地上最強の商人

地上最強の商人読みました。図書館で立ち読みしてたら面白そうなので借りたのです。アラビア商人の成功話で、途中まで面白く読んでいたのですが(筋もそれなりによかった)途中で、あれあれと思い始め、半ば過ぎには、いわゆる「成功のハウツー」本だと分かったときには、色あせてしまいました。

ごていねいに、途中からは日記みたいな作りになっており、毎日日記をつけると”必ず成功する”ような体裁になっていました。白けたかな。いわゆる、マーフィーとかナポレオン某の成功メソッド本だったんですね。

アマゾンにリンクを貼ろうと思って本の紹介を読んでびっくり、1万円以上の定価でした。ありがたいようなそうでないような不思議な気持ちになりました。でも、やはり高すぎですね。

著者「オグ・マンディーノ(OG MANDINO)氏は、成功本で有名で、世界20カ国で翻訳され総販売数は2500万部を超えると紹介されています。購入した人の内どのぐらいの人が成功したのでしょうか、興味深いものがあります。

このような成功本は、実は読めば読むほど成功が難しくなると解いた本もあります。超意識 あなたの願いを叶える力 (坂本 政道著)です。成功本を何冊か読んだ人にはお薦めです。求不得苦から救われるかもしれない。

近頃、本屋さんでスピリチュアルの棚を見ると、「引き寄せ」本がかなり見られます。願望を引き寄せて幸せになる方法とかの本ですが、このような願望成就系も、あまり読み過ぎると求不得苦に陥ってしまいがちです。

だいたい、成功てなんでしょう。失敗ってなんでしょう。成功することが幸せなのか、失敗して幸せとかはありえないのか、そこら辺もよく考えてもらいたいところですね。失敗するために生まれてきたという人がいるかもしれない。そうだとすると、その人にとって成功するのはノーサンキューということになります。

先ほど、近所の郵便局にいったら、臓器移植ドナー登録の申請書がおいてましたが、臓器を移植して長生きして幸せなのか不幸せなのか、まずその辺を考えることも必要かと思います。死んで生きるということもあるし、生きて死ぬということもあるのではないでしょうか。それを一律というか、絶対的に生=幸せと固定するととんでもないことになるような気がします。富=幸せと固定するのもそうではないでしょうか。

河合隼雄と中沢新一の対談で(タイトルは忘れた)、ユダヤ人がチベットに修行にいくのだが、チベット僧は彼ら(ユダヤ人)を評して、確かに頭は切れるのだが、わかっちゃいないんだよな・・・というくだりがあって印象的だったのですが、多分それはそうなんでしょう。ユダヤといえば、金融界では別格で、世界金融の覇者ではあるのですが、最近の金融情勢を鑑みると、わかっちゃいないんじゃないかと思い始めざるを得ません。

先ほど紹介した超意識 あなたの願いを叶える力には、東北帝国大学で哲学講師を勤めたドイツ刷学者オイゲン・ヘリゲル(1884-1955)の著書、「日本の弓術 (岩波文庫)」について語られています。西洋と東洋の差がある意味、わかりやすく描かれています。日本がわからないオイゲンが最後の最後に分からせられたという内容で、薄っぺらい本なのですが、とても面白く、はまってしまったことがあります。お薦めです。

ミッション: 8ミニッツ

ミッション: 8ミニッツ、あっという間に見終わりました。面白かったなあ。

「乗客全員死亡」のシカゴ列車爆破事件ー 犠牲者の〈死ぬ8分前〉に入り込み、爆破を阻止せよ!だがその極秘ミッションには、禁断の真実が隠されていた…?英語原題「Source Code」(2011)

英語版を英語字幕で鑑賞したので、詳細はわからない?が、だいたいは分かりました。

ある程度のテクノロジーの説明はあったのですが、簡単にいうと、自分の体を抜け出て他人の体に意識が入り込むわけです。その時間は8分間。シカゴで列車が爆破された。その爆破までの8分間に他人の体に意識が入り込むことができる。それは、無限というわけには行かないが、ある程度なんどでもやり直すことができる。

というわけで、主人公は、爆発する列車の他人に意識を移して、なんども死ぬわけです。もちろん、ただ死ぬわけではなく、死ぬまでの間に、犯人を割り出そうとするわけです。

幽体離脱や輪廻転生をハリウッド映画にするとこうなるのではないでしょうか。そして、ラストのあ・ら・らというようなエンディングは良い。アメリカ映画はハッピーエンドじゃなくちゃ。

女優のミシェル・モナハン、ヴェラ・ファーミガがよかったなぁ。特にミシェル・モナハンとは何回もの同じ出会いがあるのだが、こちら(主人公側)は同じではなく学習効果を伴っているわけで態度も異なってくる。そしてこの主人公の態度にミシェルの対応も変化してくるわけなのだが、だんだん魅力的になってくるんだよね。見慣れてくるということもあるが、こちらの心理に反応してくるのも大きいだろうなあ。

黒住教の「立ち向かう人の心は鏡なり、己が姿を映してや見ん」というところでしょうか。人を変えるのではなく、自分を変えることが世界を変えることに直結するということかな。人を変えるのは大変、というか不可能といってもよい。それよりも、自分を変えることの方がより確実(とはいえ、やはり難しいのも事実)ではあると思う。そして、その変化に鏡は応えてくれるわけです。

話は、若干代わりますが、列車などで同席になった方とおしゃべりなんかしたいときは、出会い頭15-20秒以内に話しかけることらしいです。統計的には成功率が非常に高くなるとのこと。以前、実践してみたことがありますが、男女を問わずほとんどいい結果となりました。

脱線しましたが、これからはこの映画のように、幽体離脱や輪廻転生がテクノロジーで実用化される時代がくるかもしれない、などと思いつつ・・・。

もしもノンフィクション作家がお化けにであったら 工藤美代子

もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら (幽ブックス)読みました。面白かったです。

著者本人はそれほど霊感はないとのことであるが、どうしてどうして、かなりの特殊能力をお持ちのようです。全編興味深く読まさせていただきました。リンクしておいたアマゾンのページでの読者レヴューもそうだが、非常にさっぱりとした書き方で好感がもてました。

あの世とか、お化け、幽霊とかというと、とかく怖い話になりがちだが、実際はどうなのだろうか、あの世よりもこの世の方が怖いのではないかい? 幽霊とかお化けよりも、人間の方が怖いのではないかい?

人間は手前勝手なものだから、なんでも今、ここにこだわってしまい。あの世とか彼岸には冷たいようです。頭を柔らかくして、冷静に考えてみると、こっちもあっちもどっちもどっちなどと思うのだが・・・。

その点で、この本はなかなか中立的です。あっちもたて、こっちもたてて、あちらの人にはそれなりの敬意をはらった書き方をしています。霊に対する態度にも好感が持てました。

そして再び 「彼岸の時間」

人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった100%実話!自然霊との対話 上丘 哲 (著)と紹介してきたら、ふたたび「彼岸の時間―“意識”の人類学」に戻らねばならないと思いました。

本を開いて最初のページ、「はじめに」を紹介します。

古代インドの奥義書『マーンドゥキャ・ウパニシャッド』は、人間の意識がとりうる状態を四種類に分類している。その四種類とは、日常的な覚醒状態、夢のない眠り、夢を見ている状態、そして、一種の超越的な意識状態、であり、この第四の意識状態こそが人間にとって、もっとも本来的な覚醒状態なのだという。

人間は特定の訓練によって、あるいは特定の状況下で、この「第四の意識状態」を体験する。それは、さまざまな側面から、トランス、悟り、サマーディ、神秘体験、変性意識状態、シャーマン的意識状態、エクスタシー、法悦、サイケデリック体験、至高体験、トランスパーソナル体験などと呼ばれてきた、一連の非日常的な、しかし古今東西の入間が共通して体験してきた意識の状態である。そこでは日常的な〈俗なる〉時間は停止し、一瞬が永遠であるような〈聖なる〉時間の中で、人は世界の根源的な神秘に触れる。

おそらく人類は数万年の過去から、シャーマニズムやトランス・ダンスという形で、この「第四の意識状態」を、個入的な美的体験として、また社会的な問題解決の技術として活用しながら生きてきた。しかし、われわれの祖先が定住的な共同体を拡大させ、さらに中央集権的な権力を発達させていくにしたがって、「第四の意識状態」は宗教というイデオロギー装置の管理下に置かれることになる。宗教は一方では土着的なシャーマニズムの思考をより普遍化することによって科学と思想の母となったが、一方では超越的な意識状態を現世的な権力に迎合させる装置としての役割も果たすこととなった。宗教は神秘的な経験の領域を、自らの教義に合致するように統制する云で、合致しないものは排除した。シャーマニズムはどんな時代にもどんな場所にも存在したが、それはオーソドックスな宗教からはつねに排斥される存在であり、世界の神秘に褒触れようとした神秘主義者たちは・宗教的権威から繰り返し異端視されることになった。

近代のイデオロギーである資本主義もまた特異な形態の宗教だといえる。貨幣を至高な呪物(フェティッシュ)として崇拝する資本主義経済への信仰は、因果性の原理にもとずく高度な科学技術を武器にして、生態系を破壊し、共同体を破壊し、既成宗教の権威をも破壊しつつ、その勢力を全地球規模で広げてきた。近代社会の教義はいわゆる「覚醒状態」を唯一のリァルな意識状態だと考え、睡眠や夢は誰もが経験することは認めてもそれ自体に意味があるとは見なさない。さらに「第四の意識状態」に至っては、存在すること自体が異常と見なされる。これは、「第四の意識状態」こそが本来的な経験なのだというウパニシャッドの思想とはするどく対立する。

しかし、いわゆる先進国でも、無限に発展を続ける貨幣経済が楽園の到来を約束するという神話を信じることが難しくなりつつある現在、かといって既成宗教が求心力を失ってしまっている状況の中で、人々の呪術的シャ-マニズム的なものへの関心はふたたび高まりつつある。救命医療の飛躍的な進歩は逆説的なことに臨死体験者を増加させている。象徴的な〈死と再生〉を経験した臨死体験者は、資本主義的な競争原理への関心を低下させ、神秘的な経験の領域への関心を深める。しかし、だからといって既成宗教への信仰へと回帰することはない。資本主義と科学技術の燗熟した時代の中で、「第四の意識状態」がふたたび宗教という装置の検閲を経ない生の形で経験される状況が生まれてきている。われわれの祖先が狩猟採集民だったころの、いわば野生の神秘体験が復権しつつあるのだ。しかも、宗教の権威から白由であるというだけではなく、現代という時代は、シャーマニスティックな「霊魂」という実体概念からも自由でありうる。人類史上、意識の神秘それ自体について語れるようになった初めての時代だといっていい。

資本主義的世界システムの勝者である「先進」社会の一端を成しながらも、西洋社会に比べてキリスト教的な権威や、その裏返しの東洋趣味(オリエンタリズム)からも自由であり、またかつてのソ連や中国のような国家的な唯物論信仰からも白由な、極東アジアの日本という不思議な場所から、「〈意識〉の人類学」を語り始めることにしたい。

紹介してきた関連書、”ハンコック”も”自然霊”も含まれる状況認識がさなれていると思います。否定的でなく、肯定的な捉え方は好きですね。

ということで、今後も折に触れ、この書籍について語ることがあると思いますのでよろしく・・・。

100%実話!自然霊との対話 上丘 哲 (著)

100%実話!自然霊との対話 読みました。面白かったな。

子供のいない夫婦と、いつしかその夫婦にあたかも育てられるかのように生活するようになる?自然霊の十三丸。その家族(?)のお話です。十三丸がかわいかったですね。

先般、人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあったをご紹介しましたが、この中で説明している”知的な存在(シャーマン・・・は自分の脳のなかで秘密の扉を開いて、自分たちの意識を別の世界に映しだしているということです。それが「異次元」です。そこには、私たちに強い関心とかかわり合いをもつ、「知的な存在」が生息しています。そしてシャーマンは、私たちが入間として人生を全うするつもりたら、それらの生きものを相手にしなけれぼならないと感じています。)”がこの自然霊になるのかななどと考えて読んでおりました。