瀬戸内寂聴・横尾忠則(画)「奇縁まんだら」(日本経済新聞社、毎週日曜に連載中)を楽しみに読んでいますが、数週間前に岡本太郎の奥さん岡本敏子の小説「奇跡」について、エロ小説だったのでびっくりしたとの感想が述べられていました。
早速、読みはじめたのですが、途中で挫折。理由は、単純に言えば、おもしろくなかったからでしょう。全然ページがすすまない。では、なぜおもしろくなかったのか・・・。
ふと本棚にあった書籍に目がとまり、ぱらばらとページをめくったら腑に落ちる箇所をみつけました。おそらく、理由はそれでしょう。官能小説の奥義 (集英社新書)の最終章の第五章「官能小説の書き方十箇条」の第一条(p196)。
第一条官能小説は性欲をかきたてるだけのものではない
誤解されているようだが、官能小説は性欲をかきたて、読者にオナニーさせるためだけにあるのではない。そういう要素も当然あるが、もっと深い、入間が持っている淫心を鼓舞するのが目的である。
性欲はオナニーで消えてしまうが、淫心は人間が根源的に抱えているものであり、オナニーでは消えない。性欲の奥に流れているものである。
単なる勃起が目的ならば、アダルトピデオを見ればよい。官能小説は、文章によって読者の感性を刺激するものであり、イマジネーソヨンを喚起させる力がなければならない。人はそれぞれ感性が違うから、同じ小説を読んでも、読者によって喚起されるイマジネーションは異なる。そごが官能小説の画白いところである。
性体験が豊富なら誰でも書ける、と思われがちだが、そんな生易しいものではない。
私のところへ、いろんな原稿が送られてくるが、初心者の書いたものは、自慢話や自己満足が多い。読者のことをまったく考えていないのだ。
性描写もふくめ、全編自慢話や自己満足だらけなので、途中で「勝手にしてちょうだい」という風になってしまうんだな。
岡本太郎ファンだったらおもしろいところもあるのでしょうが、もともとあまり関心のなかった人で、この小説を読んだら、ますます関心がなくなってしまいましたね。
- 官能小説は性欲をかきたてるだけのものではない
- 好きな作家を見つけよ
- まず短編を書いてみる
- 官能シーンを早く出せ
- 自分がしたくてもできないことを書く
- 三人以上の人物を登場させよ
- 恥ずかしいと思うな
- オノマトペをうまく使う
- 性の優しさ、哀しさ、切なさをしっておく
- 書いている途中でオナニーするな
なかなか、おもしろそうな条項が並ぶが、本書の最後を飾る、第十条から結びの言葉まで紹介してみよう。
第十条書いている途中でオナニーするな
白分で書いていることに興奮して勃起してしまうことがある.プロの作家でもあるそうだ。自分が勃起しないような小説で、読者を勃起させることはできないのだ。
しかし、そごでオナニーしてはいけない。パワーが落ちて、書き進める気がなくなってしまう。引きずられないよう、抑える精神力が必要で珍る。自爆してしまっては淫心をふくらませることができないのだ。
女性が書く場合も同じである。自分が濡れるような作品を書かなければ、読者を満足させることはでぎないが、執筆中のオナニーは厳禁。これは非常に大切なことである。
以上の十か条を実行できれぱ、あなたは官能小説作家になれる。スポーツ選手が、練習を繰り返すことで強くなっていくように、文章も練習の積み重ねで上手になっていく。誰もがイチローや松井秀喜になれるわけではないが、猛練習によって、甲子園に出場するくらいは可能である。諦めないで、持続ずる力を持とう。
最後はなぜか勇気づけられたな。