フューチャリスト宣言 / 梅田望夫 茂木健一郎

フューチャリスト宣言 (ちくま新書を読みました。

普通、対談というのは、わかりやすいものなんだけど、この本はわかりにくい。

ちくま新書というか、編集者には、売り出し中のタレントどうしの内輪話をただ活字にしてもおもしろい本はできないだろうと教えてあげたいところです。アイドル本じゃないんだから・・・。

総括すれば、グーグルと脳のおたく話というところでしょうか。全然お薦めしません。

文春新書 グーグル Google 佐々木俊尚

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書を読みました。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)とともに読めば、グーグルに対する理解が深まることと思います。

第一章で、グーグルニュースに対する日本の新聞メディアの動き。

第二章、第三章は、「B&B羽田空港近隣パーキングサービス」という駐車場を経営している山崎夫妻が困難の中、Googleのサービスとの出会いと学習、コラボレーションの様をドキュメント。

第四章では、福井市内の地場メッキ工場、「三和メッキ工業」のガンコ経営者とパソコン好きの息子が利用した、Googleのサービスと中小企業のサクセスストーリィ。

第五章では、グーグル躍進の起爆となったアドワード、アドセンスについて整理されていて、勉強になりました。

第六章は、総括。

第一章は、新聞記者ならではの視点。第二章から第4章までは、実際、不況であえいでいる中小・零細企業家には読んでもらいたいところですね。第五章も整理されていたし、第六章は、実際に今後のグーグル覇権を考える材料となります。

舗道の上のミミズの死

今年の夏はすごい暑さですね。どうしたんでしょうか。

住居から借りている駐車場まで歩いていると、夏の暑さのせいか、やたらとミミズの死骸を舗道上に見つけます。帰宅してから、調べものをしていたら落ちてきた本があり(本だなが整理されてなくてよく崩れます)、中をパラパラと読んでいたら、ミミズの輪廻転生を憂う文章に出会いました。素晴らしきかな偶然は・・・。もったいないので以下に紹介しますね、

輪廻転生-路上のミミズは干からびて死ぬのではない
ミミズの死因を実験で追究
東洋思想の「輪廻転生」がいかなる社会的背景のもとに生じたのか、一度調べてみたいと考えている。現世の恵まれない生活環境から来る不満感・不幸感を吸収するという社会的背景があるような気がしてならない。つぎの生まれ変わりに期待しても、現状よりよい環境に生活できる保証はどこにもない。生まれ変わってみたがミミズかもしれない。
アスファルトの舗装道路にミミズが干からびて死んでいる姿はよく見かける。現世の生活に不満をもったミミズが、道路を横切り新世界を巨指したものの、水たまりで溺れて、アスファルトの上で乾燥して死んでしまうのだと考えていた。道路の向こう側も、こちら側と同じ世界が待っているのに。
ミミズにも神経がある。体を縦に走り、それぞれの節に情報を伝達している。この神経を用いた実験がある。用意するものとして、プラスチックの箱に五ミリメートルおきに銅線をハシゴのように並べたものが必要である。それぞれの銅銭はは独立していて、任意の二本ずつのペアーを刺激用のものと、神経活動を導出するものに用いる。中央の一本をアースにする.ミミズの神経を電気刺激すると神経活動電位が記録できる。刺激の銅線と記録の銅線の距離を、刺激からこの活動電位が記録されるまでの時間で割ると、神経の伝導速度が計算できる。
まず、問題は、ミミズをこのハシゴの上にどう置くかである。ミミズも生き物、ただ黙ってそこにいてはくれない。麻酔が必要である。ミミズの麻酔は、10パーセントのアルコール溶液にポチャと浸けるだけでじゅうぶんである。ミミズが酔っ払って眠ったところで素早く実験せねばならない。酔いから醒めたミミズはすぐ矢シゴの上はいはじめる。
ミミズのよりよき輪廻転生を祈ろう
著者らのミミズの実験のもくろみは、単一神経線維の伝導が温度によってどう変化するかを観察することであった。室温から冷却していくのは装置としてむずかしい。そこで逆にまずこのプラスチックの容器を氷で冷やし、低温から開始する。室温に比べ、低温では神経伝導速度は低下する。ところが神経の活動電位は低温ほど大きくなる。神経活動電位の振幅はあまり変化しないが、電位の幅が大きくなる。その理由についてはここでは省略させていただく。
今度は少しずつ温度を上げていく、伝導速度は速くなるが、神経活動電位の幅は小さくなっていく。室温を超してさらに温めると、突然、神経活動が起こらなくなってしまう。つまりミミズの神経線維は温めると麻痺してしまう。その理由については著者はまだよく知らない。
アスファルトの上で死んでいるミミズは、干からびて動けななるのではなく、夜中に土のなかからはい出して、新天地に到達する前に朝日が当たると、体が温まって神経麻痺のために死んでしまうようである。干からびて死ぬよりは苦痛の少ない死である。
ミミズのよりよき輪廻転生を祈ろう

とまあ、こういう次第であります。ドラキュラではないが、夜中に仕事は終わらしていないとまずいみたいですね。朝日がでて、しまった!と後悔しても、もう死んでしまうとのことです。夏は夜が短いですから気を付けましょう・・・・。

ちなみに、体の反射のふしぎ学―足がもつれないのはなぜ? (ブルーバックス)からの引用でした。

誕生を記憶する子供たち - 赤ちゃんの意識の使い方

意識の使い方について少々。

こういうことがありました。背中がとても痒くなって、掻こうと思うのですがなかなか手が届きません。かろうじて手が届いたら、痒い場所が、皮膚の中のほうで、掻いてもかゆみがとうなるわけでもなくて、とても困ったことがありました。気にしないようにしても、かゆくてかゆくてどうしようもありません。

仕方がないので、意識をそのかゆい部分、皮膚の内側深い部分に集中して。具体的には、かゆみをさらに感じるように意識を持っていったのですが、そうするとそのかゆい場所がどんどんと移動していきます。移動したあとをさらに意識で追いかけていくとかゆみがなくなってしまいました。後日、ある気功の本を読んでいたら、同じようなことが書かれていて納得したことがあります。

どうやら、意識にはいろいろな状況、状態、使い方があるようで、それらを前提に世界観というものを考えると、現代人はかなり窮屈な世界観を用いているようだ。瞑想すると、意識の多様性というものに気づきやすくなるかもしれませんね。

先ほど捜しものを探していたら、「誕生を記憶する子どもたち」という書籍が落ちてきたので(私の部屋はあまり整理されていないので本がよく崩れます)、なかを見たらおもしろいことが書かれていましたので、下記に紹介します。赤ちゃんの意識の使い方についてです。

ウィリアム・ジェイムズは1890年の著書の中で、ふだん働いている私たちの意識は、意識の一タイプにすぎず、その周囲には、「薄いスクリーンで仕切られたように」まったく違うタイプの意識が潜んでいると述べ、その例として、睡眠、夢、白日夢、催眠状態的トランス状態、瞑想、さらにテレパンーや千里眼や霊媒状態といった超感覚的状態をあげている。
1970年代には、精神と意識への関心が爆発的な高まりをみせ、ジェイムズのいうような潜在的意識に、あらたにバイオフィードバック、幻覚剤、呼吸法、臨死体験などでもたらされるさまざまな精神状態も加えられることになった。さらに、深いリラクセーションやイメージ法、瞑想、催眠などを用いた新しい実験が行なわれた結果、出生や子宮内の記憶にまじって、前世の記憶やそのほかさまざまな超感覚的知覚(ESP)も次々と認知されることになった。新生児のこころは、こうした可能性のすべてを秘めているのである。
[赤ちゃんのトランス状態]
赤ちゃんをよく観察していると、ときどき白分からトランス状態に落ちていくのがわかる。心理学者は「凝視の発作」と呼ぶこともある。二〇~三〇秒間、からだや手足はもちろん眼球や顔の表情まで完全に動かなくなる。声もたてない。眼は開いているが、焦点は合っていない。やがてまばたきを一つしてこの状態は終わる。おとなの場合、こうした状態は白己催眠と呼ばれるが、赤ちゃんの場合も同じような目的で現われるようだ。つまり、休息や、苦痛や退屈からの逃避のためであったり、過去の体験に没入しているとき、あるいはただ楽しみのためにするらしい。したがって赤ちゃんがトランス状態に入れるというのは、なかなかのものというべきだろう。夢」と同じように、トランス状態も、また他の変性意識状態も創造的な精神活動であり、高度な自己統制法だからだ。(P278-279)

瞑想体験 #1 桑田二郎さんの著作について

瞑想について、いつかまとめてみようと思っていたのですが、今日ふと思い立ち本棚を眺めていたらすんなりと見つけたのは、、マンガエッセイ 般若心経への道〈2〉。忘れもしないこの本、正確には全三冊のシリーズです。発行日は1992年の5月になっています。確か、新聞で読んで本屋さんで探して購入したものです。すっかりはまってしまい、その後桑田二郎氏のこの手の著作は見つけたら購入することになり、現在に至っています。1992年といえば、ちょうど40歳ですか、桑田二郎氏の漫画をきっかけとして、いわゆるスピリチュアルな方向に興味をもちはじめるわけです。

父も母もすでに他界しており、仏事の経験もしていたわけなのですが、父母の死がスピリチュアルにつながることはなかったな。親不孝だったと思います。

桑田二郎さんのそのころの事についてのインタビュー記事をWEBでみつけたので、リンクしておきます。是非ご参照下さい。

桑田二郎さんが瞑想をするようになったのは、早朝の河原でこの世のものとは思えないほどの朝焼けに出会ってからのことです。この素晴らしい朝焼けをまた見たくて、早朝に河原に行くようになりますが、素晴らしい朝焼けに出会うことはなかったといいます。しかし、早朝の河原で、いつとはなしにするようになった瞑想が彼を変えていくのです。

観音さまの正体―霊力と功徳の宝庫・観音経 (ダルマブックス)は漫画ではありませんでしたが、瞑想について詳しく書かれていた本だと思います。今、手元にないので定かではありませんが、この本と一連の漫画を参考にして私の瞑想体験は始まりました。

瞑想をしてみようと思う方は、是非桑田二郎氏の著書に触れてみることをお薦めします。

次回へ続く…,