吉本隆明 x 中沢新一 /<アジア的なもの>と民主党政権

中央公論2010/4月号掲載の対談ですが、昨日図書館に予約してあったものを借りてきました。インターネット徘徊中に対談の話を見つけ、書店で探したのですがなく、図書館に予約すること数週間後にようやく読むことができました。中央公論は廃刊せずに生きていたのですね、しかし、書店ではなかなかみつからないなあ・・。

対談はおもしろかったですね。河合隼雄さんと中沢新一さんの対談は、河合さんがやさしく包むように接してくれましたから、中沢さんの甘さというものはなかなか露呈していませんでしたが、この対談はイーブンですから、なかなか噛み合わないというか、咬み合わないというか、ずれたままで終わっています。

まずは<アジア的なもの>がわかりずらいですね。これは単に<西洋的なもの>ではないということでよろしいと思います。

マルクス・レーニン主義といいますが、「レーニン」は後から付けたもので実際にはマルクス主義。

社会主義といえば、最初はロシア革命で、レーニンが成し遂げるのですが、そこの解釈がいろいろあります。当たり前ですが。

社会主義といえば、中国は毛沢東ですね。レーニンも毛沢東もマルクス主義を実現しようとしたのではなくて、ロシアも中国も革命前は政治的にはとにかくひどい状況だった。社会も悲惨でほとんどの民衆は奴隷みたいな生活を余儀なくされていた。そういった民衆を救うために時の体制、権力と戦うために、レーニン、毛沢東が拠り所として選んだのがマルクス主義というものだったのです。

毛沢東のことばで、「白い猫も黒い猫もねずみをとれば良い猫だ」とかいうような言葉がありますが(念のため読み直したら、対談中に吉本隆明は鄧小平の言葉として引用してますが、毛沢東が実践論、矛盾論でこの言葉を使っていたように記憶しています、まちがったらごめんなさい)、極論すれば、権力を奪取するために役立つものはマルクス主義だろうが、何だろうが良いわけです。

ところが、マルクス主義というのは非常に精緻な理論なわけで(だから、レーニンや毛沢東が選択したわけですが)、非常に期待させるわけです。しかしながら、ロシアも中国もユートピアにはならずに先の権力に近い、専制ならず独裁国家(共産党独裁)になってしまう。もしくはなったままになりそこからユートピアへと進化しない。

そこを中沢氏はなんだと思うのだが、理屈だけで権力は変化してはいかないわけで。権力を取り巻く環境、指導者の人間性などがいろいろに重なり合ってくる。

さて、民主党の話になると、今回の政権が交代したというのはかなり大きな事実で、吉本氏は以下のように述べています。

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吉本 いろいろな前提がありますが、民主党がこれからどこまで行くかといえば、だいたいロシア革命の後、レーニンが突き進んだ地点の直前まで行く可能性があると見ています。

中沢 その前提はものすごく難しいですね。

吉本 難しいです。それは国民全体の雰囲気が民主党支持になったら、そこまで行くということですね。

昔も今も僕は、レーニン主義までいったらだめだよといっているんです。レーニンの死後、スターリンはレーニンを神格化し、独裁体制を作った。レーニン主義の限界は、哲学者の三浦つとむさんが『レーニンから疑え』と、スターリン言語学批判によって指摘していますから、それを読めばわかりますよ。

中沢 三浦さんの『レーニンから疑え』は単純なレーニン主義批判じゃないですね。

吉本 ええ。僕は戦後、三浦さんから『資本論』を解説してもらったんですよ。共産党のいわゆる主体性唯物論者の中で、三浦さんが一番わかっている。「わかっている」という言い方は傲慢ですけど、僕らが考えているマルクスを中心とする本格的な政治構造や政治思想を本当にわかっているのは、この人だなあと思った。

三浦さんは「レーニンはあまりいい弁証法じゃないよ。エンゲルスの『自然弁証法』と同じで、人間の思想とか観念がどう働くかという事が埒外になっているから、うまくいくわけがないよ」と言っていた。いまからすると簡単なことかもしれないけれど、当時、こんな風に言い切ったのは三浦さんだけだった。

中沢 三浦さんの思想と、いろんな前提や条件が整うとレーニン主義に近づいていく可能性のある民主党との関係は・・・・。

吉本 背中合わせに近いと思いますね。ただ、民主党の人たちがそこまで考えているかはわからない(笑い)。でも、『レーニンから疑え』は、いま民主党の人たちが読むと一番いい本です。

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時代は大きな変化を予兆しており、民主党が政権をとったというのは、その始まりでもあり、これから、いろいろな動きがでてくる。それを、例えば「民主主義とはかくあるべし」とかいうような一般論で読み解くことはできない。レーニンの始まりをよく見ましょうという所ですが、それに関して、中沢氏がマルクス主義を語るのに対し、吉本氏は権力闘争を語っているわけですね。

同じ言葉を使っている対談ですが、中身はかなりすれ違っています。吉本氏が中沢氏などに期待するといっていますが、中沢氏ではだめでしょう(世代の問題で、中沢氏個人の問題ではありません)。もっと若い人、例えば、現在職に就けずに虐げられている20代、30代の人たちが理想を掲げて(世にすれずに)がんばらなくてはならないでしょう。