原発は造らないアメリカが日本に原発を造れというのは、すごい話だ。

(危険だから)原発は造らないアメリカが日本に原発を造れというのは、すごい話だ。そのすごい話を当たり前のように報道する新聞。マジックを見せられているような、催眠術にかかったような、不思議な気持ちになる。事実は小説より奇なりというが、どうしようもない脚本よりも酷い脚本で現実は作られているのだろうか。

米、原発継続要請は「大統領の意向」

2012/9/25 0:12

野田政権がエネルギー・環境戦略で掲げた「2030年代に原発ゼロ」の政府方針を巡り、米政府が「オバマ大統領の意向」として強力に見直しを求めていたことがわかった。核不拡散・平和利用に向けた日米協力の枠組みが崩壊しかねないとの懸念が背景。結局閣議決定を見送ったが、あいまいな決着の火だねは今後もくすぶりそうだ。

複数の当局関係者によると野田政権が8月以降、原発ゼロの明文化に動く過程で米側は日本政府に対し、「国家最高指導者レベルでの協議の結果だ」としてゼロ方針を再考するよう要請。オバマ大統領以下、政権の総意との見解を伝えた。

9月8日にはロシア・ウラジオストクでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で野田佳彦首相がクリントン国務長官と会談。ここでも大統領を代理する形で同国務長官が懸念を表明した。表面上はあからさまな批判を控える一方、大統領と米議会を前面に押し出し日本への圧力を強めた。

日本政府は12日、長島昭久首相補佐官らを米に緊急派遣し、日本の対応に業を煮やすホワイトハウス高官らと直接協議。戦略を参考文書扱いとし、米側の視点からは路線転換を見送ったと読めるようにする「玉虫色の決着」(日本当局)で決定的な対立を回避した。

米政府は、日本の脱原発への方針転換で「米のエネルギー戦略が直接的な打撃を被る懸念が高まった」(エネルギー省元副長官のマーチン氏)とみている。日本の原発政策はオバマ政権の核不拡散や地球温暖化防止に向けた環境政策とも密接な関係にあるためだ。

日米は1988年発効した原子力協定で、青森県六ケ所村での核燃料サイクル施設ならば米の事前同意なく再処理を認める包括方式で合意。日本は核兵器を持たず、プルトニウムの平和利用を担保する最重要の役割を担っている。

現行の日米協定の期限が切れる18年に向け、早ければ来年にも非公式な事前協議に着手する必要がある。なお猶予があるとはいえ日本が原発政策を不明瞭な形で放置すれば米が再処理許可の更新などに難色を示す恐れもある。「協定改定の先行きが読めなくなった」(日本政府関係者)との声が出ている。

(ワシントン=矢沢俊樹)

さらに、「首相の野田佳彦は脱原発に傾く民主党内世論と、反対する産業界や米国の間で進退極まり、玉虫色の表現でしのぐしかなかった。」と、米国の「内政干渉」を当たり前(暗黙知)とするような記事も掲載し続けている。

瓦解した国家戦略会議

正体不明の「原発ゼロ」に反旗

2012/9/30付

2030年代に「原発稼働ゼロを可能にする」政府のエネルギー環境戦略。首相の野田佳彦は脱原発に傾く民主党内世論と、反対する産業界や米国の間で進退極まり、玉虫色の表現でしのぐしかなかった。それでも「ゼロ」は独り歩きし、首相直属の国家戦略会議も空中分解寸前だ。

18日、首相官邸での国家戦略会議。野田の面前で、民間議員が新戦略に次々に異論を唱えた。官邸の諮問機関が首相に不信任を突きつけた。

「『30年代ゼロ』の所だけ期限を断定的に区切るのは違和感がある。削除を望みたい。きちんと見直していかないと批判に堪えない内容だ」

<経済界は猛反発> 記者会見する米倉・経団連会長(中)ら経済3団体首脳(18日)

経済同友会代表幹事の長谷川閑史が野田にこう迫った。連合会長の古賀伸明も「ゼロ」の時期明示に疑問を示した。戦略を真っ向から否定する経団連会長の米倉弘昌はこの日の会合をボイコット。民間議員は他にも欠席者が相次ぎ、5人の誰一人、支持を表明しない事態となった。

「(1)40年運転制限制を厳格に適用する(2)原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ再稼働とする(3)原発の新設・増設は行わない。(中略)以上の3原則を適用する中で、2030年代に原発稼働ゼロを可能とするようあらゆる政策資源を投入する」

戦略のこの核心部分は民主党が6日のエネルギー環境調査会(前原誠司会長=当時)でまとめた提言そのままだ。「ゼロ」の旗は立てたが「実現」や「目指す」ではなく、意味合いは曖昧。「原発ゼロ」でなく「稼働ゼロ」なので、すべての廃炉は意味しないとも解釈されている。原発反対・維持の両論で割れた党内を同床異夢で収めようとした。

<首相、苦肉の策> 国家戦略会議の会合であいさつする野田首相(18日、首相官邸)

代表選を無難に乗り切りたかった野田も玉虫色を丸のみした。「ゼロ」に言及する以上、核燃料サイクル施設を抱える青森県、原子力政策で協調してきた米国などへ辻つま合わせの説明が不可避になった。10日に想定したエネルギー環境会議での戦略「決定」は14日までずれ込んだ。

党提言の直後、国家戦略相で閣内調整役の古川元久は長谷川に極秘に面会を申し入れ、戦略への「ゼロ」明記に理解を求めた。面会の事実もなかったことにする約束のはずが、政府筋から「戦略相の根回しを同友会は了承した」という怪情報が経済界に出回り、長谷川は激怒した。

米倉は野田内閣のエネルギー戦略の取り組みを痛烈に批判してきた。

「日本再生戦略に『脱原発依存』とあるが、戦略会議では議論しておらず、曖昧な表現だ。この言葉は修正する必要がある」(7月30日)

「再生戦略は名目3%、実質2%の成長率目標だが、エネルギー戦略の想定は2010年代1.1%、20年代0.8%の実質成長だ。目標を達成すれば電力不足に陥る」(7月5日)

米倉は「エネルギー政策は国家戦略そのもの」と戦略会議での討議も求めたが、野田は素通りした。米倉、長谷川、両者を仲介した日商会頭の岡村正の経済3団体首脳は18日に都内で記者会見し、政府に非を鳴らした。長谷川はその足で戦略会議に向かったのである。

内閣の意思決定プロセスも曖昧だった。14日に実質的な「決定」の場となったエネルギー環境会議は古川を議長に関係閣僚だけで構成し、国家戦略会議の分科会扱いだ。そこに野田が臨席して「決定」だと胸を張った。18日に親会議の国家戦略会議に報告し、民間議員から異論が続出したにもかかわらず、19日に内閣として最も重い閣議決定を敢行した。

「今後の政策は新エネルギー戦略を踏まえて関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の見直しと検証を行いながら遂行する」

決定したのは戦略そのものではなく、「戦略を踏まえて」柔軟に対応していくというこの一文だけ。「稼働ゼロ」の位置づけはさらにあやふやになった。米倉も長谷川も安堵してみせたが、経済産業相の枝野幸男は「14日段階で閣議決定はこの方式と決まっていた」と明かした。

となると、手続きは14日のエネルギー環境会議から19日の閣議決定へ粛々と進み、18日の戦略会議は何の影響もなかったわけだ。経済団体の関係者は「首相が分科会に出て『決めた』とやる。親会議の異論は無視。まともな組織ではありえない」と批判した。

「税財政の骨格や経済運営の基本方針等の国家の内外にわたる重要な政策を統括する司令塔」。戦略会議の役割を設置時の閣議決定はこう明記したが、予算編成や環太平洋経済連携協定(TPP)、社会保障・税一体改革など政治的懸案ではカヤの外に置く。司令塔とは名ばかりだ。

経済人や学者の意見に耳を傾ける体裁だけの会議運営への積もり積もった不満。それが爆発したのが18日の民間議員の「反乱」だった。「原発ゼロ」がぶっ壊した首相直属機関はもはや機能しえない。

=敬称略

(編集委員 清水真人)

「核の軍事利用」という観点を入れてみると、わかりやすくなるのだが、それを避けて「エネリギー戦略」だけでは原発の存在理由には無理がある。つまり、核装備のための原発という軍事利用を持ち出すと、原発は存在理由を増してくる。

残念ながら、原発はどこまでいっても「人を殺す」道具になってしまうのである。クリーンエネルギーを目指す核エネルギー再利用の果ては、劣化ウラン弾が残ってしまう。これが現実なのだ。

 

原発を擁護する日本経済新聞の明日はどっちだ!

日本経済新聞は、ここのところ紙面の多くを活用しての原発擁護に邁進している。もうすでに民意は原発を離れているのに、見苦しい限りではある。今日の社説をちょっと見てみよう。

思慮の浅さが招いた「原発ゼロ」目標の迷走

2012/9/21付

あまりにおそまつな顛末(てんまつ)だ。国民生活の安定や国の安全保障を担うエネルギー政策を決めることの重大さを政府は本当にわきまえているのか、これでは疑わしくなる。

政府は「2030年代に原子力発電所の稼働をゼロにする」目標を盛り込んだエネルギー・環境戦略の閣議決定を見送り「不断の検証と見直しを行いながら遂行する」との方針だけを決めた。

閣議決定見送りは「(戦略の)内容を変えたものではない」と古川元久国家戦略相は言う。しかし土壇場になっての見送りによって、原発維持・脱原発の立場の違いを問わず、多くの国民が政府の政策形成能力に対する不信感を強めたに違いない。

こうなったのは、政府が掲げた「原発ゼロ」目標に対して原子力政策に長年協力してきた原発立地自治体が反発し、米国からも原子力に関する日米連携の扱いを問いただされたからだ。経済界も強く反対の声をあげた。

本気で政策を転換するつもりなら当然考慮すべきことを政府は最後の最後まで考えていなかった。理解を求めるべき関係者への目配りも欠いた。「原発ゼロ」はやはり次期衆院選をにらんだスローガンとして戦略に盛り込んだとしか思えない。政策決定に関わった政治家の資質と責任が厳しく問われるところだ。

19日に原子力規制委員会が発足した。原発に対する厳正な安全規制の確立や再稼働など、国民の安心と電力の安定供給のために政府がなすべきことは山積している。今回の経緯が原子力をめぐる一層の混乱を招き、重要な政策判断が先送りになったり、なおざりにされたりしないか心配だ。

私たちは「原発ゼロ」を掲げるのは賢明ではないと繰り返し主張してきた。原発の新設は困難で40年寿命を原則とすれば、原子力依存は小さくならざるを得ない。しかしエネルギー安全保障を考えるなら原子力という選択肢を安易に手放すべきではない。

縮小する原子力の穴を埋めるため自然エネルギーを目いっぱい導入する必要があるが、その実力は未知数だ。化石燃料を安く調達しクリーンに使わなければならない。原子力の維持は燃料調達において交渉力を強めるに違いない。

政策決定に携わる政治家や官僚はいま一度、襟を正して現実を直視してもらいたい。

金が目的の「原子力政策に長年協力してきた原発立地自治体」と、自らは手を汚さない「米国」からも原子力に関する日米連携の扱いを問いただされたということが、この社説のベースになっているのだが、呆れた限りだ。そして、日本経済新聞は根拠となる理由がいかにくだらなくとも、『私たちは「原発ゼロ」を掲げるのは賢明ではないと繰り返し主張してきた。原発の新設は困難で40年寿命を原則とすれば、原子力依存は小さくならざるを得ない。しかしエネルギー安全保障を考えるなら原子力という選択肢を安易に手放すべきではない。』と言い続けるだけなのだ。そのための手段としてゆがんだ報道を繰り返し行い、黒を白と言いくるめようとして、なんとか世論を創り上げようとしている。まことに恥ずべき会社である。

そもそも福島原発が示している、「原発の危険」はどこにいったのか。また、自らは原発を作らないという米国がなんで日本に「原発」を作れということができるのだろうか、そしてそのような基本的な矛盾を直視することもなく、それすらを社説のベースに置いている。危険な原発を安全のために作れという、矛盾の上塗りをひたすら繰り返す、プロパガンダマシーン化した日本経済新聞の明日はあるのだろうか?

 

 

誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀

誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀」を読んで、腑に落ちたところが何か所もありました。3.11以降、日本のマスコミの酷さに気が付くことができ、おかげさまといってはなんですが、この本のかなりの部分に共感をおぼえることができたのです。

日本人ならほとんどが好きじゃない「小沢一郎」ですが、それが当たり前になった背景をこの本は明らかにしてくれます。アマゾンへのリンクを辿ってもらえば、読者レビューが、マスコミよりは遥かに正確に、この本について語っていて、頼もしくさえも感じることができるのではと思います。

以下に、私が個人的に記録にしておきたい箇所を何点かご紹介します。まずは、小沢抹殺の起源は1993年であると指摘している出だしから・・・。

一九九三年という”直近の起源”

小沢一郎氏の政治生命を抹殺しようとする動き、それは一見するときわめて些細な出来事として起きていた。しかし私は自分の目で確かに見たのだ。それは一九九三年、小沢氏らが自民党を離党して新生党を結成し、非自民運立政権が成立した、日本の政党政治の大変動とも称すべき出来事と、ほぼ時を同じくしていた。・・・そのとき、我々の目の前で、日本の政治の根本を決定づけ、政治の現実を形作る重要ななにかが、あらゆる人々の予想を超えて変わってしまったのだった。・・・数年を経て事態が沈静化したとき、人々は、日本ほふたたび一九九三年以前の状態に戻ったと考えるようになった。連立政権がいくつもあらわれては短命に終わったことで、結局、日本の政治はなにひとつ変わらなかったのだ、と人々は失望を味わった。ところが、日常のなかではっきりした変化を指摘することはできなかったとしても、確かに日本は変わったのである。p14-p15

そして、この本のテーマである「人物破壊」についての説明箇所

「入物破壊」とはなにか

さて冒頭から「人物破壊(character assasination)」という表現をたびたび使ってきたが、これは具体的にはなにを意味しているのだろうか? 実は、ヨーロッパ諸国やアメリカではよく使われる表現である。読者はすでにおわかりだろうが、標的とする人物を実際に殺さないまでも、その世間での評判や人物像を破壊しようとする行為を指す。

これは相手がライバルだから、自分にとって厄介な人物だから、あるいは単に敵だからという理由で、狙いを定めた人物の世評を貶める、不快で野蛮なやり方である。人殺しは凶悪犯罪であるが、人物像の破壊もまた、標的とされる人物が命を落とすことはなくとも、その人間を世間から永久に抹殺するという点では人殺しと変わらぬ、いわば殺人の代用方式である。p26

小沢氏の政治生命を抹殺するために用いられたのは日本の伝統的な手法、すなわちスキャンダルであった。スキャンダルを成功させるには、検察と新聞の協力が不可欠である。そこで検察は法務省の記者クラブに所属するジャーナワストたちに、だれに狙いを定めているか告げ、逮捕や証拠品の押収時に注意するよううながし、彼らが欲しがる多くの情報をリークしてやる。そしてリークされた情報にもとづいて記者は記事を書き、それが新聞の一面にどかどかと掲載されることになるのだ。

日本のスキャンダルの特徴は、世間一般には許されてはいても、それがやり過ぎ、もしくは行き過ぎと見なされた場合に、抑える役目を果たす点だ。そのようなスキャンダルの餌食になるのは決まって、日本の政治・経済の現体制を撥るがしかねない人物である。p28

・・・小沢氏の政治生命を破壊しようとするこのキャンペーンは、一九九三年以降、再燃するたびにその舌鋒を強めてきた。そしてそれがひとつの頂点に達したのが、彼が首相になるかと思われたときだった.二〇〇九年の初め、その年の後半に行われる選挙で民主党が自民党を破ることになり、そうなれば当時、民主党の代表であった小沢氏は自動的に、日本の公式の政治システムの頂点に立つだろう、というのが大方の予測だった。ところが小沢氏は党の結束を維持するため、そしてキャンペーンの被害が民主党におよぶことのないよう、代表の座を辞した。ところが2009年の秋に民主党が政権の座に就くと、またしてもこのキャンペーンは新たな高まりを見せた。今度は検察が思いがけない新たな手段に訴え、それによって小沢氏の資金管理団体の政治資金をめぐる間題で、証拠がないために不起訴となっていた件に関して、ふたたび捜査を行うことを決定した。そして再度、不起訴になったにもかかわらず、またもや捜査が行われるのである。p34

このような「人物破壊」を可能ならしめるもの政治システムは、その起源を徳川幕府とそのクーデターである明治維新までさかのぼるという。そして、重要な人物として山県を挙げる。彼は、政党による政策決定の影響を一切受け付けないよう、「天皇」を利用するなど画策して官僚機構を隔離したのだ。

山県が講じた措置によって、官僚はその後も日本の政治システムを支配するもっとも重要な勢力でいることができた。もちろんそこになんら公式の規則という裏づけがあるわけではない。第二次世界大戦後の日本では、法律上は、日本国民を代表する選挙された者が、国家を統治する権力を与えられることになっている。そして憲法によれば主権は国民にあるとされている。ここまで議論を進めたところで、我々は日本政治の重要な一面を知ることになる。つまり日本の政治システムの大部分は、「法的枠組みを超え」ているということだ。日本には当然、あらゆるものごとを規定する法律があり、犯罪に対処する作用において、他諸国とまったく大差はない。ところが日本の揚合、経済や政治上の取り引き、関係性など、現実のなかで実際に利用されるやり方が、法律によって決められているわけではないのである。それを決定するのは慣習である。さらには現状維持をほかる勢力である。

ちなみに個人やグループにみずからの行いを恥じ入らせる「辱め」は、日本の当局が秩序を維持するために用いる手口のひとつだ。体制を揺るがしかねない人間を、辱め、世間の見せしめにすることで、超法規的な秩序を逸脱すれば、このような仕打ちが待っているとあらゆる人々に警告するのだ。その陣頭指揮をとるのはもちろん、日本の検察である。 p54

その日本の検察の特殊性については以下のように記載している。

検察、この大いなる守護者

完壁にして、純粋、無謬であること、検察はそのすべてを兼ねそなえていなければならない。人間は過ちをおかすものだ、などという考え方は、検察の伝統とは相容れないのである。裁判に負ければ、検察側は辱めを受けたかのように感じる。そこで彼らは断固たる姿勢をもって上訴し、決してあきらめることなく、あらゆる手を尽くして闘おうとする。この特異な役割は、日本の歴史的産物だということを忘れてはならない。ほかの民主国家の検察の役割は法の番人であるが、日本の検察が守らているのは法律などではない。彼らが守ろうとするのはあくまで政治システムである。しかも、半ば宗教信仰を思わせるような熱意をもってその任務に取り組んでいるのである。 本来、検察は、同じように伝統を誇るほかの官僚にも増して、「天皇の忠臣」の手本のような存在であった。しかもそのような役割に付随する権力が与えられていた。検察がこのような権力を掌握したのは一九二〇年代にさかのぼる。司法制度全体を支配するにいたった検察の下で、日本の裁判官はまるで付属物、検察の使用人のようなあつかいを受けるようになった。一九三〇年代になると、検察は、軍国主義者たちがみずからの右翼的政策を正当化するために利用した、「国体思想」というイデオロギーを支持した。政策を阻もうとしていると見なされれば、政治家を含めてだれもが検察による苛烈なあつかいを受けた。 p71

続いて、山県に続いた人物として平沼騏一郎を紹介し、戦後の政治家と検察の維持関係について語る。

・・・戦後、平沼のやり方に倣ったのが馬場義続[元検事総長、1902-1977]である。彼は自民党のリーダーのひとりだった河野一郎[1898-1965]に恩を着せ、彼を操ることで政治的な影響力を増した。

先に述べたように、自民党の政治家たちはもちろん裏で取り引きをしていた。自民党が長い間存続できた理由のひとつは、同党が従来の日本の政治システムの維持に寄与してきたことである。つまり彼らは検察と特別な関係を取り結んでいたということだ。自民党の「保守的な姿勢」の恩恵を受ける検察は、有力政治家たちが政治資金や選挙などでたとえ重大な法律違反をしても、ことさらに騒ぎ立てはしなかった。こうして真に重大な犯罪行為でないかぎり、政治家たちが不正を働いても、検察は通常はそれを見咎めることはなかった。たとえ大きな不正行為に手を染めたのであったとしても、官僚出身であれば、そうした政治家が司法関係者に邪魔立てされる心配はまずなかったと言っていい。一方、いわば草の根出身の政治家の楊合は、さほど運がいいわけではないが、それでも守られた状態にあったと言える。p72-73

しかし。天才的ともいえる政治家、田中角栄は、その過大な実力ゆえ、葬られることになる。

そして、民主党政権とアメリカとの関係も興味深い考察が開陳されている。

ところが、二〇〇九年九月に民主党が政権を握ると、軽い衝撃がアメリカ政府内を走った。アメリカ人記者のなかには、これまでアジアのなかで自分たちが懸念するとしたら、つねに中国だと相場が決まっていたが、これからは日本のことも心配しなければならななったようだ、とアメリカ政府の役人が語ったと報じた者もいた。そうした反応はすべて鳩山首相が、日本は、これからはより対等な立場でアメリカとかかわることをめざすと述べ、沖縄のアメリカ海兵隊基地の移設案をすぐに受け入れようとしなかったために生じたのだった。

鳩山氏、そして小沢氏が当初から望んでいたのは、アメリカ大統領を含む政府幹部たちとひざと膝を突き合わせて、世界の変化について、台頭する中国について、ほかの東アジア地域内の問題について、さらには新たに生じた問題に対処するための新しい方法について議論することであった。

たとえいかに批判的に見たとしても、それは実にもっともな要望である。

そして鳩山氏はそうした要望にもとづいて、オバマ大統領に面会を求めた。私が数え上げただけでも、彼は少なくとも三度、要請した。さて、アメリカに次いで重要な地位を占める先進国の新しい首相が、世界最大の先進国の、これまた就任して日が浅い大統領と語り合いたいと望むことほど、道理にかなったふるまいが一体ほかにあるだろうか? これまで何十年間というもの、互いこそがもっとも重要な同盟国だと考えてきた両国が話し合いをすることになんの不思議があるというのだろうか?

しかし鳩山氏の努力はなんの成果も得られなかった。アメリカは彼にきわめて無礼な態度で応じたのである。彼はバラク・オバマと広範な問題について話し合うチャンスを与えられはしなかった。一度など、鳩山氏の求めに対して、アメリカ政府の報道官は、もし日本の首相が連立内閣内で国内間題を解決するつもりであるのなら、アメリカの大統領を利用すべきではないとすら発言している。鳩山氏はまたコペンハーゲンで開催された環境会議の際にひらかれた晩餐会で、ヒラリー・クリントンと話す機会があった。会場の外で待ち構えていた日本のメディアは、もちろん友好的で前向きな話ができたというコメントを期待していたことだろう。ところがアメリカに戻るや、ヒラリー・クリントンは日本大使

を自分のオフィスに呼びつけ、鳩山氏がウソをついたと非難したのだった。さらにオバマのアドバイザーを務めるアメリカの高官がどこかで出くわしても、日本の首相に10分以上時間を割いてやる必要はないと大統領に伝えたという発言までもが伝わっている。

たとえ相手がどんな岡であったとしても、二国関係のなかでアメリカのようなふるまいは決して許されるものではない。このような侮辱を受ければ、自国の大使を召還させることすらあるだろう。友人であるはずの日本に対して、アメリカがこのような態度をとるなど、信じがたいとしか言いようがない。

これまで私を除けば、日本の政治や日米関係について詳細に検証し、それについて執筆し続けてきた非アメリカ人作家はオーストラリア出身のギャバン・マコーマックただひとりだ。この一件が起きた後、彼は、たとえ相手が敵国であったとしても、アメリカが他国に対してこれほどまでに無礼で、侮辱的なふるまいを見せたことは、いまだかつて一度もなかったと言っていた。

こうしたいきさつを日本の新聞はあまり報道しないか、たとえ報じたとしても、大抵は、日本の首相のやり方がまずいから、アメリカ政府にそのようなあつかいを受けたのだ、という諭調で書かれているのだ。つまり外交手腕に欠けるため、鳩山首相には、新しい状況に適切に対応することができなかった、と結論づけられてしまうのである。しかしそうした論調は、明らかに重要な事実を見落としている。それは相手国の主権を認めようとしない国との間に、外交など成立し得ないということだ。それこそが日米関係という間題の核心でもある。

そもそもアジア情勢の変化についてオバマ大統領と真剣に話し合いたいという鳩山氏の求めをすげなく拒絶する以前から、アメリカが日本の主権を認めていない事実は、アメリカ政府高官の発言の端々にあらわれていた。本書でも述べたように、民主党が政権を獲得することになった選挙前の時点で、東京を訪れたヒラリー・クリントンは選挙でどの政党が勝利し、政権党になろうと、アメリカは従来のやり方を変えるつもりはないと言明していた。これは日本がその三分の二もの致用を負担する、沖縄にあるアメリカ軍基地を指しての発言であった。つまり、ヒラリー・クリントンは、これから日本の新しい政権の座に就こうと、待機していた政治家たちに向かって、あくまでボスはアメリカであると警告し

たのだ。民庄党政権が発足すると、今度はゲーツ国防長官が訪日し、またしても自分たちこそがボスであるごとを無礼な態度で示した。そのとき彼は、外交儀礼である日本の自衛隊による栄誉礼を拒絶したばかりか、歓迎食事会にも出席しなかった。

愛国心のある目本の記者なら、あるいはこのようなふるまいに激怒していたのかもしれないが、それは報道にあらわれてはいなかった。逆に、日本のメディアは憤慨するどころか、アメリカの態度こそ日本の新しい政権が安定していない証拠だと説いたのであった。

そのような論調が、数十年にわたるアメリカ政府周辺の専門家やシンクタンクなどの古い人脈を持つ、自民党政治家の解釈であることは疑いない。官僚や元官僚、そして夏の選挙で民主党に敗北した自民党の政治家たちは、長年にわたって交流のあったアメリカ政府周辺の関係者たちに、鳩山政権をまともにあつかわないよう忠告していたのであった。彼らにとっては選挙に圧勝して新政権が誕生したことも、そしてその新しい政府が国民のぞむようなやり方で、日本の政治を変えようとしていることも、なんの意味もないらしい。民主党政権が日本の政治という舞台でつかの間上演される、おそまつな幕間劇でもあるかのようにに見なす諭調が日本側にあるからこそ、いまアメリ政府内で日本を担当するペンタゴン出身者たちが日本にやってくると、保護者を任じる同盟国アメリカに対する新政権の態度はなっていない、と声を荒らげることになるのだ。だからこそ日本の運営を任せるべきではないのに政権を強引に奪い取った無能な集団であるかのように、新政権はあつかわれたのである。コロンビア大学のジェラルド・カーティスといった日本学の権威とされる人々までもが、最初の民主党内閣を中傷するような発言をして、かえって日本の政治になにが起きているかをまるで理解していないことを、みずからさらけ出すことになったのであった。

日本のメディアの記者たちは、自分の国がどんなあつかいを受けているか気づかなかったのだろうか? 民主党がアメリカに対等な立場を求めたことは、日本の主権が認められていない事実を指摘したものであったにもかかわらず、アメリカがそれを完全に無視したという構図が、彼らには見えなかったのであろうか? メディアはもちろんアメリカのふるまいが無礼であることはわかっていた。恐らく紙面の編集者たちは、日本は本当に主権国家なのだろうかと、漠然と疑問に感じているのではないだろうか。日米関係について語る際、日本は純粋な意味では独立していないと多くの人々が認め、またそのことがよく話題にもなる。また対中関係でもこのことが間題となっていることは、やはり多くの人々がうすうす感じている。

しかし目下のところ、日本ではこうした新しい事態に対するはっきりした見解が打ち出されるにはいたっていない。新聞はそれをどう理解していいかわからないので、これまでと同じような反応を示すにとどまっている。そうした出来事が、馴染みある報道パターンに当てはまらないので、どうあつかえばいいのかわからないのだ。p165

なかなか日本のマスコミを通じてはわからない日米関係の描写ゆえ長い引用になってしましたが、いかがだったでしょう。外国人ならではの観点は、確かにあると思います。

 

官邸前反原発デモ 日本経済新聞デビューか。

本日、官邸前反原発デモが日本経済新聞に掲載されました。社会面ではなく、「日曜日に考える」というコーナーというのが、日本経済新聞ですね。内容を下記にご紹介。

日曜に考える

中外時評

官邸前デモが映すもの

「合唱」の高揚と危うさと

論説副委員長 大島三緒

「参加者のみなさーん。足元に水たまりがあります。気をつけてください」 「まだたくさんの人が続いています。スムーズな行動をお願いしまーす」

国会議事堂の前庭から首相官邸周辺にあふれる入波に、ずいぷん丁寧な呼びかけが響く。主催者側の誘導かと思ったら、ハンドマイクを握っているのは制服の警察官だった。

毎週金曜日の夜、官邸前を中心に永田町から霞が関一帯を埋める、原発再稼働反対デモの一場面である。市民団体がこの春から始めた行動が徐々に膨れ上がり、最近では警視庁調べでも、2万入規模に達している。

ただし、デモといっても行進もせず「再稼働ハンタイ」とひたすら唱えるだけだ。会社帰りに見物がてら来た入もいれば、ベビーカーを押す若い夫婦もいる。ツイッターやフェイスブッ、クで情報を知った人たちがどこからか集まり、午後8時を期してわらわらと散っていく。

こういう具合だから警察も従来のデモと違ってコワモテで臨むむわけにいかず、花火大会の警備のようになるわけだ。往年のデモなら荒れる隊列の学生などを片っ端からゴボウ抜きして検挙し、騒然となった。

3・11後の時代に突如あらわれた、どこか祝祭のようなこの現象はいったい何か。そして、どこへ向かうのか。

特徴的なのは、労働組合などの組織的動員による参加者が少ないことだ。むしろ、まったくの個入でやって来る若者も多いから、昔ながらのデモのスタイルはとりようもない。

もちろん運動の中心には、プロに近い活動家がいる。かつて闘士だった団塊の世代が、こういう機会を待ってましたとばかり駆けつけてもいるだろう。

とはいえ、それだけでは数万入規模にはとても広がらない。

行動に対する評価は別にしても、たくさんの普通の入々が自発的に参加しているという事実は直視しておくべきだ。

思えば、時代を画する出来事である。戦後日本の大衆運動は1970年代に学生運動が過激化するにつれて下火になった。社会の総中流化とも相まって、デモや集会は普通の人々とは無縁の存在になっていたのだ。

ちょうど40年前の「あさま山荘事件」が、その大きな節目になったのではないか-。今年2月のこのコラムではそんな見立てを述べたのだが、どうやら世の中の流れはすごし、変わろうとしているらしい。

背景に「アラブの春」や米国の反格差デモを後押ししたソーシャルメディアの力があるのは明らかだ。ツイッターやフェイ一スブックが大規模な街頭行動を支え、日本人は「あさま山荘」のトラウマを超えようとしているのかもしれない。

もっとも、これだけの市民が「官邸前」に向かうのはテーマが消費税でも年金でもなく原発問題だからこそ、だろう。

3・11から1年余を経ても、原子力災害というものがもたらした極限的に罪深い光景は一向に人々の視界から消えない。そもそも、ようやぐ出そろった国会や政府の事故調査委員会報告も事故の根本的な原因は解明されていないのだ。

一方で、電力不足の懸念から原発の再稼働は進んでいく。野田佳彦首相は大飯の再稼働にあたり「原発なしでは日本社会は立ち行かない」と語った。しかしあの堂々たる宣言ぷりに、かえって違和感を抱いた人も世間には多かったに違いない。

膨らむ街頭行動に対して、脱原発を唱えるばかりで無責任だという批判が出るのは当然である。しかしまた、へんに冷笑的になったり不平を胸にため込んこんだりするより、オープンに声をしたほうが社会のあり方としては健全だともいえる。

問題はこの先だ。運動がたんに人々の欲求不満をはらすカタルシスにとどまるのか、新しい社会像を示す提案などに展開するのか、あるいは政治の側がなにか対応を見いだせるのか。原発をめぐる二項対立が深まるばかりでは不幸である。

「もはや主役はいない。いるのは合唱隊(コーロ)のみである」。哲学者オルテガは「大衆の反逆」で、社会という舞台の背景にいた群衆が前面に進み出てくる様子をこう言いあらわした(神吉敬三訳)。それは可能性も危険性も秘めているというのがオルテガの分析だ。

3・11が生んだコーロの合唱はどんな歌を歌っているか。好悪を超えて、やはり耳を澄まさなければならない。

オルテガ「大衆の反逆」は、アマゾンでは次のように紹介している。

1930年刊行の大衆社会論の嚆矢。20世紀は、「何世紀にもわたる不断の発展の末に現われたものでありながら、一つの出発点、一つの夜明け、一つの発端、一つの揺籃期であるかのように見える時代」、過去の模範や規範から断絶した時代。こうして、「生の増大」と「時代の高さ」のなかから『大衆』が誕生する。諸権利を主張するばかりで、自らにたのむところ少なく、しかも凡庸たることの権利までも要求する大衆。オルテガはこの『大衆』に『真の貴族』を対置する。「生・理性」の哲学によってみちびかれた、予言と警世の書。

つまり、論説副委員長 大島三緒は、オルテガになぞらえ、目線が高いところからの文章、言い換えれば、デモを見下した文章を書いているわけである。中身は、まったくもって何もない、あえて言えば、目線の高さこそが、この文章のすべてである。稚拙な内容なので、何も言う気にもならないのだが、論説副委員長 大島三緒氏の目線の高さを示す言葉の端はしを列挙してみよう。

ただし、デモといっても行進もせず「再稼働ハンタイ」とひたすら唱えるだけだ。・・・午後8時を期してわらわらと散っていく。 /・・・花火大会の警備のよう・・・/・・・膨らむ街頭行動に対して、脱原発を唱えるばかりで無責任だという批判が出るのは当然・・・/3・11が生んだコーロの合唱はどんな歌を歌っているか。好悪を超えて、やはり耳を澄まさなければならない。

そもそも、官邸前反原発デモをまったくもって理解しようとしていない。まったくもって暗愚な『真の貴族』がいたもんだ。

因みに、日本経済新聞のこの記事のちょうど裏側には同じ「日曜に考える」と題して、「核燃料サイクルは必要か」という記事が丸々一ページ使われている。必要なのは「核燃料は必要か」という記事なのだが、そうではなく、核燃料は必要であることを前提として御用学者の対論仕立てとなっている。いつものことではありますが、開いた口がふさがりません。

日本経済新聞 鳩山元首相参加で首相官邸前反原発デモ デビュー?

7月20日の首相官邸前反原発デモは、鳩山元首相が参加するというサプライズがあった。日本経済新聞の翌日にどのような記事になるのかと精査したが、見つからない。で、デジタル版で検索してみると、見つけました。

鳩山元首相、原発再稼働反対デモに参加

2012/7/20 21:18

鳩山由紀夫元首相は20日夕、首相官邸前で原子力発電所の再稼働に反対する市民団体らのデモに参加した。首相経験者が市民デモに加わるのは異例。ハンドマイクを手に「首相経験者として皆さんの声を官邸に伝え、政治の流れを変えたい」と訴えた。

この後、官邸を訪れ、藤村修官房長官に野田佳彦首相がデモ参加者と面会するよう求めた。首相は視察先の福岡県柳川市内で記者団に「官房長官から話を聞いていないので、コメントできない。様々な声を聞いていきたい」と述べた。鳩山氏に対し、民主党の城島光力国会対策委員長は記者団に「首相を務めた方が参加するのはいかがなものか」と苦言を呈した。鳩山氏は自らに近い議員からも「行くべきではない」といさめられたが、押し切ったという。

 

ついでに、「首相官邸前 デモ」で検索してみると、

鳩山元首相、原発再稼働反対デモに参加

(2012/7/20 21:18)日本経済新聞 電子版321文字

鳩山由紀夫元首相は20日夕、首相官邸前で原子力発電所の再稼働に反対する市民団体らのデモに参加した。首相経験者が市民デモに加わるのは異例。ハ……続き

官邸前の「脱原発」行動に学ぶ ネット時代の集客法

(2012/7/19 7:00)日本経済新聞 電子版2855文字

6月中旬から起こった「脱原発」を訴える首相官邸前の抗議行動では、「ツイッター」「フェイスブック」などによる呼びかけが多くの参加者を集めたと……続き

やっつけ仕事の「国民的議論」は残念だ

(2012/7/15 3:30)日本経済新聞 朝刊933文字

これからのエネルギーと環境の基本政策を話し合う政府主催の「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」の初会合が14日、さいたま市で開かれ……続き

電力改革は止められない(上)ネット駆使、独占・技術の「壁」破る

(2012/7/3 7:00)日本経済新聞 電子版4095文字

関西電力大飯原子力発電所(福井県おおい町)3、4号機の再稼働が6月16日に正式決定し、27日に集中開催された電力各社の株主総会では「脱原発……続き

[FT]原発再稼働と再生エネに傾く日本(社説)

(2012/6/22 14:00)日本経済新聞 電子版1371文字

(2012年6月22日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

先進国の中でも日本ほど、国内エネルギー需要を満たす上で難題を抱える国はない。化……続き

首相官邸前で300人が大飯再稼働反対デモ

(2012/6/16 12:01)日本経済新聞 電子版322文字

大飯原発の再稼働に反対する市民団体らによるデモが16日午前、首相官邸前で開かれた。集まった約300人の参加者が再稼働を決めた政府、地元自治……続き

検索結果 6 件中 1 – 6 件目

以上の6件が検索に引っかかってきた。内容は有料になるので読めなかったのだが、一番目と最後の記事がどうやら、反原発デモが対象の記事のようだ。一番目が、ブログの最初に引用している。ということなので、デジタルパンでは2012/6/16が日本経済新聞に首相官邸前反原発デモが登場したということになるのかな。首都版とか、夕刊とかにはどうなんだろう掲載しているのだろうか。ま、とりあえずいえることは、仙台で読む日本経済新聞では、まだ首相官邸前反原発でもは掲載されたことがないということだ。

鳩山元首相のデモ参加でも、官邸前反原発デモが記事にならない日本経済新聞(デジタル版除く)。いつ、どのように掲載されるのか、ますます楽しみになってきました。