演劇 仙台空襲 戦後も震災後も、終わっていない

仙台空襲~孫たちへの伝言III~、戦災復興展プレイベント於戦災復興記念館。6月30日に観劇してまいりました。三部から成る演劇で、私としては、第三部のヒロインのもんぺ姿にしびれました。

第三部のヒロインのもんぺ姿にしびれました。写真右にて花束を贈呈しています。

終了後、キャストの方々が見送ってくれましたが、トイレに行って最後のほうになった私はなんか注目されているようで、得した気分になりました。

観劇後は、出演者の方々にはなんか親近感が増しますね。非常にうれしかったです。

仙台空襲の作・演出をされた、さとう要氏の文章がパンフレットに掲載されたいるのですが、次の部分に共鳴しましたのでご紹介。

<戦後と震災・原発事故後>は相似形をなしている、<いつか来た道>をなぞっている。<弱気をくじき強気を助け>る構図そのままに、<大本営発表>もあったし、<勝利神話と安全神話>、<体制翼賛会>や<ヒットラーまがい>まで、出るわ、出るわ!<想定外>と責任をごまかし、言いつくろう手慣れたやり口。原発の安全性を判断する「規制委員会」、またもや、<入災委員会>を作っただけ。”戦後と同じ”、”なし崩し”、”権力復権のいつか来た道ではないのか。

まさに、その通りとしかいいようがない今の社会情勢であります。むしろ、戦前よりも酷いかもしれない。演劇のような悲惨な「大空襲」に会わないためにも、誤った道は通らないようにしなければ・・・と強く思いました。

ちなみに、仙台大空襲をはじめとする無差別爆撃を指揮したのはカーチス・ルメイ。wikipediaにリンクを張っておきましたが、その最後に— ドイツ空襲の意見を聞かれて述べた文章が置かれているので、紹介しておこう。

君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。そんなときはきっと、何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供のうえに崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたのなら、そんなものは忘れることだ。

– E・バートレット・カー著・大谷勲訳『戦略・東京大空襲』

さしずめ、今なら、原発再稼働を成し遂げた野田首相の頭を撫でながらいう言葉ということになるのだろう。

 

 

携帯電話の料金は高いぞ、アマゾンのデータ通信サービス 携帯端末用カード1980円が楽しみだ。

先日、ドコモ携帯電話のポイントが切れるというので、買いかえ料金を聞いてみたら、安いもので9800円ということです。スマートフォンのほうが安いと進められたのですが、厳しい縛りがあったり、なによりもパケット代が高い。なんでも通話料含みで月に1万円弱の料金になるとのこと。あまりにも高すぎる料金体系ですね。高校生や大学生などの若者はどうやって工面しているのでしょうか。ひとごとながら心配です。

先日、ネットゲームのガチャコンプがメディアに叩かれていましたが、縛りやその他でやたらとわかりにくく高い携帯料金が先だろうと思ってしまいます。せっかくの日本先行のSNSシステムの芽を摘み取っても、ガラパゴス携帯の温床はそのまま。これでは、通信が家電のようになってしまうのではないかと危惧してしまいます。弱いものいじめが日本メディアの特徴とはわかっていますが、なんとかならないものでしょうか。

原子力発電の電気料金と同じように、たくさんの規制や既得権のために世界一の通信料金が日本国民の肩に圧し掛かっています。安易に日本国民から金を搾り取っているから、国際競争に負けるのです。意味のない地上デジタルで強制的に日本国中のテレビをゴミ化し、テレビ一台あたり3000円以上の廃棄料金をせしめて、家電業界総出で太りに太ったのはつい去年までの話。今年の大手家電メーカーの巨額赤字は、そのツケがまわった当然の結果なのですが、携帯業界はなんら学習する気もなく、ひたすら利権にしがみ続けるようです。

こういった日本の携帯環境にはささやかな抵抗ですが、私は、フリーSIMアンドロイドでdocomo通話回線を使用。パケット通信は、イオン専属発売のb-mobileのSIMカード(月々980円の使用料金)をルーターをつかって利用しています。動画などは無理としても、メールと地図/ナヴィは不自由なく利用させていただいていますが、今回は頼もしい助っ人が現われそうです。

アマゾン、日本でデータ通信サービス 携帯端末用カード1980円

2012/5/28付

米アマゾン・ドット・コムは日本でスマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)、タブレット端末用の無線データ通信サービスに参入する。1980円で一定のデータ量まで使い切りの「SIMカード」として販売し、利用者は自分の端末に差し込んで使える。外資の参入は日本初。新規参入で利用者の選択の多様化が進みそうだ。

米アマゾンは米国で通信会社の回線を借り受けて電子書籍端末「キンドル」に搭載して販売しており、日本でもキンドルを今夏にも投入する。主力の書籍、コンテンツ、端末の販売に加え、通信回線も提供することで日本市場で足がかりを築く考え。

月内にも同社のインターネット通販サイトで取り扱いを始める。サイト上で住所やクレジットカード番号を入力して回線使用権を購入する仕組み。NTTドコモの高速携帯電話サービス(LTE)を利用している日本通信の回線を使う。

利用できるデータ量は1枚当たり500メガ(メガは100万)バイト。ユーチューブの動画で約250分、地図情報の表示で約700画面程度。上限を過ぎると回線が止まり、カードを追加購入する必要がある。

大手が提供するスマホやタブレット向けのデータ通信の月額料金は5000~6000円だが、アマゾンの新サービスは頻度に応じて利用できる。

例えば通話で使う携帯電話とは別にデータ通信用としてスマホやタブレットを持っている人は、アマゾンのカードに切り替えることで通信料を節約できるケースもある。

アマゾンのSIMカードは、NTTドコモのスマホやタブレットで利用可能。複数の通信会社のカードを使える海外仕様の「iPhone(アイフォーン)」など、「SIMフリー」端末でも使うことができる。

詳細はわかりませんが、月内にもサービス開始とのこと、つまり3-4日以内ということなので楽しみです。

 

ps:その後詳細が判明したました。日本通信 bモバイル4G Amazon.co.jp限定販売 高速定額(500MB/1ヶ月)標準SIMパッケージ BM-AMFRL-500MBがそれです。前述したのと少し違い月次の支払い1980円ということです。現在使用しているイオン専属発売のb-mobileのSIMカード(月々980円の使用料金)を解約するには少しパワー不足かな。

わが亡きあとに洪水はきたれ!

先ほど、就寝前の歯磨きをしていたら、ひょっこりと輪廻転生が頭に浮かびました。輪廻があるのかどうなのかは?ではありますが、輪廻転生を信じる方が世界にはやさしいような気がします。ならば、信じてもよいのかななどと考えておりました。

輪廻転生がないと「わが亡きあとに洪水はきたれ」という言葉が重くなってくるなあということが、次に脳裏に去来しました。

このフレーズは、わが亡きあとに洪水はきたれ!―ルポルタージュ 巨大企業と労働者 (ちくま文庫)で知ったものです。フレーズの由来については、日本共産党の宮本たけしさんのブログに詳しく掲載されていて勉強になりました。『あとは野となれ山となれ』という意味だそうですが、その説明部分のみ参考までに下記に掲載させていただきます。

「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」とポンパドゥール侯爵夫人

この間、志位さんがサンデープロジェクトで紹介してから口の端にのぼるようになった「資本論」でマルクスが引用した言葉「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」…この言葉が出てくるのは「資本論」第一部(1巻)第三篇第八章の「労働日」。第五節の「標準労働日獲得のための闘争。14世紀中葉から17世紀末までの労働日延長のための強制法」の中ほどに出てきます。(社会科学研究所監修、資本論翻訳委員会訳、新日本新書版なら、第2分冊、P.464)

次のように出てきます。「どんな株式思惑においても、いつかは雷が落ちるに違いないということは誰でも知っているが、自分自身が黄金の雨を受け集め安全な場所に運んだ後で、隣人の頭に雷が命中することをだれもが望むのである。“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」

ただしマルクスはすぐその後で「しかし、このこともまた、個々の資本家の善意または悪意に依存するものではない。自由競争は、資本主義的生産の内在的な諸法則を、個々の資本家にたいして外的な強制法則として通させるのである」と、付け加えるのを忘れませんでした。つまり「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」というのは、資本家の性格が性悪だからそうなるといったものではなく、逆に、資本主義的生産の内的な法則性が競争を通じて資本家にそういった行動を取らせるのだというわけです。

さて、そこでこの「大洪水よ…」ですが、「資本論」の注釈には「宮廷の奢侈が財政破滅を招くと忠告されたときに、フランスのルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人がノアの洪水伝説にちなんで言った言葉の言い換え。デュ・オセ夫人『回想録』、序文、19ページ。『あとは野となれ山となれ』の意」とあります。

・・・以下略・・・

これが、死んでも生まれ変わるということになると「野となれ山となった」ところでまた生きていかなければならないわけですから、そうもいかないなあなどと考えることになるかもしれませんね。輪廻説は地球にやさしい考えなのかもしれません。

私の学生時代、マルクスは反体制の必需品で、反資本主義の先鋒でもありました。しかし、今になって思うに資本主義の対極にあるのではなく、資本主義の裏側にあったのではないかと思います。表に対する裏。表裏一体という言葉があるように、マルクスは資本主義を超えるものではなく、まさに資本主義そのものを語っていたのだなあとおもうのです。そして、その番い(つがい)の部分こそ、この「輪廻転生」にあるのではないかと思っているのです。

フランスのルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人のこのせりふで、記憶がよみがえるのが頭脳警察の「さよなら世界夫人」です。ユーチューブでは、http://youtu.be/Ao6Yyz6nEYoで聴くことができます。これは、ただ単に私が関連付けて記憶しているだけで、実際にはなんの関連もありません。学生時代に周りでやたらとヒットしていたような気がします。曲も詩もよく思われ、たまに無性に聴きたくなる時があります。私の中では、プロコルハルムの「青い影」と同じ位置にある楽曲ですね。ユーチューブでは、http://www.youtube.com/watch?v=buSzOh84QX4で聴くことができます。

どちらも、詩がよくわかりません。

 

逆境においては「必ずうまくいくようになる」と信じるしかない

昨今、景気は絶不調。先日、商売をしている友人のグチを聞いておりました。曰く、何年も一生懸命頑張っているのだが結果がでない。このままでは潰れるかもしれない。移転しようと思うのだが・・・。商売替えも考えている・・・。まぁ、そんな内容だ。

友人のグチはよくわかるが、どんな商売でも良いときばかりではない。景気のいいときと言うのはほんの一時で、むしろ悪いときの方ばかりといってもよいかもしれない。それでも耐えて、忍んで、良いときが来るのをじっと待つ。頭では理解していても、それでもグチをこぼしたくなるときがある。

そんなとき、ふと魔が差して、あまりの景気の悪さに、勝負に出ようと思うときは確かにある。しかしながら調子の良いときの勝負は勝てるが、起死回生の勝負は負ける。一発逆転の勝利などというものはない。時に一発逆転の勝利と見えるものはあるが、子細に分析すれば、やはり絶え間ない努力が見えないところに潜んでいるものなのだ。忘れかけた、忘れそうな、勝利の時を胸に秘めて、商売人は耐えなければならない。

友人のグチに相づちをいれつつ、それとなく、そんなことを諭しながら、グチを聞いておりました。諭したことなどは向こうも先刻承知のことだったでしょう。とはいえ、やはり、ていねいに諭しておかなければいつ魔がさすとも限りません。これは、友人として、また失敗した人間としては義務ともいえるでしょう。

そんな電話のあった翌日の朝刊。膝を打った記事を見つけましたので、以下にご紹介。

「結果残す」覚悟貫く 香川真司のアタマの中(下)
2012/4/25 6:50

「あのころは追い詰められていた」と香川真司は振り返る。「というより、自分で追い詰めていたのかもしれない。そういう性格なので」

昨年8月開幕の今シーズン序盤、ドルトムントも香川自身ももがき苦しんでいた。攻めの起点になっていたMFシャヒンが去り、得点源のFWバリオスが故障。中盤の底からくさびのパスがタイミング良く香川に入らなくなり、前線での軽妙な細工も減った。

最初の6戦は2勝1分け3敗。新加入のMFギュンドガンら周囲の選手も苦悩していた。「核となる選手が抜けて、チームとしてさまよっていた感じがする」という。

しかも本人の状態がなかなか上がらなかった。昨年1月のアジアカップで右足小指を骨折し、5月中旬まで戦線を離脱。影響は大きかった。

そんな中、日本代表として毎月、欧州とアジアを行き来した。開幕直後の8月10日、日本での韓国戦で2点を奪ったものの、ドイツに戻ると体のキレが悪くなっていた。「そういう状態が続いて、精神的にも疲労した」。10月には2試合続けて出番を失っている。

■逆境を乗り越えた1年

追い詰められていたというのは、このころのことだ。「でも、投げ出すわけにはいきませんからね」。結局、逆境においては「必ずうまくいくようになると信じるしかない」と話す。コンディションや連係の問題はたいてい時間が解決してくれる。カギはその間、強い気持ちを保っていられるかどうかなのだろう。

香川にはそれができた。クロップ監督が率いるドルトムントにはそれができた。苦悩が溶け、いい感覚を取り戻したのは12月に入ってかららしい。「チームとしても個人としても、攻守にわたって積極的に前にいけるようになった。こぼれ球を拾い、前半からボールを支配して相手に何もさせない。特にホームではそれができた」

何か転機があったわけではないと強調する。ボタンを一つ押せば、すべてが劇的に変わるなどということはないのだ。チームも香川自身も指針をぐらつかせず、辛抱強く自分たちのサッカーを継続してきたからこそ、歯車が合ったのだ。

今年の4月に入り、ビッグネームがそろう2位バイエルン・ミュンヘン、最大のライバルである3位シャルケを破った連勝で優勝をほぼ決定づけた。その終盤戦、言い聞かせていたのは「いつも通り」ということだ。

■「点を取った者が一番」

私生活においても、いつものリズムを保つことに努めている。「試合に向けて徐々に集中力を高めていく。でもピリピリした雰囲気をつくるのではない」。むしろ、厳しく管理はしない。

「仲間と食事に行ったり、ゆっくり寝たり、ボーッとしたり。この時間は何をしなければいけないとか、時間だから寝なければいけないというふうにはしない。思うままに動く」

それができているときは、心身がいい状態にあるときなのだ。ピッチに立てば、最高の集中力でゴールを陥れることに心血を注ぐ。「点を取った者が一番」という信念を持って走る。結果を残し続けなければ、退場を余儀なくされる世界にいることを肝に銘じている。

「この舞台で結果を残すんだという覚悟、強い気持ちがないと生き残っていけない」。1年目の昨季はドイツ人に鮮烈な印象を残したが、ケガで後半戦を棒に振った。今季は1年を通じてチームの核として働いた。

香川にボールが収まれば何かが起きる。そのとき、ホームの8万人の観衆の胸が騒ぐ。巨大スタジアムが揺れる。

(ドルトムント〈ドイツ〉=吉田誠一)

膝を打った箇所は「逆境においては「必ずうまくいくようになると信じるしかない」と話す。コンディションや連係の問題はたいてい時間が解決してくれる。カギはその間、強い気持ちを保っていられるかどうかなのだ」の部分だ。 「ボタンを一つ押せば、すべてが劇的に変わるなどということはないのだしかし、どんなに長い夜でもいつかは明ける時がくる。信じて待てば、夜は明けるのだ。

合理的であるとか、ロジカルであるということは大事だが、それも信じることあってのこと。では何を信じるのかというと、それは志だろう。志を意識して、意志。念ずるとか、信じるということには無縁そうな若者にみえるが、香川氏の志は深そうだ。上記の記事に先立つ(上)の記事を以下にご紹介。

パス磨き、常に進化 香川真司のアタマの中(上)

ナチュラルにいこうということなのかもしれない。「試合になったら余計なことは考えない」と香川真司(23)はいう。

「どういう試合になるというイメージは持たないようにしている。相手はこうくるだろう、だからこう動こうというイメージを試合前に持つと、体がそれに縛られてしまう」。だから、「無心になる」のだという。「ボールと相手とピッチだけを見て集中する」

また、こうも表現する。「試合になったら本能に任せていますから」。面白いことに、それが理にかなった動きになっている。いいフットボーラーとはそういうものなのだろう。自然な動きで相手の急所を突く。

香川の動きを追うと、いいプレーとはいい準備の連続で成り立っていることがわかる。準備、準備、準備……と間を置かずに次のプレーの準備をすみやかにしていくのだ。動きながら、つまり相手と駆け引きをしながら、なるべく前向きでパスを受けられる状態をつくり続ける。

■プレーの選択肢が増える

ごく狭いスペースでも平気でパスを受ける。しかも今季は、そこから次の一手を相手につぶされたとき、または味方とのタイミングが合わないときに、いくらでも別の手をスムーズに出せるようになった。

「ボールを持ったときのプレーの選択肢が増えているのを感じる。そこが今季の僕の評価できる点だと思う。スルーパスの精度も上がった」

実はそれは、意識して磨いた点なのだという。「選手としてレベルアップするには、プレーの選択肢を増やしたり、パスの質を上げたりしなければならないと思っていた」。そう考えただけではない。強く意識し、念じたのだ。

「どうしたいんだと意識し続けることが大事なんです。こういうことをしたいんだと体と脳に染みこませる。そうすることで、徐々にその思いが結果として表れてくる」

何か夢や目標を抱いたら、それを絶え間なく意識する。香川はそうやって生きてきた。今季の9アシストという数字は、いわば念じることで実らせたものだ。大黒柱だったシャヒンが移籍し、ボランチからの攻撃の構成力が落ちたなかで、パスの精度を磨いた香川が果たした役割は大きい。 ただし、本人はこうもいう。「パスに酔ってはいけない」。それは本分ではないというのだ。「自分はあくまで、得点能力の高い中盤の選手だと思うので」。主は自らゴールを奪うことにある。「そこは一番ぶれてはいけないところ」

自分はゴールを奪うたぐいまれなる能力を持っている。それは誰もが備えているものではない。だから、その力をチームのために発揮しなくてはならない。そうした強い自負がある。だから言うのだ。「パスに焦点を持っていってはダメ。いかに点を取るかを考えなくてはいけない」

■今季13得点も納得してはいない

優勝を決めた一戦での歓喜のゴールで、今季の得点は13となった。それは欧州主要リーグで日本人選手が挙げた最多記録だ。だが、この程度の数字で納得していない。

開幕前に故障したバリオスに代わって、1トップに座り続けたレバンドフスキは周囲を生かす繊細さに欠ける。トップ下の香川がシーズン序盤で苦しんだ理由はそこにもある。だから、言う。「彼が僕を生かしてくれていたら、もっと点を取れたという自信がある」

決して相棒を批判しているわけではない。単に悔しいのだ。もっとできるという確信と野心があるのだ。満足も納得もしていません。その強い思いがにじみ出る。

(ドルトムント〈ドイツ〉=吉田誠一)

〔日本経済新聞朝刊2012年4月23日付〕

「何か夢や目標を抱いたら、それを絶え間なく意識する。香川はそうやって生きてきた。今季の9アシストという数字は、いわば念じることで実らせたものだ。」という箇所には大賛成です。

 

ウタヒメ 彼女たちのスモーク・オン・ザ・ウォーター みました。ひどいね。

キャストがよいので鑑賞したのですが、観客が私を含めてたった4人。メンズディとはいえ、すべて男性。観客は正しいから観る前に諦めたけど、それ以上に酷かったです。感想を書く気にもならないので、yahoo!ムービーのレヴューを見たらありましたね、同じ感想の方が。日本の観客は全く正しいと思います。

監督、脚本が悪いのでしょう。原作(五十嵐貴久)は読んでませんが、漫画化や舞台化もされているので、そこそこの水準は行っているんじゃないかと思いますが、定かではありません。

四人のヒロインたちの中では、黒木瞳の心情がリアリティがあったかな。とはいえ、ほかの三人に比べての話で、とりたてて良いわけではありません。監督が1949年生まれの女性脚本が1958年生まれの女性だから、そうなんでしょう。撮影場所も、カラオケ、コンビニショップ、高校の体育館、ファミリーレストランと社宅、住宅街、文房具店ぐらいですから、金も時間もかけてません。

監督と脚本家、星田良子神山由美子を画像検索してみると、役者もつきあいで出演しているようですね。キャリアもそこそこあるようですが、それでこれでは、それまでということなのでしょう。 映画は2010年9月に撮影されたとのことですが、あまりの出来の悪さに公開をためらっていたということでしょうか。

音楽映画なのに、リズム感のなさというか、ライブ感-観客を盛り上げられないというのは致命的です。テレビ局で、一流会社のスポンサー相手のドラマを作ることはできても、一般大衆の心の動きに配慮するのはできないんでしょうね。まあ、そういった意味では、全く今のテレビ局の有様が映し出された映画だったと総括しておきましょう。