民主党代表選挙、小沢一郎か菅直人かGOOGLEで予想

いよいよ民主党選挙。今の時点で小沢一郎、菅直人の一騎打ちの結果はまだ見えていない。というのが、日本のマスコミの予想だ。

オバマの選挙結果を実は予想していたと言われる、あのグーグルトレンドとグーグルインサイトで小沢一郎と菅直人を調べてみた。

民主党選挙前にGOOGLE TRENDにて小沢一郎と菅直人を調べた。

テレビ、新聞等のマスコミでは接戦/伯仲が喧伝されているのだが、GOOGLE TREND/GOOGLE INSIGHT FOR SEARCH ではかなりの差がある。果たしてマスコミは公平中立な報道をしているのだろうか?

興味深いのはグラフ下段のニュース参照数と上段の検索数の指数のトレンドが乖離していることだ。

GOOGLE INSIGHTにて小沢一郎と菅直人を調査

エマヌエル・スヴェーデンボリEmanuel Swedenborg

エマヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg)スウェーデンボルグスヱデンボルグとも訳されています。

スウェーデンボルグは、霊界を語る上で欠かせない人なのですが、アマゾンで購入できる書籍を調べると、紹介記事や抄訳がほとんどでオリジナルの著作は意外なほど少ないですね。

『夢日記』以降のスウェーデンボルグの著作と主な手紙を見てみると、著書のほとんどがなかなか難解であることがわかります。タイトルから、読みやすいそうで触手がうごきそうなのが、「夢日記」と「霊界日記」というところでしょうか。インターネットで公開されているのを見つけましたので以下にご紹介します。もちろん無料です。

http://aoi-press.com/Library/Diary/Diary-fr.html

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994067

「霊界日記」は訳者がなんと鈴木大拙氏ということです。

キャタピラー /若松孝二 寺島しのぶ

キャタピラー、見てきました。予想以上によかったですね。

映画を見たあとにヤフー映画を読んだのですが、映画レポート「キャタピラー」単なる反戦映画を超えた哀しくも酷い性愛のスペクタクルは全く間違っていますね。宣伝用キャッチコピーとしては使いたくなるけど、嘘はいけないよね。

映画館のチラシの裏面に書かれた感想のなかでは、おすぎと周防正行氏が素直だったかな。

おすぎ:若松監督の訴えたいことが心の底からわかる映画です。身体の自由が思うようにならない夫と介護する妻のふたりの切なさ、ツラさを思い涙が止まりませんでした。全国民必見の一本です。

周防正行:単なる反戦映画ではない。戦争がもたらす悲惨を通じて、深く人間を洞察しようとする映画だ。若松孝二監督の並々ならぬ思いを真っ向受け手立つ寺島しのぶの強さと美しさに圧倒された。

前の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』でも感じたのだが、若松孝二監督のまなざしは優しい。「キャタピラー」も酷な作り方もできたのだろうが、していない。

たとえばセックスシーン。女優が寺島しのぶ、相手が胴体と頭だけ。いかようにもできるシーンなのだが、普通の夫婦の性描写をし続けている。夫婦の日常の性生活ほど見ておもしろくないものはないだろうと思うのだが、それが続く。だからおもしろくはない。しかし夫婦の臨場感は増す。

他の登場人物も、素直にまじめに撮っている。結果的に戦争の醜さがあぶり出されてくる。これが映画でしょう。

惜しむらくは、エンタテメイント性に若干欠けていたかなとは思うのだが、ここはよく考えてもらいたい。つまり、戦争映画のほとんどがエンタテイメントを前に押し出したものだということだ。それは反戦映画ではなく、むしろ好戦映画。そこを勘違いしちゃ、いけませんぜ。

経済危機のルーツ / 野口悠紀雄

経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのかを読みました。おもしろかった。簡潔でわかりやすい。読んで良かったと思いました。日本のだめさかげんがよくわかりました。

著者は東大工学部を卒業して大蔵省に入った方なので、金融、特に金融工学には詳しい方なのでしょう。アメリカとイギリスが脱工業化を目指して金融立国で成功した経緯をていねいに描いています。また、アイルランドの金融立国(成功例)も勉強になりました。

そして、日本(それとドイツ)では脱工業化できなかったので凋落したとしています。

著者は最後に「謙虚さを取り戻し、優れたものに学ぶ勇気をもう一度持つこと。今の日本でもっとも求められるのは、このことだ。本書がそのための足がかりになれることを、心から願っている。」と締めています。

さて、日の丸飛行隊をご存じだろうか。以下に参考までにwikipediaからの抜粋を紹介しよう。

札幌オリンピック(1972年)の70m級(現在のノーマルヒル)ジャンプにて日本のジャンプ陣(笠谷幸生金野昭次青地清二)がメダルを独占した事に始まる。後に、冬季オリンピックやワールドカップ等で日本のジャンプ陣を日の丸飛行隊と呼ぶようになった。・・・長野オリンピック後のルール変更で再び長期低迷に入り、2002年のソルトレイクシティオリンピックでは団体5位、個人では船木のラージヒル7位が最高という成績に終わった。・・・

2006年、日本のジャンプについて現・日本ナショナルチームヘッドコーチのカリ・ユリアンティラは「フィンランドやオーストリアなどのジャンプ強国と比べて踏み切りの技術が未熟でレベルが低い。日本の技術は1990年代後半までは良かったがその後のルール変更による対応が全くできていない。しかも若い選手が全く成長していない上に主力が世界の強豪国と比べてあまりにも高齢だ・・・。

私がいいたいのは、野口悠紀雄氏はいわばカリ・ユリアンティラと同じ事をいっているのだということです。そして、日本をターゲットとした”ルール変更”については言及されていない。しかし、本当に大事なのはこの”ルール変更”なのだ。

踏み込んでいえば、日本が「謙虚さを取り戻し、優れたものに学ぶ勇気をもう一度持つて」金融立国したとしても、それはただの「詐欺」になるだけだということです。アメリカが世界の最強国であるということ、世界の強者と弱者、もしくは支配者と被支配者の座標軸がこの著書からばっさりと失われているのだ。

つまり、野口氏が「究極の錬金術」と称している、アメリカの金融立国とは、最強国だけができる国家規模の「詐欺」の別名なのだ。アメリカは、国家の凋落をくい止めるべく、なりふり構わずに、ルールを作り続けた。それが金融立国。

3兆ドルのネット負債から1000億ドル近いネットの金融収入を生みだしたのだから、「無から有を創り出している」というより、「マイナスからプラスを創り出している」わけである。「究極の錬金術」とも言えるものだ。(p221)

言い換えれば、世界第二の経済大国日本を搾取すべく放ったルール改正の切り札が金融だったのだ。日本の資金はアメリカに吸い上げられ、何十倍の利益をあたえつづけた。日本の失われた10年とか20年はアメリカを最強国にし続けた富の源泉だった。

司馬遼太郎について野口悠紀雄氏は本書の中で次のように書いている。

彼(司馬遼太郎)は東海岸の伝統的な都市であるボルティモアやシカゴの90年代の姿を見て、アメリカ経済が没落したと述べている。・・・そうではなく、アメリカの経済構造が変化していたのだ。司馬遼太郎も、そうした変化を見抜けなかったのである。

アメリカの変化は見抜けなかったとしても、日本をみごとに評価し続けていたと思うのだがどうだろうか。すくなくとも次のようなことはいわないだろう。

トーマス・フリードマンは、ニューヨーク・タイムズのコラムで、「アイルランドの教訓はきわめてシンプルだ」とし、「高校と大学の授業料をゼロにせよ。法人税制を簡素化・透明化し、税率を引下げよ。外国企業に門戸を開け。経済をオープンにせよ」などと列挙した末に、「英語を話せ」としている。

確かに、英語を話せることは、重要な要因だったのだ。21世紀型のグローバリゼーションにおいて、これは不可欠の要因だ(「イエーツの詩の原文が英語でないことを知って驚いた」と7で書いたが、英語とゲール語はきわめて異質なので、「なぜ英語でもあのように美しい韻律を保っているのだろうか?」と、いまでも不思議に思っている)。

北海道は面積がアイルランドとほぼ同じで、人口は1.5倍程度だ。だから、北海道は、政治の力に頼って公共事業を誘致することばかり考えず、アイルランドをモデルにして世界から直接投資を呼び込めば、倍の豊かさになれたとも言える。ただし、それには、英語を使えることが前提だ。「21世紀型のグローバリゼーション」実現のために英語は不可欠であり、日本はその点で大きなハンディキャップを負っていることになる。

「90年代の発展は、ヨーロッパの周辺国において実現した」と3で述べたが、これも英語力と無関係ではない。小国には自国語で大学の教科書を作るほどの人口はいないから、高等教育の教科書はどうしても英語になる。それだけでなく、日常の仕事でも英語が不可欠だ。ヨーロッパの小国では、町のタクシーの運転手でも完全な英語を話す。ドイツやフランスなどの大国の国民は、英語がそれほどうまくはない。90年代における「英語不適応大国の凋落」は、必然の現象であったのだ。
いまにも英語を公用語にしろといわンばかりの文章だが、こういったしょうもないことどうして書くのだろうか。まずは、日本人の脳を勉強してもらいたい(私のブログで”クール・ジャパン”について述べたところに詳しく書いています。参照下さい)。
と、まあ不満はたくさんあるのだが、それでも整理されてわかりやすいということはこの本のいいところではあります。実際、はじめて合点がいったことなどは多々あり、勉強になりました。

ひとり語り / 吉行和子

最近は夜中に目が覚めます。暑くて寝れないんですね。今年の夏は異常です。

さて、ひとり語り―女優というものはを読みました。おもしろかったです。

私の学生時代は麻雀がブームでした。時代そのものが麻雀ブームだったのですが、そのせいで麻雀好きで知られていた吉行淳之介遠藤周作氏、色川武大氏のファンでもあり、エッセイや著作にも親しんでおりました。その吉行淳之介の妹さんが吉行和子さんでした。文章の方も血筋なのか非常に読みやすく、うまいと思いました。この本にも多々吉行淳之介氏との話がでてくるのですが、拝読したところどうやら、和子さんはお兄さんがとてもすきだったみたいです。

日本を代表する女優さんなわけですから、本の中にも、日本を代表する著名な方がたくさん登場します。知られていない視点からの話はいずれもおもしろく、かつ価値のあるものだと思いました。

その中で、私が気に入ったのは田中角栄氏とおすぎとピーコの部分でした。さりげなく、彼らの代弁をしているところに感心しています。ということで、おすそ分けということではありませんが、以下にまず田中角栄氏部分から紹介させていただきます。

そうだ、初めて銀行に口座を作りに行ったのは二十歳を少し過ぎた頃だった。劇団からもらうわずかな収入のために預金通帳を作りましょう、と近くの銀行に出かけた。そのことを思い出したのは、この(二〇〇九年)二月十三日に辻和子さんが亡くなったからだ。辻和子さんは旧中角栄氏の愛人として、かなり知れ渡っていた方だった。神楽坂に住んでいた元芸者さんだ。

私の預金通帳の名前は、「辻和子」という。当時、母が再婚していたので、私と妹も辻だった。仕事はもとのままだが、戸籍上の本名は辻。通帳を作りながら、ふと気配を感じて顔を上げると、背広をきちんと着た男性四、五人が近づいてきている。そして、ほんの少しの間たたずんでいたが、声もなく去って行った。通帳を作る時って、こういう感じなのかしらと思い、気がついた。そうだ、辻和子という人が来たというので、それではご挨拶をしなくてはいけないと、偉い人たちが揃って来てみたのだが、どうもみすぼらしい風体の女だ。人違いだと、引き返したのだろう。

神楽坂とわが家とはそう遠くない。ということは、この銀行とも近い。あの辻和子が口座を開いてくれるのだと思ったのだろう。

ほほえましい話

そんなことがあってから三十年も経った頃、その辻和子さんと私は知り合いになった。親しくしていた友人のお母さんが女医さんで、私はよく遊びに行っていた。女医さんと辻和子さんが仲良しで、顔を合わせたことが何度かあった。初めて会った時、「この人も辻和子っていうのよ」と私は紹介された。女医さんとは芸者さん時代からの友達とのことだ。「私はね、神楽坂の芸者衆の主治医だったのよ。男の医者が行くと、なんだかんだと問題を起こすので、女の私が行くことになったの」と、ゴッドマザーのごとく頼もしい女医さんは言った。辻さんより年長で、角栄氏にもずいぶん頼りにされていたらしい。浅草で開業医をしていて、血だらけのヤクザが駆け込んでくることもたびたびあり、それでもびくともしない肝っ玉女医なのだから、何があっても驚
かないのだろう。

世間の非難を浴びている角栄氏は、「新潟へ帰る列車のつなぎ目を眺めていると、一瞬、飛び込みたい心境になるんだよ」と、女医さんの前では弱音を吐くこともあったと言う。

辻和子さんも気さくな面白い方だった。同じ方向なので、帰りも一緒に帰ったりした。亡くなったことを知った翌日、さぞや新聞にでかでかと出るだろうと思ったのに出ていない。「だって、どういう肩書きにしていいか困るから、やめることにした」と新聞社関係の偉い方に後から聞いたのだが、たしかに問題が生じる可能性が大きい。その後、週刊誌に小さな記事が出た。昭和の生き証人がひっそりと人生の幕を閉じていたとあるように、ひっそりとこの世を去っていかれた。(p184-186)

続いておすぎとピーコについて

おすぎとピーコと知り合って

この時期、一緒に芝居をした人たちとは、いまだに親しく付き合っている。三、四年だったけれど思い出がいっぱいあり、話が盛り上がる。楽しかったな、と言ってくれるので、ほっとしている。

その中に、おすぎとピーコもいる。彼らは芝居には直接関わらなかったけれど、大いに応援してくれた。二人は現在の活躍ぶりなど想像もつかない、ただの変わった入種、無名のオカマの双子だった。

おすぎのほうは、松竹の歌舞伎座テレビ室というテレビ制作会社の演技事務として働いていた。演技事務というのは、スケジュール調整などもする重要な部門だが、駆け出しはすべての雑事をこなさなければならない。進行さんと呼ばれ大変な忙しさだ。しかし、そう気のきく人はあまりいないのが普通だが、おすぎはともかくよく気がきくというので名を馳せていた。朝にコーヒーが配られるのは当たり前、咳をすればすぐのど飴が差し出される、という具合だ。

私はおすぎのいるほうではなく、歌舞伎座テレビ室の人たちが参加している「喜びも悲しみも幾歳月」というテレビドラマに出ていた。あの名作映画、木下恵介監督、佐田啓二、高峰秀子主演のテレビ版だ。監督も木下恵介門下の方が加わり、あちこちの灯台でロケをした。「おいら岬の灯台守は~」という主題歌もヒットしたので・覚えている方も多いと思う。あの主人公たちの物語なので、灯台は欠かせない。ロケバスは新宿駅の西口から出発する。その場所はロケに行くバスが来るところで、何台も並ぶ。時々間違えて別の作品のバスに乗り込んでいる入がいるので、そういうチエックも進行さんはしなくてはいけない。おすぎも駈けずりまわっていた。私の組のヘアメイクさんが、その種の人で、私は気が合って仲良くしていた。

今では考えられないことだが、そういう人たちは当時肩身が狭かった。昨今いき過ぎのように手を振ってテレビに出まくっている彼らの道を拓いたのは、かの、おすぎとピーコだというのは衆知のことだ。

二人がカミングアウトした時は、もうこれで消えるだろうと思われたのに、なんだ、この勢いは。しかも三+年以上も続いているとは驚きだ。それ以前は、テレビで入気のあった人でも噂が出ただけで画面からは消されていた。美輪明宏さん、ピーターさん以外は認められていなかった。私たちの組合は、と小さな声で主張するしかなかった入たちなのだ。ヘァメイクさんは私が大丈夫と知っておすぎを紹介した。私たちはすぐ仲良くなった。何故だかわからないが同類とでも思ったのだろうか。そして兄と称するピーコを連れてきて、四人で会ったりしだした。

ピーコは服飾関係の仕事をしていた。ずいぶんやぼったい洋服着てんのね、と言い、洋裁をしているお姉さんも紹介してもらい、それ以後、杉浦家(二人の本名)とは親戚付き合いをしている。

私が地下の劇場で芝居をしていた頃、無名の二人は、今と同じように勢いよく騒がしく私の面倒をみてくれていた。お母さんが作った.おいなりさん”をどっさり持ってきて皆に喜ばれたり、キウイという果物があることも教えてもらった。甘ずっばくて美味しかった。キウイを食べるたびに、楽屋にペタリと座って皮を剥いてくれていた二人の姿が目に浮かぶ。ピーコは衣裳の繕いものなども手伝ってくれた。後にピーコデザインの衣裳で舞台を何本かやった。いまや忙しくてそれどころではない。しかし、舞台だけは二人とも観に来てくれる。親しくなりすぎているので、ハラハラしてまともに観てはいられないらしい。身内の学芸会を見せられている心境になってしまうのだろう。そして私も何だか落ち着かなくて、彼らが来た日はたいてい科白をとちってしまう。

二人が突然ラジオ番組に出だした。久米宏さんがパーソナリティを務めていた番組で、そのなかに短いけれど二人のコーナーができた。相変わらずにぎやかだった。ひょっとして、いつも楽屋にきてたあの二人じゃない、と声に聞き覚えのある人たちが尋ねた。どんないきさつでラジオデビューしたのかは聞いていないが、ともかく二人は「オカマの双子」として、堂々と世間に知られるようになっていった。彼らの心の中では、“ゲイ”と胸を張って言いたいのだろうが、あんたたちがオカマって思ってんなら、こっちから言ってあげるわよ、なのだろう。

この番組は兄の淳之介も好んで聴いていたらしく、ある日電話がかかってきて、「おすぎとピーコの区別がついたぞ、ピーピー言うのがおすぎで、比較的おとなしいほうがピーコだ」と嬉しそうに白慢した(p133-p136)