キャタピラー、見てきました。予想以上によかったですね。
映画を見たあとにヤフー映画を読んだのですが、映画レポート「キャタピラー」単なる反戦映画を超えた哀しくも酷い性愛のスペクタクルは全く間違っていますね。宣伝用キャッチコピーとしては使いたくなるけど、嘘はいけないよね。
映画館のチラシの裏面に書かれた感想のなかでは、おすぎと周防正行氏が素直だったかな。
おすぎ:若松監督の訴えたいことが心の底からわかる映画です。身体の自由が思うようにならない夫と介護する妻のふたりの切なさ、ツラさを思い涙が止まりませんでした。全国民必見の一本です。
周防正行:単なる反戦映画ではない。戦争がもたらす悲惨を通じて、深く人間を洞察しようとする映画だ。若松孝二監督の並々ならぬ思いを真っ向受け手立つ寺島しのぶの強さと美しさに圧倒された。
前の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』でも感じたのだが、若松孝二監督のまなざしは優しい。「キャタピラー」も酷な作り方もできたのだろうが、していない。
たとえばセックスシーン。女優が寺島しのぶ、相手が胴体と頭だけ。いかようにもできるシーンなのだが、普通の夫婦の性描写をし続けている。夫婦の日常の性生活ほど見ておもしろくないものはないだろうと思うのだが、それが続く。だからおもしろくはない。しかし夫婦の臨場感は増す。
他の登場人物も、素直にまじめに撮っている。結果的に戦争の醜さがあぶり出されてくる。これが映画でしょう。
惜しむらくは、エンタテメイント性に若干欠けていたかなとは思うのだが、ここはよく考えてもらいたい。つまり、戦争映画のほとんどがエンタテイメントを前に押し出したものだということだ。それは反戦映画ではなく、むしろ好戦映画。そこを勘違いしちゃ、いけませんぜ。