ソーシャル・ウェブ入門/滑川海彦

ソーシャル・ウェブ入門 Google, mixi, ブログ・・・新しいWeb世界の歩き方読みました。ソーシャルという切り口はいいと思います。

その中でソーシャル・ブックマーク・サービス(SBM)についてまとめた箇所があるので、それをご紹介します。

ソーシャルブックマークというのはウェブ上でブックマーク(お気に入り)を共有や管理できるウェブサービスですが、、実は今日、WordPressにソーシャルブックマークの追加ボタン/アイコンを設置するプラグインを導入したところです。タイトルの下に並んでいるかわいいアイコンをクリックして利用します。いい機会なので、利用いただければと思います。

もう一度簡単にソーシャルブックマークの利用の流れを確認してみたい。

  • 自分の気に入った記事をブックマークする→
  • その記事の他のユーザーによるブックマーク数を見る→
  • その記事の投稿履歴ページを見る→
  • 投稿したユーザーのページを見る→
  • 参考になりそうなら自分のnetworkに登録する→
  • ときどきnetworkをチェックする

これで自分が過去に見た記事をいつでも自由に引き出して再利用できるだけでなく、自分と関心・趣味が同じユーザーによる記事を常時フォローすることができる。さらに「友だちの友だち」を辿って情報収集ネットワークを簡単に広げていくことができるのだ。

自分ひとりで記事をブックマークするのに比べて何倍も効率よく情報収集ができ、自分とは違った視点で集めた記事を見るのも参考になる。
特に自分が不案内な分野の情報を素早く集めたい場合、ソーシャルブックマークは強力なッールになる。

検索ボックスから大雑把なキーワードで記事を探し、関連のありそうな記事の投稿者のブックマークページをかたっぱしから見ていくと、そのうち間題の分野を主な関心テーマにしているユーザー、いわばその分野の専門家が見つかる。

そういう専門家を探したら、その専門家が購読している他のユーザー(deLicio.usの場合network)を開けばさらに別の専門家が見つかる。たくさんのユーザーからnetworkに入れられているユーザーはその分野での評価が高いだろうと推定できる。

ソーシャルサービスの基本法則「群集の英知」を利用して、おおざっぱながら素早く価値判断もできる。

発見した記事の多くはRSSなどによる記事配信をしているので、これを購読するとさらに情報収集の効率が上がる。
このフィード購読には各種フィードリーダーを利用するのが便利だが、これは後で触れる。

広島、長崎、原爆、そして終戦

8月は、日本人にとって、平和を考える月である。広島原爆の日が8月7日、長崎原爆忌の日が9日、そして終戦記念日が15日。

戦争や核爆弾のない世界を、夢ではなく現実にすることができるのかは、大きなテーマだが、今日は、過去に、現実に行われた平和活動(失われた文明―一万二千年前の世界 (講談社現代新書 274) 165-168ページ)を紹介しよう。

アショカ王の秘密結社-九未知会

インドを統一したチャンドラグプタの孫であったアショカは、白分の偉大
な祖父の名をけがさないような人間になりたいと考えた。統治者にとっては、戦争こそ、白分の名前を永遠に残す最も確実な手段だった。彼は軍隊を率いて、隣りのカリンガ王国に向った。カリンガの住民たちは、必死になって抵抗した。ある戦闘では、アショカの兵士たちは敵兵を七千人以上も殺した。戦闘が終わったばかりの戦場にアショカはやってぎた。彼は死体が一杯横たわっている光景をながめて、強いショックを受けた。
それ以来アショカは、残された生涯のすべてを科学の振興、仏教の普及、建設活動に捧げた。戦争の悲惨さが彼に強い印象を残し、人間の頭脳と知識が人間の殺し合いに向けられることの絶対にないよう全力をつくす決心をしたと伝えられている。そのためにアショカは、これまでに存在した秘密結社の中でも最大といわれる結社、九未知会をつくった。
この結社の目的は、人殺しの手段についての知識が人々の手に入るのを防止することにあった。この結社は、今日でも存在し続けているという意見がある。たとえば、カルカッタ駐在のフランス第二帝国領事で、インドについての名著をたくさん書いているジャコリオである。インドが植民地だった時代に駐在していた意義ら崇神していたイギリス人=高官もまたこのような意見を述ぺている。

この秘密結社が二千年を経た今日でも、なお存続していると断言するためには、まだ十分な資料をわたしたちはもっていない。とはいえ、このような目的をもった結社がかつてつくられたということそれ自体が、非常に大きな意義をもっているのである。

アショカは、知識が破壊のために使われないようにするため、高度の知識は、秘密にしておこうとした。しかし、このように行動したのは、アショカが唯一の人間ではなかった。先見の明あるすぐれた統治者や政治家はこのように行動している。今日の言葉を使うなら、「大衆殺戮の兵器」と称すべきものは、過去において、使用が禁止されていたのである。

しりぞけられた「人殺し兵器」

一七七五年、フランスの発明家、デュー・ペロンが国王に謁見を申し出た。彼の言葉によれば、フランス国家の将来はこの会見にかかっていた。デュー・ペロンは、自分が発明したものを国王に直接打明けようと思った。ルイ十六世は、デュー・ペロンとの引見に同意した。デュー・ペロンの助手たちは、入念に包装した大きな箱を宮廷の庭園にもちこんだ。それから退場していった。デュー・ペロンは、どんなに強い敵でもいとも容易にたおせるような武器を、発明したのだった。この武器が採り入れられたら、フランスは国王の好きなように、領土の拡張ができるであろうと述べた。彼が示した武器は、今日の機関銃の元祖ともいうべきものであった。それは一度に二十四発も弾丸を発射することができた。

だが、デュー・ペロンは、国王から称讃の言葉を受けることができなかった。国王はぺロンの言葉を冷たくさえぎって、引き退がるように命令した。ルイ十六世と彼の大臣たちは、デュー・ペロンの発明を「入殺しの野蛮な兵器」としてしりぞけたのであった。デュー・ペロンは、ひどい悪者、人類の敵と宣告された。フランス国王はデュー・ベロンが発明した武器が、どこか他の国王の手に入るのを心配して、これを防止する手段をとっている。

これ以前の時代は、弓と矢が最も恐ろしい殺人兵器と考えられていた。ローマ法王はこれの使用を制限しようとして、特別勅書を出している。それはばね仕掛けの大弓の照準を、より正確に定めるための三脚台その他の台を使用禁止にしたのである。「このようなやり方は弓の射手の品性をひくめ、たたかいを非人間的なをのにする」と勅書のなかではいわれていた。この禁止命令は、その後二世紀間守られた。アフリカのペチュアナランド(ボツァナ)の国王の一人、シャムバ・ボロンゴンゴが戦闘に投槍を使うのを楚止しているのも、右と同じような入道的配慮からである。

クール・ジャパン 世界が買いたがる日本 /杉山知之

クール・ジャパン 世界が買いたがる日本 を読みました。著者の杉山知之氏がCG畑の人なので、アニメ・CG視点の本です。平成18年初版の書籍なのですが、中身的には目新しいものはあまりなく、ちょいとがっかりかな。視点をもう少し広げたらおもしろい本ができるのにな、と思ってします。

村上隆ならフラット・ミュージアムという視点で、浮世絵や鳥獣戯画の日本絵画、二次元アートで語る。確かに、二次元のアニメからつくりだされた三次元のフィギュアは、現実の三次元にはないあたらしい世界だ。

私は、右脳と左脳―脳センサーでさぐる意識下の世界がクールジャパンのそもそもだと解したい。クール・ジャパン 世界が買いたがる日本を読んで、ますますその感を強くしました。ということで、アマゾンに書いた私のレヴューをご紹介。

この本は面白かったです。意外と簡単なテストで脳を調べるのですが、それでわかることが興味深いものがありました。読んでいる最中も、読んだあとも、この本から得られた視点(支点?)で、さまざまなテーマが浮かんできました。テーマ探しにお悩みの方にはお薦めの一冊です。ということで、レヴューというよりは、内容をご紹介したいと思います。 

まず、日本人と外国人の脳の違いです。言語と聴覚で見てみると、虫の鳴き声は日本人は言語として感じる、左脳を使って聞いているのですが、日本人以外の外国人はほとんど右脳で聞いているとのことです。虫の声に限らず、外国人に比べ、左脳で処理する音は多いのです。 
この脳の特性は民族人種とか、DNAとかには依らずに日本語の特性ということです。日本語を母国語として習得するかどうかが問題で、日本民族でも遺伝子が日本人でも、日本語を知らない人はこのような脳の使い方をしないとのことです。 
韓国人とか中国人も東洋人として日本人に似ているのかというとまったくそのようなことはなく、むしろ、ポリネシアとかが日本人と同じような脳の特性をもっているらしいのですが、民族性か、なかなか研究に参画するようなことがなく、確認はしにくいとのことです。これもまた面白い話がたくさんありました。 
民族との関りのエピソードも多少あります。 
「モントリオールの専門家会議のときには、私はその年に出版した『日本人の脳』の要約を・・・説明する機会が与えられたが・・・アフリカの黒人代表は『脳の働きには遺伝的に全人類に共通な部分があるが脳の働きの一部は生後9歳までの言語環境によって決定される。この面では人種差は否定される』という私のデータと解釈に狂喜したのである」 
とはいえ、著作を読まないで批判するという現代の情報操作の落とし穴にも言及されており「最近の国際化の嵐の中では、『日本人の脳』は民族主義的な著作として、社会生物学に告ぐ攻撃目標にされるだろう、決して本は読まない、内容の理解を伴わない攻撃が特徴である・・・」との懸念も示されている。この辺にはまだ深いテーマが見つけられそうですね。 

脳には年輪のようなものも刻まれているということにも驚きました。「聴覚をはじめとする感覚器には40と60、またはその整数倍の周波数や空間的な数の外来刺激を鋭敏に検知する働きがある。・・・刺激は聴覚、振動覚,触覚、視覚などの物理刺激以外に、化学物質の持つ40・60とその整数倍の分子量にも反応した。・・・偶然のことから、この数値が被験者の満年齢の三倍、5倍に相当することに気がついた。・・・人の脳には満年齢の数に対応する「年輪系」があるという概念がつかめた・・・」 
さらにさらに、「宇宙の運行と脳の働き」にまで話が進んでいくのです。人の脳をセンサーとして使い、地震の予知などに使えるとの示唆にも触れています。壮大なテーマが見つけられそうなフィナーレではありました。

レヴューを書いたのが2009/4/10でしたが、この後、なぜ「ポリネシアとかが日本人と同じような脳の特性をもっているらしい」のか、ずーと疑問に思っていました。最近は、ムー大陸関連が怪しいなあと思い始めています。太平洋に沈んだムー大陸の末裔が日本とポリネシアなのかな・・・というところです。

山下達郎 クリスマスイブ

夏の暑さを忘れるためではないが、たまたま本日ユーチューブで出会ったのは仙台では見ることのできない、JR東海の宣伝のコンピレーションビデオだ。珍しく三度見て、涙が出てきたな。わたしの好みは最後の吉本さんのですが、みなさんはどうでしょうか?

カフェ右岸の羊座にてあがた森魚を聴く

まえから行ってみようと思っていたのですが、とうとう行ってきました。シネマカフェ右岸の羊座です。独自の雰囲気がいいですね、聞くところによると現在、アルゼンチンにてタンゴと語らっているとのことです。

あがた森魚氏ゆかりの映画鑑賞の後のライブはなかなかくつろいだ雰囲気で行われました。

つかこうへい氏、追悼の意味をこめた思い出話も。有名な「熱海殺人事件」初演には出演していたという話はなかなかおもしろかった。

ヒットした、「蒲田行進曲」は、当時のあがた森魚氏のアルバムに収録されていた曲だったという話も興味深い話でした。

あがた森魚のライブは今回は二度目の経験で、一度目は2009年の11月9日に青葉区の「わでぃはるふぁ」にて拝聴させていただきました。当時撮影した写真が見つかりましたので、ついでに掲載させていただきます。