民主党代表選挙、小沢一郎か菅直人かGOOGLEで予想

いよいよ民主党選挙。今の時点で小沢一郎、菅直人の一騎打ちの結果はまだ見えていない。というのが、日本のマスコミの予想だ。

オバマの選挙結果を実は予想していたと言われる、あのグーグルトレンドとグーグルインサイトで小沢一郎と菅直人を調べてみた。

民主党選挙前にGOOGLE TRENDにて小沢一郎と菅直人を調べた。

テレビ、新聞等のマスコミでは接戦/伯仲が喧伝されているのだが、GOOGLE TREND/GOOGLE INSIGHT FOR SEARCH ではかなりの差がある。果たしてマスコミは公平中立な報道をしているのだろうか?

興味深いのはグラフ下段のニュース参照数と上段の検索数の指数のトレンドが乖離していることだ。

GOOGLE INSIGHTにて小沢一郎と菅直人を調査

アマゾンレビュー、ページに追加しました。

アマゾンの読書レビューに倉中達彦名義で22点ほどのレビューを書いているのですが、このブログのページに追加しましたので、暇でしたら是非読んでください。

いま、アマゾンレビューを読み直してみると、一番印象に残った書籍は右脳と左脳―脳センサーでさぐる意識下の世界 (小学館ライブラリー)ですかね。

この書籍については、このブログでも何回か取り上げているのですが、実は、この本を読み終えて、一番先に思い出したのは、ライアル・ワトソンの未知の贈りもの (ちくま文庫)です。この本の最初に、インドネシアの孤島「ヌス・タリアン」での、意思をもつイカの群れとの不思議な遭遇体験があるのですが、実にファンタジックな描写と考察が語られているのです。

海洋イカの複雑な目には、虹彩、焦点調節可能なレンズ、それに、われわれと同程度に色やパターソ認識ができる敏感な細胞を十分にもつ網膜などが備わっている。イカは、他の動物と同じように、あるいはそれ以上の視力をもっている.少なくとも、かれらの目はそれだけの能力をもつ。それ自体、無気味なことだが、さらに、これほどの情報量をいったいどうするのだろうという点が気にかかる。

軟体勤物の神経系は、わずか三組の神経節という、束になった神経から成る小さなものにすぎない。一組は口のまわりに位置して、食べるごとしか関係がないようである。もうひとつは、食道直下にあって、ひれ、外套膜、触手、色素細胞などの動きを司る。そして、三つ目は消化管の上に納っている。イカの場合は、この三番目の敏感な神経細胞組織がいくらか分化していて、学習や連想にかかわる複雑な行戴パターンと関係のあるいろいろな機能を司るものだと考えられている。それは結局、脳なのだが、かなり単純で基礎的な脳にすぎない。信じられないほど復雑な眼球は莫大な情報量を提供してくれる。それを処理する脳はあまりにも原始的である。高価な望遠レンズを靴のあき箱にのっけるようなものだ。

あまりにもバカバカしい話だが、生物学者として、ただ不条理だと片づけるわけにはいかない。自然というのはときには道楽者のように、ありえないような計画をたてるか、最終的には全部がうまく組み合うのである.イカの目にもちゃんとした理由があるはずだが、あの瞬間はひとつの可能性しか考えられなかった。しかもその孝えは今でも紹介するのに躊躇してしまうほど突拍子もないものであり、同時に今でもきわめて説得力のある.気狂いじみた筋書きをもっている考えである.

単に論議のための仮定として、イカの目が想像通りのものだとしよう。可視光線が支配する周波数範囲内の電磁気的情報の探知・収集のための高度に発展した感覚器管である、とすれば、イカの眼はこの機器に機動力を与えるために、後に取り付けられているにすぎない。

海洋観察に置いて、イカにまさるカメラ台はあるだろうか。イカは敏速、迅速、しかも神出鬼没。昼も夜も、あらゆる深さに、あらゆる水温に、世界の海のどの部分にも、何十億といる、目に見えない観察者たちだ。

訪問者に警告する。当設備はクローズド・サーキットで常時観察されている。(p36-p38)

ちょっと最後の部分がわかりにくいのだが、これは翻訳の問題もあるのだろう。海で出会ったイカの大群、そこには確かな意思が感じられた。また、イカの大群の奥の方にも光が見られた。それをライアル・ワトソンの多くの知り合いに話したところ、いろいろな話があって、その中には地球外知的生命を語る人もいないわけではなかった。そういった話を披瀝しつつ、否定とも肯定ともつかない文章がつづくのだから、若干の混乱が、オリジナルと翻訳にあるのだと思われる。とはいえ、さすがにライアル・ワトソン、イカの話のはすっきりと以下のようにまとめられている。

私は同世代の人たちと同様に、「チーム精神」の概念を口先で唱えながら完全に競争的な状況の中でわれわれをぶつけ合わせるような教育制度の中で形成されてきた。私は自分の皮膚の限界に封じこめられただけではなく、その色によって他者とも区別される.ひとつの個体として自分を見るように教えられてきた.さいわいなことにこれは変わりつつある。

宇宙の砂漠に浮遊するオアシスのような、孤立した地球の写冥をはじめて見たとき、変らざるをえなかった。「ひとつの地球」の概念は、運命共同体という考え方を受け入れやすいものにしてくれた。われわれも、青い目のホタテ貝も、ウシも、地上を這うものすべても、いずれの種も最終的にはひとつの種に帰する。このすばらしいシステムの中で真に魅惑的で衝撃的なことは、われわれひとりひとりの中に「イカ的なるもの」がある、ということである。

われわれは地球の目であり、耳であり、われわれの考えることは地球的思考である。(p42)

それを、右脳と左脳―脳センサーでさぐる意識下の世界 の最終章がフォローするようにかぶさる。

・・・「宇宙の運行と脳の働き」にまで話が進んでいくのです。人の脳をセンサーとして使い、地震の予知などに使えるとの示唆にも触れています。(アマゾンレビューより)

ということで、いつか書かねばならないと思っていた、右脳と左脳―脳センサーでさぐる意識下の世界 (小学館ライブラリー)とライアル・ワトソンの未知の贈りもの (ちくま文庫)のイカの話でした。

以上ですが、追加して、

昨日の2010年9月6日の日本経済新聞朝刊の36面(最終ページ)に東京水産大学名誉教授奥谷氏がイカ研究について語っているエッセイを読んで、シンクロニシティを感じたのも、記事を書いた原因の一つです。


映画レビュー、ページに追加しました。

ヤフージャパンの映画レビューはよく見ます。そこにtatchan_miyagi名義で17点ほどのレビューを書いているのですが、このブログのページに追加しましたので、暇なときに是非読んでください。

レビューした映画のタイトルは

靖国 YASUKUNI,PROMISE プロミス,闇の子供たち,その土曜日、7時58分,愛のむきだし,丘を越えて,パッチギ! LOVE&PEACE,歩いても 歩いても,つぐない,エリザベス:ゴールデン・エイジ,セントアンナの奇跡,歓びを歌にのせて,JUNO/ジュノ,88ミニッツ,プライドと偏見,ゆれる,単騎、千里を走る。

こうしてタイトルを眺めると、そうですね、一番おもしろかった映画はずばり「愛のむきだし」です。

4時間もの大作ですが、飽きなかった。それだけでもびっくりです。出演した若手俳優の西島隆弘,満島ひかり,安藤サクラは、この映画以来、感情の移入しっぱなしで、折に触れ、チェックしています。西島氏は順調にとばしていますね。

アフィリエイトについて#2

さて、提携している4つのASP、バリューコマースA8.netアフィリエイトBリンクシェア・ジャパンですが、バリューコマースのみWebサービスを提供していました。新しい物好きのわたしとしては早速このWebサービスにはまってしまったのですが、なかなか難しくてサンプルを実現するだけで精一杯でした。Webサービスの内容は、じゃらんnetのホテル検索システムです。

ということで、5月はじめから、Webサービスと格闘の末、なんとか既存の相互リンク検索エンジンのヘッドにおいて体裁を整えることができました。えー、三ヶ月かかったと言うことですね。そういうことなので、是非見てやってください。タイトルバーで、HOMEのとなりに「相互検索リンク」としてありますので、そこをクリックないしは、このリンクをクリックしてください。頭の部分であまりめだたないので、注意してみてください。

この宿泊先検索ですが、実際に検索してみると、値段の安いのにびっくりしました。実際には、いろいろな条件が絡んでくるので注意はしなければいけませんが、でも東北で千円台なんか当たり前にありますからね、時代なのか不況なのか、それには驚きました。じゃらんパワーというのもあるんでしょうね。

しかし、値段の安いビジネスホテルなんかを見ていると、東北の人気のない商店街近くの風景が浮かんできますね。さらに眼を閉じているとイメージを凝らしていると、おお、でてきました。あこがれの小林旭渡り鳥シリーズが・・・日本の誇る無国籍映画(ウエスタンスタイルの流れ者が主人公)、あのクリント・イーストウッドを輩出したマカロニ・ウエスタンの原型ともいえる・・・

  • ギターを持った渡り鳥(1959年)
  • 口笛が流れる港町(1960年)
  • 渡り鳥いつまた帰る(1960年)
  • 赤い夕日の渡り鳥(1960年)
  • 大草原の渡り鳥(1960年)
  • 波涛を越える渡り鳥(1961年)
  • 大海原を行く渡り鳥(1961年)
  • 渡り鳥北へ帰る(1962年)
  • 渡り鳥故郷へ帰る(1962年)

高速道路も安くなったことだし、どうでしょうか、暇なときに安いビジネスホテルを廻るのは。ギターがあってもいいですね。今年は暑いので、熱中症予防のために、テンガロンハットなんかも必要かも・・・。

話が脱線しましたが、アフィリエイト#2の結論です。Webサービスは、疲れますので止めた方がいいでしょう。実際に弄ってもらえばわかると思いますが、リンクを貼ってじょらんnetにいってもらえば済む話なわけで、自分で検索廻りをつくってもあまり意味ないと思います。

ということで、せっかく読んでもらっているのですが、冴えないオチですいませんでした。

キャタピラー /若松孝二 寺島しのぶ

キャタピラー、見てきました。予想以上によかったですね。

映画を見たあとにヤフー映画を読んだのですが、映画レポート「キャタピラー」単なる反戦映画を超えた哀しくも酷い性愛のスペクタクルは全く間違っていますね。宣伝用キャッチコピーとしては使いたくなるけど、嘘はいけないよね。

映画館のチラシの裏面に書かれた感想のなかでは、おすぎと周防正行氏が素直だったかな。

おすぎ:若松監督の訴えたいことが心の底からわかる映画です。身体の自由が思うようにならない夫と介護する妻のふたりの切なさ、ツラさを思い涙が止まりませんでした。全国民必見の一本です。

周防正行:単なる反戦映画ではない。戦争がもたらす悲惨を通じて、深く人間を洞察しようとする映画だ。若松孝二監督の並々ならぬ思いを真っ向受け手立つ寺島しのぶの強さと美しさに圧倒された。

前の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』でも感じたのだが、若松孝二監督のまなざしは優しい。「キャタピラー」も酷な作り方もできたのだろうが、していない。

たとえばセックスシーン。女優が寺島しのぶ、相手が胴体と頭だけ。いかようにもできるシーンなのだが、普通の夫婦の性描写をし続けている。夫婦の日常の性生活ほど見ておもしろくないものはないだろうと思うのだが、それが続く。だからおもしろくはない。しかし夫婦の臨場感は増す。

他の登場人物も、素直にまじめに撮っている。結果的に戦争の醜さがあぶり出されてくる。これが映画でしょう。

惜しむらくは、エンタテメイント性に若干欠けていたかなとは思うのだが、ここはよく考えてもらいたい。つまり、戦争映画のほとんどがエンタテイメントを前に押し出したものだということだ。それは反戦映画ではなく、むしろ好戦映画。そこを勘違いしちゃ、いけませんぜ。