相撲八百長:警察は職務上知り得た情報をリークできるのか?

現在の我が国のトップニュースは、相撲の八百長です。国会もエジプト情勢も遙か彼方。海老蔵の次は八百長にマスコミが占拠されています。

今回の相撲八百長事件は、警察が職務上知り得た情報をリークしたことから始まった。携帯電話というきわめてプライベートな個人所有のものを解読して、内容を勝手にリークしていいわけがない。

警察庁の安藤隆春長官は3日の定例記者会見で、大相撲の八百長疑惑に関して、捜査情報の一部を文部科学省に提供したことについて、「日本相撲協会の事業に関する公益性が高い事項と判断した」と述べた。

同庁は、暴力団関連企業を公共事業から排除するため国土交通省に情報提供したり、国際テロ関連の情報を外務省などと交換したりしている。
(2011年2月3日13時15分  読売新聞)

“情報提供は、国の行政機関が一体となって業務遂行することを義務付けた国家行政組織法2条などに基づいて行われた”とのことであれば、警察庁は情報を文部省に提供して、文部省が社会的に公表すべきだと判断して発表するのが筋だろう。

にも関わらず、警察が情報源となって時期、タイミングなどを勘案して(野球賭博がらみの情報はすでに相当前からあったはずで、発表時期を待っていたと考えるべきだろう)恣意的にリーク(情報操作)しているのはきわめて不自然だ。

そもそも、八百長と情報リークのどちらが問題だといえば、犯罪にもならないといわれている八百長よりも、憲法違反までいきかねない情報リークこそが問題だろう。

日本経済新聞はどうなってしまうのだろうか?

今日の日本経済新聞の一面は「小沢元代表を強制起訴」。その左側に政治部長宮本明彦氏の「一時代が過ぎ去った」という社説のような、解説記事のような不思議な記事を置いている。読んでみるとますますわからなくなる。いったい何をいいたいのか、不明瞭な記事だ。

まずは、その記事を読んでもらいたい。

一時代が過ぎ去った 国民、権力闘争に嫌気
政治部長 宮本明彦
2011/2/1 2:09

時代が、小沢一郎元代表の前を過ぎ去った感がある。過去20年余り、元代表は浮沈を繰り返しながらも、政局の中心にいた。政治家が小粒になる中で、大きな決断ができそうな風圧をもっていたのも事実だ。念願の政権交代も実現した。ここでまた、権力ゲームに興じてみても、もはや国の衰退を加速させるだけの「コップの中の嵐」でしかない。

一般有権者からなる検察審査会の制度的な問題は、小沢元代表のみならず、一部の識者からも指摘されている。ただ、起訴事実を含め、元代表をめぐる政治資金の流れは極めて複雑で、誰の目にも異様に映る。

昨年10月、検察審の起訴議決を受けた後の元代表の行動も、尋常ではない。手兵を集めて連日のように会合を重ね、忠誠心を測る。「徹底的にクリーンな党に」を理由にダブル辞任を迫った鳩山由紀夫前首相とも、いつの間にか手を握り、現政権批判で歩調を合わせた。

民主党執行部がなすすべもなく、検察審の強制起訴を待ちわびていたのをいいことに、堀をめぐらし、塀を高くして、裁判の長期化を見越した要塞を築いていたかのようだ。時折、要塞の中から出撃しては、自らの言い分を一方的に発信したのも、焦燥感の表れだろう。

確かに菅直人政権が早晩、行き詰まるとみる向きは多い。その時、首相が総辞職を選ぶにせよ、勝算のない衆院解散に打って出ようとするにせよ、要塞さえ構えておけば反撃もできる。

政治家として生存本能が強いのは、政界では美徳かもしれない。が、これが本当に「国民の生活が第一。」の結果をもたらすのかどうかは甚だ疑問だ。

子ども手当や高速道路無料化に代表される民主党のマニフェスト(政権公約)を実現するには、どれだけ財源確保に無理があるか、すでに明白になっている。菅首相でさえ、にわか仕立てとはいえ「税と社会保障の一体改革」を唱え始めた。

2009年の衆院選で圧勝した後、元代表が目指したのは翌年の参院選で過半数を取り、衆参両院の多数を握る完全与党をつくることだった。元代表の周辺には「その時、小沢さんは自分一人で泥をかぶり、君子豹変(ひょうへん)して財政健全化を断行するつもりだった」と解説する人もいる。

話半分としても、いまのマニフェスト墨守の主張は、政略のための方便とみられても仕方ないだろう。これまで歯牙にもかけなかった与野党の政治家に正面から切り込まれたような現状は、元代表のプライドが許さないかもしれない。それも、これまで何人もの先輩政治家が、元代表に対して抱いてきた感情と同じである。

暗たんたる経済、財政状況の中で、昔ながらの内なる権力闘争はもういい加減にしてほしい、というのが世間の偽らざる心情だ。

小沢元代表が敬愛する西郷隆盛は、いうまでもなく明治維新の立役者の一人だが、西南戦争に敗れ、あたかも古い武士社会に殉じるように自刃した。最期の言葉は「もう、ここらでよか」だった。

記事には「権力闘争」という言葉が使われているが、これは民主党内部の「内ゲバ」というべきであろう。真の「権力闘争」は民主党が政権をとってから、ずーと続いていてまだ決着がついていない。

検察、マスコミ大手は保守勢力を守るために小沢民主党に過剰と思われるぐらいに抵抗してきた。小沢も傷んだが、検察、マスコミ大手も傷んでいる。そして「権力闘争」はまだ続いている。政権が交代するというのは、大変なことなのだ。

政治部長 宮本明彦氏が、その「権力闘争」を見据えて記事を書くことはできないのだろうか?重箱の角をつつくような「コップの中の嵐」の記事はもうたくさんなのだが・・・。「内ゲバ」をいくら書いても本質的なものには到達しない。

「一般有権者からなる検察審査会の制度的な問題」について日本経済新聞をはじめとして、マスコミは多くを語らない。したがって、ほとんどの国民はその問題をしらない。逆に、重箱の角をつつくような「小沢氏の事情」には精通している。このようにマスコミは国民を誘導してきたのだ。

例えば、宮本明彦氏は「起訴事実を含め、元代表をめぐる政治資金の流れは極めて複雑で、誰の目にも異様に映る。」と述べている。しかし、ここは正確にのべるならば「政治家をめぐる政治資金の流れはきわめて複雑になっている。」とすべきであろう。「起訴事実を含め、元代表をめぐる」とか「異様に映る」というような姑息な修辞を弄して根本的な制度的な欠陥を小沢氏個人の責に収束させてはいけないと思う。しかし、マスコミはこういうことをいつもやってしまっている。

「昨年10月、検察審の起訴議決を受けた後の元代表の行動も、尋常ではない」とのことだが、この記事こそが「尋常ではない」。座して死を待つ指導者がどこにいるのだろうか聞いてみたいところだ。

「民主党執行部がなすすべもなく、検察審の強制起訴を待ちわびていたのをいいことに」も噴飯もの。これは小沢氏の内ゲバ相手の民主党執行部をさげてしまっているのだ。小沢氏の逆で、なにもしないで、座して死をまってしまっていたわけですね、民主党執行部は。

「時折、要塞の中から出撃しては、自らの言い分を一方的に発信した」というのは小沢氏がニコニコ動画に出演したことを言っているのだろうが、こういう言葉使いにインターネットメディアに対して凋落していく新聞メディアの「焦燥感の表れ」がつい出てしまうんですね。

ま、記事の揚げ足をとってばかりいてもしようがないが、つまり、この記事は小沢氏を陥れようとしているのだが、逆に讃える記事になってしまっているのだ。

「暗たんたる経済、財政状況の中で、昔ながらの内なる権力闘争はもういい加減にしてほしい、というのが世間の偽らざる心情だ。」というのは、そのまま日本経済新聞に言いたいところです。

そして最後の落ちというか決めせりふというのが、

「小沢元代表が敬愛する西郷隆盛は、いうまでもなく明治維新の立役者の一人だが、西南戦争に敗れ、あたかも古い武士社会に殉じるように自刃した。最期の言葉は「もう、ここらでよか」だった。」となるのだろうが、どうにも決まっていない。どんな頭でこのような決まらない記事を書けるのだろうか。しかも、一面に。

政治部長 宮本明彦氏はあまり文章が得意ではないということならば、日本経済新聞一面の一番下にある「春秋」。これを毎日読んで勉強しなくちゃね。

辻原 登「韃靼の馬」終了しました。

日本経済新聞連載の辻原 登「韃靼の馬」が連載終了しました。小説はほとんど読みませんが、日本経済新聞連載の連載小説はほとんど読んでいます。

そして、いままでの連載小説の中でも、この辻原 登「韃靼の馬」は、よかったですね。毎日、朝刊が楽しみでした。それが本日終了しました。

作家の辻原 登氏をはじめとして、関係者の方々、ありがとうございました。

そして、長い間おつかれさまでした。

新聞・テレビは大丈夫なのか?

まずは次の記事をご紹介

東京地検特捜部が自白を誘導 小沢氏の元秘書が録音

2011/01/15 02:02   【共同通信】

収支報告書虚偽記入事件で小沢一郎民主党元代表に対する東京第5検察審査会の1回目の議決を受け、東京地検特捜部が昨年5月、政治資金規正法違反罪で起訴した元秘書の衆院議員石川知裕被告(37)を任意で再聴取した際「(逮捕段階と)違う供述をすると審査会の印象が悪くなり、小沢さんも不利になる」と自白を迫っていたことが14日、関係者への取材で分かった。

石川被告は聴取内容すべてを持参したICレコーダーでひそかに録音。起訴内容を否認し、自身の供述調書の信用性を争うため、年明けの公判前整理手続きで東京地裁に書面化したやりとりを証拠申請した。

担当検事が「それじゃ上が納得しないんだよ」などと誘導的な取り調べをしていた実態が記録されている。

この記事を1/15にインターネットでみかけたので、テレビ各社と日本経済新聞をずーとチェックしていたのだが、なんとどこでも見つけることはできなかった。「日本経済新聞、小沢、元秘書、録音」で検索してみると、日本経済新聞の記事を見つけることはできたのだが、私に配達された日本経済新聞のどこにもそのような記事はなかった。東京版の夕刊の記事だったのかなとはおもったのだが、確認はしていない。

伊達雅人のランドセルは記事になっても、自白誘導は記事にはならない。なんとも面妖なメディアの所作ではあるまいか。逆に、当たり前のことなのだろうか。

チェニジア政変が示唆するもの

チェニジア政変が示唆するものは大きいと思う。

まずは日本経済新聞の社説から”何がチェニジア政変を導いた”をご紹介。

何がチュニジア政変を導いた
2011/1/18付

アラブ諸国の中では政治情勢が比較的安定しているとみられた北アフリカのチュニジアで政変が起き、1987年から続いてきたベンアリ政権があっけなく崩壊した。経済成長の一方で民主化の遅れはアラブ諸国に共通している。今回の政変の背景にある構造的な問題を再認識し、他の国々の政治情勢の変化にも注意深く目を向ける必要がある。

90年に1600ドル程度だったチュニジアの1人あたり国内総生産(GDP)は、昨年4100ドル強まで増えたと国際通貨基金(IMF)は推計している。欧州連合(EU)などとの自由貿易の枠組みも進み、直接投資の流入も増えた。チュニジアは経済政策の面で“優等生”とみなされた国の一つだった。
一方で先週末に国外に亡命したベンアリ前大統領は、国内メディアを統制して事実上の終身大統領制を復活させ、取り巻きによる汚職も指摘されていた。独裁大統領の下でテクノクラートが経済改革を進め、成長軌道に乗せているが、所得水準の上昇につれ民主化要求が噴き出しやすい状況にもなりつつあった。
最も深刻な問題は、人口が急増する中での若年層の高率の失業だ。大学を出ても職が容易に見つからない不満に、最近の食料価格急騰への怒りが重なり、政変につながった。
米国の追加金融緩和政策も一因となっている国際商品相場の高騰が、発展途上国の政治・社会情勢に大きな影響を及ぼし始めていることも、見逃せないポイントであろう。
チュニジアでは、フェースブックなど新しい情報伝達手段を用いて多くの国民が治安警察の動きなどの情報を共有し、反政府デモが一気に広がったという。
情報通信革命を追い風に独裁政権を倒し民主化への道を開く――。この国を象徴する花になぞらえ「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた政変は、同様な問題を抱える他の国々の政権への重要な警告になる。
新たに発足する政権は、混乱長期化や過激派の台頭を防ぎつつ民主化を着実に進めるべきだ。他のアラブ諸国でも反政府デモが広がる兆しがあり、情勢流動化への警戒も必要だが、広範な政治改革の契機になるならジャスミン革命の意味は大きい。

上の社説に沿って箇条書きに重要と思われるものを拾ってみよう

1.国内メディア統制が、意味をなくし始めた

2.若年層の高率の失業

3.食料価格急騰

4.フェースブックなど新しい情報伝達手段を用いて多くの国民が治安警察の動きなどの情報を共有し、反政府デモが一気に広がった。

上の4点は、しかし、どこの国家でも同様の現象でもあるので、チェニジア政変に続く政変が出て来ることは十分に予想される。

日本に上記の4点を当てはめてみると、1は確かにそうでしょう。2もそうなのだが、少子化によって若年層の総体人口がチェニジアに比べると弱そうだ。食料価格急騰は、円急騰に相殺されて、切実な問題とはなっていない。4は1と関連があるが、情報伝達手段は電話からはじまって順当に進化しているわけで、チェニジアが経験した急激なものにはほどとおい状況と思われる。

そうはいっても、実際に民主党が政権を自民党からもぎ取ったわけだから、激動の世界の一端は担っていると言えるかもしれない。

日本に関係のある国家でいうと、中国、北朝鮮などに上記4点を当てはめてみると・・・、何らかの激変が生ずるのは時間の問題だなあと思うのだが、どうだろうか。