GPSロガーとMy tracks ライフログに力強いツール

エバーノートとエバフード (evernote food)でライフログに挑戦していますが、GPSロガーなるものがあることに気づきました。amazonを見ていたら、目に留まったのです。では、スマートフォンで似たようなアプリがあるのではと調べたところ、無料で使い出があるGoogleのMy Tracksを見つけました。バッテリーのもちが5時間程度ということで、はて、アンドロイド携帯でトラックするのがいいのかGPSロガーでログをとるのがいいのか考えてしまいますが、なによりも手元にあるアンドロイドで使ってみることにしました。なかなか使えそうなので、若干興奮しています。

GPSで位置情報を取得しているので、My Tracksを起動する前にGPSをオンにして、目的地についたら、My Tracksと一緒にオフにするという細かい作業をしていましたが、これが面倒なようなら、専用のGPSロガーを検討することになるのかな。とはいえ、ログをGoogle マップ、ドキュメント、Fusion tablesなどに簡単に共有できてしまうのは、Android アプリならではなのだろうなぁ。

Evernote、FacebookやTwitterとも簡単に共有できてしまいます。こんなに、進化してしまってよいのだろうかと思ってしまいますよね。業務用自動車に搭載されているというタコメーターにとって変わるのも時間の問題ですし、カービデオレコーダーと併用すれば、ドライバーの力強い味方になることも考えられます(逆もあるかも)。

まずは、百聞は一見にしかず、というところで、ビデオを見てください。

共有ですが、とりあえずはGoogle ドキュメントだけにしました。Google Mapと共有すると、公開か限定公開(urlを知っているとアクセスできる)のため、プライバシーに問題が生じる可能性は否定できません。スピード違反や一時停止、一方通行違反などで逮捕される可能性がないとはいえないわけですから、ここは注意しなければなりませんね。ユーチューブに動画を公開したドライバーが、実際に画像分析で、スピード違反で検挙されたことがあります。本来なら、素のkmlファイルを紹介して、実際にグーグルアースやグーグルマップで開いてもらいたいところなのですが、プライバシー上、とてもやばそうなので自粛しております。

 

ポックリ名人。 帯津 良一(おびつ りょういち)

ポックリ名人読みました。目にやさしい大きな活字の本文組で、さらに読みやすくなったと、帯に書いてあります。巻末には、付録として書置きノートがついています。中身は、まあ、当たり前のことが書かれております。しかし、その背景にある意思とか思想といったものは同感しました。ということで、あとがき部分を紹介します。

あとがき  死は何も特別なことではない

本書では、「命の旅は永遠に続く」という私の死生観をベースに、死後の世界にエネルギッシュに突入していった(またはいくであろう)入たちを、敬意をこめて「ポックリ名人」と称して紹介しました。

「命を軽んずるものではないか」というそしりを受けるかもしれませんが、それはまったく私の意図することではなく、死を考えることは今ある生をしっかり生きるために必要不可欠なものなのです。

昨今、世界的不況のあおりを受けて、日本経済も不況にあえいでいます。これは景気が好調なときに死にしっかり思いを馳せなかったがために、そのつけがまわってきているように思えてならないのです。

死を忌み嫌う社会は異常です。死をしっかりと視野の中に入れてこそ、はじめて健全な社会といえると思います。

「死」というゴールがはっきりしない限り、生きている今の時間を大切に充実させる養生ができないのです。

永遠の命を生きるとは、未来を予感しながら、今を輝いて生きるということにほかならないのです。

死後の世界については、生きている私たちには誰もわかりません。あるとかないとか、信じる信じないと大上段に振りかぶることもないのです。ただ、目の前の養生の先に、壮大な一大パノラマがあると思うと、なんとなく楽しいではありませんか。

日々を大切に、命を精一杯輝かせて生き、そうしていざ死に時が来たらそれを間違えることなくポックリ逝き、死んだら虚空をまっしぐらに目指しましょう。

これを読んでくださっているみなさんとも、いつの日にか虚空にてお会いできる日を楽しみにしています。

二〇〇九年

帯津良一

 

誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀

誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀」を読んで、腑に落ちたところが何か所もありました。3.11以降、日本のマスコミの酷さに気が付くことができ、おかげさまといってはなんですが、この本のかなりの部分に共感をおぼえることができたのです。

日本人ならほとんどが好きじゃない「小沢一郎」ですが、それが当たり前になった背景をこの本は明らかにしてくれます。アマゾンへのリンクを辿ってもらえば、読者レビューが、マスコミよりは遥かに正確に、この本について語っていて、頼もしくさえも感じることができるのではと思います。

以下に、私が個人的に記録にしておきたい箇所を何点かご紹介します。まずは、小沢抹殺の起源は1993年であると指摘している出だしから・・・。

一九九三年という”直近の起源”

小沢一郎氏の政治生命を抹殺しようとする動き、それは一見するときわめて些細な出来事として起きていた。しかし私は自分の目で確かに見たのだ。それは一九九三年、小沢氏らが自民党を離党して新生党を結成し、非自民運立政権が成立した、日本の政党政治の大変動とも称すべき出来事と、ほぼ時を同じくしていた。・・・そのとき、我々の目の前で、日本の政治の根本を決定づけ、政治の現実を形作る重要ななにかが、あらゆる人々の予想を超えて変わってしまったのだった。・・・数年を経て事態が沈静化したとき、人々は、日本ほふたたび一九九三年以前の状態に戻ったと考えるようになった。連立政権がいくつもあらわれては短命に終わったことで、結局、日本の政治はなにひとつ変わらなかったのだ、と人々は失望を味わった。ところが、日常のなかではっきりした変化を指摘することはできなかったとしても、確かに日本は変わったのである。p14-p15

そして、この本のテーマである「人物破壊」についての説明箇所

「入物破壊」とはなにか

さて冒頭から「人物破壊(character assasination)」という表現をたびたび使ってきたが、これは具体的にはなにを意味しているのだろうか? 実は、ヨーロッパ諸国やアメリカではよく使われる表現である。読者はすでにおわかりだろうが、標的とする人物を実際に殺さないまでも、その世間での評判や人物像を破壊しようとする行為を指す。

これは相手がライバルだから、自分にとって厄介な人物だから、あるいは単に敵だからという理由で、狙いを定めた人物の世評を貶める、不快で野蛮なやり方である。人殺しは凶悪犯罪であるが、人物像の破壊もまた、標的とされる人物が命を落とすことはなくとも、その人間を世間から永久に抹殺するという点では人殺しと変わらぬ、いわば殺人の代用方式である。p26

小沢氏の政治生命を抹殺するために用いられたのは日本の伝統的な手法、すなわちスキャンダルであった。スキャンダルを成功させるには、検察と新聞の協力が不可欠である。そこで検察は法務省の記者クラブに所属するジャーナワストたちに、だれに狙いを定めているか告げ、逮捕や証拠品の押収時に注意するよううながし、彼らが欲しがる多くの情報をリークしてやる。そしてリークされた情報にもとづいて記者は記事を書き、それが新聞の一面にどかどかと掲載されることになるのだ。

日本のスキャンダルの特徴は、世間一般には許されてはいても、それがやり過ぎ、もしくは行き過ぎと見なされた場合に、抑える役目を果たす点だ。そのようなスキャンダルの餌食になるのは決まって、日本の政治・経済の現体制を撥るがしかねない人物である。p28

・・・小沢氏の政治生命を破壊しようとするこのキャンペーンは、一九九三年以降、再燃するたびにその舌鋒を強めてきた。そしてそれがひとつの頂点に達したのが、彼が首相になるかと思われたときだった.二〇〇九年の初め、その年の後半に行われる選挙で民主党が自民党を破ることになり、そうなれば当時、民主党の代表であった小沢氏は自動的に、日本の公式の政治システムの頂点に立つだろう、というのが大方の予測だった。ところが小沢氏は党の結束を維持するため、そしてキャンペーンの被害が民主党におよぶことのないよう、代表の座を辞した。ところが2009年の秋に民主党が政権の座に就くと、またしてもこのキャンペーンは新たな高まりを見せた。今度は検察が思いがけない新たな手段に訴え、それによって小沢氏の資金管理団体の政治資金をめぐる間題で、証拠がないために不起訴となっていた件に関して、ふたたび捜査を行うことを決定した。そして再度、不起訴になったにもかかわらず、またもや捜査が行われるのである。p34

このような「人物破壊」を可能ならしめるもの政治システムは、その起源を徳川幕府とそのクーデターである明治維新までさかのぼるという。そして、重要な人物として山県を挙げる。彼は、政党による政策決定の影響を一切受け付けないよう、「天皇」を利用するなど画策して官僚機構を隔離したのだ。

山県が講じた措置によって、官僚はその後も日本の政治システムを支配するもっとも重要な勢力でいることができた。もちろんそこになんら公式の規則という裏づけがあるわけではない。第二次世界大戦後の日本では、法律上は、日本国民を代表する選挙された者が、国家を統治する権力を与えられることになっている。そして憲法によれば主権は国民にあるとされている。ここまで議論を進めたところで、我々は日本政治の重要な一面を知ることになる。つまり日本の政治システムの大部分は、「法的枠組みを超え」ているということだ。日本には当然、あらゆるものごとを規定する法律があり、犯罪に対処する作用において、他諸国とまったく大差はない。ところが日本の揚合、経済や政治上の取り引き、関係性など、現実のなかで実際に利用されるやり方が、法律によって決められているわけではないのである。それを決定するのは慣習である。さらには現状維持をほかる勢力である。

ちなみに個人やグループにみずからの行いを恥じ入らせる「辱め」は、日本の当局が秩序を維持するために用いる手口のひとつだ。体制を揺るがしかねない人間を、辱め、世間の見せしめにすることで、超法規的な秩序を逸脱すれば、このような仕打ちが待っているとあらゆる人々に警告するのだ。その陣頭指揮をとるのはもちろん、日本の検察である。 p54

その日本の検察の特殊性については以下のように記載している。

検察、この大いなる守護者

完壁にして、純粋、無謬であること、検察はそのすべてを兼ねそなえていなければならない。人間は過ちをおかすものだ、などという考え方は、検察の伝統とは相容れないのである。裁判に負ければ、検察側は辱めを受けたかのように感じる。そこで彼らは断固たる姿勢をもって上訴し、決してあきらめることなく、あらゆる手を尽くして闘おうとする。この特異な役割は、日本の歴史的産物だということを忘れてはならない。ほかの民主国家の検察の役割は法の番人であるが、日本の検察が守らているのは法律などではない。彼らが守ろうとするのはあくまで政治システムである。しかも、半ば宗教信仰を思わせるような熱意をもってその任務に取り組んでいるのである。 本来、検察は、同じように伝統を誇るほかの官僚にも増して、「天皇の忠臣」の手本のような存在であった。しかもそのような役割に付随する権力が与えられていた。検察がこのような権力を掌握したのは一九二〇年代にさかのぼる。司法制度全体を支配するにいたった検察の下で、日本の裁判官はまるで付属物、検察の使用人のようなあつかいを受けるようになった。一九三〇年代になると、検察は、軍国主義者たちがみずからの右翼的政策を正当化するために利用した、「国体思想」というイデオロギーを支持した。政策を阻もうとしていると見なされれば、政治家を含めてだれもが検察による苛烈なあつかいを受けた。 p71

続いて、山県に続いた人物として平沼騏一郎を紹介し、戦後の政治家と検察の維持関係について語る。

・・・戦後、平沼のやり方に倣ったのが馬場義続[元検事総長、1902-1977]である。彼は自民党のリーダーのひとりだった河野一郎[1898-1965]に恩を着せ、彼を操ることで政治的な影響力を増した。

先に述べたように、自民党の政治家たちはもちろん裏で取り引きをしていた。自民党が長い間存続できた理由のひとつは、同党が従来の日本の政治システムの維持に寄与してきたことである。つまり彼らは検察と特別な関係を取り結んでいたということだ。自民党の「保守的な姿勢」の恩恵を受ける検察は、有力政治家たちが政治資金や選挙などでたとえ重大な法律違反をしても、ことさらに騒ぎ立てはしなかった。こうして真に重大な犯罪行為でないかぎり、政治家たちが不正を働いても、検察は通常はそれを見咎めることはなかった。たとえ大きな不正行為に手を染めたのであったとしても、官僚出身であれば、そうした政治家が司法関係者に邪魔立てされる心配はまずなかったと言っていい。一方、いわば草の根出身の政治家の楊合は、さほど運がいいわけではないが、それでも守られた状態にあったと言える。p72-73

しかし。天才的ともいえる政治家、田中角栄は、その過大な実力ゆえ、葬られることになる。

そして、民主党政権とアメリカとの関係も興味深い考察が開陳されている。

ところが、二〇〇九年九月に民主党が政権を握ると、軽い衝撃がアメリカ政府内を走った。アメリカ人記者のなかには、これまでアジアのなかで自分たちが懸念するとしたら、つねに中国だと相場が決まっていたが、これからは日本のことも心配しなければならななったようだ、とアメリカ政府の役人が語ったと報じた者もいた。そうした反応はすべて鳩山首相が、日本は、これからはより対等な立場でアメリカとかかわることをめざすと述べ、沖縄のアメリカ海兵隊基地の移設案をすぐに受け入れようとしなかったために生じたのだった。

鳩山氏、そして小沢氏が当初から望んでいたのは、アメリカ大統領を含む政府幹部たちとひざと膝を突き合わせて、世界の変化について、台頭する中国について、ほかの東アジア地域内の問題について、さらには新たに生じた問題に対処するための新しい方法について議論することであった。

たとえいかに批判的に見たとしても、それは実にもっともな要望である。

そして鳩山氏はそうした要望にもとづいて、オバマ大統領に面会を求めた。私が数え上げただけでも、彼は少なくとも三度、要請した。さて、アメリカに次いで重要な地位を占める先進国の新しい首相が、世界最大の先進国の、これまた就任して日が浅い大統領と語り合いたいと望むことほど、道理にかなったふるまいが一体ほかにあるだろうか? これまで何十年間というもの、互いこそがもっとも重要な同盟国だと考えてきた両国が話し合いをすることになんの不思議があるというのだろうか?

しかし鳩山氏の努力はなんの成果も得られなかった。アメリカは彼にきわめて無礼な態度で応じたのである。彼はバラク・オバマと広範な問題について話し合うチャンスを与えられはしなかった。一度など、鳩山氏の求めに対して、アメリカ政府の報道官は、もし日本の首相が連立内閣内で国内間題を解決するつもりであるのなら、アメリカの大統領を利用すべきではないとすら発言している。鳩山氏はまたコペンハーゲンで開催された環境会議の際にひらかれた晩餐会で、ヒラリー・クリントンと話す機会があった。会場の外で待ち構えていた日本のメディアは、もちろん友好的で前向きな話ができたというコメントを期待していたことだろう。ところがアメリカに戻るや、ヒラリー・クリントンは日本大使

を自分のオフィスに呼びつけ、鳩山氏がウソをついたと非難したのだった。さらにオバマのアドバイザーを務めるアメリカの高官がどこかで出くわしても、日本の首相に10分以上時間を割いてやる必要はないと大統領に伝えたという発言までもが伝わっている。

たとえ相手がどんな岡であったとしても、二国関係のなかでアメリカのようなふるまいは決して許されるものではない。このような侮辱を受ければ、自国の大使を召還させることすらあるだろう。友人であるはずの日本に対して、アメリカがこのような態度をとるなど、信じがたいとしか言いようがない。

これまで私を除けば、日本の政治や日米関係について詳細に検証し、それについて執筆し続けてきた非アメリカ人作家はオーストラリア出身のギャバン・マコーマックただひとりだ。この一件が起きた後、彼は、たとえ相手が敵国であったとしても、アメリカが他国に対してこれほどまでに無礼で、侮辱的なふるまいを見せたことは、いまだかつて一度もなかったと言っていた。

こうしたいきさつを日本の新聞はあまり報道しないか、たとえ報じたとしても、大抵は、日本の首相のやり方がまずいから、アメリカ政府にそのようなあつかいを受けたのだ、という諭調で書かれているのだ。つまり外交手腕に欠けるため、鳩山首相には、新しい状況に適切に対応することができなかった、と結論づけられてしまうのである。しかしそうした論調は、明らかに重要な事実を見落としている。それは相手国の主権を認めようとしない国との間に、外交など成立し得ないということだ。それこそが日米関係という間題の核心でもある。

そもそもアジア情勢の変化についてオバマ大統領と真剣に話し合いたいという鳩山氏の求めをすげなく拒絶する以前から、アメリカが日本の主権を認めていない事実は、アメリカ政府高官の発言の端々にあらわれていた。本書でも述べたように、民主党が政権を獲得することになった選挙前の時点で、東京を訪れたヒラリー・クリントンは選挙でどの政党が勝利し、政権党になろうと、アメリカは従来のやり方を変えるつもりはないと言明していた。これは日本がその三分の二もの致用を負担する、沖縄にあるアメリカ軍基地を指しての発言であった。つまり、ヒラリー・クリントンは、これから日本の新しい政権の座に就こうと、待機していた政治家たちに向かって、あくまでボスはアメリカであると警告し

たのだ。民庄党政権が発足すると、今度はゲーツ国防長官が訪日し、またしても自分たちこそがボスであるごとを無礼な態度で示した。そのとき彼は、外交儀礼である日本の自衛隊による栄誉礼を拒絶したばかりか、歓迎食事会にも出席しなかった。

愛国心のある目本の記者なら、あるいはこのようなふるまいに激怒していたのかもしれないが、それは報道にあらわれてはいなかった。逆に、日本のメディアは憤慨するどころか、アメリカの態度こそ日本の新しい政権が安定していない証拠だと説いたのであった。

そのような論調が、数十年にわたるアメリカ政府周辺の専門家やシンクタンクなどの古い人脈を持つ、自民党政治家の解釈であることは疑いない。官僚や元官僚、そして夏の選挙で民主党に敗北した自民党の政治家たちは、長年にわたって交流のあったアメリカ政府周辺の関係者たちに、鳩山政権をまともにあつかわないよう忠告していたのであった。彼らにとっては選挙に圧勝して新政権が誕生したことも、そしてその新しい政府が国民のぞむようなやり方で、日本の政治を変えようとしていることも、なんの意味もないらしい。民主党政権が日本の政治という舞台でつかの間上演される、おそまつな幕間劇でもあるかのようにに見なす諭調が日本側にあるからこそ、いまアメリ政府内で日本を担当するペンタゴン出身者たちが日本にやってくると、保護者を任じる同盟国アメリカに対する新政権の態度はなっていない、と声を荒らげることになるのだ。だからこそ日本の運営を任せるべきではないのに政権を強引に奪い取った無能な集団であるかのように、新政権はあつかわれたのである。コロンビア大学のジェラルド・カーティスといった日本学の権威とされる人々までもが、最初の民主党内閣を中傷するような発言をして、かえって日本の政治になにが起きているかをまるで理解していないことを、みずからさらけ出すことになったのであった。

日本のメディアの記者たちは、自分の国がどんなあつかいを受けているか気づかなかったのだろうか? 民主党がアメリカに対等な立場を求めたことは、日本の主権が認められていない事実を指摘したものであったにもかかわらず、アメリカがそれを完全に無視したという構図が、彼らには見えなかったのであろうか? メディアはもちろんアメリカのふるまいが無礼であることはわかっていた。恐らく紙面の編集者たちは、日本は本当に主権国家なのだろうかと、漠然と疑問に感じているのではないだろうか。日米関係について語る際、日本は純粋な意味では独立していないと多くの人々が認め、またそのことがよく話題にもなる。また対中関係でもこのことが間題となっていることは、やはり多くの人々がうすうす感じている。

しかし目下のところ、日本ではこうした新しい事態に対するはっきりした見解が打ち出されるにはいたっていない。新聞はそれをどう理解していいかわからないので、これまでと同じような反応を示すにとどまっている。そうした出来事が、馴染みある報道パターンに当てはまらないので、どうあつかえばいいのかわからないのだ。p165

なかなか日本のマスコミを通じてはわからない日米関係の描写ゆえ長い引用になってしましたが、いかがだったでしょう。外国人ならではの観点は、確かにあると思います。

 

官邸前反原発デモ 日本経済新聞デビューか。

本日、官邸前反原発デモが日本経済新聞に掲載されました。社会面ではなく、「日曜日に考える」というコーナーというのが、日本経済新聞ですね。内容を下記にご紹介。

日曜に考える

中外時評

官邸前デモが映すもの

「合唱」の高揚と危うさと

論説副委員長 大島三緒

「参加者のみなさーん。足元に水たまりがあります。気をつけてください」 「まだたくさんの人が続いています。スムーズな行動をお願いしまーす」

国会議事堂の前庭から首相官邸周辺にあふれる入波に、ずいぷん丁寧な呼びかけが響く。主催者側の誘導かと思ったら、ハンドマイクを握っているのは制服の警察官だった。

毎週金曜日の夜、官邸前を中心に永田町から霞が関一帯を埋める、原発再稼働反対デモの一場面である。市民団体がこの春から始めた行動が徐々に膨れ上がり、最近では警視庁調べでも、2万入規模に達している。

ただし、デモといっても行進もせず「再稼働ハンタイ」とひたすら唱えるだけだ。会社帰りに見物がてら来た入もいれば、ベビーカーを押す若い夫婦もいる。ツイッターやフェイスブッ、クで情報を知った人たちがどこからか集まり、午後8時を期してわらわらと散っていく。

こういう具合だから警察も従来のデモと違ってコワモテで臨むむわけにいかず、花火大会の警備のようになるわけだ。往年のデモなら荒れる隊列の学生などを片っ端からゴボウ抜きして検挙し、騒然となった。

3・11後の時代に突如あらわれた、どこか祝祭のようなこの現象はいったい何か。そして、どこへ向かうのか。

特徴的なのは、労働組合などの組織的動員による参加者が少ないことだ。むしろ、まったくの個入でやって来る若者も多いから、昔ながらのデモのスタイルはとりようもない。

もちろん運動の中心には、プロに近い活動家がいる。かつて闘士だった団塊の世代が、こういう機会を待ってましたとばかり駆けつけてもいるだろう。

とはいえ、それだけでは数万入規模にはとても広がらない。

行動に対する評価は別にしても、たくさんの普通の入々が自発的に参加しているという事実は直視しておくべきだ。

思えば、時代を画する出来事である。戦後日本の大衆運動は1970年代に学生運動が過激化するにつれて下火になった。社会の総中流化とも相まって、デモや集会は普通の人々とは無縁の存在になっていたのだ。

ちょうど40年前の「あさま山荘事件」が、その大きな節目になったのではないか-。今年2月のこのコラムではそんな見立てを述べたのだが、どうやら世の中の流れはすごし、変わろうとしているらしい。

背景に「アラブの春」や米国の反格差デモを後押ししたソーシャルメディアの力があるのは明らかだ。ツイッターやフェイ一スブックが大規模な街頭行動を支え、日本人は「あさま山荘」のトラウマを超えようとしているのかもしれない。

もっとも、これだけの市民が「官邸前」に向かうのはテーマが消費税でも年金でもなく原発問題だからこそ、だろう。

3・11から1年余を経ても、原子力災害というものがもたらした極限的に罪深い光景は一向に人々の視界から消えない。そもそも、ようやぐ出そろった国会や政府の事故調査委員会報告も事故の根本的な原因は解明されていないのだ。

一方で、電力不足の懸念から原発の再稼働は進んでいく。野田佳彦首相は大飯の再稼働にあたり「原発なしでは日本社会は立ち行かない」と語った。しかしあの堂々たる宣言ぷりに、かえって違和感を抱いた人も世間には多かったに違いない。

膨らむ街頭行動に対して、脱原発を唱えるばかりで無責任だという批判が出るのは当然である。しかしまた、へんに冷笑的になったり不平を胸にため込んこんだりするより、オープンに声をしたほうが社会のあり方としては健全だともいえる。

問題はこの先だ。運動がたんに人々の欲求不満をはらすカタルシスにとどまるのか、新しい社会像を示す提案などに展開するのか、あるいは政治の側がなにか対応を見いだせるのか。原発をめぐる二項対立が深まるばかりでは不幸である。

「もはや主役はいない。いるのは合唱隊(コーロ)のみである」。哲学者オルテガは「大衆の反逆」で、社会という舞台の背景にいた群衆が前面に進み出てくる様子をこう言いあらわした(神吉敬三訳)。それは可能性も危険性も秘めているというのがオルテガの分析だ。

3・11が生んだコーロの合唱はどんな歌を歌っているか。好悪を超えて、やはり耳を澄まさなければならない。

オルテガ「大衆の反逆」は、アマゾンでは次のように紹介している。

1930年刊行の大衆社会論の嚆矢。20世紀は、「何世紀にもわたる不断の発展の末に現われたものでありながら、一つの出発点、一つの夜明け、一つの発端、一つの揺籃期であるかのように見える時代」、過去の模範や規範から断絶した時代。こうして、「生の増大」と「時代の高さ」のなかから『大衆』が誕生する。諸権利を主張するばかりで、自らにたのむところ少なく、しかも凡庸たることの権利までも要求する大衆。オルテガはこの『大衆』に『真の貴族』を対置する。「生・理性」の哲学によってみちびかれた、予言と警世の書。

つまり、論説副委員長 大島三緒は、オルテガになぞらえ、目線が高いところからの文章、言い換えれば、デモを見下した文章を書いているわけである。中身は、まったくもって何もない、あえて言えば、目線の高さこそが、この文章のすべてである。稚拙な内容なので、何も言う気にもならないのだが、論説副委員長 大島三緒氏の目線の高さを示す言葉の端はしを列挙してみよう。

ただし、デモといっても行進もせず「再稼働ハンタイ」とひたすら唱えるだけだ。・・・午後8時を期してわらわらと散っていく。 /・・・花火大会の警備のよう・・・/・・・膨らむ街頭行動に対して、脱原発を唱えるばかりで無責任だという批判が出るのは当然・・・/3・11が生んだコーロの合唱はどんな歌を歌っているか。好悪を超えて、やはり耳を澄まさなければならない。

そもそも、官邸前反原発デモをまったくもって理解しようとしていない。まったくもって暗愚な『真の貴族』がいたもんだ。

因みに、日本経済新聞のこの記事のちょうど裏側には同じ「日曜に考える」と題して、「核燃料サイクルは必要か」という記事が丸々一ページ使われている。必要なのは「核燃料は必要か」という記事なのだが、そうではなく、核燃料は必要であることを前提として御用学者の対論仕立てとなっている。いつものことではありますが、開いた口がふさがりません。

日本経済新聞 鳩山元首相参加で首相官邸前反原発デモ デビュー?

7月20日の首相官邸前反原発デモは、鳩山元首相が参加するというサプライズがあった。日本経済新聞の翌日にどのような記事になるのかと精査したが、見つからない。で、デジタル版で検索してみると、見つけました。

鳩山元首相、原発再稼働反対デモに参加

2012/7/20 21:18

鳩山由紀夫元首相は20日夕、首相官邸前で原子力発電所の再稼働に反対する市民団体らのデモに参加した。首相経験者が市民デモに加わるのは異例。ハンドマイクを手に「首相経験者として皆さんの声を官邸に伝え、政治の流れを変えたい」と訴えた。

この後、官邸を訪れ、藤村修官房長官に野田佳彦首相がデモ参加者と面会するよう求めた。首相は視察先の福岡県柳川市内で記者団に「官房長官から話を聞いていないので、コメントできない。様々な声を聞いていきたい」と述べた。鳩山氏に対し、民主党の城島光力国会対策委員長は記者団に「首相を務めた方が参加するのはいかがなものか」と苦言を呈した。鳩山氏は自らに近い議員からも「行くべきではない」といさめられたが、押し切ったという。

 

ついでに、「首相官邸前 デモ」で検索してみると、

鳩山元首相、原発再稼働反対デモに参加

(2012/7/20 21:18)日本経済新聞 電子版321文字

鳩山由紀夫元首相は20日夕、首相官邸前で原子力発電所の再稼働に反対する市民団体らのデモに参加した。首相経験者が市民デモに加わるのは異例。ハ……続き

官邸前の「脱原発」行動に学ぶ ネット時代の集客法

(2012/7/19 7:00)日本経済新聞 電子版2855文字

6月中旬から起こった「脱原発」を訴える首相官邸前の抗議行動では、「ツイッター」「フェイスブック」などによる呼びかけが多くの参加者を集めたと……続き

やっつけ仕事の「国民的議論」は残念だ

(2012/7/15 3:30)日本経済新聞 朝刊933文字

これからのエネルギーと環境の基本政策を話し合う政府主催の「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」の初会合が14日、さいたま市で開かれ……続き

電力改革は止められない(上)ネット駆使、独占・技術の「壁」破る

(2012/7/3 7:00)日本経済新聞 電子版4095文字

関西電力大飯原子力発電所(福井県おおい町)3、4号機の再稼働が6月16日に正式決定し、27日に集中開催された電力各社の株主総会では「脱原発……続き

[FT]原発再稼働と再生エネに傾く日本(社説)

(2012/6/22 14:00)日本経済新聞 電子版1371文字

(2012年6月22日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

先進国の中でも日本ほど、国内エネルギー需要を満たす上で難題を抱える国はない。化……続き

首相官邸前で300人が大飯再稼働反対デモ

(2012/6/16 12:01)日本経済新聞 電子版322文字

大飯原発の再稼働に反対する市民団体らによるデモが16日午前、首相官邸前で開かれた。集まった約300人の参加者が再稼働を決めた政府、地元自治……続き

検索結果 6 件中 1 – 6 件目

以上の6件が検索に引っかかってきた。内容は有料になるので読めなかったのだが、一番目と最後の記事がどうやら、反原発デモが対象の記事のようだ。一番目が、ブログの最初に引用している。ということなので、デジタルパンでは2012/6/16が日本経済新聞に首相官邸前反原発デモが登場したということになるのかな。首都版とか、夕刊とかにはどうなんだろう掲載しているのだろうか。ま、とりあえずいえることは、仙台で読む日本経済新聞では、まだ首相官邸前反原発でもは掲載されたことがないということだ。

鳩山元首相のデモ参加でも、官邸前反原発デモが記事にならない日本経済新聞(デジタル版除く)。いつ、どのように掲載されるのか、ますます楽しみになってきました。