わたくしあてに公開書簡がインターネット上で公開されているのだが・・・。

文科系出身ですので、理科系は大の苦手、でも、子供のころは、鉄腕アトムのお茶の水博士に憧れておりました。ということで、数年前から、子供のころに憧れていた、電子部品を扱って商いをしています。とはいえ、個人で、判る範囲で、やってみようというのがモットーにしています。だから、売り上げは細々としたものですが、お客様とのやり取りを楽しみながらやっています。

そんなわたくしに、インターネット上で公開書簡が公開されています。ずいぶん前に気が付いていたのですが、わかる人が見れば、簡単にわかる失礼で非礼な書簡ですので、そのままにしておいたのですが、電子工作に興味があるお子さんなどもみることになるだろうと思い、指摘すべきところは指摘しておこうと思いなおしました。

まず、「偽Arduino業者への公開書簡」として公開されているのですが、人を「偽Arduino業者」と一方的に決めつけるのはどうでしょうか。
公開書簡に私が販売しているのは「Arduino UNO R3 完全互換 MEGA328P ボード+専用USBコード セット」とされていますように、正規のArduinoを販売しているわけではなく「完全互換品を販売」しているわけですから、まったく問題がないのです。事実、この公開書簡にも「Arduino製品の設計データは第三者による使用が許されています」とはっきりと書かれております。
また、人を「業者」と呼ぶのは何でしょうか、あまりいい言葉の使い方だとは思いません。『通常どこでも使われる言葉なのでふつうに受け止めている人は多いと思いますが、ただ、ニュアンス的には何となく取引先を見下したような感じがありませんか。』とあるブログに書かれておりました。その通りだと思います。

ということで「偽Arduino業者への公開書簡」は「Arduino互換商品販売者への公開書簡」と書くべきだと思いますが、いかがでしょうか。そうして、「Arduino互換商品販売者への公開書簡」という観点で再度見直すと、なんとも問題が実はあまりないということに気が付くようになると思います。

さて、表題「偽Arduino業者への公開書簡」の下に箇条書きで以下のように書かれております。

1.2014年7月下旬、 こういう偽Arduinoが売られていた。
2.2014年7月30日、 内容証明を送った。
3.2014年8月4日、受取拒否で返送されてきた。
4.当該商品ページがこう変わった。USBケーブルでロゴを隠している。

これは、事のありさまを時系列に書き並べたものなのでしょう。

まず、「1.2014年7月下旬、 こういう偽Arduinoが売られていた。」といってリンクが貼られているのですが、これは間違いです。偽のArduinoではなく、本物のArduinoの写真です。
私は、まずは日本でArduinoを購入していろいろと遊んでみました。写真はその時のものですから偽物ではありません。その後、Arduinoのロゴのない写真を掲載しております。

続いて「2.2014年7月30日、 内容証明を送った。」とのことですが、これは嘘です。こういう公開書簡に嘘を書くのはいかがなものでしょうか。それこそ「偽物業者」になるのではないでしょうか。
わたくしが受け取り拒否をしたのは、内容証明ではなく、配達証明書つきの郵便です。この、配達証明書付きの郵便は法的なものというより、威嚇的に利用されるもので、だいたいろくなものではありません。そういったことなので、素直に受け取り拒否をしたわけです。

また、「4.当該商品ページがこう変わった。USBケーブルでロゴを隠している。」となっておりますが、私は配達証明書付きの郵便を受け取ったわけでないので、どのような内容であるのか全く分かりませんでした。内容が分かったのはインターネット上の「公開書簡」でです。そして、いうまでもありませんがロゴのない写真をどうこう言われる理由は全くありません。「USBケーブルでロゴを隠している。」との言い方も失礼ですが、要はロゴのない写真にさえ文句をつけているわけです。実に偉い方だと思います。

「仕方がないので、公開書簡を送るしだいです。」と言っていますが、それも嘘で、仕方はいろいろあります。そもそも、いきなり配達証明で警告書を送るのはいかがなものでしょうか。販売サイトには連絡先、住所と電話番号が公開されているわけですから、電話をするなり、手紙を書いてみるなりするのが一般的な作法ではないでしょうか。そういったことを省いて、いきなり「警告書」を配達証明書付きで郵送し、あげくにインターネット上で人を批判するのはまったくもって非礼としか言いようがありません。

そもそも「株式会社スイッチサイエンス」の販売サイト上にも、ARDUINO互換商品は売られています。自分は良くて、私がダメというのは、どういう根拠なのでしょうか、まったくわかりません。

さて、改めて申し述べれば、公開書簡ですが、嘘が多すぎます。公開書簡ということでしたら、配達証明書付き内容証明書を送付したうえ、その内容を素直に公開すべきでしょう。

最後の最後ですが、人に向かって殿をつけるのはいかがでしょうか。日本語がわかっていないのでしょうね。参考までヤフー知恵袋を見ていただきたいものです。

ということで、参考までに公開書簡のコピーを下記に記載しておきます。私の指摘を胸に、公開書簡を再度みていただければ、内容が非礼かつ不正確であることに加え、まったく根拠のない書簡であることがわかります。子細についてはこれ以上は指摘しません。金本茂さんの今後ますますのご精進を祈念するものです。

*************記*********************

偽Arduino業者への公開書簡
1.2014年7月下旬、 こういう偽Arduinoが売られていた。
2.2014年7月30日、 内容証明を送った。
3.2014年8月4日、受取拒否で返送されてきた。
4.当該商品ページがこう変わった。USBケーブルでロゴを隠している。
仕方がないので、公開書簡を送るしだいです。

警 告 書

貴社が文化雑貨倉中屋として販売する商品のArduin
o UNO R3 完全互換 MEGA328P ボード+専用
USBコード セットには、Arduinoの登録商標が
表示されていますが、この商品は正規のArduino製
品ではなく、また同商標の使用方法として許可された方法
でもありません。Arduino製品の設計データは第三
者による使用が許されていますが、同商標の表示は許され
ていません。貴社の行為は、Arduino製品の製造
元、私たち正規代理店の権利を侵害するだけでなく、商標
法に違反する犯罪行為です。貴社においては、直ちに当該
の商品の販売を停止し、在庫を破棄するとともに、これま
でに正規のArduino製品と信じて購入した一般顧客
の損害を回復するよう、強く申し入れます。

平成26年7月30日

東京都新宿区箪笥町35
株式会社スイッチサイエンス 代表取締役 金本茂

宮城県仙台市太白区茂庭台4-3-8-501
文化雑貨倉中屋 店主 倉中 殿

「往生要集」の著者、源信のターミナル・ケアは進んでいたらしい

60歳を過ぎたということも有り、最近は死に方について考えることが多くなったような気がする。昔は気にもしていなかった浄土宗や浄土真宗の西方浄土の話なんかに惹かれるようにもなってきた。何か月か前に読んだ本で、浄土教の基礎を築いた源信なんかは、かなり進んだターミナルケアをしていて、近親者のターミナルケアは、死に行くものが現世に執着をもつようになるので、近親者以外の看護が望ましいような教えしていたらしい。

そのあたりを読み直してみようと、今日は時間をかけて本棚を弄っていたのだが、目的の書物が見つからなかった。確か、寝たきり老人や、植物人間とのコミュニケーションについて語っていた本だと思ったのだが、題名も忘れているのだからしようがない。いずれ、時期が来たら現れるのだろうと思うことにした。

代わりと言ってはなんだが、生、死、神秘体験―立花隆対話篇に浄土教についての似たような記述があるのに気づいた。なかなか面白かったので、ご紹介。

臨死体験が語るもの

立花 今度、「文藝春秋」に三年近く連載した「臨死体験」という作品が完結するんですが、これはおそらく、僕がこれまで書いてきたものの中で、いちばん読者の関心が高かったように思うんです。僕自身、そのあまりの反響の大きさに、ややとまどっているといった状況なんですね。

臨死体験へのそういった関心の深さというのは、人がやはり死というものをいろいろな意味でかなり強く意識している.そういう時代背景があるんじゃないでしょうか。一つには世紀末ということもあるだろうし、高度医療化時代を迎えて、脳死間題、尊厳死問題、ガンの告知問題などを通じて、みんないやおうなしに死の問題を考えざるをえなくなったということもあるだろう。あるいは環境聞題で、地球の死というような終末論的状況を考え蔽ければならなくなったということもある。

先生には取材の段階で平安末期の浄土信仰や「二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)」という念仏結社について教えていただきましたが、あの時代がやはり、末法思想という一種の終末論が流行った時代ですね。

山折 そうです。

立花 ちょうど社会体制も平安から鎌倉へと移行する大転換期で、社会経済的にも、いろんな混乱があり、やはり人が死というものを強烈に意識せざるをえない状況があった。その中で、死んだらどうなるのか、死んだあと、極楽浄土へ行くにはどうすればいいのかという関心が非常に高まったわけですね。

山折 そうです。日本では死後の世界の概念がつくられていくうえでは、やはり浄土教の影響が大きかった。この浄土教というのは、もちろん元はインド仏教の一派なんですが、とくに人間の死後の運命、人は死んでのち、どこに「往生」するかということについて考察をめぐらせた一派です。その浄土教が日本の民衆のあいだに浸透していった時期が、だいたい平安の中期から末期.『源氏物語』が書かれた時期になります。そのころ、比叡山に源信(九四二~一〇一七年)という僧が出て、『往生要集』という本を書き、日本の浄土教の基礎を築いた。これはいわば死のためのテキストで、地獄や極楽のイメージ、極楽往生のために行なうべき信仰生活について詳しく説いたものです。一般の人々にも広く読まれ、その後の日本人の地獄観、極楽観の形成に決定的な影響を与えています。

この本を書いたあと、源信は実際に念仏結社をつくって、極楽往生のための実験を行なうわけです。同志たちと毎月一五日の満月の日に集まって、徹夜で念仏を唱えた。この結社には、二五人の人間が集まったので「二十五三昧会」という名がつきました。
彼らはメンバーの中の誰かが病気になって死を迎える段階になると、その病人を「往生院」という特別の部屋に入れてやる。そして仲間のうち二人がつきっきりになって、二四時間体制でいっさいの世話をした。いまでいうホスピスのようなことをやったわけです。

立花 それで、死んでいく人が本当に浄土へ行けるのかどうかを確かめるために、病人の耳に口をつけて「いま何が見える?」と聞いたりしたわけですね。そしてその人物が見た最後のビジョンを記録した。

山折 そうです。その記録はかなり残されていて、それを読むと「真っ暗闇だ」と答えている人がいるわけです。「地獄の業火みたいなもの述身に迫ってきて苦しい」と言っている人もいる。しかし、中にはやはり「極楽が見えている」とか、「阿弥陀如来が自分に近づいてきている」とか、今日言うところの臨死体験的なイメージを見ている人がいるんですね。

立花 そういう記録からみると、やはり臨終の床で、ほとんどの人はそういうビジョンを見るということが言えるんでしょうか。

山折 というより、彼らのは念仏結社ですから日常的な修行をやっているわけです。その修行の最終的な目標は、死ぬときにいいイメージを見て死にたいということだった。そのための修行であり、その修行に成功した人はいいビジョンを見ることができるということだったわけです。
それは二十五三味会だけでなく、同時代のほかの修行者たちも同じです。死ぬときに良きビジョン、つまり極楽のイメージを見て死ぬためには、それ相応の身体訓練をしなければならないという自覚があった。それで、お経を読んだり、山を歩いたり、写経をしたり、禅を組んだり、いろいろなことをやる.そして、いよいよ自分の寿命が尽きた、あと一カ月かニカ月で息を引き取るかもしれないということを悟ると、穀断ちをする。五穀を断って木の根・木の実のみを食べる木食を行なって、白分の体を枯れ木のような状態にしていく。そして、もうあと一日かそれぐらいで命が尽きるというときに、完全断食の状態に入っていくわけです。
そうすると、人間の生理というのは非常におもしろいもので、無限に死の状態に近づいたところで、ある種の生命力の反発のようなものが起こるのか、ビジョンを見る。そのビジョンの多くが「阿弥陀如来が現われてきた」とか、あるいは「極楽が現われてきた」というものです。そして翌日息を引き取る。つまり生命の限界ギリギリのところでそういう現象が起きることを彼らは経験的に知っていたということですね。

立花 その時代の人たちは、そのイメージというか、ビジョンというものを、どう考えていたわけですか。そこで見ているものは単なる視覚体験ではなくて、本当に浄土世界そのものである、つまり人が死んだあとの世界そのものを自分は見ているんだという意識があったわけですか。

山折 この世からあの世へしだいに近づいていって、そして浄土のビジョンを見たのだという確信を持っていたでしょうね。

立花 断食鞍どを経て、自分を枯らして死んでいくというやり方は、空海の入定もほとんど同じですよね。それから、時代が違うけれども、東北の出羽三山で断食してミイラになっていった僧侶たちも方法的には同じですね。

山折 そうです。

立花 そういったケースは知られている以外にも前からあって、その過程でそういうビジョンを見た経験の伝統が極楽浄土のイメージをつくっていったということがあるんでしょうか。

山折 いまおっしゃった出羽三山の即身仏のように、土に穴を掘ってそこに入って断食をする土中入定というやり方のほかに、薪を積んだ上に自分が乗って、自分で火を付けて焼くという、火葬の模倣のようなやり方もありました。それから、水中に身を投げて死ぬという水中入定みたいなものなど、いわば異常な状況をつくってその中で往生=死を迎えるというやり方は昔からずいぶんあったと思います。中国にもそういう例はたくさんあります。

立花 修行者たちがそこまで過激なことをするというのは、それが本当に極楽往生につながるという確信がないと、とてもできることではないですよね。そういう確信はどこからきているのか。たとえば土の中に入ってミイラになったお坊さんが、中で自分がどういう状態にあるかを外の人に伝えたというような記録はあるんですか。

山折 それは本人というより、最期を見届けた人々の記録が主です。死んでいく人が直接生き残った人に伝えた例というのは、さきほどの「二十五三昧会」ぐらいだと思います。秘伝の形で口から口へ伝えられた話はたくさんあるだろうとは思いますけれども。

立花 日本の古い文献を読んでみますと、臨死体験の記録というのは昔からずいぶんたくさんあるんですね。

山折あります。

立花 日本だけじゃなくて、外国の文献にも、たとえばプラトンの国家篇なんかにもちゃんとある。ああいうものを読んでいくと、臨死体験というのは、世界のいろいろな宗教の原体験として昔から、非常に大きな意味を持っていたのではないかという気がします。死にかけて生き返った人というのはいつの時代にも必ずいるわけで、彼らは白分の体験を現実のものとして人に語る。それがあの世のイメージをつくり、また、それを含んだコスモロジーというか、世界解釈をつくり、それが宗教を成立させていった。つまり宗教の原体験の一つとして、臨死体験は人類文化において非常に重要な意味を持っていたんじゃないかという気がします。
以前、取材でもうかがったんですが、先生ご白身が、やはり死にかけたときに臨死体験に近いものを経験なさってますよね。そのときの体験と、それが精神に与えたインパクトというか、世界観の変化というものを教えていただけますか。

山折 私自身の体験は、はたしてそれが臨死体験であるかという間題もあるんですが、それはひとまずおくとして、私は学生時代に十二指腸潰瘍をやって胃袋を三分の二、切っているんです。それから一〇年ぐらいたって、学生諸君と酒を飲んでいたときに、突然、大吐血をして、意識を失いました。バケツ半分ぐらいの血を吐いたと思います。
その意識を失う瞬間に、眼前に五色のテープをふき流したようなイメージが現われたんです。相当血を吐きましたし下血もしましたから、生命力がかなり衰えている状態でのことで
す。五色のテープをふき流したようなイメージの中で、白分の体全体がフワッと浮遊した感じがした。それが非常に快かったというか、気持ちがよかった。何か大きなものに吸い取られていく、そういう感じがあったんですね。
これはあとから思い出したことなんですけれども、「まあ、このまま死んでいくならそれでもいいか。これはなかなか悪くないな」ということを、非常に短い時間だったと思いますが感じておりますね。

立花 そのフワッとした感じの中で。

山折 そうです。何かに吸い込まれていくような心地よい感じの中でです。私の場合は臨死体験といっても、それがすべてでして、気がついたら病院で横たわっていました。その後三カ月間、入院したんですが、点滴をしながら一〇日間ぐらい絶食をしました。すると三日目、四日目あたりまではものすごい飢餓感に悩まされたのに、不思議なことに、五日目、六日目になると、気持ちが非常に澄んでくる。五感鑓非常に鋭敏になってくるし、体全体が軽やかに感じるんです。

立花 それは一種の断食体験に近いことなんでしょうね。

山折 そうです。それでベッドの上で、なぜこんなに自分の生理が変化したのかと思っていたところ、フッと思い浮かんだのが、さきほど言いました「二十五三昧会」という、平安末期の念仏結社の人々の体験だったわけです。彼らはなぜ修行の最後の段階で断食なんていうことをやったのか。それはやはり最後の最後に死を乗り越えるためのイメージが欲しかったからではないか。
それを自らの体験と重ね合わせたときに、人間というのはひょっとすると、生命が非常に衰えたとき、危機的な状況に追い込まれたときに、ある生命の反逆作用が起こって、超日常的なイメージを眼前にする。そういう現象が起こるのではないか。そう思いまして.私の人間に対する考え方とか、大きなごとを言えば、世界観がガラッと変わったわけです。自分自身の肉体がまさに研究対象になるといったらいいんでしょうか、そういうことを実感しました。

立花 そのときまでは「死んだらどうなる」と思っていたんですか。いっさい無だと思っていたんですか。

山折 それまでは無神論者ですよ。観念的な無神諭者というのかな。死は無に帰することであるという近代ヨーロッパの考え方を受け入れていたと思いまずね。ただ、いまから思うと、それはやはり首から上の知識だったような気がしますけれど。

立花 それがその体験を機に、考えが変わるわけですか。

山折 ええ。それまで私は、死後のことを積極的に否定していたわけです。実在するかしないかということで言えば、とても実在するとは思えなかった。しかしその体験があってからは、確かに証明はできないかもしれないけれども、たとえフィクションとしても死後の世界というものを考えたほうが、人閻の生き方というのは豊かになるのではないか。そういうふうに感じるようになりました。 (32ページ~39ページ)

最近のネットショップクーポン HONTAショップ

ネットショップはアマゾンで充分満足していましたが、hontoショップに期待しようかななんぞと考え始めています。

先日、アマゾンでプレミアムがついて高額になってしまった雑誌「トランジスタ技術」のバックナンバーを仙台市内のジュンク堂で購入しました。こういうときには、リアル店舗は使いでがあります。そのときに渡されたのがHONTOショップのカードです。まあ、あまり期待しないでインターネットで会員登録下のですが、マイページでバーチャルな本棚なんかを管理できるなかなか面白い造りでした。

そうこうしていたら、本日うれしいメールが来ました。なんと500円クーポン券です。先ほど早速使わしていただきました。まだ未入会の方々にも是非お薦めします。競争が激しい業界ならではの出血サービスがまだまだ期待できそうです。参考までに、届いたメールの内容は下記のとおりでした。

xxxx 様

hontoをご利用いただきましてありがとうございます。

hontoは、提携書店と電子書籍ストア、通販サービスがひとつになったハイブリッド書店サービスです。

本好きの方は必見!あなたへのおすすめ書籍を紹介する「マイストア」、hontoや提携書店で購入した書籍が自動で反映される「マイ本棚」など、充実のサービスを多数ご用意しています。

また、このメールを受け取った方限定!hontoで使えるお得なクーポンをプレゼント!!

この機会にぜひhontoをお試しください。

今すぐネットで使える!500円クーポンプレゼント!! ※提携書店ではご利用いただけません。

期間中、hontoで商品のご購入時にご利用いただける500円クーポンをプレゼントいたします。

※提携書店ではご利用いただけません。

クーポンを取得する

特典 hontoサイト上で商品のご購入時にご利用いただける500円クーポンをプレゼントいたします。

※提携書店ではご利用いただけません。

有効期間 2013年9月10日(火)12:00~9月15日(日)23:59

ご利用方法 (1)上記ボタンより、クーポンを取得

(2)ご希望の商品を買い物カゴに入れる

(3)お支払い方法選択ページの「クーポンの利用」で取得したクーポンを選択

(4)ご注文内容確認ページにて、クーポンが適用されていることを確認

※ネットストアもしくは電子書籍ストアのどちらか1回のみご利用いただけます。

対象商品 hontoで取り扱い中の全商品

▼今すぐ欲しい商品をチェックする

honto ネットストアで探す

honto 電書籍ストアで探す

注意事項 ・商品本体価格(税込)に適用されます。

・有効期間中にお一人様1回のみご利用いただけます。

・ネットストアもしくは電子書籍ストアのどちらか1回のみのご利用となります。

・ご利用金額が500円に達していない場合、差額の返金はいたしません。

・他のクーポンとの併用はできません。

・hontoポイントと併用した場合、クーポンから優先的に適用されます。

※その他のクーポンのご利用方法についてはこちら

 

鎮魂のアニメ映画「風立ちぬ」には、夏がよく似合う

ジブリアニメ「風立ちぬ」観てから数週間、なんともはや、予想外の作品を消化するのに時間が懸かっておりました。映画は淡泊で、肉食系ではなく、脂ぎってはなく、エロスがなく、毒もないのです。零戦は、兵器であることを辞め、天使の乗るもののような雰囲気がありました。この、手応えのなさといおうか、得体の知れない不気味さといおうか、そういった不思議さに戸惑い続けていたのです。

映画は、「夢」から始まります。そして、「夢のような」場面で終わります。もう生きてはいない、ジャンニ・カプローニも、菜穂子も「夢のような」場面に当たり前に出てきます。そして、映画のキャッチコピーは「生きねば。」なのです。

しばらくしてから、映画は心のさまを純化したものだと気づきました。美しい飛行機を作りたいという心のさま、好きな人と一緒にいたいという心のさま。それらをストンと心の奥まで降りていき純化したものをすくいとり、表現したのだと思ったのです。そのためにも、エロスや毒、兵器であることを削ぎ落とす必要がありました。そして得た究極の表現は、究極のエンターティメントにつながります。究極のエンターティメントとは、鎮魂でしょう。

「風立ちぬ」は鎮魂のアニメ映画なのです。今はいない映画の主人公への鎮魂、多くの亡くなった方々への鎮魂、そして映画の観客自身を含む生者への鎮魂です。このアニメ映画には、夏こそふさわしいと改めて感じ入った次第であります。

「死者」が中心となって当たり前の能について、幽 Vol.19 2013年 08月号 [雑誌]にて、能楽師、安田登のロング・インタビューが考えをまとめるにあたり非常に参考になりました。以下に全文をご紹介します。

安田登 ロング・インタビュー

能楽師として国内外で舞台をつとめるほか、能のワークショップやエクセサイズとしての能など、従来にないアプローチで能楽の魅力を広めている安田登さん。異彩を奴つその活動の中から見えてきた「地霊さきわう国」の芸能と怪談との関わりについて、経験に基づく独自の視点で解説していただいた。

招魂し鎮魂するという日本人古来の心性

-今回、「怪談専門誌」を標榜する本誌で能楽特集をするにあたリ、安田さんへのインタビューは欠かせないと考えていました。それと云いますのも、安田さんは伝統的な能楽はもちろん、夏目漱石の『夢十夜』から特に怪談的な色合いの濃い「第一夜」や「第三夜」の朗読劇に挑戦されるなど、怪談文芸への御理解が非常に深いようにお見受けするからです。
御著書では、能楽の持つ「鎮魂」という役割に触れられていますが、これは『幽』が提唱する「鎮魂の文学としての怪談に通じるものがあります。ですので、まずは安田さんが考えた舞台ておられる鎮魂の芸能について御意見を伺えますでしょうか。

安田 日本には歌舞伎や文楽など様々な古典演劇があり、それぞれに幽霊が登場する作品はたくさんあります。しかし、同じ幽霊でも役割には大きな違いがありまして、能に出てくる幽霊は入を怖がらせる気はまったくありません。歌舞伎の『東海道四谷怪談』などは、観客をいかに怖がらせるかを眼目において工夫をこらした舞台です。しかし、能の場合は発想が根本的に違い、まさに鎮魂を求める存在として霊たちが登場します。見るほうにしても、舞台上の霊に恐怖を感じるために来場するわけではありません。

-能の場合、シテと呼ばれる劇中のメインとなる存在が幽霊であることが多いですね。そして、そのシテが自分が死んだ時の状況やどのような思いを残したかというところを語る夢幻能と呼ばれる様式があります。これは能楽の大成者である世阿弥が確立したとされていますが。

安田 はい、そういわれています。簡単に能楽の歴史をおさらいしますと、中国から入ってきた雑芸である「散楽」を中心とした芸能が、やがて芸能を職分とする人々によって上演される「猿楽」と呼ばれるものとなり、観阿弥・世阿弥親子の時代になって現在の能楽に繋がる芸能として完成されたといわれています。ですが、これは文献上から導き出された歴史であって、私個入はちょっと違うのではないかと思っているのです。演者としての実感ですが、散楽の様子を描いた絵を見ると、どうもいまの能楽には結びつかないような気がするんですよ。

-たしかに滑稽な雑芸だったという猿楽と、高度な歌舞芸能である能楽の間には、ある種の断絶があるように感じられますね。

安田 ええ。文献主義的に能楽を考えると「鎮魂の芸能」としての能楽が見えてこない。先ほどおっしゃつた通り、夢幻能は死者の鎮魂を前面に出した芸能です。私は、能楽とは「死者は鎮魂するのが当然」という日本人の心性が芸能化したものだと思っています。

- 『万葉集』に数多くの挽歌が収められているように、日本では上古の昔よリ「鎮魂」が文学上の重要なテーマでした。

安田 そうですね。後に歌聖として讃えられた柿本人麻呂は和歌を詠むことで死者を鎮めました。その後も政争の敗残者たち・・・崇徳院や源義経など、非業の死を遂げた人々はあらゆる文学的な手段で鎮魂されています。

-市井の人々の鎮魂というのも日本人は熱心におこなってきましたよね。盆踊り然り、盆時期の怪談芝居然り。

安田 お盆は中国発祥の行事ですが、彼の国と日本のお盆では大きな違いがあります。あちらでは死者の国にいる霊に供物を手向けてその安寧を祈る。しかし、日本では現世に死者をお迎えし、そこで慰霊するのです。遠くにいる死者を思うのではなく、自分たちのいる所に招こうとする。これは日本の特徴と言ってよいでしょう。また、現代でも各地にが残っています。神様をお招きし、それを人間に憑依させて語らせるという神楽です。能楽とはそうした憑依神楽的なものや、招魂し鎮魂するという日本人古来の心性が、長い年月を経て芸能になったんじゃないかなと思っています。

生者の魂を鎮める力

安田 ただ、私は鎮魂というのはなにも死者だけのものではないとも思っているのです。

-ほう、それは興味深いですね。詳しくお話しいただけますか?

安田 シテの幽霊は最後に「ありがとう」とワキに礼を言って帰るときもあるし、勝手に鎮魂されて帰っていく場合もあります。そうして霊たちは救われていくわけですが、同時にワキも救われている。ワキとして舞台上に座っていると、それがわかるのです。幽霊を鎮魂しているつもりが、実は救われているのは旅人だというのは、すごくおもしろい。そして、さらには能をご覧になっていた観客の皆さんも実は鎮魂されている。

-観客が、ですか?

安田 はい。能の観客は途中から舞台を見ていないことが多い。目では舞台を追っているけれども、心では自分のことを考えているんですね。
鎮魂とは文字通り荒ぶる魂を鎮めるということです。たとえば源義経の場合、彼の功績により鎌倉時代という新しい時代が始まりました。それにもかかわらず、彼は殺されてしまいます。他の時代でもそうですが、新時代の始まりにもっとも貢献した人は必ず殺されてしまう。彼らは旧秩序の破壊には必要な人間だったれども、新秩序の維持には邪魔になる存在です。そういう入は殺されなけれぱいけない。だからこそ、彼らの鎮魂は大変重要なのです。そして、これと同じことが実は個入の内面でも起こっています。

私たちは誰しも自分が生きていくうえで、葬ってきた闇の自分というものがありますでしょう。人生の選択において切り棄ててきた選択肢。それは、もしかしたら存在したかもししれない[別の自分」です。この自分を放っておくと、ときどきすごい勢いで表に出てこようとする。夢に現れるぐらいならいいですが、時には自分の入生を根こそぎひっくり返そうとする力すら持ち始めるわけですよ。そういう存在を夢の俎上に載せて、一暴れしてもらい、再び闇の中に帰ってもらうのはとても重要です。昔の人々は、将門にしろ、菅公にしろ、彼らをただ彼岸に追いやるのではなく、また経を上げてただ成仏を願うのでもなく彼らの生き様、戦った姿、そしてその末の無念を再現して、ひとまず気を晴らしてもう一度あちらに戻ってもらうという作業を繰り返してきました。その過程で、観客は自分自身のなかの、彼らに等しい存在を慰撫し鎮めていく。それはつまり、普段は触れることのない「自分」というものに深く触れていくのに等しいことだと思います。

怪談というのもたぶん同じ効能があるのでしょう。恐怖というビビッドな感覚を得ることによって、普段の自分とは違う何かに触れていく。ただ、能楽はもっともっと奥の部分にまで到達しようとする。村上春樹はインタビューなどで「自分の地下二階に降りていく」という表現をしていますが、さらに先、地下三階まで降りていこうとするのが能楽です。それこそ『夢十夜一の第三夜のように百年前、千年前という生まれる前の記憶にまで降りていく。観客は、舞台を見ながら、無意識にそれを感じているのだと思います。能を見ながら寝てしまう人も多いのですが、その眠りはいつものそれとは違う、非常に深く気持ちのいい眠りだと感じるそうです。非日常の存在、あったかもしれなかった自分とのコミット。それが能の持つひとつの役割なのではないでしょうか。たぷん、人が「棄てなければいけない自分」を持っている限り、能楽という芸能は無くなることはないでしょう。

おくのほそ道は異界への道?

-なるほど。生者の魂もまた鎮められなければならないというのは素晴らしい着眼です。安田さんは長年引きこもりだった方々とおくのほそ道を歩くという活動をされていますが、それもやはり、「生者の鎮魂」に関わりがあるのでしょうか。

安田 はい。このワークショップを通して、おくのほそ道を歩いていろんな霊と出会うことで人は鎮魂されていく、というのを実感しています。
参加者は十代から四十代まで、なかには二十年ぐらい引きこもっていたという人もいる。そんな人でも、歩いているうちにどんどん変化していくのを、目の当たりにしてきました。ワークショップでは一日八時間ほど歩くのを一週間ぐらい続けるのですが、ある男性は旅の途中大雨に降られ、全身がずぶ濡れになるという経験をした数日後、日光の杉並木に到ったときに「旅の空我が人生に光射し」という句を詠みました。杉並木から日光がこぼれているのを見て、その句が浮かんできたというのです。引きこもっていた十数年には当然雨の日も曇りの日もありましたが、それは彼にとっては抽象的な雨であり曇りであった。傘をさして歩いていても、それは所詮天気予報の範囲内でしかなかった。でも、その旅で雨に降られてびしょびしょになりながら歩いていたら、天気と自分が一体化したというのですね。そうしたら、射す光までが彼にとって違う意味を持ち始めた。
また、おくのほそ道を歩くといろんな祠(ほこら)に出会うのですが、ある女性は、それぞれの祠にまつわる話を地元の人から聞いていくうちに、変化が起こったと言っていました。祠には歴史上の人物だけでなく、名も残らないながらも非業の死を遂げた人……たとえば火あぶりになった女の子の話や、行き倒れになった旅人など、いろんな人物の逸話が残されています。そうした話に触れ、いろいろと考えているうちに、はじめて自分の心が見えてきたそうです。つまり、自分で自分の鎮魂をしたというわけです。これってすごいごとだと思いませんか。

-それは『おくのほそ道』という作品があってこそのことなのでしょうか。

安田『おくのほそ道』は大変不思議な作品で、表向きは松尾芭蕉があこがれの存在だった西行が歩いた跡を追って東北を巡ったということになっていますが、書かれている東北は必ずしも本当の東北ではありません。私は「もうひとつの東北」という言い方をしているのですが、ある場所を歩いていると、いきなリスイッチを踏んでしまって、もうひとつの東北、パラレル・ワールドの東北に移行するんです。
たとえば、芭蕉が那須の黒羽に知人がいるので尋ねたというエピソード、この部分などは典型的なパラレル・ワールドの部分です。本文では、「那須の黒ばねと云ふ所に知る人あれば是より野越にかかりて直道をゆかむとす」となっているのですが、この直道というのがスイッチなんですよ。能楽で那須と言えば[遊行柳」という作品があります。西行が当地を訪れた際に詠んだという「道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ」という和歌をもとに室町時代後期の能楽師・観世信光が創作しました。
能では、この地にたどり着くときには広く楽な道を通ってはいけないというお約束があります。ところが、芭蕉は直道を通ってしまった。そうしたら、突然日が幕れて、雨が降ってくる。「遠くに村が見えたから、そこに行く」と本文には書いてあります。目視できるほどの村に行こうというのに、突然日が碁れるというのはおかしい。暮れるはずのない日が暮れてしまうのです。能ではこのパターンはよくあります。そして、そうなると必ず幽霊や精霊に出会う。芭蕉たちは仕方なく近在の農家に一泊し、翌朝あらためて出発しますが、どうも様子が前日と違う。しばらく行くと、野中に放し飼いの馬がいて、野道を歩き疲れていた芭蕉が草を刈っていたその馬の持ち主に「お願いだから馬を貸してくれ」と頼
み込みます。それに対し、男は快く貸してくれるのですが、そのときに「この野は縦横にわかれて、初々しき旅入の道踏みたがえむ」、つまりこの野の道はたくさん分かれ道があるので、土地に不案内な旅入だと迷うだろう、と言うのです。しかし、これは変です。昨日は「直道」だったわけですから。それが一夜明けたら道がぐちゃぐちゃになっている。しかも、借りた馬に乗っていると子どもがふたりついてきて、そのひとりの名を「かさね」というのですが、これもおかしい。というのも、かさねというのは都の辺りの名前で、那須にはあまりなかったはずなのです。さらにいえぱ、これは王朝風の名前、すなわち平安時代を彷狒させる名前です。つまり、江戸時代の那須を歩いていたはずがいつのまにか平安時代の京の辺りを彷徨っていたということになる。土地のある一点を通していくつもの時空が重なっていて、なにかの拍子にポンと移動してしまうのが、この『おくのほそ道』の世界なのです。

-なるほど、異界への扉があちらこちらにあるというわけですね。

安田 しかも、この現象は現代でも起こるんですよ。実は、ワークショップで那須を歩いた際、全グループがみごとに迷って、しかも全グループが里人に道を教えてもらっている。嘘みたいなのですが、みんな芭蕉と同じ体験をしたというわけです。あるグループは道を探しているとトラクターに乗ったおじいちゃんがやつて来て、何も聞いてもいないうちから、「この村は不思議な村で、六百五十年前の石碑があるんだよ」と教えてくれて、またそのままの山なかに入っていってしまったそうです。こうした不思議な体験ができるのは、すごいことだと思います。

地霊をきわう国を歩くということ

-『おくのほそ道』を含め、松尾芭蕉の足跡を巡る旅行というのは今でも人気ですが、能楽ゆかりの地を歩く謡蹟巡リもまた入気があります。謡蹟もまた異界への扉が開いている場所ということになるのでレようか。

安田 そうだと思います。「the 能.com」というインター.ネツト.サイトで「安田登の能を旅する」というエッセイの連載をしているのですが、この取材旅行の際には必ず不思議なことが起きるんですよ。

-不思議なことですか。どんなことがあったのか、ぜひ御披露ください。

安田 そうですね.兵庫県の一ノ谷に行ったときのことです。ご存知の通り、一ノ谷は源平合戦の折に大きな戦いがあった場所であり、ここで平敦盛をはじめとする多くの貴公子が源氏方に討たれました。能楽師として源平合戦にまつわる能を演じることもある私にしてみれぱ一度は訪れたい場所でして、ある仕事で神戸に行くことがあったついでに行ってみることにしました。

-一ノ谷の合戦ゆかりの能といえぱ、まず思い出されるのは世阿弥作の夢幻能『敦盛』ですね、未見の読者のために粗筋を説明しておきますと、一ノ谷の合戦でまだ十七歳だった平敦盛を討ってしまった源氏の武将・熊谷次郎直実は、我が子と同い年の少年を手に掛けたことがきっかけとなって厭世観が強まり、ついには法然上人のもとで出家して「蓮生」と名乗るようになります。そして、敦盛の菩提を弔うために一ノ谷を訪れたところ、笛を吹きながらやってくる草刈り男たちと出会う。そのうちの一人が実は敦盛の霊で、平家一門の儚い運命と自らの最期を語りながら舞うという内容ですね。

安田 その敦盛が討たれた須磨の海岸に行ってみたのです。敦盛は形勢不利と見て、沖の方に馬を走らせます。平家一門は馬を泳がせる技を心得ている人たちでした。しかし、源氏の武将はそれができない。だから、海に逃げるのが一番だったわけです。そんなことを考えながら海岸に出ると、目の前で氷上バイクが走り始めて、ちょうど敦盛が行ったあたりで止まりました。それを見てたら、もし敦盛が直実の挑発を無視してそのまま行っていたら逃げ切るごとができたのだろうなと実感したのです。
その翌日、今度は一ノ谷の合戦の大勢を決した鵯越の逆落しの現場に行ってみました。確かに一見馬を走らせるのは絶対に無理であるように見えるけれども、鎌倉で山に慣れていた源氏の兵たちなら不可能ではない。山の源氏と海の平氏。そんなことに考えを巡らせながらTwitterに書き込みをしていると、アイフォンのうえに赤とんぼが留まったんですよ。珍しいこともあると思っていたら、今度は白い蝶が飛んできた。赤と白、つまり源氏と平氏、それぞれのシンボルカラーが飛んでくるというのも、偶然にしてはよく出来ているなと(笑)。
また、同じく源平合戦に取材した「八島」の舞台である四国の八島の合戦場に行ったときには不思議な方に出会いました。
-屋島というと、一ノ谷の合戦で大敗した平家が、里内裏を置いて本拠地とした場所でずね。那須与一が扇を射抜いた話など、有名なエピソードが残っている場所でもあります。

安田 一ノ谷から平家の軍勢を追ってきた源義経は、屋島で平氏の軍の脅威に晒され、窮地に陥ります。それを一命を賭して助けたのが腹心の佐藤継信です。彼の死は能のなかでも触れられます。
そこで、私は高松市の牟礼町にある継信のお墓を探して歩いたけれども、なかなか見つからない。仕方なく地元の男性に教えてもらったのですが、話が終わったあともなぜかそのおじさんが私のあとを付いてくるのです。そして、聞いてもいないのに「俺が後を付いてきたのば、違う墓も教えたかったからだ」と話し始めた(笑)。
その入の案内で継信の墓がある辺りを見ると、いろんな墓所がありました。すぐ上には四国八十八ヶ所を巡礼している途中で亡くなったお遍路さんたちの墓があり、そのすぐ近くには墓碑に星印が付いている軍入の墓がいっぱいあって、さらに下をみたら牛のお墓がある。なんでも四国では牛の貸し借りをする「借子牛」という習俗があったそうで、その墓は貸し先で死んだ牛のものだったそうです。戦場で死んだ佐藤継信、遠い戦地で死んだ軍入、そして貸し出された場所で死んだ牛。つまり、そのあたりには客死した存在の墓が集められていたのです。海がすごくよく見渡せる場所でした。はるかに海を渡ッて霊がやってきたり帰ったりする。そういうことを土地そのものが教えてくれました。おじさんはいつしかいなくなっていましたね。まるで、シテがいつのまにか姿を消しているように。こうした体験がほぼ毎回ある。本当に不思議です。

-文献に当たるだけでは経験できなかったことや、現地に行かなけも毎号「怪談巡礼団」と称して、様々な土地を巡っているのは、まさに今安田さんのおっしゃったような出来事を求めてのことです。

安田 実際に行ってみるのは本当に大切だと思います。さらに言うと、行ってみるだけではなく、白分の足で歩いてみて欲しいのです。歩きのスピードでないと見えてこないものがたくさんあります。

ーたしかに、昔の作家や民俗学者はみんな実によく歩いていますよね。歩くことで土地の霊と出会い、そこで天啓を得たという人も少なくありません。

安田 土地の霊というのはすごく大事です。というのも、日本ば珍しい国で、時代を区切るのに地名を使いますでしょう。奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、そして江戸時代。すべて政権があった土地の名前です。そういう国はほかにあまりありません。そして、時代の名前に採用された土地は、いまだにその時代の空気を色濃く残している。奈良も、京都も、鎌倉も、その時代の名残がいまだに土地の売りになっているわけです。時代に渦巻いていたある種の思念が、土地に染み付いていつまでも残っている。歌枕などはまさにその象徴的なものだと思います。

-和歌に詠み遷まれる名所や旧跡のことですね。

安田 はい。それこそ柿本人麻呂の時代から、土地の記憶が歌枕という言葉に結晶して、それが歌に使われることで幾層にも積み重なって残っていく。圧縮されているといってもいいかもしれませんね。そして、そのレイヤーはすぺて透けて見えている。そして、通りかかった旅入が古人の魂と出会いたいと願って歌や句を読むと、それが解凍装置になって、固まっていた思いが溶け、亡霊が出てくる。それが能の物語なのだと私は思っています。そもそも歌枕の「枕」という言葉自体がもともとは「真蔵」、つまり真実の蔵であり、本来はそこに神霊を呼ぶものでした。神霊が宿 った真の蔵を頭に当てて巫女が眠る。すると巫女に神が乗り移って御託宣をした。つまり歌枕は様々な出来事や思い出を収めた蔵だというわけです。

-それが、歴史上重要な役割を果たした土地に歌枕が作られた理由というわけですね。

安田 もちろん土地の思い出というのは特別な場所だけでなく、どこでもあります。芭蕉に「夏草や兵ともが夢の跡」という有名な句がありますが、夢の跡で兵どもは誰かがそこに来て夢を覚まされることを望んでいる。先ほど、能は生者の鎖魂になると申しましたが、やはり一義的には鎮魂は死者のものです。そこは絶対に外せない。そうした視点を保ったま、私たちが呼び覚まされることを待っているのが日本という国なのではないかと思います。

身に覚えのないポイントでドライフルーツをいただき、食事をした。

いわれのない広告メールで、いつの間にかあふれてしまうメール受信画面。ほとんどが、そのままゴミ箱に直行だが、たまたま開いた画面でおいしい話に魅了され、サイトに誘導され、なすがままに注文。 ドライフルーツを郵送してもらい、さらに誘導されたサイトにて食事券を購入して食事をさせていただいた。ラッキーなことに、支払いは発生していない。

これは、どういうわけだと思い、調べてみると。メールの送信先は「じゃらん×ホットペッパークーポン・キャンペーン情報」と書かれている。まずは、送信されたメールをそのままご紹介。

<あと1日>1,000円グルメクーポン有効期限のご案内【クーポン・キャンペーン情報】

受信トレイ

じゃらん×ホットペッパークーポン・キャンペーン情報 coupon_news@point.recruit.co.jp bma.rec.mpse.jp 経由

5月22日

To 自分

●○● ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

じゃらん×ホットペッパーニュース【クーポン・キャンペーン情報】

「じゃらん×ホットペッパー」ポイント対象サービスのお得情報をお届け

【あと1日】1,000円特別★割引グルメクーポンプレゼント♪

http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_top

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2013年5月22日●○●

※本メールは、じゃらん×ホットペッパーニュース【クーポン・キャンペーン情報】の

配信をご希望の会員の方にのみ配信しております。

※じゃらん×ホットペッパーニュースとは、じゃらん×ホットペッパーポイント

対象サービスのお得な情報をまとめてお届けするメルマガです。

———————————

いつも「じゃらん×ホットペッパーポイント」をご利用いただき、

ありがとうございます。

じゃらん×ホットペッパーポイント参画の食のお取り寄せサイト「ごちまる」にて

ご利用いただける限定クーポンのご利用期限が近づいてまいりましたので

ご案内いたします。

「じゃらん×ホットペッパーポイント」で貯まったポイントをご利用いただけば

更にお得にグルメをお取り寄せいただけるチャンスですので、

是非この機会をお見逃しなく!

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

1,000円特別★13商品対象割引グルメクーポンプレゼント!

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

クーポン期限 2013/5/23(木)23:59まで

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

※下記リンクをクリックすると、ごちまるサイトに遷移します。

http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_top

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

※本クーポンは、13商品限定(※1)でご利用いただけます。

それ以外の商品ではご利用いただけませんので予めご了承ください。

●━━━━━━ クーポン利用で1,000円OFF 対象商品のご紹介 ━━━━━━●

1,000円特別★割引グルメクーポンは、

お客様のクチコミで選ぶ食のお取り寄せサイト「ごちまる」の

対象13商品限定(※1)でご利用いただけます。

中でも、特にオススメしたいグルメをご紹介します。

■大人気!わけあり「ふぞろいコク旨み明太子」

ふぞろいな切れ子、というだけでこのお値段

リピーター続出の逸品を是非一度おためしください!

http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_men

■極上気分の贅沢グルメ『生ラム&ラムチョップ ジンギスカンセット』

肉料理なのにヘルシー!

このボリューム感でこのお値段なら納得できちゃう。

http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_kat

■あの名店の職人だけが知る味『銀座牛庵のまかないすき焼き丼の素』

10人前をどーん、とお届け!

自宅で再現できるプレミアムなお取り寄せ  http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_hid

他にも、食べなきゃ損する自慢の水産から、プレミアムなお取り寄せまで。

1,000円OFFで買えちゃうお得な機会に、

是非「ごちまる」でお取り寄せをお楽しみください。

▼クーポン対象商品はコチラから

http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_top

●━━━生産者の方がこだわり抜いた商品を、厳選してお客様にご紹介━━━●

全国に張り巡らされたネットワークを駆使し、通常ルートでは入手困難な商品も、

インターネット販売ならではの品揃えでお客様をお迎えします。

水揚げ場所やタイミングに「こだわって選び抜かれた水産品」や、

有機栽培をはじめとする「顔の見える安心安全な農産品」、

とことんおいしさを追求するために

「調理方法や原料選びを常に追及し続けている加工品」など、

生産者の方がこだわり抜いた商品を探し、

多くの担当者が試食を重ねて目利きをした厳選商品のみを、

お客様にご紹介いたします。

▼ごちまるはコチラから

http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_top

●━━━━━━━━━━━━クーポンのご利用方法━━━━━━━━━━━━●

「1,000円特別★割引グルメクーポン」は、下記13商品にご利用いただけます。

※1 クーポン対象13商品一覧

瀬戸内産 ぷりっぷり大粒牡蠣/わけあり 無着色 コク旨み明太子(ふぞろい明太子)/

まぐろのたたきガーリック/とろーり濃厚 網走産いくら醤油漬/

桜海老 味わい尽くしセット/炙りマグロ 食べ比べセット/

生ラム&ラムチョップ ジンギスカンセット/銀座牛庵のまかないすき焼き丼の素/

飛騨牛イチボ・トモ三角&黒毛和牛極上牛タン焼肉/山喜のつるし焼き豚/

西麻布「料理屋こだま」鮮魚漬け丼セット/美酒のだしプレミアム/四川麻婆豆腐の素

ご利用方法はこちら

http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_cou

・クーポンのご利用には、ごちまるの利用登録(無料)が必要です。

じゃらん×ホットペッパー会員でご登録いただいた会員ID(メールアドレス)と

パスワードでご登録いただけます。

・当クーポンは、定期便、おいしっくすくらぶ@ごちまるおためしセットなど

一部商品ではご利用いただけませんので予めご了承ください。

・当クーポンは、他のクーポン及びギフトコードとの併用はできません。

・当クーポンは、複数枚同時に使用することはできません。

・当クーポンは、他サービスではご利用いただけません。

◆ごちまるとは?

株式会社リクルートホールディングスと

安心・安全の食品をお届けするオイシックス株式会社で作った会社です。

食のお取り寄せサイト「ごちまる」は、

ギフト商材や有機栽培をはじめとする「顔の見える安心安全な食品」や

目利きが選んだ「デパ地下のようなワクワクする食品」を

揃えているお取り寄せサービスです。

じゃらんnet、Hot Pepper Beautyなどで貯めたポイントもご利用いただけます。

http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_top

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

1,000円特別★13商品対象割引グルメクーポンプレゼント!

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

クーポン期限 2013/5/23(木)23:59まで

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

※下記リンクをクリックすると、ごちまるサイトに遷移します。

http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_top

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

※本クーポンは、13商品限定(※1)でご利用いただけます。

それ以外の商品ではご利用いただけませんので予めご了承ください。

__ごちまるからのお知らせ_______________________

□ Q&A よくある質問と答え

└ http://www.gochimaru.com/sc/otokumail130515coup_qa

__じゃらん×ホットペッパーニュースからのお知らせ___________

・このメールは、2013年05月16日時点でじゃらん×ホットペッパー会員の方で、

じゃらん×ホットペッパーニュース【クーポン・キャンペーン情報】を

配信可とされた方にお届けしております。

・ごちまるをご利用の際に登録いただいた情報は、

じゃらん×ホットペッパーポイントサービスの

プライバシーポリシーに則って取扱いをさせていただきます。

◆メール配信へのお問い合わせはこちら

http://r.advg.jp/adptg_count/r?adptg_aid=6780&adptg_mid=219&adptg_lid=1

◆このメールの配信中止はこちら(ログインの上変更ください)

https://point.recruit.co.jp/member/mailRcvConf/?mailId=0004&vos=cppotcromail121031006

■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

編集・著作:株式会社リクルートライフスタイル http://www.recruit-lifestyle.co.jp/

発行:株式会社リクルートホールディングス http://www.recruit.jp/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ RECRUIT■□■

メールの受信ボックスを調べてみると、これとおなじような内容のメールが2012年の4月と6月に「[じゃらん×ホットペッパー]より、送られてきている。ポイントはたくさんもらっているのだが、使っていなかったと言うことになる。

そもそも、なぜ私がポイントをもらうようになったのかということをさらに調べると、「[じゃらん×ホットペッパー]と私の接点は、3点ほど見つかりました。

一つは、震災後に松島のホテルを「じゃらん」経由で予約していました。友人が遊びに来るというので、いろいろなサイトで料金を見たのですが、そのときは「じゃらん」が一番安かったので、利用した覚えがありました。

もう一つは、じゃらんnetをアフィリイエイト契約をしています。これは、5年ぐらいまえに、公開されているWebサービスをマッシュアップしたのですが、学習ついでに契約していました。これは、kuranaka.comにリンクしています。リンクをクリックしてもらうと、検索ページがでてきます。これで条件を入れてもらうと、最適なホテルが見つかるというものです。けっこう苦労して作ったのですが・・・、なんのことはない、直接じゃらんにリンクしても同じ事だろうということで、現在はほとんど手を加えていません。

それと、同系列なのかな「ポンパレ」というサイトで、マクドナルドの金券500円を100円で購入したことがあります。これはサイトで100円を支払うと500円のマクドナルドの金券が送付されるのです。それをマックで使うと、たとえば、100円マックを購入すると、400円のおつりがもらえるというものです。

以上の三点が身に覚えのある接点ということになります。いずれかの接点をよりどころに、広告メールが送られてきているものと考えられます。

本日もメールが届いており、早速食事券を購入させていただきました。さて、このようにお金を払うことなく、食事をしたり、特産品を送ったりしてもらっているのですが、どうなんでしょうか、あまり慣れてもよくないような気もしないわけではありませんが、これで誰が損をするのかよく分かりませんね。

とりあえず、関連バナーを下に置いておきます。ご検討ください。