瞑想歩行中に経験したリモートビューイング

黒住宗忠ではありませんが、太陽の陽ざしを浴びながら歩くのは好きです。帽子をかぶっていたら、脱いで、頭に陽があたるようにして歩きます。姿勢を良くして、意識を太陽に向けると、あっという間に変成意識に到達します。

今から十数年前、90年代にこのような状態で歩行していたら、リモートビューイングを経験してしまいました。場所は下記に埋め込みましたのでご参照下さい。

より大きな地図で 瞑想歩行中のリモートビューイング を表示

ここを瞑想しながら歩いていると、急に眼前にメタリックブルーのイメージが現れました。それは、聞こえてきた爆音とともに、イメージはバイクになり、走り出します。驚いて目を開くと、目の前の左手からメタリックブルーの大型バイクが現れ、そして去っていきました。

いまから考えると、バイクの起動音に意識が触発されてイメージを形成したのだと思います。イメージの視点から推察するに、ライダーの意識を共有したか、感知したかですね。また、サイカワの通用門側の起点を指摘できるわけですから、あたりのイメージをも感知していたと思われます。イグニッションキーを回す覚えもありますから、前後の時間も感知していたというか、爆音の発生する前も含有していたことになります。

イメージの想起した段階では、なにがおこったかわからず、しばらくしてから、左手からバイクが登場してきて、イメージのなかの爆音とバイクのカラーが一致しているというえ、リアルタイムで重なっているわけです。もちろん、さらにわけがわからくなって、バイクが眼前から消えてしばらくしてから、全体像がわかるようになった。つまり、リモートビューイングだったんだとわかったわけです。

メタリックブルーは太陽の光を浴びて光っていました。

坊主は新しいのが好きなんじゃない

坊主は、実は私のあこがれの職業です。いつか出家したいと思っています。坊主は常に最先端の新しいもの好きでいて欲しい。そう思っています。

最近流行のスマートフォンも実は興味津々。いつかオーナーになろうと思っています。ちょっとした不安もあります。スマートフォンとトヨタのハイブリッド車は、あまりにもありすぎ。街で石ころをぶつけるとどっちかには必ずあたると思います。そういった現象は、やはり異常で、レミングスではないですが、どっかの沼に大量廃棄になってしまうのではないでしょうか。アマゾンブックストアでは、ベストセラーの本やCDは中古で1円になっています。スマートフォンやハイブリッド車も一円になってしまうのではないでしょうか、近い将来。ちょっと楽しみではあるのですが・・・。

そんな私が日経新聞の記事にがっくりしました。スマートフォン嫌いの坊主のインタビュー記事です。以下にご紹介。

情報端末から距離を 人と「つながる」は錯覚 月読寺住職 小池龍之介氏
インタビュー領空侵犯 2010/12/20付
――スマートフォン人気に異論をお持ちだとか。
「デジタルツールを通じて人と人がつながるといわれますが、それは錯覚です。ネット空間の情報の海の中で誰もが共通して強い関心を抱くものがあります。それは『自分の所在』です。自分が人からどう扱われているか、大事にしたいと思われているか……。すごく気になるのです。皆から認められたいというのは、誰もが抱く気持ちですが、自分あてのメッセージが生存に役立つ情報だと錯覚されています」
――ツイッターやメールですぐに返事が来ないと、寂しくなりますね。
「ネットで何か発信すると10秒後に答えが返ってきたりします。すると、あ、相手をしてもらえた。つながっているんだな、と感じます。その瞬間は気持ちがいい。ここに大きなワナがあります。うれしいと感じる脳内の作用に“慣れ”が生じるからです」
「返事を早くもらえないと不安になり、不信感や怒りに襲われます。しかも次の反応が来ても前ほどは気持ちよくない。何か足りない感じがして、もっと速く、もっと多く、という循環に入り込みます」
――ネット疲れ、ネット中毒という言葉もあります。
「情報端末から得られるのは、主に記号情報です。会話する相手の顔や声はなく、文字やアイコンだけです。人間の脳は、記号からイメージをバーチャルに再構成する性質を持っています。言語は抽象度が高い伝達手段なので、受けとる側は情報を変形、加工しなければならない。いくらでも連想ゲームを発展させることもできます。その作業を行うとき、私たちの心はとても疲れるのです」
――ネットへの依存が高まると、どうなりますか。
「バーチャルな情報処理量が増え、心の負荷が高まり、心が現実からどんどん離れてしまいます。それでも、ちっぽけな快感を得ていないと安心できなくなり、絶えず情報端末にアクセスするようになる。一瞬の快楽をもたらす脳内物質のドーパミンは、生物の生存に役立っていますが、野放しにすると暴走します」
――とはいえ情報ツールは買い物などに便利です。
「ネット空間で本当に売られているものは何だと思いますか? 実は『自分』が商品になっているのです。誰かに見てもらえる。誰かとつながることが商品になっている。つながりが欲しいということは、裏を返せば、みんな寂しいということです。寂しさが商売のネタになっているといえるでしょう。情報ツールと距離を置かないと、人は現実の身体感覚を忘れ、言語だけであれこれ考える“脳内生活”になってしまいます」
<聞き手から>
思い当たるふしがある方は多いのではないか。メールやネットの掲示板は気にし始めると気になって仕方がない。小池氏の著書や座禅道場の人気の裏側には、自分の心の在りかを見失ったネット空間の迷子が大勢いるに違いない。高機能の情報端末に人間が振り回されるのでは困る。寂しがっている場合ではない。(編集委員 太田泰彦)
こいけ・りゅうのすけ 1978年生まれ。山口県出身。東大教養学部卒。東京・世田谷の月読寺の住職。瞑想(めいそう)の修行を続ける一方、一般向けに座禅の指導をしている。著書『考えない練習』などが反響を呼んだ

小池龍之介氏は当ブログで取り上げたこともあります。期待していたのですが、残念です。インタビューではもっともらしいことをいっていますが、全然おもしろくないです。

ネット空間に限らず本当に売られているものは自分を含めて空しいものばかりではないですか。バーチャルといえば、いわゆるリアルそのものもバーチャルなわけで、ネット空間がバーチャルだとかリアルではないなどとはいえないわけです。色即是空、空即是色とはそういうことでしょう。

「情報ツールと距離を置かないと、人は現実の身体感覚を忘れ、言語だけであれこれ考える“脳内生活”になってしまいます」というのもおもしろくない。むしろ、情報ツールと距離をおかないで、現実の身体感覚にしてしまえば、言語を超えた身体知をも拡大することができるのではないかなどと想像力を羽ばたかせて欲しいな。

実際に、聴覚とか視覚とかがなくなった人でも電子機器を脳が感知できる生物信号に変換して直接脳につなげている時代です。立花隆がNHKの番組で紹介していたことがありますが、最先端科学はすごいです。当初は電子機器の精度が粗く、とても実用には耐えられないといわれていたのですが、実際に脳に接続してみると、脳が変化(進化)して十分に実用になっていった。そのうちに電子機器も進化して精緻になり、脳の進化との相乗効果が飛躍的なものになってしまったということです。

生まれつき耳の聞こえない人、目の見えない人でも、若い年代であれば、電子機器でも脳に馴染んでしまうと言うことです。

シリコンのコンピューターも、バイオコンピューターに変わっていくでしょうし、人間と電子機器の融合もさらにすすんでいくと思われます。そういった時代に、「情報ツールと距離を置かないと、人は現実の身体感覚を忘れ、言語だけであれこれ考える“脳内生活”になってしまいます」なんてことはまったくおもしろくない意見です。

それから「 実は『自分』が商品になっているのです。」なんて、使う場所がちがっています。資本主義が生起した時点で、すべて、ありとあらゆるもの友情も、恋も、時間も、森羅万象を貨幣価値に換算してしまうというのが、資本主義に内包された矛盾だったわけです。人間疎外とは、その矛盾をある意味言い換えたものなのです。卑近な例では、三高、つまり高身長、高学歴、高収入なんかがまさに貨幣換算です。身長も、学歴も収入も貨幣換算してしまうから、一律に意味を持つことができるわけです。身長が高い方が幸せ、学歴も高い方が幸せ、京都大学よりも東京大学の方が幸せ。年収1000万円より、年収一億円の方が幸せ。

実際、「幸せ」なんて、誰にもわからないことでしょう。それがいとも簡単に貨幣換算してしまうい、比較して判断できてしまう。簡単といえば簡単だが、それはあくまでもバーチャルで、リアルではないわけです。実際に、身長が高くても幸せであるはずがない、学歴も収入も、どこまでいっても満足できずに、むしろ不幸に不幸になってしまう。

そういったことを、ねじ曲げるようにネットとか電子端末のせいにするのは、間違いです。特に、坊主がマスコミで喧伝したら罪ですね。多くの人々を迷妄の世界に誘導してしまうことになる。

「一瞬の快楽をもたらす脳内物質のドーパミンは、生物の生存に役立っていますが、野放しにすると暴走します」などというのももっともらしい迷妄の所作です。パチンコで何万円もすった方が情報端末より、麻薬効果があるでしょうし、キャパクラで馬鹿騒ぎするほうがドーパミンは出るでしょう。そもそも、現代の資本主義社会で、いらないものも消費させるためには、ドーパミンは必要不可欠なもので、世に氾濫する3s(スピード、セックス、スリル)こそ、資本主義のアフターバーナーですよ。オートショーとか、レースには、水木姿の美人やレースクイーンがなぜいるのか、そういったことでしょう。それを、言うに事欠いて「情報端末にドーパミン」はないでしょう。

ここまで読んでくれた方には、もう一度引用したインタビュー記事を読んでください。いかに、意味のない記事であるかが実際に認識できると思います。

結論ですが、坊主もスマートフォンも悪いわけではありません。はさみとなんとかは使いようです。

いつかは、スマートフォンを持って出家してみたいなあ。

ヨガと超心理 本山博 その2

ヨガと超心理―ヨガ,超心理,鍼炎医学 (1972年)について、前回は呼吸について述べましたが、今回は念力の箇所についてです。

著者は鍼炎医学を応用し、皮膚電流をしらべることで念力を調べるのですが、このように皮膚電流を調査するのが、著者の科学的足りうるところで、他の著書にも電位差のグラフなどはよくでてきます。それが、私の苦手なところではあるのですが、そのテストについての箇所(p148-150)を紹介します。

Single-Pairテスト
以上のようないろいろなテストをしたのは、要するにこれはpKの発現条件を調べるための一つの前段階なんです。こういうことがわかった上で、今度はPKが発現する、或は働く場合は、生命力或は気というものがどういう状態にあるかということを、だんだん調べていったわけです。先ず二人一組の一人ずつについて、今言った井穴の左右差を測ってみたわけです。次は二人を同室にして座らせ、各人の左右の井穴差を同時に二台の測定測定器で測ってみると、一人の時と比べて、二人を同室に置くだけで、各人の白律神経の動きや生命力、気といいますか、(念力とでもいうか)、そういうものの動きが非常に変わります。
右のような実験の結果から、次のようなことがわかりました。それは二人以上の人間が同じ所に同時におった場合、今この会場には沢山の入がおるわけですが、ここにただ一緒におるだけで、互いに人間の間には身心共に影響があるというわけです。それが意識されようとされまいと、人閻の身体の上では非常に大きな変化がおきている。特にどういう所でおきているかというと、胃の経絡、脾臓の経絡、腎臓と三焦の経絡、こういうものに大きな変化が、一緒にいるだけで生じてくる。三焦経というのはさっきも申しましたように、今の医学ではわからないのですが、昔の支那の医学やヨガのプラーナの説明によれば、根源的には一つである生命力が、生命を維持するために三つに分かれて身体の各部を動かし、生かしている。この三つの生命力、気を三焦と呼び、この三焦の動向と密接不離の関係にある経絡が三焦経であります。この三焦経に、二人以上の人間が同所に同時に入ると、意識するとしないにかかわらす、大きな変化の生ずることが判明しました。つまりニ人以上の人間が同時に入るだけで、各人の生命力の動向に変化がおきるのですから、この三焦、つまり生命力、気は、互に他人の気に影響を及ぼす、念力、サイコキネシスのようなものとも思えます。
右で話したことは、一人でいる場合に比べて二人でいる場合には、各入の各経絡の気の動きがどういうふうに変わるかということをみてみたのですが、いろいろな組み合わせをしてみると、次のようなことがわかりました。それは、母親と予供とを組み合わせた場合、夫婦を組み合わせた場合。姉妹を組み合わせた場合、兄弟を組み合わせた場合、非常に面白いのは、親から子供へ、夫から妻へ、兄から弟へ、姉から妹へというふうに、変化の非常に大きい側は、母親と子供の場合ですと、子供の方です。それからまた、妻、妹、弟というふうに、どっちかというと相手に対して従う態度をとっている方ですね。ただ何もしないでおるだけで、両方同時に測る訳ですが、その場合に、従の態度をとっている方に大きな変化がおきる。これは催眠現象についても言えるわけです。
それから霊能者と普通の人、強い霊能者と弱い霊能者を組み合わせてみると、とにかく霊能者から普通の人への影響の方が非常に大きいわけです。どっちも変化は起きるのですが、普通の人の方が大きた変化を示すし、強力な霊能者と弱い霊能者の二入を置いた揚合は、どっちにも変化は起きますが、弱い方に変化がよく起きるようです。従って、二人以上の人間が同時にいる時、各人のもつ霊能の強弱によって各人に生する気の変動の程度が異なってくることがわかります。この霊能の強弱の相違が、pK現象を起こす一つの条件のように思われます。
わかりやすく言うと、好むと好まざるに関わらず、人はお互いに心身をつうじて干渉しあうと言うことです。気のせいかと思っていたかもしれないが、物理的に経路に変化をきたし、ひるがえって、五臓六腑に現実的に干渉する。とくに弱い部分、胃や肝臓など、弱っている部分には大きく干渉する(上記以外のところで述べています)とのことです。干渉しあう方向としては、強い方から弱い方へという流れがあるということです。
念力に関しては、ポルターガイスト現象があるところに子供がいるとよくいわれています。念力に限らず、世の中の矛盾は弱いところにあらわれます。子供は弱者の端ですから、ここにあらわれる現象には注意しなくてはならないのでしょう。強いものは弱いものに対して大きな責任をもっています。学校の先生や、子供を持つ親には意識してもらいたいところですね。
話は若干かわって、お見合いの名人になると、うまくいくお見合いは、匂いがするそうです。それは、出会いが経路に影響を与え、男女それぞれの分泌器が反応するのでしょうね。

ヨガと超心理 本山博

ヨガと超心理―ヨガ,超心理,鍼炎医学 (1972年)を読みました。

これは講演をまとめたものということで、読みやすかったですね。本山さんの著書はなんどか手にする機会はあったのですが、なかなか難しくてあまり読めませんでしたが・・・。

この本で、今の自分にマッチした箇所は、呼吸と念力の部分でした。

今回は呼吸の第四段階プラナヤーマの部分(p24-30)をご紹介しましょう。

第四段階プラナヤーマ(呼吸法)
次が第四段階の呼吸法、プラナヤーマです。プラナヤーマのブラナというのは、字宙に遍満している神命の気、生命力ということです。先す呼吸の方法について、種々ある方法のうちの基本的なものの一つを話してみましょう。
シッダアーサナ或はパドムアーサナの姿勢で、先す片方の鼻孔から空気-気-をゆっくり吸い込むのです。左でも右でもかまわないから、片方の鼻孔で吸う。ロではだめです。ゆっくり四秒程かけて吸い込みます。その際、胸式呼吸ではだめです。腹の中に気を吸い込むという気持で.腹をゆっくりふくらませる腹式呼吸をしなけれぱなりません。その時、喉の中の前側にある気管を通じてでなく、後側の食道を通じて空気を胃の中に吸いむ込ようにすると、うまく自然に腹がふくらんで腹式呼吸ができます。食道に空気を吸い込むには、咽頭の所で後の壁に沿うて空気が流れ込むようにします。そうすると、後の壁に沿うて冷たい空気の流れるのがよく解ります。そうすればうまく食道を通じて空気が胃の中へ入り、腹式呼吸ができ、腹が自然にふくらみます。空気を食道を通じて胃の中に吸い込む時に、今宇宙に漲っている神の気を吸い込んでいるのだと思うことが大事なのです。そうして四秒程かけてゆっくり空気-気ーを吸い込んで、腹がふくらんでくると、そのふくらんだままの姿勢で神の気が丹田に溜まっているというふうに思って、八秒ぐらいそのままの姿勢で止めておくのです。次は息を止めたままで、腹をグッと凹ませて、肛門をギュッと締めて上へ上げます。肛門をギュッと締めて上へ上げながら.眉てい骨の中にあるクンダリニの力-」これは要するに先天の原気と申しますか、生命の根源力というようなものですーを丹田の所、腹の内へ引っぱり上げてくる。そしてそこに溜めてあった神の気ーブラナーと一つに混ぜる、合わすわけです。その間八秒ぐらい、息を止めたままで行ないます。最後に、今度は凹ませてあった腹を普通の状態に素早く戻し、吸う時とは反対側の鼻孔からゆっくりと四秒ぐらいで息を吐きます。その時、自分の中で生じた、神の気と生命の根源力を一つにした宇宙の最も根源的な力を、今、外の世界に与え漲らせつつあるのだというふうに思うことが肝心です。これはは自分の中で元通りにされた宇宙の一なる力を、自分以外の凡てのものに分かち与える愛の行とも言えるものです。
以上で一呼吸が終わるわけですが、全体で二十四秒かかります。ということは、一分間に二回半から三回ぐらいの呼吸回数ということになります。こういう呼吸を七回ないし十四回、或は二十一回というふうに七の整数倍行うのがよいと言われています。それはヨガに、身体と精神を媒介し統一する微細身というのがあって、その微紬身にチャグラというのが七つあり、そのチャクラの働きによって我々の生命が保持されているとヨガは教えるのですが、そのチャクラをもっと活勤させ、生命力を旺盛にするには、右に述べた呼吸法で、神の気とクンダリニの力を一つにした宇宙の根源力を、一つ一つのチャクラに集中するとよいと言われているのによるのです。即ちチャクラは七つあるわけですから、七の整数倍だけ呼吸をすることになります。初めの間は、七~十四回が適当です。それ以上の回数をしますと、頭痛等が生じます。慣れると徐々に回数を増やすといいと思います。
右の呼吸法をしただけで、かなりの程度に病気は治ります.次に、ブラナヤーマをするだけでどうして病気が治るかという理由を、少し話してみたいと思います。このプラナヤーマでは、臍の下の丹田にいつも意識が集められており、腹式呼吸が行なわれます。道教では、「頭を空にして丹田に心を集めよ」ということがよく言われます。これは、人間は日頃常に頭を使って意識ー心ーを頭に集めている。ところが心を頭にのみ集中して使いすぎると.気が頭にのぼり、胃病、心臓病等の種々の病気が生じやすいこと-現代病と言われる心臓病、胃病、ノイ日ーゼ等が頭脳労働者と呼ばれる管理織等に多いことは、上の遣教の教えと合致するものですー、及び心を頭でなく丹田-腹-に集あることによって、気が下に下がり、気力が充実し、身体が健康になることを体験的に知っていたことに基づく体験的知慧だと思います。ヨガのプラナヤーマでは、右の道教の教えと全く同じことが行なわれている、従ってプラナヤーマで健康になるわけです。次にヨガのブラナヤーマでは、丹田に意識を集めるだけで疲く、丹田の所にプラナを導入し、止息して貯え、腹を凹ませてクンダリニのエネルギーとプラナを一つにし、次に吐気をするという腹式呼吸をします。この腹式呼吸が、健康を大いに増進するのです。その理由を少し話しましょう。
胃の右後方で横隔膜の下に太陽神経叢いう重要な神経叢があります。これは胃、腸、腎、肝、膵、脾等の腹部の諸臓器に神経を送り、これらの機能を支配する重要な神経叢で.腹の中の脳-腹脳-だとも言われます。右のプラナヤーマをしますと、腹圧が高まり横隔膜を刺戟し、更に太陽神経叢を適当に刺戟し.腹部の諸内臓の機能が活発になります。それによって健康が増進されます。またブラナヤーマでは、腹を脹らませたり凹ませたりして腹筋を運動させます。これが、腹部に多量に溜まっている静脈血等を心臓に送り還すことになります。というのは、腹部の静脈管は腹筋の運動によって、静脈血を心臓に送り還すポンプの役目を増大されるからです。腹部に多量に静脈血が溜まりますと、身体全体に新鮮な血の循還が不十分となり種々の病気の原困となります。逆に腹部の多量の静脈血が心臓に還流し.肺に行き、酸素を吸取した新鮮た血となって体内を還流する時、身体の各臓器、組織は十分にその機能を発揮し、身体全体が健康になります。上のような理由で、プラナヤーマに含まれている腹筋を脹らませたり凹ませたりする方法も、健康を増進するのには大いに有益なわけです。
以上のような種々の理由で、ブラナヤーマをするだけでも健康になるということがわかって戴けたかと思います。ほかにもプラナヤーマをすることによって健康になるという理由があると思いますが、→応、上述のような理曲の説明だけに止めて、次の間題に移りたいと思います。
以上ですが、今の自分には非常に大切な事柄が書かれておりました。例えば、「シッダアーサナ或はパドムアーサナの姿勢で、先す片方の鼻孔から空気-気-をゆっくり吸い込むのです。」と書かれているのですが、まずこの箇所を読んだら理解できないというか、わからなかったものと思われます。なぜ片方の鼻なんだと??で終わっていたものと思われます。
自分は今、結果的にこのような呼吸をしている最中でした。”ひょっとこ”のように顔面をつくると片方の鼻から呼吸ができます。
なぜこのような呼吸をしているかというと、たまさか「喉の中の前側にある気管を通じてでなく、後側の食道を通じて空気を胃の中に吸いむ込ように」するためでした。それはなぜかというと、自分は蓄膿症気味でうまく呼吸ができずにいたのですが、それが治りつつある-たばこを止め(20年ほど前)、姿勢を正すことに意識していた結果だと思われますが、それはさておき-、その結果、喉に負担をかけないようにすれば、さらにリラクゼーションというか、体に弛緩をあたえることができるのではないかと模索していたことがこの呼吸法を模索することにもなっていたのです。
そういうことだったので、ハタと膝を打つようなことでしたね。習い事は師に出会わなければダメといわれていますが、全く持ってその通りだと思います。師はそのように存在を通じてさまざまな事を教えてくれるからでしょう。師がいない自分にとっては、このような箇所に出会うことは非常に大事なことなのです。
瞑想をするようになって20年以上も経ちますが、現在やっと理解できるようになったことも、師がいれば、もっともっと早く理解できるようになっていたのではないかと思います。

エマヌエル・スヴェーデンボリEmanuel Swedenborg

エマヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg)スウェーデンボルグスヱデンボルグとも訳されています。

スウェーデンボルグは、霊界を語る上で欠かせない人なのですが、アマゾンで購入できる書籍を調べると、紹介記事や抄訳がほとんどでオリジナルの著作は意外なほど少ないですね。

『夢日記』以降のスウェーデンボルグの著作と主な手紙を見てみると、著書のほとんどがなかなか難解であることがわかります。タイトルから、読みやすいそうで触手がうごきそうなのが、「夢日記」と「霊界日記」というところでしょうか。インターネットで公開されているのを見つけましたので以下にご紹介します。もちろん無料です。

http://aoi-press.com/Library/Diary/Diary-fr.html

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994067

「霊界日記」は訳者がなんと鈴木大拙氏ということです。