(危険だから)原発は造らないアメリカが日本に原発を造れというのは、すごい話だ。そのすごい話を当たり前のように報道する新聞。マジックを見せられているような、催眠術にかかったような、不思議な気持ちになる。事実は小説より奇なりというが、どうしようもない脚本よりも酷い脚本で現実は作られているのだろうか。
米、原発継続要請は「大統領の意向」
2012/9/25 0:12
野田政権がエネルギー・環境戦略で掲げた「2030年代に原発ゼロ」の政府方針を巡り、米政府が「オバマ大統領の意向」として強力に見直しを求めていたことがわかった。核不拡散・平和利用に向けた日米協力の枠組みが崩壊しかねないとの懸念が背景。結局閣議決定を見送ったが、あいまいな決着の火だねは今後もくすぶりそうだ。
複数の当局関係者によると野田政権が8月以降、原発ゼロの明文化に動く過程で米側は日本政府に対し、「国家最高指導者レベルでの協議の結果だ」としてゼロ方針を再考するよう要請。オバマ大統領以下、政権の総意との見解を伝えた。
9月8日にはロシア・ウラジオストクでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で野田佳彦首相がクリントン国務長官と会談。ここでも大統領を代理する形で同国務長官が懸念を表明した。表面上はあからさまな批判を控える一方、大統領と米議会を前面に押し出し日本への圧力を強めた。
日本政府は12日、長島昭久首相補佐官らを米に緊急派遣し、日本の対応に業を煮やすホワイトハウス高官らと直接協議。戦略を参考文書扱いとし、米側の視点からは路線転換を見送ったと読めるようにする「玉虫色の決着」(日本当局)で決定的な対立を回避した。
米政府は、日本の脱原発への方針転換で「米のエネルギー戦略が直接的な打撃を被る懸念が高まった」(エネルギー省元副長官のマーチン氏)とみている。日本の原発政策はオバマ政権の核不拡散や地球温暖化防止に向けた環境政策とも密接な関係にあるためだ。
日米は1988年発効した原子力協定で、青森県六ケ所村での核燃料サイクル施設ならば米の事前同意なく再処理を認める包括方式で合意。日本は核兵器を持たず、プルトニウムの平和利用を担保する最重要の役割を担っている。
現行の日米協定の期限が切れる18年に向け、早ければ来年にも非公式な事前協議に着手する必要がある。なお猶予があるとはいえ日本が原発政策を不明瞭な形で放置すれば米が再処理許可の更新などに難色を示す恐れもある。「協定改定の先行きが読めなくなった」(日本政府関係者)との声が出ている。
(ワシントン=矢沢俊樹)
さらに、「首相の野田佳彦は脱原発に傾く民主党内世論と、反対する産業界や米国の間で進退極まり、玉虫色の表現でしのぐしかなかった。」と、米国の「内政干渉」を当たり前(暗黙知)とするような記事も掲載し続けている。
瓦解した国家戦略会議
正体不明の「原発ゼロ」に反旗
2012/9/30付
2030年代に「原発稼働ゼロを可能にする」政府のエネルギー環境戦略。首相の野田佳彦は脱原発に傾く民主党内世論と、反対する産業界や米国の間で進退極まり、玉虫色の表現でしのぐしかなかった。それでも「ゼロ」は独り歩きし、首相直属の国家戦略会議も空中分解寸前だ。
18日、首相官邸での国家戦略会議。野田の面前で、民間議員が新戦略に次々に異論を唱えた。官邸の諮問機関が首相に不信任を突きつけた。
「『30年代ゼロ』の所だけ期限を断定的に区切るのは違和感がある。削除を望みたい。きちんと見直していかないと批判に堪えない内容だ」
<経済界は猛反発> 記者会見する米倉・経団連会長(中)ら経済3団体首脳(18日)
経済同友会代表幹事の長谷川閑史が野田にこう迫った。連合会長の古賀伸明も「ゼロ」の時期明示に疑問を示した。戦略を真っ向から否定する経団連会長の米倉弘昌はこの日の会合をボイコット。民間議員は他にも欠席者が相次ぎ、5人の誰一人、支持を表明しない事態となった。
「(1)40年運転制限制を厳格に適用する(2)原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ再稼働とする(3)原発の新設・増設は行わない。(中略)以上の3原則を適用する中で、2030年代に原発稼働ゼロを可能とするようあらゆる政策資源を投入する」
戦略のこの核心部分は民主党が6日のエネルギー環境調査会(前原誠司会長=当時)でまとめた提言そのままだ。「ゼロ」の旗は立てたが「実現」や「目指す」ではなく、意味合いは曖昧。「原発ゼロ」でなく「稼働ゼロ」なので、すべての廃炉は意味しないとも解釈されている。原発反対・維持の両論で割れた党内を同床異夢で収めようとした。
<首相、苦肉の策> 国家戦略会議の会合であいさつする野田首相(18日、首相官邸)
代表選を無難に乗り切りたかった野田も玉虫色を丸のみした。「ゼロ」に言及する以上、核燃料サイクル施設を抱える青森県、原子力政策で協調してきた米国などへ辻つま合わせの説明が不可避になった。10日に想定したエネルギー環境会議での戦略「決定」は14日までずれ込んだ。
党提言の直後、国家戦略相で閣内調整役の古川元久は長谷川に極秘に面会を申し入れ、戦略への「ゼロ」明記に理解を求めた。面会の事実もなかったことにする約束のはずが、政府筋から「戦略相の根回しを同友会は了承した」という怪情報が経済界に出回り、長谷川は激怒した。
米倉は野田内閣のエネルギー戦略の取り組みを痛烈に批判してきた。
「日本再生戦略に『脱原発依存』とあるが、戦略会議では議論しておらず、曖昧な表現だ。この言葉は修正する必要がある」(7月30日)
「再生戦略は名目3%、実質2%の成長率目標だが、エネルギー戦略の想定は2010年代1.1%、20年代0.8%の実質成長だ。目標を達成すれば電力不足に陥る」(7月5日)
米倉は「エネルギー政策は国家戦略そのもの」と戦略会議での討議も求めたが、野田は素通りした。米倉、長谷川、両者を仲介した日商会頭の岡村正の経済3団体首脳は18日に都内で記者会見し、政府に非を鳴らした。長谷川はその足で戦略会議に向かったのである。
内閣の意思決定プロセスも曖昧だった。14日に実質的な「決定」の場となったエネルギー環境会議は古川を議長に関係閣僚だけで構成し、国家戦略会議の分科会扱いだ。そこに野田が臨席して「決定」だと胸を張った。18日に親会議の国家戦略会議に報告し、民間議員から異論が続出したにもかかわらず、19日に内閣として最も重い閣議決定を敢行した。
「今後の政策は新エネルギー戦略を踏まえて関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の見直しと検証を行いながら遂行する」
決定したのは戦略そのものではなく、「戦略を踏まえて」柔軟に対応していくというこの一文だけ。「稼働ゼロ」の位置づけはさらにあやふやになった。米倉も長谷川も安堵してみせたが、経済産業相の枝野幸男は「14日段階で閣議決定はこの方式と決まっていた」と明かした。
となると、手続きは14日のエネルギー環境会議から19日の閣議決定へ粛々と進み、18日の戦略会議は何の影響もなかったわけだ。経済団体の関係者は「首相が分科会に出て『決めた』とやる。親会議の異論は無視。まともな組織ではありえない」と批判した。
「税財政の骨格や経済運営の基本方針等の国家の内外にわたる重要な政策を統括する司令塔」。戦略会議の役割を設置時の閣議決定はこう明記したが、予算編成や環太平洋経済連携協定(TPP)、社会保障・税一体改革など政治的懸案ではカヤの外に置く。司令塔とは名ばかりだ。
経済人や学者の意見に耳を傾ける体裁だけの会議運営への積もり積もった不満。それが爆発したのが18日の民間議員の「反乱」だった。「原発ゼロ」がぶっ壊した首相直属機関はもはや機能しえない。
=敬称略
(編集委員 清水真人)
「核の軍事利用」という観点を入れてみると、わかりやすくなるのだが、それを避けて「エネリギー戦略」だけでは原発の存在理由には無理がある。つまり、核装備のための原発という軍事利用を持ち出すと、原発は存在理由を増してくる。
残念ながら、原発はどこまでいっても「人を殺す」道具になってしまうのである。クリーンエネルギーを目指す核エネルギー再利用の果ては、劣化ウラン弾が残ってしまう。これが現実なのだ。