他人はごまかせても体はごまかせない

タイトル「他人はごまかせても体はごまかせない」は、先日観ていた人気番組、NHK「カーネーション」でヒロインの糸子が、がんばりすぎてダウンしたときのセリフだ。いいところを突いていて感心した。

大脳皮質が計算した答えより、脳幹に近い部分のセリフが発するものは、聞き手側のイメージが膨れるし、体を通して聞く分、役に立つと思う。今朝は、役に立つ日本経済新聞の記事が、ドラマのせいか目についた。
ということで、記事をご紹介。

実用品にみる個人消費 単価は上昇、底堅さ実感 しまむら社長 野中正人氏

2012/3/19付日本経済新聞 朝刊

景気回復の手応えがあまり感じられない中で、個人消費の動向に明るい兆しが出てきている。全国に1700店以上の実用・ファッション衣料店などを運営する、しまむらの野中正人社長に、地域別の消費動向や今後の消費の行方について聞いた。

――東日本大震災後の1年の消費行動を地域別にみるとどうか。

「震災直後は製造業の生産活動と消費は連動していた。愛知県や広島県のように自動車産業が集積する地域では生産活動が停滞し、既存店舗の前年同期比売上高は2~3%減だった。供給網が復旧するにつれて消費も活発になり、昨年7月以降は堅調だ。一方、薄型テレビの大型工場などがある三重県は戻りが鈍い。生活を一からつくり直す被災地は復興需要があり好調だ」

「震災後半年は地域でまだら模様だった消費も、今はほぼ全国的に前年実績の売上高をクリアしている。昨年10月ごろは、希望的観測も込めて『消費は意外と底堅い』と言っていた。今年1月の既存店売上高が前年実績を4%上回り、消費が強いことに確信が持てるようになった」

プラス思考に

――なぜ力強いと。

「消費者がプラス思考になっている。政治や経済情勢など、世の中の悪いことを批判的にみていた空気が薄らいだように思える。そんな不満をぶつける場合ではなく、一人ひとりが元気に行動を起こそうとしている」

「淡いピンクやグリーンの商品がよく動いている。これは景気拡大期にみられる現象だ。売り場の見栄えをよくするためにもっと目立つ色彩の衣料品を陳列すると、その商品が先に売れている。リーマン・ショック後の消費風景とは全く違う」

「北海道や北陸、和歌山など売り上げ不振の地域があるが、天候不順や天災で大抵、説明が付く。消費水準の底上げは長く続くとみている」

――価格下落は続いていますか。

「単価は上がっている。客単価や1品単価は前年比で2~3%の上昇だ。この傾向は昨年あたりから顕著だ。確かに、絶対的な価格の安さを求める消費者もいるが、価格と商品価値のバランスを考える消費者は多い。明確な価値が分かると値下げしなくても売れる」

「機能性を打ち出した肌着は男性で1枚980円、女性は780円が売れ筋だ。少し前までは機能性のない男性肌着は2枚1280円、女性は980円が売れていた。特売品だと480円だったが、品質を上げて580円にしても販売数量は変わらなかった」

――雇用や所得に改善の兆しがない中での消費回復はなぜですか。

「景気刺激策の家電エコポイントの終了で、対象以外の商品やサービスの支出に回った可能性が高い。百貨店の売り上げが堅調なのも、そうした影響が出ているのではないか」

電気値上げ懸念

――懸念材料はありますか。

「消費増税の議論よりもガソリンの店頭価格の上昇のほうが気になる。郊外の店舗は顧客は車で買い物に来るから影響は大きい。主婦はガソリンスタンドに大きく表示される店頭の数字をよく覚えている。生活に密着したものだけに、1カ月で1リットル10円も上昇すると心理的な影響はある」

「電気料金の値上げが実施されると悪影響が出る恐れはある。1世帯当たりに換算すると数百円の負担でも主婦は嫌がる。最近は株価も戻ってきたが、普通の人々の生活で株高は直接的な効果はないとみている」

(聞き手は編集委員 田中陽)

記事、中ほどの「淡いピンクやグリーンの商品がよく動いている。これは景気拡大期にみられる現象だ。売り場の見栄えをよくするためにもっと目立つ色彩の衣料品を陳列すると、その商品が先に売れている。リーマン・ショック後の消費風景とは全く違う」 という言葉は多くの意味がふくまれている。「淡いピンクやグリーンの商品」という言葉は、実際に店頭をみてまわったことを裏付ける言葉だ、資料からだけでは、このようなセリフは吐けない。体を動かし、その体を聞くことのできる経営者は本物だと思う。

次の記事も面白かった。

人ごとでない「ソーシャル」 示唆に富むヤフー社長交代

2012/3/19付日本経済新聞 朝刊

日本を代表する技術企業であるソニー、パナソニック、シャープで今春、一斉に50歳代の新社長が就任する。ソニーとパナソニックは創業者を除くと史上最年少トップ。大赤字を出すに至り、デジタル化とソフト化という電機産業のパラダイム転換にうまく適応できていない現実をようやく直視した結果といえる。

電機に比べてはるかに高速でパラダイム転換が進むのがインターネットの世界だ。スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)がネット利用端末の主流になるモバイル化が急速に進行中。一方でネットの入り口をヤフーのようなポータルやグーグルなどの検索ではなく、「友達」のクチコミ情報が集まる交流サイト(ソーシャル・ネットワーキング・サービス=SNS)にする人が急増している。

電機業界が若返りと呼ぶ50歳代でもこの変化についていくのは難しいようだ。ヤフーは4月1日、好業績にもかかわらず55歳の井上雅博氏が44歳の宮坂学氏に社長のバトンを渡す。

「『イノベーションのジレンマ』をいかに克服するかばかり考えている」――。井上社長がこう打ち明けたのはまだ彼が40歳代だった2006年の春だった。成功事業の存在が革新的な新事業育成の邪魔をするという、企業経営に共通するワナのことだ。

当時は国内でミクシィが、米国ではフェイスブックが、ともに利用者を急増させ、ネット上でSNSの存在感が急拡大していた。ところが、井上社長自身は急成長するSNSを「交換日記」とやゆし、今日に至るまで積極的に使おうとしなかった。交流サイトの存在意義がよく理解できなかったのだ。

だが現場には出遅れた焦りが広がり、06年春に「デイズ」と呼ぶ消費者向けSNSを立ち上げた。08年にはビジネス用SNSの「CU」を開始。現場主導でソーシャルの広がりについて行こうとしたが、CUは09年秋に閉鎖。デイズも昨秋、ひっそりと閉じた。

この間、携帯の世界はあっという間にスマホの時代に変わり、ネット利用の大きな部分がスマホアプリ経由やSNS経由となっていく。パソコン向けウェブの世界でヤフーが築いた圧倒的な存在感は、ソーシャルの世界にもモバイルの世界にもない。その間、悩み続けた井上社長がイノベーションのジレンマの問題にようやく出した答えが結局、自らを含む経営陣の若返りだった。

ソーシャルもモバイルも自ら使いこなしてみないと消費者の感覚、ニーズは想像すらできない。これはネット企業ばかりの課題ではない。今や消費者向け事業を手掛ける企業ならどこでも、ソーシャルの世界で消費者と情報交換のパイプを直接築き、ブランドイメージや製品の認知を形成する必要に直面している。企業が消費者に直接情報を発信する「企業のメディア化が進んでいる」(徳力基彦アジャイルメディア・ネットワーク社長)のだ。

逆にいうとソーシャルとモバイルを理解できないと、消費者向け事業を果敢に進めていくことは難しい時代になってきたのではないか。ヤフーの大胆な若返り人事は他業種の企業にとっても示唆に富んでいる。

(編集委員 小柳建彦)

〆が、「逆にいうとソーシャルとモバイルを使えないと、消費者向け事業を果敢に進めていくことは難しい時代になってきたのではないか。」と書いたら、もっといい記事になっただろう。「理解」ではなく「使う」とか、「感じる」というような体を使う表現がこの記事には望ましい。「理解」ではあまり役には立たない。先ほどの経営者の言葉と、上記の記者の言葉では経験値としてはかなりの隔たりがある。とはいえ、視点はよいので、これから先、伸びる可能性がある記者だと思う。

いい記事ばかりではなく、だめな記事もある。

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グーグルが問う利便性とプライバシー

2012/3/19付

米グーグルが3月から導入した新しい利用規約がプライバシー論議を呼んでいる。新方針では検索やメール、動画閲覧など同社のネットサービスの利用履歴を互いに関連づけ、利用者に情報を提案できるようにする狙いだ。しかし、プライバシーが侵害される恐れがあるとの声も上がっている。

グーグルは今回、サービスごとにバラバラだったプライバシー保護方針を共通化し、平易な文章で示す一方、約60のサービスについて利用者の情報を顧客ID(認証番号)で一元管理することにした。旅行情報を検索している人には目的地の映像などを自動的に提供できるようになるという。

これに対し、フランス政府などは「新方針は欧州連合(EU)のデータ保護指令に反する」と反発、米国内でも各州の司法長官などが懸念を表明した。グーグルは「情報流出が心配ならIDを入れずに使うか、異なるIDを使い分けてほしい」としている。

日本でも共通番号制度の導入で個人情報をどこまで関連づけるかが議論となった。しかしネットは顧客契約に基づく民間サービスであり、一概に規制するのは難しい。個人情報保護法も情報の目的外利用や第三者への無断提供は禁じているが、合意に基づく企業内活用は違反とはならないからだ。

問題は情報が個人の意に沿わぬ形で使われたり、誤って第三者に漏れたりした場合だ。同様な課題は米フェイスブックなど交流サイト(SNS)にも指摘されている。各社は安全対策は十分というが、情報が不正に使われた場合には、削除や損害賠償などの手段がすぐとれるようにすべきである。

最も重要なのは「自分の情報は自分で守る」という姿勢を利用者一人ひとりが持つことだろう。身の回りの出来事をネットに記述する人が増えているが、一度公開された情報は事実上、消すことができない。サービスの仕組みをよく理解し、公開する情報を自ら選別することが求められる。

グーグルは街頭写真を公開したデジタル地図でもプライバシー侵害を指摘された。今回は利用者が自分の履歴を削除できる機能も設けたが、無料のネットサービスは個人情報との引き換えに利便性を提供している面が否めない。

どちらを優先するかは利用者の判断だが、どんな手段を取りうるかは、ネット事業者側が丁寧に説明していく必要がある。

〆が陳腐だ。「ネット事業者側が丁寧に説明していく必要がある」は記事を終わらせるためだけの言葉で、なんの意味ももたない。問題点を文字ズラで指摘するだけに留めた社説ということである。実際にグーグルを使用しているのであれば、ネットには説明がふんだんに用意されているのがわかる。むしろ、ありすぎるといって良い。保険証の裏側に注意事項が読めないほど沢山書かれているのと同じだ。

インターネットは開放系である。つけられる説明はあまり役には立たない。記事を書く人は、インターネットを使えない人ではだめなのである。記事の視点もよくわからない。サイトを眺めて、適当にコピペしても、もっとまともな記事ができそうである。

何を言いたいかというと、今、日本経済新聞に必要な視点は、「競争相手としてGoogleを仰ぎ見る」視点のようなものだということである。この社説のような他人事の記事では、いい記事もかけなければ、危機を乗り切ることもできない。それほどgoogleは勢いに乗っているし、日本経済新聞はインターネットを彷徨っているように思える。ここは是非とも『人ごとでない「ソーシャル」 示唆に富むヤフー社長交代』の記事を参考にしていただきたいものである。

追伸、文中の「上から目線」による表記は、文章の性格によるもので、見苦しい場合もあるかと思いますが、なにとぞご容赦ください。

 

山寨革命とはなにか? その3 基地「深圳(シンセン)」華強北

中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃の出だしに、山寨の基地「深圳(シンセン)」についての地理状況について記されているのだが、その部分を要約すると下記のようになる。

科学技術パークから華僑北までに至る約15キロの間は、東に向かうほど研究開発企業の比率が下がり、その代わりに販売業を営む企業の比率が上がっていく華強北は深圳(シンセン)で最も重要な電子製品の集散地なのだ。

深圳では、電子部品が非常に手に入れやすい。華強北から数百メートル離れた華強路という地下鉄の駅のそばには、易通、朧源といったきわめて大きな携帯電話の部品市場があり、その中はすばらしい部品であふれている。種類が豊富で、それぞれのカウンターがすべて「専門店」で、電池やタッチペンの専門店もあり、また携帯電話のチップやキーボードだけを売っている店もある。誇張されたこんな言菓がある.「華強路でビルを一回りすれば携帯電話ができあがり、おまけに全部のブランドの携帯電話を揃えることもできる」。

加えて、科学技術バークと華強北の間の車公廟(地下鉄の駅の名前)の付近には数千の携帯電話のデザイン会社があり、また宝安区の多くの工場が集まっている。深圳にほ、携帯電話を作るすべての工程がほぼ揃った状態にあるのだ。世界でも珍しい廉価でかつ迅速な「携帯電話設計・製造・販売のチェーン」ほ、すでに国際的に大きな吸引力を持ち始めている。

登場する地名の主なものをドットしてみたマップを下記に置く。

 
販売の拠点となる華強北路付近を、ストリートビューでみると(フル仕様にはなっておらず、写真が置いてある)、かなりの大きなビルが建ち並んでいる(大きな地図で見るで観ることができる)。華強北高科徳電子交易センター一階にスターバックスコーヒーがあるとのことだったが、地図では確認できなかった。代わりにといっては何だが、近くにある二つのスターバックスをドットしておいた。
 
日本人による、華強北のレポートが掲載されていたサイトがあったので、ご紹介。熱気が伝わってきました。必見です。
 
深圳は、2006年にいったことがある。mixiのブログに書いている部分を下記に紹介してみよう。
香港・・・VOL.4 中国の深圳経済特区を訪ねる   2006年09月17日23:01
香港のすぐ北に位置する深圳(SHINZEN)は、ビザなして香港から移動することが出来る中国だ。香港とは全く異なる熱気と、雑多なムードに包まれている。そして、物価の安さはかなりのもの。連日、まとめ買いする香港人も多く、国境を越えた人でにぎわいをみせている。 
国境をでると、視界には巨大で近代的な高層ビルが建ち並び、距離感がなかなかつかみにくくなんとも異様な風景ではある。とくに、駅前のショッピングセンターのでかさには度肝を抜かれた。掲載写真ではよくわからないが、このショッピングセンターには小さな店がびっしりと入っていて、その店の取扱品目が似たようなものであることにはびっくりする。整理とかコーディネートとは無関係にただただ店が並んでいて、扱っているものは衣服、時計、アクセサリー、スポーツ用品、電気製品などなのだが・・・。広いフロアで、似たような店が並んでいるわけだから、道には迷う。なんとも不思議な巨大な迷路になっているわけだ。競争も激しいのか、勧誘がとにかくしつこい。売り子も若い人がほとんどで、教育がなっていないというか、プリミティブであるというべきか、うーん。たとえば、手とか腕を掴むのは当たり前、ふりほどいても掴む、さらにふりほどいても掴む、またふりほどいても掴む。走って逃げても掴む。こんなこともありました。若い女の子が不器用な発音でジーブイデーと連呼している。ついてこいというのでついていくと、フロアをぐるぐると回りつつ奥の方へと進む、行き止まり近くのテナントに連れて行かれて、店内に入るなりシャッターが閉まる。シャッターが閉まった瞬間に天井の口を開けて、一人の男性が入り込む、そして、ファイルブックを天井の上から持ってきて、好きなのを選べという。つまり海賊DVDショップなわけだ。私の回りには若い男女が4,5人取り囲んでいる。丁重にお断りしてシャッターを開けてもらいましたが、まかり間違えば、犯罪にもなりかねない勢いがありました。ちなみに、同じショッピングセンターの正規DVDショップで値段をみてみると9-40元というところで売られています。日本円にして150円から600円。じゃ海賊版はいくらなんじゃいと思ってしまいました。2枚目はショッピングセンター内の食堂のようす。三枚目はそこで食した定食、18元、280円てところか。広いフロアなのに通路が狭い、というよりない。客動線が考えられていないのですね。香港とは非常に近い地域なのですが、言葉が違いますし、英語もほとんど通じません。筆談はかなり通じます。数時間の滞在ではありましたが、刺激的で面白かったです。街へ抜けるときに、たまたま一緒に歩いた一群のなかで知り合った、ロシアンインディアンの18歳の娘さんとの話は面白かった。はじけるような若さと大きな声で、ロシアからの道中の話などを聞いていると、地元のおばさんなどがびっくりしたような顔で、話を聞いています。意味はわかりようもないのですが、ファッションも奇抜なんでしょう。あっけにとられた顔で、しかもその仕草などを隠そうともしないのですね、ストレートに娘さんをみているわけです、何人も。

「みんながみているぜ」というと、「こいつらいなかもんだから、いつもこんなだよ」とか「美人でセンスがいいからびっくりしてんのさ」なんてかんじでひたすら大きな声ではなすわけです。その他、親切で二枚目な宝飾店の若主人、数百メートルも腕を抱えてついてきたマッサージの勧誘女性。故障品を売ってくれたやり手の中古携帯電話店の女主人など、数時間の滞在で経験したことはかなり密度の濃いものでした。

 
ロシアンインディアンの娘さんの事を思い出しましたが、楽しい経験でした。華強北路のことは知らなかったので、このときは訪問しませんでした。

山寨革命とは何か? その2

簡単に要約すると、「山寨革命」とはインターネットによる個人レベルでの市場創世といえるかもしれない。先に紹介した「米国発 さらば規格品社会 ここを攻めろ(3) 「スマートな個人」に商機」の生産版だ。緻密、子細に個人レベルまで降りてきた水平分業生産システムともいえよう。本では以下のように記されている。

純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。

山寨携帯のこのような運営方式だと、チップから始まって携帯電話を市場に出し販売するまでに、たったの一ヵ月しかかからない。これまでの半年から一年に対し有利となるのほ明白だ。販売ルート、金銭、市場が求めているモデルへの敏感さ、そして運気が彼らの勝敗を決める。代理店や代理業者は最終的な工程となる。華強北を例にとれば、一・ニメートルの売り場の借り賃が月に二〇〇〇元余りなので、資本が少なくても一つの売り場を借りて携帯電話の仕事が始められる。すべての工程の間のつながりはあまり複雑ではないが、大変効果的かつ実用的である。これは市場の着実な進歩の結果であり、この自然に進化したメカニズムはすべての工程のコストを極端に圧縮し、すべての工程が市場メカニズムを通して最も適切な資源を配置する。お金がある人、市場に敏感な人、技術のある人、何もリソースはないが小金を稼いで家族を養っている入、すべてに適切な場所がある。     p40-41

「山寨革命」は携帯電話から始まった。携帯電話をめぐる特殊性が、その足腰を鋼のように強くし、弁証法的に止揚された場を提供したと言って良い。日本の携帯電話が特殊性の罠にはまりガラパゴス化したのと好対照である。

携帯電話の組み立てが難しい理由は、以上のように携帯電話市場の汎用的な部品を、零綱企業に組み立てさせないからである。多くの人が、携帯電話が容易に組み立られないのは技術的な原因によると思っているが、実際ほそうではない。携帯電話がパソコンのようにバラバラの部品を買うことができない理由は、第一に、携帯電話の体積が非常に小さいため、それぞれの部晶を売るには保存や運輸上の利便性が確保できず、完成品を売るのに比べて利点がないこと。第二に、携帯電話は研究開発、生産などが一体化された垂直統合モデルであり、携帯電話業界に参入した企業の多くが自分たちの研究開発体制を持っていることである。TI(テキサス・インスツメンツ)、クアルコム、インフィニオンなどの企業が提供するチップは、数社の顧客のためだけのであり、同時に、技術障壁(あるいは観念的な束縛かもしれないが)も比較的高かった。それらの企業が提供していたチップがメディアテックと最も違う点は.携帯電話メーカーが慣例に縛られて、以前と同じように多くの工程を自分でこなそうとしていたことだ.メディアテックからすると、クアルコムなどが提供しているチップはすべて「半完成品」である。一方でクアルコムなどからみると、メディアテックが作っているのは「超完成品」であり、「無駄に高度な作品」なのである。

業界の変化はときに観念上の小さな違いから作られる.クアルコムなどの企業がチップを大工場に作らせる場合、どの程度のものを作るかは考える必要がない。しかし、このように見ない人もおり、もしその人がほかの方法を実行するのであれば、すぐに成功者になれるだろう。

具体的にいうと、一台の携帯電話の製作工程にはまずチップがあり、チップの上にオープンインターフェースとプロトコルスタックを置かなければならない。これらは旧来のチップメーカー内での事情で、携帯電話メーカーはソフトウエアのユーザーインタフェース〔UI)を開発しなければならないなど、作業量はかなり多い。また、チップの生産から携帯電話を完成して出荷するまでのサイクルは大体半年から一年で、技術リスクがあるため、零細企業は手の出しようがない。メディアテックのこの種のビジネスモデルに対する最大の変革は、ユーザーインタフユース内に内包される一連のソフトウエアを提供し、ローカルに技術サービスの拠点を作ったことである。デザインハウスはメデイアテックの計画を手に入れてから個性を際立たせる改革を行った。たとえぱ腕時計型の携帯電話をデザインする場合、基板を腕時計の中に配置できるようにしなければならず、腕時計のような空間の中にいかにしてユーザーインタフェースを置くかというような改革を行う。デザインハウスと市場の間に携帯電話の組み立て事業者が存在し、彼らの間では機器のデザインについての橋渡しをしなければならない。純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。 p39-40

携帯電話の排他性はチップの寡占化によるものだが、ここにメディアテックという新興メーカーが山寨と結びつき山寨革命を押し進めることとなる。

メディアテックが創り出したターンキー方式(チップセットにマルチメディアをはじめさまざまな機能が最初から盛り込まれ、それだけで多様な携帯電話に対応可能にすること)は山寨革命にとって大きなカギとなった。蔡 明介氏はメディアテックのリーダーであり、後に尊敬と揶揄を込めて「山寨革命の父」と呼ばれる・・・。P41

山寨革命はメディアテックと共に、デジカメ、薄型液晶テレビ、ノートPCと進む。ノートPCはタブレット化して、ステーブジョプズのiphone/IPADの果実を追いかけているようでもある。本書では、2009年の時点でもあり、ページ数も少なく控えめな記述になっているが、先に述べたように大手家電メーカーが薄型テレビと共に崩落している様を観ると、革命は本書の唱えるような本物の様相を示し始めているのかもしれない。遠からず、電気自動車も山寨革命の標的になることだろう。

翻って、わが日本を観ると、まだまだ太平の時代を貪っているように思える。時代は変わっているのだが、その構造的な部分が見えていないのだろう。日本経済新聞、2/6/2012付けのコラム-「経営の視点」、30年変わらぬ家電業界-を観てみよう。

「間違いもしたが、ソニーだけではない。日本の家電産業には問題がある」。

経営交代を発表したソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長は、7年の在任期聞をこう振り返り、「日本の社会全体としての対応が必要だ」と語った。言葉尻では2200億円もの今年度赤字見通しの責任逃れにも聞こえる。しかし翌日にはパナソニックが7800億円の赤字見通しを発表。シャープも2900億円の赤字となるのを考えれば、確かにソニーだけの問題ではなさそうだ。「最大の要因は自前主義。大規模な工場投資にある」。パナソニックの大坪文雄社長は決算発表で自らの判断ミスをこう認めた。ライバルに対抗し、大型投資に打って出たことが裏目に出たというわけだ。ストリンガー氏は日本の問題に具体的には触れなかったが、答えは大坪氏の反省の弁にあろう。つまり自前主義の各社が横並びで集中的に投資し、結果的に商品の寿命を短くしてしまうという悪いクセだ。

源流は日本が世界の家電市揚を席巻した1980年代にさかのぼる。日本の強みは部品から製品まで一貫して作れる垂直統合モデルにあった。アナログ時代は製造段階での擦り合わせ技術が重要だったからだ。最たるものがテレビで、部品も自社生産すれば部品と製品の両方で稼げた。ブラウン管を持たなかったシャープが後に液晶に力を注いだのはそんな背景からだ。テレビは家の中央に鎮座するため、正面に自社のロゴを飾るのが重要なブランド戦略でもあった。そこで大成功を収めたのがソニーである。映像がきれいなトリニトロン方式のブラウン管で人気を呼び、自前のテレビ工場を海外にいくつも造った。

しかし、デジタル時代の到来で状況が一変する。アップルが工揚を時たなくていいのは、擦り合ねせの要らないデジタル家電は部品さえあれば誰でも作れるからだ。そこに各社が横並びで集中投資して生産すれば、値崩れが起きるのは当然。半導体もしかりだ。デジタル化でもう一つ変わったのが音楽や映像の視聴スタイルだ。

先週、上場申讃した米交流サイト(SNS)の「フェイスブック」や米動画共有サイト「ユーチューブ」」の登場は、放送番組しか見られないテレビを「古ぐさいもの」にしてしまったのである。日本の自前主義と横並びは実は30年前と変わっていない。当時は激しい競争で海外企業を廃業に追い込み、事業的には世界を制覇した。ところが「リビジョニスト」と呼ばれる米国の対日強硬論者が反発、「コンテイニング・ジャパン(日本封じ込め)」の声が上がったのはそのすく後だ。

ストリンガー氏はソニーの負の資産ともいえる海外のテレビ工場を大幅に減らすなど、構造改革に努めてきた。ようやくそれを終えた矢先に起きたのが、リーマン・ショックや東日本大震災、洪水などだった。映像出身のストリンガー氏は本当はアップルのようなハードとソフトの融合モデルを目指していた。従来型のモノ作りを韓国や中国に奪われたからだ。正念場の日本企業に求められるのはアップルを超える新しい事業モデルの創造である。(編集委員 関口和一)

漠然とは問題に辿り着けそうなのだが、もう一つ切り込みができていない。核心を突けない、どうにもわかっていない。そんな記事だと思うのだが、いかがだろうか。

いずれにせよ、新しいシステムは若い人が作って、馴染ませて、押し進めるということが必要だ。日本の若者はなかなか優れていると思う。ちょっと前に「空気を読め」というような言葉がはやったが、空気を読むことができるのは日本人だけだと思う。自信をもって進んで欲しい。若者よ、世界のために頑張れ。

若者に比べて、大人は今ひとつ。日本がダメになっているのは大人の責任だと思う。

考えてみれば「地デジ」て何だったんだろう。寡占化した企業と、官僚と、マスコミがつくりあげた幻想の最たるものが「地デジ」だったのではないだろうか。エコポイントで国民に薄型テレビを大量に売りつけたりはしたが、そのテレビの値下がりは与えたエコポイントの何十倍になるのではないか。というか、「地デジ」で何が変わったの?、何を変えようとしたの。「双方向」ってなに?携帯電話もそうだ、世界一高い通話料金で国民から金を貪っている。原発なんかも同じだ、世界一高い電気料金が宇宙一(え!?)になろうとしている。地デジもガラパゴス携帯も世界には奇妙に見える製品に違いない。反省のない失敗を積み重ねながら、若者を搾取しているのは、大人だよ、何とかしようぜ。

濃い蒸気船を三杯以上飲んでも、太平の惰眠からは醒めないかも知れないなあ。そういった社会の硬直状態こそ、革命の糸口には必要なのだろう。若者よ、硬直しただらしない社会こそチャンスだ。

変えちゃえ!!

山寨革命とは何か?

なにかが違うな・・・。多くの日本人は昨今の日本企業の不振に戸惑っているのではないだろうか。数年前・・・、というか、ほんの少し前に、地デジなどを追い風に順風満帆に見えた液晶テレビが・・・、価格が崩落、今現在は32型で24800円。松下も、ソニーもシャープですら、不振にあえいでいる。

円高であるとか、ユーロの問題とか、タイの洪水、東日本大震災・・・だけでは説明しきれないなにかがあるかもしれない。その問いに一番近いところを触ってくれているなと、中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃を読んで、そう思った。

さて、「山寨革命」とは何か、ということも含め、この本を的確に説明しているのが著者の前書きだ。これは是非、全文読んでもらいたい。以下がそうである。

本書の初稿ができあがったとき、周りの友人に見せてみた。すると、ある友人が「最初のところはルポルタージュのようだね」といったので、私は「そのとおり」と答えた.この本はまるで山寨(Shan Zhai 日本語読みはサンサイ。元々は山中の砦という意味。その後、農民による反統制運助を指す言葉として使われた後、北京オリンピックの前後に意味が拡大され、コピー、偽物、ゲリラ、非官製、草の根などを示す言葉として使われ始めた)の携帯電話のように、盛り込めるものはすべて盛り込んであり、できるだけ短い中に簡潔に可能な限り多くの内容を詰め込んだものだ。本書はまるで「三者合一」の商品のようでもあり、多くの人が一つのテーブルで食事をしているのにそれぞれが好きなものを食べ、他の人の食べているものを食べてもいいという状態だともいえる。

第一部は「山寨風雲」で、まさにルポルタージュである。山寨の携帯電話の生産量はみるみるうちにそびえたつ山のように増え、年間の売上高が一〇〇〇億元を超え、数十万のユーザーを持つに至った。そのユーザーは全世界にまたがり、数億人を超えている。比類なき情熱を燃料として燃え上がった山寨の火は中国全土を覆い尽くしている。その結果、「山寨」という言葉もまた二〇〇八年に最も流行った言葉の一つになった.あとになってみれば、決して無視できない歴史の一コマだったといわれるに違いない。

第一部では事実に即して議論を挟みながらこの時期の歴史を述べるが、これは「物語」が好きな人には美味しい料理となるだろう。

第二部は「山寨革命」である。ヘンリー・フォードを筆頭に確立された生産方式は、すでに世界を一〇〇年もの間支配してきた。この方式の神髄は無限に細密化された分業と、膨大な規模、複雑な階層システムと官僚組織を以て企業を働かせることである。標準化と生産ラインはすべての製品の変動費用の増加分を極限まで低く抑えた。わかりやすくいうと、より多く生産してもコストは決まっており、そのことが企業が大規模化する主な目的であるということだ。また、交通と通信の発展はさらに拡張への障壁を取り去り、大型化及び大企業による管理をメリットあるものとした。二〇〇四年に生産額が一〇〇〇億ドルを超える企業は世界中に13社しかなかったが、二〇〇八年には四五社に達している。これに対応して社会のそのほかの組織も大型化、複雑化の様相を呈している。「大きいことはいいことだ」という言葉はすでに人類共通の定理となったかのようであり、心理的にも大型化いう傾向に賛同してきた。

しかし、「山寨現象」は我々に再びこの定理を見つめなおさせ、フォード時代に確立されたルールを知らず知らずのうちに瓦解させた。旧来の企業内部の労働の分業はすでに社会の分業となっており、生産が複雑な製品も大企業の専売特許ではなくなっている。フォード以来の「高い固定費用、低い変動費用」という状況は実質的に変化をはじめ、規模の大型化による利益はコストの整理と官僚機構に丸呑みされてしまっている.大企業をよく見てみると、大型の組織はすでに空洞化し、研究開発、生産から販売に至るまですべての部分が実質的な意義を失っている。携帯電話であれ、コンピュータであれ、もちろん白動車であれ医薬であれ、大企業内部のコストは外部の市場の勢いと闘う方法もなく、すべてはひっそりと変わってしまった。

これらの変化は「革命」というにふさわしい。もしもあなたが「大きいことはいいことだ」という定理を忘れ、まったく先入観のない異星人の目で歴史を観察すれば、すぐにポスト・フォード時代が来ていることがわかるだろう。過去のルールや定理は最後のお祭り騒ぎにすぎない。産業革命は武力革命のように強烈ではないが、それゆえに往々にして人々は物事の真の姿を知らないままに、山の中に取り残されたような状態になる。

インターネット上には山寨の情報があふれている。そしてそれらの大多数はすべて、コピー、クリエイティブ、物まね、パワフル、かわいい、恥ずかしい、庶民の、逸晶などの言葉を使っているだろう。一言でいって、重層的・多角的な分析はなされておらず、山寨の隆盛の内在的原因や意義はネット上では述ぺられていない。

もしも第一部を史料とするならば、この第二部の「山寨革命」は史論であり、私は思索好きの読者に料理を出したことになるだろう。私見では、このタイプの読者にはそれぞれ白分の視点と見方があるゆえに大変「サービス」しにくい。ただ、この部分はDIYのようなもので読者は自分の見解と図式をもっており、私はただ見ていればいい。私が保証できるのは、本書は簡単なコピーの切り貼りでもなければ、ネット上で見つけてきたものを組み合わせればできるというものでもなく、じっくり煮込んでできるだけ多角的に読者に珍しい材料を提供し、ユニークな味に仕上げたものであるということだ。

経済システムの変化は社会の多方面に影響を及ぼし、社会的組織や政府の職能、企業内部の組織の原則に必ず相応の変化をもたらす。産業革命以降打ち立てられてきた膨大な官僚システムと営々と築きあげられた金宇塔型の社会ほ時代の挑戦を受け、小さく巧みで、活力のある、効果の高い山寨社会が必ず旧社会にとって代わるだろう。それが、第三部の「山塞社会」である。

人類社会に関する美しい考えは昔からあり、老子の小国寡民(国土が小さく国民が少ないこと)やプラトンの理想国家、儒家の社会秩序、第三の波のプロシューマー、フラット化する社会などがそれである。残念ながら現実は正反対に向かって進み、いけばいくほど理想とは遠くなるばかりである。収入が増えるほど二極分化が進み、生産力の発展の成果はピラミッドの頂点にいる少数の人に独占されてまばゆいばかりに輝いており、私利私欲にとらわれた官僚体制は社会の瘤(こぶ)となっている.不幸なことに社会すべてがこのような価値観を受け入れ、アンクル・トムと彼の主人のように、統治したりされたりする関係に慣れきっている。社会と、人々の不平等はますます当然のように受け入れられ、賞賛されてさえいる。

しかし、このような時代はすぐに消え去るだろうというのが私の結論である。山塞製品の生産方式と比べればこの変革はゆっくりとしたものではあるが、必ず実現する。これは革命のラッパではなく、ユートピアでの話でもないが、社会が進んでいる趨勢なのである。

私は、実利を重んじる中国人だが、本を読むということは、間題の答を得るためだけでなく、精神的な慰籍と人としての理想を求めることだと信じている。このように考えれば、第三部の「山寨社会」は読者のための美酒になるだろう。 阿甘、2009年二月七日

著者は1967年生まれ、日本人の同じ年代の人では書けない理屈が通っている。日本では、ほぼ死滅したと思われる「マル経」、いわゆるマルクス経済学だ。弁証法的に止揚した先に未来というか希望を持っていくのは、段階の世代こそわかりやすいかもしれないな。上記まえがきの第三部「山寨社会」で、著者は控えめではあるが見事に革命のラッパを鳴らそうとし、ユートビアを語ろうとしている。著者と同年代の日本人にそれができるだろうか。

実に、経済学に必要なのは数量化やシミュレーション以上に 「哲学」なのである。座標軸たりうる哲学がない以上、数量化やシミュレーションは、ただ混迷を招くだけである。今の日本は、「マル経」だけでなく、実に「哲学」が欠けているのであると思う。

この本の後ろに、生島氏が「解説」を書いているが、この「解説」の視点の定まらないふにゃふにゃぶりにはなんともやりきれない思いがした。この「解説」こそ、実に今の日本を如実に表している、と敢えて解説しておこう。

マスコミ/大量生産/大量消費時代が変わる

原発報道により、マスコミがおかしいのは衆知の知るところとなった。また、それとは別にネット時代の到来と共に大量生産、大量販売も変容し続けている。これから世界はどう変わるか、誰にもわからない世界が眼前に迫っている。

本日の日本経済新聞、「米国発 さらば規格品社会」という記事が興味を惹いた。以下にご紹介。

米国発 さらば規格品社会 ここを攻めろ(3) 「スマートな個人」に商機

2012/1/29付日本経済新聞 朝刊

コンピューターで設計図をつくり、プラスチックや金属、ガラスなどの材料を入れれば自動的に立体物ができあがる「3Dプリンター」。もともと製品の試作などプロ用だが、ニューヨークにあるシェイプウェイズという会社が一般の人でも使えるサービスを始め、人気を集めている。

シェイプウェイズは3Dプリンターを使った事業で急成長する(ニューヨーク)

利用は簡単だ。自分がほしい立体物のデザインをインターネットでシェイプウェイズに送信。すると3Dプリンターを備えた同社の工場で形になり、最短10日で実物が届く。1立方センチメートルあたりの材料費は0.75~20ドル。アクセサリーや置物を注文する人が多い。ネット上に店を開いてほかの人に売ることもできる。

自分だけの1台

「みんな規格品ではなく、本物のパーソナルを求めている」。ピーター・バイマーシュハウズン最高経営責任者(CEO)は話す。月産3万個。欧州に続き2012年にはニューヨークにも工場を設ける。3Dプリンターは性能向上と値下がりが急ピッチ。「10年もすればパソコンのような電子機器も自分だけの1台をつくれるようになる」

ネット上の情報をつなぐ基盤技術「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」の開発から20年。情報収集や発信が容易になり、創造力を刺激された個人はコンテンツ制作のけん引役になった。ユーチューブには毎分60時間分の動画が投稿され、スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)アプリはアップル用だけで55万種類に及ぶ。

そんなネット革命の中心地・米国で、個人の創作意欲はリアルな手触り感のあるものづくりに向かい始めた。新潮流は「メーカームーブメント」と呼ばれ、関連サービスがぼっ興する。

衣類、バッグ、食器、家具、玩具……。同じくニューヨークのベンチャー企業、エッツィーの通販サイトで売り買いされるのはハンドメード品だ。ただの趣味人の集まりと片付けられない。1200万人がサイトを使い、11年の販売額は前年比7割増えて5億2千万ドルを超えた。

大量生産の終わり

チャド・ディッカーソンCEOが言う。「エッツィーの成功は大量生産時代の終わりを告げている」

未来学者のアルビン・トフラーが著書「第三の波」で、消費者でありながら生産にも主体的にかかわる「プロシューマー」台頭を予見したのは1980年。現状をみれば、単に個人が力をつけただけではない。同じ価値観や目的を持つ人がネットでつながり影響力を発揮しやすくなった。

「個人が主役」のうねりは働き方にも及ぶ。「好きなときに好きなところで好きな仕事をする。人々がほしがっているのはそういう柔軟性だ」。シリコンバレーに本社を置くオーデスクのゲアリー・スワートCEOが指摘する。

同社はサイト開発やデータ入力、翻訳、会計などの業務を外注したい企業の情報をネットに公開し、個人に仲介する。個人は自宅などからオンラインで業務をこなし、働いた時間分の報酬をもらう。

会員登録する個人は140万人。特定の会社に属する歯車になるつもりはない。能力を生かせる仕事を探して働き、生活のリズムも守る。11年の報酬は合計で2億2千万ドル以上。労働力を随時調達できる利点からマイクロソフトなど25万社が仕事を外注する。

携帯電話(フォン)、テレビ、電力計(メーター)。IT(情報技術)と組み合わさり、スマート(賢い)の枕ことばがつくハイテク機器が増えている。道具として使いこなす個人の意識も当然スマート化する。賢くものを手に入れ、賢く働きたい――。

ネットを行き交う情報にはデマや誤解など落とし穴もあるが、ネットを駆使する「スマートな個人」の時代はこれからが本番だ。彼らをターゲットにしたサービスの需要が旺盛なことは米3社の事例が示す。まだ数は少ないが、日本からの利用者もいる。

量販店で大量生産品を買い、家と職場を黙々と往復する。20世紀に定着したそんな風景からはみ出す動きは今後、ますます広がる。規格社会の古い発想を捨て改めて世の中を見渡せば、イノベーションの糸口が見えてくる。

(村山恵一)

ちなみに上記の記事に掲載されている三社のホームページを以下にご紹介。

ニューヨークにあるシェイプウェイズ  http://www.shapeways.com/

エッツィーの通販サイト http://www.etsy.com/

シリコンバレーに本社を置くオーデスク  https://www.odesk.com/

英語が苦手な人はグーグルの翻訳サイトをご利用下さい。老婆心ながらリンクを貼っておこう。

ニューヨークにあるシェイプウェイズ  エッツィーの通販サイト

シリコンバレーに本社を置くオーデスク のサイトは残念ながらgoogle翻訳されませんでした。