人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった

人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった(グラハム・ハンコック、エハン デスヴィ著)を読みました。おもしろかったです。

グラハム・ハンコックといえば、超古代文明関連の著作で名を馳せましたが、変成意識を扱うことでさらに厚みのある超古代文明解析を手がけ始めています。

“実際に超古代文明をもたらしたのは誰か?”というところが、おおきな謎になっていて、これが神であったり、宇宙人であったりするわけですが、ここのところに、人間の変成意識を付け加えたところがミソになっています。実際に説得力が増したり、またDNAの謎や、スピリチュアル/心理学/宗教などが絡みやすくなってきたような気もします。個人的には、非常に面白いと思いました。

ということで、変成意識を付け加えた部分を紹介したいと思います。

先だって、捕捉を少々・・・、

人類が、解剖学的に完全な、現代人の脳と同じになったのは50~20万年前だが、人間らしいふるまいを始めるのは4万年前からであると考えられます、というのはそのころから芸術と解される洞窟美術などが発見されているからです。そして、それには人間の変成意識が大きく関与しているのです・・・、

では、これに関したハンコックの説明を紹介します。

(p290~p296)・・・考古学的な記録でそれを見るなら、本当に並はずれた変化です。なぜなら、とつぜん、たんなる砕いた石のかけらではなく、傑出した、驚くような芸術が発生したからです。現代の偉大な作品やルネッサンス期の画家たちさえも、恥じ入らせるほどの芸術。言葉にならないような方法で、心に触れる信じられないほど啓発的な芸術です。
いくつか例に出しましょう。フランスのペシュメルル洞窟のものは、約2万4000年前に描かれた洞窟絵画の典型です。洞窟白体を芸術品として利用しているのが特徴的です。この地下の迷宮には、上から伸びる鍾乳石と下から伸びた石筍(せきじゅん)によってできた柱の森があります。鍾乳石と石筍で埋め尽くされた天然のギャラリーを通り抜けると、壁に芸術作品の暗示的な断片が現れます。素晴らしい作品です。壁には、2頭の奇妙な馬が、いっぱいの点で美しく描かれています。点は馬の体を超えて広がっています。馬の頭は非常に小さく、リアリズムを超越していますが、信じられないほど力強く見えます。この絵は奇妙な手形で囲まれています。そのーつは指が6本あります。
他の洞窟でもそうですが、興味深い生きものの絵は、超自然的なものとしか形容できません。日常の現実世界では見たことがないし、私たちの祖先も会ってはいないはずです。これらの生きものは半分が動物、半分が入間という組み合わせのセリアンスロウプ(獣入)です。これらセリアンスロウプは、世界中どこでも見られる、初期の岩絵と洞窟絵の普遍的なテーマです。^
イタリアのフマーネ洞窟にある岩絵が、3万5000年前のもっとも古いものです。それ以前に描かれたものもこれから発見されるでしょうが、今のところはまだありません。そこでは、5つの奇妙な動物の姿のなかに、はっきりと動物と入間の組み合わせがあります。仮面をかぶっている男性の姿ではありません。入間と動物が完全に変形していて、雄牛の角があります。
ショーベ(Chanver)洞窟の奥深く、岩が突き出たところには、天井からぶらさがる並々ならぬ絵画があります。3万3000年前のものです。男性の足と臀部をもちながら、背中にはバイソンのようなコブがあります。頭は完全にバイソンに変わっていて、大きな角をもっています。さらに巨大な女性の体に見えるものに、何かまたがっている絵もあります。下腹部の陰部が見えますが、この女性には頭がない。非常に奇妙なものですが、右腕はライオンの頭に変形しています。3万3000年前のショーベ洞窟の壁に、バイソン男とライオン女がいるのです。この芸術家たちは、単調な日常生活で、こんな不思議な生ぎものは見ていないのは明らかです。
いったい彼らはどこからこんな不思議なアイディアを得たのでしょうか? 彼らは、自分たちが経験した、ある「遭遇」を絵にして記録したのです。彼らにとって途方もなく重要なものでした。なぜなら、先史時代のある瞬間に、私たちの祖先はこうした驚くべき絵画を作り始め、また現代人らしい振る舞いが登場したからです。そして、明らかに来世についての強い信念をもっていて、宗教らしきものもありました。ンンボルを扱う並はずれた手際は、私たちが近代人の活動として認めている経済活動と結びつきます。彼らは、動物が特定の時間にどこにいるのか知っていたので、綿密に計画した狩猟戦略がありました。
彼らの行動はまさしく私たちと同じです。私たちと変わらぬ入間です。手がかりは、洞窟の壁に記録された「遭遇」、先祖が残した、最古の記録にあるように思われます。彼らは超自然的な存在と接触していて、その存在が彼らを入間らしく変えたということです。これこそが、私が、探していた答えでした。
洞窟絵画にはあるパターンのデザイン的特徴が普遍的に見られます。ジグザグの線や波線。内側が入れ子になるような、ほとんどボートの形のような曲線。点や格子の模様や幾何学的な形は、洞窟の壁全体にわたって描かれています。南アフリカの岩窟住居全体にそれはありますし、同じものがオーストラリアでも見られます。ですから、岩絵や洞窟美術に広く見られる特性を包括的に説明でぎる理論はあるのか、知りたくなりました。
(P305~p309)・・・それは南アフリカのウィットウォータースランドの大学のデヴィッド・ルイス・ウィリアムズ教授が最初に提案しました。・・・非常に単純な理論で、アフリカ南部の岩窟住居で私たちが見るもの、世界中で見られる洞窟の壁にある美術は「幻覚の芸術」だということです。それは変性意識状態の芸術です。これらの芸術家たちは、描く対象の生きものを見たとき、現代社会が評価するような正常な意識下ではありませんでした。彼らは意識を変える方法を発見したのです。最初はおそらく、自然環境のなかで幻覚作用のある植物に偶然出くわしたのでしょう。ヨーロッパでは、リバティ・キャップ(学名シロサイブ・セミランセアタ)と呼ぼれている小さなきのこであったことは、ほぼ確実です。
ウィリアムズ教授の研究は、現代科学の神経心理学的研究がもたらした成果とともに、洞窟美術に関する新証拠ももたらしました。メスカリン、LSD、DMTといった幻覚剤を被験者に与えた神経心理学の実験の結果、わかってきたことです。これらの物質を与えると、幻覚が見え始めます。その幻覚を描くよう頼むと、現代の被験者が描くものと、古代の洞窟の壁に記録されたものの間には、不思議で不気味な類似性があることがわかります。それは本当に簡単なことです。古代の人々が幻覚を見たとぎ、変性意識状態にありました。変性意識状態から正常な意識に戻ったあとも自分が見たものを覚えていて、彼らは、洞窟の壁にそれを描いたのです。
洞窟を選んだ理由のーつは、おそらく洞窟の、曲がりくねった、暗い迷路のような地下の環境が、彼らが経験したことを思い出させたからです。もちろん、何が起こっていたのか教えてくれるのは、現代の欧米の実験室の被験者だけではありません。世界中に残存している狩猟採集民文化があります。ここでは、伝統的な宗教はシャーマニズムです。
世界中のシャーマンの特性を定義するものは、変性意識状態の開拓です。幻覚を通じて得られる重要な情報は、部族の健康や安全、繁栄をたしかにするために使われています。
それがシャーマンの仕事です。世界中のシャーマンとの対話を通してわかりました。私たちの先祖が3万5000年前に洞窟の壁に描いたまさに同じ種類の生ぎものを、彼らシャーマンたちも見ているのだということは、決定的証拠となりました。
精神科医は、幻覚症状と呼ぼれるこれらの経験を、ただたんに「脳のくず」、あるいは「でたらめしだと言いたがるかもしれません。けれど、実際、現代の精神科医は意識が何であるかさえ理解していません。だから彼らは幻覚症状について、判断を下す立場にありません。人間の経験に関する非常に面白い現象に対して、結論を出すべきではありません。
シャーマンが言うことを理解しようとすべぎです。それに彼らは意識を変えるためのある種の技術に関しては達人なのです。彼らは自分の脳のなかで秘密の扉を開いて、自分たちの意識を別の世界に映しだしているということです。それが「異次元」です。そこには、私たちに強い関心とかかわり合いをもつ、「知的な存在」が生息しています。そしてシャーマンは、私たちが入間として人生を全うするつもりたら、それらの生きものを相手にしなけれぼならないと感じています。そして、はっきりしているのは、それが「洞窟内で起こっていたことでもある」ということです。
・・・(科学では意識を)完全には説明できませんし、謎です。問題は、意識の枠組みまたはパラダイムは実際に何であるかということ、そして、何の証拠もないときに欧米の科学者が使用する意識のモデルは、材料を不正につかまされているものだということです。おそらく、幻覚症状の正体について完全に誤った解釈を作るためでしょう。
欧米の脳モデル、現代の精神医学の脳モデルでは、脳が意識を生み出すものとされています。すべての意識は、私たちの頭のなかにあるゼリーの塊(脳)による働ぎなのだと。学者たちはそれ以外の可能性を考えていません。むしろシャーマンたちの行動から考えれぽ、意識は、脳に依存していません。脳は、むしろ意識の乗り物としての器具です。
精神科医や医師が幻覚剤を使って実験をしたことがあります。幻覚剤によって何を見たかという証拠からは、意識は脳が生み出すものだという見方はあてはまりません。(~p310)
ということで、変成意識との遭遇が人類を飛躍的に発展させるものとなったことを述べてから、ハンコックは人間が変成意識状態で出会う「知的生命体」について語り始めます。それはある時は妖精、またある時はUFOにのった宇宙人だったりするわけです。これらは同じものだが、その時代の背景や文脈で妖精だったり、宇宙人だったりすると説明します。
ハンコックはアマゾン流域に行き、アヤワスカ体験で以上を確信しますが、実際に変成意識は薬物以外でもさまざまな方法によって体験することができます。体外離脱で有名なモンロー研究所は「ヘミシンク」ですし、ヨガは瞑想とか、まあここからはきりがなくなりますね。
また、このような変成意識を除外した現代文明やキリスト教など対する批判も語りますが、これはまた面白かったです。いいかえれば、意識そのものはそれぞれリアリティなのだが、覚醒した意識のみをリアリティだとしその他を幻覚と見なす現代文明こそが間違っていて、弊害を招いていると述べているわけです。
この本は対談で、さらっと読むことができ、非常にわかりやすかったですね。

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