園子温監督の映画「ヒミズ」観ました。良かったですね。最後もまっとうでひと安心しました。映画は最後がまっとうでいて欲しいといつも思っています。前作恋の罪はもう一歩というぎりぎりの線でエンタテイメントにいってしまいましたが、今回の「ヒミズ」はエンタティメントには行かず、踏みこらえてくれました。マンガの「ヒミズ」は、全くしりませんが、3.11の残映がこの映画をまっとうなものにしたと思っています。その意味で、石巻ロケは必要なものだったと思います。
熱血教師の「世界で一つだけの花」の激励に対して、住田が「ボート屋をなめんなよ、普通が最高」(記憶力が悪いので「」内の台詞の間違いはご容赦!)というのは、同感です。「普通」というのは最高の状態なんですよね。世の中、「普通」になりたい人間ばかりです。でも、どうしてもなれないのが「普通」です。とはいえ、今回の「ヒミズ」の偉いところは、熱血教師を批判はしていないところです。その存在を許している、ある意味必要かというところまで認めている。これは、懐の深い映画であるということだと思います。
今回も、詩を詠む場面がなんどかありました。前作も「言葉なんか知らなければよかった」(「」内はゴメン、不正確でしょう?)という詩を詠む場面がありましたが、この詩の朗読の後にセックスしちゃうので、エンタティメントだなあなんて思ってしまいましたが、今回はそんな場面がなくてよかったと思いましたね、ほんとに。
映画の中で、登場人物が包丁で見ず知らずの人を刺すシーンがふんだんにありましたが、これは現在の日本では普通にあることなんですねぇ。驚くべき事ではあります。
というのは、私が1997年に役所広司主演のCUREを映画館で観たときに、ラストシーンで、普通のウェイトレスが包丁をもって人を刺しに行く場面があったのですが、なんとも不思議な映画だなぁと思ったことがあります。印象にのこっているのですが、その場面の唐突さに、何考えてんだかと失望したのですが、それは私の間違いで、映画CUREは現代を予言していたんですね、今から考えれば。
そういった現代での、映画「ヒミズ」のラストシーン。二人は走ります。
「普通」を目指して