怒らないこと―役立つ初期仏教法話/アルボムッレ スマナサーラ

怒らないこと―役立つ初期仏教法話/アルボムッレ スマナサーラを読みました。いつもながらスマナサーラの本はおもしろく、漫画よりも楽しく読ませていただきました。彼の本はなんとも不思議な魅力がありますね。上記リンクを見てもらうとわかるように彼の著作には32人の評価が現時点でついています。いかに彼の著作に刺激をうけた方が多いかを表していると思います。

外人なのになぜこんなに日本人の心に響く本を書くことができるのだろうかというのは、ずーと疑問でした。思い立ってyoutubeで調べてみるとビデオがたくさんありました。見てみるとそれほど流ちょうな日本語ではないので、著作の場合は編集の手が入っているのでしょう。そういったことがうまい具合に作用して、シナジー効果を上げているのかもしれません。

では、特に意識に残った部分を紹介してみよう。

「怒り」が気づかないうちに体をこわす-p80

怒るということは、自分で自分を燃やし始めたということです。いずれ細胞が破壊されて、グチャグチャになってしまいます。・・・もちろん怒った瞬間にてが強烈に痛くなったり、足が痛くて動かなくなったり、おなかが強烈に痛くて死にそうになったり、ということがあれば、誰も怒らないでしょう。怒りには、そういうシグナルがないからこそ、恐ろしいものなのです。

たとえば脳細胞ですが、特にいろいろなホルモンを出している場所には、見えないほど小さな器官がたくさんあります。小さすぎてすぐには感じませんが、怒りは自分の内臓とホルモン関係のすべての器官を燃やしてしまうのです。

一番先に影響を受けるのは、内臓です。心臓にしても、肺にしても、腎臓にしても、内臓というものは24時間ずっと仕事をしています。その細胞が怒りによって早く老化してしまって、自分自身が知らないうちにジワジワと病気になっていくのです。あちこちに痛みがでてきたり、胃潰瘍になったり、内臓全体がガンになったりと、治りにくい病気になるのです。怒りの感情をよくおこす文句だらけの人は、病気がちで、他人よりも先に老けてしまいます。

すごく疲れやすかったり、眠れなかったり、病気がちで悩んでいたりする人は、心にも問題があると思った方がいいですね。そういう人は、怒りの性格をかなり持っているはずです。

仏教は感情を人格化しない -p23

ヒンドゥー教では「ブラフマンは創造する。それからシヴァという神は破壊する」ときちんとふたつに分けて考えています。人間の感情や行動などすべてには神が宿っている、とヒンドゥー教では信じられていますから、そういう風に神の世界もふたつに分けて考えるのです。

キリスト教などでは、愛情を人格化して「神」というし、憎しみや嫉妬や怒りを人格化して「悪魔」といいます。・・・

このように感情を人格化すると、話としてはわかりやすいですが、実践は不可能です。問題を具体的に見ることができません。ですから仏教では、人間の感情を人格化しません。・・・「人間の感情を人格化しないように気をつけて、科学的に分析してみなさい」と、仏教では教えるのです。

とりあえず、今回はこれまでとしますが、いかがでしょうか。気になる方は是非ご一読下さい。

冥途のお客 /佐藤愛子 著

冥途のお客」を読みました。おもしろかったです。

題名が示すように、霊界関係の書籍です。この方のエッセイは若い自分によく読んだ覚えがあります。まさか、霊界関係のエッセイを書くようになるとは思いませんでした。関連書籍では他に「私の遺言」と「あの世の話」を読んでいます。いずれもおもしろい。霊界の話以前にやはり、プロの書き手ですから、読者を飽きさせません。ぐいぐいと引き込んでくれます。

一番のお薦めは「私の遺言」ですかね。これはアイヌ民族の問題も提示していますので、勉強になりました。佐藤愛子氏の著作「血脈」の上も持っているのですが、まだ読んでおりません。ものすごく分厚いので手がでないのが現状です。

紹介もかねて、後書きを以下に記します。参考になれば幸いです。

後書き

以上の話を真実とかんがえるか、妄想駄ボラと思うかは読者の自由です。私はただ実直に、何の誇張も交えず私の経験、見聞を伝えましたこれらの体験を書いて人を怖がらせたり興味を惹きたいと考えたのではありません

死はすべての終わりではない。無ではない。

肉体は滅びても魂は永遠に存在する。

そのことを「死ねば何もかも無に帰す」と思っている人たちにわかってもらいたいという気持ちだけです。三十年にわたって私が苦しみつつ学んだことを申し述べたい。ひとにそれが人の不信や嘲笑を買うことになろうとも。私にはそんな義務さえあるような気さえしているのです。

この世で我々は金銭の苦労や病苦、愛恋、別離、死の恐怖など、生きつづけるための欲望や執着に苦しみます。 しかし、それに耐えてうち勝つことがこの世に生まれてきた意味であること、その修行が死後の安楽に繋がることを胸に刻めば、「こわいもの」はなくなっていく。

それがやっと八十歳になってわかったのです。

この記述によって好奇心を刺激された人、この私を馬鹿にする人、色々いるでしょう。でもたつた一人でも、ここから何かのヒントを得る人がいてくだされば本望です。その一人の人を目指して私はこの本を上梓します。

以上、

愛されない愛せない私/二本松泰子

を読みました。

帯にはこう書かれています。「アルコール+セックス依存症だった女性の衝撃の告白手記」。16歳で初体験、短大を卒業し、親のコネで就職。私はどこにでもいる普通の女だったと語る著者が、20代の時に陥った「アルコール・セックス依存症」…。依存症から脱出するために、35年間の心の闇を綴った手記。

おもしろそうだと思って読み始めてみたのですが、つまらなかったですね。そもそもセックス依存症でなんだ?ということがあるな。セックス依存症というからには、直る可能性もあるのだろうか。セックスに依存しない人間とはなんなんだろう?という疑問も湧くな。セックス依存症でない人間はどのようなセックス?というのも聞いてみたいな。

などと思っていたら、関連した記事を見つけました。 しかし、やはりよくわからない。

結局のところ、下ネタで人目を引くための造語だと思う。手にとって読んでは見たけれど、手にとって読んでみた自分の愚かさを知ったことが収穫だったな。

ドラッグ関連の書籍

二冊読みました。「マリファナ物語」、「FOR BIGINNERS ドラッグ」。どちらもおもしろかったのだが「マリファナ物語」はやや冗長だったかな。エッセイ風の書き方なので仕方ないのだが、あっけらからんとマリファナ賛歌をしているのは問題がないのかななどと思ってしまいました。

FOR BIGINNERS ドラッグ」はしっかりとていねいに書いてありますね。歴史、背景、哲学、医学的心理学的な考察なども網羅しているので、勉強したい方にはこちらをおすすめしたいところです。

ヘロイン、モルヒネなど人工的にに精製したものは依存性が高くなり、害を及ぼすことになるのだが、けしとかコカの葉などの自然の状態のものはそれほど害はないようです。コカコーラなどは当初はコカインが含まれていました。現在でもコカインを除去したコカの葉の成分が含まれているとのことです。

FOR BIGINNERS ドラッグ」、最終章-麻薬が人間にもたらしたもの-で、気になった箇所を以下に記載してみましょう。

痛みがすべての出発だった-P154-, 世界の四大文明発祥地がいずれもけっして快適とは思われない自然条件のもとにあり、なぜこんな風土で文明が興ったのかという問い対して、こんな説がある。これら文明発祥地のエジプト、メソポタミア、インダスの三つまでがけしや大麻など麻薬の生産地だったこと。苦痛があり、さらにはそれを快楽に転化させる麻薬があったからこそ、文明が築かれたのだという。また、時代が遅れてはいるものの、これら四大文明とは隔離された新大陸のマヤ、インカなどの文明は幻覚植物やコカの葉なしには興り得なかったという考えが、歴史学者の間では支配的だという。

“偏在精神”が奇跡的体験をもたらす-P163-
“脳や神経系それに感覚器官の機能は主として削除作用的であって、生産作用的ではない”というベルグソンの示唆を引用して、こう解釈する。本来、人間の脳や神経系は自分の身に生じたことをすべて記憶する能力があり、宇宙のあらゆる出来事のすべてを知覚することができる。これが”偏在精神(MIND AT LARGE)”である。しかし、生物である人間の最大の仕事は生存である。その目的達成のために脳や神経系は情報を極端に絞り込んで人間の”意識”に送り込む。つまり脳や神経系は”減圧バルブ”の役割を果たし、我々は広大な宇宙の”ほんの一滴”の知覚をもとに、言語という概念化された表象体系を駆使してリアリティを得ているという。ところが、ある種の人々は、”減圧バルブを迂回するバイパスのようなもの”を生まれつき持っている場合がある。精神修行や自然発生的に一時的なバイパスを得る場合もある。また、催眠状態や薬物によっても、こうした”奇蹟”を起こす場合があるという。

“偏在精神”が奇跡的体験をもたらす”脳や神経系それに感覚器官の機能は主として削除作用的であって、生産作用的ではない”というベルグソンの示唆を引用して、こう解釈する。本来、人間の脳や神経系は自分の身に生じたことをすべて記憶する能力があり、宇宙のあらゆる出来事のすべてを知覚することができる。これが”偏在精神(MIND AT LARGE)”である。しかし、生物である人間の最大の仕事は生存である。その目的達成のために脳や神経系は情報を極端に絞り込んで人間の”意識”に送り込む。つまり脳や神経系は”減圧バルブ”の役割を果たし、我々は広大な宇宙の”ほんの一滴”の知覚をもとに、言語という概念化された表象体系を駆使してリアリティを得ているという。ところが、ある種の人々は、”減圧バルブを迂回するバイパスのようなもの”を生まれつき持っている場合がある。精神修行や自然発生的に一時的なバイパスを得る場合もある。また、催眠状態や薬物によっても、こうした”奇蹟”を起こす場合があるという。