催眠術の神秘を読みました

催眠術の神秘は、しばらくかかって読んでいた本です。初心者用ですが、実務に沿った解説で、なかなか手ごたえがありました。その中で気になった箇所があったのでご紹介します。自己催眠法の説明、「内観精神統一法」と、「瞑想とトランス」についてです。

まずは、内観精神統一法について

内観精神統一法

深呼吸により心を落ち着かせリラックスすることができたなら、つぎには自分白身を見つめることにより精神を統一していく。まず目を閉じたままで自分の呼吸を数えていこう。
この呼吸は普通の呼吸でよいのだ。軽やかに楽な呼吸をしながら、呼吸を一つ、二つと数えてゆく。もちろん声に出す必要はまったくない。心の中で数えてゆけばよいのだ。
初心者は三十位がちょうどよい。あなたは自分の呼吸を数えることにより自分の呼吸に注意の集中が行われているのだ。目を閉じて単に瞑想しているだけでは雑念がつぎからつぎへ浮かび精神の統一はできないが、このように呼吸を数えてゆくことで、白然に呼吸に注意が集中し、雑念はわかなくなるものである。
瞑想つぎに鼻頭を両目で見るようにする。目を閉じているので見えるわけはないが鼻頭をじっと見つめるのだ。しばらく見つめていると眉と眉の間の少し上の辺りがファーとした気持ちになってくる。ファーとした気時ちになってきたならば、今度はそこに光った玉を思い浮かべる練習をする。

この光った玉がぼんやりとでも浮かんできたならば、あなたの自己催眠の第一歩は完全に成功したといえよう。ハッキリとした玉に見えなくてもよい。存在感があればそれでよいのだ。このときに人によって光の見え方がさまざまに異なるが、つぎの進め方について具体的に説明しよう。
 玉の周辺が定まらず拡散して見える人はできるだけ①のように玉を円に近くするように念じていくのだ。 また、②のように光がチカチカ星のように見える人も焦点を絞り、円になるように修行するのだ。
このようにして練習を積んでゆくと、ついには光の玉は太陽の如き輝きをもちハッキリと見えてくるようになるのだ。つぎに、レンズのピントを合わせるようにこの玉をあるいは大きくし、あるいは小さくしてゆくのである。それが自由自在にできるようになったなら、あなたの自己催眠の第二段階は終了したといえよう。
この第二段階が白由にできるようになると軽い紳経症なら完全に治ってしまうのだ。

なぜそうなるのか

というと、そのためには瞑想とトランスについて知らなければならない。つぎに.これについて解説してみよう。

瞑想とトランス

瞑想1

ある人が目をつぶっているとする。第三者がこの人を見たとき、たんに目を

閉じているのか催眠状態にあるのかを判断することは大変に難しい。しかし、目を閉じている本人からみれば、瞑想している状態と催眠状態は明らかな違いがあるのである。

たとえば、瞑想状態にある方が菊の花を思い浮かべても、それはたんなる想像であり、目に見えるような形ではけっして姿を現わさない。 催眠状態、すなわちトランスに入ったときには、菊の花と言えばそれは現実感をもって目の前に現われるものなのである。一種の幻覚のようなものである。 この原理からみて、思い浮かべるものが現実感をもって現われてくる場合には、その状態はきわめて催眠状態に近いものということができるだろう。ショルツ博士の白律訓練法においても、その発想法は同じようなものなのである。 博士の場合には、催眠術にかかった人を統計的に調べ、催眠にかかった人の自覚症状を調査した結果、第一に腕が重い、第二に体が熱くなることを発見したのである。したがって博士は、自分で自分に催眠をかけるためには、逆に腕に重さを出し、体に暖かさを作れば催眠状態になると考え、この原理により自律訓練法を編み出したのである。しかし、この方法は第一段階の”腕が重い”のところでつまずいてしまい、なかなか実際にはうまくいかない場合が多い。つまり、それは注意集中というとごろに訓練の力点をおいていないので、催眠感受性の悪い人にはまるで役に立たないのである。

一応あとで、有名なるショルツ博士の自律訓練法は参考に挙げるが、私の考案した内観統一法による自己催眠のほうが数倍勝れていると自負している。事実、自律訓練で不成功に終わっても、この方法により数多くの人が救われている。自分がいま瞑想にいるのか、あるいはトランスなのかの大きな別れ道が、この方法で判断できるのだ。そしてこのトランス状態から、自己の身体に対し催眠をかけてゆくのが最も正しいやり方であると考える。

瞑想2自己催眠進化法

さて、以上で自分自身による催眠状態に入ることはできたわけであるが、つぎにはこの催眠状態を深めなければならない。 これには二つの方法がある。まず第一は、はっきりと丸い型をとって表われた光る玉をだんだんと大きくする方法である。玉が少しずつ大きくなり、ついには目の前いっぱいに広がり、自分の存在自体が光の中に包まれてしまうように練習することだ。光の玉が大きくなるにつれ、催眠が深まっていると思えばよいのだ。 第二の方法は、これと反対で丸い玉を少しずつ小さくし、小さい星のようにしてしまうことである。玉が小さくなるにつれて光の強さは増していかなければならない。この最終はパチンコの玉位の大きさとなる。(p87-p91)

 

 

以前、私がこのブログで書いた、瞑想体験についての記事によく似ています。参照してみてください。著者は、「瞑想とトランス」と二つの状態を比較しているのですが、私に言わせれば「黙想と瞑想」という風になるのでしょうか。著者が言っている、自己催眠の第一歩と第二段階は、チャクラを開く瞑想に対峙するもののようです。とはいっても、おそらく同じものではなく、脳下垂体を刺激した結果、同じように光とかを現出させることになっているのだと思いますが・・・。いまとなっては、桑田二郎氏のマンガに先に出会ってよかったと思います。著者は、(私と同じように)ショルツ博士よりも内観精神統一法がよいといってますが・・・。

まあ、いずれにしても、普通の意識とは違う’変容意識’を経験してみることは大事なことだと思います。

若干話が跳ぶが、憑依についての箇所があり興味深かったのでご紹介。

つきもの

自分に狐がついている、犬の霊がついている、死者の霊がついている、と真剣に信じている人がいる。心霊を唱える新興宗教の信者に多くみられる現象である。 また、夜中に布団の上に霊らしいものが現われ、胸の上にのしかかってくる。夜中に目が覚め、悪夢にうなされる。それが毎日のように続く。これらの現象に悩んでいる人は、意外に多くいるものであるが、この原因には三通りがあると思っている。
一っには精神病によるもの、っまり精神の混乱による幻覚症状、これらの人は一刻も早く精神科の診断を必要とする。
また一つには純粋たる心霊現象的なもの、エキソシストではないが、どうしても理論的に説明のつかない現象もあるのである。残る一つは自己暗示によるものと考えられる。
しかし、このような「つきもの」の原因を精神病によるものか、心霊的なものによるものか、あるいは自己暗示によるものかの判断はきわめてむずかしい。比較的精神病によるものははっきりと認識することができるが、心霊的なものか白己暗示によるものかの判断はじつにむずかしいといえるo
私は、このような悩みの人に対するときは一応精神病を除いては、自己暗示としてその悪い観念を取り払うつもりで施術するが、それは未知なるものがすべて合理でわりきる態度が好きではないからである。つまり、心霊を認めるというよりも、否定できないのである。
つぎに催眠術により、これらのつきものと思われる治療例を紹介しよう。地方から上京して八年、二十六歳になる男子で、仕事はセールスマンである。
彼は、仕事が終わリアパートに帰ると、だれもいないはずの彼の部屋に、人の気配がするという。そのアパートに移る前は会社の寮にずっといたが、アパートに移る、三ケ月ほどたった頃から、そのような感じにとりつかれたという。最初は気のせいだろうと思い、あまり気にしていなかったが、そのうち夜中に目が覚めるようになり、布団の上から何かで押さえつけられているような気がしていつも目が覚めるのである。それからは電気もつけっぱなしにして眠るようにしたところ、かなりよくなったが、ある日、恐ろしい夢にうなされ目を覚ましたところ、白い衣を着た中年の男が布団の上からおおいかぶさるようにして自分の顔を見ているのだ。そして、その人物はこのように言ったという。
「私はお前といっしょ、いつもお前といっしょなのだ。フフフ:…」
彼は全身、汗びっしょりになり朝まで一睡もできず、気になってノイローゼ気味となり家主のところへ行き、白分の体験を話し何か過去にこの部屋でおきたことはないかとしつこく間い詰めたところ、家主は、じつは三年前に中年の男の自殺があったが、神様のお払いをしてあるから心配いらないとのことであった。
その後、彼はいつもだれかが自分といっしょにいるような気がし、疲労困想して私のところへ現われたのだ。
この例はじつにむずかしい。なぜかというと、白殺者の心霊による場合もあり得るからである。しかし、私の判断は白己暗示によると決めてかかった。催眠誘導により、その模様を再現することにした。「あなたは悪夢を見てうなされたことが頭の中に思い出されてきました。あなたは寝ている。夜中だ。あなたはアパートの一室で寝ている……」
すると、彼は苦しそうにもがき始めた。
「胸が苦しい。だれかが私の上に乗っている。苦しい」
「あなたの上に乗っているのはだれですか」
「わから鞍い。わかりません」
「よく見てごらんなさい。それはあなたではないですか」
「……よく見えません。私かもわかりません」
「これから私が三つ数えると、はっきりと姿を現わします。それはあなた自身なのです」
「三…二…一、よく見なさい。だれなのですか」
「私です。もう一人の私がいます」
「そうでしょう。なぜ、あなたが、夜中にうなされたり、幽霊みたいなものが現われたかというと、寮生活から、アパートに移ったのがその原因なのです。あなたは寂しさから、自己暗示し、そのようなものを作りだしたのです。本当はあなたの心の影なのですよ。しかしきょうからは、その本当の原因がわかったので、あなたにそのようなことは起きません。夜はグッスリ眠り快適な朝を迎えることができます。それから、あなたの部屋で自殺した人は幽霊でも何でもないのです。人はいつか死ぬのですから、もし幽霊が出るのなら地球は幽霊だらけになってしまうことでしょう」

彼は一回の施術で完全に治ってしまった。しかし、私にb本当のところその理由はわからないが、このような例では催眠術が効果をあらわすのだ。私の場合は施術の時、もしものときを考え仏を念じ悪霊がつかぬように行うので、仏のカによるのかもしれない。「いずれでも、私の催眠はこのようなときでも効果を発揮する。

つぎに川越に住むN氏の例をあげる。この例は最初、奥さんから相談があった。
N氏は熊本から上京し三十年になり、駄菓子の販売をその仕事としているが、最近様子がどうもおかしいということである。私がよく事情を聞いてみると、ここ一年ぐらい、月明かりがきれいな夜になると、夜中の十二時ごろ裏庭にフラフラ出かけ二時間ぽど帰ってこないというのだ。はじめは気がつかなかったが、いつも膝のあたりに泥がついて帰ってくるのだ。本人にどうしたのと聞くと、月がきれいだから散歩しているのだと答えるのが常であった。しかし、その翌日はいつもぐったりと疲れ切ったように眠ってなかなか起きないという。奥さんは、女でもいるんじゃないかと私に相談し、それが悩みですと訴えた。
私はもしそうなら催眠術の分野ではないので、念のため、御主人をつけてみるよう言っておいた。しばらくするとその奥さんから電話があり、ひどく興奮した様子で、月夜の晩主人の出かけるのをつけていったところ裏山の畑の真中に座り込み、手を合唱し狐のようにぴょこぴょこ、一メートルも飛び跳ねている主人の姿を見てしまったという。びっくりして思わず「アッ」と声を出したところ、その様子に振り向いた主人の顔を見たら、目は狐のようにつりあがり、口が裂けているようで口もとからは涎が出ているようだったという。
一目散に家に逃げ帰り、布団にもぐってじっとしていると、何気ない顔で主人が帰ってきたという。奥さんはこれがウワサに聞いた狐つきではないかと言ってきたのだ。
私は御主人に来てもらい、催眠誘導し、月夜の晩であることをイメージさせたところ体が麗えだし、狭い私の部屋の中をぴょんぴょんと飛び跳ねだした。私は、つぎのように暗示した。
「お前は狐だな。随分元気がよいが、お前の乗り移っているNさんは、もうだいぶん体が疲れているようだ。それにしてはお前は元気がよい。こんな体のくたびれたNさんにはもったいない。だからNさんの体で暴れるだけ暴れたら、あそこの金魚に乗り移ってみろ、さぁ暴れろ」
と暗示するとNさんのピョンピョンはものすごくなり気が狂ったように暴れると、バタッと倒れ、失神してしまった。そこで
「あなたの体から狐は抜けてしまった。もうあなたにはいかなる霊もとりつくことはない、悪霊は去った」
と暗示した結果Nさんはすっかり元気になり、いまでは以前と同じ明るく楽しい毎日を送っている。金魚に狐の霊が乗り移り、跳ねて困るというようなことはいまでは一度もない。

憑依もさまざまで、狐に憑依されるとこまるが、高貴な人や神さまに憑依されると喜ばれることがある。人間とは実に勝手なものなのだ。

アドビ イラストレーター(Adobe ILLUSTRATOR)で金剛頂経

いつかは使おうと思い、そのままパソコンに眠っていたアドビイラストレーターですが、いよいよ今回使ってしまいました。よかったよかったです。

きっかけは、前回ご紹介した、「ラモス久美子-お父さんのヨガ入門講座」。早速使おうと思い、イラストレーターを起動するも、全然わかりません。こういうこともあろうかと、ブックオフで購入していた中古教則本もながめてみても、・・・わかりません。昔はこうではなかった、やはり歳か・・・、と思いつつ、しかし使えない。でも、チラシはつくらなくちゃ。

ということで、使い慣れたマイクロソフトのPHOTODRAWでまずは作成。これはあっというまでした。で、作業をながめてみるとほとんどテクスト 、文字列操作です。それではと、教則本、これはX-MEDIA社のILLUSTRATOR CS MENU MASTER(タイトルは何で英語なんだと今、気がつきました)。関連項目は数ページです。さらさらと読んでなるほどと納得。それから、PHOTODRAWの内容をILLUSTRATORにコピー&ペースト。もちろん、不具合などありますので、その都度修正しつつ、関連項目を読書、もしくはググッてようやくチラシを作成。

実際、移植作業をしてみると、癖はあるもほとんど同じような感触でした。ですから、PHOTODRAWを脳内で置換するようにしてILLUSTRATORを操作できるという感覚が残りました。今回はこれで充分です。

ヨガチラシヨガチラシ裏面をクリックしていただければ、チラシがPDFファイルで見ることができますので、お試しください。

今回、よくわかったことは、これからの学習とか勉強は一から始めるということよりも、経験知を利用して行うようにしたら良いということです。今回はPHOTODRAWの経験を利用したわけですが、この経験がない場合は、もうすこし、深く潜在意識をただよえば、集合無意識部分に到達できるかもしれません。そこからILLUSTRATORの経験知を利用するということもあながち不可能な事ではないかもしれません。

ただいま、和訳 金剛頂経を読んでいるところです。これは二回目、一回目は何がなんだかわかりませんでしたが、いまはややわかりつつある。これはある種の「憑依」を意識的におこなうものなのです。たとえば、金剛菩薩をイメージし、そのイメージを自身に憑依させる。そうすれば、自分は金剛菩薩とおなじような力を発揮することができる。ま、ざっくりと説明するとそういうことです。ある種の危険性もありますので、取扱注意だな。安全なところでは、今回のように、illustratorをphotodraw経由で自身に憑依させるところぐらいでしょうか。

お父さんのヨガ入門講座、ラモス久美子

かねてより準備中のヨガ入門講座。その第一回が開催されます。http://saybu.com掲載部分を以下に引用しますので、ご参照下さい。

お父さんのヨガ入門講座について

ヨガ教室といえば、美容と痩身を主な目的とした女性用教室が多くて、迷っている男性諸君に朗報。気軽にヨガをはじめるチャンスです。まずは体験。楽しみながら体をいたわり、リラックスして心を整えてみましょう。

日  時 2012年1月27日(金)午後1時~3時

受講料 無料

講 師  ラモス久美子(本名:佐々木久美子)

会 場  エルパーク仙台141ビルフィットネススタジオ

主 催  セイブ・ドット・コム(有限会社セイブ)

事業名 宮城県地域医療復興支援事業

参加申し込み、要領について

この投稿への「コメント」かitamimasaru@gmail.com宛てにメールで、氏名、年齢、連絡先(e-mailアドレスもしくは電話番号)を明記の上、参加をお申し込みください。

男性(既婚、未婚を問いません)を対象としたワークショップセミナーです。

運動しやすい服装(運動着など)を用意ください。

ヨガマット持参下さい。ヨガマットはスポーツ用品店などで1500円程度で販売しています。どうしても入手できないばあいは厚手のバスタオルなどで代用ください。

その他、ご質問などはコメント、e-mailもしくは携帯電話:090-3127-4936 (伊丹)にて受付しております。

会場、エルパーク仙台へのアクセス

地下鉄:仙台市営地下鉄南北線 勾当台公園駅下車(南1番出口より地下道で連結)※仙台駅から泉中央駅行きで2駅バス:商工会議所前 または 定禅寺通市役所前下車

お父さんのカラダで、心に愛を育み、家庭にやすらぎを運びます。

講師 : ラモス久美子(らもす くみこ)

本名、佐々木久美子。仙台市出身。中学校時代より、体操競技で活躍、東北地区大学選手権で4年連続個人総合優勝を果たす。国立宮城教育大学卒業後、宮城県立高校の保健体育教諭として34年にわたり健康管理指導にあたる。退任後の2004年、健康ヨガを龍村ヨガ研究所の瀧村修氏に学びはじめ、インストラクターとして、教室や屋外を含め、あらゆる場所で老若男女さまざまな人を対象にヨガを通して健康管理の啓蒙にあたっている。手軽にはじめられる、わかりやすいヨガが特長。

主催 : セイブ・ドット・コム (http://www.saybu.com)

商 号 :有限会社セイブ、平成12年2月10日設立。調剤薬局の経営をはじめ、 健康医療を軸に営業に携わる。思いやりや、心遣いなど、精神的な面を含めて健康医療に貢献することを目標に、セミナーなどの啓蒙活動を通して、宮城県地域医療復興支援事業を行っている。

講師のラモス久美子さんからの、「男性のヨガがあまりないので、男性のための入門はいかがですか」との提案を受けて企画したのですが、男性というと言葉が固くなってしまいますので、「お父さん」というふうにしました。ネーミングの問題で、お父さんでなくても参加できます。男性の方々、是非、時間をやりくりしてご参加ください。

熟年と性、愛は時空を超えるか?その2

「工藤美代子著、炎情―熟年離婚と性」からの続き、その2です。前回は古代エジプトのファラオと巫女の愛について書かせていただきましたが、今回は日本、亡き恋人と逢瀬するためついには時空を超えるようになった小森さんについて。ご紹介するのは臨死体験(上)-立花隆です。

・・・小森さんがこういう能力を開発するようになったのは、二十七、八歳のころ、金縛り状態の中で、死んだ恋人の幽霊に会うという体験をしたことがきっかけだという。それは幽霊というより、生きた人間そのままだった。体温もあり、呼吸をしているのも感じた。金縛り状態の中でその人をじっと抱いていた。その人の髪が自分の頬にふれていたという。

この体験をしたあと、何とかしてもう一度その恋人に出会いたいと思った。それは幻覚だろうとは思ったが、幻覚でもよいから、もう一度そのときと同じように、生きた彼女そのままを自分の腕に抱く感覚を得たいと思ったのである。どうすればその夜と同じ体験ができるかわからなかったので、とにかくいろんなことを試してみた。多分、金縛り状態になるのがカギだろうと思ったが、それも求めて得られるものではなかった。そのうち呼吸を止めることを思いついた。体を一切動かさず、無の境地になって、呼吸を意識的に止めることを繰り返ず。苦しくなると少し息を吸うが、吐くのはとことん止めるようにする。そのうちに、目の前に紫色の棚があらわれてそれが開くのが見えてくる。体がしびれ、稲妻のような光がピカピカしてくる。その光に驚いて手を握りしめたり、体を動かしたりすると、意識が覚めてしまって、それ以上はいけない。

三十四、五歳のごろ、結核で一年ほど入院していた。暇だったので、その練習を毎晩やっているうちに、どんどん上達し、ある日、ついに屋根を突き抜けてどんどん天に昇っていく感覚を得るようになった。そこまでは努力すればいつでもいけるようになったが、その先の心臓の拍動が止まって、絶対的に澄みきった世界に足を踏みいれるというところまでいったのは、一度きりだという。

六十五歳ころまでは、ときどきこの体験を試みていたが、何しろこれは死と紙一重のところまで行くことで、命の危険もあるので、最近はずっとやっていないという。

にわかには信じ難い話と思われるかもしれないが、私はごれはありうることだと思っている。実は、血中の二酸化炭素濃度が過剰になると、幻覚を見ることがあるごとは昔から知られている。先に、臨死体験の生理学的解釈の一つとして、脳の低酸素状態説があることを紹介したが、ごれとならんで、血中二酸化炭素濃度過剰説竜有力な解釈の一つとしてあるのである。小森さんのやった呼気をできるだけ止めるという努力をつづけれぱ、確実に血中の二酸化炭素濃度は上昇していく。そして、小森さんがいっていた、体のしびれや閃光を見るという現象も、・・・。P107-108

ここが言いたいのは、まさに「一念岩をも通す」ということです。死んでいった恋人に会いたいと思い続けてそれがかなったと言うことです。

好きな人の事を思い、その好きな人(たとえ死んでいる人でも)に会いたいと念ずる、もしくは抱きたいと念ずる。その一念が潜在意識(もしくは集合無意識)に働きかけ、方法を知り(理屈ではなく体で)出会いをかなえたわけです。結果、臨死体験とか死後の世界にいったということであり、手段であった臨死体験をするとか死後の世界に行くとかはどうでもいいことなのです。

上記に引用した文章の最後の段落は立花氏の解釈ですが、この部分は理屈であり、あまり問題ではありません。そういう意味でそのまま掲載してみましたが、問題は「血中二酸化炭素濃度過剰」云々ではなく、好きだということ、愛してるということ、会いたいと思うこと、そして抱きたいと思うことです。そうすれば、勃たなくても勃ち、濡れなくても濡れます。

逆に、勃たないとか濡れないときは、セックスする必要がないのです。自分の体を信じましょう。歳をとったから体が反応しないのではなく、歳をとったから体が反応しているのです。目と目を合わせただけで充分に感じてしまうカップルだって(多分)いることでしょう。大事なのは相手を思うことで、その思いに対する最適な解を体が教えてくれるという風に解釈できないものでしょうか。

ということで、以下に本論から若干はずれますが、興味のある方向けに小森さんの体外離脱についての箇所をご紹介。

・・・小森さんだけでなく、インドのヨガの行者の中にも、自分の意志の力で呼吸を止めその状態を持続できるとずる入々がいる。

小森さんによると、呼吸を止めるとともに、胃の動きも止まり、腸の蠕動も止まり、ただ心臓だけが動いているという状態になる。すると、まず「太陽の何倍もの白光」が見え、つづいて、体外離脱が起こる。自分の体が二つにわかれて、一方は上昇していく。

「天に昇って行く、天井も屋根も何の抵抗もなく抜けて上って行きます。春夏秋冬が一時に現れた下界が見えます。天女もいます」

という。

この現象を小森さんがどう解釈しているかというと、これは幻覚にちがいないという。なぜなら、そのとき登場してくるのが、天女だけでなく、

「時には映画女優が裸体で浮遊してきます(高峰秀子が出た)。だから幻覚と思います」

というのである。

小森さんは、ごういう不思議な能力を身につけながら、自分の能力をクールに見ている。

「私が何か宗教の勉強をしたとか、禅の修行をしたとかしてごういう体験をしたというなら立派なものなんでしょうが、私の場舎は、安直に呼吸を止めるという肉体的練習だけで得たものですから偉そうなごとはいえません。ごれは何人でも、身体を清浄に保って練習すればでぎるものと思います。いろんな現象は、身体の機能がそうさせるものだと思います」

そういう立場から解釈すると、「太陽の何倍もの白光」を見るという経験も、「呼吸を止めて仮死状態に入ったときに、瞳孔が散大ずるので無限光を感じるのだと理解しています」という。

ごの段階で、他にもいろんなことが起きる。人の声が聞こえてきたり、文字が浮かんだりしていろいろ教えられることがある。山よりも大きな人物が立っていて両手を広げているのを見たこともある。それとともに、「体悦」と小森さんが表現する肉体的快感が出てくる。それは、

「皮膚の表面ではなく、体の奥の方、筋肉か骨か骨髄かわからないが、ずっと奥の方からあふれてくる何とも表現しようのない気持ちのよさ、居ても立ってもおられぬほどのすごい気持ちのよさで、そのときちょっとでも体を動かすとズンと突きさされるようでとても耐えられないので、微動だにできません」

というほどの快感だという。この強烈な決感に耐えていると、次に、小森さんが「澄」と名づける段階に入る。それは「明澄としかいいようがない、何もかもが澄みきった世界」だという。

その段階に入るのには、呼吸停止だけでは十分でない。心臓が止まる必要があるという。

「心臓がバタッと止まります。その瞬間、間髪をいれず澄んだ中に入ります。そこは無で、ただ澄んでいます」

という。そこにいたると、自分の体から光があふれ、それが矢のように発していく。そのとき、自分の望みがすべてかなえられたような気持ちになり、宗教でいう、「大悟を得た」という心境になる。

「神も仏も友達のような気になります。神や仏と一体となり、白分がその→部になってしまったような気です」

という。小森さんの解釈では、臨死体験もごれと同じもので、昔の偉い宗教家が苦しい修行の末に得た悟りというのもこの境地だろうという。p105-106

そもそも「エクスタシー(ecstasy)」そのものが、体脱を意味するもので、セックスとあの世とは密接な関係があるものらしい。

というところで、やはり最後はエクスタシー賛歌ともいうべき「夜明けのスキャット」で締めくくってみたい。

 

愛し合う その時に この世は 止まるの 

時のない  世界に 二人は行くのよ  

夜は流れる 星も消えない

愛の歌 響くだけ                     

愛し合う二人の時計は止まるのよ

時計は止まるの  

 

そして再び 「彼岸の時間」

人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった100%実話!自然霊との対話 上丘 哲 (著)と紹介してきたら、ふたたび「彼岸の時間―“意識”の人類学」に戻らねばならないと思いました。

本を開いて最初のページ、「はじめに」を紹介します。

古代インドの奥義書『マーンドゥキャ・ウパニシャッド』は、人間の意識がとりうる状態を四種類に分類している。その四種類とは、日常的な覚醒状態、夢のない眠り、夢を見ている状態、そして、一種の超越的な意識状態、であり、この第四の意識状態こそが人間にとって、もっとも本来的な覚醒状態なのだという。

人間は特定の訓練によって、あるいは特定の状況下で、この「第四の意識状態」を体験する。それは、さまざまな側面から、トランス、悟り、サマーディ、神秘体験、変性意識状態、シャーマン的意識状態、エクスタシー、法悦、サイケデリック体験、至高体験、トランスパーソナル体験などと呼ばれてきた、一連の非日常的な、しかし古今東西の入間が共通して体験してきた意識の状態である。そこでは日常的な〈俗なる〉時間は停止し、一瞬が永遠であるような〈聖なる〉時間の中で、人は世界の根源的な神秘に触れる。

おそらく人類は数万年の過去から、シャーマニズムやトランス・ダンスという形で、この「第四の意識状態」を、個入的な美的体験として、また社会的な問題解決の技術として活用しながら生きてきた。しかし、われわれの祖先が定住的な共同体を拡大させ、さらに中央集権的な権力を発達させていくにしたがって、「第四の意識状態」は宗教というイデオロギー装置の管理下に置かれることになる。宗教は一方では土着的なシャーマニズムの思考をより普遍化することによって科学と思想の母となったが、一方では超越的な意識状態を現世的な権力に迎合させる装置としての役割も果たすこととなった。宗教は神秘的な経験の領域を、自らの教義に合致するように統制する云で、合致しないものは排除した。シャーマニズムはどんな時代にもどんな場所にも存在したが、それはオーソドックスな宗教からはつねに排斥される存在であり、世界の神秘に褒触れようとした神秘主義者たちは・宗教的権威から繰り返し異端視されることになった。

近代のイデオロギーである資本主義もまた特異な形態の宗教だといえる。貨幣を至高な呪物(フェティッシュ)として崇拝する資本主義経済への信仰は、因果性の原理にもとずく高度な科学技術を武器にして、生態系を破壊し、共同体を破壊し、既成宗教の権威をも破壊しつつ、その勢力を全地球規模で広げてきた。近代社会の教義はいわゆる「覚醒状態」を唯一のリァルな意識状態だと考え、睡眠や夢は誰もが経験することは認めてもそれ自体に意味があるとは見なさない。さらに「第四の意識状態」に至っては、存在すること自体が異常と見なされる。これは、「第四の意識状態」こそが本来的な経験なのだというウパニシャッドの思想とはするどく対立する。

しかし、いわゆる先進国でも、無限に発展を続ける貨幣経済が楽園の到来を約束するという神話を信じることが難しくなりつつある現在、かといって既成宗教が求心力を失ってしまっている状況の中で、人々の呪術的シャ-マニズム的なものへの関心はふたたび高まりつつある。救命医療の飛躍的な進歩は逆説的なことに臨死体験者を増加させている。象徴的な〈死と再生〉を経験した臨死体験者は、資本主義的な競争原理への関心を低下させ、神秘的な経験の領域への関心を深める。しかし、だからといって既成宗教への信仰へと回帰することはない。資本主義と科学技術の燗熟した時代の中で、「第四の意識状態」がふたたび宗教という装置の検閲を経ない生の形で経験される状況が生まれてきている。われわれの祖先が狩猟採集民だったころの、いわば野生の神秘体験が復権しつつあるのだ。しかも、宗教の権威から白由であるというだけではなく、現代という時代は、シャーマニスティックな「霊魂」という実体概念からも自由でありうる。人類史上、意識の神秘それ自体について語れるようになった初めての時代だといっていい。

資本主義的世界システムの勝者である「先進」社会の一端を成しながらも、西洋社会に比べてキリスト教的な権威や、その裏返しの東洋趣味(オリエンタリズム)からも自由であり、またかつてのソ連や中国のような国家的な唯物論信仰からも白由な、極東アジアの日本という不思議な場所から、「〈意識〉の人類学」を語り始めることにしたい。

紹介してきた関連書、”ハンコック”も”自然霊”も含まれる状況認識がさなれていると思います。否定的でなく、肯定的な捉え方は好きですね。

ということで、今後も折に触れ、この書籍について語ることがあると思いますのでよろしく・・・。