昨日ご逝去なされた、ペギー葉山さんの「学生時代」は1964年に発売されて大ヒットをしたが、この曲の作詞作曲は、平岡 精二(ひらおか せいじ)氏。二人は、青山学院の先輩後輩の関係で、モデルはペギー葉山自身、当初曲名は「大学時代」だったが「自分は大学へは行っていないから」と「学生時代」へと改めてもらった。この時にものすごい喧嘩をしたとのことである。
ちなみに、同歌の歌詞中に出てくる「蔦のからまるチャペル」とは、青山学院青山キャンパス内にある国の登録有形文化財のベリーホール内にあるチャールズ・オスカー・ミラー礼拝堂のことである。
二人は、かつては一緒に暮らしていたほどの仲であったが、平岡氏の浮気がもとで別れることになった。この時に平岡氏が「爪(つめ)」を作詞作曲してペギー葉山に捧げたといわれている。1958年の事だが、ペギー葉山がレコードをリリースしたのは8年後の1964年、「学生時代」のリリースと同じ年である。
ペギー葉山が「南国土佐を後にして」でビックヒットを放ち、スターダムを駆け上がったのが1959年だから、二人は、ある意味で、純な恋人時代を持てたと類推される。
「爪(つめ)」は、二人の別れを描いた曲だが、”爪を噛む癖”は実はペギー葉山の癖だそうです。
さて、別れた後も平岡 精二氏はペギー葉山の事を気にかけ続けていたそうで、同じ年に作られた曲「あいつ」は、よりを戻すために、「旗照夫」に歌わせ、メッセージを送ったといわれています。結局、平岡 精二氏は結婚しないで、1990年に58歳の生涯を終わることになります。
とはいえ、別れて8年後に楽曲レコーディングを一緒にして喧嘩もするわけだから、男女を越えた仲だったのかもしれませんね。「学生時代」の大ヒットの翌年、ペギー葉山は俳優の根上淳氏と結婚して幸せな結婚生活を送ることになります(1998年に根上が糖尿病の合併症から来る脳梗塞で倒れてから2005年に亡くなるまで歌手業の傍ら在宅介護を続けた)。
ということなんですが、「つめ~あいつ~つめ」を歌うペギー葉山の心境はいったいどんなものだったんだろうなとは思いますね。最近話題の昼ドラ「やすらぎの郷」みたいだったんでしょうか。ドラマの中でも、浅丘ルリ子や石坂浩二は楽しそうですもんね。
ということで、「あいつ」の歌詞をここいらに置いておこう。
「あいつ」 平岡精二:作詞・作曲 旗照夫:歌
1.ゆうべあいつに聞いたけど あれから君は独りきり
悪かったのは僕だけど 君のためだとあきらめた
だからあいつに言ったんだ もしも今でも僕だけを
想ってくれているならば 僕に知らせてほしいんだ
2.どんなに君に逢いたくて 眠れぬ夜も幾度か
逢いに行けない今の僕 思い浮かべる君の顔
あいつもゆうべ言っていた 悪かったのはお前だと
あいつに言ってもらいたい 僕を許すとそれだけを