3.11に東電はトップ2(会長、社長)が東京にいなかったことを忘れていた

3.11に各種でさまざまなイベントが行われ、その前には地震への検証などがメディアを賑わせることとなった。中でも「民間事故調」とともに浮上した原発事故の責任追及などが記憶に新しい。
3.11にはどのメディアもこぞって、検証記事を書いていたのだが、その時に「東電はトップ2(会長、社長)が東京にいなかった。」という事実は、なぜか見当たらなかった(少なくとも私の目の届く範囲では)。当のわたしでさえも、今朝になって、ネットで見ることができた菅直人・前首相インタビューに3.11に「東電はトップ2(会長、社長)が東京にいなかった。」という記述により、ようやく思い出すことができたのである。

ということで、まずはそのインタビューをご紹介。

原発事故対応は「大失敗」

 =菅直人・前首相インタビュー=

時事通信社、政治部 リレーインタビュー

インタビューに答える菅直人前首相=2012年2月、東京・永田町の衆院第1議員会館【時事通信社】

菅直人首相は、3月11日で東日本大震災発生から1年を迎えるのを前に時事通信のインタビューに応じ、当時の政府の対応を振り返った。東京電力福島第1原発事故について「備えがなかったという意味で大失敗だった」と悔いる一方、自らが陣頭指揮を執ったことに関しては「やらざるを得なかった」と語った。発言内容は以下の通り。

-東日本大震災から間もなく1年を迎える。

地震と津波による大きな被害があり、東京電力福島第1原発事故が起き、国民の皆さんが大変厳しい状況に遭遇した。当時の政治の責任者として大変申し訳なく思う。国民が我慢強く対応し、復興に向けて頑張っていることに感謝したい。

特に原発事故は事前の備えがあまりにも不十分だった。それがあれば、もっと事故も大きくならず、放射線被害も大きくならずに済んだと思うだけに責任を感じる。準備が十分できていなかったという意味では人災と言わざるを得ない。そういう意味でも大きな反省が本当に必要だ。備えがなかったという意味で(政府の対応は)大失敗だった。

-大失敗か。

大失敗だった。

-首相官邸の初動には厳しい評価がある。

まず地震・津波について言えば、やはり阪神大震災のときの記憶が私の中にあった。あのとき自衛隊の派遣がやや遅れた。それは当時の法律は県知事が(派遣を)要請するという形になっていて、それがやや遅れた関係で、そうなった。

私はその記憶があったから、いち早く、地震発生直後、北沢俊美防衛相(当時)に「とにかく救命活動に即座に入ってほしい」と自衛隊の派遣を指示し、当初5万人と言ったが、10万人態勢を取ってもらった。自衛隊の初動は非常に迅速だった。消防、警察も頑張ってくれた。

大地震という状況の中でいえば、自己完結的な能力を持ち、いろいろな被災に対する対応が可能な自衛隊の活動は非常に効果的だったと思う。

原発事故は、地震、津波とはかなり性格を異にしている。初動という前の問題、何が起きているのか。地震、津波はもちろん分からないことはあるが、少なくとも物理的には目で見たり、そうはいっても段々分かってくるわけだ。

原発事故では、原子炉の中で何が起きているのか分かり、予測ができて初めて次の対策が可能だ。(原子力災害対策特別措置法)10条、15条の報告があって、すぐに動き出し、まずは事態の把握に努めようと、東電、経済産業省原子力安全・保安院、原子力安全委員会の責任者にそれぞれ(官邸に)来てもらったが、残念ながら、どういう状況にあるのか、少なくとも私に報告が上がってこない。

それは二つ原因がある。一つは本当に分からない。つまり原発そのもの(の計測器などが)壊れているわけだから、情報が分からない。情報がないから上がってこないという部分と、ある程度、現場に情報があったとしても伝わらなかった部分の両方があった。

そういう中で、どういう施策があるか、という提案が出てこない。つまり、普通だったら「こういう状況だからこうすべきだ」という提案が出てくるが、それが出てこない。これが一番ある意味大変なことだった。

(震災翌日の)3月12日朝、現地に(視察に)行った。官邸にきちっと情報が上がってきて、誰かが的確な対応をしているのであれば、任せることは可能だったが、あのときは(災害対策拠点の)オフサイトセンターも機能していない。

私としては黙って見ているときではなく、現場で実際に対応している(福島第1原発)所長に、きちんと話を聞かないといけないと思った。

-政府は阪神大震災などを教訓に官邸の危機管理態勢を強化した。危機管理監の動きも見えなかった。機能しなかったのか。

(評価は)政府の事故調査・検証委員会などの検証を基本的には待つべきだ。しかし、どの仕組みがどうだったというよりも、ほとんど機能しなかった。

役職的な危機管理監の責任はあるだろう。しかし、原発事故の状況を当然一番分かるのは、事業者(東電)だ。事業者の情報以外なら保安院の現地の情報だ。しかし、私の知っている限り、(情報は)来なかった。情報そのものが極めて不十分だった。

(事故の)早い段階でいえば、東電はトップ2(会長、社長)が東京にいなかった。それが影響したかどうかも分からない。

地震、津波に関しては、被災者からは「もっと早く」と言われるが、ある程度やれたと思う。

原発に関しては、極めて不十分だった。つまり、東電から上がってくる情報そのものが極めて不十分だった。(原因は)どうしても全部「3・11」前になる。つまりは(原発の)全電源喪失を一切想定しなかったからだ。電源が喪失すればメーターが見えない。メーターが見えなくなることを想定していないわけだから、危機管理が残念ながら結果としてうまくいかなかった。

(官邸が)ほかの理由で機能しなかったんじゃないか、と言われるかもしれないが、少なくとも、最大の問題は備えがないことだった。

 -首相が前面に出ることに批判もあった。

首相が陣頭指揮を執るのは例外だ。今回は一般的には多分、例外になるから、やらざるを得なかった。つまりは、野党も国会で「将たる者はあそこ(官邸執務室)に座るべきだ」と言っていたが、黙って座っていても何にも情報が来ない。そこを「じっと待って」という人は、そういう政治家であって、陣頭指揮が一般的にいいのか悪いのかではなく、私は必要だと思ってやった。

-政府の震災関連会議の議事録が未作成だったことをどう思うか。

もちろん知らなかった。議事録がないこと自体は恥ずかしい限りだ。しかし、議事録の有無の問題と、情報開示の問題は若干違う。会議はほとんどの場合、冒頭にテレビカメラが入り、決定したことは直後に官房長官が発表した。

議事録がないこと自体は弁解のしようがないが、情報を隠したとか、情報がその時点で出ていないかというと、ほとんど出ていた。

 -原発事故が深刻になった場合を想定した「最悪シナリオ」が昨年3月25日作成されたが、公表されなかった。

セカンドオピニオンというのか、現場に直接携わっていなくても原子力に詳しい人たちの意見も聞いておくことが必要だと判断した。最悪の状態が重なったときにどういう状況が起き得るのか、私自身の参考にしたいと思った。

 -首都が壊滅的な被害を受けた場合の首都機能バックアップは必要か。

結局、それも含めて備えの問題だ。例えば、今回の原発事故でも本当に最悪の場合は、それこそ首都圏からも避難しなければいけない可能性もあった。3000万人の人間が避難することが通常の対応で可能だろうか。少なくとも関東大震災のときは戒厳令をしいた。

つまり、日本が3分の1も、しかも首都という一番の中心が「見えない敵」にやられるわけだ。そういうときに、ハード的な備えも重要だが、それに対応できる態勢が何なのか。

今回、10万人や20万人に避難してもらったが、それでも大変だった。もしそれが1000万人、2000万人だったら、私は今の備え、法律、制度を含めて全く不十分だと思う。私が実際に経験してみて。

私はその後、小松左京の「日本沈没」を読んだ。何千万の人間が動くというのは、単に動くだけでない。そういうまさに緊急事態の時に、自衛隊や警察や消防に対してどうするか、あるいは場合によっては個人に対してどう規制をかけるか。今の制度でもできるが、とても十分だとは思えない。

 -自民党は災害・テロ時に首相の権限を強化し、私権を制限する緊急事態条項を創設する憲法改正案を検討している。こうした法制面の検討は必要か。

当然そうだろう。ただ今回のこと自体を、野党も検証してくれなければ。だから私はそのこともあって野党にも「協力してくれ」と言った。まさに危機だから、危機状態にあるのだから、もっと協力してほしいと思った。そういう問題は、まだ残っている。

時事通信社の編集もあったのだろうが、淡々とした語り口は好感がもてました。
個人的には『私はその後、小松左京の「日本沈没」を読んだ。』という箇所がありましたが、オリジナルの1973年版か新しい2006年版か、また「読み直したのか」、「初めて読んだ」のか気になるところではありました。

などと思いつつ、朝刊に目を通すと、以下の記事が目に留まった。

日本経済新聞 脱・成長論を疑う(4)「受動的な無責任」改めよ

2012/3/13掲載

北岡伸一 東京大学教授

他人依存の姿勢 限界 リスク取る精神欠かせず

<ポイント>

○危機意識の欠如と公的精神の衰退が顕著に

○世界の原発増加を踏まえ事故への備え必須

○日本の経済停滞の根源はリスク回避の精神

東日本大震災から1年を経たところで、震災と復興に対する政治の取り組みと、その背景にある政治意識について考えたい。以下、震災および津波への対応と、原発事故への対応を、適宜わけて考える。

多くの人が政治指導者の危機意識の欠如、リーダーシップの欠如と非効率を指摘する。過去の例と比べてみよう。

明治24年(1891年)、濃尾大地震が起きたとき、名古屋の師団長はのちの総理大臣、桂太郎だった。桂は直ちに被災者の救援と人心の安定のために師団を出動させ、大きな成果を上げた。そののち、桂は天皇の命令なしに兵を出したことについて進退伺を出し、却下されている。

こうした桂の行動のうち、兵を動かすことに関する責任の意識が昭和の陸軍からは失われ、機動的に軍を動かすという感覚が戦後には失われてしまった。阪神大震災時の村山富市内閣の初動の遅れはそれであったし、今回の震災でも初動は必ずしもスムーズでなかった。そもそも首相の周辺に自衛隊出身の秘書官はいない。こういう国はむしろ珍しい。

大正12年(1923年)の関東大震災では、震災の翌日内務大臣に就任した後藤新平は、その日のうちに復興に関する4カ条の基本方針を書き下ろし、その具体化に努めた。後藤は震災後約4カ月で退陣し、この間原案は相当に縮小されたが、それでも都市改造で画期的な成果を上げた。

今回は、政府の復興構想会議が設置されたのが震災から1カ月後であり、提言が出たのは昨年6月、つまり震災から3カ月後である。その遅さは、最終的には首相の責任だ。

こうした会議は、トップが大体の方向を示し、その方向を具体化するのにふさわしい人々を任命して進めるべきものだ。しかし、首相が発言して方向を指示することはなかったし、委員会も委員の間の意見対立の克服に時間を費やしたらしい。後藤のように都市計画に深い知見を持った人物は望めないにしても、トップの責任という点では、はなはだ物足りなかった。

中央の官僚制も、縦割りの弊害で自己の責任の範囲を超えた問題の処理は元来苦手なうえに、責任感の希薄化が進行しており、かつての能動的に行動する官僚制ではなくなっていた。この点、民主党の責任も大きく、政治主導の名において官僚の活動を封じた結果、ますます官僚は受動的な無責任に逃げ込んでいた。

地方自治体では、長年中央からの支持を受けて動くのに慣れていて、やはり主体的、能動的な動きは少なかった。細かいところまでマニュアル化された行政にとって、震災は巨大すぎた。

地震ののちに、国民の間の助け合いの精神が大いに発揮されたように見えたが、実際のところ、がれきの引き取りに対して多くの自治体で強い抵抗があり、進んでいない。戦後政治についていわれていた危機意識の欠如と公的精神の衰退は、震災でより顕著に浮かび上がった。根源には、自国の安全を米国に依存して、これを当然とする考え方があるのではないだろうか。

首相と周辺の関心が原発問題に集中していたということもあるだろう。原発事故は未曽有のことだが、冷却装置や非常電源などの設計上の問題点を含む東京電力の失敗と、政府の監督体制の失敗であった。当時の菅直人首相の個人的な判断ミスや過剰介入はあったにせよ、より大きな問題はそれ以前から存在した。

民主党政権の発足後、2010年4月に開催された核安全保障サミットのあと、国際原子力機関(IAEA)から、核テロに対する備えが不十分だとの指摘がなされていた。これに対して、日本は適切に対応してこなかった。

原発事故の結果、政府が事実を国民に知らせていないとの不信が広がり、政府の信頼は大きく傷ついた。外国からネット経由で情報は伝わってくるだけに、率直に国民に語りかけなければならない。「由(よ)らしむべし知らしむべからず」の政治(それを主導してきたのは自民党だが)には終止符を打たねばならない。同時にインターネットの時代には、国際的な協調、協力はますます重要になる。

筆者は震災以前から、消費税および社会保障制度改革のために連立政権が必要だという意見だったが、特に震災直後には連立政権をつくるべきだったと思う。小選挙区の本場の英国でも、20世紀に3度の連立を組んでいる。第1次世界大戦、大恐慌、第2次世界大戦の3度である。国家の危機には大連立というのは、むしろ常道である。

連立すれば直ちによい知恵が出るとは思わない。連立によって、共同で責任を担当し、無用な批判や揚げ足取りをしなくなるということだ。

昨年5月、菅内閣を引きずりおろしたい自民党と小沢一郎氏のグループが、将来の方向については全く意見を共有しないのに、不信任案を提出する動きを示したのは、その証拠である。自民党も、連立すれば民主党に利用されるというようなケチな考えを持つべきではなかった。連立の中で不満があれば、閣議の中で議論すればよいのである。

世界で原発が増えていくことは確実だ(表参照)。長年先進国がエネルギーを大量消費して、豊かな社会を築いてきた。新しく勃興してきた国々はだめだということは許されないだろう。今後もエネルギー需要は増え続ける。原発はその有力な手段として、多くの国が拡大しようとしている。その際、最も安全なのは日本の原発だ。原発の輸出について、反倫理的だからやめるべきだという意見がある。しかし輸入する側から考えれば、日本のような地震の多い国で開発された原発なら、安全と考えるのが当然だろう。

韓国で今月、核安全保障サミットが開かれる。筆者はその準備のため、インドのアブドゥル・カラム元大統領、シンガポールのゴー・チョクトン元首相、オーストラリアのギャレス・エバンス元外相、ハンス・ブリックス元IAEA事務局長らとともに、昨年11月の有識者会議に参加した。韓国が任命した人々なので当然だが、原発に対する根本的な反対の声は出なかった。

彼らが日本の原発事故を真剣に受け止めていないわけではない。事故はどこでも起こりうるので、その場合に備えなければならないということを、宣言に取り入れる方向だ。

日本の原発反対派には、「想定外」ということは許されないという人がいる。しかし、世界の情勢を考えれば、ホルムズ海峡をめぐって中東で軍事衝突が起きる可能性もゼロではない。こういう事態も想定しなくてはいけない。それなら、中長期的にはともかく、直ちに原発をやめるわけにはいかないのである。

多くの人が「安全・安心」を強調する。しかし大事なのは安全の確保であって、安心の確保ではない。安心を強調するのは、実はお上に依存するということである。

国民が安心を求め、リスクをゼロにせよといえば、政府はこれに答えて、リスクはゼロだという。こういうフィクションはやめるべきだ。人生はリスクに満ちている。リスクを直視し、これをできるだけ減らすように様々な努力をし、あとはリスクを取って行動することが必要だ。日本の経済発展の停滞も、根源にあるのはリスクを取らない精神ではないだろうか。

石橋湛山は大正12年10月に書いた「精神の振興とは」において、「亡(ほろ)び行く国民なら知らぬこと、いやしくも伸びる力を持つ国民が、この位の災害で意気阻喪してはたまるものではない。心配はむしろ無用だ」と述べている。傾聴すべき言葉である。

=この項おわり

きたおか・しんいち 48年生まれ。東京大法卒。元国連代表部次席大使。専門は日本政治

つまらない記事を、長い引用で申し訳ないと思います。この記事というか、文章は日本経済新聞に「反原発」を諌めるために用意されたもので、北岡氏は忠実にそれに沿った文章を書いたものです(と私は推測しました)。「脱・成長論を疑う」シリーズとなっていますが、正確には「脱・原発を疑う」シリーズなのでしょう。肝は以下の部分です。これ以外は原稿料に見合うだけ文章を長くしようと思って付け足した、いわば蛇足と思って間違いありません。

世界で原発が増えていくことは確実だ(表参照)。長年先進国がエネルギーを大量消費して、豊かな社会を築いてきた。新しく勃興してきた国々はだめだということは許されないだろう。今後もエネルギー需要は増え続ける。原発はその有力な手段として、多くの国が拡大しようとしている。その際、最も安全なのは日本の原発だ。原発の輸出について、反倫理的だからやめるべきだという意見がある。しかし輸入する側から考えれば、日本のような地震の多い国で開発された原発なら、安全と考えるのが当然だろう。

韓国で今月、核安全保障サミットが開かれる。筆者はその準備のため、インドのアブドゥル・カラム元大統領、シンガポールのゴー・チョクトン元首相、オーストラリアのギャレス・エバンス元外相、ハンス・ブリックス元IAEA事務局長らとともに、昨年11月の有識者会議に参加した。韓国が任命した人々なので当然だが、原発に対する根本的な反対の声は出なかった。

彼らが日本の原発事故を真剣に受け止めていないわけではない。事故はどこでも起こりうるので、その場合に備えなければならないということを、宣言に取り入れる方向だ。

日本の原発反対派には、「想定外」ということは許されないという人がいる。しかし、世界の情勢を考えれば、ホルムズ海峡をめぐって中東で軍事衝突が起きる可能性もゼロではない。こういう事態も想定しなくてはいけない。それなら、中長期的にはともかく、直ちに原発をやめるわけにはいかないのである。

おそらく、編集者から「こんな内容を織り込んで」と箇条書きを手渡されて、書いたもので。上記の肝の部分以外は、著者の博識からとりとめもなく付け足したものなのでしょう。どうでもいいような事柄で水増しされたあげく、見事に意味のない文章になっております。このような詭弁を弄するたくさんの方々(御用学者)によって、先の菅直人・前首相は無責任さを追求され、無責任な政治責任は残り続け、『その時に「東電はトップ2(会長、社長)が東京にいなかった。」という事実』は消えていってしまったわけですね。

しかし、どうでもいいようなことで延々と文章を伸ばされ、眠くなったところで「最も安全なのは日本の原発だ」とは見事です。背景に散らばされた(蛇足の)意味のない文章のおかげで。その後の「日本のような地震の多い国で開発された原発なら、安全と考えるのが当然だろう。」という一般的には噴飯ものの文章も違和感なく受け取られるかもしれません。まったく困ったものです。『「受動的な無責任」改めよ』との記事でありますが、その前に『「積極的な無責任」改めよ』とつっこんでおきましょう。

ところで、『その時に「東電はトップ2(会長、社長)』はどごで、誰と、何をしてたのでしょうか。本当のことを知りたいところではあります。

え!社会面トップにこんに大きく掲載?! 小沢元代表の裁判

先日、報道新聞スペースのあまりの小ささにびっくりしたのだが(日本経済新聞ではたったこれだけ?!前田元検事「捜査の進め方に問題」 小沢元代表公判で証言)、今回は逆に、あまりの掲載スペースの大きさにびっくりしてしまった。しかも社会面のトップ扱い。以下の記事だ。

小沢元代表どう説明 10日から被告人質問

2012/1/9 0:44

資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り政治資金規正法違反(虚偽記入)罪で強制起訴された民主党元代表の小沢一郎被告(69)の公判は、10日から2日間の被告人質問が行われる。これまでの公判では、虚偽記入を巡る元秘書の証言が揺らぐ一方、事実と異なる捜査報告書の存在も判明、公判の行方は予断を許さない。事件について詳細な説明を拒んできた元代表本人がどう供述するか注目される。

被告人質問の焦点の一つは、陸山会が2004年に東京都世田谷区に購入した土地にからんで元代表が自ら用意した4億円についてどう説明するかだ。

元代表側の原資についての説明は、これまで「政治資金」「定期預金を担保にした銀行融資」「父親から相続した遺産」と変遷。昨年10月の初公判後の記者会見では「原資は私のお金。詳しく聞きたければ検察に聞いてください」とそれ以上の説明を拒んだ。

政治資金収支報告書に記載されている「4億円」の意味を巡っては、元代表側は、元代表が用意した4億円を担保にした同額の「銀行融資」と説明。元代表からの4億円は「預かり金」で記載の必要はなく、虚偽記入にはあたらないと主張する。これに対し、検察官役の指定弁護士は「4億円は元代表からの『借入金』で、記載する必要がある。融資は『表に出せない資金』を隠すための工作」と指摘する。

収支報告書を作成した元秘書の石川知裕衆院議員(38)=同罪で一審有罪、控訴=は「4億円」について、自らの公判では「借入金」と説明していたが、元代表公判の証人尋問では「(借入金か、銀行融資か)どちらかと言われると困る」と述べ証言を修正した格好となった。

ただ、元代表の弁護士は「証言の変化は大きな問題ではない」と話す。

収支報告書の虚偽記入を巡り、元代表が元秘書との共謀について何を語るかは最大の焦点だ。初公判で「共謀した事実は断じてない」と主張した元代表だが、石川議員が元代表に「(虚偽記入を)報告し、了承を得た」と認めた捜査段階の供述調書の信用性は公判のポイントである状況は変わらない。

元代表公判のこれまでの証人尋問で、石川議員は「(自身の)再逮捕への恐れから検事に迎合した。供述調書の内容は事実ではない」と任意性を否定。同議員を取り調べた田代政弘検事(44)の証人尋問では、強制起訴の根拠になったとされる捜査報告書に事実と異なる内容が記載されていたことも明らかになった。

報告書には、石川議員が「報告・了承」を認める供述を維持した理由について「検事に『ウソをついたら選挙民を裏切ることになる』と言われたのが効いた」と述べたと記載。しかし、石川議員による取り調べ状況の「隠し録音」に同様のやり取りはなく、元代表側は昨年末、「起訴議決は無効」として東京地裁に公訴棄却を申し立てた。

検察官役の指定弁護士の1人は「議決の有効性に問題はないだろうが、裁判所の検察捜査に対する不信感は、元秘書の公判よりも強まった可能性も考慮し、終盤の立証を終えたい」と話している。

記事の内容も新しいものではなく、なんで今更!?というようなものだ。下に写真を掲載するので、見て欲しい。

左側に社会面全体、右に記事全体を写したものだが。左側を見ると、大事な社会行事「成人の日」の記事、次にオウム平田容疑者関連、そして小沢裁判となっている。どうみても小沢裁判の記事は不自然だ。

右の小沢裁判記事全体を観ると、記事最上部に白抜きで「4億円の原資は元秘書との共謀」右側に黒字で大きく「小沢元代表、どう説明」そして中ほどに「明日から被告人質問」と見出しが並ぶ。

もう一度左側の社会面全体を見渡してもらうとよくわかるが、下段にある企業広告よりも目立つ。つまり、社会的喚起だけが目的の、ビジュアル重視のプロパガンダ記事なのだ。ただただ、小沢元代表を蹴落とすためだけの記事といっても過言ではないとおもうのだがどうだろうか?

以上、3.11を契機に、でたらめな報道記事の現実に目覚めてしまった私の意見と疑問でした。

日本経済新聞ではたったこれだけ?!前田元検事「捜査の進め方に問題」 小沢元代表公判で証言

12月17日は、忘年会で夜遅く帰宅してからインターネットをチェック。ゲンダイネットの下記記事をよんでびっくり。

<これは莫大な税金ムダ遣いの典型だ>

青のジャージーに安っぽい蛍光色のフリースを羽織り、刑務官に付き添われて出廷した前田元検事。丸刈りの頭髪には白髪が交じり、「大阪特捜のエース」がウソみたいに変わり果てた姿だった。それ以上に法廷を驚かせたのは、前田が昨年1月、陸山会事件で大久保秘書を取り調べるため、大阪から東京地検に応援に呼ばれたときの状況だ。前田は着任早々、事件を担当する木村匡良主任検事(49)からこう言われたという。
「これは特捜部と小沢一郎の全面戦争だ! 小沢をあげられなければ我々の負けだ!」
 まるで昔の軍人かヤクザの親分のセリフだが、ここに小沢捜査の本質が凝縮されている。「ジャマな小沢は必ず抹殺する」――。そういう決意表明なのだ。何が何でも小沢を逮捕するという予想通りのシナリオが最初からあったのだ。
 16日の前田証言がそれを裏付けてもいた。当時の特捜部幹部は水谷建設などのゼネコン企業から小沢サイドへの裏献金を洗い出すことに血眼になっていた。しかし、現場の検事がいくらゼネコン担当者や下請け業者から聴取しても裏金の存在が出てこない。「当時の雰囲気を言うと、現場は厭戦ムードでした」と前田はこう証言を続けた。
「陸山会事件を積極的に小沢さん(立件)までつなげたがっていたのは、当時の佐久間特捜部長と木村主任検事、大鶴次席検事ら一部の幹部でした。次の(大林)検事総長(当時、東京高検検事長)も乗り気ではありませんでした。それでも(部長らは)1億や2億、場合によっては4億円を出してこいと(現場に)言ってくるのです。私は佐久間部長に、想定しているスジ(ストーリー)を聞いてみました。夢みたいな話、妄想を語られました。私は率直に『裏献金は難しい』と言いました。ほかの検事も『無理』と言っていました」
 一部の幹部が、消極的な部下のシリを叩き、ありもしない「裏金1億円」ストーリーをデッチ上げる。組織が狂気に向かって突っ走る、恐るべき姿が目に浮かぶようだ。

<特捜部は検察審査会にも不利な証拠を隠した>

もちろん、エラソーに証言する前田本人も、村木元厚労省局長の冤罪事件で証拠を改ざんし、逮捕されたデタラメ検事、いわば同じ穴のムジナである。この日も、自分が作成した大久保調書の正当性はシャーシャーと主張し続けたが、そんな前田でさえ、驚き呆れるほどの東京地検特捜部の結論ありき捜査だったのだ。
 午後になると、前田はフリースを脱いで、ますますヒートアップした。さながら独演会で、「検察が検察審に提出したもので証拠になっていないものがある。石川(知裕)議員の調書には問題があったんじゃないですか。弁護士からクレームがバンバンあった印象があります」「ゼネコンや下請けの捜査員を増やしたのに調書がないでしょう? 裏金を渡しているという検察の想定と違う取り調べ内容は証拠化しないんですよ」などと、恐るべきことを次々と暴露していった。これだと、どんな事件もデッチ上げられ、誰でも犯人にされてしまう。あっちこっちで村木事件がつくられているのだ。
 そんな一方的な検察資料をもとに、検察審査会の一般人11人は、小沢不起訴を「不当」と議決し、現在の小沢裁判となっているのだから、恐ろしい。ムチャクチャだ。
 そして、冒頭の「私が裁判官なら無罪と判決を書く」となったのだが、小沢裁判を傍聴し続けているジャーナリストの江川紹子氏が言う。
「最大の問題は、検察が証拠を隠したり調書を作らなかったために、検察審査会に正確な情報が伝わらず、正しい議決に結びつかなかった可能性があることです。もちろん、国民の判断を誤らせてきた新聞やTVメディアの責任も重大です」
 前日の公判では証人台に立った田代政弘検事(44)の証言が問題になった。小沢強制起訴の最大の根拠である石川議員を再聴取した際の捜査報告書を、以前の“記憶”とゴチャ混ぜにして捏造していたことが明らかになった。検察と一体になって小沢叩きを展開した読売新聞までが、1面トップで「検事報告に虚偽」「有罪立証にダメージ」と書かざるを得ない非常事態になってきた。もはや勝負ありだ。
 検察のデッチ上げ体質、証拠隠しはバレバレである。この先いくら小沢裁判を続けたところで、「無罪」は動かなくなった。いくら「推認」好きの裁判長だとしても、小沢をクロにすることは無理だ。それならサッサと裁判を中止すべきだ。こんな茶番裁判に莫大な税金を使い、小沢一郎を幽閉して何の意味があるのか。百害あって一利なしだ。

17日はいつものように新聞やテレビを見ていたと思ったのだがと思いつつ、日本経済新聞を再チェック。一面も二面も三面にも記事がない、社会面も見たのだが・・・とおもったら見つけました。小さい!!・・・、見落としていました。たったこれだけ?

前田元検事「捜査の進め方に問題」 小沢元代表公判で証言
2011/12/16 12:06
 資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り政治資金規正法違反(虚偽記入)罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第10回公判が16日、東京地裁(大善文男裁判長)であり、前田恒彦元検事(44)=証拠隠滅罪で実刑確定、服役中=が証人として出廷した。

担当した大久保隆規元秘書(50)=同罪で一審有罪、控訴=の取り調べについて、検察官役の指定弁護士の主尋問に「(大久保元秘書が虚偽記入への関与を認めた)取り調べに問題はなく、元秘書は弁護士に相談した上で署名に応じた」と説明。一方で、陸山会事件の背景にゼネコンからの裏献金があるとする当時の東京地検特捜部の見立てについて「幹部の妄想だと思った。捜査の方法にも問題があった」と批判した。

前田元検事は大阪地検特捜部に在籍していた昨年1月、応援として東京に派遣され、逮捕後の大久保元秘書の取り調べを担当。この日の証人尋問で「着任初日に主任検事から『この件は特捜部と小沢との全面戦争。小沢を挙げられなければ特捜部の負けだ』と言われた」と明かした。

前田元検事は、大久保元秘書が石川知裕衆院議員(38)=同=との共謀関係を認めた供述調書など5通を作成。大久保元秘書は第5回公判で、前田元検事に「石川議員が虚偽記入を報告したと認めている」と言われ、「事実でない調書の署名に応じた」と証言。弁護側は、一方が自白したと真実に反する内容をもう一方に告げ署名させる「切り違え尋問」による調書で、任意性がないと主張している。

大久保元秘書らの公判では、前田元検事の作成した供述調書について、検察側が証拠請求を撤回。前田元検事の証人尋問も行われなかった。この日、法廷に姿を見せた前田元検事は証人席に座ると、正面を見据えながら、指定弁護士の尋問に早口で応じた。

都合の悪い記事はこうやって目に触れないようにさせて、記憶の彼方に追いやられていくのかといまさらながら思いました。

ジャーナリストの江川紹子氏、「国民の判断を誤らせてきた新聞やTVメディアの責任も重大です」とは同感だ。なによりも、「検察と一体になって小沢叩きを展開した読売新聞までが、1面トップで「検事報告に虚偽」「有罪立証にダメージ」と書かざるを得ない非常事態になってきた。」のにもかかわらず、日本経済新聞の記事のこの小ささには驚きました。読売新聞より日本経済新聞の方がこの手の格が上だったのがショックだなあ。

 

原発のない社会へ!踏み出そう東北~福島、六ヶ所を語る

集会に行って参りました。1時から5時まで、あっというまの講演でした。

保安院の説明とは違って、経験から紡ぎ出される言葉は説得力があり、嘘も偽りも感じることはありません。会場もほぼ満員でした。聴講したものが、そのままストレートに血となり肉となった講演でありました。

講演内容は、驚くことばかり、ということは事実がまだまだ社会には浸透していないということでしょう。マスコミが情報を知らせているというより、マスコミがいかに事実を隠蔽しているかということかもしれません。おそらくは、第二次大戦時の大本営発表よりも劣化しているのではないでしょうか。

参考までに、内容をご紹介。

「原発のない社会へ!踏み出そう東北~福島、六ヶ所を語る」

Public Event

Time

Sunday, October 2 · 12:30pm – 5:00pm

Location

仙台弁護士会館4F大ホール

宮城県

仙台市青葉区一番町2-9-18

Created By

世界を視るフォトジャーナリズム月刊誌「DAYS JAPAN」

More Info

-六ラプ東日本市民サミット緊急企画-

講演会「原発のない社会へ!踏み出そう東北~福島、六ヶ所を語る」

東京電力福島第一原発の事故により、わたしたちの住む東北地方は放射能に汚染されてしまいました。今後長きにわたり、この放射能と向き合いながら暮らしていかなければなりません。

一方で、青森県六ヶ所村では、原発の使用済核燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場の本格稼働が来年2012年に予定されています。「原発が通常運転で1年間に放出する放射能を、たった1日で海や空に捨てる」といわれる再処理工場の本格稼働を許せば、さらに放射能汚染が広がっていくことは明らかです。

何世代にも渡って悪影響を及ぼす放射能汚染を目にして、もはや原発も核燃サイクルもいらない!という声は、これまで無関心だった人たちも含め広範な広がりをみせています。このうねりをさらにおし広げ、これ以上わたしたちの故郷を汚さないために、私たちは緊急の講演会を企画しました。

広河隆一さんはチェルノブイリを長年取材され、原発震災直後から福島現地にはいって、子どもたちを守ることを訴えています。また、永田文夫さんは岩手で長年放射性廃棄物の問題にとりくまれ、また六ヶ所の再処理工場の危険性にいちはやく警鐘をならしてこられました。

このお二人のお話を聞き、今度は私たちがどうやって原発、そして核燃サイクルが止めるのかをともに考え、行動していく機会にしたいと考えています。ぜひ多くのみなさま、とりわけ若い方々がご参加くださるようお待ちしています。

(なお、予約・前売りが会場の定員に達しましたら、予約は締め切らせていただきます)

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●講師

広河隆一さん(「DAYS JAPAN」編集長)

永田文夫さん(「三陸の海を放射能から守る岩手の会)世話人)

●日時 2011年 10月2日(日) 12時開場 12時半開始~17時ころまで

●会場 仙台弁護士会館4F大ホール(定員約300人)

●参加費 前売り・予約1000円 当日1500円  大学生以下無料(要予約)

●主催 六ラプ市民サミット緊急企画実行委員会

●連絡先・予約申込 たてわき

メール hag07314@nifty.ne.jp FAX 022-302-3284 電話090-8819-9920(夜20時以降)

※託児はありません

●詳細 http://lmswkm.net/

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◆広河隆一さん プロフィール

フォトジャーナリスト。月刊誌「DAYS JAPAN」編集長。

1967年に早大卒業後、イスラエルに渡る。70年帰国。中東問題と核問題を中心に取材

を重ねる。IOJ国際報道写真コンテスト(本部ベルリン)の大賞・金賞をはじめ、講

談社出版文化賞、日本写真協会年度賞、よみうり写真大賞、相模原賞、サンケイ児童

出版文化賞、ノスタルギア賞、早稲田ジャーナリズム大賞、土門拳賞など多数受賞。

「新版パレスチナ」「核の大地」「龍平の未来」「チェルノブイリと地球」「チェル

ノブイリ 消えた458の村」「写真記録パレスチナ」「破断層」などのノンフィク

ション、写真集、小説、訳書を約40冊出版。また「チェルノブイリ20年目の歌声」

「素敵な宇宙船地球号―はばたけ命の翼」など中東、核関係のTV報道番組も約60本

制作。チェルノブイリ子ども基金顧問。パレスチナの子供の里親運動顧問。パレスチ

ナ子どものキャンペーン顧問。日本写真家協会・日本写真協会会員。月刊誌「DAYS

JAPAN」は09年度日本写真家協会賞を受賞。

最新著書 「暴走する原発 チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと」

小学館 (2011/5/20 発売)

◆永田文夫さん プロフィール

「三陸の海を放射能から守る岩手の会」世話人。

1964年から工業化学科の教員として岩手県内の工業高校に勤務。勤務校では化学クラ

ブの生徒と水質調査、大気汚染調査を行う。1992年から定年まで県立の病弱養護学校

で化学、数学などを教える。現在、日本アイソトープ協会滝沢村医療用放射性廃棄物

処理工場の村委監視委員(1988.5から)、不登校や引きこもりの若者のNPO施設「ポ

ランの広場」理事。 2005年2月に「三陸の海を放射能から守る岩手の会」を設立し、

世話人を務める。

【三陸の海を放射能から守る岩手の会のこれまでの主な活動】

・2005年10月 岩手県議会へ提出した「三陸の海を放射能汚染から守る請願」が議員

全員一致で採択される。

・2007年11月 国(経産省、環境省、農水省)へ全国署名「海に空に放射能を流さな

いで」を92387筆提出(追加1月提出計106314筆)

・2008年10月 岩手県議会へ「岩手県を六ヶ所再処理工場の放射能汚染から守ること

についての請願」を提出。中身は高レベル廃液が環境に漏れ出さないように安全管理

の徹底を求めている。これは4:4の同数になり委員長裁決で不採択。

・2010年1月 総理大臣(内閣府)へ全国署名「海に空にこれ以上放射能汚染を広げ

ないよう再処理工場の稼働凍結を求める署名」を提出(95492筆)

 

(以上、告知文転載)

 

日本の電気料金はなぜに高いのか

2011/9/24、日本経済新聞のデータ解説の写真をそのまま掲載してみよう。

原発ゼロなら1.7倍にもなるとのことであるが、問題は原発があっても高いということだ。

記事の内容は原発をゼロにすると高くなると言っているのだが、理屈のようで理屈になっていない。むしろ、原発があるから高くなった。今後も原発がある限り高く成り続ける。そう言い切ってみると、問題が見えてくるのではないか。

日本経済新聞の本日の一面、特集記事はいい切り口を見せている。

(エネルギーを問う)「言い値」追認、国にツケ 値上げ適否判断できず 第2部 電力ブラックボックス(1)

2011/9/24付日本経済新聞 朝刊

電力産業には利用者や規制当局の目が届かないブラックボックスがいくつもある。民と官の線引きが曖昧で、料金水準や需給、資金調達などの懸案も実情を見定めにくい。その閉鎖性が課題解決を妨げ、不信感を生む。

コスト構造批判

「原子力発電所の稼働率が低いままでは収益の悪化は避けられない」。東京電力社長の西沢俊夫(60)は20日、同社の経営内容を調査する経営・財務調査委員会(委員長・下河辺和彦=63)に出席し、電気料金引き上げの必要性をにじませた。

福島第1原発の事故以降、東電は液化天然ガス(LNG)などの火力発電を増強。今年度は燃料の調達費が7千億円も増える。政府の資金援助は賠償の支払いに限られ、燃料費には回せない。

だが、供給不安も収まらない中、米韓の2倍以上の料金がさらに上がれば、国内の製造業や家計への影響は大きい。社員の約1割削減などの合理化にも「限界がある」(東電幹部)というのは本当だろうか。

「値上げの回避は可能」。経済産業省が作成したとされる文書が霞が関で出回っている。電力各社が抱える原価変動調整積立金などの利益剰余金を充てれば、追加の燃料コストを賄えるという分析だ。

これにはただし書きがある。「当面」、そして「東電を除く」。東電は利益剰余金がすでにマイナス。比較的潤沢な中部電力も3年半で積立金が底をつく。一時しのぎの策だが、こんな文書が出回るのも「電力会社のコスト構造は甘い」との見方が強いためだ。

厚生労働省の賃金構造基本統計調査から推計した電力業界の平均年収は2010年度で750万円。全産業の平均を6割上回る。20年前は平均より35%高い程度だったが、国際競争の激化にさらされる他産業が人件費の圧縮を進めた結果、電力の給与水準は相対的に上がった。下河辺も「他業種に比べ人件費が高い」と批判する。

コスト削減が進みにくい原因は「総括原価方式」と呼ぶ料金の決定方式にある。電力供給にかかる費用を積み上げ、一定の利潤を上乗せして料金を決める。値上げの場合、経産相が認可する。

しかし、費用の適正水準を見極めるのは困難だ。「料金改定の勉強に専念してくれ」。経産省の幹部はさきごろ認可を担当する新任課長に命じた。しかし、値上げは約30年ぶり。勉強しようにも省内には「電力会社が申請する“言い値”が正当か判断するノウハウもない」(同省幹部)。

線引き難しく

政策研究大学院大学教授の金本良嗣(61)は「原価とは何か。その線引きが重要だ」とも指摘する。燃料費、人件費など対象となる項目は省令で決まっているが、6日の経営・財務調査委では「業界団体への支出なども従来通り料金に含めていいのか」との疑問が出た。

総括原価方式を採用しているのは、電力の安定供給を重視してきたためだ。1951年以来、地域独占の電力会社が発電から送配電まで一貫して担い、原価を反映した収入を保証されることで十分な供給体制を整備してきた。

その代わりにコストをガラス張りにして国がチェックする制度を整えた。資産規模に応じた利潤を料金に含めることも認め、需要を満たす設備投資をするようにも誘導した。だが、原発事故で供給への信頼は崩れ、原価を適正に判断する機能も失われてしまっていることが明らかになった。

欧米では発電や小売りの段階で参入を自由化しており、競争で料金が決まっていく。日本も大口利用者向けは自由化したが、競争はごく一部でしか働いていない。

独占による割高な料金と事故後の供給不安だけが残り、経済の活力をむしばんでいるのが実情だ。目の前の危機を改革へのバネに、日本の成長を支える仕組みにつくり替える時だ。

いいのは切り口止まりで、記事を読んでいくとなんだかわからなくなってしまうのが、昨今のマスコミの記事や解説である。(1)と書いてあるので、(2)もあるのだろうが、内容はもっとわからなくなってしまうだろう。

要するに、電力料金が高いのは、高い分だけどこかに行っているわけで、それはつまり「利権」分であるというわけだ。どこに行っているかというと、政界、官界、そしてマスコミだろう。原発を持っている自治体などには合法的に潤沢な資金が下りるようになっているし、広告宣伝費は天文学的ともいえる金がマスコミに支払われている(らしい)。

原発を取り巻くそういった関係は、電力コストによって賄われているわけで、つまり、原発があるから電力料金は高くなり、こんごも原発がある限り高くなり続けるのである。

簡単じゃないか…。