日本経済新聞の不可思議な特集、菅前首相インタビュー

唐突な、不可思議な日本経済新聞の特集、9月21日朝刊4面に、原発事故菅前首相インタビュー。

インタビューとあっても、よく読むと、「菅直人前首相のインタビューを交え、世界を揺るがせた10日間の真実を追った」となっていて、全体的には総括的な記事となっている。肝心のインタビューは要旨として右下に囲い記事がある。インタビューの日時はどこにも掲載されていない。インタビューは、いつどこでされたものなのだろうか?

というのは、すでに今日9月6日の朝日、読売、東京新聞が、原発事故直後の模様と、 政府の対応に関する菅前首相の単独インタビューを、それぞれ大きく掲載していたのが話題になっていたからだ。それから2週間も過ぎての日本経済新聞のインタビュー(要旨)記事は、何をものがたるのか?朝刊の4面全部を使った大きな特集記事なのだが、社説などでも特段の言及はされていない。なんとも、不可解で面妖な記事ではある。なにが言いたいのかよくわからない。とりとめのない、特集記事なのだ。

もっとも、次々に明るみに出る原発事故の事実に関して記事を書くならば、日本経済新聞といえ、原発を肯定する記事は書けるはずもない。そういうことで、とりとめのない記事になったというならば、理屈はわかるのだが・・・。

とりあえず、記事を掲載します。

「最悪、国会移転も想定」 菅前首相、原発事故を語る

2011/9/21 3:30

最悪のシミュレーションでは東京からの国会移転や首相官邸の移動も念頭にあった――。菅直人前首相は日本経済新聞のインタビューで3月11日の東日本大震災後、東京電力福島第1原子力発電所の事故の深刻化も想定し、200~300キロメートル単位での退避を検討したことを明らかにした。(本文中の肩書は当時、太字は前首相の発言)

「原発事故の直後に最悪のシミュレーションを考えてくれと指示した。退避区域が200~300キロメートル単位にまで広がるのが最悪の想定だった。10万~20万人の避難も大変なのに、対象が1000万人、2000万人となれば国が機能しなくなる。少なくとも国会は移転しないといけない。国会の周りも人っ子一人いなくなる。首相官邸から全部、西の方に行くことになる」

一体、炉心がどうなっているのか、格納容器の爆発はあるのか――。首相官邸では状況を把握できない日々が地震発生から10日間ほど続き、関係者のいら立ちも募っていた。

並行して進めたのが、最悪のシミュレーションに基づく対処の検討だ。依頼先は経済産業省原子力安全・保安院などではなく、様々な分野の専門家らだった。菅氏が「最悪の事態になったら東日本がつぶれることも想定しなければいけない」と口にしたとして、物議を醸したのもこのころだ。

今では1~3号機とも炉心溶融に至ったと判明している。だが、幸い格納容器の爆発などによる高濃度の放射性物質の飛散は何とか回避した。それはたまたまという見方もある。

「なぜベントがすぐに実施されなかったのか、理由はよく分からない。東電としての意思決定が遅れたのか、技術的な問題があったのか。いずれにせよ、このままだと伝言ゲームだと思い、原発の現場の責任者と話をしようと視察を決めた」

問題となった3月12日早朝の菅氏の第1原発の視察。その時の重要課題はベント(排気)だった。東電、保安院、原子力安全委員会のメンバーが首相官邸の危機管理センターの一室に集合。格納容器の圧力を下げるため「ベントやむなし」で一致していた。だが実施は遅れる。

震災当時、東電は勝俣恒久会長と清水正孝社長のトップ2が海外や関西方面に出ていて不在だった。それが意思決定の遅れにつながったとの指摘は多い。

一方、炉心溶融の危険がある中、菅氏が第1原発の視察を強行したことで、現場の混乱に拍車をかけた可能性がある。国のトップが原発に滞在している最中に放射性物質をまき散らしかねないベントの実施をはばかったとの見方だ。菅氏が原発を離れた午前10時すぎ、1号機でようやくベントが始まった。だが既に遅かった。午後3時半すぎ、1号機建屋が水素爆発する。

菅氏は視察ヘリの中で安全委の班目春樹委員長に水素爆発が起きないか、ただしている。「元素図鑑」を事務所の書棚に備え、化学や原発に詳しいと自認する菅氏ならではの質問だった。彼の答えは「大丈夫です。起きない。格納容器には窒素が入ってますから」だった。

■「東電、話せる相手2人しかいなかった」

3月14日深夜、東京電力の清水社長が電話でこう口にする。「放射線量が高過ぎて現場で作業ができません。第1原発から退避して第2原発に行きたい」。衝撃を受けた海江田万里経済産業相は菅氏に報告。15日午前3時だった。枝野幸男官房長官にも同じような話が入る。

「基本的に第1原発から撤退したい、との要請だ。第2原発(に撤退)なら、なにもできない。6つの原発と7つの燃料プールを放棄すれば1週間から1カ月の間に大量の放射能をまき散らすのは明らか。そんな選択はありえない」

菅氏は清水社長を首相官邸に呼び出す。

「社長は『撤退と言っていません』とも『撤退したい』とも言わず、はっきりしない。結局、東電できちんと話ができたのは2人しかいなかった。第1原発の吉田昌郎所長と勝俣恒久会長だ。あとは役人以上に役人なのか、責任をかぶらないよう物事を考えている」

菅氏は15日早朝、東電本店に乗り込む。社員らを前になりふり構わず怒鳴った点に批判は残るものの、政府・東電統合本部の立ち上げによって、情報がスムーズに流れ始めた。米政府は日本政府がいくら説明しても「まだ、隠しているのでは」と疑いの目を向けていたが、統合本部の設置を機に解決へ向かう。

■「炉心溶融」食い違った官邸と保安院

「重大な事故が起きたという猛烈な危機感があった。冷却できないということは炉心溶融(メルトダウン)だ」

福島第1原子力発電所の事故を巡る焦点の一つは、政府が危機をどう認識していたか、だ。キーワードは原発事故として最悪の事態を意味する「メルトダウン」。原子炉の中にある燃料が溶け落ちて、放射性物質の放出につながる極めて重大な事態だ。メルトダウンの可能性があるとないとでは、政府・東電の対応が大きく変わったはずだ。

菅氏はインタビューで当初からメルトダウンを懸念していたと主張する。ところが、菅氏によれば、原子力安全・保安院と東電からの報告は違っていた。

「(炉心の)3分の2までは水がある。(メルトダウンではなく)燃料棒の損傷だ」

実際の経緯はどうか。3月12日午後2時15分、原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官は記者会見で1号機について測定データなどから「炉心溶融でしか考えられないことが起きている」と語った。保安院と菅氏の認識に大きな違いはない。問題は、その後だ。

午後9時半の記者会見に現れたのは中村氏でなく、野口哲男首席統括安全審査官ら。発言者は何度も入れ替わり炉心溶融に関し「どの程度起きているのか現時点で承知していない」などとあいまいな回答に終始した。

その後、13日未明に会見場に登場したのは根井寿規審議官。「幹部からの指示で交代した」とだけ交代理由を説明した。炉心溶融という言葉は使わず「燃料破損の可能性は否定できない」という表現を使い始める。13日夕からは西山英彦審議官に交代。同日夜には「(燃料の)外側の被覆材の損傷というのが適切な表現だ」と一段と後退した言い回しになった。

2カ月後。実態は炉心溶融が真実で、それ以上にひどいと分かる。東電は5月12日になって1号機の炉心溶融を認め、同15日には地震から16時間後には燃料の大半が溶け落ちたとの解析結果を発表した。

そもそも水位計そのものが機能していなかった事実が後に判明した。炉心溶融がかなり早い段階で起き、圧力容器の底が抜けていたのなら、壊れた水位計の示す値の上がり下がりの東電発表に一喜一憂していたこと自体、意味がなかった。

ただ、だからといって「炉心溶融を懸念していた首相官邸、目をそらしていた保安院・東電」という単純な構図だったかどうかは、分からない。経産省内には、中村氏は当初の「溶融断言」が問題化し、更迭されたとの見方がある。保安院の発表が後退していったのは、パニックを恐れた首相官邸の指示だったという指摘もある。

3月14日。枝野幸男官房長官は記者会見で炉心溶融に関し「起きている可能性は高いという状況は3つ(1、2、3号機)とも一緒だ」と指摘している。それなら、菅政権が当初から炉心溶融の可能性を前提にした事故対応、避難指示を明言しなかったのはなぜか。菅氏は言う。

「霞が関は自分の都合のいいデータしか出さない。結果として十分な情報発信ができなかった」

それを官僚の責任と総括していいのかどうかはなお検証を要する。

■放射線量の計測「重大事故の想定なかった」

「少なくとも私が知る限りの範囲ではデータを隠すようなことはさせていない。(風向きや地形から放射性物質の広がりを予測する)SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)について議論になるが、当時の原発関係者は放出源データが入手できず、当初想定していた活用ができないという判断だった」

3月16日夜。福島県の災害対策本部原子力班から奇妙な発表があった。「本日、最も高い福島市でも最高値は1時間当たり21.20マイクロシーベルト。胃のX線集団検診1回当たりの放射線量が600マイクロシーベルト。数値は通常より高いが健康に直接影響を与えるレベルではない。福島市の数値が高い原因は調査中」

1日当たりでは約500マイクロシーベルト。1日1枚X線写真を撮る勘定で、年間なら約185ミリシーベルトと莫大だ。健康に影響を与えないと言い切るのは問題で、1時間当たりと1日当たりの混同とさえ思える。

SPEEDIは地震後、運用機関が第1原発を解析し、間もなく予測が出ていた。県は受けとったデータを古いとして公表を見送った。だがデータはその後の実際の放射性物質の広がりとほぼ一致。直ちに公表すれば雨の影響の推測など避難に役立った。「福島市が高い理由を調査中」という発表もしなかったはずだ。

県ではなく政府としての早期公表はできなかったのか。

首都圏も含めた各地の住民が求めた詳細な放射線量調査も大幅に遅れた。

「放射線計測も1県1カ所のマクロのモニタリングと、その後の1メートルの高さでの学校ごとの計測は次元が違う。重大な事故の想定がなかったのが原因だ」

疑問は残る。SPEEDIの存在を知っていたなら直ちに官邸が公表を指示するぐらいはできたはずだ。そうすれば日本人が外国の予測機関のデータを必死に探すようなおかしな現象は減り、海外から隠蔽体質を指弾される場面も少なくなっただろう。

■原発再稼働問題「目の届かないところで既成事実化」

「経産省は保安院のチェックだけで(九州電力玄海原発を)再稼働させようとした。原子力安全委に聞いたか問うと『法律上、必要ない』と。確かにそうなっていたが、保安院では十分に対応できない。私は国民が納得するルールを作れと関係閣僚に言った。最低限、安全委が関与することと、IAEAのストレステストを参考に案を作らせた。経産省は私の目の届かないところで既成事実を積み重ねようとしていた」

一方、ストレステストが玄海原発の再稼働問題の直前に出てきたため海江田氏は菅氏に不信を抱く。「一刻も早く(経産相を)やめたかった」との回想からは、菅内閣が機能不全に陥っていた事実が浮かび上がる。

これに先立つ、政府による中部電力浜岡原発の運転停止要請は5月6日。決断に導いたのは4月末の中央防災会議だった。「M8の東海地震が30年以内に起きる確率は87%」との報告は大きい。海江田氏は5月5日に浜岡を視察し、翌日、菅氏と話す。菅氏によると、視察前に海江田氏と話を詰めていない。

以上、インタビューを交えた記事なのだが、なんともスタンスというか立ち位置が不明な日本経済新聞ではある。

続いて、「菅前首相インタビュー要旨」。

菅前首相インタビューの要旨

2011/9/21 3:30

――原発事故の発生直後の受け止めは。

「重大な事故が起きたという猛烈な危機感があった。冷却できないということは炉心溶融(メルトダウン)だ。冷却装置を動かすため電源が必要となり、いかに電源車を持ち込むかで動いたが、結果は失敗。そこでベント(排気)の話になったがなかなか動かなかった」

――保安院、東電の見解は曖昧な形に戻っていった。

「3分の2までは水があるという。頭は水から出ているため、燃料棒の損傷だというのが当時の公式見解だった。保安院でどのような情報管理がなされたのかはよく承知していないが、結果として十分な情報発信ができなかったことは事実だ」

「想定外という言葉は本来は許されないと思う。最大の原因は、本来考えておくべきことを考えないこと。その意味で原発事故は人災だ。霞が関は自分の都合に合うデータしか出さない傾向がある。電力需給の見通しもそうだ。だから何度もデータの出し直しを指示した」

――菅氏が再臨界に触れたため海水注入が止まり、メルトダウンを誘発したとの指摘があったが、実際には現場判断で注入が続いたという。

「淡水がなくなれば海水、は全員一致だった。再臨界の可能性は大丈夫か、と聞いたが、班目委員長の答えは『可能性はゼロではない』。ホウ素を入れるかの問題だから、それも含め検討してくれ、と言った。官邸か東電本店の東電関係者から現場の吉田所長に『海水を入れることにまだ了解は出ていない』と伝言ゲームで伝わった。おもんぱかる形で」

――2号機は4時間早く水を入れれば爆発を避けられたともされる。

「私や官邸のメンバーが海水注入を止めたことは一切ない。(事故発生の)だいぶ後に『(原発近くの)ダムの水を使えばどうか。早めに海水を淡水に戻したほうがいい』と勝俣会長に伝え『それはやります』と言っていた」

――事故後、最悪の事態を想定したか。

「原発事故の直後に最悪のシミュレーションを考えてくれと指示した。退避区域が200~300キロメートル単位にまで広がるのが最悪の想定だった。10万~20万人の避難も大変なのに、対象が1000万人、2000万人となれば国が機能しなくなる。少なくとも国会は移転しないといけない。国会の周りも人っ子一人いなくなる。首相官邸から全部、西の方に行くことになる」

――4号機の燃料プールは米国が危険を指摘していた。

「4号機プールは大きな問題だった。中身は2種類あった。プールの水が空になってメルトダウンに至らないか。それから余震でプールが崩壊しないか、だ。そこで早い段階で補強工事を指示した」

――脱原発依存に考え方が傾く節目が浜岡問題だったのか。

「日本そのものが機能しなくなるような原発事故のリスクは背負えない。原発に依存しない社会をつくるとの結論になった。ずっと考えていた」

――思いつきとの批判も。

「思いつかなければ発明なんてできない。発想が違う。思いつくのは非常に重要だ」

――ストレステストが急に浮上したのはなぜか。

「経産省は保安院のチェックだけで(九州電力玄海原発を)再稼働させようとした。原子力安全委に聞いたか問うと『法律上、必要ない』と。確かにそうなっていたが、保安院では十分に対応できない。私は国民が納得するルールを作れと関係閣僚に言った。最低限、安全委が関与することと、IAEAのストレステストを参考に案を作らせた。経産省は私の目の届かないところで既成事実を積み重ねようとしていた」

――津波ではなく地震で福島第1原発が損傷した可能性は。

「その辺は事故調査・検証委員会がきちんと調べないと分からない」

――環境省に原子力安全庁が発足する予定だ。

「事故対応が十分でなかったのは反省点だ。米原子力規制委員会(NRC)など米国のシステムを含めて実効力があるものにすべきだ」

――今後のエネルギー行政に絡み福島県へのメッセージは。

「私は福島県にとってチャンスだと思う。震災、津波、原発事故とマイナスばかりだったが、思い切って自然エネルギーの研究所を集めて、自然エネルギーによる産業をつくる。そういう方向になるよう私なりにできることをしたい」

――退任間際に、原発周辺地域は長期間居住が困難になるとの見通しを明らかにした。

「大変厳しく申し訳ない話だが、長期にわたり帰れない地域があると被災者に伝えておくのが震災発生時の首相の責任だ。中間貯蔵施設がないと除染も進まない。やはり福島で出たものは福島の中で中間貯蔵をお願いせざるを得ない。それも私が在任中に言うのが一つの責任だ」

――野田佳彦首相への引き継ぎは。

「人事は一切言わなかったが、結果的にはよく分かって対応してくれた。細野豪志原発事故担当相と平野達男復興担当相は留任だった。政策に関する助言は野田首相にしていない」

 

「安全な米」キャンペーンにはだまされないようにしよう。

今年の米には、放射能汚染されていないというようなキャンペーンには惑わされないようにしよう。なんといっても放射能暫定基準値がいい加減なものなのですから。

セシウム137 日本の暫定基準値は500ベクレル/kg

ヨウ素131   日本の暫定基準値は2,000ベクレル/kg

http://savechild.net/archives/1287.html

日刊ゲンダイの記事もすごいぞ

http://gendai.net/articles/view/syakai/132574

上記リンクはなくなるかもしれないから念のため内容を転記しておきましょう。

放射能放出なんと1.5京ベクレル 日本の魚本当に食べても安全なのか?

【政治・経済】

2011年9月9日 掲載

日本の基準値は“世界の非常識”

<今ごろ検査強化と言われても…>

とんでもない数字が公表された。

福島第1原発事故で、日本原子力研究開発機構は海洋への放射能放出総量が1.5京ベクレルを超えるとの試算をまとめた。東電が4~5月分として推定していた放射線量の3倍以上に上る。

心配なのが魚の汚染だ。福島県は4月にコウナゴが出荷停止して以来、漁業を自粛している。同県の海の汚染はいまも深刻で、7日に発表されたイシガレイの放射性セシウムは1キロあたり1030ベクレルと、暫定規制値(500ベクレル)の2倍以上だった。

宮城や岩手、茨城などの水産物からも基準値以下ながらセシウムが検出されている。数字は農水省のHPにアップされているが、福島以外はサンプル数が少ない。農水省は「検査機械が少ないうえに鮮魚は詳しく検査すると傷んでしまうので、細かく調べきれない」と説明する。

その一方で宮城県石巻漁港では6日、震災後初めて水揚げされたタコやカレイなどが並んだ。気仙沼沖などではカツオ漁の一部が再開している。魚は本当に安全なのか。

「放射能を防ぐ知恵」の著者でNPO法人「食品と暮らしの安全基金」代表の小若順一氏が言う。

「500ベクレル以下なら安全という言葉を信じてはいけません。3月にドイツ放射線防護協会は大人は8ベクレル、子供は4ベクレル以下にするべきだという基準値を提案しました。500ベクレルがいかに甘い数字かが分かります。いまだに海の中は放射能でグジャグジャなのです。九州で水揚げされた魚も安心できません。太平洋の真ん中で取られたものを宮崎などに運ぶことがあるからです」

小若氏は、政府は国民の生命のために、漁業従事者に所得補償と賠償金を払い、今後3年間は漁業を停止するべきだと主張する。

「とくに心配なのが妊婦さんです。魚を食べて体内被曝したら胎児はまだ安全ですが、孫、ひ孫と子々孫々まで傷ついた遺伝子が受け継がれ、障害やがんを発症してしまいます。妊婦さんは絶対に魚を食べてはいけないし、子供はできるだけ食べないようにしてください」(小若順一氏)

水産庁は今ごろになって福島沖周辺の検査強化をアピールしているが、海は広い。ストロンチウム汚染の可能性も否定できない。消費者は国の言うことをうのみにせず、リスクを覚悟したほうがいい。

 

原子力保安院、さりげなく隠匿情報を露出中。忘れないようにしよう。

役人ならではの周到な用心深さか。原子力ではなく、自己の保安を図っているのか。隠していた情報を小出しに目立たないように露出して、自己保安を図っているのだろうか。

忘れないようにここにメモしておこう。

メルトダウン予測資料、震災当日に作成 保安院公表

2011/9/2 22:06

経済産業省原子力安全・保安院は2日、東日本大震災の発生直後に作成した東京電力福島第1原子力発電所1~3号機の事故解析・予測資料を公表した。最悪の場合、3月12日未明に炉心溶融(メルトダウン)が起きうるとしていた。官邸の窓口に保安院職員を通じて渡したが説明はしておらず、どう活用されたかは不明という。事故調査・検証委員会の調査で焦点の一つとなりそうだ。

半年もたって急に公表した理由は明らかにしなかった。保安院によると解析は独立行政法人原子力安全基盤機構に依頼。同機構は原子炉への注水が止まり冷却できなくなった場合、炉内の状態がどう変わるかを「緊急時対策支援システム(ERSS)」で計算した。保安院は資料を3月11日午後10時に作成した。

同資料によると、11日午後10時50分に燃料棒が冷却水から露出すると予測。同11時50分に燃料の被覆管が破損し始め、12日午前0時50分に溶融が始まるとした。同3時20分に原子炉格納容器が設計上の限界圧力に達してベント(排気)が必要になり、放射性物質が外部に出ると予測した。

保安院によると資料は3月11日午後10時44分、12日午前0時17分の2回、官邸危機管理センターからアクセスできる電子フォルダーに入れた。官邸にいた保安院職員が印刷して担当者に渡したが、内容の重要性を説明した形跡はないという。

3号機についても同様の解析・予測を進め、13日午前6時50分に官邸側に渡した。また1号機は放射性物質の外部への影響なども計算したが、官邸には送らなかった。

保安院は「ちぐはぐな対応で、良かったとは思っていない」としている。東電は「炉心の損傷割合など社内の計算結果を保安院に出した」というが、保安院の予測が東電と共有されたかは不明だ。

「保安院の予測が東電と共有されたかは不明だ。」との記事ではあるが、これはしっかりと共有されていたであろう。東電の社員の子供を預かる仕事をしていた人が、あとで確認したら東電家族は自分たちだけで震災のその日のうちに栃木に逃げていた。という生々しい証言がある。

http://blog.livedoor.jp/jiangkou1980jp/archives/51721615.html

有名な4月2日のインタビューだ。ユーチューブもあるぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=EcF_75slgwk&feature

美しい日本を放射能だらけにした東京電力と保安院。忘れないようにしよう。

リメンバー福島原発

さらば、吉本隆明。もう後戻りはない。

書店で佐高信の原発文化人50人斬りを立ち読みしていて、敬愛する吉本隆明の名が出ていた。吉本隆明が著書にて原発を擁護しているのはなんどか目にしているので、そんなものかぐらいは思っていたが、過去の言葉尻をとらえてそれほど糾弾しなくてもいいのではないかという気もした。

実際、周到に用意された原発神話に浸っていれば、原発が日本には必要不可欠であるといわれても、そうですかといいたくなります。太鼓持ちがスポンサーにおべっかをいってもそれは仕事ですといえるでしょう。職業に貴賤はないのですから、よいしょが仕事の太鼓持ちを糾弾しても、大人げないのではという気がします。

問題は、芸能人だろうが、文化人だろうが、3.11以降に人間としてどんな行動を取るかということが重要ではないか、そう私は思っています。

そして本日、2011/8/5付、日本経済新聞、8.15からの眼差し-震災5ヶ月、その3は私の敬愛する吉本隆明氏が登場。願ってもいない吉本隆明の3.11以降を披露してくれました。以下に記事を掲載します。

科学に後戻りはない/原発 完璧な安全装置を

詩入で批評家の吉本隆明氏(86)は戦時中、軍国主義少年だった。その体験を自らに問い、戦後、独自の思想体系を築いた。

戦後思想の巨入に、今回の震災体験を聞いた。

-3月11日は、どうしていたか。

「自宅のこの部屋で書き物をしていたと思う。

足腰が不自由で、自宅周辺のことしか分からないが、地震の後は、不気味なほど、静かだった」

-戦中と比べると。

「あのころの東京は、人々も町中の印象も、どこか明るくて単純だった。戦争で気分が高揚していたせいもあったろうが、空襲で町がやられた後でも、皆が慌ただしく動き回っていた。

今度の震災の後は、何か暗くて、このまま沈没して無くなってしまうんではないか、という気がした。元気もないし、もう、やりようがないよ、という人が黙々と歩いている感じです。東北の沿岸の被害や原子力発電所の事故の影響も合わせれば、打撃から回復するのは、容易ではない」

ー復興への道は。

「労働力、技術力をうまく組織化することが鍵を握る。規模の拡大だけを追求せず、小さな形で密に組織化された産業の復興をめざすべきだ。

疲れずに能率よく働くシステムをどうつくっていくか、が問われるだろう。

それには、技術力のある中小企業を大企業がしっかり取り込む必要がある。外注して使い捨てるのではなく、組織内で生かす知恵が問われている。この震災を、発想転換のまたとない機会ととらえれば、希望はある」

ー事故によって原発廃絶論がでているが。

「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。

だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完襞な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」

ー明るさは戻るか。

「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過ごしている。公の問題に押しつぶされず、それぞれが関わる身近なものを、一番大切に生きることだろう」

 

学生時代からなんどか吉本氏の著者を読んでいるのですが、どうにもわからない。全くわからないかというとそうでもなく、時折納得する箇所も多々ある。が、なんとも消化不良というか、著書を読んだぞという達成感は味わえずにおりました。最近、テレビで、糸井重里がかかわった講演などのドキュメンタリがあって拝見しても、ま、見るだけで楽しいというか、実際、何をかたっているのかは、腑に落ちないままでおりました。

まあ、アイドルだったんでしょうね。私の中では、小林旭と同じで、いつかは吉本隆明をわかるぞぉぐらいに思っておりました。マルクスもおなじ。どちらもアイドルです。

それで、日経の記事ですが。正直、吉本隆明さんに生きててもらって良かったと思いました。吉本隆明氏の3.11へのコメントを知ることができなければ、わからないままでしたから。吉本隆明氏を私がわからないのが正解で、吉本隆明氏はわかるようなことは言っていない人だったんですね。

実際。下記の部分ですが、理解できますか?

 

「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。・・・」

 

文章として、文法的には存在しうるが、これを理解しろといわれて理解できる人がいるかというと、あまりいないでしょうね。理屈になっていないからです。意味を持っていないからです。

戦争をやめる、という選択は考えられない。戦争の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する武器を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。殺害方法としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。・・・」

原発を戦争に、放射能を武器に燃料を殺害方法に代えた上の文章をあなたは理解することができるでしょうか。文法的には間違っていません。名詞を代えただけですから。しかし、理屈も意味もない文章です。

「科学に後戻りはない」、「それは、人類をやめろ、というのと同じです」、「人類の知恵が生み出した原罪」というフレーズは、決まる場所にあると決まりますね。これは、彼が詩人だということでしょうか。コピーライターでも通用するでしょう。糸井重里氏とは通じるものがあるかもしれませんね。

要するに私は、吉本隆明氏の気の利いたキャッチコピーと、文法的に正確だが、意味のない文章に振り回されていたわけです。今回の記事で、夢から覚めたというか、目から鱗がとれたというか、正直そんな気がします。

文章も、科学も。使う人間がどのような意図を持っているかによって変化していくものです。人を生かすために科学があり、文章があると思っている人は沢山いると思います。そのような方々が吉本隆明氏の言葉に迷うことなく前進していくのを願うばかりです。

人間をダメにしていく科学は、後退させるというより、よりよくする方に進歩させましょう。使わないという選択支ももちろんあります。原罪というしゃれたコピーを使わずに、いらないものは使わなければよいのです。当たり前の事を当たり前におこなってすすんでいきましょう。

さて、記事の最後の部分がなんとも、等身大の文章といおうか、アノニマス(anonymous)な老人の姿と言おうか、醒めた意識には不健康に感じましたが、いかがでしょうか。

「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過ごしている。公の問題に押しつぶされず、それぞれが関わる身近なものを、一番大切に生きることだろう」

とりあえず、わたしもキャッチコピーつくってみました。

さらば、吉本隆明。もう後戻りはない。

日本経済新聞のコラム「春秋」がこの新聞の限界を示している。

今朝の春秋を読んで、確信した。大手メディアはもはや福島原発並にメルトダウンしていると。

まずは、春秋をご紹介。

春秋

2011/8/3付

宮沢賢治がつくったイーハトーブという言葉には不思議な響きがある。ふるさと岩手を理想郷に見立てた賢治は、そこに思いきりハイカラな名をつけた。悠然たる山河。澄みわたる高い空。賢治が思いを託した風光はいまも変わらない。

▼なにしろ面積は全国の都府県でトップ。東京都が7つも入る。そんな広大な土地だというのに、県内の2市町で産した牛肉から暫定規制値を超す放射性セシウムが出てくると、岩手の牛すべてが出荷停止になった。2市町はともに県の南端。それでも「他地域で規制値を超えない保証はない」と厚生労働省は言う。

▼ことは食べ物の安全と安心だ。健康を考えれば慎重にならざるを得ないのだが、どこかで汚染が見つかれば全県でアウトとは農家にとってなんとむごい話か。名高い「前沢牛」のブランドもある岩手県が受ける打撃はとりわけ大きい。きのうは新たに栃木県の牛も出荷を止められた。波及を恐れぬ産地はなかろう。

▼原発事故の罪を、あらためて思う。事故が起きたころ、どれだけの人が牛肉汚染にまで考えを及ぼしただろう。そういう想像力を持ち合わせてこなかった日本でもあるのだ。童話「グスコーブドリの伝記」で賢治は、イーハトーブの国で災厄と戦う人間を描いた。知恵の力で、大きな困難を乗りこえる物語である。

文章としては悪くない。流れるように完結している。だれかの日記なら、それで問題はない。しかし、この春秋は日本経済新聞の毎日の表紙を飾っている連載コラムなのである。「どれだけの人が牛肉汚染にまで考えを及ぼしただろう。そういう想像力を持ち合わせてこなかった日本でもあるのだ。」とはよく言ったものだ。

震災直後にアメリカは福島原発より80km圏内を危険区域と設定して立ち入りを禁止。イギリスも自国民の東京以北の滞在を認めなかった。そういった「事実」にたいして、日本のメディアは、おかかえの太鼓持ち科学者を動員して、安全であると言い続けた。

牛肉は言うにおよばず、日本を覆う放射能汚染を考えなければいけない日本国民の想像力が、欠けているのならば、その想像力を奪ったのは間違いなく、日本経済新聞をはじめとする大手メディアの責任である。こういった責任をさりげなく、叙情的な文章で(恣意的に)流してしまおうとする春秋(の書き手)には、全くあきれてしまうより他にない。

同じ日、日本経済新聞の一面の裏側、最後のページに五木寛之のインタビュー記事が掲載されている。

8.15からの眼差し-震災5ヶ月/山河破れて国あり/公に不信、亀裂は深刻

原発事故で安全を強調する政府の発表に、不信を強めた人も多いというインタビュアーに対して、五木は「それについては驚かなかった」と述べている。敗戦の夏、中学一年生で平壌にいた五木は、政府の安全だという発表を信じて酷い目にあっている。淡々とした口調ではあるが、政府は信ずるものではないと断じているのだ。

日本経済新聞の春秋の書き手には、情緒的な文書を飾る暇があれば、いまからでも遅くないから、ジャーナリストとしてやるべき事をしっかりやっていただきたい。

やるべき事とはなにか、いうまでもないことだが(それでも言わなければいけないということには泣きたくなるほど残念であるが、あえて言わなければならない)真実を知らせることである。

--今、日本人はどういう立場に立たされているのか-というインタビュアーに応える五木の答えはシンプルではあるが事実だ。春秋とは逆で、言葉を弄する必要がない、事実に力があるからである。

私たちは、原発推進、反対を問わず、これから放射能と共存していきていかざるを得ない。たとえ、全部の原発を停止しても使用済み核燃料を他国に押し付けるわけにはいかない。放射能を帯びた夏の海で子供と泳ぎ、放射能が染みた草原に家族でキャンプをする。その人体への影響の度合いは、専門家によって、あまりにも意見の開きがある。正直、判断がつきません。

だから、政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的感覚を信じるしかない。最近出した『きょう一日』(徳間書店)はという本に込めたのは、未来への希望を語れないとすれば、きょう一日、きょう一日と生きていくしかないという実感です。第一の敗戦の時はまだ明日が見えた。今は明日が見えない。 だから、今この瞬間を大切に生きる。

国は私たちを最後までは守ってくれない。

日本経済新聞朝刊最終面「文化」の記事より