山寨革命とは何か?

なにかが違うな・・・。多くの日本人は昨今の日本企業の不振に戸惑っているのではないだろうか。数年前・・・、というか、ほんの少し前に、地デジなどを追い風に順風満帆に見えた液晶テレビが・・・、価格が崩落、今現在は32型で24800円。松下も、ソニーもシャープですら、不振にあえいでいる。

円高であるとか、ユーロの問題とか、タイの洪水、東日本大震災・・・だけでは説明しきれないなにかがあるかもしれない。その問いに一番近いところを触ってくれているなと、中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃を読んで、そう思った。

さて、「山寨革命」とは何か、ということも含め、この本を的確に説明しているのが著者の前書きだ。これは是非、全文読んでもらいたい。以下がそうである。

本書の初稿ができあがったとき、周りの友人に見せてみた。すると、ある友人が「最初のところはルポルタージュのようだね」といったので、私は「そのとおり」と答えた.この本はまるで山寨(Shan Zhai 日本語読みはサンサイ。元々は山中の砦という意味。その後、農民による反統制運助を指す言葉として使われた後、北京オリンピックの前後に意味が拡大され、コピー、偽物、ゲリラ、非官製、草の根などを示す言葉として使われ始めた)の携帯電話のように、盛り込めるものはすべて盛り込んであり、できるだけ短い中に簡潔に可能な限り多くの内容を詰め込んだものだ。本書はまるで「三者合一」の商品のようでもあり、多くの人が一つのテーブルで食事をしているのにそれぞれが好きなものを食べ、他の人の食べているものを食べてもいいという状態だともいえる。

第一部は「山寨風雲」で、まさにルポルタージュである。山寨の携帯電話の生産量はみるみるうちにそびえたつ山のように増え、年間の売上高が一〇〇〇億元を超え、数十万のユーザーを持つに至った。そのユーザーは全世界にまたがり、数億人を超えている。比類なき情熱を燃料として燃え上がった山寨の火は中国全土を覆い尽くしている。その結果、「山寨」という言葉もまた二〇〇八年に最も流行った言葉の一つになった.あとになってみれば、決して無視できない歴史の一コマだったといわれるに違いない。

第一部では事実に即して議論を挟みながらこの時期の歴史を述べるが、これは「物語」が好きな人には美味しい料理となるだろう。

第二部は「山寨革命」である。ヘンリー・フォードを筆頭に確立された生産方式は、すでに世界を一〇〇年もの間支配してきた。この方式の神髄は無限に細密化された分業と、膨大な規模、複雑な階層システムと官僚組織を以て企業を働かせることである。標準化と生産ラインはすべての製品の変動費用の増加分を極限まで低く抑えた。わかりやすくいうと、より多く生産してもコストは決まっており、そのことが企業が大規模化する主な目的であるということだ。また、交通と通信の発展はさらに拡張への障壁を取り去り、大型化及び大企業による管理をメリットあるものとした。二〇〇四年に生産額が一〇〇〇億ドルを超える企業は世界中に13社しかなかったが、二〇〇八年には四五社に達している。これに対応して社会のそのほかの組織も大型化、複雑化の様相を呈している。「大きいことはいいことだ」という言葉はすでに人類共通の定理となったかのようであり、心理的にも大型化いう傾向に賛同してきた。

しかし、「山寨現象」は我々に再びこの定理を見つめなおさせ、フォード時代に確立されたルールを知らず知らずのうちに瓦解させた。旧来の企業内部の労働の分業はすでに社会の分業となっており、生産が複雑な製品も大企業の専売特許ではなくなっている。フォード以来の「高い固定費用、低い変動費用」という状況は実質的に変化をはじめ、規模の大型化による利益はコストの整理と官僚機構に丸呑みされてしまっている.大企業をよく見てみると、大型の組織はすでに空洞化し、研究開発、生産から販売に至るまですべての部分が実質的な意義を失っている。携帯電話であれ、コンピュータであれ、もちろん白動車であれ医薬であれ、大企業内部のコストは外部の市場の勢いと闘う方法もなく、すべてはひっそりと変わってしまった。

これらの変化は「革命」というにふさわしい。もしもあなたが「大きいことはいいことだ」という定理を忘れ、まったく先入観のない異星人の目で歴史を観察すれば、すぐにポスト・フォード時代が来ていることがわかるだろう。過去のルールや定理は最後のお祭り騒ぎにすぎない。産業革命は武力革命のように強烈ではないが、それゆえに往々にして人々は物事の真の姿を知らないままに、山の中に取り残されたような状態になる。

インターネット上には山寨の情報があふれている。そしてそれらの大多数はすべて、コピー、クリエイティブ、物まね、パワフル、かわいい、恥ずかしい、庶民の、逸晶などの言葉を使っているだろう。一言でいって、重層的・多角的な分析はなされておらず、山寨の隆盛の内在的原因や意義はネット上では述ぺられていない。

もしも第一部を史料とするならば、この第二部の「山寨革命」は史論であり、私は思索好きの読者に料理を出したことになるだろう。私見では、このタイプの読者にはそれぞれ白分の視点と見方があるゆえに大変「サービス」しにくい。ただ、この部分はDIYのようなもので読者は自分の見解と図式をもっており、私はただ見ていればいい。私が保証できるのは、本書は簡単なコピーの切り貼りでもなければ、ネット上で見つけてきたものを組み合わせればできるというものでもなく、じっくり煮込んでできるだけ多角的に読者に珍しい材料を提供し、ユニークな味に仕上げたものであるということだ。

経済システムの変化は社会の多方面に影響を及ぼし、社会的組織や政府の職能、企業内部の組織の原則に必ず相応の変化をもたらす。産業革命以降打ち立てられてきた膨大な官僚システムと営々と築きあげられた金宇塔型の社会ほ時代の挑戦を受け、小さく巧みで、活力のある、効果の高い山寨社会が必ず旧社会にとって代わるだろう。それが、第三部の「山塞社会」である。

人類社会に関する美しい考えは昔からあり、老子の小国寡民(国土が小さく国民が少ないこと)やプラトンの理想国家、儒家の社会秩序、第三の波のプロシューマー、フラット化する社会などがそれである。残念ながら現実は正反対に向かって進み、いけばいくほど理想とは遠くなるばかりである。収入が増えるほど二極分化が進み、生産力の発展の成果はピラミッドの頂点にいる少数の人に独占されてまばゆいばかりに輝いており、私利私欲にとらわれた官僚体制は社会の瘤(こぶ)となっている.不幸なことに社会すべてがこのような価値観を受け入れ、アンクル・トムと彼の主人のように、統治したりされたりする関係に慣れきっている。社会と、人々の不平等はますます当然のように受け入れられ、賞賛されてさえいる。

しかし、このような時代はすぐに消え去るだろうというのが私の結論である。山塞製品の生産方式と比べればこの変革はゆっくりとしたものではあるが、必ず実現する。これは革命のラッパではなく、ユートピアでの話でもないが、社会が進んでいる趨勢なのである。

私は、実利を重んじる中国人だが、本を読むということは、間題の答を得るためだけでなく、精神的な慰籍と人としての理想を求めることだと信じている。このように考えれば、第三部の「山寨社会」は読者のための美酒になるだろう。 阿甘、2009年二月七日

著者は1967年生まれ、日本人の同じ年代の人では書けない理屈が通っている。日本では、ほぼ死滅したと思われる「マル経」、いわゆるマルクス経済学だ。弁証法的に止揚した先に未来というか希望を持っていくのは、段階の世代こそわかりやすいかもしれないな。上記まえがきの第三部「山寨社会」で、著者は控えめではあるが見事に革命のラッパを鳴らそうとし、ユートビアを語ろうとしている。著者と同年代の日本人にそれができるだろうか。

実に、経済学に必要なのは数量化やシミュレーション以上に 「哲学」なのである。座標軸たりうる哲学がない以上、数量化やシミュレーションは、ただ混迷を招くだけである。今の日本は、「マル経」だけでなく、実に「哲学」が欠けているのであると思う。

この本の後ろに、生島氏が「解説」を書いているが、この「解説」の視点の定まらないふにゃふにゃぶりにはなんともやりきれない思いがした。この「解説」こそ、実に今の日本を如実に表している、と敢えて解説しておこう。

エンディング・ノートは、団塊の世代「最後」の大量生産化か?

エンディング・ノートは考えれば考えるほどわからなくなる映画だ。死にたいと思っている人も世の中には沢山いるから、そういう人にとってはためになると思うが、生きたいと思っている人はそれ以上沢山いると思うので、そういう方々には良くない映画だと思う。

世の中には「願望成就法」なるものが多く存在しているが、そのなかでも定番なのが、ノートに自分の夢をできるだけ具体的に書いてみるという方法だろう。例えばお金持ちになりたいという方は、具体的に金額を書く。10億円とか、100万円とか。車が欲しいという方は車の名前を書いてみる。ベンツ500SL(こんな車あるかなぁ?、興味がないので確証ありません)とか。

エンディング・ノートは、この「願望成就法」をなぞったもの。ということは、つまり、お父さんは、死にたかったといえるのではないでしょうか。この映画でわかることは、具体的にノートに書き連ねた言葉は力をもち、家族や医者、および関連スタッフに共通の認識と力を与え、死の具現化のためまっすぐにゴールへと突進してしまったということです。ドキュメンタリーながら、この映画のエンディングシーンは、作り込まれたものとなり、つまらないものになってしまいました。

誕生や死は、たとえば、ゲーテが、最後に「光をもっと光を」といったり道長が、「極楽浄土」を願ってひもを手にとったり、人生の中でも、作為的な嘘のようなものが入る隙のない、当事者の真実がほとばしる数少ないシーンの一つであると思うのですが、お父さんは最後の最後を当たり前といえば当たり前の普通名詞の「死に際」にしてしまいました。それがいいんだ、といわれれば、何ともいいようがありませんが、それでも、結局、このお父さんは何者だったの?という疑問が私の中では残り続けております。

大会社の取締役とのことだが、業績は残したのかな、一つ二つは紹介してもらいたかった。就職以前、進学などには自分の意志は介在したのだろうか、先生とか進路指導のまま考えることなく進学、就職したのだろうか。奥さんとは恋愛なのだろうか、挫折体験はなかったのだろうか。夫婦関係、親子関係はどうだったのだろうか。かなえた夢は、最後の死以外にあったのだろうか。疑問はキリがないが、・・・なにも見えない。

ソニーとの取引に失敗したとのことだが、それはそのままだったのだろうか。反省はあったのだろうか、あったとしたらそれはどのように生かされたのだろうか。仏教の葬儀はお金がかかるということでキリスト教にしたのだが、いくら節約になったのだろうか。仏教とキリスト教以外の選択は何があったのだろうか、なかったのだろうか。節約ということなら、究極として墓などいらないということにはならなかったのだろうか。川とか海に灰を投げるというのはどうだろうか。

キューブラー・ロスは「最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階」として死の受容のプロセス(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)を表しているが、そのようなものはこの映画では見られなかった。このプロセスは、否認とか怒りの間に、医師や医療への疑問とか怒りを経ることになり、たとえば、病院や医者を変えてみたり、丸山ワクチン(今もあるのかな?)ゃ他の療法を試したりということになるのだが、お父さんはそのような事はなかったのだろうか?治るとか治療するという、つまり生きる意志がそもそもあったのだろうか。なにも見えないのだ。最後までなにも見えないのだ。映画はひたすら、凡庸な死にむかっていくだけだ。

普通は、そうだなあ、家族の中にも「鬼っ子」みたいな、出来損ないで頭や素行が悪いのがいて、それが、映画を撮っているのに怒ってスタッフを蹴り散らかしたり、医者に悪態を付いたり、無理矢理退院させたり、理屈じゃできないことを平気でやらかして、その場や空気に冷や水を浴びせたりして、結果的にお父さんを救ったり、そこまで行かなくても、遺産相続なんかでもめて、葬儀をめちゃくちゃにしたりして、生気あるお父さんの一生を創り上げたりしないかなと思うんだけどなぁ、どうなんだろう。

懸念するのは、ベビーブームでうまれて、ベルトコンベアに載りっぱなしで生きてきて、気が付いたら死が近づいてきた。とはいえ、ベルトコンベア以外の選択は経験がないため、そのままベルトコンベアにしがみついてしまったら死んじゃったということだった・・・、そういうことだったのではなかろうか?そんなことがあるのだろうか?・・・、十分にありそうだな。家族のあり方を含めて、考えさせられる映画ではありました・・・。

最後に、E・キューブラー・ロスの貴重な講演集「死後の真実」巻末にある、阿部秀雄の解説き部分(キューブラー・ロスの略歴みたいになっている)を以下に紹介したい。キューブラー・ロスの「死」に対する真摯さに鑑みてこの映画を精査すれば、わたしがこの映画にもつ疑問が少しでも理解していただけるのではないかと思う。

死のセミナーの時期 

エリザベス・キュープラー・ロスは一九二六年、スイス、チューリヒで生れた。義務教育を終えると、父親の反対を押し切って医師への道をめざした。住み込みの家政婦などをして働きながら大学入学の資格を取り、一九五七年チユーリッヒ医科大学を卒業する。結婚してアメリカに渡り、一九六五年にシカゴ大学に研究員として入局してから、りん死患者のベッドサイドを訪れて、死にゆく人の話し相手になり、悲しみの克服と死の受容を助けるという、これまで誰も手を付けようとしなかった仕事を始めた。

数多くの患者と体験を共にするうちにロスは、重症のがんだという衝撃的な宣告を受けた患者が経ていく心の動きに共通するものがあることに気づく。まずはその事実をかたくなに否認することから始まって、怒りを激発させ、取り引きを試み、あきらめて悲嘆に沈む時期を経て、安らかに死を受容してこの世に別れを告げるまでの五段階である。後になってこれは、たんに、りん死の体験にかぎったことではなく、その人にとってかけがえのない大切なものを喪失するときつねに体験する現象だということが明らかになった。

シカゴ大学に入局してまもなく「死のセミナー」を開始し、一九六九年には『死ぬ瞬間』を出版した。この最初の著書がベストセラーになり、また国際的なライフ誌で大きく取り上げられるなどしてその業績が広く世に知られるにつれて、ロスはアメリカ国内はおろか、世界各地を超多忙のスケジュールで飛び回るようになる。なお、ここで紹介しているロスの半生については、デレク.ギル著『「死ぬ瞬間」の誕生』〔貴島操子訳、読売新聞社)を参照した。

医者が生かすことでなく死ぬことに目を向けるなどというのは、当時としては異端視さえされかねない画期的な仕事だったが、今日では終末期医療やホスピスの先駆者として高く評価されている。この時期のロスの仕事を特徴づけるキーワードは、来るべき<死>ないしは<喪失>の〈受容〉をどう援助するかであった。

 癒しのワークショップの時期

少数の人たちを相手にもっと深い交流ができるのではないかと思うようになったロスは大学を辞め、病床で個々の患者と輝くような最期のひとときを共にするほか、集団による癒しのワークショップに力を入れるようになる。最初のワークショップが試みられたのは一九七〇年。これが成功に終わったので各地で開かれるようになったが、やがて一九七七年になるとシャンティ・ニラヤと呼ばれる本拠地が建設される。

時とともに、ロスが主宰するワークショップは、りん死患者のための死への癒しにとどまらず、広くさまざまな苦悩をかかえた人々を含めた、生と死の癒しの場へと発展していく。五日間のワークショップに参加した人たちは、いつしか心のよろいをはずして感情を解き放ち、心ゆくばかり怒りをぶつけ号泣したあとで互いに抱き合い、許し合い、じぶんと他人を愛する力を取り戻して、まるで別人に生まれ変わったかのように、見失っていた自じぶんを取り戻す。

この時期の特徴は、来るべき死に気持ちを向ける前にまずベクトルを逆にして、生まれてからこの方、根深いところに閉じこめてきた苦痛の感情を、無条件の愛に包まれた安心感に支えられて解き放つのを助ける仕事が本格化してきたことである。キーワードは過ぎ去った<生>の<癒し>であり、そのことで残されたこれからの生がますます輝きを増すことになる。

それとともに、りん死患者の体験やじぶんじ身の神秘的な体験に促されるようにして、合理的な医学教育を受けてきたはずのロスはしだいに、死後のいのちへの確信を深めていく。過去の癒しとともに未来からの希望が、いわば両面からりん死患者を支えるようになる。でも、それについては、この時期にはまだまだあまり声高に言われることは少なく、副次的な位置を堅持していた。

ロスにはこれまでに多くの著書があり、最初の著書『死ぬ瞬間』〔原著一九六九年)をはじめとして、『死ぬ瞬間の対話』(一九七四年)、『続・死ぬ瞬間』(一九七五年)、『死ぬ瞬間の子供たち』(一九八一年)、『新・死ぬ瞬間』(一九八三年)、『エイズ死ぬ瞬間』(一九八七年)の六冊が、デレク・ギルによる伝記『「死ぬ瞬間」の誕生』(一九八○年)とあわせて「死ぬ瞬間」シリーズの形で読売新聞社から刊行されている。また、E・キューブラー・ロス文/M・ワルショウ写真『生命ある限り-生と死のドキュメント』(一九七八年)と『生命尽くして-生と死のワークショップ』(一九八二年)が産業図書から刊行された。

こうした一連の著書をいま読み返してみると、死後のいのちに関するロスの確信が、実はかなり早い時期から少しずつ、控えめな形で表明されてきていることに気づく。すでに二冊目の、一九七四年の著書『死ぬ瞬間の対話』のなかで、質間に答える形で、「死後のいのちを一点の疑いもなく信じている」「肉体は死ぬが精神ないし霊魂は不死だと信じている」と、言栞少なにだがきっぱり言い切っている。翌七五年に出された『続・死ぬ瞬間』では、「ケムシがチョウになるように」という比喩が現れる。しかし何かと考えるところがあったにちがいない。こうしたことを正面から著書に書くことにはかなり慎重だったようである。

 『ダギーへの手紙』と『天使のおともだち』

その例外の一つが文中にも出てくる『ダギーへの手紙』〔アグネス・チャン訳、はらだたけひで絵、佼成出版社)である。これは、一九七八年に九歳の脳腫瘍にかかった男の子ダグ・トゥルノからもらった手紙で投げかけられた、「いのちとは何なの?死ぬってどういうこと?子供が死ななくてはならないの

はなぜ?」という切実な質間に心を打たれたロスが、この本で曹かれているのと同じような内容をはっきりと、子供にも分かるようにやさしくかみくだいて、フェルトペンを使った色彩豊かなイラストを添えて出した返事である。ダギーの宝物になった手紙は、手から手へと渡されて多くの親子に読まれていたが、とうとう手書きの字や絵をそのままに出版された。

この十ページほどの、まるで絵本のような小冊子のなかで、ロスは何よりも神様の愛を強調している。ちょうど太陽のように、神様の愛はいつでも、たとえ雲にさえぎられて私たちの目に見えないときでさえ、私たち一人ひとりをあたたかく照らしてくれていること、その愛は無条件の愛であること、子供は神様に送られて自分の親を選んで生まれてきたこと、親の成長や学習を助けることができること。

生きるとはちょうど学校のようなもので、私たちは生きているあいだに、愛すること愛されることを含めていろいろなことを学ばなくてはならないこと、

神様がら出された試験に合格すると、そこを卒業して私たちがやってきた古巣に帰ることができること、そこはもう痛みなどなく、親しい人たちと再会し、楽しく歌ったり踊ったりできること。

「死ぬことはマユから抜け出て美しいチョウになるようなものだ」という比喩がここで絵入りで使われている。「春に捲かれ、夏に咲き、秋に実り、冬に枯れる」とか、「水平線のかなたに行ってしまった船は目に見えなくなるだけで、消えることなどないのだ」とか、「夜になってもまた朝がくる」とか、いろいろなたとえを使って、死後も続くいのちについて伝えようとしている。

もう一つの例外が、一九八二年に書かれた『天使のおともだち』(伊藤ちぐさ訳、金子千晶絵、日本教文社)というすてきなファンタジーである。男の子ピーターが重い病気にかかって死に、ピーターを愛していたおとなたちも、大なかよしだった女の子のスージーも悲しみの涙を流すが、スージーの悲しみはおとなたちとはちょっと違っていた。それというのも、ふたりはいつも天使と一緒に遊んでいろいろなことを話していたし、ピーターが亡くなる少し前に天使に導かれて肉体を離れ、愛としあわせに満ちた美しいあちらの世界に旅したことがあるからだった。

本来の仕事と取り組む時期

ところが、ワークショップの仕事が軌道に乗ってきた頃ロスは、本文に書かれているように、死にゆく患者を椙手の役目はもう終わった、という啓示を受ける。すでにロスの代わりとなる人はたくさんいるし、ロスがこの世にいる当の理由は、死は存在しないという〈死後の真実〉を人々に伝えることであって、これまで取り組んできたことは、この仕事をやりぬくための苦難や酷使や抵抗に耐えることができるかの試験台だった、というのである。

こんなふうに死にかかわるロスの仕事の歩みを三つの時期に分けてみたが、もちろんこれは便宜的なもので、新しい時期の仕事を特徴づける要素は古い期に芽生えているし、新しい時期を迎えたからといって古い時期の仕事の意味が薄れるというものでもない。

それにしても、あらゆる時期を一貫して特徴づけるキーワードは何かと間われれば、それは無条件の〈愛〉のエネルギーだと答えたい。

 現代のシャーマン

重症の患者から臨死体験についていろいろ見聞きするのと前後して、ロス自身も霊的な存在との触れ合いや超越的な体験をすることが、死ぬ瞬間を共にする仕事を始めるずっと前からいろいろあったらしい。

愛と霊感のカを借りて、この世の生と死後の世界とを仲立ちする人ー。これはまさにシャーマンだが、ロス自身も、自分はシャーマンだと称してはばからない。これには、行ったこともないインディアン部落の夢見や、実際に部落を訪れたときの懐かしい既視感や、催眠退行による体験がからんでいて、ロスは自分がかつて前世でインディアンだったと信じているようなのである。

当時朝日新聞社の編集委員だった飯塚真之さんが取材した「こころ」の頁(朝日新聞、一九九〇年十二月三日朝刊)によると、ロスは、親交のある精神科医の卜部文麿(うらべふみまろ)さんに向かって、「あなたもシャーマン、私もシャーマン、インディアンのシャーマンは癒しを意味するが、私たちも現代の医師として立派なシャーマンです」と語り、「私は2003年まで生きます〔七十七歳になる)。あなたもそれまで生きてください。でもその年に死ぬことが決まっています。なぜって、昔からそう思っていた」とも語ったという。

死後の真実がはたしてロスの言っているとおりかどうかについては異論もあるかもしれない。しかし、ロスの偉大なところは、たんにりん死体験について世界で最初に関心を持ち本格的な研究をしたのがロスだった、というだけではない。興味とか研究とかの前に、何よりも死に臨む人たちとの深い愛と学びに動機づけられているところが私たちを感動させるのではないだろうか。

人類全体が長いこと物質本位に走り続けたあげく大きな危機にさしかかっいる今日、この本は、私たちに見えない世界を見るように促し、新たな目覚を誘う重要な意味を持っているように思う。

【付記】本書が刊行されてから、キューブラー・ロスの著書が二冊邦訳された。一冊は『「死ぬ瞬間」とりん死体験』(鈴木晶訳.読売新聞社)で、本書と同じようなテーマについて取り上げた七つの講演を集めたもの。多少重複する内容もあるが、これはこれで一読に値する。もう一冊は『人生は廻る輪のように』(上野圭一訳、角川書店)で.これはロス博士自身の手によって書かれた自伝である。デレク・ギルによる伝記『「死ぬ瞬間」の誕生』の記述が一九六九年末、つまり「死のセミナーの時期」で終わっているのに対して、それ以後の「癒しのワークショップの時期」、さらには、死後の真実を人々に伝えるという「本来の仕事と取り組む時期」についても多くのページが割かれている。仕事から引退した七十一歳のロスはこれが事実上の絶筆になるだろうと述べている。

【付記2】二〇〇四年八月二十四日、ロスは自分が予感していた時期より一年だけ遅れて、マユから抜け出して美しいチョウになった。

 

アドビ イラストレーター(Adobe ILLUSTRATOR)で金剛頂経

いつかは使おうと思い、そのままパソコンに眠っていたアドビイラストレーターですが、いよいよ今回使ってしまいました。よかったよかったです。

きっかけは、前回ご紹介した、「ラモス久美子-お父さんのヨガ入門講座」。早速使おうと思い、イラストレーターを起動するも、全然わかりません。こういうこともあろうかと、ブックオフで購入していた中古教則本もながめてみても、・・・わかりません。昔はこうではなかった、やはり歳か・・・、と思いつつ、しかし使えない。でも、チラシはつくらなくちゃ。

ということで、使い慣れたマイクロソフトのPHOTODRAWでまずは作成。これはあっというまでした。で、作業をながめてみるとほとんどテクスト 、文字列操作です。それではと、教則本、これはX-MEDIA社のILLUSTRATOR CS MENU MASTER(タイトルは何で英語なんだと今、気がつきました)。関連項目は数ページです。さらさらと読んでなるほどと納得。それから、PHOTODRAWの内容をILLUSTRATORにコピー&ペースト。もちろん、不具合などありますので、その都度修正しつつ、関連項目を読書、もしくはググッてようやくチラシを作成。

実際、移植作業をしてみると、癖はあるもほとんど同じような感触でした。ですから、PHOTODRAWを脳内で置換するようにしてILLUSTRATORを操作できるという感覚が残りました。今回はこれで充分です。

ヨガチラシヨガチラシ裏面をクリックしていただければ、チラシがPDFファイルで見ることができますので、お試しください。

今回、よくわかったことは、これからの学習とか勉強は一から始めるということよりも、経験知を利用して行うようにしたら良いということです。今回はPHOTODRAWの経験を利用したわけですが、この経験がない場合は、もうすこし、深く潜在意識をただよえば、集合無意識部分に到達できるかもしれません。そこからILLUSTRATORの経験知を利用するということもあながち不可能な事ではないかもしれません。

ただいま、和訳 金剛頂経を読んでいるところです。これは二回目、一回目は何がなんだかわかりませんでしたが、いまはややわかりつつある。これはある種の「憑依」を意識的におこなうものなのです。たとえば、金剛菩薩をイメージし、そのイメージを自身に憑依させる。そうすれば、自分は金剛菩薩とおなじような力を発揮することができる。ま、ざっくりと説明するとそういうことです。ある種の危険性もありますので、取扱注意だな。安全なところでは、今回のように、illustratorをphotodraw経由で自身に憑依させるところぐらいでしょうか。

由紀さおり & ピンク・マルティーニ 「1969」年の日本のヒット曲が大ヒット

歌手の由紀さおりさんと、アメリカ・オレゴン州のジャズ・オーケストラ「ピンク・マルティーニ」によるコラボレーション・アルバム『1969』が、日本の歌謡曲でiTunes全米ジャズチャートで1位を獲得し、話題となっている。

EMIミュージック・ジャパンによると、由紀さおりさんは、先月17日ロンドン「ロイヤル・アルバート・ホール」でアメリカ・オレゴン州のジャズ・オーケストラ「ピンク・マルティーニ」とのコンサートを大盛況のうちに終了させた。

この日、「BBCコンサート・オーケストラ」も迎えての大舞台披露した「夜明けのスキャット」、「ブルー・ライト・ヨコハマ」、「さらば夏の日」、「夕月」、「マシュケナダ」を収録したアルバム『1969』は、由紀さおりさんが「夜明けのスキャット」でデビューした1969年の世界のヒット曲を集めたコラボレーション・アルバム。ピンク・マルティーニが由紀さおりさんという日本のシンガーと組んだという話題性、由紀さおりさんの美しい日本語の歌唱と独特のアレンジのコラボレーションが話題となり、急きょ海外での発売が決定した。

1曲以外は全て日本語詞で歌われたこのアルバム『1969』が、現在、EMIミュージックを中心に世界20カ国以上でCD発売とデジタル配信が始まり、各国で大きな反響を呼んでいる。

11月1日にiTunesでの配信がスタートしたUSでは、11月2日付ジャズ・チャートで1位を獲得。日本の歌謡曲のカバーが、US以外の各国でも、カナダのiTunesチャート「ワールドミュージック」で1位など、様々なカテゴリーでランキング上位に登場し、話題は広がる一方となっている。

CDも、10月10日に発売されたギリシャでは「IFPIアルバムチャート」6位獲得(2011/43週)、シンガポール「HMVインターナショナルチャート」18位(10/31付)など、パッケージでも話題を呼んでいる。

世界各国での反響に対し、スタッフは、『1969』は素晴らしい作品と確信していたものの、発売直後から世界各国のチャートを賑わすことまでは想定外だったという。また、『上を向いて歩こう』(SUKIYAKI)のリリースから50年という節目の年である2011年に由紀さおり、そして、日本の歌謡曲が新たに世界の歌謡曲として、時空を超えて、羽ばたこうとしていることに感慨を覚えているという。

11月7日には、USで「1969」がCD発売された。12月には、由紀さおりさんがロイヤル・アルバート・ホールに続き「ピンク・マルティーニ」の全米公演に参加することも決定している。

http://www.zaikei.co.jp/article/20111110/86244.html

 

このニュースというかアルバムのすごいところは、そのタイトル「1969」だと思う。1969年の日本のヒット曲集という意味なのだが、すごいですよね。つまり、たった一年間のヒット曲集ということです。

では、翌年はどうなの「1970」?。さらに「1980」は?というのが背景にしっかり組み込まれているわけで、場合によっては続々とアルバムが何十枚とできてしまう可能性もあるわけです。

そして、日本のヒット曲ということは、日本国民の嗜好性というか、そういった気質に対する評価にもなるわけで、先の大震災に対する日本人の行動が世界的に賞賛されたことにも関係してきそうな気配が感じられます。「日本の歌謡曲が新たに世界の歌謡曲として、時空を超えて、羽ばたこうとしている」ということのみならず、日本の「大衆」文化などへの注目がさらに加速していくのかもしれません。

ちなみに、アマゾン1969で、収録曲の試聴が可能です。いい曲ばかりですね。youtubeでは「pink martini saori yuki」で検索するとぞろぞろ出てきます。お楽しみください。

 

恋空(映画)、オレンジデイズ(tvドラマ)をみました。

映画「君に届け」が面白かったので、三浦早馬主演の恋空を鑑賞しました。しかし、うむ、全く面白くありませんでした。まだの方にはお薦めしません。どこが酷いのか説明しようとしましたが、wikipediaの「作品の評価」を見ていただければ充分でしょう。映画ではありませんが、小説「恋空」の読者レビュー星一つも十分にこの作品の評価を顕していると思われます。DVDも同じく読者レビュー星一つが正確に表しています。日本人のコモンセンスは十分に正常だと安心してしまいました。

悪い作品をみてからしばらくは具合も悪くしていましたので、以前から気になっていたオレンジデイズを鑑賞。

これはよかったなあ。英語字幕がついていたので、2005年9月19日から11月28日まで、ハワイの地上波放送局KIKU-TVで、英語字幕付放送されたものの録画だったと思われます。英語と手話をついでに勉強した感じがしてちょっとしたお得感も味わえたかな。この作品がいかにすぐれていたかは、アマゾンのレビゥーが正確に表していると思われます。元気もらいました。最終話は二回見ました。ドラマはハッピーエンドが必須ですね。最後に泣くドラマは止めて欲しいです。ハッピーエンドは脚本家の義務だと思います、うむ。

追記:

息子が1週間ほど休暇をとって遊びにきました。その間、毎日のようにこのテレビドラマを一緒に鑑賞。こちらが鑑賞を薦めたのですが、息子もはまったもよう。ドラマの内容についてはお互いに分からないところは、質問しあいましたが、年の功でやはりこちらから教えた方が多かったかな。

ドラマのハッピーエンドは評価するとしても、萩尾沙絵(柴咲コウ)の気性からして、結城櫂 ( 妻夫木聡)の前途は多難と言わざるを得ません。結城櫂に限らず、結婚して添い遂げるというのは非常に難しいことですね。

とはいえ、難しいのが人生といえばそうなのかもしれず、その難しさをなんとかこなしていくのが人間の腕の見せ所なのかもしれません。

そういった人生は別にしても、ドラマはなんど見てもよかったな。今日も、ながらで見ていました。ラストシーンなんかは10回ぐらい見たんじゃないかと思います。たしかに萩尾沙絵(柴咲コウ)の気性は激しいものがありますが、その動機というか背景には、心細さとか、繊細さがあるわけで、そういった意味では。女性心理を知る上でも本当に勉強になったドラマでもあります。

妻夫木聡つながりで、この後にスローダンスクワイエットルームにようこそを鑑賞するも、やはりオレンジデイズにはかなわないかな。