ひとり語り / 吉行和子

最近は夜中に目が覚めます。暑くて寝れないんですね。今年の夏は異常です。

さて、ひとり語り―女優というものはを読みました。おもしろかったです。

私の学生時代は麻雀がブームでした。時代そのものが麻雀ブームだったのですが、そのせいで麻雀好きで知られていた吉行淳之介遠藤周作氏、色川武大氏のファンでもあり、エッセイや著作にも親しんでおりました。その吉行淳之介の妹さんが吉行和子さんでした。文章の方も血筋なのか非常に読みやすく、うまいと思いました。この本にも多々吉行淳之介氏との話がでてくるのですが、拝読したところどうやら、和子さんはお兄さんがとてもすきだったみたいです。

日本を代表する女優さんなわけですから、本の中にも、日本を代表する著名な方がたくさん登場します。知られていない視点からの話はいずれもおもしろく、かつ価値のあるものだと思いました。

その中で、私が気に入ったのは田中角栄氏とおすぎとピーコの部分でした。さりげなく、彼らの代弁をしているところに感心しています。ということで、おすそ分けということではありませんが、以下にまず田中角栄氏部分から紹介させていただきます。

そうだ、初めて銀行に口座を作りに行ったのは二十歳を少し過ぎた頃だった。劇団からもらうわずかな収入のために預金通帳を作りましょう、と近くの銀行に出かけた。そのことを思い出したのは、この(二〇〇九年)二月十三日に辻和子さんが亡くなったからだ。辻和子さんは旧中角栄氏の愛人として、かなり知れ渡っていた方だった。神楽坂に住んでいた元芸者さんだ。

私の預金通帳の名前は、「辻和子」という。当時、母が再婚していたので、私と妹も辻だった。仕事はもとのままだが、戸籍上の本名は辻。通帳を作りながら、ふと気配を感じて顔を上げると、背広をきちんと着た男性四、五人が近づいてきている。そして、ほんの少しの間たたずんでいたが、声もなく去って行った。通帳を作る時って、こういう感じなのかしらと思い、気がついた。そうだ、辻和子という人が来たというので、それではご挨拶をしなくてはいけないと、偉い人たちが揃って来てみたのだが、どうもみすぼらしい風体の女だ。人違いだと、引き返したのだろう。

神楽坂とわが家とはそう遠くない。ということは、この銀行とも近い。あの辻和子が口座を開いてくれるのだと思ったのだろう。

ほほえましい話

そんなことがあってから三十年も経った頃、その辻和子さんと私は知り合いになった。親しくしていた友人のお母さんが女医さんで、私はよく遊びに行っていた。女医さんと辻和子さんが仲良しで、顔を合わせたことが何度かあった。初めて会った時、「この人も辻和子っていうのよ」と私は紹介された。女医さんとは芸者さん時代からの友達とのことだ。「私はね、神楽坂の芸者衆の主治医だったのよ。男の医者が行くと、なんだかんだと問題を起こすので、女の私が行くことになったの」と、ゴッドマザーのごとく頼もしい女医さんは言った。辻さんより年長で、角栄氏にもずいぶん頼りにされていたらしい。浅草で開業医をしていて、血だらけのヤクザが駆け込んでくることもたびたびあり、それでもびくともしない肝っ玉女医なのだから、何があっても驚
かないのだろう。

世間の非難を浴びている角栄氏は、「新潟へ帰る列車のつなぎ目を眺めていると、一瞬、飛び込みたい心境になるんだよ」と、女医さんの前では弱音を吐くこともあったと言う。

辻和子さんも気さくな面白い方だった。同じ方向なので、帰りも一緒に帰ったりした。亡くなったことを知った翌日、さぞや新聞にでかでかと出るだろうと思ったのに出ていない。「だって、どういう肩書きにしていいか困るから、やめることにした」と新聞社関係の偉い方に後から聞いたのだが、たしかに問題が生じる可能性が大きい。その後、週刊誌に小さな記事が出た。昭和の生き証人がひっそりと人生の幕を閉じていたとあるように、ひっそりとこの世を去っていかれた。(p184-186)

続いておすぎとピーコについて

おすぎとピーコと知り合って

この時期、一緒に芝居をした人たちとは、いまだに親しく付き合っている。三、四年だったけれど思い出がいっぱいあり、話が盛り上がる。楽しかったな、と言ってくれるので、ほっとしている。

その中に、おすぎとピーコもいる。彼らは芝居には直接関わらなかったけれど、大いに応援してくれた。二人は現在の活躍ぶりなど想像もつかない、ただの変わった入種、無名のオカマの双子だった。

おすぎのほうは、松竹の歌舞伎座テレビ室というテレビ制作会社の演技事務として働いていた。演技事務というのは、スケジュール調整などもする重要な部門だが、駆け出しはすべての雑事をこなさなければならない。進行さんと呼ばれ大変な忙しさだ。しかし、そう気のきく人はあまりいないのが普通だが、おすぎはともかくよく気がきくというので名を馳せていた。朝にコーヒーが配られるのは当たり前、咳をすればすぐのど飴が差し出される、という具合だ。

私はおすぎのいるほうではなく、歌舞伎座テレビ室の人たちが参加している「喜びも悲しみも幾歳月」というテレビドラマに出ていた。あの名作映画、木下恵介監督、佐田啓二、高峰秀子主演のテレビ版だ。監督も木下恵介門下の方が加わり、あちこちの灯台でロケをした。「おいら岬の灯台守は~」という主題歌もヒットしたので・覚えている方も多いと思う。あの主人公たちの物語なので、灯台は欠かせない。ロケバスは新宿駅の西口から出発する。その場所はロケに行くバスが来るところで、何台も並ぶ。時々間違えて別の作品のバスに乗り込んでいる入がいるので、そういうチエックも進行さんはしなくてはいけない。おすぎも駈けずりまわっていた。私の組のヘアメイクさんが、その種の人で、私は気が合って仲良くしていた。

今では考えられないことだが、そういう人たちは当時肩身が狭かった。昨今いき過ぎのように手を振ってテレビに出まくっている彼らの道を拓いたのは、かの、おすぎとピーコだというのは衆知のことだ。

二人がカミングアウトした時は、もうこれで消えるだろうと思われたのに、なんだ、この勢いは。しかも三+年以上も続いているとは驚きだ。それ以前は、テレビで入気のあった人でも噂が出ただけで画面からは消されていた。美輪明宏さん、ピーターさん以外は認められていなかった。私たちの組合は、と小さな声で主張するしかなかった入たちなのだ。ヘァメイクさんは私が大丈夫と知っておすぎを紹介した。私たちはすぐ仲良くなった。何故だかわからないが同類とでも思ったのだろうか。そして兄と称するピーコを連れてきて、四人で会ったりしだした。

ピーコは服飾関係の仕事をしていた。ずいぶんやぼったい洋服着てんのね、と言い、洋裁をしているお姉さんも紹介してもらい、それ以後、杉浦家(二人の本名)とは親戚付き合いをしている。

私が地下の劇場で芝居をしていた頃、無名の二人は、今と同じように勢いよく騒がしく私の面倒をみてくれていた。お母さんが作った.おいなりさん”をどっさり持ってきて皆に喜ばれたり、キウイという果物があることも教えてもらった。甘ずっばくて美味しかった。キウイを食べるたびに、楽屋にペタリと座って皮を剥いてくれていた二人の姿が目に浮かぶ。ピーコは衣裳の繕いものなども手伝ってくれた。後にピーコデザインの衣裳で舞台を何本かやった。いまや忙しくてそれどころではない。しかし、舞台だけは二人とも観に来てくれる。親しくなりすぎているので、ハラハラしてまともに観てはいられないらしい。身内の学芸会を見せられている心境になってしまうのだろう。そして私も何だか落ち着かなくて、彼らが来た日はたいてい科白をとちってしまう。

二人が突然ラジオ番組に出だした。久米宏さんがパーソナリティを務めていた番組で、そのなかに短いけれど二人のコーナーができた。相変わらずにぎやかだった。ひょっとして、いつも楽屋にきてたあの二人じゃない、と声に聞き覚えのある人たちが尋ねた。どんないきさつでラジオデビューしたのかは聞いていないが、ともかく二人は「オカマの双子」として、堂々と世間に知られるようになっていった。彼らの心の中では、“ゲイ”と胸を張って言いたいのだろうが、あんたたちがオカマって思ってんなら、こっちから言ってあげるわよ、なのだろう。

この番組は兄の淳之介も好んで聴いていたらしく、ある日電話がかかってきて、「おすぎとピーコの区別がついたぞ、ピーピー言うのがおすぎで、比較的おとなしいほうがピーコだ」と嬉しそうに白慢した(p133-p136)

クールジャパン、今度はB級グルメか/ニューヨークで屋台村に5万人

2010年8月1日付日本経済新聞社会面に、日本のB級グルメがニューヨークで大人気との記事があった。早速ユーチューブを探すとヒット。下記に日経記事とともに紹介しよう。クールジャパンは今年の夏と同じかそれ以上に「暑い!!」のか?

米ニューヨークで、ラーメンやお好み焼きなど日本の「B級グルメ」が人気を集めている。日本の庶民の味を集めた「屋台村」には大勢の市民が詰めかけ、入場規制するほど。会揚では日本のコスプレ姿で歩く若者の姿も目立った。

すしや着物といった日本の伝統的な又化だけでなく、生活に身近な現代又化も米国で受け入れられつつある。7月中旬の週末、マンハッタン南東部のイーストビレッジ地区。街の一角に屋台村「ジャパン・タウン」が出現した。並んだのは、お好み焼きやたこ焼き、焼き鳥、ラーメン、ギョーザなどを売る約40店。」安いもので一皿2ドル、平均5ドルの日本食を目当てに、主催者の推定では5万人もの人々が集まった。

あまりの混雑に警察が出動、入揚を規制するほどだった。「ビザみたいで好き」と割りばしでお好み焼きを食べる女性(22)。ニュージャージー州から反達とやってきたという高校生、トム・ヘイドンさん(16)は焼き鳥が好物だとお好み焼き・ラーメン・焼き鳥いう。「日本のアニメも好き。日本に旅行するのが夢」と目を輝かせた。会場には東京・秋葉原で有名になったメイド喫茶も出店。来訪者の中にもメイド喫茶のウエートレス姿の女性や、日本のアニメキャラクターのコスプレ衣装を身に着けた若者が混じった。日本発のストリートファッション「ゴスロリ」の衣装でカレーパンをほお張る女性も。ウエートレス姿の少女(14)は「日本の女の子はかわいくてうらやましい」と話した。

ジャパン・タウンは現地の日系イベント会社が運営し、味の素、キッコーマンなど米国でも事業展開する日本企業や地元の和食レストランなどが出店。昨年、初めて試験的に開催し好評だったため、今年は9月までにあと2回、1日ずつ催す。7月中旬のジャパン・タウン運営に携わった竹永浩之さん(44)は「屋台の特性を生かし、移動型の『都市』として育てたい」と、今後も積極的に展開ずると話す。

日本の「ソフトパワー」とされるアニメやグルメ、ストリートファッションなどの債報はインターネットを通じて米国の若者らに時差なしで届く。日本への輿味は、より生活に密着した「日常」に向かっている。日本政府観光周(JNTO、東京)の2009年の調査によると、日本を訪れた米国人観光客が訪日前に期待したこと(複数回答)は「日本の食事」が歴史的建造物などを抜き、初めて首位に浮上。すしやてんぷらだけでなく、おにぎり、そば、焼き鳥など庶民的な味への関心が高まっていることも明らかになった。実際、マンハッタンでは最近、とんこつ味や鶏がらスープを売り物にしたラーメン専門店が続々と開店。日本のラーメンブームさながらに、本格的な味を求めて行列を作る米国人の姿が目立つ。

NYにある日本の総領事館に在留届を提出している日本入は09年10月時点で約5万6千人。この10年で約2千人減った。企業の駐在員らが減っているためだ。日本人の存在感が低下する半面、日本の食やファッションな一どに関心が高まる皮肉な構図が生まれている。

(ニューヨーク-河内真帆)

瞑想体験 #6 光の前で躊躇するということは

光の中に入ることに躊躇するということは・・・。

などと考えつつ家の中を歩いていたら、本棚にぶつかって、落ちてきた本が一冊。

流体感覚-吉福伸逸、対談集でした。ぱらばらと読み始めたら、冒頭の松岡正剛氏との対談「アルタード・ステイツと自己編集」で、アルタード・ステイツ(変成意識、同名タイトルの映画も創られた)を説明しているのだが、この「アルタード・ステイツ」を「瞑想の光の中に入る」と読み替えることもできるかななどと考えてしまった。

光の中に入る=自分を明け渡す瞬間

本書10頁より始まる箇所を以下に引用しますので、興味のある方はご検討下さい。

アルタード・ステイツと自己編集
変成意識と治癒力

吉福◎・・・今日は「アルタード・ステイツと自己編集」というテーマで松岡さんと話をするわけですが、ぼくがアルタード.ステイツという概念を出したときに、自己編集という概念を対置して出されたのはセイゴオさんです。

松岡◎・・・ぼくはアルタード・ステイツというのも好きなんですけどね。

吉福◎・・・ぼくたちはどうもそういう異常性が好きみたいですね(笑)。アルタード’ステイツというのは、日本語では「変性意識」というふうに訳されている概念なんですね。1960年代に出てきた言葉です。

松岡◎・・・最初は誰が言い出したんでしたっけ。チャールズ・タートだったかな。

吉福◎・・・タートが定義だけしたのが最初だと恩います。それまでは、西欧の心理学にしろ宗教にしろ神学のようなものしろ、アルタード・ステイツという概念にあてはまるような概念はあまりなかったという気がするんです。

松岡◎・・・ないかもしれないですね。正確には、やはり神がいる時代には変成意識にあたる言葉があったのかもしれないけれども、神なき時代になって以降はなくなったんでしょうね。

吉福◎・・・そうね。セイゴオさんがおっしゃるように、神という概念とのからみでは十分にそれに該当する概念がありえたと思うんです。探せばどこかにあるかもしれないけど、広くは使われていないと思いますよ。

で、この変性意識という言葉がいったい何を意味しているかというと、基本的には非常に単純なことなんです.いまわれわれは目を醒まして起きていて、白分の存在に気づき、自分をとり囲む外界の存在にも気づいている。ある種の境界線をもって世界と触れ合っている。こういう意識状態のことを、一応「ノーマル・ウェイキング・ステイツ」と言う。「正常な目覚めた状態」というふうに呼びます。これを目覚めた状態と呼んで、それ以外の状態はすべて変性意識だ、というのが基本的な変性意識の定義です。ということは、眠っている状態、夢見の状態、あるいは半睡半眠の状態、そのほかにもアルコールに酔っている状態、サイケデリックスを摂取した状態、極度に睡眠を剥脱した状態、さらには感覚の過剰刺激を受けている状態、感覚が剥脱されている状態のようなものも、すべて変性意識状態というふうに定義上はいわれていると思うんです。

松岡◎・・・そんなに広かった?

吉福◎・・・タートの基本的な定義では、まずそうやってテクニカルに定義しまして、その上で、さらに「状態特定性」という言葉をもち出してきて細かく分けていくんです。ぼくが今日、あえて取り上げたいと思っている変性意識状態というのは、そこまで広い概念ではなくて、一般に神秘体験であるとか、宗教体験であるとか、あるいはトランス(憑依)状態であるとかと呼ばれるような、ある種合理的な白己統制が外れてしまって、意識そのものがそれ字体のセルフ・オーガナイゼーション(白己組織化)をおこしていく状態についてなんです。

松岡◎・・・その途中の、差し掛かりというんですかね。

吉福◎・・・差し掛かりでもいいですが、そのあたりをぼくは重視しているんです。変性意識にもさまざまなものがあって、中には退行現象(リフレッション)と呼ばれる、幼児回帰していく状態もありますし、さらにはより成長して行くような状態もあります。しかし、変成意識状態はどんな状態であれきわめて治癒的ですから、ぼくはそれを区別する必要はないと思うんです。事実、各種のセラピーの現場などでは、変成意状態は非常に高い治癒力を持っていて、退行現象であれ幼児化であれ、あるいはどんなネガティブなものでも有機体には益になるようにはたらくことがあるんです。

松岡◎・・・ガタリにあったときに、彼はそういうネガティブというか、少し危ないアルタード・ステイツに関心を持っていると言っていましたね。「狂気」というものに積極的な意味を認める入たちは・アルタード・ステイツと狂気とは非常に近い関係にあるというふうに見るんだけれど、まあそのあたりは難しいところですね。

吉福◎・・・識別して、境界線を引いていくことは非常に難しいですね。で、さっきいったようにあらゆる変成意識状態は内容がどんなものであれきわめて治癒的な、ポテンシャリティを持っているという事実は見逃せないと思うんです。ただ、これまでの変成意識というもの対するアブローチの最大の間違いは、変性意識状態のおこる内容にこだわってしまう点にあるんですね。

松岡◎・・・そのヴィジョンとかにね。

吉福◎.,.そうです。ヴィジョンであるとか、その意識状態においておこるその入の特異な振る舞いとか、あるいは社会との適応力の激減状態とかね。そういったことにこだわってしまって、多くの人がその内容に驚異を感じる。例えば、一種の憑依状態なんかがおこって、目の前でトラに憑依した人が吠えて暴れ始めますと、やはり危険を感じるわけですよ。そういうかたちで、どうしてもその内容に目が引き寄せられていく。そのために、これは危ないって発想しやすいんですけど、変性意識状態の大切なポイントは、内容ではなくてその状態になることにある。そのことが当人にとって非常に必要なことであって、どんな内容であれその内容をすべて当人がきちんと体験しきることができれば、さっき言ったように強力な治癒のカになり得るんです。

そのあたりが、これまでの伝統的な心理学や宗教の、変性意識に対するアプローチの欠落点ですね。60年代以降になって初めて、重要なのは内容ではなくてそのプロセスなんだと考えて、しつかりとその変性意識状態を歩みきることの意味合いというようなものが知られるようになったわけです。

自分を明け渡す瞬間

松岡◎・・・アルタード・ステイツ』という映画が出てきて、ジョン・C・リリーが例のアイソレーション・タンクの中に入った体験という話が出てくる。あれも一種の憑依現象がおこる映画だったけれど、あれでずいぶん言葉は一般化しましたね。

吉福◎・・・いまセイゴオさんがおっしゃったように、あの映画はジョン・C・リリーを一つのモデルにしてつくられたものです。リリーという人は、フローテーション・タンクとか、サマディ・タンクとか、アイソレーション・タンクと呼ばれる、感覚を徹底的に遮断して、浮力の強いマグネシウム液に浮かんで無重力状態になる、隔離タンクを発明した人ですね。その隔離タンクの中にサイケデリックスの一種であるLSDを飲んで入るためにつくられたんです。あれはその中でおこった退行現象の一つですね。それを逆にたどつて映画にしたのが、あの『アルタード・ステイツ』という映画です。あれもアルタード・ステイツの典型的な現象の1つでしょうね。でも、あの映画でこの言葉は有名になったんだけれど、異様なものだというイメージも拡がってしまった。

松岡◎・・・ぼくはアルタード.ステイツというのは、さっき「差し掛かる」と言ったけれども、ポゼッションになったり、完全なトランス状態ももちろん含まれるんでしょうが、どうもその直前の状態がアルタード.ステイツだというふうにみていたんだけれども、実際にはそこまですべて含むんだね。

吉福◎:・全部含みますね。その変性意識状態に完全に入ってしまうと、白分を手離す、つまり明け渡す瞬間がやってくる。おこってくるプロセスに自分を完全に明け渡す瞬間というのは、非常にドラマチックな瞬間なんですね。で、多くの人が本格的な治癒をおこすことができない理由は、そこに差し掛かったときにたじろいでしまうからなんです。理性によるコントロールを外すことに対する抵抗感から、たじろいで、後退りする。後退りしますと、治癒や成長につながることがおこりにくくなってしまうんですよ。

松岡◎・.・例えば、とくにいまの人たちはそういうところに入るのを恐がるというか、たじろぎますね。そのためにどうしているかというと、映画とか小説とかゲームとか、つまり遊びですね、そういうものの助けを借りる。本来アルタード,ステイツというものは自分の意識と身体の中でおこさなけれぱいけないことなんだけれども、ある意味ではコミュニケーションとか、それから娯楽とか、そういった中で擬似的にアルタード.ステイツを体験するという文化が、いま非常に蔓延しているわけですね。別にそれが悪いことだとぱ思わないけれども。

しかし実際に、映画を見ると泣けるとか、ゲームをやると夢中になって白分が乗り出してやってしまうとかという体験は、時間がきっちりと限られているわけです。スイッチが入ってさあ始まりました、スイッチを切れば終わりですという安全装置がはたらいている。いわば擬似アルタード.ステイツという文化的保護装置化されていると思うのね。シンちゃんが言っているのは、それでは本当の治癒にはならないということですね。実際に一人でそういうところに立ち向かわなければ意味がない。

吉福◎・・・全くそうだと思うんです。セイゴオさんが言ったように、視覚とかを使った文化メディアというものは、疑似アルタード・ステイツをつくるものですね。

松岡◎・・・これから、ますます流行ってくるね。

吉福◎・・・流行ってきますね。ぼく自身も、そういう文化を否定しているわけではないし、ある意味で非常にいい面もあるとも思うんですね。なぜかというと、それまでアルタード・ステイツに入って実感していた世界を、ビジュアルに再現して見せることができるようになる。さらに、それを視覚だけにとどめず、聴覚、嗅覚、触覚など、五感全体にわたって、アルタード・ステイツで多くの入が体験してきた共通の要素を取り出してきて、意識的に対象化してみることができると思うからです。それは使い方次第では非常におもしろいものですけど、セイゴオさんがおっしゃったように、白分を安全な場所に置いたところでやれるという、ただの真似事だけに終わってしまう可能性もあるわけです。

あなたは死なない―「魂の科学」が人生を変える/イアン・カリー

暑い日が続いていますが、ご自愛下さい。

あなたは死なない―「魂の科学」が人生を変えるを読みました。とてもおもしろかったです。

著者はカナダトロント大学社会学部教授、「死」に関する講座を持ち、医学・老年医学・神学・心理学の同僚教授たちとともに、運営した。本書は、豊富な実例とともに、ゴースト臨死体験体外離脱、あの世、輪廻転生、退行催眠、カルマなどについて語る。

はったりなどのない、誠実な説明は非常に好感がもてました。

この手の本で、注意するのは、読んでて怖いか怖くないかです。なにせ、就寝前の読書が習慣なものですから、怖いのは困ります。睡眠は小さな死という話もあるので、この本を読むと、寝るのが楽しみになりましたね。語り口も平易でやさしいから、神経を静めるにはもってこいです。

ということで、この本の中で本来はあの世にいくはずの死者がなぜこの世に留まっているのかについての部分(96ページから97ページ)を紹介しましょう。

未完成の仕事

ゴーストを地上にとどまらせてしまう、多くの種類の「未完成の仕事」がある。ここにあげるタイブのゴーストは、スピリット(霊)が、「アースバウンド(地上にとどまっているスピリット)」となってしまうだいたいの状況を明らかにするだろう。

第一番目の事例は、本章の前半に出てきた、せっかくお金をかけて内装を手入れしたのに、ゴーストのために住めなくなった家の事例である。ニューヨーク州ロックランド郡のダントン・ウォーカー氏の家にいたゴーストである。彼は、ポーランド系の移民だった。アメリカ独立戦争のときには、アメリカ兵として従軍した。彼は、秘密の軍事計画文書を運んでいる途中に、英国軍に捕らえられ、残忍な拷問にかけられた。その結果、精神に異常をきたし、数年後に死んでいた。そして、いまだに「捕虜となる前にかくした機密文書を守りぬくことだった。彼は、そのことにいまだにとらわれていたのだった。パーク・アベニューに開業している精神科医のL医師は、トランス・サイキックであるアイリーン・ギャレットの協力を得て、この「存在」と対談し、救っている。

そして、その日から、幽霊現象はやんだ。

次の「未完成の仕事」が原因の幽霊現象の事例ぱ、先の事例に比べるとドラマチックなものではない。

退役した「現実的な性格の」英国海軍将官の家族に起こったできごとである。彼の二人の息子たちが、彼に次のようにうったえはじめた。夜、息子たちが部屋で寝ているときに.「何者か」が部屋にいるというのである。二人の息子は、音を聞いていた。そして、朝には、寝る前に脱いだ靴が、移動されているごとに気づいていた。母親も、その足音が聞こえていたことを認めた。それに、ある日その元将官がスコッチウイスキーのソーダ割りを飲んでいると、ひとりでにそのグラスが移動して、床に落ちて割れた。二、三日後には、今度は、その元将官が使っていた水差しが、同じようにして割れた。彼は、何かおかしなカが働いていることを認めざるをえなかった。トランス・サイキックの助けを借りることを助言され、トランス・サイキックのアイリーン・ギャレットがこの事例を扱うことになった。そして、この家の母親の死んだ弟が起こしていた現象だったと判明した。彼は、二年前に精神病で死んでいた。彼は、その病気のときに、遺言書を作成していた。その中で彼は、最愛の妻には何も残さないで、白分の家屋を遠縁の従兄弟にゆずるとしていたのだった。死後、彼は自分のしたことを悔やみ、どうにかその状況をただそうとして、必死だったのだ。それで、姉の家族の注目を引くために、音を立てたり、物品を移動させたりしていたのだ。彼のこういった試みは成功した。そして、この幽霊現象もやんだのである。

ここまでの事例から、以下のごとが明らかとなった。つまり、どのようなことであれ、故人がやり残していると感じている気がかりな「未完成の仕事」があれば、それが故人を地上に(肉体がなくなっているのに)とどまらせてしまうということだ。単に、その故入が重要だと思い込んでいるものでありさえすればよい。

ユーザー車検/軽自動車 2.では行ってみよう

まず、準備ですが、軽自動車検査協会の持込検査の手続きのサイトをチェックすれば充分です。念のため、私の注意した箇所について下にまとめておきます。

車の点検箇所

私個人の場合は以下の点に注意しました。

  • オイル漏れのチェック:エンジンまわり、下回りからのオイル漏れ、ブレーキ廻りからのオイル漏れ(オイル漏れについては、にじみ程度の場合はコイン洗車場のスチームで車検前に洗っていけば大丈夫)
  • ライトまわり、ワイパー、ホーンは正常に動作するか (ワイパーを交換)
  • タイヤのサイズ残り溝(溝が心配だったので、少し早かったのですが、スノータイヤに履き替えました)
  • マフラーは破れていないか
  • フロントガラスに亀裂や損傷はないか
  • 発煙筒はあるか(発煙筒の期限が切れていたので購入)
  • オイル交換など(ブレーキオイルが不足気味だったので追加しておきました。

必要書類は

(1)納税証明書(2)車検証(3)印鑑(4)点検書(前回の車検時に作成された分解整備記録簿を持参しましたが、なければ作成、用紙は協会にあるもしくはpdf)。一応、軽自動車検査協会の該当サイトでもチェックして、疑問があれば電話で問い合わせしてみること。

事前に電話予約

該当する地方事務所・支所にて電話予約。私の場合は宮城主観事務所。インターネットからも可能でしたが、電話で直接予約しました。担当者にいろいろなことが聞けました。一日に4ラウンドの検査がありますが、万が一検査に合格しない場合は、同じ日ならば他のラウンドでも再挑戦ができるため、最初のラウンドを予約した方がよいというアドバイスをいただけました。

検査時にかかる費用

自動車検査手数料 1,400円 重量税 8,800円 自賠責保険料(2年分) 18,980円

以上ですが、該当サイトをチェックを念入りにしてください。疑問があれば、該当の地方事務所・支店などに電話で質問してください。

最後に私のユーザー車検時の写真アルバムを作成したのでお楽しみ下さい。携帯のカメラで撮影したのでクオリティは低いですが、ご勘弁。クリックするとアルバムモードになりますので、すべての写真を俯瞰することなどもできるようになります。

最後に一言

この投稿記事のとおりに検査にいって不合格の場合でも責任はもちませんので、悪しからず。

あくまでも事故責任でがんばってください。皆さまのご検討をお祈りします。

追伸

万が一検査に不合格の場合でも、当日ならば再チャレンジができるのをお忘れなく。前もって、車検場近くの整備工場の場所を調べておくとよいでしょう。