だろうとは思ったが、幻覚でもよいから、もう一度そのときと同じように、生きた彼女そのままを自分の腕に抱く感覚を得たいと思ったのである。どうすればその夜と同じ体験ができるかわからなかったので、とにかくいろんなことを試してみた。多分、金縛り状態になるのがカギだろうと思ったが、それも求めて得られるものではなかった。そのうち呼吸を止めることを思いついた。体を一切動かさず、無の境地になって、呼吸を意識的に止めることを繰り返ず。苦しくなると少し息を吸うが、吐くのはとことん止めるようにする。そのうちに、目の前に紫色の棚があらわれてそれが開くのが見えてくる。体がしびれ、稲妻のような光がピカピカしてくる。その光に驚いて手を握りしめたり、体を動かしたりすると、意識が覚めてしまって、それ以上はいけない。

三十四、五歳のごろ、結核で一年ほど入院していた。暇だったので、その練習を毎晩やっているうちに、どんどん上達し、ある日、ついに屋根を突き抜けてどんどん天に昇っていく感覚を得るようになった。そこまでは努力すればいつでもいけるようになったが、その先の心臓の拍動が止まって、絶対的に澄みきった世界に足を踏みいれるというところまでいったのは、一度きりだという。

六十五歳ころまでは、ときどきこの体験を試みていたが、何しろこれは死と紙一重のところまで行くことで、命の危険もあるので、最近はずっとやっていないという。

にわかには信じ難い話と思われるかもしれないが、私はごれはありうることだと思っている。実は、血中の二酸化炭素濃度が過剰になると、幻覚を見ることがあるごとは昔から知られている。先に、臨死体験の生理学的解釈の一つとして、脳の低酸素状態説があることを紹介したが、ごれとならんで、血中二酸化炭素濃度過剰説竜有力な解釈の一つとしてあるのである。小森さんのやった呼気をできるだけ止めるという努力をつづけれぱ、確実に血中の二酸化炭素濃度は上昇していく。そして、小森さんがいっていた、体のしびれや閃光を見るという現象も、・・・。P107-108

ここが言いたいのは、まさに「一念岩をも通す」ということです。死んでいった恋人に会いたいと思い続けてそれがかなったと言うことです。

好きな人の事を思い、その好きな人(たとえ死んでいる人でも)に会いたいと念ずる、もしくは抱きたいと念ずる。その一念が潜在意識(もしくは集合無意識)に働きかけ、方法を知り(理屈ではなく体で)出会いをかなえたわけです。結果、臨死体験とか死後の世界にいったということであり、手段であった臨死体験をするとか死後の世界に行くとかはどうでもいいことなのです。

上記に引用した文章の最後の段落は立花氏の解釈ですが、この部分は理屈であり、あまり問題ではありません。そういう意味でそのまま掲載してみましたが、問題は「血中二酸化炭素濃度過剰」云々ではなく、好きだということ、愛してるということ、会いたいと思うこと、そして抱きたいと思うことです。そうすれば、勃たなくても勃ち、濡れなくても濡れます。

逆に、勃たないとか濡れないときは、セックスする必要がないのです。自分の体を信じましょう。歳をとったから体が反応しないのではなく、歳をとったから体が反応しているのです。目と目を合わせただけで充分に感じてしまうカップルだって(多分)いることでしょう。大事なのは相手を思うことで、その思いに対する最適な解を体が教えてくれるという風に解釈できないものでしょうか。

ということで、以下に本論から若干はずれますが、興味のある方向けに小森さんの体外離脱についての箇所をご紹介。

・・・小森さんだけでなく、インドのヨガの行者の中にも、自分の意志の力で呼吸を止めその状態を持続できるとずる入々がいる。

小森さんによると、呼吸を止めるとともに、胃の動きも止まり、腸の蠕動も止まり、ただ心臓だけが動いているという状態になる。すると、まず「太陽の何倍もの白光」が見え、つづいて、体外離脱が起こる。自分の体が二つにわかれて、一方は上昇していく。

「天に昇って行く、天井も屋根も何の抵抗もなく抜けて上って行きます。春夏秋冬が一時に現れた下界が見えます。天女もいます」

という。

この現象を小森さんがどう解釈しているかというと、これは幻覚にちがいないという。なぜなら、そのとき登場してくるのが、天女だけでなく、

「時には映画女優が裸体で浮遊してきます(高峰秀子が出た)。だから幻覚と思います」

というのである。

小森さんは、ごういう不思議な能力を身につけながら、自分の能力をクールに見ている。

「私が何か宗教の勉強をしたとか、禅の修行をしたとかしてごういう体験をしたというなら立派なものなんでしょうが、私の場舎は、安直に呼吸を止めるという肉体的練習だけで得たものですから偉そうなごとはいえません。ごれは何人でも、身体を清浄に保って練習すればでぎるものと思います。いろんな現象は、身体の機能がそうさせるものだと思います」

そういう立場から解釈すると、「太陽の何倍もの白光」を見るという経験も、「呼吸を止めて仮死状態に入ったときに、瞳孔が散大ずるので無限光を感じるのだと理解しています」という。

ごの段階で、他にもいろんなことが起きる。人の声が聞こえてきたり、文字が浮かんだりしていろいろ教えられることがある。山よりも大きな人物が立っていて両手を広げているのを見たこともある。それとともに、「体悦」と小森さんが表現する肉体的快感が出てくる。それは、

「皮膚の表面ではなく、体の奥の方、筋肉か骨か骨髄かわからないが、ずっと奥の方からあふれてくる何とも表現しようのない気持ちのよさ、居ても立ってもおられぬほどのすごい気持ちのよさで、そのときちょっとでも体を動かすとズンと突きさされるようでとても耐えられないので、微動だにできません」

というほどの快感だという。この強烈な決感に耐えていると、次に、小森さんが「澄」と名づける段階に入る。それは「明澄としかいいようがない、何もかもが澄みきった世界」だという。

その段階に入るのには、呼吸停止だけでは十分でない。心臓が止まる必要があるという。

「心臓がバタッと止まります。その瞬間、間髪をいれず澄んだ中に入ります。そこは無で、ただ澄んでいます」

という。そこにいたると、自分の体から光があふれ、それが矢のように発していく。そのとき、自分の望みがすべてかなえられたような気持ちになり、宗教でいう、「大悟を得た」という心境になる。

「神も仏も友達のような気になります。神や仏と一体となり、白分がその→部になってしまったような気です」

という。小森さんの解釈では、臨死体験もごれと同じもので、昔の偉い宗教家が苦しい修行の末に得た悟りというのもこの境地だろうという。p105-106

そもそも「エクスタシー(ecstasy)」そのものが、体脱を意味するもので、セックスとあの世とは密接な関係があるものらしい。

というところで、やはり最後はエクスタシー賛歌ともいうべき「夜明けのスキャット」で締めくくってみたい。

 

愛し合う その時に この世は 止まるの 

時のない  世界に 二人は行くのよ  

夜は流れる 星も消えない

愛の歌 響くだけ                     

愛し合う二人の時計は止まるのよ

時計は止まるの  

 

日本経済新聞ではたったこれだけ?!前田元検事「捜査の進め方に問題」 小沢元代表公判で証言

12月17日は、忘年会で夜遅く帰宅してからインターネットをチェック。ゲンダイネットの下記記事をよんでびっくり。

<これは莫大な税金ムダ遣いの典型だ>

青のジャージーに安っぽい蛍光色のフリースを羽織り、刑務官に付き添われて出廷した前田元検事。丸刈りの頭髪には白髪が交じり、「大阪特捜のエース」がウソみたいに変わり果てた姿だった。それ以上に法廷を驚かせたのは、前田が昨年1月、陸山会事件で大久保秘書を取り調べるため、大阪から東京地検に応援に呼ばれたときの状況だ。前田は着任早々、事件を担当する木村匡良主任検事(49)からこう言われたという。
「これは特捜部と小沢一郎の全面戦争だ! 小沢をあげられなければ我々の負けだ!」
 まるで昔の軍人かヤクザの親分のセリフだが、ここに小沢捜査の本質が凝縮されている。「ジャマな小沢は必ず抹殺する」――。そういう決意表明なのだ。何が何でも小沢を逮捕するという予想通りのシナリオが最初からあったのだ。
 16日の前田証言がそれを裏付けてもいた。当時の特捜部幹部は水谷建設などのゼネコン企業から小沢サイドへの裏献金を洗い出すことに血眼になっていた。しかし、現場の検事がいくらゼネコン担当者や下請け業者から聴取しても裏金の存在が出てこない。「当時の雰囲気を言うと、現場は厭戦ムードでした」と前田はこう証言を続けた。
「陸山会事件を積極的に小沢さん(立件)までつなげたがっていたのは、当時の佐久間特捜部長と木村主任検事、大鶴次席検事ら一部の幹部でした。次の(大林)検事総長(当時、東京高検検事長)も乗り気ではありませんでした。それでも(部長らは)1億や2億、場合によっては4億円を出してこいと(現場に)言ってくるのです。私は佐久間部長に、想定しているスジ(ストーリー)を聞いてみました。夢みたいな話、妄想を語られました。私は率直に『裏献金は難しい』と言いました。ほかの検事も『無理』と言っていました」
 一部の幹部が、消極的な部下のシリを叩き、ありもしない「裏金1億円」ストーリーをデッチ上げる。組織が狂気に向かって突っ走る、恐るべき姿が目に浮かぶようだ。

<特捜部は検察審査会にも不利な証拠を隠した>

もちろん、エラソーに証言する前田本人も、村木元厚労省局長の冤罪事件で証拠を改ざんし、逮捕されたデタラメ検事、いわば同じ穴のムジナである。この日も、自分が作成した大久保調書の正当性はシャーシャーと主張し続けたが、そんな前田でさえ、驚き呆れるほどの東京地検特捜部の結論ありき捜査だったのだ。
 午後になると、前田はフリースを脱いで、ますますヒートアップした。さながら独演会で、「検察が検察審に提出したもので証拠になっていないものがある。石川(知裕)議員の調書には問題があったんじゃないですか。弁護士からクレームがバンバンあった印象があります」「ゼネコンや下請けの捜査員を増やしたのに調書がないでしょう? 裏金を渡しているという検察の想定と違う取り調べ内容は証拠化しないんですよ」などと、恐るべきことを次々と暴露していった。これだと、どんな事件もデッチ上げられ、誰でも犯人にされてしまう。あっちこっちで村木事件がつくられているのだ。
 そんな一方的な検察資料をもとに、検察審査会の一般人11人は、小沢不起訴を「不当」と議決し、現在の小沢裁判となっているのだから、恐ろしい。ムチャクチャだ。
 そして、冒頭の「私が裁判官なら無罪と判決を書く」となったのだが、小沢裁判を傍聴し続けているジャーナリストの江川紹子氏が言う。
「最大の問題は、検察が証拠を隠したり調書を作らなかったために、検察審査会に正確な情報が伝わらず、正しい議決に結びつかなかった可能性があることです。もちろん、国民の判断を誤らせてきた新聞やTVメディアの責任も重大です」
 前日の公判では証人台に立った田代政弘検事(44)の証言が問題になった。小沢強制起訴の最大の根拠である石川議員を再聴取した際の捜査報告書を、以前の“記憶”とゴチャ混ぜにして捏造していたことが明らかになった。検察と一体になって小沢叩きを展開した読売新聞までが、1面トップで「検事報告に虚偽」「有罪立証にダメージ」と書かざるを得ない非常事態になってきた。もはや勝負ありだ。
 検察のデッチ上げ体質、証拠隠しはバレバレである。この先いくら小沢裁判を続けたところで、「無罪」は動かなくなった。いくら「推認」好きの裁判長だとしても、小沢をクロにすることは無理だ。それならサッサと裁判を中止すべきだ。こんな茶番裁判に莫大な税金を使い、小沢一郎を幽閉して何の意味があるのか。百害あって一利なしだ。

17日はいつものように新聞やテレビを見ていたと思ったのだがと思いつつ、日本経済新聞を再チェック。一面も二面も三面にも記事がない、社会面も見たのだが・・・とおもったら見つけました。小さい!!・・・、見落としていました。たったこれだけ?

前田元検事「捜査の進め方に問題」 小沢元代表公判で証言
2011/12/16 12:06
 資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り政治資金規正法違反(虚偽記入)罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第10回公判が16日、東京地裁(大善文男裁判長)であり、前田恒彦元検事(44)=証拠隠滅罪で実刑確定、服役中=が証人として出廷した。

担当した大久保隆規元秘書(50)=同罪で一審有罪、控訴=の取り調べについて、検察官役の指定弁護士の主尋問に「(大久保元秘書が虚偽記入への関与を認めた)取り調べに問題はなく、元秘書は弁護士に相談した上で署名に応じた」と説明。一方で、陸山会事件の背景にゼネコンからの裏献金があるとする当時の東京地検特捜部の見立てについて「幹部の妄想だと思った。捜査の方法にも問題があった」と批判した。

前田元検事は大阪地検特捜部に在籍していた昨年1月、応援として東京に派遣され、逮捕後の大久保元秘書の取り調べを担当。この日の証人尋問で「着任初日に主任検事から『この件は特捜部と小沢との全面戦争。小沢を挙げられなければ特捜部の負けだ』と言われた」と明かした。

前田元検事は、大久保元秘書が石川知裕衆院議員(38)=同=との共謀関係を認めた供述調書など5通を作成。大久保元秘書は第5回公判で、前田元検事に「石川議員が虚偽記入を報告したと認めている」と言われ、「事実でない調書の署名に応じた」と証言。弁護側は、一方が自白したと真実に反する内容をもう一方に告げ署名させる「切り違え尋問」による調書で、任意性がないと主張している。

大久保元秘書らの公判では、前田元検事の作成した供述調書について、検察側が証拠請求を撤回。前田元検事の証人尋問も行われなかった。この日、法廷に姿を見せた前田元検事は証人席に座ると、正面を見据えながら、指定弁護士の尋問に早口で応じた。

都合の悪い記事はこうやって目に触れないようにさせて、記憶の彼方に追いやられていくのかといまさらながら思いました。

ジャーナリストの江川紹子氏、「国民の判断を誤らせてきた新聞やTVメディアの責任も重大です」とは同感だ。なによりも、「検察と一体になって小沢叩きを展開した読売新聞までが、1面トップで「検事報告に虚偽」「有罪立証にダメージ」と書かざるを得ない非常事態になってきた。」のにもかかわらず、日本経済新聞の記事のこの小ささには驚きました。読売新聞より日本経済新聞の方がこの手の格が上だったのがショックだなあ。