山寨革命とはなにか? その3 基地「深圳(シンセン)」華強北

中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃の出だしに、山寨の基地「深圳(シンセン)」についての地理状況について記されているのだが、その部分を要約すると下記のようになる。

科学技術パークから華僑北までに至る約15キロの間は、東に向かうほど研究開発企業の比率が下がり、その代わりに販売業を営む企業の比率が上がっていく華強北は深圳(シンセン)で最も重要な電子製品の集散地なのだ。

深圳では、電子部品が非常に手に入れやすい。華強北から数百メートル離れた華強路という地下鉄の駅のそばには、易通、朧源といったきわめて大きな携帯電話の部品市場があり、その中はすばらしい部品であふれている。種類が豊富で、それぞれのカウンターがすべて「専門店」で、電池やタッチペンの専門店もあり、また携帯電話のチップやキーボードだけを売っている店もある。誇張されたこんな言菓がある.「華強路でビルを一回りすれば携帯電話ができあがり、おまけに全部のブランドの携帯電話を揃えることもできる」。

加えて、科学技術バークと華強北の間の車公廟(地下鉄の駅の名前)の付近には数千の携帯電話のデザイン会社があり、また宝安区の多くの工場が集まっている。深圳にほ、携帯電話を作るすべての工程がほぼ揃った状態にあるのだ。世界でも珍しい廉価でかつ迅速な「携帯電話設計・製造・販売のチェーン」ほ、すでに国際的に大きな吸引力を持ち始めている。

登場する地名の主なものをドットしてみたマップを下記に置く。

 
販売の拠点となる華強北路付近を、ストリートビューでみると(フル仕様にはなっておらず、写真が置いてある)、かなりの大きなビルが建ち並んでいる(大きな地図で見るで観ることができる)。華強北高科徳電子交易センター一階にスターバックスコーヒーがあるとのことだったが、地図では確認できなかった。代わりにといっては何だが、近くにある二つのスターバックスをドットしておいた。
 
日本人による、華強北のレポートが掲載されていたサイトがあったので、ご紹介。熱気が伝わってきました。必見です。
 
深圳は、2006年にいったことがある。mixiのブログに書いている部分を下記に紹介してみよう。
香港・・・VOL.4 中国の深圳経済特区を訪ねる   2006年09月17日23:01
香港のすぐ北に位置する深圳(SHINZEN)は、ビザなして香港から移動することが出来る中国だ。香港とは全く異なる熱気と、雑多なムードに包まれている。そして、物価の安さはかなりのもの。連日、まとめ買いする香港人も多く、国境を越えた人でにぎわいをみせている。 
国境をでると、視界には巨大で近代的な高層ビルが建ち並び、距離感がなかなかつかみにくくなんとも異様な風景ではある。とくに、駅前のショッピングセンターのでかさには度肝を抜かれた。掲載写真ではよくわからないが、このショッピングセンターには小さな店がびっしりと入っていて、その店の取扱品目が似たようなものであることにはびっくりする。整理とかコーディネートとは無関係にただただ店が並んでいて、扱っているものは衣服、時計、アクセサリー、スポーツ用品、電気製品などなのだが・・・。広いフロアで、似たような店が並んでいるわけだから、道には迷う。なんとも不思議な巨大な迷路になっているわけだ。競争も激しいのか、勧誘がとにかくしつこい。売り子も若い人がほとんどで、教育がなっていないというか、プリミティブであるというべきか、うーん。たとえば、手とか腕を掴むのは当たり前、ふりほどいても掴む、さらにふりほどいても掴む、またふりほどいても掴む。走って逃げても掴む。こんなこともありました。若い女の子が不器用な発音でジーブイデーと連呼している。ついてこいというのでついていくと、フロアをぐるぐると回りつつ奥の方へと進む、行き止まり近くのテナントに連れて行かれて、店内に入るなりシャッターが閉まる。シャッターが閉まった瞬間に天井の口を開けて、一人の男性が入り込む、そして、ファイルブックを天井の上から持ってきて、好きなのを選べという。つまり海賊DVDショップなわけだ。私の回りには若い男女が4,5人取り囲んでいる。丁重にお断りしてシャッターを開けてもらいましたが、まかり間違えば、犯罪にもなりかねない勢いがありました。ちなみに、同じショッピングセンターの正規DVDショップで値段をみてみると9-40元というところで売られています。日本円にして150円から600円。じゃ海賊版はいくらなんじゃいと思ってしまいました。2枚目はショッピングセンター内の食堂のようす。三枚目はそこで食した定食、18元、280円てところか。広いフロアなのに通路が狭い、というよりない。客動線が考えられていないのですね。香港とは非常に近い地域なのですが、言葉が違いますし、英語もほとんど通じません。筆談はかなり通じます。数時間の滞在ではありましたが、刺激的で面白かったです。街へ抜けるときに、たまたま一緒に歩いた一群のなかで知り合った、ロシアンインディアンの18歳の娘さんとの話は面白かった。はじけるような若さと大きな声で、ロシアからの道中の話などを聞いていると、地元のおばさんなどがびっくりしたような顔で、話を聞いています。意味はわかりようもないのですが、ファッションも奇抜なんでしょう。あっけにとられた顔で、しかもその仕草などを隠そうともしないのですね、ストレートに娘さんをみているわけです、何人も。

「みんながみているぜ」というと、「こいつらいなかもんだから、いつもこんなだよ」とか「美人でセンスがいいからびっくりしてんのさ」なんてかんじでひたすら大きな声ではなすわけです。その他、親切で二枚目な宝飾店の若主人、数百メートルも腕を抱えてついてきたマッサージの勧誘女性。故障品を売ってくれたやり手の中古携帯電話店の女主人など、数時間の滞在で経験したことはかなり密度の濃いものでした。

 
ロシアンインディアンの娘さんの事を思い出しましたが、楽しい経験でした。華強北路のことは知らなかったので、このときは訪問しませんでした。

山寨革命とは何か? その2

簡単に要約すると、「山寨革命」とはインターネットによる個人レベルでの市場創世といえるかもしれない。先に紹介した「米国発 さらば規格品社会 ここを攻めろ(3) 「スマートな個人」に商機」の生産版だ。緻密、子細に個人レベルまで降りてきた水平分業生産システムともいえよう。本では以下のように記されている。

純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。

山寨携帯のこのような運営方式だと、チップから始まって携帯電話を市場に出し販売するまでに、たったの一ヵ月しかかからない。これまでの半年から一年に対し有利となるのほ明白だ。販売ルート、金銭、市場が求めているモデルへの敏感さ、そして運気が彼らの勝敗を決める。代理店や代理業者は最終的な工程となる。華強北を例にとれば、一・ニメートルの売り場の借り賃が月に二〇〇〇元余りなので、資本が少なくても一つの売り場を借りて携帯電話の仕事が始められる。すべての工程の間のつながりはあまり複雑ではないが、大変効果的かつ実用的である。これは市場の着実な進歩の結果であり、この自然に進化したメカニズムはすべての工程のコストを極端に圧縮し、すべての工程が市場メカニズムを通して最も適切な資源を配置する。お金がある人、市場に敏感な人、技術のある人、何もリソースはないが小金を稼いで家族を養っている入、すべてに適切な場所がある。     p40-41

「山寨革命」は携帯電話から始まった。携帯電話をめぐる特殊性が、その足腰を鋼のように強くし、弁証法的に止揚された場を提供したと言って良い。日本の携帯電話が特殊性の罠にはまりガラパゴス化したのと好対照である。

携帯電話の組み立てが難しい理由は、以上のように携帯電話市場の汎用的な部品を、零綱企業に組み立てさせないからである。多くの人が、携帯電話が容易に組み立られないのは技術的な原因によると思っているが、実際ほそうではない。携帯電話がパソコンのようにバラバラの部品を買うことができない理由は、第一に、携帯電話の体積が非常に小さいため、それぞれの部晶を売るには保存や運輸上の利便性が確保できず、完成品を売るのに比べて利点がないこと。第二に、携帯電話は研究開発、生産などが一体化された垂直統合モデルであり、携帯電話業界に参入した企業の多くが自分たちの研究開発体制を持っていることである。TI(テキサス・インスツメンツ)、クアルコム、インフィニオンなどの企業が提供するチップは、数社の顧客のためだけのであり、同時に、技術障壁(あるいは観念的な束縛かもしれないが)も比較的高かった。それらの企業が提供していたチップがメディアテックと最も違う点は.携帯電話メーカーが慣例に縛られて、以前と同じように多くの工程を自分でこなそうとしていたことだ.メディアテックからすると、クアルコムなどが提供しているチップはすべて「半完成品」である。一方でクアルコムなどからみると、メディアテックが作っているのは「超完成品」であり、「無駄に高度な作品」なのである。

業界の変化はときに観念上の小さな違いから作られる.クアルコムなどの企業がチップを大工場に作らせる場合、どの程度のものを作るかは考える必要がない。しかし、このように見ない人もおり、もしその人がほかの方法を実行するのであれば、すぐに成功者になれるだろう。

具体的にいうと、一台の携帯電話の製作工程にはまずチップがあり、チップの上にオープンインターフェースとプロトコルスタックを置かなければならない。これらは旧来のチップメーカー内での事情で、携帯電話メーカーはソフトウエアのユーザーインタフェース〔UI)を開発しなければならないなど、作業量はかなり多い。また、チップの生産から携帯電話を完成して出荷するまでのサイクルは大体半年から一年で、技術リスクがあるため、零細企業は手の出しようがない。メディアテックのこの種のビジネスモデルに対する最大の変革は、ユーザーインタフユース内に内包される一連のソフトウエアを提供し、ローカルに技術サービスの拠点を作ったことである。デザインハウスはメデイアテックの計画を手に入れてから個性を際立たせる改革を行った。たとえぱ腕時計型の携帯電話をデザインする場合、基板を腕時計の中に配置できるようにしなければならず、腕時計のような空間の中にいかにしてユーザーインタフェースを置くかというような改革を行う。デザインハウスと市場の間に携帯電話の組み立て事業者が存在し、彼らの間では機器のデザインについての橋渡しをしなければならない。純粋な携帯電話組み立て業者の事業内容は、基本的には技術とは関係がなく、家電販売、服飾品販売、農民、鉄の転売などの職業からの参入も可能なのである。 p39-40

携帯電話の排他性はチップの寡占化によるものだが、ここにメディアテックという新興メーカーが山寨と結びつき山寨革命を押し進めることとなる。

メディアテックが創り出したターンキー方式(チップセットにマルチメディアをはじめさまざまな機能が最初から盛り込まれ、それだけで多様な携帯電話に対応可能にすること)は山寨革命にとって大きなカギとなった。蔡 明介氏はメディアテックのリーダーであり、後に尊敬と揶揄を込めて「山寨革命の父」と呼ばれる・・・。P41

山寨革命はメディアテックと共に、デジカメ、薄型液晶テレビ、ノートPCと進む。ノートPCはタブレット化して、ステーブジョプズのiphone/IPADの果実を追いかけているようでもある。本書では、2009年の時点でもあり、ページ数も少なく控えめな記述になっているが、先に述べたように大手家電メーカーが薄型テレビと共に崩落している様を観ると、革命は本書の唱えるような本物の様相を示し始めているのかもしれない。遠からず、電気自動車も山寨革命の標的になることだろう。

翻って、わが日本を観ると、まだまだ太平の時代を貪っているように思える。時代は変わっているのだが、その構造的な部分が見えていないのだろう。日本経済新聞、2/6/2012付けのコラム-「経営の視点」、30年変わらぬ家電業界-を観てみよう。

「間違いもしたが、ソニーだけではない。日本の家電産業には問題がある」。

経営交代を発表したソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長は、7年の在任期聞をこう振り返り、「日本の社会全体としての対応が必要だ」と語った。言葉尻では2200億円もの今年度赤字見通しの責任逃れにも聞こえる。しかし翌日にはパナソニックが7800億円の赤字見通しを発表。シャープも2900億円の赤字となるのを考えれば、確かにソニーだけの問題ではなさそうだ。「最大の要因は自前主義。大規模な工場投資にある」。パナソニックの大坪文雄社長は決算発表で自らの判断ミスをこう認めた。ライバルに対抗し、大型投資に打って出たことが裏目に出たというわけだ。ストリンガー氏は日本の問題に具体的には触れなかったが、答えは大坪氏の反省の弁にあろう。つまり自前主義の各社が横並びで集中的に投資し、結果的に商品の寿命を短くしてしまうという悪いクセだ。

源流は日本が世界の家電市揚を席巻した1980年代にさかのぼる。日本の強みは部品から製品まで一貫して作れる垂直統合モデルにあった。アナログ時代は製造段階での擦り合わせ技術が重要だったからだ。最たるものがテレビで、部品も自社生産すれば部品と製品の両方で稼げた。ブラウン管を持たなかったシャープが後に液晶に力を注いだのはそんな背景からだ。テレビは家の中央に鎮座するため、正面に自社のロゴを飾るのが重要なブランド戦略でもあった。そこで大成功を収めたのがソニーである。映像がきれいなトリニトロン方式のブラウン管で人気を呼び、自前のテレビ工場を海外にいくつも造った。

しかし、デジタル時代の到来で状況が一変する。アップルが工揚を時たなくていいのは、擦り合ねせの要らないデジタル家電は部品さえあれば誰でも作れるからだ。そこに各社が横並びで集中投資して生産すれば、値崩れが起きるのは当然。半導体もしかりだ。デジタル化でもう一つ変わったのが音楽や映像の視聴スタイルだ。

先週、上場申讃した米交流サイト(SNS)の「フェイスブック」や米動画共有サイト「ユーチューブ」」の登場は、放送番組しか見られないテレビを「古ぐさいもの」にしてしまったのである。日本の自前主義と横並びは実は30年前と変わっていない。当時は激しい競争で海外企業を廃業に追い込み、事業的には世界を制覇した。ところが「リビジョニスト」と呼ばれる米国の対日強硬論者が反発、「コンテイニング・ジャパン(日本封じ込め)」の声が上がったのはそのすく後だ。

ストリンガー氏はソニーの負の資産ともいえる海外のテレビ工場を大幅に減らすなど、構造改革に努めてきた。ようやくそれを終えた矢先に起きたのが、リーマン・ショックや東日本大震災、洪水などだった。映像出身のストリンガー氏は本当はアップルのようなハードとソフトの融合モデルを目指していた。従来型のモノ作りを韓国や中国に奪われたからだ。正念場の日本企業に求められるのはアップルを超える新しい事業モデルの創造である。(編集委員 関口和一)

漠然とは問題に辿り着けそうなのだが、もう一つ切り込みができていない。核心を突けない、どうにもわかっていない。そんな記事だと思うのだが、いかがだろうか。

いずれにせよ、新しいシステムは若い人が作って、馴染ませて、押し進めるということが必要だ。日本の若者はなかなか優れていると思う。ちょっと前に「空気を読め」というような言葉がはやったが、空気を読むことができるのは日本人だけだと思う。自信をもって進んで欲しい。若者よ、世界のために頑張れ。

若者に比べて、大人は今ひとつ。日本がダメになっているのは大人の責任だと思う。

考えてみれば「地デジ」て何だったんだろう。寡占化した企業と、官僚と、マスコミがつくりあげた幻想の最たるものが「地デジ」だったのではないだろうか。エコポイントで国民に薄型テレビを大量に売りつけたりはしたが、そのテレビの値下がりは与えたエコポイントの何十倍になるのではないか。というか、「地デジ」で何が変わったの?、何を変えようとしたの。「双方向」ってなに?携帯電話もそうだ、世界一高い通話料金で国民から金を貪っている。原発なんかも同じだ、世界一高い電気料金が宇宙一(え!?)になろうとしている。地デジもガラパゴス携帯も世界には奇妙に見える製品に違いない。反省のない失敗を積み重ねながら、若者を搾取しているのは、大人だよ、何とかしようぜ。

濃い蒸気船を三杯以上飲んでも、太平の惰眠からは醒めないかも知れないなあ。そういった社会の硬直状態こそ、革命の糸口には必要なのだろう。若者よ、硬直しただらしない社会こそチャンスだ。

変えちゃえ!!

山寨革命とは何か?

なにかが違うな・・・。多くの日本人は昨今の日本企業の不振に戸惑っているのではないだろうか。数年前・・・、というか、ほんの少し前に、地デジなどを追い風に順風満帆に見えた液晶テレビが・・・、価格が崩落、今現在は32型で24800円。松下も、ソニーもシャープですら、不振にあえいでいる。

円高であるとか、ユーロの問題とか、タイの洪水、東日本大震災・・・だけでは説明しきれないなにかがあるかもしれない。その問いに一番近いところを触ってくれているなと、中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃を読んで、そう思った。

さて、「山寨革命」とは何か、ということも含め、この本を的確に説明しているのが著者の前書きだ。これは是非、全文読んでもらいたい。以下がそうである。

本書の初稿ができあがったとき、周りの友人に見せてみた。すると、ある友人が「最初のところはルポルタージュのようだね」といったので、私は「そのとおり」と答えた.この本はまるで山寨(Shan Zhai 日本語読みはサンサイ。元々は山中の砦という意味。その後、農民による反統制運助を指す言葉として使われた後、北京オリンピックの前後に意味が拡大され、コピー、偽物、ゲリラ、非官製、草の根などを示す言葉として使われ始めた)の携帯電話のように、盛り込めるものはすべて盛り込んであり、できるだけ短い中に簡潔に可能な限り多くの内容を詰め込んだものだ。本書はまるで「三者合一」の商品のようでもあり、多くの人が一つのテーブルで食事をしているのにそれぞれが好きなものを食べ、他の人の食べているものを食べてもいいという状態だともいえる。

第一部は「山寨風雲」で、まさにルポルタージュである。山寨の携帯電話の生産量はみるみるうちにそびえたつ山のように増え、年間の売上高が一〇〇〇億元を超え、数十万のユーザーを持つに至った。そのユーザーは全世界にまたがり、数億人を超えている。比類なき情熱を燃料として燃え上がった山寨の火は中国全土を覆い尽くしている。その結果、「山寨」という言葉もまた二〇〇八年に最も流行った言葉の一つになった.あとになってみれば、決して無視できない歴史の一コマだったといわれるに違いない。

第一部では事実に即して議論を挟みながらこの時期の歴史を述べるが、これは「物語」が好きな人には美味しい料理となるだろう。

第二部は「山寨革命」である。ヘンリー・フォードを筆頭に確立された生産方式は、すでに世界を一〇〇年もの間支配してきた。この方式の神髄は無限に細密化された分業と、膨大な規模、複雑な階層システムと官僚組織を以て企業を働かせることである。標準化と生産ラインはすべての製品の変動費用の増加分を極限まで低く抑えた。わかりやすくいうと、より多く生産してもコストは決まっており、そのことが企業が大規模化する主な目的であるということだ。また、交通と通信の発展はさらに拡張への障壁を取り去り、大型化及び大企業による管理をメリットあるものとした。二〇〇四年に生産額が一〇〇〇億ドルを超える企業は世界中に13社しかなかったが、二〇〇八年には四五社に達している。これに対応して社会のそのほかの組織も大型化、複雑化の様相を呈している。「大きいことはいいことだ」という言葉はすでに人類共通の定理となったかのようであり、心理的にも大型化いう傾向に賛同してきた。

しかし、「山寨現象」は我々に再びこの定理を見つめなおさせ、フォード時代に確立されたルールを知らず知らずのうちに瓦解させた。旧来の企業内部の労働の分業はすでに社会の分業となっており、生産が複雑な製品も大企業の専売特許ではなくなっている。フォード以来の「高い固定費用、低い変動費用」という状況は実質的に変化をはじめ、規模の大型化による利益はコストの整理と官僚機構に丸呑みされてしまっている.大企業をよく見てみると、大型の組織はすでに空洞化し、研究開発、生産から販売に至るまですべての部分が実質的な意義を失っている。携帯電話であれ、コンピュータであれ、もちろん白動車であれ医薬であれ、大企業内部のコストは外部の市場の勢いと闘う方法もなく、すべてはひっそりと変わってしまった。

これらの変化は「革命」というにふさわしい。もしもあなたが「大きいことはいいことだ」という定理を忘れ、まったく先入観のない異星人の目で歴史を観察すれば、すぐにポスト・フォード時代が来ていることがわかるだろう。過去のルールや定理は最後のお祭り騒ぎにすぎない。産業革命は武力革命のように強烈ではないが、それゆえに往々にして人々は物事の真の姿を知らないままに、山の中に取り残されたような状態になる。

インターネット上には山寨の情報があふれている。そしてそれらの大多数はすべて、コピー、クリエイティブ、物まね、パワフル、かわいい、恥ずかしい、庶民の、逸晶などの言葉を使っているだろう。一言でいって、重層的・多角的な分析はなされておらず、山寨の隆盛の内在的原因や意義はネット上では述ぺられていない。

もしも第一部を史料とするならば、この第二部の「山寨革命」は史論であり、私は思索好きの読者に料理を出したことになるだろう。私見では、このタイプの読者にはそれぞれ白分の視点と見方があるゆえに大変「サービス」しにくい。ただ、この部分はDIYのようなもので読者は自分の見解と図式をもっており、私はただ見ていればいい。私が保証できるのは、本書は簡単なコピーの切り貼りでもなければ、ネット上で見つけてきたものを組み合わせればできるというものでもなく、じっくり煮込んでできるだけ多角的に読者に珍しい材料を提供し、ユニークな味に仕上げたものであるということだ。

経済システムの変化は社会の多方面に影響を及ぼし、社会的組織や政府の職能、企業内部の組織の原則に必ず相応の変化をもたらす。産業革命以降打ち立てられてきた膨大な官僚システムと営々と築きあげられた金宇塔型の社会ほ時代の挑戦を受け、小さく巧みで、活力のある、効果の高い山寨社会が必ず旧社会にとって代わるだろう。それが、第三部の「山塞社会」である。

人類社会に関する美しい考えは昔からあり、老子の小国寡民(国土が小さく国民が少ないこと)やプラトンの理想国家、儒家の社会秩序、第三の波のプロシューマー、フラット化する社会などがそれである。残念ながら現実は正反対に向かって進み、いけばいくほど理想とは遠くなるばかりである。収入が増えるほど二極分化が進み、生産力の発展の成果はピラミッドの頂点にいる少数の人に独占されてまばゆいばかりに輝いており、私利私欲にとらわれた官僚体制は社会の瘤(こぶ)となっている.不幸なことに社会すべてがこのような価値観を受け入れ、アンクル・トムと彼の主人のように、統治したりされたりする関係に慣れきっている。社会と、人々の不平等はますます当然のように受け入れられ、賞賛されてさえいる。

しかし、このような時代はすぐに消え去るだろうというのが私の結論である。山塞製品の生産方式と比べればこの変革はゆっくりとしたものではあるが、必ず実現する。これは革命のラッパではなく、ユートピアでの話でもないが、社会が進んでいる趨勢なのである。

私は、実利を重んじる中国人だが、本を読むということは、間題の答を得るためだけでなく、精神的な慰籍と人としての理想を求めることだと信じている。このように考えれば、第三部の「山寨社会」は読者のための美酒になるだろう。 阿甘、2009年二月七日

著者は1967年生まれ、日本人の同じ年代の人では書けない理屈が通っている。日本では、ほぼ死滅したと思われる「マル経」、いわゆるマルクス経済学だ。弁証法的に止揚した先に未来というか希望を持っていくのは、段階の世代こそわかりやすいかもしれないな。上記まえがきの第三部「山寨社会」で、著者は控えめではあるが見事に革命のラッパを鳴らそうとし、ユートビアを語ろうとしている。著者と同年代の日本人にそれができるだろうか。

実に、経済学に必要なのは数量化やシミュレーション以上に 「哲学」なのである。座標軸たりうる哲学がない以上、数量化やシミュレーションは、ただ混迷を招くだけである。今の日本は、「マル経」だけでなく、実に「哲学」が欠けているのであると思う。

この本の後ろに、生島氏が「解説」を書いているが、この「解説」の視点の定まらないふにゃふにゃぶりにはなんともやりきれない思いがした。この「解説」こそ、実に今の日本を如実に表している、と敢えて解説しておこう。

マスコミ/大量生産/大量消費時代が変わる

原発報道により、マスコミがおかしいのは衆知の知るところとなった。また、それとは別にネット時代の到来と共に大量生産、大量販売も変容し続けている。これから世界はどう変わるか、誰にもわからない世界が眼前に迫っている。

本日の日本経済新聞、「米国発 さらば規格品社会」という記事が興味を惹いた。以下にご紹介。

米国発 さらば規格品社会 ここを攻めろ(3) 「スマートな個人」に商機

2012/1/29付日本経済新聞 朝刊

コンピューターで設計図をつくり、プラスチックや金属、ガラスなどの材料を入れれば自動的に立体物ができあがる「3Dプリンター」。もともと製品の試作などプロ用だが、ニューヨークにあるシェイプウェイズという会社が一般の人でも使えるサービスを始め、人気を集めている。

シェイプウェイズは3Dプリンターを使った事業で急成長する(ニューヨーク)

利用は簡単だ。自分がほしい立体物のデザインをインターネットでシェイプウェイズに送信。すると3Dプリンターを備えた同社の工場で形になり、最短10日で実物が届く。1立方センチメートルあたりの材料費は0.75~20ドル。アクセサリーや置物を注文する人が多い。ネット上に店を開いてほかの人に売ることもできる。

自分だけの1台

「みんな規格品ではなく、本物のパーソナルを求めている」。ピーター・バイマーシュハウズン最高経営責任者(CEO)は話す。月産3万個。欧州に続き2012年にはニューヨークにも工場を設ける。3Dプリンターは性能向上と値下がりが急ピッチ。「10年もすればパソコンのような電子機器も自分だけの1台をつくれるようになる」

ネット上の情報をつなぐ基盤技術「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」の開発から20年。情報収集や発信が容易になり、創造力を刺激された個人はコンテンツ制作のけん引役になった。ユーチューブには毎分60時間分の動画が投稿され、スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)アプリはアップル用だけで55万種類に及ぶ。

そんなネット革命の中心地・米国で、個人の創作意欲はリアルな手触り感のあるものづくりに向かい始めた。新潮流は「メーカームーブメント」と呼ばれ、関連サービスがぼっ興する。

衣類、バッグ、食器、家具、玩具……。同じくニューヨークのベンチャー企業、エッツィーの通販サイトで売り買いされるのはハンドメード品だ。ただの趣味人の集まりと片付けられない。1200万人がサイトを使い、11年の販売額は前年比7割増えて5億2千万ドルを超えた。

大量生産の終わり

チャド・ディッカーソンCEOが言う。「エッツィーの成功は大量生産時代の終わりを告げている」

未来学者のアルビン・トフラーが著書「第三の波」で、消費者でありながら生産にも主体的にかかわる「プロシューマー」台頭を予見したのは1980年。現状をみれば、単に個人が力をつけただけではない。同じ価値観や目的を持つ人がネットでつながり影響力を発揮しやすくなった。

「個人が主役」のうねりは働き方にも及ぶ。「好きなときに好きなところで好きな仕事をする。人々がほしがっているのはそういう柔軟性だ」。シリコンバレーに本社を置くオーデスクのゲアリー・スワートCEOが指摘する。

同社はサイト開発やデータ入力、翻訳、会計などの業務を外注したい企業の情報をネットに公開し、個人に仲介する。個人は自宅などからオンラインで業務をこなし、働いた時間分の報酬をもらう。

会員登録する個人は140万人。特定の会社に属する歯車になるつもりはない。能力を生かせる仕事を探して働き、生活のリズムも守る。11年の報酬は合計で2億2千万ドル以上。労働力を随時調達できる利点からマイクロソフトなど25万社が仕事を外注する。

携帯電話(フォン)、テレビ、電力計(メーター)。IT(情報技術)と組み合わさり、スマート(賢い)の枕ことばがつくハイテク機器が増えている。道具として使いこなす個人の意識も当然スマート化する。賢くものを手に入れ、賢く働きたい――。

ネットを行き交う情報にはデマや誤解など落とし穴もあるが、ネットを駆使する「スマートな個人」の時代はこれからが本番だ。彼らをターゲットにしたサービスの需要が旺盛なことは米3社の事例が示す。まだ数は少ないが、日本からの利用者もいる。

量販店で大量生産品を買い、家と職場を黙々と往復する。20世紀に定着したそんな風景からはみ出す動きは今後、ますます広がる。規格社会の古い発想を捨て改めて世の中を見渡せば、イノベーションの糸口が見えてくる。

(村山恵一)

ちなみに上記の記事に掲載されている三社のホームページを以下にご紹介。

ニューヨークにあるシェイプウェイズ  http://www.shapeways.com/

エッツィーの通販サイト http://www.etsy.com/

シリコンバレーに本社を置くオーデスク  https://www.odesk.com/

英語が苦手な人はグーグルの翻訳サイトをご利用下さい。老婆心ながらリンクを貼っておこう。

ニューヨークにあるシェイプウェイズ  エッツィーの通販サイト

シリコンバレーに本社を置くオーデスク のサイトは残念ながらgoogle翻訳されませんでした。

エンディング・ノートは、団塊の世代「最後」の大量生産化か?

エンディング・ノートは考えれば考えるほどわからなくなる映画だ。死にたいと思っている人も世の中には沢山いるから、そういう人にとってはためになると思うが、生きたいと思っている人はそれ以上沢山いると思うので、そういう方々には良くない映画だと思う。

世の中には「願望成就法」なるものが多く存在しているが、そのなかでも定番なのが、ノートに自分の夢をできるだけ具体的に書いてみるという方法だろう。例えばお金持ちになりたいという方は、具体的に金額を書く。10億円とか、100万円とか。車が欲しいという方は車の名前を書いてみる。ベンツ500SL(こんな車あるかなぁ?、興味がないので確証ありません)とか。

エンディング・ノートは、この「願望成就法」をなぞったもの。ということは、つまり、お父さんは、死にたかったといえるのではないでしょうか。この映画でわかることは、具体的にノートに書き連ねた言葉は力をもち、家族や医者、および関連スタッフに共通の認識と力を与え、死の具現化のためまっすぐにゴールへと突進してしまったということです。ドキュメンタリーながら、この映画のエンディングシーンは、作り込まれたものとなり、つまらないものになってしまいました。

誕生や死は、たとえば、ゲーテが、最後に「光をもっと光を」といったり道長が、「極楽浄土」を願ってひもを手にとったり、人生の中でも、作為的な嘘のようなものが入る隙のない、当事者の真実がほとばしる数少ないシーンの一つであると思うのですが、お父さんは最後の最後を当たり前といえば当たり前の普通名詞の「死に際」にしてしまいました。それがいいんだ、といわれれば、何ともいいようがありませんが、それでも、結局、このお父さんは何者だったの?という疑問が私の中では残り続けております。

大会社の取締役とのことだが、業績は残したのかな、一つ二つは紹介してもらいたかった。就職以前、進学などには自分の意志は介在したのだろうか、先生とか進路指導のまま考えることなく進学、就職したのだろうか。奥さんとは恋愛なのだろうか、挫折体験はなかったのだろうか。夫婦関係、親子関係はどうだったのだろうか。かなえた夢は、最後の死以外にあったのだろうか。疑問はキリがないが、・・・なにも見えない。

ソニーとの取引に失敗したとのことだが、それはそのままだったのだろうか。反省はあったのだろうか、あったとしたらそれはどのように生かされたのだろうか。仏教の葬儀はお金がかかるということでキリスト教にしたのだが、いくら節約になったのだろうか。仏教とキリスト教以外の選択は何があったのだろうか、なかったのだろうか。節約ということなら、究極として墓などいらないということにはならなかったのだろうか。川とか海に灰を投げるというのはどうだろうか。

キューブラー・ロスは「最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階」として死の受容のプロセス(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)を表しているが、そのようなものはこの映画では見られなかった。このプロセスは、否認とか怒りの間に、医師や医療への疑問とか怒りを経ることになり、たとえば、病院や医者を変えてみたり、丸山ワクチン(今もあるのかな?)ゃ他の療法を試したりということになるのだが、お父さんはそのような事はなかったのだろうか?治るとか治療するという、つまり生きる意志がそもそもあったのだろうか。なにも見えないのだ。最後までなにも見えないのだ。映画はひたすら、凡庸な死にむかっていくだけだ。

普通は、そうだなあ、家族の中にも「鬼っ子」みたいな、出来損ないで頭や素行が悪いのがいて、それが、映画を撮っているのに怒ってスタッフを蹴り散らかしたり、医者に悪態を付いたり、無理矢理退院させたり、理屈じゃできないことを平気でやらかして、その場や空気に冷や水を浴びせたりして、結果的にお父さんを救ったり、そこまで行かなくても、遺産相続なんかでもめて、葬儀をめちゃくちゃにしたりして、生気あるお父さんの一生を創り上げたりしないかなと思うんだけどなぁ、どうなんだろう。

懸念するのは、ベビーブームでうまれて、ベルトコンベアに載りっぱなしで生きてきて、気が付いたら死が近づいてきた。とはいえ、ベルトコンベア以外の選択は経験がないため、そのままベルトコンベアにしがみついてしまったら死んじゃったということだった・・・、そういうことだったのではなかろうか?そんなことがあるのだろうか?・・・、十分にありそうだな。家族のあり方を含めて、考えさせられる映画ではありました・・・。

最後に、E・キューブラー・ロスの貴重な講演集「死後の真実」巻末にある、阿部秀雄の解説き部分(キューブラー・ロスの略歴みたいになっている)を以下に紹介したい。キューブラー・ロスの「死」に対する真摯さに鑑みてこの映画を精査すれば、わたしがこの映画にもつ疑問が少しでも理解していただけるのではないかと思う。

死のセミナーの時期 

エリザベス・キュープラー・ロスは一九二六年、スイス、チューリヒで生れた。義務教育を終えると、父親の反対を押し切って医師への道をめざした。住み込みの家政婦などをして働きながら大学入学の資格を取り、一九五七年チユーリッヒ医科大学を卒業する。結婚してアメリカに渡り、一九六五年にシカゴ大学に研究員として入局してから、りん死患者のベッドサイドを訪れて、死にゆく人の話し相手になり、悲しみの克服と死の受容を助けるという、これまで誰も手を付けようとしなかった仕事を始めた。

数多くの患者と体験を共にするうちにロスは、重症のがんだという衝撃的な宣告を受けた患者が経ていく心の動きに共通するものがあることに気づく。まずはその事実をかたくなに否認することから始まって、怒りを激発させ、取り引きを試み、あきらめて悲嘆に沈む時期を経て、安らかに死を受容してこの世に別れを告げるまでの五段階である。後になってこれは、たんに、りん死の体験にかぎったことではなく、その人にとってかけがえのない大切なものを喪失するときつねに体験する現象だということが明らかになった。

シカゴ大学に入局してまもなく「死のセミナー」を開始し、一九六九年には『死ぬ瞬間』を出版した。この最初の著書がベストセラーになり、また国際的なライフ誌で大きく取り上げられるなどしてその業績が広く世に知られるにつれて、ロスはアメリカ国内はおろか、世界各地を超多忙のスケジュールで飛び回るようになる。なお、ここで紹介しているロスの半生については、デレク.ギル著『「死ぬ瞬間」の誕生』〔貴島操子訳、読売新聞社)を参照した。

医者が生かすことでなく死ぬことに目を向けるなどというのは、当時としては異端視さえされかねない画期的な仕事だったが、今日では終末期医療やホスピスの先駆者として高く評価されている。この時期のロスの仕事を特徴づけるキーワードは、来るべき<死>ないしは<喪失>の〈受容〉をどう援助するかであった。

 癒しのワークショップの時期

少数の人たちを相手にもっと深い交流ができるのではないかと思うようになったロスは大学を辞め、病床で個々の患者と輝くような最期のひとときを共にするほか、集団による癒しのワークショップに力を入れるようになる。最初のワークショップが試みられたのは一九七〇年。これが成功に終わったので各地で開かれるようになったが、やがて一九七七年になるとシャンティ・ニラヤと呼ばれる本拠地が建設される。

時とともに、ロスが主宰するワークショップは、りん死患者のための死への癒しにとどまらず、広くさまざまな苦悩をかかえた人々を含めた、生と死の癒しの場へと発展していく。五日間のワークショップに参加した人たちは、いつしか心のよろいをはずして感情を解き放ち、心ゆくばかり怒りをぶつけ号泣したあとで互いに抱き合い、許し合い、じぶんと他人を愛する力を取り戻して、まるで別人に生まれ変わったかのように、見失っていた自じぶんを取り戻す。

この時期の特徴は、来るべき死に気持ちを向ける前にまずベクトルを逆にして、生まれてからこの方、根深いところに閉じこめてきた苦痛の感情を、無条件の愛に包まれた安心感に支えられて解き放つのを助ける仕事が本格化してきたことである。キーワードは過ぎ去った<生>の<癒し>であり、そのことで残されたこれからの生がますます輝きを増すことになる。

それとともに、りん死患者の体験やじぶんじ身の神秘的な体験に促されるようにして、合理的な医学教育を受けてきたはずのロスはしだいに、死後のいのちへの確信を深めていく。過去の癒しとともに未来からの希望が、いわば両面からりん死患者を支えるようになる。でも、それについては、この時期にはまだまだあまり声高に言われることは少なく、副次的な位置を堅持していた。

ロスにはこれまでに多くの著書があり、最初の著書『死ぬ瞬間』〔原著一九六九年)をはじめとして、『死ぬ瞬間の対話』(一九七四年)、『続・死ぬ瞬間』(一九七五年)、『死ぬ瞬間の子供たち』(一九八一年)、『新・死ぬ瞬間』(一九八三年)、『エイズ死ぬ瞬間』(一九八七年)の六冊が、デレク・ギルによる伝記『「死ぬ瞬間」の誕生』(一九八○年)とあわせて「死ぬ瞬間」シリーズの形で読売新聞社から刊行されている。また、E・キューブラー・ロス文/M・ワルショウ写真『生命ある限り-生と死のドキュメント』(一九七八年)と『生命尽くして-生と死のワークショップ』(一九八二年)が産業図書から刊行された。

こうした一連の著書をいま読み返してみると、死後のいのちに関するロスの確信が、実はかなり早い時期から少しずつ、控えめな形で表明されてきていることに気づく。すでに二冊目の、一九七四年の著書『死ぬ瞬間の対話』のなかで、質間に答える形で、「死後のいのちを一点の疑いもなく信じている」「肉体は死ぬが精神ないし霊魂は不死だと信じている」と、言栞少なにだがきっぱり言い切っている。翌七五年に出された『続・死ぬ瞬間』では、「ケムシがチョウになるように」という比喩が現れる。しかし何かと考えるところがあったにちがいない。こうしたことを正面から著書に書くことにはかなり慎重だったようである。

 『ダギーへの手紙』と『天使のおともだち』

その例外の一つが文中にも出てくる『ダギーへの手紙』〔アグネス・チャン訳、はらだたけひで絵、佼成出版社)である。これは、一九七八年に九歳の脳腫瘍にかかった男の子ダグ・トゥルノからもらった手紙で投げかけられた、「いのちとは何なの?死ぬってどういうこと?子供が死ななくてはならないの

はなぜ?」という切実な質間に心を打たれたロスが、この本で曹かれているのと同じような内容をはっきりと、子供にも分かるようにやさしくかみくだいて、フェルトペンを使った色彩豊かなイラストを添えて出した返事である。ダギーの宝物になった手紙は、手から手へと渡されて多くの親子に読まれていたが、とうとう手書きの字や絵をそのままに出版された。

この十ページほどの、まるで絵本のような小冊子のなかで、ロスは何よりも神様の愛を強調している。ちょうど太陽のように、神様の愛はいつでも、たとえ雲にさえぎられて私たちの目に見えないときでさえ、私たち一人ひとりをあたたかく照らしてくれていること、その愛は無条件の愛であること、子供は神様に送られて自分の親を選んで生まれてきたこと、親の成長や学習を助けることができること。

生きるとはちょうど学校のようなもので、私たちは生きているあいだに、愛すること愛されることを含めていろいろなことを学ばなくてはならないこと、

神様がら出された試験に合格すると、そこを卒業して私たちがやってきた古巣に帰ることができること、そこはもう痛みなどなく、親しい人たちと再会し、楽しく歌ったり踊ったりできること。

「死ぬことはマユから抜け出て美しいチョウになるようなものだ」という比喩がここで絵入りで使われている。「春に捲かれ、夏に咲き、秋に実り、冬に枯れる」とか、「水平線のかなたに行ってしまった船は目に見えなくなるだけで、消えることなどないのだ」とか、「夜になってもまた朝がくる」とか、いろいろなたとえを使って、死後も続くいのちについて伝えようとしている。

もう一つの例外が、一九八二年に書かれた『天使のおともだち』(伊藤ちぐさ訳、金子千晶絵、日本教文社)というすてきなファンタジーである。男の子ピーターが重い病気にかかって死に、ピーターを愛していたおとなたちも、大なかよしだった女の子のスージーも悲しみの涙を流すが、スージーの悲しみはおとなたちとはちょっと違っていた。それというのも、ふたりはいつも天使と一緒に遊んでいろいろなことを話していたし、ピーターが亡くなる少し前に天使に導かれて肉体を離れ、愛としあわせに満ちた美しいあちらの世界に旅したことがあるからだった。

本来の仕事と取り組む時期

ところが、ワークショップの仕事が軌道に乗ってきた頃ロスは、本文に書かれているように、死にゆく患者を椙手の役目はもう終わった、という啓示を受ける。すでにロスの代わりとなる人はたくさんいるし、ロスがこの世にいる当の理由は、死は存在しないという〈死後の真実〉を人々に伝えることであって、これまで取り組んできたことは、この仕事をやりぬくための苦難や酷使や抵抗に耐えることができるかの試験台だった、というのである。

こんなふうに死にかかわるロスの仕事の歩みを三つの時期に分けてみたが、もちろんこれは便宜的なもので、新しい時期の仕事を特徴づける要素は古い期に芽生えているし、新しい時期を迎えたからといって古い時期の仕事の意味が薄れるというものでもない。

それにしても、あらゆる時期を一貫して特徴づけるキーワードは何かと間われれば、それは無条件の〈愛〉のエネルギーだと答えたい。

 現代のシャーマン

重症の患者から臨死体験についていろいろ見聞きするのと前後して、ロス自身も霊的な存在との触れ合いや超越的な体験をすることが、死ぬ瞬間を共にする仕事を始めるずっと前からいろいろあったらしい。

愛と霊感のカを借りて、この世の生と死後の世界とを仲立ちする人ー。これはまさにシャーマンだが、ロス自身も、自分はシャーマンだと称してはばからない。これには、行ったこともないインディアン部落の夢見や、実際に部落を訪れたときの懐かしい既視感や、催眠退行による体験がからんでいて、ロスは自分がかつて前世でインディアンだったと信じているようなのである。

当時朝日新聞社の編集委員だった飯塚真之さんが取材した「こころ」の頁(朝日新聞、一九九〇年十二月三日朝刊)によると、ロスは、親交のある精神科医の卜部文麿(うらべふみまろ)さんに向かって、「あなたもシャーマン、私もシャーマン、インディアンのシャーマンは癒しを意味するが、私たちも現代の医師として立派なシャーマンです」と語り、「私は2003年まで生きます〔七十七歳になる)。あなたもそれまで生きてください。でもその年に死ぬことが決まっています。なぜって、昔からそう思っていた」とも語ったという。

死後の真実がはたしてロスの言っているとおりかどうかについては異論もあるかもしれない。しかし、ロスの偉大なところは、たんにりん死体験について世界で最初に関心を持ち本格的な研究をしたのがロスだった、というだけではない。興味とか研究とかの前に、何よりも死に臨む人たちとの深い愛と学びに動機づけられているところが私たちを感動させるのではないだろうか。

人類全体が長いこと物質本位に走り続けたあげく大きな危機にさしかかっいる今日、この本は、私たちに見えない世界を見るように促し、新たな目覚を誘う重要な意味を持っているように思う。

【付記】本書が刊行されてから、キューブラー・ロスの著書が二冊邦訳された。一冊は『「死ぬ瞬間」とりん死体験』(鈴木晶訳.読売新聞社)で、本書と同じようなテーマについて取り上げた七つの講演を集めたもの。多少重複する内容もあるが、これはこれで一読に値する。もう一冊は『人生は廻る輪のように』(上野圭一訳、角川書店)で.これはロス博士自身の手によって書かれた自伝である。デレク・ギルによる伝記『「死ぬ瞬間」の誕生』の記述が一九六九年末、つまり「死のセミナーの時期」で終わっているのに対して、それ以後の「癒しのワークショップの時期」、さらには、死後の真実を人々に伝えるという「本来の仕事と取り組む時期」についても多くのページが割かれている。仕事から引退した七十一歳のロスはこれが事実上の絶筆になるだろうと述べている。

【付記2】二〇〇四年八月二十四日、ロスは自分が予感していた時期より一年だけ遅れて、マユから抜け出して美しいチョウになった。