逆境においては「必ずうまくいくようになる」と信じるしかない

昨今、景気は絶不調。先日、商売をしている友人のグチを聞いておりました。曰く、何年も一生懸命頑張っているのだが結果がでない。このままでは潰れるかもしれない。移転しようと思うのだが・・・。商売替えも考えている・・・。まぁ、そんな内容だ。

友人のグチはよくわかるが、どんな商売でも良いときばかりではない。景気のいいときと言うのはほんの一時で、むしろ悪いときの方ばかりといってもよいかもしれない。それでも耐えて、忍んで、良いときが来るのをじっと待つ。頭では理解していても、それでもグチをこぼしたくなるときがある。

そんなとき、ふと魔が差して、あまりの景気の悪さに、勝負に出ようと思うときは確かにある。しかしながら調子の良いときの勝負は勝てるが、起死回生の勝負は負ける。一発逆転の勝利などというものはない。時に一発逆転の勝利と見えるものはあるが、子細に分析すれば、やはり絶え間ない努力が見えないところに潜んでいるものなのだ。忘れかけた、忘れそうな、勝利の時を胸に秘めて、商売人は耐えなければならない。

友人のグチに相づちをいれつつ、それとなく、そんなことを諭しながら、グチを聞いておりました。諭したことなどは向こうも先刻承知のことだったでしょう。とはいえ、やはり、ていねいに諭しておかなければいつ魔がさすとも限りません。これは、友人として、また失敗した人間としては義務ともいえるでしょう。

そんな電話のあった翌日の朝刊。膝を打った記事を見つけましたので、以下にご紹介。

「結果残す」覚悟貫く 香川真司のアタマの中(下)
2012/4/25 6:50

「あのころは追い詰められていた」と香川真司は振り返る。「というより、自分で追い詰めていたのかもしれない。そういう性格なので」

昨年8月開幕の今シーズン序盤、ドルトムントも香川自身ももがき苦しんでいた。攻めの起点になっていたMFシャヒンが去り、得点源のFWバリオスが故障。中盤の底からくさびのパスがタイミング良く香川に入らなくなり、前線での軽妙な細工も減った。

最初の6戦は2勝1分け3敗。新加入のMFギュンドガンら周囲の選手も苦悩していた。「核となる選手が抜けて、チームとしてさまよっていた感じがする」という。

しかも本人の状態がなかなか上がらなかった。昨年1月のアジアカップで右足小指を骨折し、5月中旬まで戦線を離脱。影響は大きかった。

そんな中、日本代表として毎月、欧州とアジアを行き来した。開幕直後の8月10日、日本での韓国戦で2点を奪ったものの、ドイツに戻ると体のキレが悪くなっていた。「そういう状態が続いて、精神的にも疲労した」。10月には2試合続けて出番を失っている。

■逆境を乗り越えた1年

追い詰められていたというのは、このころのことだ。「でも、投げ出すわけにはいきませんからね」。結局、逆境においては「必ずうまくいくようになると信じるしかない」と話す。コンディションや連係の問題はたいてい時間が解決してくれる。カギはその間、強い気持ちを保っていられるかどうかなのだろう。

香川にはそれができた。クロップ監督が率いるドルトムントにはそれができた。苦悩が溶け、いい感覚を取り戻したのは12月に入ってかららしい。「チームとしても個人としても、攻守にわたって積極的に前にいけるようになった。こぼれ球を拾い、前半からボールを支配して相手に何もさせない。特にホームではそれができた」

何か転機があったわけではないと強調する。ボタンを一つ押せば、すべてが劇的に変わるなどということはないのだ。チームも香川自身も指針をぐらつかせず、辛抱強く自分たちのサッカーを継続してきたからこそ、歯車が合ったのだ。

今年の4月に入り、ビッグネームがそろう2位バイエルン・ミュンヘン、最大のライバルである3位シャルケを破った連勝で優勝をほぼ決定づけた。その終盤戦、言い聞かせていたのは「いつも通り」ということだ。

■「点を取った者が一番」

私生活においても、いつものリズムを保つことに努めている。「試合に向けて徐々に集中力を高めていく。でもピリピリした雰囲気をつくるのではない」。むしろ、厳しく管理はしない。

「仲間と食事に行ったり、ゆっくり寝たり、ボーッとしたり。この時間は何をしなければいけないとか、時間だから寝なければいけないというふうにはしない。思うままに動く」

それができているときは、心身がいい状態にあるときなのだ。ピッチに立てば、最高の集中力でゴールを陥れることに心血を注ぐ。「点を取った者が一番」という信念を持って走る。結果を残し続けなければ、退場を余儀なくされる世界にいることを肝に銘じている。

「この舞台で結果を残すんだという覚悟、強い気持ちがないと生き残っていけない」。1年目の昨季はドイツ人に鮮烈な印象を残したが、ケガで後半戦を棒に振った。今季は1年を通じてチームの核として働いた。

香川にボールが収まれば何かが起きる。そのとき、ホームの8万人の観衆の胸が騒ぐ。巨大スタジアムが揺れる。

(ドルトムント〈ドイツ〉=吉田誠一)

膝を打った箇所は「逆境においては「必ずうまくいくようになると信じるしかない」と話す。コンディションや連係の問題はたいてい時間が解決してくれる。カギはその間、強い気持ちを保っていられるかどうかなのだ」の部分だ。 「ボタンを一つ押せば、すべてが劇的に変わるなどということはないのだしかし、どんなに長い夜でもいつかは明ける時がくる。信じて待てば、夜は明けるのだ。

合理的であるとか、ロジカルであるということは大事だが、それも信じることあってのこと。では何を信じるのかというと、それは志だろう。志を意識して、意志。念ずるとか、信じるということには無縁そうな若者にみえるが、香川氏の志は深そうだ。上記の記事に先立つ(上)の記事を以下にご紹介。

パス磨き、常に進化 香川真司のアタマの中(上)

ナチュラルにいこうということなのかもしれない。「試合になったら余計なことは考えない」と香川真司(23)はいう。

「どういう試合になるというイメージは持たないようにしている。相手はこうくるだろう、だからこう動こうというイメージを試合前に持つと、体がそれに縛られてしまう」。だから、「無心になる」のだという。「ボールと相手とピッチだけを見て集中する」

また、こうも表現する。「試合になったら本能に任せていますから」。面白いことに、それが理にかなった動きになっている。いいフットボーラーとはそういうものなのだろう。自然な動きで相手の急所を突く。

香川の動きを追うと、いいプレーとはいい準備の連続で成り立っていることがわかる。準備、準備、準備……と間を置かずに次のプレーの準備をすみやかにしていくのだ。動きながら、つまり相手と駆け引きをしながら、なるべく前向きでパスを受けられる状態をつくり続ける。

■プレーの選択肢が増える

ごく狭いスペースでも平気でパスを受ける。しかも今季は、そこから次の一手を相手につぶされたとき、または味方とのタイミングが合わないときに、いくらでも別の手をスムーズに出せるようになった。

「ボールを持ったときのプレーの選択肢が増えているのを感じる。そこが今季の僕の評価できる点だと思う。スルーパスの精度も上がった」

実はそれは、意識して磨いた点なのだという。「選手としてレベルアップするには、プレーの選択肢を増やしたり、パスの質を上げたりしなければならないと思っていた」。そう考えただけではない。強く意識し、念じたのだ。

「どうしたいんだと意識し続けることが大事なんです。こういうことをしたいんだと体と脳に染みこませる。そうすることで、徐々にその思いが結果として表れてくる」

何か夢や目標を抱いたら、それを絶え間なく意識する。香川はそうやって生きてきた。今季の9アシストという数字は、いわば念じることで実らせたものだ。大黒柱だったシャヒンが移籍し、ボランチからの攻撃の構成力が落ちたなかで、パスの精度を磨いた香川が果たした役割は大きい。 ただし、本人はこうもいう。「パスに酔ってはいけない」。それは本分ではないというのだ。「自分はあくまで、得点能力の高い中盤の選手だと思うので」。主は自らゴールを奪うことにある。「そこは一番ぶれてはいけないところ」

自分はゴールを奪うたぐいまれなる能力を持っている。それは誰もが備えているものではない。だから、その力をチームのために発揮しなくてはならない。そうした強い自負がある。だから言うのだ。「パスに焦点を持っていってはダメ。いかに点を取るかを考えなくてはいけない」

■今季13得点も納得してはいない

優勝を決めた一戦での歓喜のゴールで、今季の得点は13となった。それは欧州主要リーグで日本人選手が挙げた最多記録だ。だが、この程度の数字で納得していない。

開幕前に故障したバリオスに代わって、1トップに座り続けたレバンドフスキは周囲を生かす繊細さに欠ける。トップ下の香川がシーズン序盤で苦しんだ理由はそこにもある。だから、言う。「彼が僕を生かしてくれていたら、もっと点を取れたという自信がある」

決して相棒を批判しているわけではない。単に悔しいのだ。もっとできるという確信と野心があるのだ。満足も納得もしていません。その強い思いがにじみ出る。

(ドルトムント〈ドイツ〉=吉田誠一)

〔日本経済新聞朝刊2012年4月23日付〕

「何か夢や目標を抱いたら、それを絶え間なく意識する。香川はそうやって生きてきた。今季の9アシストという数字は、いわば念じることで実らせたものだ。」という箇所には大賛成です。

 

他人はごまかせても体はごまかせない

タイトル「他人はごまかせても体はごまかせない」は、先日観ていた人気番組、NHK「カーネーション」でヒロインの糸子が、がんばりすぎてダウンしたときのセリフだ。いいところを突いていて感心した。

大脳皮質が計算した答えより、脳幹に近い部分のセリフが発するものは、聞き手側のイメージが膨れるし、体を通して聞く分、役に立つと思う。今朝は、役に立つ日本経済新聞の記事が、ドラマのせいか目についた。
ということで、記事をご紹介。

実用品にみる個人消費 単価は上昇、底堅さ実感 しまむら社長 野中正人氏

2012/3/19付日本経済新聞 朝刊

景気回復の手応えがあまり感じられない中で、個人消費の動向に明るい兆しが出てきている。全国に1700店以上の実用・ファッション衣料店などを運営する、しまむらの野中正人社長に、地域別の消費動向や今後の消費の行方について聞いた。

――東日本大震災後の1年の消費行動を地域別にみるとどうか。

「震災直後は製造業の生産活動と消費は連動していた。愛知県や広島県のように自動車産業が集積する地域では生産活動が停滞し、既存店舗の前年同期比売上高は2~3%減だった。供給網が復旧するにつれて消費も活発になり、昨年7月以降は堅調だ。一方、薄型テレビの大型工場などがある三重県は戻りが鈍い。生活を一からつくり直す被災地は復興需要があり好調だ」

「震災後半年は地域でまだら模様だった消費も、今はほぼ全国的に前年実績の売上高をクリアしている。昨年10月ごろは、希望的観測も込めて『消費は意外と底堅い』と言っていた。今年1月の既存店売上高が前年実績を4%上回り、消費が強いことに確信が持てるようになった」

プラス思考に

――なぜ力強いと。

「消費者がプラス思考になっている。政治や経済情勢など、世の中の悪いことを批判的にみていた空気が薄らいだように思える。そんな不満をぶつける場合ではなく、一人ひとりが元気に行動を起こそうとしている」

「淡いピンクやグリーンの商品がよく動いている。これは景気拡大期にみられる現象だ。売り場の見栄えをよくするためにもっと目立つ色彩の衣料品を陳列すると、その商品が先に売れている。リーマン・ショック後の消費風景とは全く違う」

「北海道や北陸、和歌山など売り上げ不振の地域があるが、天候不順や天災で大抵、説明が付く。消費水準の底上げは長く続くとみている」

――価格下落は続いていますか。

「単価は上がっている。客単価や1品単価は前年比で2~3%の上昇だ。この傾向は昨年あたりから顕著だ。確かに、絶対的な価格の安さを求める消費者もいるが、価格と商品価値のバランスを考える消費者は多い。明確な価値が分かると値下げしなくても売れる」

「機能性を打ち出した肌着は男性で1枚980円、女性は780円が売れ筋だ。少し前までは機能性のない男性肌着は2枚1280円、女性は980円が売れていた。特売品だと480円だったが、品質を上げて580円にしても販売数量は変わらなかった」

――雇用や所得に改善の兆しがない中での消費回復はなぜですか。

「景気刺激策の家電エコポイントの終了で、対象以外の商品やサービスの支出に回った可能性が高い。百貨店の売り上げが堅調なのも、そうした影響が出ているのではないか」

電気値上げ懸念

――懸念材料はありますか。

「消費増税の議論よりもガソリンの店頭価格の上昇のほうが気になる。郊外の店舗は顧客は車で買い物に来るから影響は大きい。主婦はガソリンスタンドに大きく表示される店頭の数字をよく覚えている。生活に密着したものだけに、1カ月で1リットル10円も上昇すると心理的な影響はある」

「電気料金の値上げが実施されると悪影響が出る恐れはある。1世帯当たりに換算すると数百円の負担でも主婦は嫌がる。最近は株価も戻ってきたが、普通の人々の生活で株高は直接的な効果はないとみている」

(聞き手は編集委員 田中陽)

記事、中ほどの「淡いピンクやグリーンの商品がよく動いている。これは景気拡大期にみられる現象だ。売り場の見栄えをよくするためにもっと目立つ色彩の衣料品を陳列すると、その商品が先に売れている。リーマン・ショック後の消費風景とは全く違う」 という言葉は多くの意味がふくまれている。「淡いピンクやグリーンの商品」という言葉は、実際に店頭をみてまわったことを裏付ける言葉だ、資料からだけでは、このようなセリフは吐けない。体を動かし、その体を聞くことのできる経営者は本物だと思う。

次の記事も面白かった。

人ごとでない「ソーシャル」 示唆に富むヤフー社長交代

2012/3/19付日本経済新聞 朝刊

日本を代表する技術企業であるソニー、パナソニック、シャープで今春、一斉に50歳代の新社長が就任する。ソニーとパナソニックは創業者を除くと史上最年少トップ。大赤字を出すに至り、デジタル化とソフト化という電機産業のパラダイム転換にうまく適応できていない現実をようやく直視した結果といえる。

電機に比べてはるかに高速でパラダイム転換が進むのがインターネットの世界だ。スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)がネット利用端末の主流になるモバイル化が急速に進行中。一方でネットの入り口をヤフーのようなポータルやグーグルなどの検索ではなく、「友達」のクチコミ情報が集まる交流サイト(ソーシャル・ネットワーキング・サービス=SNS)にする人が急増している。

電機業界が若返りと呼ぶ50歳代でもこの変化についていくのは難しいようだ。ヤフーは4月1日、好業績にもかかわらず55歳の井上雅博氏が44歳の宮坂学氏に社長のバトンを渡す。

「『イノベーションのジレンマ』をいかに克服するかばかり考えている」――。井上社長がこう打ち明けたのはまだ彼が40歳代だった2006年の春だった。成功事業の存在が革新的な新事業育成の邪魔をするという、企業経営に共通するワナのことだ。

当時は国内でミクシィが、米国ではフェイスブックが、ともに利用者を急増させ、ネット上でSNSの存在感が急拡大していた。ところが、井上社長自身は急成長するSNSを「交換日記」とやゆし、今日に至るまで積極的に使おうとしなかった。交流サイトの存在意義がよく理解できなかったのだ。

だが現場には出遅れた焦りが広がり、06年春に「デイズ」と呼ぶ消費者向けSNSを立ち上げた。08年にはビジネス用SNSの「CU」を開始。現場主導でソーシャルの広がりについて行こうとしたが、CUは09年秋に閉鎖。デイズも昨秋、ひっそりと閉じた。

この間、携帯の世界はあっという間にスマホの時代に変わり、ネット利用の大きな部分がスマホアプリ経由やSNS経由となっていく。パソコン向けウェブの世界でヤフーが築いた圧倒的な存在感は、ソーシャルの世界にもモバイルの世界にもない。その間、悩み続けた井上社長がイノベーションのジレンマの問題にようやく出した答えが結局、自らを含む経営陣の若返りだった。

ソーシャルもモバイルも自ら使いこなしてみないと消費者の感覚、ニーズは想像すらできない。これはネット企業ばかりの課題ではない。今や消費者向け事業を手掛ける企業ならどこでも、ソーシャルの世界で消費者と情報交換のパイプを直接築き、ブランドイメージや製品の認知を形成する必要に直面している。企業が消費者に直接情報を発信する「企業のメディア化が進んでいる」(徳力基彦アジャイルメディア・ネットワーク社長)のだ。

逆にいうとソーシャルとモバイルを理解できないと、消費者向け事業を果敢に進めていくことは難しい時代になってきたのではないか。ヤフーの大胆な若返り人事は他業種の企業にとっても示唆に富んでいる。

(編集委員 小柳建彦)

〆が、「逆にいうとソーシャルとモバイルを使えないと、消費者向け事業を果敢に進めていくことは難しい時代になってきたのではないか。」と書いたら、もっといい記事になっただろう。「理解」ではなく「使う」とか、「感じる」というような体を使う表現がこの記事には望ましい。「理解」ではあまり役には立たない。先ほどの経営者の言葉と、上記の記者の言葉では経験値としてはかなりの隔たりがある。とはいえ、視点はよいので、これから先、伸びる可能性がある記者だと思う。

いい記事ばかりではなく、だめな記事もある。

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グーグルが問う利便性とプライバシー

2012/3/19付

米グーグルが3月から導入した新しい利用規約がプライバシー論議を呼んでいる。新方針では検索やメール、動画閲覧など同社のネットサービスの利用履歴を互いに関連づけ、利用者に情報を提案できるようにする狙いだ。しかし、プライバシーが侵害される恐れがあるとの声も上がっている。

グーグルは今回、サービスごとにバラバラだったプライバシー保護方針を共通化し、平易な文章で示す一方、約60のサービスについて利用者の情報を顧客ID(認証番号)で一元管理することにした。旅行情報を検索している人には目的地の映像などを自動的に提供できるようになるという。

これに対し、フランス政府などは「新方針は欧州連合(EU)のデータ保護指令に反する」と反発、米国内でも各州の司法長官などが懸念を表明した。グーグルは「情報流出が心配ならIDを入れずに使うか、異なるIDを使い分けてほしい」としている。

日本でも共通番号制度の導入で個人情報をどこまで関連づけるかが議論となった。しかしネットは顧客契約に基づく民間サービスであり、一概に規制するのは難しい。個人情報保護法も情報の目的外利用や第三者への無断提供は禁じているが、合意に基づく企業内活用は違反とはならないからだ。

問題は情報が個人の意に沿わぬ形で使われたり、誤って第三者に漏れたりした場合だ。同様な課題は米フェイスブックなど交流サイト(SNS)にも指摘されている。各社は安全対策は十分というが、情報が不正に使われた場合には、削除や損害賠償などの手段がすぐとれるようにすべきである。

最も重要なのは「自分の情報は自分で守る」という姿勢を利用者一人ひとりが持つことだろう。身の回りの出来事をネットに記述する人が増えているが、一度公開された情報は事実上、消すことができない。サービスの仕組みをよく理解し、公開する情報を自ら選別することが求められる。

グーグルは街頭写真を公開したデジタル地図でもプライバシー侵害を指摘された。今回は利用者が自分の履歴を削除できる機能も設けたが、無料のネットサービスは個人情報との引き換えに利便性を提供している面が否めない。

どちらを優先するかは利用者の判断だが、どんな手段を取りうるかは、ネット事業者側が丁寧に説明していく必要がある。

〆が陳腐だ。「ネット事業者側が丁寧に説明していく必要がある」は記事を終わらせるためだけの言葉で、なんの意味ももたない。問題点を文字ズラで指摘するだけに留めた社説ということである。実際にグーグルを使用しているのであれば、ネットには説明がふんだんに用意されているのがわかる。むしろ、ありすぎるといって良い。保険証の裏側に注意事項が読めないほど沢山書かれているのと同じだ。

インターネットは開放系である。つけられる説明はあまり役には立たない。記事を書く人は、インターネットを使えない人ではだめなのである。記事の視点もよくわからない。サイトを眺めて、適当にコピペしても、もっとまともな記事ができそうである。

何を言いたいかというと、今、日本経済新聞に必要な視点は、「競争相手としてGoogleを仰ぎ見る」視点のようなものだということである。この社説のような他人事の記事では、いい記事もかけなければ、危機を乗り切ることもできない。それほどgoogleは勢いに乗っているし、日本経済新聞はインターネットを彷徨っているように思える。ここは是非とも『人ごとでない「ソーシャル」 示唆に富むヤフー社長交代』の記事を参考にしていただきたいものである。

追伸、文中の「上から目線」による表記は、文章の性格によるもので、見苦しい場合もあるかと思いますが、なにとぞご容赦ください。

 

3.11に東電はトップ2(会長、社長)が東京にいなかったことを忘れていた

3.11に各種でさまざまなイベントが行われ、その前には地震への検証などがメディアを賑わせることとなった。中でも「民間事故調」とともに浮上した原発事故の責任追及などが記憶に新しい。
3.11にはどのメディアもこぞって、検証記事を書いていたのだが、その時に「東電はトップ2(会長、社長)が東京にいなかった。」という事実は、なぜか見当たらなかった(少なくとも私の目の届く範囲では)。当のわたしでさえも、今朝になって、ネットで見ることができた菅直人・前首相インタビューに3.11に「東電はトップ2(会長、社長)が東京にいなかった。」という記述により、ようやく思い出すことができたのである。

ということで、まずはそのインタビューをご紹介。

原発事故対応は「大失敗」

 =菅直人・前首相インタビュー=

時事通信社、政治部 リレーインタビュー

インタビューに答える菅直人前首相=2012年2月、東京・永田町の衆院第1議員会館【時事通信社】

菅直人首相は、3月11日で東日本大震災発生から1年を迎えるのを前に時事通信のインタビューに応じ、当時の政府の対応を振り返った。東京電力福島第1原発事故について「備えがなかったという意味で大失敗だった」と悔いる一方、自らが陣頭指揮を執ったことに関しては「やらざるを得なかった」と語った。発言内容は以下の通り。

-東日本大震災から間もなく1年を迎える。

地震と津波による大きな被害があり、東京電力福島第1原発事故が起き、国民の皆さんが大変厳しい状況に遭遇した。当時の政治の責任者として大変申し訳なく思う。国民が我慢強く対応し、復興に向けて頑張っていることに感謝したい。

特に原発事故は事前の備えがあまりにも不十分だった。それがあれば、もっと事故も大きくならず、放射線被害も大きくならずに済んだと思うだけに責任を感じる。準備が十分できていなかったという意味では人災と言わざるを得ない。そういう意味でも大きな反省が本当に必要だ。備えがなかったという意味で(政府の対応は)大失敗だった。

-大失敗か。

大失敗だった。

-首相官邸の初動には厳しい評価がある。

まず地震・津波について言えば、やはり阪神大震災のときの記憶が私の中にあった。あのとき自衛隊の派遣がやや遅れた。それは当時の法律は県知事が(派遣を)要請するという形になっていて、それがやや遅れた関係で、そうなった。

私はその記憶があったから、いち早く、地震発生直後、北沢俊美防衛相(当時)に「とにかく救命活動に即座に入ってほしい」と自衛隊の派遣を指示し、当初5万人と言ったが、10万人態勢を取ってもらった。自衛隊の初動は非常に迅速だった。消防、警察も頑張ってくれた。

大地震という状況の中でいえば、自己完結的な能力を持ち、いろいろな被災に対する対応が可能な自衛隊の活動は非常に効果的だったと思う。

原発事故は、地震、津波とはかなり性格を異にしている。初動という前の問題、何が起きているのか。地震、津波はもちろん分からないことはあるが、少なくとも物理的には目で見たり、そうはいっても段々分かってくるわけだ。

原発事故では、原子炉の中で何が起きているのか分かり、予測ができて初めて次の対策が可能だ。(原子力災害対策特別措置法)10条、15条の報告があって、すぐに動き出し、まずは事態の把握に努めようと、東電、経済産業省原子力安全・保安院、原子力安全委員会の責任者にそれぞれ(官邸に)来てもらったが、残念ながら、どういう状況にあるのか、少なくとも私に報告が上がってこない。

それは二つ原因がある。一つは本当に分からない。つまり原発そのもの(の計測器などが)壊れているわけだから、情報が分からない。情報がないから上がってこないという部分と、ある程度、現場に情報があったとしても伝わらなかった部分の両方があった。

そういう中で、どういう施策があるか、という提案が出てこない。つまり、普通だったら「こういう状況だからこうすべきだ」という提案が出てくるが、それが出てこない。これが一番ある意味大変なことだった。

(震災翌日の)3月12日朝、現地に(視察に)行った。官邸にきちっと情報が上がってきて、誰かが的確な対応をしているのであれば、任せることは可能だったが、あのときは(災害対策拠点の)オフサイトセンターも機能していない。

私としては黙って見ているときではなく、現場で実際に対応している(福島第1原発)所長に、きちんと話を聞かないといけないと思った。

-政府は阪神大震災などを教訓に官邸の危機管理態勢を強化した。危機管理監の動きも見えなかった。機能しなかったのか。

(評価は)政府の事故調査・検証委員会などの検証を基本的には待つべきだ。しかし、どの仕組みがどうだったというよりも、ほとんど機能しなかった。

役職的な危機管理監の責任はあるだろう。しかし、原発事故の状況を当然一番分かるのは、事業者(東電)だ。事業者の情報以外なら保安院の現地の情報だ。しかし、私の知っている限り、(情報は)来なかった。情報そのものが極めて不十分だった。

(事故の)早い段階でいえば、東電はトップ2(会長、社長)が東京にいなかった。それが影響したかどうかも分からない。

地震、津波に関しては、被災者からは「もっと早く」と言われるが、ある程度やれたと思う。

原発に関しては、極めて不十分だった。つまり、東電から上がってくる情報そのものが極めて不十分だった。(原因は)どうしても全部「3・11」前になる。つまりは(原発の)全電源喪失を一切想定しなかったからだ。電源が喪失すればメーターが見えない。メーターが見えなくなることを想定していないわけだから、危機管理が残念ながら結果としてうまくいかなかった。

(官邸が)ほかの理由で機能しなかったんじゃないか、と言われるかもしれないが、少なくとも、最大の問題は備えがないことだった。

 -首相が前面に出ることに批判もあった。

首相が陣頭指揮を執るのは例外だ。今回は一般的には多分、例外になるから、やらざるを得なかった。つまりは、野党も国会で「将たる者はあそこ(官邸執務室)に座るべきだ」と言っていたが、黙って座っていても何にも情報が来ない。そこを「じっと待って」という人は、そういう政治家であって、陣頭指揮が一般的にいいのか悪いのかではなく、私は必要だと思ってやった。

-政府の震災関連会議の議事録が未作成だったことをどう思うか。

もちろん知らなかった。議事録がないこと自体は恥ずかしい限りだ。しかし、議事録の有無の問題と、情報開示の問題は若干違う。会議はほとんどの場合、冒頭にテレビカメラが入り、決定したことは直後に官房長官が発表した。

議事録がないこと自体は弁解のしようがないが、情報を隠したとか、情報がその時点で出ていないかというと、ほとんど出ていた。

 -原発事故が深刻になった場合を想定した「最悪シナリオ」が昨年3月25日作成されたが、公表されなかった。

セカンドオピニオンというのか、現場に直接携わっていなくても原子力に詳しい人たちの意見も聞いておくことが必要だと判断した。最悪の状態が重なったときにどういう状況が起き得るのか、私自身の参考にしたいと思った。

 -首都が壊滅的な被害を受けた場合の首都機能バックアップは必要か。

結局、それも含めて備えの問題だ。例えば、今回の原発事故でも本当に最悪の場合は、それこそ首都圏からも避難しなければいけない可能性もあった。3000万人の人間が避難することが通常の対応で可能だろうか。少なくとも関東大震災のときは戒厳令をしいた。

つまり、日本が3分の1も、しかも首都という一番の中心が「見えない敵」にやられるわけだ。そういうときに、ハード的な備えも重要だが、それに対応できる態勢が何なのか。

今回、10万人や20万人に避難してもらったが、それでも大変だった。もしそれが1000万人、2000万人だったら、私は今の備え、法律、制度を含めて全く不十分だと思う。私が実際に経験してみて。

私はその後、小松左京の「日本沈没」を読んだ。何千万の人間が動くというのは、単に動くだけでない。そういうまさに緊急事態の時に、自衛隊や警察や消防に対してどうするか、あるいは場合によっては個人に対してどう規制をかけるか。今の制度でもできるが、とても十分だとは思えない。

 -自民党は災害・テロ時に首相の権限を強化し、私権を制限する緊急事態条項を創設する憲法改正案を検討している。こうした法制面の検討は必要か。

当然そうだろう。ただ今回のこと自体を、野党も検証してくれなければ。だから私はそのこともあって野党にも「協力してくれ」と言った。まさに危機だから、危機状態にあるのだから、もっと協力してほしいと思った。そういう問題は、まだ残っている。

時事通信社の編集もあったのだろうが、淡々とした語り口は好感がもてました。
個人的には『私はその後、小松左京の「日本沈没」を読んだ。』という箇所がありましたが、オリジナルの1973年版か新しい2006年版か、また「読み直したのか」、「初めて読んだ」のか気になるところではありました。

などと思いつつ、朝刊に目を通すと、以下の記事が目に留まった。

日本経済新聞 脱・成長論を疑う(4)「受動的な無責任」改めよ

2012/3/13掲載

北岡伸一 東京大学教授

他人依存の姿勢 限界 リスク取る精神欠かせず

<ポイント>

○危機意識の欠如と公的精神の衰退が顕著に

○世界の原発増加を踏まえ事故への備え必須

○日本の経済停滞の根源はリスク回避の精神

東日本大震災から1年を経たところで、震災と復興に対する政治の取り組みと、その背景にある政治意識について考えたい。以下、震災および津波への対応と、原発事故への対応を、適宜わけて考える。

多くの人が政治指導者の危機意識の欠如、リーダーシップの欠如と非効率を指摘する。過去の例と比べてみよう。

明治24年(1891年)、濃尾大地震が起きたとき、名古屋の師団長はのちの総理大臣、桂太郎だった。桂は直ちに被災者の救援と人心の安定のために師団を出動させ、大きな成果を上げた。そののち、桂は天皇の命令なしに兵を出したことについて進退伺を出し、却下されている。

こうした桂の行動のうち、兵を動かすことに関する責任の意識が昭和の陸軍からは失われ、機動的に軍を動かすという感覚が戦後には失われてしまった。阪神大震災時の村山富市内閣の初動の遅れはそれであったし、今回の震災でも初動は必ずしもスムーズでなかった。そもそも首相の周辺に自衛隊出身の秘書官はいない。こういう国はむしろ珍しい。

大正12年(1923年)の関東大震災では、震災の翌日内務大臣に就任した後藤新平は、その日のうちに復興に関する4カ条の基本方針を書き下ろし、その具体化に努めた。後藤は震災後約4カ月で退陣し、この間原案は相当に縮小されたが、それでも都市改造で画期的な成果を上げた。

今回は、政府の復興構想会議が設置されたのが震災から1カ月後であり、提言が出たのは昨年6月、つまり震災から3カ月後である。その遅さは、最終的には首相の責任だ。

こうした会議は、トップが大体の方向を示し、その方向を具体化するのにふさわしい人々を任命して進めるべきものだ。しかし、首相が発言して方向を指示することはなかったし、委員会も委員の間の意見対立の克服に時間を費やしたらしい。後藤のように都市計画に深い知見を持った人物は望めないにしても、トップの責任という点では、はなはだ物足りなかった。

中央の官僚制も、縦割りの弊害で自己の責任の範囲を超えた問題の処理は元来苦手なうえに、責任感の希薄化が進行しており、かつての能動的に行動する官僚制ではなくなっていた。この点、民主党の責任も大きく、政治主導の名において官僚の活動を封じた結果、ますます官僚は受動的な無責任に逃げ込んでいた。

地方自治体では、長年中央からの支持を受けて動くのに慣れていて、やはり主体的、能動的な動きは少なかった。細かいところまでマニュアル化された行政にとって、震災は巨大すぎた。

地震ののちに、国民の間の助け合いの精神が大いに発揮されたように見えたが、実際のところ、がれきの引き取りに対して多くの自治体で強い抵抗があり、進んでいない。戦後政治についていわれていた危機意識の欠如と公的精神の衰退は、震災でより顕著に浮かび上がった。根源には、自国の安全を米国に依存して、これを当然とする考え方があるのではないだろうか。

首相と周辺の関心が原発問題に集中していたということもあるだろう。原発事故は未曽有のことだが、冷却装置や非常電源などの設計上の問題点を含む東京電力の失敗と、政府の監督体制の失敗であった。当時の菅直人首相の個人的な判断ミスや過剰介入はあったにせよ、より大きな問題はそれ以前から存在した。

民主党政権の発足後、2010年4月に開催された核安全保障サミットのあと、国際原子力機関(IAEA)から、核テロに対する備えが不十分だとの指摘がなされていた。これに対して、日本は適切に対応してこなかった。

原発事故の結果、政府が事実を国民に知らせていないとの不信が広がり、政府の信頼は大きく傷ついた。外国からネット経由で情報は伝わってくるだけに、率直に国民に語りかけなければならない。「由(よ)らしむべし知らしむべからず」の政治(それを主導してきたのは自民党だが)には終止符を打たねばならない。同時にインターネットの時代には、国際的な協調、協力はますます重要になる。

筆者は震災以前から、消費税および社会保障制度改革のために連立政権が必要だという意見だったが、特に震災直後には連立政権をつくるべきだったと思う。小選挙区の本場の英国でも、20世紀に3度の連立を組んでいる。第1次世界大戦、大恐慌、第2次世界大戦の3度である。国家の危機には大連立というのは、むしろ常道である。

連立すれば直ちによい知恵が出るとは思わない。連立によって、共同で責任を担当し、無用な批判や揚げ足取りをしなくなるということだ。

昨年5月、菅内閣を引きずりおろしたい自民党と小沢一郎氏のグループが、将来の方向については全く意見を共有しないのに、不信任案を提出する動きを示したのは、その証拠である。自民党も、連立すれば民主党に利用されるというようなケチな考えを持つべきではなかった。連立の中で不満があれば、閣議の中で議論すればよいのである。

世界で原発が増えていくことは確実だ(表参照)。長年先進国がエネルギーを大量消費して、豊かな社会を築いてきた。新しく勃興してきた国々はだめだということは許されないだろう。今後もエネルギー需要は増え続ける。原発はその有力な手段として、多くの国が拡大しようとしている。その際、最も安全なのは日本の原発だ。原発の輸出について、反倫理的だからやめるべきだという意見がある。しかし輸入する側から考えれば、日本のような地震の多い国で開発された原発なら、安全と考えるのが当然だろう。

韓国で今月、核安全保障サミットが開かれる。筆者はその準備のため、インドのアブドゥル・カラム元大統領、シンガポールのゴー・チョクトン元首相、オーストラリアのギャレス・エバンス元外相、ハンス・ブリックス元IAEA事務局長らとともに、昨年11月の有識者会議に参加した。韓国が任命した人々なので当然だが、原発に対する根本的な反対の声は出なかった。

彼らが日本の原発事故を真剣に受け止めていないわけではない。事故はどこでも起こりうるので、その場合に備えなければならないということを、宣言に取り入れる方向だ。

日本の原発反対派には、「想定外」ということは許されないという人がいる。しかし、世界の情勢を考えれば、ホルムズ海峡をめぐって中東で軍事衝突が起きる可能性もゼロではない。こういう事態も想定しなくてはいけない。それなら、中長期的にはともかく、直ちに原発をやめるわけにはいかないのである。

多くの人が「安全・安心」を強調する。しかし大事なのは安全の確保であって、安心の確保ではない。安心を強調するのは、実はお上に依存するということである。

国民が安心を求め、リスクをゼロにせよといえば、政府はこれに答えて、リスクはゼロだという。こういうフィクションはやめるべきだ。人生はリスクに満ちている。リスクを直視し、これをできるだけ減らすように様々な努力をし、あとはリスクを取って行動することが必要だ。日本の経済発展の停滞も、根源にあるのはリスクを取らない精神ではないだろうか。

石橋湛山は大正12年10月に書いた「精神の振興とは」において、「亡(ほろ)び行く国民なら知らぬこと、いやしくも伸びる力を持つ国民が、この位の災害で意気阻喪してはたまるものではない。心配はむしろ無用だ」と述べている。傾聴すべき言葉である。

=この項おわり

きたおか・しんいち 48年生まれ。東京大法卒。元国連代表部次席大使。専門は日本政治

つまらない記事を、長い引用で申し訳ないと思います。この記事というか、文章は日本経済新聞に「反原発」を諌めるために用意されたもので、北岡氏は忠実にそれに沿った文章を書いたものです(と私は推測しました)。「脱・成長論を疑う」シリーズとなっていますが、正確には「脱・原発を疑う」シリーズなのでしょう。肝は以下の部分です。これ以外は原稿料に見合うだけ文章を長くしようと思って付け足した、いわば蛇足と思って間違いありません。

世界で原発が増えていくことは確実だ(表参照)。長年先進国がエネルギーを大量消費して、豊かな社会を築いてきた。新しく勃興してきた国々はだめだということは許されないだろう。今後もエネルギー需要は増え続ける。原発はその有力な手段として、多くの国が拡大しようとしている。その際、最も安全なのは日本の原発だ。原発の輸出について、反倫理的だからやめるべきだという意見がある。しかし輸入する側から考えれば、日本のような地震の多い国で開発された原発なら、安全と考えるのが当然だろう。

韓国で今月、核安全保障サミットが開かれる。筆者はその準備のため、インドのアブドゥル・カラム元大統領、シンガポールのゴー・チョクトン元首相、オーストラリアのギャレス・エバンス元外相、ハンス・ブリックス元IAEA事務局長らとともに、昨年11月の有識者会議に参加した。韓国が任命した人々なので当然だが、原発に対する根本的な反対の声は出なかった。

彼らが日本の原発事故を真剣に受け止めていないわけではない。事故はどこでも起こりうるので、その場合に備えなければならないということを、宣言に取り入れる方向だ。

日本の原発反対派には、「想定外」ということは許されないという人がいる。しかし、世界の情勢を考えれば、ホルムズ海峡をめぐって中東で軍事衝突が起きる可能性もゼロではない。こういう事態も想定しなくてはいけない。それなら、中長期的にはともかく、直ちに原発をやめるわけにはいかないのである。

おそらく、編集者から「こんな内容を織り込んで」と箇条書きを手渡されて、書いたもので。上記の肝の部分以外は、著者の博識からとりとめもなく付け足したものなのでしょう。どうでもいいような事柄で水増しされたあげく、見事に意味のない文章になっております。このような詭弁を弄するたくさんの方々(御用学者)によって、先の菅直人・前首相は無責任さを追求され、無責任な政治責任は残り続け、『その時に「東電はトップ2(会長、社長)が東京にいなかった。」という事実』は消えていってしまったわけですね。

しかし、どうでもいいようなことで延々と文章を伸ばされ、眠くなったところで「最も安全なのは日本の原発だ」とは見事です。背景に散らばされた(蛇足の)意味のない文章のおかげで。その後の「日本のような地震の多い国で開発された原発なら、安全と考えるのが当然だろう。」という一般的には噴飯ものの文章も違和感なく受け取られるかもしれません。まったく困ったものです。『「受動的な無責任」改めよ』との記事でありますが、その前に『「積極的な無責任」改めよ』とつっこんでおきましょう。

ところで、『その時に「東電はトップ2(会長、社長)』はどごで、誰と、何をしてたのでしょうか。本当のことを知りたいところではあります。

iPad新型で、タブレットパソコンに注がれる視線が熱くなるのか

アップルの宣伝上手といおうか、話題づくりはいつもながらすごいものがある。こういうパブリシティのうまさというのは、ハリウッドをもつアメリカの伝統かとも思う。本当に派手で、スマートです。iphone4sなどという中途半端な新製品ですら、父親ともいうべき、スティーブ・ジョブズ氏の死さえも利用して売りまくっています。一説では、4sを「for steve」と呼ぶらしいです。粗利もすごいらしくて、何でも販売数十日前に現金を回収することになるらしいです。

日本のマスコミもアップルには甘いらしく、いいように書いています。ということで、まずは日経の今日の記事をご紹介。

2012年(平成24年)3月9日(金曜)日本経済新聞

タブレット端末1億台時代へ -企業・学校・家庭に浸透-

[シリコンバレー=岡田信行]

米アップルが16日に日米など10力国・地域で第3世代となるタブレット(多機能携帯端来)「iPad」の新機種を発売する。高精細ディスプレーと動画処理能力の高い半導体を搭載し、高速瞬帯電話「LTE」の通信網にも対応する。タブレットば2012年に世界出荷が1億台を超えるとみられ、インターネット端末としてパソコン、高機能携帯電話(スマートフォン-スマホ-)に次ぐ地位を確立しつつある。

 パソコン・スマホを猛追

米調査会社ガートナーの昨年の予測では11年に約7000万台だった世界のタブレット出荷は14年に2億2000万台に増え、5億3000万台と予想されるパソコンの半分に迫る。
米国では今年タブレットの出荷台数が3530万台を超え、個入向けノートパソコン(2億50万台)を上回る見通しだ。

タブレット市場では「アップルの「iPad」が約6割の世界シェアを握り、これをグーグルの基本ソフト(OS)」「アンドロイド」を搭載した「ギャラクシータブ」 (韓国サムスン電子)や米アマゾン・ドット・コム「キンドル」シリーズが追っている。米マイクロソフトも年内にも投入するOS「ウィンドウズ8」でタブレットでの巻き返しを狙う。」

パソコンの高性能とスマホの携帯性を併せ持つタブレットは米国などでビジネスや学校に浸透しつつある。
例えば旅客機のコックビット(操縦室)。バイロットが持ち運ぷ紙のマニュアルはトランクー個分、重量は17㌔に上る。この紙のマニュアルを廃止しハタブレットへの置き換えが進んでいる。すでにアメリカン航空やユナイテッド航空がiPadを導入して紙のマニュアルを切り替えた。

学校や病院でもタブレットの活用が目立ってきた。病院では「患者さんに検査結果など個人的な映像を見せる時に役立つ」という。韓国ではザムスンが学校にタブレットを売り込みーデジタル教科書が普及しつつある。
「タブレットはわずか2年で普通の人々の生活に無くてはならない存在になった」。アップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)」はこう胸を張った。

 タブレットはパソコソ以上に個人の仕事や生活を支える”パーソナルコンピューター”の役割を担い始めている。画面の高精細化や通信環境の大幅な改善で、タブレットの普及や用途拡大はさらに加速しそうだ。
日本では16日にソフトバンクモバイルが新型を発売。KDDIも4月以降に発売する見通し。8日には販売店に消費者の問い合わせが相次いだ

私が疑問に思うのは、アップル製品は、性能もさることながら値段も高いということです。iphoneにしろiPadにしろ、本体そのものが高いのに加え、通信代を加えた維持費というか、ランニングコストがあまりにも高い。特に日本は別格で、官僚の行政指導やらが加わりとてつもない値段がまかり通っています。

とりいそぎ、この構造をなんとかするのは、まずはアップルの対抗馬、グーグルのアンドロイドの活躍ですね。がんばってほしいところです。

ということで、満を持しての「アンドロイドパソコン講座」始めます。以下の要領で始めますので、是非ご参加ください。会場の都合で20名までしか会場には入れないので、どうしても参加したいという方はお早めにお申し込みください。

タプレットパソコン実践講座
健康管理もおまかせあなたの日常をパソコンでブートアップ。メール、スケジュールはもちろん、音楽、映画もタブレットに詰めましょう。
初心者歓迎、簡単に指先で使えるアンドロイドタブレット

パソコンは使うものです。手にしたその日から実践しましょう。簡単にできることからはじめます。

まずは、お使いのe-mailアドレス、カレンダー/スケジュールから評判のtwitter、facebookまでサラッと日常にします。それぞれのアカウントをお持ちの方は、ログイン情報などを持参ください。また、アンドロイドパソコンをお持ちでない方は、こちらで用意しますので、予約かたがたその旨ご連絡ください。

さあ、時は四月、この講座を境にあなたの新しい日常が始まります。

参加要領

セミナーに使用する機材すべてご用意しております。下記webもしくは電話番号でのご予約が必要です。http://www.saybu.com/
携帯電話:090-3127-4936 (伊丹)

日 時  2012年4月7日(土)午後1時15分~2時45分
受講料 無料
講 師  倉中達彦(くらなかたつひこ)
会 場  青葉区中央市民センター 第3会議室(七十七銀行本店近く)
主 催  セイブ・ドット・コム(有限会社セイブ)
事業名  宮城県地域医療復興支援事業

いつものようですが、前振りが長くてすいません。照れ屋はこんなもんですけどね。

山寨革命とは何か? その2

簡単に要約すると、「山寨革命」とはインターネットによる個人レベルでの市場創世といえるかもしれない。先に紹介した「米国発 さらば規格品社会 ここを攻めろ(3) 「スマートな個人」に商機」の生産版だ。緻密、子細に個人レベルまで降りてきた水平分業生産システムともいえよう。本では以下のように記されている。

純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。

山寨携帯のこのような運営方式だと、チップから始まって携帯電話を市場に出し販売するまでに、たったの一ヵ月しかかからない。これまでの半年から一年に対し有利となるのほ明白だ。販売ルート、金銭、市場が求めているモデルへの敏感さ、そして運気が彼らの勝敗を決める。代理店や代理業者は最終的な工程となる。華強北を例にとれば、一・ニメートルの売り場の借り賃が月に二〇〇〇元余りなので、資本が少なくても一つの売り場を借りて携帯電話の仕事が始められる。すべての工程の間のつながりはあまり複雑ではないが、大変効果的かつ実用的である。これは市場の着実な進歩の結果であり、この自然に進化したメカニズムはすべての工程のコストを極端に圧縮し、すべての工程が市場メカニズムを通して最も適切な資源を配置する。お金がある人、市場に敏感な人、技術のある人、何もリソースはないが小金を稼いで家族を養っている入、すべてに適切な場所がある。     p40-41

「山寨革命」は携帯電話から始まった。携帯電話をめぐる特殊性が、その足腰を鋼のように強くし、弁証法的に止揚された場を提供したと言って良い。日本の携帯電話が特殊性の罠にはまりガラパゴス化したのと好対照である。

携帯電話の組み立てが難しい理由は、以上のように携帯電話市場の汎用的な部品を、零綱企業に組み立てさせないからである。多くの人が、携帯電話が容易に組み立られないのは技術的な原因によると思っているが、実際ほそうではない。携帯電話がパソコンのようにバラバラの部品を買うことができない理由は、第一に、携帯電話の体積が非常に小さいため、それぞれの部晶を売るには保存や運輸上の利便性が確保できず、完成品を売るのに比べて利点がないこと。第二に、携帯電話は研究開発、生産などが一体化された垂直統合モデルであり、携帯電話業界に参入した企業の多くが自分たちの研究開発体制を持っていることである。TI(テキサス・インスツメンツ)、クアルコム、インフィニオンなどの企業が提供するチップは、数社の顧客のためだけのであり、同時に、技術障壁(あるいは観念的な束縛かもしれないが)も比較的高かった。それらの企業が提供していたチップがメディアテックと最も違う点は.携帯電話メーカーが慣例に縛られて、以前と同じように多くの工程を自分でこなそうとしていたことだ.メディアテックからすると、クアルコムなどが提供しているチップはすべて「半完成品」である。一方でクアルコムなどからみると、メディアテックが作っているのは「超完成品」であり、「無駄に高度な作品」なのである。

業界の変化はときに観念上の小さな違いから作られる.クアルコムなどの企業がチップを大工場に作らせる場合、どの程度のものを作るかは考える必要がない。しかし、このように見ない人もおり、もしその人がほかの方法を実行するのであれば、すぐに成功者になれるだろう。

具体的にいうと、一台の携帯電話の製作工程にはまずチップがあり、チップの上にオープンインターフェースとプロトコルスタックを置かなければならない。これらは旧来のチップメーカー内での事情で、携帯電話メーカーはソフトウエアのユーザーインタフェース〔UI)を開発しなければならないなど、作業量はかなり多い。また、チップの生産から携帯電話を完成して出荷するまでのサイクルは大体半年から一年で、技術リスクがあるため、零細企業は手の出しようがない。メディアテックのこの種のビジネスモデルに対する最大の変革は、ユーザーインタフユース内に内包される一連のソフトウエアを提供し、ローカルに技術サービスの拠点を作ったことである。デザインハウスはメデイアテックの計画を手に入れてから個性を際立たせる改革を行った。たとえぱ腕時計型の携帯電話をデザインする場合、基板を腕時計の中に配置できるようにしなければならず、腕時計のような空間の中にいかにしてユーザーインタフェースを置くかというような改革を行う。デザインハウスと市場の間に携帯電話の組み立て事業者が存在し、彼らの間では機器のデザインについての橋渡しをしなければならない。純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。 p39-40

携帯電話の排他性はチップの寡占化によるものだが、ここにメディアテックという新興メーカーが山寨と結びつき山寨革命を押し進めることとなる。

メディアテックが創り出したターンキー方式(チップセットにマルチメディアをはじめさまざまな機能が最初から盛り込まれ、それだけで多様な携帯電話に対応可能にすること)は山寨革命にとって大きなカギとなった。蔡 明介氏はメディアテックのリーダーであり、後に尊敬と揶揄を込めて「山寨革命の父」と呼ばれる・・・。P41

山寨革命はメディアテックと共に、デジカメ、薄型液晶テレビ、ノートPCと進む。ノートPCはタブレット化して、ステーブジョプズのiphone/IPADの果実を追いかけているようでもある。本書では、2009年の時点でもあり、ページ数も少なく控えめな記述になっているが、先に述べたように大手家電メーカーが薄型テレビと共に崩落している様を観ると、革命は本書の唱えるような本物の様相を示し始めているのかもしれない。遠からず、電気自動車も山寨革命の標的になることだろう。

翻って、わが日本を観ると、まだまだ太平の時代を貪っているように思える。時代は変わっているのだが、その構造的な部分が見えていないのだろう。日本経済新聞、2/6/2012付けのコラム-「経営の視点」、30年変わらぬ家電業界-を観てみよう。

「間違いもしたが、ソニーだけではない。日本の家電産業には問題がある」。

経営交代を発表したソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長は、7年の在任期聞をこう振り返り、「日本の社会全体としての対応が必要だ」と語った。言葉尻では2200億円もの今年度赤字見通しの責任逃れにも聞こえる。しかし翌日にはパナソニックが7800億円の赤字見通しを発表。シャープも2900億円の赤字となるのを考えれば、確かにソニーだけの問題ではなさそうだ。「最大の要因は自前主義。大規模な工場投資にある」。パナソニックの大坪文雄社長は決算発表で自らの判断ミスをこう認めた。ライバルに対抗し、大型投資に打って出たことが裏目に出たというわけだ。ストリンガー氏は日本の問題に具体的には触れなかったが、答えは大坪氏の反省の弁にあろう。つまり自前主義の各社が横並びで集中的に投資し、結果的に商品の寿命を短くしてしまうという悪いクセだ。

源流は日本が世界の家電市揚を席巻した1980年代にさかのぼる。日本の強みは部品から製品まで一貫して作れる垂直統合モデルにあった。アナログ時代は製造段階での擦り合わせ技術が重要だったからだ。最たるものがテレビで、部品も自社生産すれば部品と製品の両方で稼げた。ブラウン管を持たなかったシャープが後に液晶に力を注いだのはそんな背景からだ。テレビは家の中央に鎮座するため、正面に自社のロゴを飾るのが重要なブランド戦略でもあった。そこで大成功を収めたのがソニーである。映像がきれいなトリニトロン方式のブラウン管で人気を呼び、自前のテレビ工場を海外にいくつも造った。

しかし、デジタル時代の到来で状況が一変する。アップルが工揚を時たなくていいのは、擦り合ねせの要らないデジタル家電は部品さえあれば誰でも作れるからだ。そこに各社が横並びで集中投資して生産すれば、値崩れが起きるのは当然。半導体もしかりだ。デジタル化でもう一つ変わったのが音楽や映像の視聴スタイルだ。

先週、上場申讃した米交流サイト(SNS)の「フェイスブック」や米動画共有サイト「ユーチューブ」」の登場は、放送番組しか見られないテレビを「古ぐさいもの」にしてしまったのである。日本の自前主義と横並びは実は30年前と変わっていない。当時は激しい競争で海外企業を廃業に追い込み、事業的には世界を制覇した。ところが「リビジョニスト」と呼ばれる米国の対日強硬論者が反発、「コンテイニング・ジャパン(日本封じ込め)」の声が上がったのはそのすく後だ。

ストリンガー氏はソニーの負の資産ともいえる海外のテレビ工場を大幅に減らすなど、構造改革に努めてきた。ようやくそれを終えた矢先に起きたのが、リーマン・ショックや東日本大震災、洪水などだった。映像出身のストリンガー氏は本当はアップルのようなハードとソフトの融合モデルを目指していた。従来型のモノ作りを韓国や中国に奪われたからだ。正念場の日本企業に求められるのはアップルを超える新しい事業モデルの創造である。(編集委員 関口和一)

漠然とは問題に辿り着けそうなのだが、もう一つ切り込みができていない。核心を突けない、どうにもわかっていない。そんな記事だと思うのだが、いかがだろうか。

いずれにせよ、新しいシステムは若い人が作って、馴染ませて、押し進めるということが必要だ。日本の若者はなかなか優れていると思う。ちょっと前に「空気を読め」というような言葉がはやったが、空気を読むことができるのは日本人だけだと思う。自信をもって進んで欲しい。若者よ、世界のために頑張れ。

若者に比べて、大人は今ひとつ。日本がダメになっているのは大人の責任だと思う。

考えてみれば「地デジ」て何だったんだろう。寡占化した企業と、官僚と、マスコミがつくりあげた幻想の最たるものが「地デジ」だったのではないだろうか。エコポイントで国民に薄型テレビを大量に売りつけたりはしたが、そのテレビの値下がりは与えたエコポイントの何十倍になるのではないか。というか、「地デジ」で何が変わったの?、何を変えようとしたの。「双方向」ってなに?携帯電話もそうだ、世界一高い通話料金で国民から金を貪っている。原発なんかも同じだ、世界一高い電気料金が宇宙一(え!?)になろうとしている。地デジもガラパゴス携帯も世界には奇妙に見える製品に違いない。反省のない失敗を積み重ねながら、若者を搾取しているのは、大人だよ、何とかしようぜ。

濃い蒸気船を三杯以上飲んでも、太平の惰眠からは醒めないかも知れないなあ。そういった社会の硬直状態こそ、革命の糸口には必要なのだろう。若者よ、硬直しただらしない社会こそチャンスだ。

変えちゃえ!!